サイハーデン刀争術、焔重ね。
切っ先が翻る。ハイアの肩から胴にかけて斬撃の激痛が走った。肉がきしみ、骨が砕ける感覚。押し潰そうとする衝撃に内臓が悲鳴を上げる。
ハイアは声もなく後方へ吹き飛んだ。地面に落ちていくハイアを、レイフォンが追撃する。とどめを刺す気だろう。
―――――…これは…死ぬ……かも……
激痛が身体を蝕んで、指先すら動かせない。思考は真っ白に染まっていく。
もう、無理か。そんな冷静な思考が巡った。
それなのに、どうして。それなのに、なぜだか……
―――――……おれっちの手は、刀を握ってる
まだ、戦えると。軋んだ肉が、砕けた骨が、押し潰されていく内臓が悲鳴を上げる中で、ハイアの意志は、ハイアの心は、まだ戦えると叫び声を上げている。
まだ、意志は、心は、折れていない。戦えるのだと、この腕が、この刀が、告げる。
『まぁ、なかなか良い剄をしてた』
あきれたような声で、さり気なく褒めてくれた彼の声が聞こえた。
グレンダンで何度も手合わせをしてもらった。
『なんのために戦うのか。なんのために生きるのか。……お前は、分かるか?』
そう言っていた彼は、自嘲気味な笑みを浮かべていた。
強く、屈強な意志を持つ瞳を何処か悲しげに細めて、その瞳に空の星を映していた。
空を穿つ光を放つ星は、その瞳にも光を注ぎ、世界を映し、夜を映していた。
彼ほどの存在ですら、誰もが思う悩みに悩まされているのか、とどこか遠いものを見るような感覚で思ったことを覚えている。そしてそれと一緒に彼だからこその思いなのか、と、ふと思っていた。あの時はそんなそれどころじゃなくて、一瞬でかき消された思考だったけれど。
『…だれでもこうなれる訳じゃない。そして、出来ることなら、こうなるべきじゃない』
そう言っていた彼の瞳は、真剣そのものだった。
……あぁ、だけど……だけど!
ハイアの刀を持つ手に力がこもる。すでに限界を超えた身体に力込める。
動けと。敗北が「死」であるならば、「死」を迎えていないならば敗北してなどいない。
不格好だろうと。圧倒的ではなかろうと。
必要なのは、勝つこと。戦う理由は、強くなりたい。そうであるようにと、自らに課したから。
だからだ。彼が言うように、誰だって彼のように、誰だってレイフォンのようになれる訳ではない。
だが、たとえそうだとしても。『出来ることならこうなるべきじゃない』と、彼に言わせるようなことであっても。
もう決めたのだ。あの背に、追い付くために。
「……あ、ぁあ…ッ、」
レイフォンの目が見開かれた。
衝剄で身体を跳ね上げて、踏み込む。体勢は崩れきっている。踏み込む足に、いつものような感覚は一切ない。地面を噛んだ靴から、硬質な感覚が伝わってくる。足が、身体が重い。こんなにも鈍重な身体の感覚は初めてだ。
重すぎる。走れない。だがレイフォンは目の前に迫っている。そこにいる。ここに、いる。
この手が、
ならば、振りきれ。
踏み込んだ左足に力を込める。持ち上げる刀がこれほど重いと感じたことはない。だが、構わない。何があろうと、振りきる。これが、自分のすべてだ。
そんな刀の先で、レイフォンの表情が歪んだ。
ハイアの手から刀が吹き飛ぶ。レイフォンが刀を弾き飛ばしのだ。そんなレイフォンの足が踏み込んできた。刀が寸前まで迫る。
―――――あぁ、やっぱり
口角が上がる。自嘲気味に。彼のように。
―――――意味なんて、わからなかったさ~……
だが、来ると思っていた感覚は来なかった。乾いた金属音が鼓膜を揺らし、自分の体は何かに抱きとめられた。
血の滴る身体を、見慣れた眼鏡をかけた涙目の幼馴染が抱きかかえていた。
死を纏った刀を、見慣れた黒緑色の短髪を揺らす背が短剣で受け止めていた。
「……ミュ、ン……? ヴィー…ト……? なに、してるのさ…」
レイフォンの刀を受け止めたヴィートの短剣には亀裂が走っていた。かちかちと金属同士がぶつかり、火花が散る。
「……あ、なたは」
「悪いね…、……もう、団長じゃないとは言っても…やっぱ、ね。……俺の大事な、弟なのよ」
「…………殺す気なんて、ないですよ」
そう言いながらも、レイフォンの刀を持つ手からちからは抜かれない。警戒されているのだ。
「ミュン…逃げるさ…。ヴィートも、早く…退くべきさ」
「……いや」
ハイアの言葉に対して、ミュンファがはっきりと答えた。
その言葉に顔をさらに歪ませ、ハイアは言う。
「むちゃ、言うな…さ…」
「いやです」
いつもなら、ミュンファがそこまではっきりとした否定を言うことなどなかった。
それにハイアが虚を突かれていると、ミュンファは言葉を続けた。
「ハイアちゃんとは離れない! もう決めたんです」
意外な決意に、ハイアは目を見開いた。
レイフォンに視線を向け、ヴィートは軽く肩を竦める。
「……とりあえず…さ、ウォルターさんとフェリ・ロスは開放してるから、大丈夫だよ」
「そう……、なんですか?」
「うん。だから許してなんて言うつもりないけど…さ、ホント、ごめんね色々」
「……いえ…、怪我なく開放してもらえたなら…文句はないです」
そう言ってレイフォンはゆっくりと刀をどけた。亀裂の入った短剣を見ながら、ヴィートは苦笑を浮かべる。
「それはありがとね。……それにしても……さっきあぁ言ったけど、結構本気だったでしょ」
「…それは…その。……まぁ」
「あはは、まぁそーだよね」
錬金鋼を基礎状態に戻し、レイフォンは剣帯にしまった。ヴィートも短剣を剣帯にしまうと、肩越しにハイアを見て声をかける。
「ハイアちゃんは大丈夫?」
「……いろいろ、と…大丈夫じゃない」
「あははー。ま、そーだろねぇ…。……でも、いい経験になったんじゃないの」
そう言って、ヴィートはゆっくりと、それでいてしっかりとハイアを担ぎあげた。
それに驚いたハイアは、小さく声をあげてばたばたともがく。だがそれほどのちからが残っておらず、抵抗は無駄に終わった。ヴィートは呆れた顔でハイアの背を優しく撫で、同じ様にミュンファの頭を撫でた。
ふむ、と顎をつまみ、ヴィートは考える。
私戦でここまでしたのだから、怪我を治す為とはいえ、このツェルニの病院の方には行けないかと思い、どうしようかと悩む。
「……あの」
考え事をしていたヴィートに、左肩を押さえ、腕を朱に染めたレイフォンが口を開く。
それにほんの少し首を傾げ、ヴィートはレイフォンを見た。
「どーかした?」
「…えっと、ツェルニの中央病院に…ウォルターの同級生の方で、医者の方がいらっしゃるんです。……その人に頼めば、たぶん治療してもらえると思いますけど……」
その言葉をヴィートは酷く驚いた顔でレイフォンに目を向けた。
目を丸くして自分を見るヴィートに、気まずいというか、バツが悪いというか、複雑そうな顔で視線を逸らしながらレイフォンは答える。
「…あの、えっと…。……僕は、ハイアのしたことはよくないことだと思いますし…、実際に本気で腹がたちました。…でも、手段はどうあれ、その思いや、ハイアの決意は、伝わってきたから」
「……ありがとーね」
ヴィートは笑みを浮かべ、そういった。
しかし、と頭を振り、傭兵団の放浪バスの方で治療すると告げる。それなりの設備はあるそうで、とりあえずはなんとかしてみるとのことだった。それでもどうにもならない場合、世話になるとヴィートは言った。
レイフォンもそれに同意し、ツェルニへ戻るため踵を返した。だが、不意にハイアに声をかけられ、足を止める。
「……おい」
「……あなたに同情なんてしない。今回の悪役はあなたで、僕じゃない。……ただ、それだけだ」
投げやりとも取れる声で、レイフォンはそう言い去る。
その背に掛ける言葉を見つけられなかったヴィートは、小さく頭を下げた。