「そんなことしても、ウォルターに近づけるはずなんてないって、わかってるでしょう」
その言葉は、口をついて出た言葉だった。
どう言ってもきっとハイアに変わる気なんてないとはわかっているし、レイフォンの言葉など聞く気がないということはわかっている。だが、きっとこのままではよくないと、レイフォンはそう思った。
いまの状態のウォルターが気にかけるとは思えない。だがきっと、いまじゃないウォルターならそれを促したはずだ。
レイフォンだって不本意だ。ハイアのことなんてどうだっていい。ただ、フェリとウォルターを開放してもらえるなら、ハイアのこの変わり様などどうだっていい。だが、それでも目につく程の変わり様だ。
「……なんさ、お前」
ハイアの表情が更に冷えた。だが、眉は訝しげに寄せられる。
表情にゆらぎが出た。いくらウォルターの様にしようとしても、ハイアはハイアだ。
「そんなことしてもウォルターに近づけるはずがない、って言ったんですよ」
「……お前にそんなこと言われる筋合いなんてないさ」
はっきりとした嫌悪を眼に宿したハイアを、レイフォンは笑う。
「じゃあ……どうして、そんな顔をしてるんでしょうね?」
そう言った瞬間、ハイアの眼が見開かれ、武芸大会終了のブザーが鳴り響いた。
「!」
レイフォンがハイアの足を衝剄で弾いた。
青石錬金鋼は落としていない。右手で掴み、そのまま身体を跳ね上げながらハイアの首に突きを放った。
が、すんでのところで躱され、突きは空を切っただけにとどまる。ハイアは一瞬遅れてそれを刀で跳ね上げ、切り返す。それをレイフォンは刀で返し、胴への袈裟斬りを放つ。
ハイアはレイフォンの袈裟斬りに対し、身体を逸らしながら屈んでよけると、レイフォンの足を払った。だが、一瞬早くレイフォンが軽い跳躍をして躱すと空中で衝剄を放った。
衝剄に対し衝剄をぶつけるが、ハイアの剄の量はレイフォンに到底及ばない。純粋な力比べでは負ける。だからこそ、踏み込んだ。下段からの切り上げ。レイフォンがそれを弾き、お互いに距離をとった。
レイフォンの胴と肩からの出血は収まらない。それどころか、放った衝剄や身体を跳ね上げる動作の際、更に裂けたようだった。だが、先程のように痛みが襲ってくることはない。レイフォンは内力系活剄を体内で練り上げ、刀に衝剄を纏わせる。
再び型を取りなおしたハイアの剣先の延長が、レイフォンの喉元を捉える。
「これ以上続けたって、きっとむだだ」
レイフォンの瞳がハイアを捉える。構えにゆらぎはない。瞳のゆらぎも落ち着きを取り戻した。
だが、まだだ。攻めるならいま。
「これで決める」
「……上等さ」
衝剄を更に練りあげる。辺りに散っていた砂埃を巻き上げ、外縁部の地面をちりちりとした火花が滑っていく。動かない左腕をぶら下げて、レイフォンは簡易型複合錬金鋼を左の腰に引き寄せた。ハイアもまた、刀を腰に引き寄せる。構えを取り、重心を落とし、互いが同じ構えをとった。
抜き打ちの構え。
ブザーは終わりに向け、音を小さくしていく。二人が練り上げる衝剄は勢いを増していく。
サイハーデン刀争術、焔切り。
「他を信頼して戦ってきたのなら……やっぱり、お前は“僕ら”と同じようになんて出来ない」
レイフォンの言葉に、ハイアが一瞬片眉をあげた。
「僕らだって他人を信じてないわけじゃない。だけど、何よりも自分の力と技量のみに頼ってきた。そんな僕らの場所に、他人と自身の技量を合わせて戦ってきた人間が入ることは、難しい」
「……出来ないわけじゃないさ」
「…天剣に求められたのは、ただ純粋にちからがあること。その他は必要ないくらいに。だけど…」
言葉を口の中で転がすレイフォンに、怪訝に眉を寄せたハイアは、刀に収束させる剄の密度を更に増加させた。
簡易型複合錬金鋼を握るレイフォンの手に、力がこもる。
「お前は……、ただそうあるなんて、きっと無理だ」
「………………………お前が、勝手にきめんじゃねぇさ」
ブザーの音がやんだ。
同時に、踏み出す。
剄を纏わせた刀を、全力の踏み込みで一閃させる。
音の余韻が破砕音でかき消される。
斬撃の軌道はほぼ同じ。衝突し、剄は衝剄となり辺りを荒らしまわっていく。衝剄の衝突と食い合いが足場を崩壊させ、後方へと両者を引き下げる。
だが、まだだ。技はまだ続いている。
着地した足のまま、両者踏み出す。
レイフォンとハイアの剄は未だ食い合い、衝剄の火花を散らしている。
動かないレイフォンの左腕から鮮血が飛び散り、剄がそれを引きちぎっていくなかで、ハイアは衝剄の密度を高くする。
衝剄のぶつけあいは、レイフォンが怪我をしていなければ一瞬でカタが付いたはずだった。だが、レイフォンは事実左腕を負傷しており、しかも怪我をしてからの時間が随分と経っている。斬撃は骨まで届き、神経を断裂しているはずだ。もう、ほぼ動かないに等しい。それならば、練れた剄も不完全。
負けられないのだ、絶対に。レイフォンに言われたように、同じような事ができないとしても。
誰かに背中を預ける戦いしかして来なかった。互いの背中を預け合う戦いをすることが、サリンバン教導傭兵団だったから。
天剣授受者には遠く及ばない存在であっても、サリンバン教導傭兵団の中には他人に頼らなくても戦える人材はいた。事実、ヴィートがそうだった。だがそれでも、互いの背を守りながら戦うことをモットーにして、誰もが戦っていた。同じ傭兵団という家族の背を守り合う、その姿を見ながらハイアは成長し、自身もそうであれと育った。その、傭兵団という家族の中で、ハイアは自らの技量を、戦いを養ってきた。
だが、早晩傭兵団は解散する。背中を預けられると信頼していた者達は、いなくなっていく。散り散りになる。その存在は、なくなってしまう。
―――――こんなところで、無様は晒してられないのさ!
1人で戦場に立つ。あの人に、近づく。一歩でも、半歩でも。
たった1人ででも、戦えるようにならなければならない。
ハイアとレイフォンがぶつかり合った。衝剄は再び食い合いを始め、刀が纏う衝剄の火花の延長である炎が互いの炎を食い合う。
レイフォンの肩からの出血は激しい。傭兵団では危険だと無理矢理にでも後方へ下げられるほどに。だが、レイフォンの表情に変わりはない。
―――――なんで、こいつ……
こんな表情をしていられる?
出血は激しい。痛みだってあるはずだ。ウォルターを拉致し、フェリまでも攫ったハイアに対して憎悪があったはずだ。刀を握らせたことにも多いに不服があっただろう。戦いが始まった時には、それがずっと見えていた。レイフォンの怒りの表情が、ずっと見えていた。
だがそれでも、戦いが続くにつれて感情は消え去り、瞳には何も浮き出ていない。
まるで、“彼”のように。
―――――………っ………!
戦いに対して、死を恐れもせず、生きることを渇望しもしない。ただ、戦う為に動く。
その表情に、ハイアはどういった言葉をつければいいのかわからなかった。
ただ、彼も同じ表情をすると。それは知っていた。
冷えきった瞳の奥に、何かの感情を見つけることは出来なかった。いつもの風合いもなく、ただ、底知れない何かを抱えた、『戦人』の姿がそこにあった。
レイフォンの瞳が、一瞬彼と重なる。
たった1人の世界。
たった1人の戦場。
それは喉元に死神を引き連れて刀を振るい、一瞬の油断が敗北を呼ぶ事。その敗北が、すべての死であること。
その世界が、自分に襲いかかってくることになる。
たった1人で戦うということは、そういうことだ。
誰も助けてくれない世界。
彼の背負っていたものを、今になって理解した。
レイフォンの表情の意味を、その強さの過程を、今になって知った。
ならば、ハイアは?
―――――……そ、んなの
背筋が凍ったような感覚がした。全身が震えたような錯覚が襲ってくる。それを必死に押さえ、刀を掴む手にちからを込めた。
薙ぎきる。
しかし、刀は後方へ一歩下がったレイフォンの前を素通りし、斬線は虚しく空を断った。
レイフォンの刀を掴む手にちからがこもり、左腕が刀の柄を握りこむ。
「!」
神経は完全に絶たれたわけではなかった。だからこそ、レイフォンは衝突の間、内力系活剄を行って左腕を動かすことに集中していた。
ほんの刹那、動くことだけを狙って。
誰も助けてくれない世界。そんなただ1人の世界で必要なのは、刹那の瞬間だろうとも自らのちからで最大限の光を見出すこと。見出し、掴み取ること。
両手で簡易型複合錬金鋼を握ったレイフォンが、衝剄の威力をあげ、踏み込む。
衝剄はハイアの刀を弾き飛ばし、体勢を崩させ、切り込んだ。