グラシデアの雫   作:Noche

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誰かの声が聞こえる。

 

 

意識が浮上し、目を開けたベイリーフがいた場所は、どこか見覚えのある処置室だった。

 

自分はどれぐらい気を失っていたのだろうか。窓がない部屋のため、今が日中なのか夜なのか分からない。

 

ベイリーフは寝ていた処置台から降り周囲を見回すと、出入りする扉の奥から微かに声が漏れていた。それはレイカの声で、どうやら誰かと話をしているらしい。 

 

「……れは分からない」

「……あちゃん……」

「……はどうしたって……しかない。だからベイリ……の……もちを本当に……すること……ないだろう」

 

所々聞き取れない箇所はあるが、どうやら自分のことを話しているようだ。それにしても、レイカはこんな口調だっただろうか? もっと柔らかい話し方をしていたはずだと、ベイリーフは怪訝な顔をしながら、すっかり痛みや疲れがとれている身体を動かして扉へと近寄る。

 

「ベイリーフがあのスピアーを殺そうとするなら、俺は捕獲しなきゃいけない」

「……そうだな」

 

 

身体が、凍りついた気がした。

 

 

ベイリーフは誰かが言ったことを、深く理解できなかった。

 

レイカは今、何て言った? 『そうだな』って、なに?

 

どうして自分が、捕獲されるのだろう。レイカは誰と話しているのか。疑問は幾つも上がる。

 

心が理解するのを拒んでいるのに、心を置き去りにして、頭はどんどん理解してきてしまう。

 

どうして賛同してしまうのか。

自分がスピアーを殺したいと思っていると、レイカは本当にそう思っているのか?

 

自分は確かにあいつが憎かった。赦せないと思った。けれど殺したいと思わずにいれたのは、待っていてくれている母と、レイカのおかげなのだ。

 

 

────それなのに、どうしてレイカは信じてくれない?

 

悲しみと怒りが混ざり濁った水が零れ、今にも心は黒く汚れそうだった。

 

しかし、次のレイカの言葉で、その闇は一気に撃ち破られることとなる。

 

 

「──だがそれは、ベイリーフがそう思ったら(・・・・・・)の話だ」

 

俯いていた顔が上がる。

 

「ベイリーフの本当の気持ちを真に理解できることはないと言っても、そう思うんじゃないかと解ることもある。私はあの前世の89年と今世の20年を無駄に生きてきたわけじゃない。人を見る目は養っているつもりだ。それがポケモンでも変わりない」

 

ベイリーフはレイカが言っていることが──特に後半の言葉──よく解らなかったが、自分がスピアーを殺したいと思っていないと信じてくれていることだけは解った。

 

「あの子はまだ幼いが、勇敢な漢だ。父を誇り、そしてその父親に代わって母親を守る家族思いな子が、親を泣かせるわけがない。これだけは、自信をもって言える」

 

レイカは、自分を少しも疑ってなんかいなかった。

 

確固たる確信をもって張られた言葉は、ベイリーフの沈んでいた心を優しく溶かしてくれた。

 

ああ、自分を信じてくれる者がいるということが、こんなにも嬉しい。

 

レイカ、レイカ。ありがとう……。

 

きらきらと光る真珠をこぼす目元を、何かに拭われたような気がした。

 

 

 

 

 

 

『それじゃあレイカ、色々、本当にありがとう』

 

「いいのよ。いつでも遊びにいらっしゃい。お母さんと元気でね」

 

あたたかく朗らかな春空の下で、レイカとそのポケモン達は時々振り返りながらも進んでいくベイリーフを見送っていた。

 

その時、以前見たときよりも姿が薄くなったベイリーフが隣に現れる。

 

《ありがとう、レイカ》

《もう……いくのね》

《うん、お礼とお別れを言いにきた。君がいなきゃ、僕も息子も救われないままだった》

《私は治療とサポートをしただけよ。あの子が頑張ったから、あの子もあなたも救われたの》

 

お互い遠く小さくなっていくベイリーフだけを見つめながら、心の中で会話をする。

 

《はは、優しいね。君は》

《それはどうも》

《……じゃあ、いくよ》

《……ええ》

 

最後に顔を合わせ、ベイリーフは笑顔を浮かべながら空と同化し消えていく。

 

もう何もいないそこには、青に浮かんだベイリーフの形の残像だけが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

鳥も草木も空も眠る真夜中。

 

ベイリーフは寄り添って眠る息子と妻をを優しく見守り、やがてゆっくりと淡い光とともに消えていった。

 

 

 

              第1話 完


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