インフィニット・ストラトス~The Lost Rabbit~   作:ヌオー来訪者

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06 織斑一夏の受難

「……くっそ」

 

 放課後、一夏は教室に残って教科書と格闘していた。現状理解度は十全ではないどころか、一番後れを取っているのは今日で身をもって思い知らされたのだ。

 ふと玲次の席に視線を移すと玲次は黙々と例の参考書を読み漁りながら板書したノートを読んでいた。

 

 他には数人ぐらいまばらに席に座って自習している姿が茜色の光に照らされていた。

 

 自分の教科書に視線を戻すと、意味不明の用語が長々と並べられており、中学生時代の教科書が可愛く見えてしまう程にびっしりと文章で敷き詰められていた。

 

「わからねぇ……」

 

 要は公式を理解していないと解けない問題と対峙しているようなもの。公式を知らないようでは理解も出来ないのは当たり前の事だった。

 

「大丈夫?」

 

 一段落したのか一夏の方を向いた玲次が問うと、一夏は首を横に振った。

 

「いや。専門用語の羅列で訳が分からない……まるで未知の言語と向き合ってるみたいだ」

 

「必読って言われてた参考書読んどけばそれなりに苦労はしなかったのにどうしてラーメンを……」

 

「アレは事故だったんだよ……でもまさかこんな結果になるとは」

 

 玲次の様子や千冬の叱責から考えるに、あの参考書はかなり大事な事が書かれていたらしい。しまったなぁ、と思いつつ玲次の机に置かれた例の参考書をぼんやりと見ていると玲次は「貸さないよ? 使ってるんだから」と言った。

 

「だろうな」

 

「おれだって完璧って訳じゃないんだから。千冬さんが再発行してくれるまで待ちな」

 

「言われなくたって分かっているさ」

 

 一夏は若干不貞腐れる。なんで捨てたんだよ俺、と後悔するばかりである。それから5分程の沈黙が流れてから玲次はふと口を開いた。

 

「あー、取り敢えず代わりと言えば何なんだけど、ISの基本操作くらいなら後で教えるよ。操作方法分からずに自滅とか流石に知り合いがやらかされるのはちょっと……」

 

「るせぇ」

 

 だが、基本自体碌に出来ていない現状コイツに頼らざるを得ないのも事実。それに自分が蒔いた種なのにあまり文句が言えないのだが。流石にあのセシリア相手に自滅やらかしたらわざと負けたとみなされて奴隷とかにされかねない。

 

――そんなのは俺だって趣味じゃない。

 

「でも、サンキュ。後で何か奢る」

 

「じゃぁザギンのシースー(銀座の寿司)頼むわ」

 

「鬼かお前は。てかなんで業界用語使った」

 

「ノリ。まぁ冗談だよ。じゃぁラーメン頼むわ」

 

「どういうノリだ……あいよ、それくらいならお安い御用だ」

 

 

 

 あれこれふざけた事を言いながらもなんやかんや言って手助けはしてくれる友人に心の中で感謝しつつ教科書に再び目を通し始めた。

 全く理解できていないに等しいにせよ何もしない理由にはなりはしない。

 

 黙々と教科書を捲り「邪魔をするんじゃない」と背中で語る二人の姿に笑う気も、観察する気も無くなったか教室の生徒たちが出て行く。それから数十分後、山田先生がぱたぱたと走りながら人がまばらとなり閑散とした教室へとやって来た。

 

「織斑君、篠ノ之君、寮の部屋割りが決まりました」

 

 山田先生は教室に入った瞬間躓いて転びかけたが直ぐに持ち直して玲次と一夏のもとへと駆け寄る。それに一夏は疑問符を浮かべた。

 

「あれっ、俺の部屋とか決まってないんじゃなかったんですか? 前に訊いた話だと一週間は自宅から通学して貰うとか――」

 

 一夏の予定は暫くは自宅からの通学であった。一方でIS学園からかなり離れた地域で住んでいた玲次も似たようなものだった。一週間は併設された研究施設で宿泊してやり過ごす予定だったのだが。

 山田先生の通達によると、如何やら変更にでもなったらしい。

 

「そうなんですけど、事情が事情なので一時的な処置として部屋割りを無理矢理変更したらしいです。……織斑君と篠ノ之君、そのあたりの事って政府から聞いてます?」

 

 最後の所で小声になったのだが、二人は首を横に振った。無論、政府と言うのは日本政府の事。今まで前例のない男のIS操縦者なので国としても保護と監視を付けたいらしい。

 IS学園にはバリアやCIWSなど防衛システムが仕込まれている、と言う噂は本当なのかもしれないと玲次は思い、その事に対して浪漫と畏怖を感じた。

 

 因みに、玲次も一夏もISに適合した事を報道された直後、マスコミだの野次馬だの各国大使だの果ては怪しげな遺伝子工学の研究員までもが押しかけてきて中々ストレスの溜まる日々を過ごしていた。

 特に研究施設に何度か行っていた玲次は道中マスコミの襲撃を受けており、お陰でストレスで体重が少し減った。

 

「そう言う訳で政府特命もあって兎に角寮に入れるのを最優先したみたいです。正式な部屋割りは1か月後、との事です」

 

 山田先生がごそごそとポケットの中から部屋番号が刻まれたプレートが付いた二つの鍵を取り出してからそれぞれ一つずつ二人に渡した。

 

「いや、でも俺は荷物は一旦家に帰らないと準備出来ないですし、今日はもう帰って良いですか?」

 

 一夏の場合準備は一切していなかった。当然だ、今いきなり言われても出来る訳が無い。どこぞの猫型ロボットじゃあるまいし。

 

「あ、いえ、準備なら――」

 

 山田先生が何か言おうとしたその時だった。

 

「それなら私が手配して置いた、有り難く思え」

 

 背後から声がした。その声の主は容易に想像できる。まるで錆びついたブリキ人形の如くぎこちない動きで首を後方が見えるように回すと、そこには鬼……もとい千冬の姿があった。

 

「とは言っても、生活必需品だけだがな。着替えと携帯電話の充電器があれば充分だろう」

 

 中々簡素かつ大雑把な内容に一夏は苦笑した。文庫本一冊ぐらい持ってきて欲しかったと思うのは望み過ぎか。まぁ、じっくり読む余裕は現状無いに等しいので別に良いのだが。余裕が出来てから学園外に外出するときに取りに行けばいい。

 

「じゃあ時間を見て部屋に行ってくださいね。夕食は六時から七時の間、寮の一年生用食堂で食事を取ってください。因みに各部屋にはシャワーやシャンプーなどが用意されていますが、大浴場もあります。こちらは学年ごとに使える時間帯が異なりますけど――男子は使えません」

 

「えっ男子使えないんですか」

 

 一夏が思わず声を上げる。男尊女卑と言う奴か。風呂に浸かってないと落ち着かない性格だったので落胆もした。

 一方で玲次は些か割を食ったりするであろう事は想像していて些か諦めていたのでダメージは少なく動揺もしなかったのだが、二人が思っていたより事情はちょっと違うらしい。

 

「当たり前だろう。まさか同年代の女子と一緒に入りたいとは言うまいな?」

 

 千冬の返答で腑に落ちた。IS学園は実質女子校のようなもので男湯など元からない。仮に男子が使える時間帯があっても下手すれば鉢合わせと言う可能性も有り得る。そんな事になったらシャレにならない。

 返答によっては()()()()()も辞さないと言わんばかりに千冬に睨まれた一夏はたじろいだ。

 

「いや、入りたくないです」

 

 そして反射的に否定してしまった。別に興味が無い訳では無い。だが常識的に考えて駄目だろう。玲次も社会的に死んでまで混浴をしたいとは思わない。

 

「えぇっ、女の子には興味ないんですか!? それはそれで問題のような……」

 

 山田先生はやや赤面しつつおどおどしながら変な解釈をしていて玲次の背に嫌な汗が流れた。BがLなモノでも想像したのかこの教師は。

 

「どういう解釈をしたらそんな結論に至るんですか!?」

 

 一夏の突っ込みが冴え渡る。

 一方で廊下から覗いていた生徒の間では何やら一夏が責めなのか受けなのかとか言う結構噂されている側からすれば悍ましい話が繰り広げられており、それを聞いていた一夏は顔を青ざめさせた。

 

 

「えっと、それじゃあ私たちは会議があるのでこれで。お二人ともちゃんと寮に帰るんですよ。道草喰っちゃだめですよ? それではっ」

 

 山田先生は千冬共々忙しそうにそそくさと教室を出て行く。玲次と一夏と言うイレギュラーが発生した現状、対応に追われているのだろう。

 益々迷惑は掛けられなさそうだ。

 

 

 

「ほいっ」

 

 教師二人の姿が見えなくなった所で玲次が参考書を一夏に投げ渡し、危なげながらも一夏はそれを受け止めた。

 

「うおっと……えっ、お前……」

 

「この後、ちょっとIS動かすからその間だけ。あとで返せよ?」

 

「あぁ、有り難く使わせて貰う。ありがとな」

 

 参考書を受け取った一夏は教室を出て行く玲次を見送ってから、参考書をパラパラと捲った。要点にはマーカーでチェックが入っていたりメモが書かれたりと、目を通した跡が伺える。

 

「よっし」

 

 誰かに助けられてばかりだ。姉にも、玲次にも、色んな人に。頼ってばかりなのは性分じゃない。

 気合いを入れ直してから勉強に着手した。

 

//

 

「えっと――ここか。1025室」

 

 一時間半ほど参考書に目を通し、陽が完全に沈み切った時間帯で切り上げた所で寮に向かった。こうやって集中したのは中学時代の高校受験前の時期を思い出す。

 知識ゼロの人間にも分かりやすいように出来た参考書だったのですんなりと集中する事が出来たので気が付けば、と言う奴だ。

 鍵穴にキーを差し込み、回してからドアノブに手を掛けて開こうとすると何故か開かなかった。

 

「……ん?」

 

 妙だと思ってもう一度刺さったままの鍵を回す。そしてもう一度開こうとすると、今度は何故かあっさりと開いた。

 

――何だよ、最初っから開いていたのか。

 

 てっきり壊れていたものだと思っていたので拍子抜けな思いをしつつ部屋の中に入る。既に電気も点いており少し違和感めいたナニカを感じなくも無かったが、如何せん今の一夏は少し精神的に疲れておりそんな事を気にしている余裕は無かった。

 

 それを迂闊だったと悔いる事になるのは直ぐなのだが。

 

「おっ広いな」

 

 部屋を見て思わず感嘆の声を上げる。真っ先に視界に入ったベッドはそこいらのビジネスホテルよりよさげな雰囲気を醸し出している。二人分らしいが玲次は別の部屋だ。つまり二人分の部屋を一人で独占した事になる。

 その答えに行き着くと贅沢な部屋割りだなぁ、と思わずには居られなかった。

 

 

 迂闊だった。

 

 

 そう後悔するのは直ぐ後だ。特に、シャワーの音が微かにしていたのと、他の生徒の荷物が置いてあった事に気付かなかったのは。

 

「誰かいるのか?」

 

 声がした、シャワー室のドア越しだからか声に曇りを感じる。

 

「同室になった者か? これから一年宜しく頼むぞ」

 

 ドアが開かれたからか声がクリアに聴こえて僅か乍ら声が近づいてくるのを感じる。嫌な予感はこの時点で疲れていた一夏でも感じていたが如何せん足が動かなかった。いや、今更仮に足が動いたとして逃げに徹した所で不審者扱いされて問題となるのでどう足掻いても()()だったに違いない。

 

「こんな格好ですまないな。私は篠ノ之――」

 

「「箒」」

 

 一夏と声の主である箒の声が見事にハモった。それから数秒間まるで時間が停止したかのように両者の動きが停止して無言の間が出来上がってしまった。

 

 シャワー室から出て来たのは箒だった。今しがたまでシャワーを使っていた所為か、水に濡れた乾き切っていない黒髪に水がパタリと床に落ちる。言わずもがな何時ものポニーテールでは無い。

 スタイルの良い身体は一枚のバスタオルに巻かれており、片手にはもう一枚小さいタオルを持って拭き切れなかった水滴を拭こうとしていたらしいのだが、一夏が居た事に動揺して動きが見事に止まっている。

 

 巻かれた白いバスタオルの面積は結構ぎりぎりで目のやり場にとても困るレベルのものだったが、まぁ本人も野郎が、それも一夏が部屋に居たとは思いもしなかったに違いない。

 そんな一夏も思考停止していた為に箒の裸体に近い状態を凝視してしまっており、ハッと我に返った箒の顔がみるみる内に茹でダコの如く真っ赤にそまり――

 

「貴様が何故ここに居るんだァァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 裏返り気味の箒の悲鳴混じりの絶叫が木霊し、それで我に返った一夏が目を逸らす。が、ちらっと横目からの視界には箒の姿がぎりぎり映っており、その箒は身体に巻いたタオルできつく自分の身体を締めていた。

 隠しているつもりだろうが、それが逆効果だったりする。余計に胸の谷間が強調され――あぁ、意外と胸大きいんだなとか余計な感想が脳裏を過った。

 

 その余計な感想と思考が仇となったか、既に箒は次の行動に出ていた。動きは実に速かった。部屋に立てかけていた木刀を手に取り一夏に飛び掛かる。

 

「いっ!?」

 

 ここまで来たら自身の身の危険くらい誰でも察知は出来る。振り下ろされた木刀は一夏の脳天に振り下ろされようとした。だが、辛うじて反応し切れた一夏は白刃取りで直撃は免れた。

 

「あぶねぇッ!? お、俺を殺す気かッ!?」

 

「何故お前がここに居るというのだ!?」

 

「そりゃ俺の部屋だからに決まってんだろ!」

 

「言うに事欠いてそんな見え透いた嘘を吐くのかお前は!」

 

「嘘じゃねぇって、嘘じゃ!」

 

 箒の竹刀に込められた力が増し、一夏はどんどん膝が曲がって行く。このままではじり貧だ。だったらどうする? 当然――逃げるに限る。

 

 一夏は身体を逸らしてから白刃取りしていた手を離し、標的が居なくなった竹刀は虚しく空を切る。その隙に一夏は一目散に部屋の外まで逃げ出した。

 教科書や玲次から借りていた参考書を置き去りにしてしまっているが今はそれどころでは無い。生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

 

 部屋を飛び出してから扉を乱暴に閉めた。

 

「ふぅ……助かった」

 

 閉められた扉にもたれ込んで溜息を吐く。どうしてこんな受難ばかりなんだ。自業自得な所も多少なりとてあるとはいえ、今回のは不可抗力と言うか事故じゃないか。

 が、部屋からズドン、ととても穏やかでは無い破壊音が耳元で鳴り響き、直ぐ真横を見ると木刀の先端がドアから突き出ていた。

 

「って助かってねェ!?」

 

 だがそんな一夏に追い打ちを掛けるように騒ぎを聞きつけた生徒たちが其々の部屋からわらわらとこちらに寄って来た。しかも――

 

「なになにー?」

「あ、織斑くんだ。篠ノ之君は一緒じゃないの?」

「もしかして1025室が織斑くんの部屋なんだ。いい情報ゲット!」

 

 困った事に一部ラフなルームウェアで女子校ゆえに男子の眼を気にしない服装だった。一番印象に残ったのは長めのパーカーを着て下にはズボンもスカートも穿いて居ないという有様だった。他にも羽織ったブラウスの合間から肌色の胸元まで見える子も。

 はっきり言って目の保よ……目に毒だった。

 そんなのがわらわらと一夏を取り囲もうとしていて一夏は益々焦った。

 

 玲次の部屋に逃げ込むか? いや、今玲次は居ないので駄目だ。いつ戻って来るかすらも分からないと言うのに。頼れるのは箒ぐらいだ。だが今の箒はキレている。下手すれば殺されかねない。

 

 ストレスで死ぬか、物理的に死ぬか。

 

「あのー、箒さん? ちょっとヤバい事になってるんで部屋に入れて下さい。今すぐに。これまでの情報も嘘偽りなくちゃんと説明しますんで。すみませんでした、お願いしますこの通り」

 

 扉の前で謝り倒す。兎に角謝り倒し、頭の上で合掌する。

 一夏の願いが届いたのか言葉こそかえって来なかったが扉から突き出た木刀が引っ込んだ。それから暫くの間が空き、一夏のもとへとわらわらと寄って来た女子たちは状況が掴めず疑問符を浮かべていた。

 それが2、3分ぐらいの時間だっただろうが、一夏にはそれが1時間ほどに感じられた。

 

 そして――

 

「――入れ」

 

 ガチャリ、と音を立てて扉が開いた。一夏はなだれ込むようにして部屋に飛び込み、女子生徒は益々不可解げな顔をして若干破損した1025室のドアを茫然と見ていた……

 




 女子校に男だけが放り込まれる恐怖。
 ○モだろうと無かろうと戦慄も困惑もする。

 なお、一夏の受難は続く模様。一夏の明日はどっちだ。

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