オリ大名をブッこんでみた。   作:tacck

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第五十四話 野田福島の戦い/意志を持つまで

「にゃー、にゃー、にゃー……」

 

 戦国が始まるよりも昔、今ではもう遠い室町時代末期。

 京の隣に位置する山科の地で、れんにょは生を享けた。父は本猫寺の当主であるが、彼女はけしてそのような貴種として扱われることはなかった。

 頭と尻に生えた猫耳と尻尾。それは賎民と蔑まれていた猫憑きの血をこれ以上、明らかに示すものだったからだ。

 れんにょに味方はいなかった。自らの生母は幼い時分に彼女の前から去っていたのだ。

 しかし、生母は去りゆく時にれんにょに一つの言葉を残していった。

 

「辛い時こそ、笑いなさい」

 

 れんにょは長じてからもこの母の言葉を胸に生き続けた。

 

 そうして三十余年が過ぎて、れんにょは当主になり大谷本猫寺に初めての公界を開いた。

 時代は応仁の乱こそ始まっていないが、関東では享徳の乱が始まり、社会は次第に悪い方に転がっていた。

 この頃のれんにょはこの世の不条理に憤っていた。貴種は民に目を向けず、悪くなっていく社会が弱き者を打ちのめす。

 

(猫憑きであっても、血は真っ赤……人間と変わらないにゃ……なぜ、これが不浄なのか、なぜ叡山の坊主の血は貴いのか……。猫憑きだろうと坊主だろうと、みな最後は土の中にゃ。だったら、命の価値なんてみんな同じはずだにゃ!)

 

 しかし、このような思想を持つれんにょは中央の仏教界からは忌み嫌われた。苛烈な迫害を受け、れんにょは越前の吉崎へと逃げた。

 果たして、この吉崎が、れんにょと門徒たちにとっての運命の地となった。

 

 ********************

 

「三好一党を制圧するのよ!」

 

 昭武らの本猫寺入寺から数日後のことだ。

 織田信奈は織田軍の主力四万を率いて摂津へと侵攻を開始していた。

 今回の目的は美濃と姉川で武田と浅井朝倉に対峙している間に、讃岐阿波から舞い戻った三好長逸と三好政康の征伐であった。

 三好一党は淀川の中洲の野田・福島両砦に籠っており、信奈はそれを包囲するために本猫寺の近くの天満の森に布陣した。

 金ヶ崎のような事態にならないように、良晴が前もって使者を本猫寺に送っているため、後背を突かれる心配は薄い。

 

「あとは、野田・福島の砦を落とすだけね」

 

「はい。三好さえ倒せば、浅井朝倉との膠着も打破できるです」

 

「明智どのの申す通りです。ですが、趨勢は定まってはおりませぬ。捕らぬ狸の皮算用、いささか先走りがちかと。五十点」

 

「しかし、本猫寺が軍を出さなくて良かった。そうでなければ、泥沼の宗教戦争なんてことになったら、天下統一にどれだけ時間がかかるかわからない」

 

 良晴は安堵していた。良晴は史実の織田軍が天下を統一仕切れなかった一番の障害が本願寺だと考えていたのだ。

 

(石山戦争は十年続いた。その間、織田軍は頻発する一揆に足止めを余儀なくされ、各地の平定作業に本腰を入れられなかった。だから、本能寺の変の次にこのイベントは避けなければならなかったんだ)

 

 しかしながら、悲しいかな。

 良晴の安寧はすぐに打ち破られることになる。

 霧の彼方、本猫寺の方向から銅鑼の音と喊声が聞こえてきたのだ。

 

 **********

 

 不戦協定は不可能。

 孫市にそう断じられていながらも、昭武と桜夜は何日も本猫寺に留まり、ロビー運動を繰り広げていた。

 

「門徒であろうが、そうでなかろうが民が徒らに血を流すべきじゃない」

 

 昭武は常々門徒たちにそう説いて回った。武家であるためか、門徒が受け入れるのに時間がかかっているが、それでも星崎家の印象は良くなりつつある。

「根気よくやり続ければ、あるいは……」とやや希望が見えてきた頃のことである。

 

「星崎昭武、琴平桜夜。お前たちには一旦捕虜になってもらうぬこ」

 

 きょうにょが、昭武らの借り部屋に二百の門徒を率いて押しかけたのは。

 

「桜夜。下がっていろ……」

 

 桜夜をかばって一歩踏み出すが、入寺の際に預けたため今の昭武らは丸腰だ。盛清が陰に控えているが、流石に二百を一人で相手に出来る訳もない。

 

「万事休す、というやつぬこ。今日この時をもって本猫寺は織田政権と袂を分かつぬこ。本猫寺は天満の森に陣を張る織田軍をただ今攻撃する……いや、したぬこ」

 

「なっ……」

 

 昭武は驚くばかりだった。

 入寺する前に盛清から三好一党の討伐のために織田軍が摂津に進軍していることと既に良晴が天満の森に布陣するために本猫寺から内諾を得ていることを仕入れていたが、まさか裏切るとは。

 

「策略か? それこそ金ヶ崎のような」

 

「そうぬこ。とはいえ、姉上と私は関知するところではなく、門徒の中で仕組まれたことだぬこ」

 

 本猫寺は完全に一枚岩ではないことはわかっていた。そういうこともあっただろう。

 ともかく、昭武たちは捕らえられ、獄に繋がれる。

 

(これは、不味いことになりました。誰かに、特に信奈様に伝えなくてはなりません)

 

 最後まで陰に潜んだがゆえに誰にも気づかれなかった盛清は直ちに天満の森に布陣している信奈にこれを伝えるべく、本猫寺を脱出。

 天満の森は雑賀衆と強硬派の門徒らに攻め込まれていたが、盛清はこれをうまく乗り切り、信奈の前で跪いた。

 

「本猫寺内に不戦交渉中の我が主と桜夜さまが囚われました!」

 

「なんですって!」

 

 盛清がもたらしたこの報せは信奈にとっては凶報だった。

 北陸大戦で敗戦を喫したとはいえ、星崎昭武は依然として織田家の東方戦略にとって欠かせない役目を担っている。仮に彼を失ったのなら、織田家は北陸一帯の主導権を瞬く間に上杉家に奪われるだろう。

 松平元康が武田に対する東の盾であるならば、星崎昭武はまぎれもない北の盾だった。

 故に信奈は迷わず決断する。

 

「迷う余地もない、昭武たちの解放は掛け合ってみる!けど、今はこの場から離れることが先決。すぐにはできないわ」

 

 織田軍は本猫寺を迂回するように京へ退却。

 野田・福島の戦いは織田軍の敗北に終わった……。

 

 **********

 

 敗走の軍勢から一騎の騎馬が隊列を離れ、京とは真逆の方向の南西に向かって駆けていく。

 この騎馬に乗る者こそが相良良晴。

 彼は久秀に堺で本猫寺との再交渉のために協力者と会うよう言い含められていた。

 

「今度こそ、本猫寺との戦を止めなきゃな……!」

 

 未だ人並みとは言えない馬術をフル活用して良晴は駆けた。

 良晴は、織田信長と本願寺の間で繰り広げられた石山合戦の顛末を知っている。

 頻発する一揆に信長が忙殺されたことはもちろん、一揆を鎮圧するために何度も民を皆殺しにしてきたことも。

 信長は魔王だ。だけど、信奈はそうじゃない。しかし、いざ一揆が起きてしまえば、土地や物資で収まる武家とは違って相手を皆殺しにするまで終われない。

 それが、頻発するんだ。そうなったら信奈はどうしたって魔王になるしかなくなる。そして、それはまた女の子としての信奈である「吉」の死をも意味している……。

 良晴はそのことがたまらなく嫌だった。

 

「どうして、目に見えない、かたちすらないもののために、頭の中で造り上げた観念のために、同じ人間同士が殺し合わなきゃならないんだよ⁈ なぜみんな、信奈のように目の前の現実を生き切ろう、と決断してくれないんだよ? 人間はやはり、どこまでも愚かなのか……?」

 

 摂津の広大な平野に良晴の悲痛な叫びが響く。

 しかし、未来人特有の視点で語られるそれは戦国に生きるほとんどの人々が容易く受け入られるものではなく、ただ広野に虚しくこだまするだけであった。

 

 ********************

 

 越前吉崎は、未曾有の繁栄を迎えていた。

 叡山の僧兵の手が及ばない北陸はれんにょらが理想の公界を築き上げるのにうってつけだった。

 れんにょが女人でも往生できると説いてからはさらに門徒が増えた。これにより本猫寺は今まで宗門に救いを求めたが、爪弾きにされてきた女性門徒の唯一の受け皿と相成ったのだ。

 そうして増えた門徒の中に一人の男がいた。

 名を下間蓮崇という。

 彼はしがない末端の門徒であったが、たまたま官僚的な能力を持ち合わせていたために、れんにょの側近になった。

 もともと差別されていたり、戦火に焼け出された人々が主体である本猫寺にとって彼は得難い人材で、れんにょの言葉を文章化して各地の末寺へと配る御文を発明したのも蓮崇だった。

 だが、蓮崇にはもう一つ、本猫寺にもたらしたものがある。

 それこそが、本猫寺一揆。俗に言うにゃんこう一揆だった。

 

「王権と神権をともに、れんにょさまが。わが師が持つべきである。それこそが戦国乱世を平定し民を安んじる早道なのだ。それに、もはや本猫寺は武家が見過ごせる大きさではなくなっている。いつか、事を起こさねば我々は武家に滅ぼされるだろう」

 

 れんにょに取り立てられた形となる蓮崇は極端なほどに本猫寺を信仰していた。それはあまりに行き過ぎて、ついにはれんにょの考えからも逸脱していった。

 折しも、応仁の乱から数十年。未だに戦乱は収まらない。

 この二つの要素が不幸にも絡み合って、ついに本猫寺一揆は起こってしまったのだ。

 本猫寺一揆は革命戦争だった。

 かつて公家から武家が政治の実権を奪ったように、今度は武家から門徒がそれを奪おうとしている。

 れんにょはそこまで大それたことは考えていない。ただ、身分を問わずみんなが心安らかに暮らせれば、それでよかった。蓮崇の思想とは真逆の思想と言っていい。しかし、ここでも門徒の出身身分が仇となった。多くの門徒がれんにょの思想を飲み込めなかったのだ。

 いつしか「一揆を戦って死ねば、猫極楽に行ける」というれんにょが語った覚えのない言葉が、門徒の中に流れていた。

 

「やっとこの吉崎に理想の公界が実現して、門徒たちの暮らしが成り立つようになったのに、一揆なんてする必要なんてないのに、どうしてまだ戦うんだにゃ? そもそも宗門は人々を救うためにあるにゃ。なのに、そのために大勢の人が死ぬなんて本末転倒だにゃ!お猫様もそれを実現するための手段の一つに過ぎないにゃ。みんなが笑顔になれれば、なんでも良かったんだにゃ!」

 

 ある日、れんにょは蓮崇に詰問した。

 それに対し蓮崇は苦渋の表情で、こう答えた。

 

「師よ。あなたはあろうことか教団のご本尊であるお猫様を否定なされ、冒瀆なされました……門徒たちは、教団はもはやそれ自体が意思を持っているのです。あなたお一人の声で止められるものではない」

 

 この時、現実は理想を追い抜いた。

 一人の童女が抱いたささやかな願いが大衆による復讐の依代に変わった瞬間でもあった。

 れんにょは、当主でありながら吉崎を追われた。もはや、本猫寺は自浄作用を失ったのである。戦いは繰り広げられた。

 夜陰に乗じ、小舟に乗ってれんにょはひっそりと吉崎から離れていく。

 

(この国を門徒とそうでない者のまっ二つに割ってしまったれんにょの生涯はいったいなんだったのにゃ……)

 

 悔いてぽろぽろと泣きながら、それでもれんにょは、

 

「猫が猫を馬鹿にして、なにが悪いんだにゃ」

 

 と、けんめいに笑っていた。

 

 この後、れんにょは山科を経て大坂へと流れ着く。

 北陸の一揆は蓮崇を破門し、追放させても終わらなかった。

 そして、ついに九頭龍川の戦いにおいて朝倉宗滴にことごとく討ち取られ、吉崎は滅んだ。

 

「……このままじゃ、山科も大坂も吉崎と同じような結末になるにゃ」

 

 ふと、れんにょが漏らした呟きがいつしか滅びの予言として門徒内に出回るようになる。日ノ本全てを本猫寺の王国と為し乱世を平定するという「天下布猫」の四文字とともに。

 




読んでくださりありがとうございます。
少しは展開を動かせましたが、説明回は抜けられませんでした。
ざっくりですが、新装版6巻の前半はこのような具合に変わっています。


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