左近が部屋を去ってなお、昭武は動けないままだった。
昭武が左近に教えられた方法。それは、琴平桜夜との婚姻による祭政一致であった。
星崎と琴平が一つになることはすなわち飛騨における武家とにゃんこう宗の二重統治体制の打破につながり、なおかつ、特にどちらかを排斥するわけではないので、よっぽどの強硬派ではない限り、異論はでない。
(理には適っているがな……)
左近のそれは見事なまでに最適解であることは、少し考えれば分かる。しかし、政略の駒に婚姻を用いる。このことに昭武は拭いきれない忌避感を覚えているのだ。
(そこまでして、にゃんこう宗を相手にするべきだろうか。なんだかんだでオレを襲った様な奴らは少数派だ。そいつらのためだけに、桜夜の未来を限ってしまっていいのだろうか……)
この昭武の葛藤は容易に明かせるものではなかった。
身近な女性といえば優花だが色恋には疎く、桜夜に明かせば大義のために自らを擲つのは目に見えているし、左近にはそれしかないと断じられる。
さりとて、親しい男性として井ノ口に話したところで彼は恐縮して答えはしないのは目に見えていた。
(やっぱ、同年代は頼りにならないな)
だから、昭武は長堯を呼び出した。
親しみやすいおじさんとして、または人生経験を積んだ誠実な大人としての解答を長堯に期待したのだ。
「ふむ、小生の意見に過ぎませんが、よろしいので?」
相談を持ちかけられた長堯はまず、初めに言い放った。
「下策、ですな。それで負い目を負う時点で為すべきことではないのは明白です」
「だが、武力行使はできない。だとしたらオレの主義に反するが、にゃんこう宗に帰依する他はない……。しかしオレは、人を神から解放したいんだ。あくまで神は迷い苦しんだ人が縋り、頼るもの……言葉は悪いが道具に過ぎない。天下泰平とは、そうした人々を生まない、もしくは救うことも含んでいる」
「なるほど、殿の願いを果たすには左近どののそれが一番近いですな。なにしろその苦しんでいる人に戦いや変化を強いることはなく、自然にゆるやかに変えていくことができるのですから」
長堯は続けて言う。
「もはや小生はその婚姻を下策などとは言いませぬ。ただ、独り身の妄想に過ぎないやもしれませぬが、祝言とは相手に自らの傍らにいて欲しいがゆえに行うものにございます。であるならば、殿が考えるべきことはただ一つ。利害関係抜きに桜夜どのが隣にいてもらいたい理由です。もし、それがはっきりしているのであれば、同時に伝えなされ。その理由が真実ならば、それはきっと桜夜殿の心に届くでしょう」
「それは……」
それこそが愛ではないのか?
そう、昭武は問おうとした。が、どうにも恥ずかしくなってやめた。
「オレは……」
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北陸大戦ののち、領内が混乱に見舞われたのは飛騨だけではなかった。
今回の大戦の勝者に属する長尾家でも春日山城に諸将が押しかけるような事態となっていたのだ。
「景虎様!どうかお考え直し下され!かの者は北陸の秩序を乱す悪鬼であったはず!なのにどうして、和睦など結ばれたのですか⁉︎」
戦場で再び倒れた景虎は回復すると、諸将を一まとめに集めた場で星崎昭武ら熊野一党との和睦を発表したのだが、揚北衆を中心に諸将が抗議したのだった。
「くどい!もう決めたことだ! わたしは星崎昭武とは争わない!かの者は猛省している。ゆえに敵対する理由はもうない」
「星崎昭武に戦意がなくとも、こちらはありまする!あの親子によって討たれた我らの輩の無念、いかで晴らすまじか!」
「私怨で戦は起こしてはならぬ」
「敵討ちであるから義戦にございます。聞けば、景虎様は本陣でお父君の仇、熊野雷源を屠ったと聞いておりまする。景虎様だけ許して我らには許さぬのはいささか御心得違いではありませぬか?」
「違う。わたしは熊野雷源を討ってなどいない。それに向こうが本陣に踏み入ったのだ。わたしはあくまで受け身だった」
景虎が弁明するも、諸将は信じてはくれない。
どうにも軍神という評判が一人歩きして、熊野雷源を討てなかったという事実自体の信憑性が失われているようだ。
「ふん、宇佐美よ。だから言っただろう? 揚北衆は納得はすまいとな」
紛糾する諸将の中ただ一人、長尾政景だけが宇佐美に対して冷笑を浮かべている。
「んなことはわかってるって言った気がするけどな」
「川中島の時は、何かの間違いで収まりがついていた。だが、今回ばかりはどうにもならぬぞ。……おっと、北条が手招きしてやがる。行かねばな」
諸将は散々ごねたが、景虎は聞く耳を持たず諸将は解散した。もともと頑固な景虎を翻意させることは至難の技である。
ゆえに、翻意させるには尋常ならざる手段を用いるほかない。
(昼間の政景の旦那の発言……。北条のやつと繋がっているな……)
夜、居城の琵琶島城で定満は思案する。
また、いつも通りの展開だった。
景虎に不満を持てば、政景を旗頭にして武力で言い分を通そうとする。普通の大名家なら処罰ものだが、景虎は異様に甘い。非常に軽い罰に処してそれで終わりだ。そのために武力を用いることを安く見られている節がある。
(そろそろ、越後も変わらなきゃな。いつまでも景虎に同じ手間をかけさせたくないし、与六の代になるまでに片付けなきゃ、夢見が悪い)
定満は密かに決意して、政景に一通の書状を認める。
(未練はあるといえばある。まだ、景虎を見ていてやりたかった。だが、今でなくちゃいけない。今やれなければ、間違いなく俺はその機会を永遠に失うだろうからな)
悲壮な決意をもって定満は書状を書き連ねる。
けして、特別なことではないように。
さりとて、自らの心情を悟られないように。
疑われはするだろうが、どうにかこちらの思うような流れに運ぶように。
工夫を凝らして書き進め、どうにかあと一行というところだった。
「定満様、何をしておられるのですか?」
折悪しくも定満の屋敷に寄寓していた直江兼続が部屋に入って来てしまったのだ。
「お、兼続か。どうした? 今の時間は普段起きている時間じゃないだろう」
定満は筆を下ろして素知らぬ顔で振り返る。
兼続の姿は普段のような装束ではなく、薄桃の浴衣を着ていた。
「いえ、厠からの帰りに宇佐美様の部屋に灯しが点いているのが気になりまして……」
「なるほどな……。悪い、事務仕事にやり残しがあったことに気づいたからな。急いでやってた」
「でしたら、私が手伝いましょうか?」
「いい、ほぼ終わってる。後、一枚分仕上げれば終わるさ」
「そうですか……。お身体には気をつけて下さいよ?義父上も亡き現状では宇佐美様が頼りなのですから」
そう言って兼続が部屋を辞する。
定満はそれを見送ると、書状が露見しなかったことに安堵した。見られていたら、聡明な兼続である。定満の企んでいることを悟り、諌めるだろう。
そうなった時、自らの意志を押し通せる自信は定満にはなかった。
定満がこれから為そうとしていることはつまり、そういうことなのだ。
(すまないな、与六。景虎を頼んだ。あいつを任せられるのはもうお前しかいねえ)
兼続への罪悪感がこみ上げてくる。しかし、それをどうにか使命感で打ち消し、定満は小姓に書状を託した。
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長尾政景の居城、坂戸城。
越後と関八州の境にあたるこの地一帯では、何度も合戦が繰り広げられた。
長尾為景が関東管領上杉顕定を討った長森原の戦い。
謀反した政景に景虎が対抗した坂戸城の戦い。
今となっては良晴だけが知り、起きるかどうか定かではないが、景虎死後の御館の乱。
しかし、此度はそれらの戦跡は全く関係はない。
城近くにある小さな湖、野尻湖。
とりたてて何かがあるわけではないこの湖の畔に定満と政景が向かい合っていた。
「宇佐美。お前がわざわざ出向くとはな。どうせ碌なことではないだろう」
「おいおい、書状に書いた通り船遊びをするだけだぜ?」
「はっ、どうだか。お前のことだ、すでにこの辺り一帯に結界を張っているだろう。はなから俺を殺すつもりだったな」
「そういう政景の旦那こそ太刀を二振りも佩いてきやがって……。やっぱ看破してやがるな?」
そう、定満が茶化すと政景は獰猛な笑みを浮かべて答えた。
「ああ。尻垂坂の戦いからお前の様子がおかしかったからな。お前はいざとなれば手段を選ばない男だ。だが、そこまで至るのに時間がかかる男だった。……しかし、親友たる熊野雷源を始末して漸くその域に至った」
政景の回答に今度は定満が苦笑いを浮かべる。
(政景の旦那の言う通りだ。確かに俺は勝定をこの手で討ってから、いよいよ本当に手段を選ばなくなった。変わったというよりは、 擦り切れたという感じが否めないがな……)
思えば、政景と定満は定満が長尾家に降伏してから今に至るまでずっと景虎の裏で権謀術数を争ってきた。その期間は十数年にも及ぶ。
ここまで長く付き合えば、自ずと互いの手の内は分かってくる。
「さて、政景の旦那。そこまで分かっているなら御託はいらないな」
定満が手袋をはめ、政景に向ける。
すると、政景は腰の一振りを抜いた……
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翌日、春日山城には訃報が届いていた。
宇佐美定満と長尾政景。
この両者が船遊びの最中に船が転覆して溺死したとのことだ。無論、事実は異なる。対峙した二人は両雄相打ち、共に力尽きた。それを事前に定満に言い含められていた軒猿が隠蔽のために野尻湖に沈めたのだ。
これは、定満が少しでも景虎に汚れ役をさせたと気遣わせないための方策だった。
いずれにせよ景虎と兼続の悲しみは尋常なものではなかったが、北条らが計画していた武力蜂起は立ち消えになる。
政景がいない以上、武力を用いたくとも乱を起こすに足る頭はないのだから。
宇佐美定満はその身をもって越後を一つにまとめたのだ。
宇佐美定満、直江大和、長尾政景。
三者三様、彼らはそれぞれの形で景虎を愛し、導き、欠くべからざる働きをしてきた。そして、その果てに毘沙門天は結実した。
だが、皮肉なことに彼らは決してその様なことを望んではいなかった。
宇佐美と政景の葬儀ののち、景虎は姫大名のまま出家し名を「謙信」と改め、亡命している上杉憲政から「上杉」の名跡を継ぎ「上杉謙信」と名乗りを変えた。
諸将は関東管領たる山内上杉の名跡を継いだことから、謙信は関東に本腰を入れるのかと推測したが、実際のところは異なる。ただ、彼女は失った物に苛まれることから逃れたい、その一心だったのだ。
この真意を読める者は上杉家中にはもういない。
かくして謙信は、一人になった。
読んで下さりありがとうございました。
大戦の結果は参加したどの勢力にも等しく影響を与えています。その中でも昭武達と今回の上杉家は顕著なものでした。
上杉家は史実にやや遅れて定満が収拾しましたが、昭武達はまだまだで、主に昭武の甘さというか拘りによって滞ってしまっています。が、それがあっての昭武なのでなんとも言えないところです。