しばらく能登が中心となります。
では、どうぞ
渡光総と広幸による能登湾北岸の町場新設は三年半の時をかけて行われた。
町割の基準は南北軸に町場と同時に新設した港から輪島へと伸びる街道を、東西軸は七尾から能登湾沿いを経て珠洲へと至る街道を基準にした。
屋敷の地割は表間口を六間、奥行きを三十間として地尻を整えた計画的な街並みが南北軸、東西軸となっている街道の両側に広がった。
新設した港はかなり大規模なもので本港には安宅船五十隻、本港が全て埋まってしまった場合の繋留地として作った比較的小規模な港にも安宅船三十隻が入る。
この新町場ほどの規模の町場は北能登では唯一で、北陸中を探しても比肩しうるのは義総が手塩にかけて育てた七尾と古来より日本海海運の要衝だった敦賀ぐらいのものであった。
しかし、順風満帆に見えている町場開発だが一つだけ重大な問題を抱えていた。
「船乗りや行商人を相手にする宿や商店はすでに十分発達したが、人口があまり増えないな……」
この新町場……名を渡辺町と言うが、利用する人々の職業的な関係で町場に集まる人々の動きは非常に流動的であり、安定した徴税を行えずにいたのだった。
「定住者を集めるにはやはり町場周辺の耕地開発を進めるのが最善だが、土地は痩せている。どうにかならないものか……」
渡辺町北隣、二年前に築城した渡辺城で渡光総は頭を抱えていた。
「光総どの。私は無理に耕地開発を行う必要はないと愚考します」
「と、言うと?」
「今現在、義総様は町場では定期市を開くように御触れを出しております。具体的に言えば三日市や廿日市がそうですね。しかしそれではやはり人の流れは安定しません。ここは常設市を開いてもらいましょう」
「常設市か、それが真に行われるならば人が渡辺町に居つくだろうな……。しかしそれを行うには問題があるぞ」
今の渡辺町は前述の通り行商人と船乗りが支えている。
この二つの人々はひどく流動的で恒常的に渡辺町に来るわけではないので、市の取引量が安定しない。
光総はこの事柄から義総に上申しても受け入られるとは思えなかった。
しかし、広幸はそれに関してはすでに織り込み済であった。
満を持して広幸は光総に提言する。
「人の流れを恒常的なものにする方策はすでにあります。にゃん向寺の開基です」
にゃん向寺の開基。
それは広幸にとって渡辺町開発の切り札であり、夢の実現における最も重要な足がかりの一つであった。
「教団の復活か……!確かにそれならば渡辺町に定住する者は現れよう。あいわかった。その献策を受け入れよう」
光総がぽんと膝を叩く。
今や光総と広幸は互いになくてはならない存在になっていた。
「それでは私は今しばらく上方の方に行ってまいります。新しく教団を立てる以上、既存の価値観を持つ者を住職に据えるわけにはいきませんので。上方ならば門徒であっても開明的な思想を持つ者もいるでしょう」
こうして光総の期待を背負って広幸は上方へと出立することになったのである。
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それから二週間後のこと。
広幸は石山本猫寺にたどり着いた。
広幸が訪れた当時の畿内は三好長慶が江口の戦いにて主君たる細川晴元を散々に打ち破り独立を宣言した直後であった。
そのため本猫寺には三好家を警戒して一万数千もの門徒が集っていたのである。
(一万以上の門徒による猫念仏の大合唱はなるほど壮観です。されど、それだけ現世に不安を持っていることの証左とも言えますね)
広幸は加賀で生まれ、十二の頃から加賀衆として働いていた。
数十年の働きの末に反乱直前には玄仁に次ぐ立場になっていたが、不思議なことに総本山たる石山本猫寺に足を踏み入れたことがなかったのだ。
「少し中に入ってみたいという気持ちはありますが、今の私は彼ら彼女から見れば叛徒。中に入ればたちまち八つ裂きにされてしまうでしょう」
広幸は本猫寺には入らず、その門前町の酒場で情報収集を行った。……と言っても正確には酔漢が漏らす愚痴を盗み聞きしていただけだが。
ただ、この方法は割と効果的で一週間ほど張り込んだところ、広幸の脳内の帳簿に急浮上した名があった。
(下間頼廉ですか……)
下間頼廉。石山本猫寺の中でも大物の部類の人間だった。
しかし、彼は法主の近くにいながらこう酒場で漏らしていたのである。
「俺は既存の仏教権威を嫌ってここに来た。されど最近のしょうにょ様は教団の利益ばかり追求している節がある。まだ、叡山のような破戒僧こそいねえが、いずれ似たような状況に陥るだろう……。それではここに来た意味がねえ」
頼廉は教団の体質の変容を嘆き、遅かれ早かれ教団が腐敗してしまう未来を案じていた。
にゃん向宗はそもそもが既存の仏教権威に反発することからスタートし、受け入れられた宗派である。
かつて八代法主れんにょは「猫は猫を殺さない。だから人より尊いのにゃ」と言った。しかし今ではその猫を尊いと信じる宗派が互いで互いを打ち破らんと合戦を続けている。
頼廉はもはやにゃん向宗に存在意義はないのではないかと、半ば失望していた。
このことを聞いた広幸はその酒場に通いつめてさらに数日後、再び頼廉と会合を擁した。
「少し隣いいですかな?」
何気ない風を装って広幸が頼廉に声をかける。
「ああ」
「いやあ、ありがとうございます。やはりこの店は夜になると人が集まりますね。……それでは、下間頼廉どの。話をば」
「なぜ、俺が下間頼廉だとわかった」
不意に名を呼ばれて頼廉は目を見開かせた。
(よもや、三好の手の者か?)
三好長慶の父、三好元長は堺にて細川高国と手を組んだにゃんこう一揆衆に攻められ、自害まで追い込まれた。
ゆえに三好家にとっては本猫寺は怨敵であり、その幹部である頼廉は江口の戦い以後は常に命を狙われる立場にいた。
「酒場の情報収集力を舐めちゃいけませんよ。どんなしけた酒場でも得られる情報は貴重なものばかりです」
(くっ油断したか……!)
わななく頼廉に広幸は笑みを返す。
「一応、私の名前も明かしておきましょうか。私の名前は竜田広幸。聞けば思い出すはずですよ」
「ああ、思い出した。加賀で反旗を翻した謀反人か。それがどうして石山に……」
広幸が三好とは全く関係ない人物とわかると、頼廉は落ち着きを取り戻す。
「隠し立てするようなことではないですよ。私はただあなた、正確にはにゃん向宗を信じつつも、教団に対して矛盾を感じている人に頼みたいことがあるからです」
「謀反に加担はしないぞ」
「謀反なんて何度も繰り返すものじゃないですよ。一度やればもうお腹一杯です」
「じゃあ、なんだ」
「この度、能登でにゃん向寺院設立の許可が降りたので、あなたに住職をやって貰おうと考えているのですよ」
「それはつまり、俺に教団から抜けろと言っているのか?」
「端的に言えばそうですね」
密談だと言うのにまるで冗句でも飛ばしているかのように軽い調子で話している広幸に頼廉は驚嘆した。
(しょうにょさまから聞いた竜田広幸像とはだいぶ違うな。もう少し陰険な人物かと思っていたが……)
この差異は頼廉に一層の興味を覚えさせ、一つの問いを生み出した。
「広幸どの、あんたはどうしてあの反乱を起こそうとしたんだ?」
問われた広幸は先ほどとはうって変わって真剣な表情を浮かべる。
「私は熊野勝定どのに教えていただいたのです。宗教は人の心を支えるものだと。そして今、この世に生きていると人々を軽んじる宗教は宗教と言うにも烏滸がましいものであると。ゆえに私は猫極楽を掲げて門徒たちを戦いへと指嗾しているうちはにゃんこう宗、いや本猫寺を認めるわけにはいかないのです」
この広幸の言葉で頼廉は本猫寺が歴史的な役割を終えていたことを悟った。
(ついに、本猫寺にも反発する勢力が出てきたか……)
そして頼廉は決断した。
「広幸どの、その件受けさせていただく」
「それはありがたいですな。それでは行きましょうか」
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こうして渡辺町に新たな仲間が一人増え、にゃんこう宗竜田派竜田御坊が建てられる。
始めは広幸の反乱が尾を引いて門徒はあまり増えなかったが、時代が進むにつれて一揆を起こすことに恐怖心を覚える門徒が続々と竜田派に宗旨替えするようになり、もう一つのメインストリームとなっていく。
それに伴い渡辺町にも竜田派を信じる門徒が定住するようになった。
義総もまたついに常設市の新設に着手を始める。
ここに、四年の時を越えて広幸が夢見た理想郷の骨子が出来上がり、後は時の流れに身を任せて発展を待つのみ。
しかし、そううまくことは運ばなかった。
さらに一年後に能登を震撼させる出来事が起こる。
畠山義総が病に倒れたのだ。
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七尾城、畠山屋敷。
そこに光総と広幸は呼び出されていた。
「済まぬな……。そなたたちは渡辺町の常設市の件で忙しかっただろうに呼び出してしまって……」
「何をおっしゃいますか!私たちはあなた様の家臣、駆けつけぬわけには行きますまい」
「ふ、そうか。その忠義、大儀である……」
寝台に臥せている義総の声は弱々しい。
すでに義総の天命が尽きかけていることはこの場にいる誰もがわかっていた。
「では、その忠臣たちに最後の下知を与えよう……」
寝台から残された力を振り絞り、義総が起き上がる。
そして広幸と光総それぞれの目を見据えて口を開いた。
「まず一つ、何があっても渡辺町を守れ。あの町は能登から失われてはいけない町……。たとえ我が畠山家が滅んでもあの町だけは守ってくれ……」
「承知しました……!」
広幸が涙をこらえながら頷いた。
「そして二つ。渡辺町が一番大事であるが、やはり畠山家のこれからも捨て置けぬ。わしは政策の関係上、不忠者を家中の重臣に据えざるを得なかった。そのため、わしが死ねばいずれ無念だが畠山家は権力闘争に見舞われる。その時できれば、わしの息子と娘の義続と義綱を守ってやってくれ……」
「委細承知……!」
光総は全身全霊で拝手した。
「そうか、ありがたい……!」
そんな二人を見て、義総は笑う。
そして頰を緩めた時、残された力が枯渇したことを悟った。
力が失われた義総の身体が、再度寝台に倒れていく。
「義総、様?」
広幸が問いかけるも返事はない。
光総が脈を測り、首を左右に振った。
畠山義総。享年五十五。
能登の繁栄を願い続けた男は未来に一抹の不安を感じながらも天へと還っていった。
読んで下さりありがとうございました。
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