このシリーズでは、雷源伝と序章の間の十年の北陸各地を描写します。
では、どうぞ
冬の寒さが一段と増した頃のこと。
能登国・羽咋郡の街道にて一人の男が愛馬にまたがり吹雪の中を北へ北へと駆けていた。
(私は負けたのだ。加賀を変えることが出来なかった……!)
男の背には矢が刺さっており、見た目にも痛々しい。
この男の名は竜田広幸。過日、加賀にゃん向一揆衆頭目の杉浦玄仁に反旗を翻した謀反人である。
(私は信仰のためとはいえ、門徒たちが自らの命を捨て石にしているところを見たくはなかった。勝定どのに教えてもらったのだ。信仰は人の心の支えに過ぎない、ゆえに人そのものをないがしろにする教えは欺瞞でしかないということを)
広幸はほんのわずかだけ勝定と行動を共にした。しかし、勝定はそのわずかな時間で広幸の人生を変えたのだ。
勝定はにゃん向宗を信仰してはいたが、教義に常に懐疑的だった。宗教にのめり込むにしては頭が良過ぎたのが災いしたのだろう。初めは教義と法主の言葉の間の矛盾を指摘する程度だったが、越中に亡命する頃になるとこの時代では特異な宗教観を育むに至った。
門徒たちが死兵となることを快く思っていなかった広幸にはそれを受け入れるだけの土壌があったようだった。
「さて玄仁どのは変われるのでしょうか、はたまたさらに教団にのめり込む狂信者になりおおせるのでしょうか。彼女は教団に人生を救われた。思い入れがあるのは分かりますが……」
広幸は玄仁の過去を知っていた。それだけに玄仁がにゃん向一揆衆の組織としての体質を変えることに抵抗を覚えることがわかっていた。
叡山などのように破戒僧が跋扈しているのならまた違ったかもしれないが、今のところ本猫寺にはそういった腐敗は見受けられない。
「だからこそ私が立ち上がった……」
その結果が今の状態である。
かき集めた手勢はことごとく討たれ、広幸が他国への亡命を余儀なくされる。越中ならば広幸に似た思想を持つ者たちが数多くいるが、そのために玄仁に警戒され、国境を封鎖されていた。
「それにしても能登廻りで越中に行くのがこれほど大変だとは思いませんでした。よりにもよって吹雪になるとは……」
吹雪の中駆けねばならない境遇は勝定に似ていた。しかし、策のために駆けた勝定と異なり広幸のそれは追っ手を撒きながらの逃避行で、日に日に広幸の疲労は色濃くなっていく。
さらに言えば路銀もあまり持ってはいない。
(おそらくこのままでは、能越国境どころか七尾の町にすらたどり着かない)
この予見通り、その後の広幸は七尾の町まで後一里の地点まで走破するが愛馬がそこで力尽き、広幸は投げ出された拍子に地面に頭を打ちつけ意識を手放した。
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「知らない天井ですな……」
広幸が目を覚ましたのは座敷牢の中であった。
(昏倒している間に捕らえられたのでしょうか)
今やにゃん向宗は北陸を中心に全国区になったが、そのお膝元である北陸ににゃん向宗がそれほど浸透していない土地があった。
それが能登である。
能登は初めこそにゃん向宗がそこそこ浸透していたのだが、能登畠山家を畠山義総が継いでからは一変した。
義総の政策で徐々に能登の教団の勢力が削ぎ落とされ、ついににゃん向教団が解散する事態に陥ったのだった。
加賀衆はそのことを知り能登に攻めよせたが、戦上手だった義総にあっけなく追い散らされた。
それ以後、能登は北陸で唯一にゃん向教団がない国として歩みを進める。教団がなければ教えを効率的に伝えることが出来ないため、にゃん向宗は大きくその門徒の数を減らした。
(おそらくここは七尾城の座敷牢。能登から見ればにゃん向教団の人間は敵となります)
「む、起きたか。取調を行うので、これより殿のもとへ連行する」
広幸が目を覚ましたことが分かると牢番が広幸を外に出し手枷をつける。広幸は目隠しをされながら城内を十数分歩かされ、義総屋敷に到着した。
「そなたが、竜田広幸か。大義である」
豪奢な装飾が施された謁見の間にて義総と広幸は対面を果たしていた。
(この男が、畠山義総か……)
恰幅の良い体に柔和な表情。一見して世話好きな中年おやじのように見えるが、そこは畠山家中興の祖。貫禄が違った。
「そなたは加賀衆に反旗を翻したと聞く。敵ながら玄仁は有能の将と言える。子飼いの家臣であったそなたが背くだけの訳があったとは思えぬ」
「確かに玄仁どのは有能でした。兵を滾らせ、死中に活を見出すことにかけては並大抵の将では及びもつきませぬ」
広幸は謀反を起こしてもなお玄仁に敬意を払っていた。
これには、義総も首を傾げた。
「はて、それではなおさら裏切った理由がわからないのだが」
「ええ。能力面、待遇面での不満は私はございません。されど、私は教団の体質をこそ憎んでいたのです」
「そうか。……とは言っても、わしが教団を相手に回したのは家督を継いで五年ぐらいしか経っていない若い頃だ。宗滴どのに言われて越中攻めをしたこともあるが、それでもやはりわしは教団についての理解が不足している。広幸どの、わしに今の教団の状況を教えてはくれぬか?」
「承りました。では、簡略に説明致しましょう」
雷源去りし後の加賀衆は雷源がいた時分以上に合戦に明け暮れていた。
熊野一党がいなくなったことを好機と見た朝倉宗滴がたびたび侵攻を繰り返したのだ。特に宗滴が大聖寺城を抜き、尾山御坊が攻囲されたのは衝撃的だった。
そしてさらに悪いことに尾山御坊攻囲に連鎖するような形で越中衆が越中の没落した名門で雷源の侍女だった高知四万を主と仰いで加賀衆からの独立を宣言した。
こうした事情により加賀衆は南部と北部の国土防衛を同時に行わざるを得なかったのである。二正面作戦は当たり前、あっちを叩けばこっちが出っ張る。度重なる合戦は加賀の門徒たちを大いに疲弊させ、厭戦気分が蔓延した。
しかし、にゃん向教団はそんな国内事情を物ともせずに門徒たちを信仰心の名の下に煽り続けて戦を継続した。
つまりにゃん向教団は信徒の命よりも宗教的多幸感を得ることを重視していたのだ。そうと決まれば教団に忠実な玄仁は従う以外の選択肢を見出せない。
そして広幸の蜂起へと事態が繋がっていく……という次第であった。
「簡略に、と触れ込んだ割にはとても長くなってしまいました。申し訳ありません」
「よい、これでそなたが乱を起こした理由がよくわかった。……それで、そなたはこれからどうしたい?」
「願わくば越中に渡り高知どのに味方して民を重んじる教団を広めたいと思っております。それが叶わぬとあらば、勝定どのに倣って一介の信者に戻り、戦に縁遠き地にて開拓村を経営しようかと思っております」
「なるほどな……」
広幸の言を聞いて義総は閃いていた。
「前者はともかく後者はわしが叶えてやれるな。今、わしはこの七尾の対岸の地に新しく町場を伴った港湾を作るという計画を進めている。代官にする者はすでに決めているが、村長として現地を取り仕切るのに適任の者がいない。さきの話を聞いてそなたは神に傾斜せず、民のことを思いやることができる義士とわかった。……そなたが村長になってみないか?」
「私が、ですか?外様ですらない、敵将である私が?」
「ああ、そうだ。そなたが村長の任を受け入れてくれるなら、僧兵の保持は認めぬが能登国内でのにゃん向教団の再建を許そう。受け入れぬならそうだな……、この場でそなたを敵将とみなして斬首刑にでも処そうか」
義総が悪い顔を浮かべる。
事実上、広幸に選択の余地はなかった。
こうして広幸は義総に仕えることになったのである。
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後日。
能登半島の南岸の見晴らしがよい丘にて広幸と代官になる予定の渡光総は開拓予定地を眺めていた。
予定地は礫と砂が混在する痩せた土地で、周囲の人の痕跡は寂れた寒村だけだった。
「この地には全くもって何もないのだ。義総様は英邁だが、今回ばかりはうつけにしか思えぬ」
光総は薄いながらも能登畠山家の血が流れ、畠山家の一門衆の一人に数えられている武将で本来ならば代官のような仕事は回ってこない。ゆえに光総は自分は左遷されたのではないかと思っていた。
「何もないからこそ、邪魔をされずに思い思いの町を作れるのです」
そんな光総に広幸は笑いかける。
「いや、広幸どの。やけに楽観的だな……」
「北陸の信徒たちは忘れていますが、本来にゃん向宗の信徒は陽気な方が多いのです。私など上方の信徒に言わせればまだまだ陰気と言われてしまうでしょうな」
義総に仕えたのちの広幸は有り体に言えば吹っ切れていた。
無論、にゃん向教団の変革をまだ諦めていない。されど、以前ほど深刻に考えることはなくなった。
(私はここに作ってみせる。にゃん向宗の信徒が誠に幸せに過ごせる理想郷を、乱世に病み疲れ絶望した時に最後の希望足り得る場所を。そうすればきっと……)
再起の機会を与えられれた広幸の瞳は今まさに輝いていた。
読んで下さりありがとうございました。
これからの更新は四章とこの北陸十年史編を並行して行うつもりです。
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