オリ大名をブッこんでみた。   作:tacck

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北陸大戦④と同時投稿です。
時系列は雷源が平湯村に来てから一年後から第一話までの九年間で、雷源の視点で進みます。



雷源伝 第六話 雷源の平湯村開拓日記

 天文廿年三月廿一日

 

 平湯村の開拓に着手して一年が過ぎた。

 思えば、この一年はとても長かった気がする。

 初めは木材が足りず、住居が立てられなかったから、幕営を代替品として開墾を続けたものだ。

 冬の豪雪で幕営がことごとく押しつぶされ、村民全てを俺の屋敷に集めて過ごしたことも記憶に新しい。

 ともあれ、開墾は完了して自分たちの食う物は確保できるようになった。

 食う物が確保できれば、心に余裕が生まれてくる。古来より人を安息を覚えさせる事は生存に必要な物が保証されることだと一義が言っていた。事実、あいつが防衛戦を行うときはそれに一番気を使っている。

 また、一義はこうも言っていた。

 心に余裕があれば、人は思索が深くなる。有益な考えが湧いて出るとも。

 だから、俺はこれを機に備忘録の一つでもつけようと思い立った。ただ、それだけでは少々味気ない気がして、ついでに村の発展とガキどもの成長の記録も記すことにする。

 ……初日の手記はこれぐらいで、いいだろう。

 あいにく俺は筆まめではない。たまに手記をつけ忘れることもあろう。

 この手記を俺以外の誰かが見るとは思えねえが、いたならそれで勘弁してくれ。

 

 天文廿年四月十六日

 

 村の残雪が完全に溶けきっていた。

 これで長かった冬も完全に終わったのだと実感できる。

 越後では、もう少し早かったか。

 この平湯村はかなりの高地にある。それゆえに寒く越後よりも雪が残るのだ。

 溶けゆく雪は諸行無常を感じさせる。冬の間はあれだけ猛威を振るった雪が春には容赦もなく溶けていく。それは無双の豪傑でも死は免れ得ないところにも重なる。……と、俺はらしくもねえ高尚な物言いをしているが、ガキどもは雪遊びができないことを惜しんでいた。まぁそれもそれで諸行無常であろう。

 

 天文廿年五月一日

 

 今日はガキどもと一日中戯れた。

 今までも一緒に遊んだことはあったが、一日まるごとは流石にない。少しは村も軌道に乗り始めたということの証左とも言えるか。

 ガキどもとは、狩りを楽しんだ。

 平湯村の裏の山は広大で、この一年の間に何度か狩りをしたが未だその全容は掴めない。

 ただ、峰のうちの一つに槍ヶ岳と言われる高峰があり、それに関しては修験道の山坊主達が調べ尽くしたらしい。

 

「お父さん見て!こんなに鹿が獲れたよ!」

 

 そんな具合に物思いに耽っていると、優花が昭武に鹿を持たせて、話しかけてくる。

 

「おお、これはすごいなっ!」

 

 無邪気に喜ぶ優花に俺は素直に感嘆する。

 優花に調子を合わせたわけではない、本当に驚かされた。

 優花が仕留めた鹿は二匹だ。

 だが、普通に仕留めたわけではない。二匹とも首筋を一撃で射抜いて即死させている。

 たまに、矢を鹿に当てることこそできるが、当たる箇所が足や尻など致命傷にならないものばかりで、ついぞ射殺せずに失血死させてしまう奴がいる。特にガキが狩りをするとそうなりやすい。

 こういう場合は側から見てる側にしてみればあまりいい気持ちではないし、肝心の鹿そのものの身が緩んでしまいあまり美味しくない。

 考え過ぎと言われりゃそこまでだが、優花はそこまで気づいているのか。

 確認のためにとりあえず聞いてみた。

 

「なぁ優花、お前は意図的に首筋を狙ったのか?」

 

 すると、優花は「うん」と頷き、何食わぬ顔でこう言った。

 

「だって、そうしてあげないとかわいそうでしょ?」

 

 この時、俺は間抜けな面をしているかもしれん。

 すでにこいつは身体で俺が懸念していたことを感じていたのだろう。だが、そこまでならただの聡い奴だ。優花の場合はその先を実践できる。まだ年が二桁にもなっていないが、出来てしまう。ガキの頃の俺は気づくのに一年かかったし、実践するにしたら三年かかった。

 間違いなく、優花は弓に関しては天稟というべきものがある。それも、十年もすれば俺を抜き去るほどのを。

 この技量が武家として振るわれることなく、狩人の技として振るわれんことを。

 何に祈ってるかはわからねえが、とにかく祈りたかった。

 ついでに、昭武の狩りについても聞いてみた。

 優花曰く、下手っぴで最終的には弓を使うのが億劫になって投げ槍で仕留めていたらしい。

 そのことで、昭武を弄ってみる。

 そしたら昭武はそっぽを向いて「食えればいいだろ、食えれば」と嘯いた。

 どうやら奴にはまだ優花の立つ階は遠いらしい。

 

 天文廿年七月十日

 

 暑い日だった。

 平湯に来てすぐは高地だから夏でもあまり暑くはならないだろうとたかをくくっていたが、盆地を舐めていた。まさか、今までで一番暑いところがここだとは。

 さて、暑さはもういい(暑いと書くだけで暑くなってきた気がする)、肝心なことを記そう。

 今日は白雲斎が珍しく村に訪ねてきたのだ。

 あいつは親父や俺に長年従ってきているが、家臣ではない。対等な同盟者という立場だ。だからだろうか、平湯村を作ってもあいつは定住せず、東国を中心に雇われ忍び兼情報屋をしている。情報の受け渡しは専ら文か忍びを介してのものだった。

 そんなあいつが、わざわざ村に足を運ぶ。

 なにやら、村にとって危うい情報でも手に入れたんだろうか。嫌な予感がする。

 

「来たか、白雲斎。だが、お前が来るとは何事だ?長尾政景とか杉浦玄仁が村の場所に気づいたとかじゃないだろうな?」

 

「それは違うな勝定よ。もう少し生温い話だ」

 

 戦々恐々とする俺を見て白雲斎が口の端を吊り上げる。

 

「儂が平湯一帯を離れる機会が増えることが多くなるだろうからな。挨拶をしに来ただけよ」

 

「あ?どうしてだ?」

 

「見ればわかる」

 

 そう言って白雲斎は指を鳴らす。

 すると天井裏から忍び装束を着た一人の少女が現れた。見るからに幼い。年は昭武たちより一つか二つ下だろう。

 

「戸隠で倒れていたのを見つけた。恐らく力を得ようとして石に挑んだのだろう。能力者にありがちな何らかな欠陥はないが気を感じたゆえ、間違ってはいまい」

 

「ああ、なるほどな。こいつを忍びとして育てるつもりなんだな」

 

「左様。こやつ……出浦盛清を忍びにする。……石の力を使わない、優秀な忍びにな」

 

 その言葉に俺は納得した。

 白雲斎は戸隠の石の力をあまり好いてはいない。曰く「人の身には過ぎたる力」だそうだ。

 俺も白雲斎の考えには共感できる。

 伝聞でしかないが、戸隠では一か八か幼子を石に放り出してついぞ力を得られずに死ぬ事例が後を絶たないという。特に真田の事例が最悪だった。

 それは信州真田の庄を治める真田幸隆が自らの双子の子息に石の力を浴びさせたがために、家臣が阿諛追従して自らの子も石に放り込んだことから始まる。

 だが、戸隠の石の力は浴びたからといって全ての者がが異能力を得られるわけではない。むしろほとんどが力を得られずに命を落とす。この真田家の例もご多分に漏れず、多くの子供が犠牲になった。

 大人の事情に子供が犠牲になったという点では、近年では最たるものであるし、古今東西の事例の中でも酷く惨たらしいものだった。

 

「お前にその子の人生を背負う覚悟があるなら俺は何も口出しはしない。良きに計らうといい」

 

「何を今更」

 

 俺が言うと白雲斎は笑った。これ以上の心配は無粋だろう。

 その後は比較的重要度が高い情報のやりとりをして、白雲斎は帰っていった。

 あの白雲斎が弟子をとる。直に話を聞いた今でも少し信じがたいことだ。

 あいつはいつも一人だった。頑なに一人であろうとしていた。そんなあいつが、あまつさえ自ら繋がりを求めるようなことをするとは。

 この平和があいつの心境を変えたのか否かはわからない。だが、その変化は決して悪いものではないように思えた。

 




日記形式はおそらく飛騨編だけです。
元号は原作では描写はないですが、西暦を使うわけにはいかないので仕方なく使いました。

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