エピローグ的な回ですが、文量は多めです。
では、どうぞ
三木と畠山両家による越中侵攻から始まった戦いは一揆衆の勝利に終わる。されどそれは熊野一党の功績によるところ大であった。
無論、玄仁も畠山勢を撃退、大聖寺に急行して後詰するなどすくなからぬ功を挙げている。が、朝倉宗滴の猛攻を防ぎきったという熊野一党の眩い大功の前には霞んでしまう。
今や熊野一党の名声は留まることを知らず、この当時の北陸の名将のことごとくに勝ち抜いてきたため、熊野一党に好意的な者は勝定を「北陸無双」と呼ぶようになった。
「北陸無双か……、累計で言えば黒星の方が多いんだがなぁ……。俺が思うにその称号は宗滴の爺さんが持っていて然るべきだろうに」
勝定は北陸無双と呼ばれることを好んではいない。いや厳密にはそう呼んで勝定を唆そうとする輩を好んではいない。
大聖寺城の戦いから数週間の間に一揆衆の中では玄仁に変わって勝定を頭目につけようという動きが広まりを見せている。特に人材がいないために加賀にゃん向一揆衆の下風に立たされていた越中にゃん向一揆衆においてよく広まった。
(いつだって好き好んで名声を高めようと思ったことはねえ。降りかかる火の粉を払ってきただけだ)
この動きを好ましく思わないのは玄仁も同じことだった。
(昨今、私を蔑ろにする連中が増えてきている……。私の意志がすなわちしょうにょ様の意志とは言えないけど、私を信任してくれたのはしょうにょ様、それを覆そうとするのはしょうにょ様の、ひいては本猫寺の否定に他ならない)
当人達の心境はどうであれ一揆衆の中では両雄並び立たず、玄仁と勝定の衝突は不可避だというのが共通認識となりつつある。
そのような不穏な空気の中、勝定は熊野一党の名だたる将と共に、尾山御坊の玄仁の元を訪ねていた。
「今更、私に何か用でもあるのかしら?」
熊野一党に対する玄仁の態度は警戒心ゆえにとげとげしい。玄仁はもはや熊野一党を仲間としては見れなくなっていた。
「あくまで俺は殿の臣下なのだがな……。別に頭目の座を譲れとかそういったことを目的でここに来ているのではないです。ただ、殿に一つお伺いしたき儀がございましてな」
そんな玄仁に勝定はやや困り顔で言う。しかしこの場には勝定以外にも一義や長堯、さらに日頃はまずこのような場に出てこない白雲斎までいる。玄仁の前にこれだけの面子を並べてしまっては、端から見ればまるっきり恫喝にしか見えない。
玄仁も頭目の交替ではないにしろ、相当な無茶を要求されると考えていた。
「いや何、そう身構えないでいただきたい。俺に、いや俺たち熊野一党に暇を頂けないかとお伺いに来ただけですから」
「なっ⁉︎ なによそれ!」
勝定の言ったことはすなわち熊野一党が一揆衆から抜けるということであった。
(そんなことをされたら一揆衆全体の軍事力が大幅に減退してしまう……。さらに逃した先が越中の一揆衆だったら……)
玄仁の中で最悪の光景がよぎる。確かに彼女にとって熊野一党は目の上のたんこぶだった。されど一揆衆にとってはなくてはならない存在だったのだ。
「そんな重大なことはすぐには決められないわね。二、三日考える時間をちょうだい」
そう言って玄仁は謁見の間から出て行ってしまう。
「やはりこうなったか……」
「殿、どうしましょうか?」
「玄仁の要望通り、三日間は大人しくする。とはいってもこの様子だと出奔は許してはくれないだろう。だから白雲斎、この三日間で出奔先に渡りをつけて欲しい」
「了解だ、勝定。確か飛騨の内ヶ島雅氏でよかったな」
「ああ、頼む」
勝定と雅氏は勝定が調略して雅氏を一揆衆につけた時より強いつながりを持つようになった。
これは政治的な理由もあるにはあったが、それ以上に彼らが目標としている物が近いというのが大きな理由だった。
「そういえば殿、何故に一揆衆をやめようと思い至ったのですか?告げられた時は理由をおっしゃっていませんでしたから気になりまして」
「なんというかな、確かに一揆衆には恩がある。だが、死んだ者は猫極楽にいけるという教義はどうにも信じる気になれないし、認めたくもない。あれは門徒達を死に急がせる。
実はな大聖寺の戦いの後の夜、俺は事切れる寸前の兵にあった。その時そいつに腹をやられたよ。そいつは俺を斬ってすぐに事切れたが、俺と出会った時、すでにそいつは人を斬るだけの肉人形に成り果てていた。
この乱世だ。何かを心の支えにすること自体には文句はねえ。だが、少なくとも俺はもう一揆衆についていく気がしなくなった」
「そうでしたか……」
「まぁ、ああだこうだと理屈を並べたが、結局俺はこのままここに居続けて昭武と優花がああなってしまうのを見たくないだけかもしれねえな」
そう言って勝定は茶目っ気溢れる笑みを浮かべた。
(もしやこれが殿を一揆衆を辞めたいと思わせた最大の動機であったかもしれぬ)
長堯は知っている。勝定の心は実は熊野館が陥ちた時にその過半が壊れてしまったことを。また長堯は知っている。その壊れた心を繋ぎ止めたのはたった二人の子供であることを。
だからだろうか、長堯は勝定に笑みを返すことができなかった。
********************
「やはりあなた達の出奔は認められない。あまりにも失うものが大きすぎる……」
三日かけて考えたのち、玄仁が出した答えは勝定の予想通り熊野一党の残留を求めるものだった。
「やはりこうなったか……」
「殿、それ三日前にも言ってませんでしたか?」
「そうだが、玄仁がいちいち俺の予想通りの行動をするのが悪い」
「とにかく長堯、朝日山城に帰り次第軍勢を整えよ。数は千程度、これ以上の兵はすぐには集められない。その上で俺たち三人別々に任地に向かうふりをして福光城で合流し、飛騨帰雲城に進軍する」
「殿、何故千も兵を用いるのですか?我々が出奔する分には兵は二、三百で十分だと思いまする」
勝定の命令に長堯が首をかしげる。それに白雲斎が補足を加えた。
「長堯、それでは不十分だ。玄仁は我々が好き勝手に兵を一兵たりとも動かせば、即座に我々に対する討伐軍を動かせるようにすでに準備している。儂自ら忍び込んで得た情報だ。間違いはない」
「というわけだ長堯。急ぐぞ」
米
「結局、私の裁可を仰いだのはなんだったの!もう熊野一党は私の命に背いた謀反人。懲らしめてやりなさい!」
熊野一党が朝日山城を出て福光城へ進軍したことを聞いた玄仁はすぐさま討伐軍三千を動かした。
玄仁の軍は福光と飛騨帰雲城の中間の刀利で熊野一党を捕捉した。
「そうするように仕向けたわけではないが、どうしてこうも俺の予想通りに動くのか」
呆れ半分驚嘆半分で勝定がボヤく。
「勝定、それは言い過ぎだ。お前が出奔すると決めた時点で玄仁はこのように動くしかなかったのだ」
「そうか?俺がいなければ、一揆衆の軍事力は格段に落ちる。さりとて俺を留めおけば、越中の一揆衆が俺を担ぎ上げようとして不和を生む。帯に短し襷に長しってやつだ。……ああ、なるほど。だから布自体をこの機会に裁断して襷にするつもりなのか」
「そうだ、言うまでもないがこの場合の布は我らだがな」
白雲斎が勝定に気づかせたように玄仁の目的は一度熊野一党を叩いて一揆衆に従順にさせるというものだった。
「理には適っているが、口先だけだな…。決して侮っているわけではないが、玄仁が俺たちに勝つのはちと難しい」
「それで殿、我らはどうすればよろしいので?」
「とりあえず反転して三斉射だな」
「了解」
一義の指揮の下、熊野一党の兵が玄仁に向かって回頭する。その動きは洗練されていて玄仁は付け入る余地はなかった。
「射よ!」
「怯むな!進めえ!」
刀利の地にて玄仁と勝定、一揆衆同士が衝突した。
兵の数では玄仁、将の質では熊野一党が優っている。はじめこそ互角の戦いになるかと思われたが、戦況は玄仁優位で推移していた。
「相変わらず狂ってやがるな……、為景、いやこの感じは政景か」
玄仁の軍の狂いぶりに勝定は辟易していた。
「玄仁の兵の損耗は激しいが、ああいう戦い方をされればこちらの兵も相応に減る。戦術でいえば、玄仁は阿呆だ。だが、戦略でいえば今の俺たちに一番手厳しい手を用いる名将だな」
今の熊野一党は拠点を持たない流浪人の集まりでしかなかった。これでは玄仁との戦を終えても兵を増やすことなどできない。だから勝定達は慎重にならざるを得ず、精彩を欠いていた。
「このまま戦っては不利だな……。うまく逃げるか」
「この状況で逃がしてくれるでしょうか?」
「やはり無理か?無理ならば逃がさざるを得ない状況に持っていくしかないな」
そう言うと勝定はニヤリと笑みを浮かべるのだった。
その後、勝定は玄仁の猛攻に同じく猛烈な反攻で対応した。
「一人三殺が最低条件だ!出来ると思うなら玄仁をぶっ殺してもいいぞ」
勝定も長堯も白雲斎も自ら得物を持って奮戦する。
その姿を見た熊野兵もまた奮起し、刀利の地は両者入り乱れた大混戦の様相を呈していた。
米
夜になり、双方はそれぞれの本陣に後退した。
「やつらはこれで終わりだと思っているだろうが、俺たちにとってはこれからが本番だぞ」
勝定は丑三時まで兵に休息を取らせてから再度出陣した。
出陣した兵の数は二百程度、これだけでは玄仁の軍を打倒するのは難しい。
しかし勝定の隊が玄仁の本陣に差し掛かろうかというところで突如玄仁の本陣に火の手が上がった。
(思いつきの策の割にはうまくいったもんだ。敵軍と戦っているうちに自軍の兵を紛れ込ませて敵陣の中に侵入し破壊工作をする……いわば即席の埋伏の毒か、もっと練り込めば中々有用な策になるだろうな)
「な、なにが起きているの⁉︎」
突如炎上した本陣の中で玄仁は当惑していた。
「玄仁様、我らは勝定様に嵌められましたな」
竜田広幸に言われて玄仁は自らの敗北を自覚した。
「そう、広幸。やはり私では熊野勝定には敵わないのね。今になって遅いけれど、私はすんなりとあの男に頭目の座を譲れば良かったのかしら?」
「いえ、玄仁様。その仮定は意味を成しません。あなた様の命で一時彼の麾下に加わりましたが、なにやら彼には権勢を厭うところがありました。私の見立てに過ぎませんが玄仁様が頭目の座をお譲りになっても彼は間違いなく固辞したでしょう」
「どうして?私には理解できない。権勢なんて誰しもが欲しがるものでしょう?とりわけ下剋上が横行する今の世の中では、なおさらよ」
「いえ、理解するのはそう難しいことではありません。彼には守るべき大事なものがあったのです。それは彼にとっては権勢欲、あるいは信仰心すら凌ぐものだったのでしょう。そしてそれを守るのに権勢は邪魔でしかなかった。それだけのことです」
「勝定に翻意がなかったことはわかったわ。けれど今のこの状況をどうにかしなくては……」
そこまで玄仁が口に出した時、玄仁の天幕に勝定がやって来ていた。
「さて玄仁、お前をどうしてくれようか……」
「な、何よ。私をどうする気⁉︎」
玄仁が自らの腕で自らを抱きながら後ずさる。
段平を抜いて玄仁に思わせ振りな台詞を吐いてはいるが、勝定は玄仁をどうするか決めていた。少なくとも無体なことをするつもりはない。
(片や為景を討ち、越後に居場所をなくした俺たちを自陣営に引き入れた恩人。片や俺の声望に恐怖して討伐軍を送り込んできた敵。白雲斎辺りなら殺せと言いそうだが、恩人を始末するのは為景ですら判断に迷うところだろう。だったら俺が為すべきことは一つ)
「玄仁。すぐさま兵を退け。そして俺たちの出奔、いや移住にこれ以上関わってくるな。この二つを守るなら俺たちはお前を殺しはしない。まぁ守らなくても飛騨までご同行を願うだけだが」
「わかった。その条件を飲むわ」
「そうか、感謝する」
こうして熊野一党は一揆衆から抜け、飛騨への移住を成し遂げたのだった。
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「ああ、ようやくこちらに来れた」
「遠路はるばるご苦労ですな」
飛騨帰雲城にて勝定は雅氏の歓迎を受けていた。
「まさか本当に一揆衆をやめてくるとは……いやはや大した行動力で……」
「それで雅氏、三木領東方の信濃と飛騨とを隔てる山脈の山麓が開墾するには良いと以前文で言っていたのは本当か?」
「本当ですぞ!さらに文に書き損ねたことではありますが、あそこには掘れば温泉が出るらしいのです」
「それはいいな。今まで散々戦って来て深手の傷を負った者も多い……。温泉があれば静養もできるだろうな」
(開墾には相当な時間がかかりそうだが、これでようやく戦に巻き込まれることのない穏やかな日々を過ごすことができる。……そうだ。一ついいことを思いついた)
この日の一昼夜、熊野一党は内ヶ島家中の者と共に宴を楽しんだ。
そして翌日、勝定は熊野一党の兵を帰雲城の広場に一兵残らず集めていた。
「先の戦いで戦はもう終わった。これからは「北陸無双の将熊野勝定」は出る幕じゃねえ。だからこれより俺は「熊野雷源」に改名する。そこのところよく覚えておいてくれ」
僧風の名に改めたため、熊野一党は雷源が出家したのだと考えた者が多くいた。しかしこれは雷源の決意表明だった。
米
熊野一党が開墾を始めてから一年が経っていた。
開墾した場所には多くの住居が建設されている。が、その半分は熊野一党ではなく、越中にゃん向一揆衆の中の雷源を信奉している一派であったり金の匂いを嗅ぎつけた商人だった。
村の名前は平湯村に決まった。由来は平かに湯を楽しむという雷源の願望によるものだ。
また雷源は平湯村ににゃん向宗の僧を招いて寺を建立し、その敷地内で自らと松倉の町に住む商人や公家を講師として学び舎を始めた。表の目的は金銭収入を得ることだが、裏の目的は万が一戦乱に巻き込まれた時、昭武と優花の脇を固める人材を育成することだった。
主な生徒としては琴平姉弟、塩屋秋貞、山下氏勝にあまり真面目ではなかったが内ヶ島氏理がいる。
(氏理はともかく他の四人の才覚は中々のものだ。特に琴平姉の内政に関する才は磨けば、朝倉孝景も目じゃない)
様々な苦労があるにせよ、飛騨に来てからの雷源は順風満帆な日々を送っていた。
「ぬ……?またか……」
時折、雷源の心の臓に訪れるこの不可解な痛みに関するものを除いては。
米
さらに時は流れて十年後、平湯村もついに戦乱に巻き込まれる。
雷源は姉小路領の村々から一揆衆の総大将に推されていた。
その報告を長堯から聞いて雷源はこう言い放つ。
「もはや俺たちの出る幕じゃねえ。昭武達もそろそろ初陣するにはちょうどいい年だしあいつらに任せる。まぁ、あいつらに死なれたら困るから白雲斎をこっそりお守りにつけるが、それ以外は全く関与しねえ」
「一揆衆にはそれに異を唱える者もおりましょう」
「長堯の言う通りだ。だが、巻き込まれた以上いつ俺たちがどうなるかすらわからない。もしそうなってしまった時、困らねえように俺たちがいなくても出来たという自信をつけさせたいと俺は思う。まぁ我ながら身勝手だとは思うがよ、一揆衆にはそういう具合に話をつけておいてくれ」
「はあ……、了解しました」
長堯は内心(それは少し厳しすぎないか)と思ったが、飲み込んで書斎を退室した。
(この十年であいつらには俺の持てる全てを注ぎ込んだ。昭武と優花は武芸だけなら飛騨でも上位で他の伸びしろも多分にある。それは琴平姉弟にも言えることで、氏勝と秋貞に関してはすでに内ヶ島の内政で辣腕を振るっていると聞く。もう次の時代の下地はできているんだ。おっさんがふんぞりかえってもいいわけがねえ)
こうしてまた新たな物語の幕が上がる。
読んで下さりありがとうございました。
雷源伝完結です。
はじめは約3,000字×3話の9,000〜10,000字で終わるかなと思っていましたが、蓋を開けてみれば25,000字を越えていました。
長くなってすいませんm(_ _)m
次話から二章に入ります。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。