以前全三話ぐらいで終わると言いましたが、終わりませんでした。終わるのには後一二話かかりそうです。
では、どうぞ。
勝定が越中にゃん向一揆衆に身を寄せて一年が経っていた。
越中は東に越後、南に飛騨、西に加賀、北西に能登といった四国と隣接している。これに加賀の南隣の国、越前を加えた五国が常に争っていた。
勝定以前の北陸は各国に将星達が煌めく群雄割拠の地であり、越後の長尾為景、越前の朝倉宗滴の対にゃん向宗の双璧に、戦国飛騨国屈指の名将である三木直頼、能登畠山氏の英主の呼び声高い畠山義総、「百姓の持ちたる国」と称される加賀の僧兵を率いる杉浦玄任がそれぞれしのぎを削っていた。この五将の戦いはそれぞれ自国内のいざこざが災いして最終的な決着をつけられず、取っては取られの一進一退で、ある種の勢力の均衡を実現していた。
しかし勝定がその均衡を叩き割る。長尾為景を親不知にて討ち取り、あまつさえ越中にゃん向一揆衆に身を寄せたことは各国の動揺を招いた。越中にゃん向一揆衆はいわば玄任の分隊である。つまり北陸諸国の中で加賀の武力が飛躍的に増大したのだった。
「戦を嫌って越中に来たってのに、こっちでも戦、戦、戦か。逃げるところを間違えたか?」
越中一揆衆に身を寄せて以降、玄任に命じられて勝定は一揆衆を率いて東奔西走を余儀なくさせられていたのだった。
「致し方ないでしょう。仇討ちの副産物と言えど、今の情勢は殿がお創りになったものです。嫌ならばちゃんと落とし前をつけることです」
ボヤく勝定に一義はやれやれといった様子を隠さずに言った。
「そりゃそうだがな一義。あんまりにも戦に駆り出されすぎて最近では昭武と優花の顔すら見れてねえんだぞ」
勝定が熊野館下の町で拾った星崎昭武と瀬田優花はすくすくと育っている。最近では休みの日に暇つぶしで長堯や白雲斎から武芸を教えられていた。
「不平を言っても敵は大人しくしてはくれませんぞ……。まあ今は小康状態と言ってよいでしょう。それがしは前線に残りますので、殿は若君達のもとへ顔を出すとよろしい」
「悪いな、一義」
勝定は嬉々とした足取りで前線を後にする。
相変わらず血なまぐさい日々ではあるが、今の所、勝定は充足感を感じていた。
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越前・一乗谷
朝倉家の城下町、一乗谷のとある寺にて会談が行われていた。
寺の中には四人の武将がおり、いずれも見る人が見れば仰天すること請け合いだろう。
「此度はわざわざ一乗谷にまで来ていただき誠に有難いことにございます」
烏帽子を被った中年の男が頭をさげる。全体的に線が細いが、全身から知性と風雅を醸し出していた。
この男の名は朝倉孝景。
長尾為景亡き今、北陸最大の大名家となった朝倉家の十代目である。政略に優れ、足利将軍家や朝廷、一時的なものであったが加賀の一揆衆と良好な関係を築き、城下町の一乗谷に文化の花を咲き誇らせた英君として知られる。
「いえいえ、お気遣いなく」
そんな孝景に恰幅の良い中年の男が笑いかける。
名は畠山義総と言い、五大山城の一つに数えられる七尾城を築城し、城下町には孝景と同じように京風の文化を根付かせた。
「いやはや、流石は一乗谷といったところですな。この襖絵は実に見事」
能越二国の国主そっちのけで寺の襖絵に感嘆しているのは三木直頼。
一豪族から飛騨の南半分を掌握し、飛騨の豪族連合の盟主にまで成り上がった男である。彼もまた城下に京風の文化を広めた。
三者それぞれ風流趣味を持っていたため、話のつかみのつもりで孝景が始めた風流談議が過熱する。
「わしはくだらぬ口上を吐くのは苦手じゃ。方々、風流談議は後にして早く話し合いを始めてくだされ」
それを軽蔑し切った目で見やるのは朝倉宗滴。
老齢ながら朝倉家の軍事の全てを取り仕切り、畿内に北陸に武威を轟かせる名将で、為景亡き今では彼こそが北陸最強の武将といって差し支えない。
ちなみに本人は風流趣味を嫌っているが何の因果か押しも押されぬ名物茶器九十九茄子を所持している。
「む、そうであったな」
当主であれど孝景は宗滴にはなかなか頭が上がらない。半ば強引に風流談議を打ち止めにした。
「寄り道をしてしまいましたが、此度方々に一乗谷に集まっていただいたのは、熊野一党を麾下に加えて勢力を伸張させた加賀のにゃん向一揆衆に対し、我々はどう相手をするかということを話し合うためです。宗滴、任せた」
「任された。名乗る必要はなさそうだが一応名乗っておく。わしが敦賀郡司を務める朝倉宗滴ぞ。各々、一揆衆など個々の家で対処すればよいと考えておるかもしれぬが、わしからすればそれは手温いと言わざるを得ぬ。わしの見立てでは熊野一党の加入は一揆衆の馬鹿どもにとっては正に好機、ここ一年の間、熊野一党を用いて能登南部と飛騨北部で着実に力をつけてきた。そして曲がりなりにも熊野勝定は為景を討ち取った。これほどの将をわしら朝倉はともかく能飛のお主たちが個々で対処などできようものか」
宗滴は勝定を警戒していた。敵討ちの為に三年間足取りを掴ませずに潜伏する忍耐強さに、いかなる手段を用いてでも策に引っ掛ける周到さは味方ならともかく敵にしたら厄介極まる。
(潰すなら一息に潰す。そうでなくてはわしらが手痛い目にあうであろう)
宗滴は上記のことをかいつまんで義総達に説明し、ここに対加賀にゃん向一揆衆の大連合を結成させたのである。
そして連合の第一陣としてまずは越中を能登、飛騨から挟撃を仕掛けることを決定した。
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熊野一党は勝定を城主として加越国境にある朝日山城を与えられており、そこで一揆衆の幹部として働いていた。
とはいえ、勝定がこの城にいたのは最初の二カ月程度で、それ以後は月に一回か二回軍旅の合間に立ち寄るのがせいぜいで、勝定は未だに城内を把握してはいない。
「あー!お父さんまた迷子になってるー!」
「まじかよ親父ぷっくすくす」
なので勝定が朝日山城に帰ると本丸で昭武と優花に毎度毎度笑われるのがオチだった。
「るせー、覚えられるほど暇じゃねえんだ俺は」
それを勝定が少し拗ねたように言い返すのもまた恒例だった。
「それでお前ら、勉学とか鍛錬はちゃんとやってるか?俺がいねえからって雑にやったり怠けてたりしないだろうな?」
「大丈夫だよお父さん。あたし達いい子だし!」
「……そう言う優花は、長堯のおっさんが来るまで勉学をしなかっただろ?」
勝定の問いに優花は胸を張って答えるが、その脇で昭武がぼそりと事実を述べていた。
「んー武兄?何のことかな?」
昭武の言をなかったことにした優花だが、無論勝定には分かっている。
「とぼけても無駄だぞ。アホガキ」
勝定は優花の目線に合わせてしゃがみ、ため息をつくとしゃがんだままで優花の背後を取り、がっちりと両足で優花を拘束。そして握りこぶしを作り、優花の側頭部に押し当てた。
「んぎゃー!お父さんやめてー!」
勝定の頭グリグリ攻撃に悶絶する優花。対する勝定の顔は綻んでいた。
(やはりこいつらと一緒にいると癒される。叶うならばこの穏やかな時間をいつまでも……)
泰平の世ではいざ知らず、乱世においてはこの勝定の願いはとても大それたものだった。無論勝定もそれを承知している。だから昭武や優花に元服して一武将になった時に命を落とす確率を可能な限り下げるために勉学や鍛錬を課している。
現時点では昭武は剣術と槍を優花には弓を鍛えさせている。
(昭元も助春も武芸には一日の長があった。あいつらの名跡を継ぐにはやはりそれ相応の武芸がないとな)
越中に来たとしても勝定にはまだ越後の影が色濃く残っている。自分が去りしのちの越後が定実の養子縁組がきっかけでまた荒れたことも、定満が直江大和と手を携えて虎千代を育成しているのも全て知っている。
(まさか俺に越後への未練があるというのか?バカバカしい、もうあそこには戻るに戻れないだろう)
勝定は神妙な面持ちで自問自答を始める。越中に来て以来、これが勝定の癖になっていた。
米
結局のところ、今回勝定は朝日山城には五日間しかいられなかった。理由は加賀にゃん向一揆衆の頭目、杉浦玄任が勝定を呼び出したからである。
玄任は尾山御坊(現在の金沢市)にいる。朝日山城からは半日で行ける距離だが、勝定はせっかくの親子団欒を邪魔されて不機嫌だった。
「朝日山城主、熊野勝定にごさいまするー」
嫌々ながらといった感じで勝定は玄任の元を尋ねる。すると本丸御殿から猫耳を模した兜を見に纏う美少女が姿を見せた。
この美少女こそが、加賀にゃん向一揆衆の頭目、杉浦玄任であった。
「せっかくの休暇中に呼び出して悪かったわね。けれどあなたを呼ばなくてはならないほどのことが今起きようとしているのよ」
「おおよそ畠山か三木が攻めてきたってことか?白雲斎に聞いたところ能飛両国で出陣の準備をしていたみたいだからな」
「流石は勝定、よくわかっているわね。けれど今回は畠山か三木かじゃない。畠山と三木が同時に攻めてきたのよ」
「や、殿。それは本当か?あの二家が足並みを揃えるなんて考えられねえ」
「勝定、これは事実よ。どうやらあなた達を引き入れたことで周辺国の警戒を買ったみたい」
勝定は頭を抱えていた。
(やべえな。あの二家の侵攻は越中にとって地勢上南北からのはさみ打ちになる。そして情報源がないが、多分畠山と三木の足並みを揃えさせたのは朝倉だろう)
「で、殿は俺にどうしろって言うんだ?」
「勝定には猿倉に布陣して三木の迎撃をしてもらうわ」
猿倉は富山城と飛騨の高原諏訪城の中間にある。迎撃の場としては妥当と言えた。
「分かったが、兵はどれぐらいで?」
「畠山の兵が多いから飛騨は少なめ、そうね大体千五百ぐらいかしら。あと、将はあなたとあと一人竜田広幸だけでお願いね」
「なかなかに厳しいな……。まぁ承知した。対飛騨なら追い返す算段がないわけじゃない」
「ふふ、頼もしいわね」
玄任は穏やかな笑みを浮かべて、部屋から去る勝定を見送る。もっともその心中までは穏やかとは言えなさそうであるが。
米
玄任に命を受けてすぐに勝定は猿倉に布陣した。率いる兵の数は千五百。副官に加賀にゃん向一揆衆の将、竜田広幸が付いている。勝定の家臣は誰一人いないアウェイだった。
今回、勝定は猿倉に着くとすぐに飛騨・帰雲城主の内ヶ島雅氏に手紙を書き、それを広幸にもたせて送った。
内ヶ島雅氏は三木直頼に従ってはいるものの、にゃん向宗を信じており、にゃん向一揆衆とはできれば敵対したくなかった。勝定はその心理を突いた。
手紙を届けられた雅氏は即座に三木から一揆衆に鞍替えし、直頼の越中侵攻軍から離脱して侵攻軍は混乱、その隙に勝定と広幸が猛攻をかけ、直頼は泣く泣く撤退を決めた。
(これで飛騨は片付いた。が、朝倉が噛んでいる以上これで終わるわけがないよな)
飛騨勢の退却を見届けた勝定軍はやや早めの速度で加賀方面に転進するのだった。
勝定が調略を用いて飛騨勢を引かせた一方、玄任は高岡にて義総率いる能登勢と相対していた。
能登勢の兵力五千に対して一揆衆の兵力は四千。数の上では能登勢が有利だが、戦況は一揆衆優位であった。
「お猫様のために!本猫寺のために!しょうにょ様のために!!私たちは生きて死ぬだけよ!」
玄任が檄を飛ばしつつ、自ら先陣に立って敵に襲いかかる。それも突出して敵中に孤立することを厭わずに。
玄任は戦場に出るとまるで為景のように(勝定の評)狂い咲きする性格であった。玄任と為景と異なるのはそれが過剰な本猫寺への忠誠心によるものだということである。
玄任が猛攻を仕掛け、能登勢がややひるむ。そこを玄任の狂気に当てられた一揆衆が蹂躙する。玄任の戦いは一揆衆の長所をあますところなく発揮するものであった。
結果として玄任は能登勢を撤退に追い込んだが、彼女の戦い方の性質上、快勝こそすれど自軍の被害もそれなりに大きなものとなった。
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能登勢、飛騨勢の撤退はすぐに一乗谷にもたらされた。
「思いの外、早くやられたな」
孝景は淡々とした口調ながらひどく驚いていた。
直頼と義総はいずれも中興の祖と言える名将で、決して凡愚というわけではない。
「驚きはしたが、想定の範疇。あやつらが敗れた以上予定通りわしが出よう」
孝景に対して宗滴はそれほど驚いてはいなかった。意外には思ったが、当初の予定、すなわち直頼と義総に越中を攻めさせ、加賀を戦力的に空白にし、そこに宗滴が攻め込むという構図を変えようとは思わなかった。
「彼らの後に宗滴と連戦か。敵ながら一揆衆に同情する」
「孝景、勝った気になるにはちと早いぞ。越前と加賀国境の大聖寺城には荒尾一義と宮崎長堯が布陣しておる。あやつらは勝定の股肱の臣で守勢に強い。それも為景に追い回されても持ちこたえる程よ」
孝景を諌めると、宗滴は一乗谷の館を後にする。
北陸最強の将が今、動いた。
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