良頼を斬った後、昭武は伝令を呼びつけて良頼の討ち死にを広く城内に喧伝させた。
「なんと……良頼様が……!」
「信じられぬ……!」
城内の兵達は最初は信じなかったようだが昭武達が城を去った後に確認の為に書斎へ行った兵が良頼の遺体を発見し、良頼の討ち死にが事実だとわかるとある者は激昂し、ある者は勝ち目なしと悟り桜洞城から脱した。
城内が恐慌に包まれていたその時、昭武は本隊と合流するために決死隊の残存兵力を引き連れて、桜洞城南側の城下町を進軍していた。
そこで昭武達は衝撃的なものを目撃した。
「なんだこれは⁉︎」
昭武が見たのは一揆勢が騎馬隊に蹂躙されている光景だった。
「かないっこねえ……助けてくれ!」
「ぎゃあああ!」
「おらおらぁ!死にたくなかったら逃げなぁ!」
一揆兵は大体が民兵で戦い慣れしておらず、おまけに防御力がない。精鋭の騎馬隊が出てくれば一瞬で散らされてしまうのだ。
(とはいえ、ここまで甚大な被害が出るのか?)
そう疑いを抱いた昭武は近くで民家の壁にもたれている村長格と思しき男に問いかけた。
「何故このような事態になっているのかお聞かせ願いたい」
「おお、お前は熊野の小倅か……。ここにいるということは奇襲は成功したのだな……。だが、この戦は負けだ。お前達が奇襲をしたように敵方も奇襲をしてきたのだ。おかげで本隊の八割が壊滅してしまった」
「なに⁉︎」
「琴平殿率いる本隊も騎馬隊に襲われておる……!頼む、熊野の小倅よ。琴平殿を助けてやってくれ……。元々彼女はこの戦には関わりがなかったのを我らが無理やり引きずり出したのだ。死なせてしまうのは本意ではない……」
村長格の男は言い終えると吐血し、ばたりと倒れてしまう。
「おい…!おっさん。死なないでくれ…頼む…」
昭武は村長格の男に声をかけるも返事はない。
もうただのしかばねになっていた。
「おっさんが伝えてくれたことを無駄にはできねえ……!行くぞ桜夜殿のところに!」
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時は昭武達が館前広場で奮戦していた頃に遡る。
桜夜達率いる本隊は、桜洞城を西側から攻めるために城下町の中ほどで本陣を設営しようとした時、姉小路頼綱の騎馬隊による側面からの奇襲を受けていた。
「にゃあ⁉︎騎馬隊が急に」
「挟み討ちだぁーー!」
「はははははは!!一揆勢のなんと脆さよ!」
「さすがに騎馬隊にはかないません!みなさん城下町から撤退してください!」
「姉上!殿はぼくがやる!姉上は逃げてくれ!」
突然の騎馬隊の奇襲で本隊は大混乱に陥る。こうなってしまえば一揆勢はその強みを失い、ただの弱兵集団に成り下がる。逃散する者、虚無感に襲われる者、錯乱して味方を斬りつける者などもはや始末に負えない。
頼綱はそれら全てを馬上から冷酷に刈り取ったのである。
(一揆勢は数を頼みにしてる分、回り道をしないだろう。そこを俺の騎馬隊が側面から打つ)
一揆勢は兵数が多く士気が高いが、練度や経験、装備が不足しているため奇襲には脆く、一度崩せばもはや使い物にならない。
それを頼綱は見抜いていた。
だから父相手に強気な進言をしたのである。
結局、三千二百いた琴平本隊はその半分を失い、宗晴とその指揮下の兵の奮戦により桜夜自身はどうにか城下町を脱し旧本陣に撤退し現在に至る。
「まさか姉小路勢が籠城して来ないなんて…予想できませんでした」
桜夜は城を取るためにわざわざ奇策を持ち出したことを悔いていた。
桜夜が昭武達の軍に編成したのは平湯村ーーかつて熊野雷源と共に戦場往来人として槍働きに明け暮れたいわばベテランの兵で彼らはこの一揆勢の要と言える存在だった。
しかしその代償として肝心の防備が疎かになり、一揆勢が潰乱し死体の山を築いてしまったのだ。
「わたしはなんてことをしてしまったのでしょう……」
「姉上、お気持ちはお察しします。ですがまだ戦の最中です。皆に指揮をお願いします」
「すいません宗晴。残りの兵をまとめて本陣を固めてください」
宗晴に促されて桜夜は指示を出すが、声が弱々しい。相当に兵を失ったことが堪えているようだった。
「委細承知しました」
宗晴は桜夜の旗本隊を率いて本陣を後にする。
そして兵を配置しようとしたのだが、手遅れだった。
「敵の総大将は目前ぞ!討ちとれぇ!」
姉小路騎馬隊が既に城下町を抜け本陣に迫っていたのだ。
「みんな早く防備を固めろ!姉上を守るんだ!」
「あわわわわ!」
「うわあああああ!」
「逃げろおおおお!」
宗晴は慌てて指示を出すが、兵たちは言う事を聞いてくれず、あるものは立ち尽くし、あるものは逃げ出した。
城下町での奇襲がトラウマになっていたのだった。
「兵は頼りにならないか……ならば!」
もはや軍が機能しないと割り切った宗晴は単騎頼綱に向けて突撃を始めた。
(頼綱を前に持ちこたえられなければ、ぼくたちはこの場で残らず騎馬隊に蹂躙されてしまうだろう。しかし星崎殿達の決死隊が来るまで持ちこたえることができれば前後で頼綱を挟撃できる。そうなれば桜洞城はすでに星崎殿達によって落とされているから頼綱にもう打つ手は無い)
「ほう。一揆勢は腰抜けばかりだと思ったがなかなかどうして…。良かろうその勝負受けてやろう」
単騎で駆ける宗晴を視界に捉えると頼綱もまた宗晴に向かい駆けた。
「飛騨国守護代姉小路良頼が嫡子、姉小路頼綱!勇敢なる武人よ、おまえの命この俺がもらいうける!」
宗晴の馬とは比較にならない巨馬の上で朱槍を担ぎ、傲岸不遜な笑みを浮かべて宗晴を眺める頼綱の姿は、まだ若いというのに既に飛騨の王の風格が漂わせていた。
(これが飛騨の鷹、姉小路頼綱か……)
宗晴は少しちびりそうになったがどうにかこらえる。
「名乗りは上げたぞ!そこのチビ!名を名乗れ!」
「チビって言うな!ぼくの名は琴平宗晴。此度の一揆勢の総大将琴平桜夜の弟だ!」
「そうか宗晴とやら。チビでないと証明したいのなら俺を討ちとって見せろ!」
「元々そのつもりだ」
宗晴が得物の片鎌槍を構えて突っ込む。それを頼綱はひょいと避けた。
「攻撃の速さは中々だが、軌道が直線的だな。それでは俺に当てることはかなわぬ」
「うるさい!」
宗晴がもう一度槍を振るうが、またも頼綱に軽々と避けられてしまった。
「ぬるい。槍とはこういう風に使うものだ」
今度はやや呆れた様子で頼綱が朱槍を振るう。本人は緩慢な動きのつもりだったが宗晴には速すぎて避けられない。
「がは!う、ぐぅ……」
宗晴は姉が軍略を雷源から教わっている一方、武芸を雷源に教わっていた。そのおかげでかなりの使い手に育っている。だが頼綱はそれすらも圧倒していた。
「おまえの腕はその程度か…だらしない。興が冷めたわ」
痛みに苦しむ宗晴を見て頼綱は吐き捨てた。そして朱槍を強く握りしめる。
「もうお前はいい、失せろ」
頼綱が朱槍を力強く振るい、宗晴の馬の脚を払って宗晴を落馬させる。
「あがっ!ぐっ……」
落馬した宗晴は腰を強かに打って動けない。
「おまえはそこで姉の首を打たれるのを指をくわえて見ているといい」
馬首を翻して頼綱は本陣に向かおうとする、が、次の瞬間なぜか地面に突っ伏していた。
(何故だ!奴はすでに戦えないはず、なのに何故俺は這いつくばっているのだ!)
頼綱は痛みに耐えながら起き上がるとそこには後右脚を槍で貫かれた愛馬の姿と体を引きずってまで頼綱を追いかける宗晴の姿があった。
「姉上の元に行かせてたまるか……」
頼綱は宗晴を見て何故自分が地面に突っ伏していたのか悟った。
(なるほどな。お前が槍を投げて俺を落馬させたのか……。腕はまだ未熟だが胆力だけは一流だな)
「琴平宗晴、と言ったな。お前の命は今しばらく預けておく。せいぜいそれまで精進するんだな」
追いすがる宗晴を一瞥し、頼綱は本陣に向かい歩き出す。
宗晴は「待て」と叫ぶも力つきて意識を失った。
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一揆勢本陣
「琴平宗晴殿が一騎打ちで姉小路頼綱に敗れました!」
「何ですって⁉︎」
宗晴の敗退は桜夜に衝撃的な知らせだった。彼は桜夜の弟であることはもちろん、この本陣の最終防衛線を担っていたのだ。
「それで伝令さん、宗晴は…生きているのですか……?」
おそるおそる桜夜は伝令に尋ねる。しかし伝令は渋い顔をしていた。
「頼綱は手心を加えたようなので生きてはいましょうが、頼綱がこの本陣に向かっているため救出するのは困難かと……」
伝令はそう伝えたが一騎打ちの後に雑兵に首を取られている可能性があるため宗晴が今も生きているとは限らなかった。
「だからといって宗晴を見殺しにはできません!本陣の全軍をもって姉小路頼綱に突撃です!」
そう下知を出して桜夜が出ようとすると本陣にやたらと返り血を浴びた頼綱が入ってきた。
「ここが一揆勢の本陣か、総大将の琴平桜夜とやらさっさと終わらせてやるから出てこい!」
頼綱が野太い声で叫ぶ。朱槍を右手に持ち、瞳は炯炯と輝いている。
呼ばれた桜夜は床机から立ち上がり、ゆっくりと頼綱の前に進み出た。
「琴平桜夜とはわたしのことですが何か用ですか?」
頼綱は桜夜の姿を見て「美しい」と言葉を漏らしていた。
(顔立ちが整っていることは言うまでもなく、艶のある黒髪にそれに対照的な白い肌、体つきも華奢で、作法も民とは思えぬほどに洗練されている。こんな女が飛騨にいたとは…殺すのが惜しいな)
「俺の名は姉小路頼綱、おまえの弟を下した男だ」
「あなたが宗晴を……!」
堂々と名乗る頼綱に桜夜は刀を抜いて斬りかかる。が、頼綱が槍を刀にあてて防ぐ。そして同時に体術を用いて刀を弾き飛ばし、桜夜を取り押さえた。
「おまえもまた弟に似て血の気が多いな。だが所詮は女、膂力では俺にははるかに劣るな」
「う、あ……」
桜夜は頼綱の拘束から抜け出そうとジタバタするが、頼綱の力が強くてかなわなかった。
「おお、近くで見れば見るほどにいい女だな」
頼綱は桜夜を組み敷いて不気味に笑う。
視線が合った。
背中がぞくっと震え上がる。
姫武将は敵に囚われた際、命を助けてもらえる手段が二つある。
一つは出家して尼になること。もう一つは敵将の側室となること。
利発な桜夜はこの時、自らの末路を知った。
(いや……いや……!)
桜夜が涙した、その時だった。
「ぐうッ!」
頼綱が呻いていた。肩に矢が刺さっていたのだ。
そして間髪入れずに頼綱の背後から騎乗した昭武が駆けてきて頼綱を斬りつける。
「このくそ外道が!」
「なっ⁉︎」
昭武の太刀を頼綱は受け止めようとしたが、受け止め切れず、四、五メートル吹き飛ばされる。
「あぶないところだったね、大丈夫?何かされてない?」
「どうにか大丈夫です」
その隙を突いて優花が桜夜を助けだした。
「なぜだ……?もう奴も動けないはず」
何が起こったのか頼綱にはわからなかった。しかしそれを把握する時間を昭武は与えてはくれなかった。
「くたばれ!」
混乱している頼綱に昭武は近くの兵から借りた槍を投げつける。
昭武の手から放たれた槍は真っ直ぐに飛んでいき、
「ぐほっ……」
頼綱の胴を貫いた。
「うわあああ!」
「大将ーーーー‼︎」
頼綱を討たれた姉小路軍は蜘蛛の子を散らすようにして本陣から逃げていった。
(あっこいつが姉小路頼綱だったのか。今気づいたわ)
自分が討ったのが姉小路頼綱だとわかった昭武は頼綱の亡骸の前に座り込んだ。
「お前が姉小路頼綱か。さっきは顔をよく見てはいなかったが、改めて見るとなかなかの風格だな。……もしオレと出会わなければお前が飛騨を統一していたのかもしれないな」
けれど、と昭武は続ける。
「捕らえた姫武将に乱暴するような奴に飛騨を任せるわけにはいかねえんだ。オレはお前の親父と約束を交わしたからな。お前の親父の代わりに飛騨を統一し、乱を鎮める。ってな」
伝えることを伝えて立ち上がると桜夜がおぼつかない足取りで歩いてきた。
「昭武殿、此度は助けてくれてありがとうございました。此度の御恩は忘れません」
「頼綱を射ってお前を助けたのは優花だろ。だから礼なら奴に言ってくれ」
「それはそうですけど、あなたもがんばってくれてたのはわかってますよ」
桜夜は可愛らしく笑ってそんなことを言う。
もし彼女があのまま辱められていたらこんな風に笑えない。
もう一度この笑顔を見ることができた。昭武はそれで満足だった。
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飛騨にゃん向一揆、またの名を桜洞城の戦いは一揆勢の勝利で幕を閉じた。
この戦いで姉小路家は滅亡し、姉小路旧臣は頼綱の弟、鍋山顕綱が城主を務める鍋山城に敗走した。
一揆勢はこれを追撃しようとするも兵力の損害が甚だしくできなかった。
この戦いとはさして関係がないのだが、同刻、飛騨国内で新たな動きが起きた。
「父上!お覚悟を!」
「おのれ!輝盛ーーーー‼︎」
飛騨北部を支配する江馬氏で嫡男の江馬輝盛が親である江馬時盛を暗殺したのである。武田、長尾どちらにつくかで親子の意見が分かれたことが理由だった。
この事件は飛騨の民、特に飛騨南部を得たばかりの一揆勢を動揺させた。
姉小路家なき今、飛騨最大の勢力となった江馬家の侵攻を警戒した一揆勢は、熊野雷源に再び乞うて桜洞城に在番してもらうことにした。
こうして飛騨にゃん向一揆衆は戦国大名、飛騨熊野家に姿を変えたのだった。
これで序章は終わりです。
次章からはようやく原作の人物が登場します。
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