勝山城近郊で激闘が行われていた頃、氷見では異変が起きていた。
「嘘、なんでこんなに……」
氷見の要、湯山城の高楼から遠眼鏡で周辺を見張っていた左近は戦慄していた。
左近がその目に捉えたのは、北方から氷見へと航行する百五十隻余りの大船団。兵数で言えば少なく見積もっても三千は越えているだろう。
その大船団の先頭を航行しているのは帆に翻る黒地に白の二頭波頭が刻まれた安宅船。
ここまでくれば、見間違いようもない。
左近が恐れていた光教の別働隊である。
「来るとは、思っていた。けれどこんな数になるなんて……!」
左近は別働隊があるとしても能登そのものの国力と光教の蓄えを勘定に加えて算出した結果、動員しても精々二千ほどにだろうと考えていた。
しかし、実際のところ光教が用意したのは四千程でこれは能登だけではなく、越前や若狭からの豪商の私兵や傭兵をも含んでいた。
光教は自分が能登を領し続けることの利点を日本海を根拠地とする豪商達に説いて回りその結果、越前敦賀の豪商・道川何某と若狭小浜の豪商・組屋何某から二千五百の私兵と傭兵を借り受けたのである。
船は越前・若狭のものに加えて渡辺町と七尾、穴水に珠洲、輪島など能登の大湊から徴発して補った。
「海戦で迎え撃つのは、もう遅いわね。陸に上がるところを叩くしかない!」
高楼を降りた左近はすぐさま麾下の兵千を氷見の港に配し、堅陣を構築した。
その手際は早く、船団が入港する寸前にはすでに完成していた。
「ふむ、中々対応が速いではないか。どうやら星崎昭武は良将を残したとみえる」
光教の目から見れば、左近の陣は即席のものとしてはよくできていた。港の入り口にさして兵が配されていないため、一見すると簡単に湾内に入れそうなものだが、だからといって易々と入ってしまうと揚陸している間に集中砲火を浴びる仕様になっている。さりとて、被害を受けて退こうとしても後続が邪魔して退くに退けないという実にΩ字型の湾の構造をよく理解して練られたものであった。
「このままでは、如何ともし難いな。もう少し隠しておきたかったが致し方あるまい。教連よ、これより隠し球を用いる。船内からあれをここに出してくれ。それとお前の父、長続連にも隠し球を出し、船団の先頭に来るように伝令を出せ」
「はっ!」
教連が船内から三台の台車を運び出し、光教の指示に従って甲板に並べる。
それぞれの台車には一門の大筒が載せられており、これらは日本海の交易を通じて博多から手に入れた、「国崩し」あるいは水滸伝に登場する豪傑・凌振の渾名である「轟天雷」と称される火砲である。この大筒たちはあまりに高価なため北陸一の財力を誇る光教でも旗艦用に三門、続連用に二門買い揃えるのが限界だった。
「ふわぁ……、何度見ても黒くて大きいです……」
「言ってる場合か、早く砲撃の準備をしろ」
何故か恍惚の表情を浮かべる教連を軽くあしらい、光教は指示を下す。
そして続連からの砲撃の準備が出来たことを知らせる合図を確認すると、光教は采配を振り下ろした。
「大筒を放て!」
種子島とは比較にならない爆音が天地海に響く。
放たれた砲弾は流麗な放物線を描き、左近の陣へと飛来した。
「………ッ!」
左近はもう声が出ない。
南蛮人の往来が盛んな畿内や北九州ならいざ知らず、まさか北陸の大名が大筒を所有しているとは想像すらできなかったのだ。
(なんで大筒なんか持ってるのよっ⁈畿内からの横流しでもあったの⁈ ……いや、畿内では輸送に難がある。ならば博多から……!いえ、まさか……!でも、それぐらいしか考えられない……!)
このとき、左近は気づいた。
渡光教の魔手は自分達が思っていたよりもはるかに長く伸びているのだと。
また、左近は理解してしまった。
今の自分では光教に勝てない、と。
言いようも知れぬ敗北感に沈む左近をよそに、無情にも砲弾が陣に着弾する。
敵の侵入を妨げるために立てた柵が容易く折れ、弓兵が何人か詰めていた櫓が倒壊して足軽たちがそれに押し潰される。
「あわわ、あんなけったいな陣がこうも簡単に……!」
「あかん、俺たちゃここで皆殺しにされてしまう…」
初めて経験する大筒の威力に陣を構成する兵たちはどよめきを隠せない。
「思いの外、陣にできた綻びが小さいな……、もう一発だ」
再度、光教が砲撃する。
すると、左近の陣に先ほどのものよりも一際大きな穴が空いた。
為すすべもない恐慌が蔓延し陣から兵が次々と逃散していく。左近はもうそれを押し留めようとしなかった。左近自身でさえ今の光教が恐ろしいのだ。兵であればなおさらのこと。押し留めても意味がないと判断してのことだった。
「このままじゃ、全滅は必至……!城下町に退いて態勢を立て直す!」
ただ、それでも左近は戦意を失っておらず、戦況の不利を覆すべく城下町でのゲリラ戦に舵をとる。渡光教は悪謀に長けているが、不思議と破壊工作は好まないことを前もって知っていたからである。
この左近の読みは正しい。実際のところ光教は左近達を追い散らした後の氷見を能登の防衛の要衝として統治するつもりで砲撃は港湾に留めるように下知していたのだ。
しかし悲しいかな、この時の左近はまるで天から見放されていた。
確かに渡光教は敵兵をあぶり出すために城下町に火を放ったり大筒で砲撃したりしなかった。だが、代わりに湯山城主である八代俊盛が渡光教に寝返ったのである。
八代俊盛は神通川の戦いの後に熊野側に従った国人で、未だ服して日が浅く、さらに小勢力によくありがちな保身のための寝返りを躊躇わない気質を持っていた。
今回の俊盛は光教の大船団と大筒の火力の前に屈したのだ。
ともあれ、左近率いる熊野軍よりも現地を治める八代勢の方が城下町の地理は知り尽くしている。それ故に城下町に伏せていた左近たちはすぐに八代勢に捕捉され、苦境に立たされることとなる。
八代勢と熊野軍が噛み合っている間に、光教は悠々と湯山城に入城した。
「これで荒山峠の越中軍は死に体でしょうな、渡殿」
光教の隣で長続連が大笑する。此度の氷見強襲において船団の運用と管理を担当していた。
「ああ、この氷見への上陸は此度の防戦の要であった。氷見が落ちた以上、戦略を覆された玄仁や義綱は慌てふためくであろう。ここまでくれば、私たちが成すべきことはない。後は天と時の流れに任せるだけだ」
「あの〜光教様?島左近はどうするんですか?彼女は知勇兼備で知られた名将。放置すると厄介になると思うんですけど……」
「島左近は私達が手を下すまでもない。これはけして傲慢などではない。先ほど八代俊盛に伝者を送っている。『島左近を討ち取るないしは捕らえなければ、貴殿の帰順を認めぬ』とな。こうしておけば、八代勢は死にものぐるいになって島左近を攻め立てるであろう。何しろそうしなければ、帰るべき地を失うのだからな……」
懸念する教連に光教は断言する。
現状、左近率いる熊野軍はまだ城下町に潜伏しているが、その数は大いに減らされ二百にも届かない。これは八代俊盛でも十分刈り取れる数である。
「むしろ、懸念するべきは荒山峠にいる星崎昭武率いる越中軍だ。熊野雷源には及ばぬであろうが、兵の質は此度の戦に参陣しているどの軍よりも高い。あの馬鹿と足並みを揃えねば、万が一もありうる」
信奈もそうであるが、昭武のことも光教は評価していた。
美濃動乱における挟撃策に、金ヶ崎の退き口での二面策。
戦況に応じた判断を断行できるその能力は味方に回せば頼もしいが、敵に回せば厄介だと見ていたのである。
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氷見、陥落。
この凶報はすぐさま、各軍に広まる。最初に届いたのは氷見に一番近い荒山峠で鎬を削っていた穂高隊と越中軍であった。
「だははははっ!渡のやつ、やりやがった!」
井ノ口との一騎討ちから数日で傷を癒し、戦陣に復活していた穂高が大笑する。その隣では好々爺然とした老将が茶を嗜んでいた。
「さすがは大殿といったところでしょうか。これで、越中軍を挟撃できますな。はてさて、殿はどうなされます?」
「わかりきったことを聞くなよ、直成。すぐ強襲するに決まってんだろ?」
「はぁ、やはりそうでありますか。であれば殿、準備はすでに下々に命じておりますれば、一刻ほどお待ち願いとうございまする」
島々直成。元は松本平に割拠した小笠原旧臣であったが、武田に服することを望まず、穂高らと共に抵抗を続けた男。穂高とは違って華々しさこそなかれど、ともすれば勢いに任せて突っ走ってしまう穂高の脇を固める良将であった。
穂高が嬉々として攻勢に出ようとする一方、昭武たち越中軍は騒然としていた。
「氷見が落ち、左近の行方も知れず。見事に戦況を覆されたな……」
穂高らが築いた砦の直下に設営した本陣にて昭武は苦々しげに歯噛みしていた。
氷見は昭武達、越中軍の兵站拠点であった。ここを落とされたのは非常に厳しい。
前には穂高、後ろには光教。いずれに抜けるとしても苦戦は必至。まるで金ヶ崎の退き口の焼き直しで、昭武が判断をし損ずる、あるいは遅れると越中軍は壊滅の憂き目に遭うだろう。
「昭武殿、如何いたしますか?」
「氷見にとって返す。穂高を離して到着すれば、数は互角。左近を拾って越中に帰れるだろう。ここの陣は捨て置け、胴丸も身につけていないなら放置しろ。着直す時間も惜しい。糧食と武具だけを持っていくんだ」
井ノ口の問いに昭武はすぐさま答える。
巧遅よりも拙速を尊ぶ。今回の昭武の決断はそれであった。
「それでは、伝えておきまする」
こうして越中軍は四半刻もしないうちに隊列を整え、荒山峠を下っていく。直成が穂高に要求していた一刻が過ぎた時には、穂高隊と半里もの差をつけていた。
「くそっ!昭武のやつ一目散に逃げやがった!」
越中軍の本陣跡で穂高は地団駄を踏む。周囲に散見できるのは放置されるがままになった足軽達の荷物や雑に引き倒された陣幕。その光景は昭武と井ノ口が厳しく足軽達に持ち物を軽量化させるよう努めた結果生じた物であり、彼らの才幹のほどが伺い知れる。
だが、それでも覆された戦局を好転するには至らないだろうことは穂高にはわかっていた。
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