エピローグみたいな感じですね。
では、どうぞ
焼け落ちた清水寺で、松永久秀は信奈に再度降伏した。
信奈が久秀が仕えるに値する武将であることを半兵衛やフロイス、白雲斎が身を以て証明したからこそのこの降伏であった。
清水寺の戦いが終わると信奈は御所に参内するために自らに正四位下・弾正大弼を、良晴には従五位下・筑前守を、光秀には惟任の姓と正六位下・日向守を与えさせ御所に参内し、今川義元は無事に将軍宣下を受けることができた。
これで織田連盟は今川幕府を傀儡とした織田政権に発展を果たす。
後日、参議・琴平宗方が近衛前久に働きかけるような形で雷源もまた従四位下・左衛門中将を、昭武には従五位下・越後守を、桜夜にも昭武と同位の越中守を与えられた。
琴平宗方はその苗字から分かるように琴平姉弟の実父であり、飛騨の公家屋敷に住んでいた時分に、雷源に乞われて学び舎の講師をしていた人物であった。
「まさか、京で雷源どのと子供達に会えるとは思わなんだ」
「この前、上洛した時は顔を出せなくてすまなかったな。偽報に踊らされて帰らざるを得なかったんだ」
雷源と宗方は久闊を叙したのち話し合い、熊野家の在京武将は宗方邸に滞在することとなった。
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「はあ……」
京に新しく与えられた屋敷で、島左近は昭武から送られた書状を片手に溜息をついていた。
清水寺の戦いののち、筒井家もまた昭武を窓口に降伏を打診し織田家臣となっていた。
「どうしましたか左近?」
「順慶様でしたか。なんか織田家臣になってから仕事に身が入らなくて……」
昭武からの書状の内容を言うには憚られたため、左近は咄嗟に嘘をついた。
「そうですか。まぁ誰しも初めての家では戸惑うものです。私も家臣の仕事なんて生まれて初めてですから正直てんてこ舞いですよ。焦らず行きましょう」
順慶は優しく左近に言葉をかけるが、左近は自らの不調の理由はわかっている。
(星崎どの、なんて書状を送って来たのよ……!)
昭武から送られた書状は左近に対する引き抜きであった。
今まで左近は何度か同様の内容の書状をもらったことがあるが、今回のものは特別だった。
(私は二君には仕えない。そう思っているけれども……)
その有能さと多聞山城で見せた行動力、そして何よりも伏見で預けてくれた信頼。
それらは左近にとって非常に快いもので、忘れがたいものであった。
(ああ、やっぱり左近は昭武どのを憎からず思っているみたいですね……)
そんな左近を順慶は温かい目で見ていた。
左近が自分に嘘をつく時を順慶はだいたい予想がついている。
順慶の自分に身近な人間相手の洞察と情勢判断の手腕は、左近にも勝る。これは十にもならぬ年から大名をやってきた経験がもたらした余禄であった。
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遡ること数時間前。
「やはり、半兵衛を諦めるべきではなかったかな?」
伏見での大苦戦を思い起こして昭武はひとりごちた。
(あの時、結城忠正は完璧にオレたちを対策していた。順慶どのや左近どのがいなければ、間違いなくオレたちは敗退し、その結果、織田政権が瓦解していたかもしれない)
雷源の軍略は紛れもなく非凡なもので、確かな戦果を約束するものではあるが、それは相手が雷源の軍略を知らぬ者、知っていても対策を立てられない者だった場合に限られる。
(多分、親父はそれがわかっていて半兵衛を引き抜けと言ったんだろう)
仮に、熊野家が半兵衛を引き抜けたなら熊野家の軍略の型が雷源式と半兵衛式の二つになる。それでも対策されることはあるが、行き詰まることは少なくなるのは疑いなかった。
(ついでに言えば、熊野家の人材にも偏りがあるからな……)
熊野家の人材は概ね二つに分けることができる。
一つは、雷源を中心とする越後や一揆衆時代からの家臣。この区分には主に、一義や長堯、四万、山下時慶が挙げられる。
二つは、昭武を中心とする若い世代の将たち。こちらは桜夜や長近、井ノ口が当てはまる。
どちらも大将とそれの代わりを務める副将、戦術の駒足り得る猛将、戦に必要な物を整える幕僚は備わっている。しかし、ただ一つ、それらを勝利のために有機的に動かす軍師だけがいなかった。
(ただ、軍師と言っても並みの軍師ではダメだ。この乱れた天下を泰平に導くんだ、この大業を成すにはやはり今孔明とあだ名された竹中半兵衛ぐらいの軍師でなくては荷が勝ちすぎる)
昭武は今まで見聞きしてきた人物たちを脳裏に思い浮かべる。
(思い当たるのは、やはり島左近か。畿内のめまぐるしい権謀術数の海を順慶どのを担いで泳ぎ切ったその手腕は山本勘助など他の軍師では持たざるものだ。天下となるとやはり畿内の権謀術数と関わざるを得ないから、いつかは必要になる。それになによりも伏見で采配を預けた時、不思議と嫌悪感を全く感じなかった。軍師は主君の生殺与奪を預かる存在。左近ならば任せてもいいかもしれない)
「まぁ左近どのは義理堅いから話を受けてはくれなさそうだがダメでもともと。一度だけ勧誘してみるか」
だいたいこんな経緯で左近に書状が送られたのだった。
米
書状を送った翌日、昭武は単身左近の屋敷に赴く。
左近の屋敷は昭武たちが宗方邸に移った時に空いた物を転用しているため迷うことはなかった。
「来たわね……」
屋敷の門前で左近が昭武を待っていた。
多聞山城で痩せ衰えた体躯は数日間の休養を得たことで、今はすでに回復している。その姿は美麗な姫武将が多く所属している織田政権でも頭一つ抜きん出た美しさを有していた。
「その様子だと書状は読んでくれたみたいだな。これから話すことはできれば余人には聞かせたくないことだ、人払いは済んでるか?」
「ええ、入って」
左近に促され客間に通される。疑ってこそいないが、一応周囲の気配を伺ってから昭武は腰を下ろした。
「では、話させてもらおう。……と言っても、一言で済んでしまうことだから、屋敷の中に入る必要はなかったかもしれないが」
昭武は軽く咳払いをすると、左近を正面に見据える。
「左近どの。オレを泰平の世を齎す英傑に導いてくれないか?」
言い終わると昭武は静かに跪いていた。
「オレが命運を預けても良いと思える軍師はしばし考えたが左近どの、貴女しかいなかったんだ」
「……っ!」
昭武の言葉は左近を激しく動揺させた。
(惜しいわ、昭武どの。もし私が飛騨に生まれていれば、或いは貴方が大和に生まれていれば、私は貴方にこの忠義を捧げたでしょう。けれど……)
現実はそううまくいかなかった。
昭武は越後に生まれて飛騨に流れ、左近は大和で筒井順慶という昭武とはタイプが違うがとても仕えがいがある主君を見つけた。
いかに左近の心が惜しんでも、頑強な理性と矜持は一度仕えた主を捨てることを許せなかった。
「……ごめんなさい。その話、聞かなかったことにするわ……」
「……左様か。では、オレは屋敷を出よう」
残念がりながら昭武はそのまま屋敷を辞した。
一人部屋に残された左近もまたそのまま部屋に留まりしばし時を過ごした。
米
その日の晩、左近のもとに順慶が訪れた。
左近は寝る寸前だったが、周章てて飛び起き順慶と対面した。
「順慶様、こんな夜更けにどうしたのですか?」
「明日の朝にしようと思ったけど、大事なことだから今すぐ来たの。左近、心して聞いてね」
順慶の言葉に背筋が伸びる。何か企んでいるのではないか、と左近は気が気でなかった。
実際のところ順慶は確かに何かを企んではいたが、それは左近の思うようなことではなかった。
だが、それは後になって分かることで現に左近は緊張している。
「貴女をクビにするわ」
一瞬、時が止まった。
(え、クビ?どうして?私何かした?それとも誰かに讒言された?)
いくら突拍子なことをするのに定評のある順慶の言にしたってこればかりは信用することはできなかった。
「どうして、ですか。私に何か、落ち度がありましたか……?」
「貴女に落ち度はありませんよ。しかし、大名から一武将に転落した私では、もはや貴女に棒禄を払えないんです。それに、大和統一という夢を捨てた今の筒井家には貴女の居場所はもうありません」
「だったら、棒禄なんていらないから隣に侍らせてください……!」
「ダメです。それが知れ渡ってしまえば、私の武将としての評判が落ちてしまいます。流石に功に見合った禄を払わないのは武将としてはまずいですから」
これでもかとばかりに順慶は左近を突き放す。
全て演技に思えるかもしれないが、順慶の言葉は棒禄に関わること以外は本心であった。
(今の貴女には筒井家よりもふさわしい場所が現れました。松永による貴女の評は私も知っています。確かに私では左近の才の枷になってしまうことでしょう)
やはり順慶は左近をもう自分のもとに縛り付けたくはなかったのだ。無論、親友を手放すことは自らの身を切るほどの痛みを伴うが、今の順慶は全くおくびにも出さず、世間体にこだわるやや酷薄な武将を演じていた。
(私はこんな不器用な送り出し方しか知りません。他の送り出し方では、貴女がこっちに戻って来てしまうから。貴女は私に十分に仕えてくれました。ですから今度は、私にそうしてくれたように昭武どのを支えてやってください)
そう願いつつ、順慶は懐から書状を取り出して順慶に手渡した。
「これは、私が書いた貴女の推薦文です。これを持って織田政権の他の武将に駆け込んでください。さすれば貴女のことですから、信奈様でも、長政様でも、昭武どのでも快く家中に迎え入れてくれることでしょう。……今挙げた三家のうち、とりわけ熊野家が飛騨は寒いと聞きます。くれぐれも風邪を引いたりしないように」
順慶が優しく微笑む。
「…あ…あ…あ、順慶様……!」
事ここに至って左近は順慶の意図を読み取った。そして嗚咽した。
(ありがとう、順慶様。そしてごめんなさい……!)
左近はすぐさま屋敷を出て、宗方邸に向かった。しかし、そこに昭武の姿はなく、門番に言われたとおり順慶は焼け落ちた清水寺の跡地に向かった。
「昭武どの!」
左近が昭武の姿を捉えたのは清水の舞台で昭武はそこで満月を見ながら一人酒をしていた。
「ん、左近どのか、よくもまあこんなところにわざわざ……、何か用でもあるのか?」
突然の左近の登場に昭武は目を見開く。
「決めたわ。私、貴方に仕えることにする」
「心変わりしてくれたのか、ありがたい。……だが、順慶どのたちが、許してくれたのか?」
「ええ、順慶さまは許してくれた。宗厳も多分許してくれていると思う」
左近が頷きを返すと、昭武は懐から杯を一つ取り出し、酒を注いだ。
「ならば一緒に酒を飲もう。月も良い具合だしな」
「そうさせてもらうわ」
昭武の隣に左近が腰掛け、杯を受け取る。昭武はそれを見届けると杯を天に掲げた。
「その杯を受け取った以上、これからのオレたちは同志だ。共に泰平の世を、まばゆき新しい時代を見に行こうじゃねえか」
昭武と左近が乾杯して、同時に酒を飲む。
二人ともこの月夜の酒の味を生涯忘れることはなかった。
読んでくださりありがとうございました。
三章はこれで終わりますが、次の章は原作沿いで金ヶ崎か、雷源伝の補完もののどちらかにするか悩んでいて未定です。
誤字、感想、意見などあれば、よろしくお願いします。