オリ大名をブッこんでみた。   作:tacck

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第二十五話にして三章の始まりです。
今話ではまだ上洛は行いません。幕間のような感覚で見ていただけると幸いです。

では、どうぞ


第二十五話 十年

織田信奈が稲葉山城と井ノ口の町を岐阜城と岐阜の町に改名した頃、飛騨では雷源宛に二通の書状が届けられていた。

一通目は、織田信奈から室町幕府十三代将軍、足利義輝が松永久秀と三好三人衆に襲われるものの、命を拾い「松永と三人衆への仕置は他日を期す」と言い残して、敦賀港から一族と一部の家臣を引き連れて明国に逃走したという知らせで、これは雷源を大いに驚かせ、「一つの時代が終わった」と痛感させた。

二通目は、越中守護代である神保長織と越中の一揆衆の頭目が連名して書かれていたもので、杉浦玄仁率いる加賀の一揆衆が神保氏と越中一揆衆を圧迫しているので、救援してほしいというものであった。

雷源が十年前に加賀一揆衆を抜けて以来、加賀一揆衆と越中一揆衆は同じにゃん向宗でありながら対立を続けている。戦況は基本的には加賀一揆衆が優勢なものの、越中一揆衆はここぞというところで逆転勝利を収め続け、今日まで存続してきた。

しかし近年になるとそれもやや厳しいものとなる。越中東部を中心に豪族が越後の軍神、長尾景虎に服従し始めたのだ。これにより越中一揆衆の力が減退し、越中最大の武家の神保氏が一揆衆に味方しても、玄仁の前に膝を屈しようとしていた。

雷源は二つの書状を並べて見やる。

 

(一つ目に関しては言うまでもない。この機に織田信奈は上洛を実行するのだろう。幸いにも織田家は今川義元を手元に持っている。吉良家は絶えて久しく、御所はなし。今川義元が将軍になっても反発はあるだろうが、問題はない)

 

二つの書状のうち雷源を困らせたのは後者、越中からの援軍要請であった。

 

(これは、織田信奈からの書状とは両立するには難しいものだ。上洛するには熊野の名だたる将と大軍が必要となる。それに織田信奈は即断即決の将であるからおそらく一月後には上洛が始まるだろう。それまでに玄仁を追い返すのは至難の技だ)

 

だが、雷源はあまり断る気にはなれなかった。雷源は今の一揆衆に対して忸怩たる思いを持っていた。

 

(たとえ自ら望んで植えたものではないにしても、対立の種を蒔いたのは俺だ。そして俺は育むでもなく引っこ抜くでもなく放置した。そのツケが今の事態だ。けじめをつけるべきではないか?)

 

数時間か雷源は悩んだ末、ついに小姓に命じる。

 

「越中一揆衆と神保長織に加勢する。兵は四千で俺と長堯と虎三郎が出る」

 

昭武たち美濃組約四千は未だ飛騨に戻って来て間も無く、連戦はさせられない。されど長近や塩屋秋貞、山下氏勝による内政のおかげで今の飛騨の動員兵力の限界が統一直後より遥かに膨れ上がっていたため、まだ大軍を出すだけの余力があった。

 

「皮肉なもんだ。戦を嫌って飛騨に逃げたというのに、昔より大きな軍勢を率いて戻るとはな……」

 

そうボヤく雷源。雷源は天命だとか運命というものを信じる性質ではないが、ここまで舞台を整えられると何やら不思議なものを感じざるを得なかった。

 

********************

 

雷源の軍勢は松倉の町、高原諏訪城を経由して神保氏の富山城に入城した。

城内に入った雷源を越中一揆衆は大歓迎した。一揆衆の大部分が「北陸無双」熊野勝定の帰還を待ちわびていた。勝定さえ帰って来てくれたなら今まで圧迫してきた加賀衆の頸城から抜け出せると信じていた。

 

「勝定、いえ雷源様、あなた様の帰還をわたしは心待ちにしておりました!」

 

その例の一つとしては、雷源の前で感極まって涙を流している二十代前半ぐらいの女性が挙げられるだろう。彼女に雷源は見覚えがあった。

 

「お前は、確か四万だったか。朝日山城でよく昭武たちに手料理を振る舞っていたな。あの後、越中一揆衆になっていたか」

 

高知四万。雷源が越中にいた頃、雷源の侍女をしていた少女であった。高知氏という越中でかつて没落した名家に生まれた高貴な血筋の持ち主ではあるが、なぜか同時にどこにでもいそうな町娘と同じ雰囲気を持つ彼女を雷源は好んで重用していた。

 

「はい。わたしは飛騨には越中にいた一族が反対して行けませんでしたが、どうにか首が繋がって今日に至ります。そして恥ずかしながら今はこのわたしが越中一揆衆の頭目を務めさせていただいてます」

 

「四万が頭領だと⁉︎書状には別の名前で書かれていたが」

 

四万の話は雷源を驚かせた。十年前の彼女はまだ子供に過ぎず、昭武と優花のいたずらに振り回されている姿ばかり目についていた。だが、その彼女が越中国内では神保家、椎名家に並ぶ勢力の長に成り上がっていたのだ。

 

(昭武たちにも思うことだが、時の流れとはこうも人を変えるものだな…)

 

しかし、雷源に懐かしさに浸ることは許されなかった。

玄仁率いる加賀衆六千が朝日山城を越え、富山城に軍を進めており、策を考える必要があったのだ。

 

(富山城の西には神通川が流れていたな……。上手く使えないものだろうか)

 

そう考えている時、井ノ口が「殿、臣に策がありまする」と言って雷源の部屋を訪れた。

井ノ口の策を聞いて雷源は「それが良い」と鷹揚に頷いていた。

 

 

雷源が入城して三日後、玄仁率いる加賀衆は神通川の西岸に本陣を築いていた。対岸に当たる東岸では、熊野菱と高知の四つ目結の旗が翻っている。

加賀衆もまた雷源が抜けてからの十年間で幾ばくか変遷があった。

頭目が玄仁なのは変わらないが、雷源が去ってすぐに宗滴が大聖寺城を抜いて尾山御坊を攻囲したり、竜田広幸が玄仁に反旗を翻して失敗し、能登の荒野に開拓村を築き上げたりなど様々であった。

 

「まさか勝定、いえ雷源が北陸に帰ってくるなんて……」

 

三十路間近となった玄仁は恐怖していた。この十年間で玄仁が恐れていたことが現実となりつつある。あの熊野勝定が力をつけて自らと相対している。

十年前、玄仁は初めは味方、最後は敵として熊野一党を見て来た。ゆえに雷源の恐ろしさをもっとも知っている人物の一人である。

 

(けれど、十年前とは私も戦い方もだいぶ変わった。だから勝定のその実力が今になって通じるとは限らない)

 

玄仁は自らにそう言い聞かせ、身体の震えを抑え込んでいた。

 

翌日の早朝。戦は神通川を挟んだ射撃戦から始まった。

両軍の鉄砲と矢玉が水面上を飛び交う。鉄砲もまた雷源がいない十年間の間に北陸に普及したもので、上方からやってきた鈴木重泰という姫武将が持ち込んでから今に至る。

両軍の鉄砲の数はそれぞれ五百艇はくだらない。練達した兵が少ない一揆衆の中で鉄砲は古強者と新兵の差を帳消しにでき、弱点の補完ができるために北陸は九州と並んで日の本の中でも早く普及が進んだ。

 

「この十年の間で本当に戦のやり方が変わったのだな……」

 

長堯は竹束の陰に隠れて銃弾をやり過ごしながら呟いた。

今までの自分たちの戦の作法がこの銃撃戦では全く通じないのである。戸惑いを隠せないのも無理があった。

 

「射点、敵右方に集中!」

「熊野軍と射点を合わせて!」

 

それに対して井ノ口と四万は堂々と鉄砲隊を指揮していた。井ノ口は八日町の後の論功行賞で熊野家が持ち得る鉄砲の全てを与えられていた。初め、井ノ口は鷹狩りなどで銃を撃つことそのものを楽しんでいたがすぐに物足りなくなり、いつしか金環党の兵を精鋭鉄砲隊に作り変えることに心血を注ぐようになった。その結果今では織田信奈麾下の滝川一益の鉄砲隊と同等の練度を誇っている。

四万もまた鉄砲隊の運用で度々越中衆を勝利に導いた将であり、本猫寺全体の中でも上位の実力を持っていた。

 

「熊野一党は鉄砲隊までもこんなに強いのか……!」

 

井ノ口の奮戦は玄仁の隊の動揺を誘った。この十年間で北陸の戦のやり方も変わっていたが、熊野一党の顔触れも変わっている。そこに玄仁は気づけなかった。

また、満遍なく銃撃を行った玄仁軍に対して井ノ口は敵左翼を集中的に狙ったため、後半になると敵左翼が使い物にならなくなり、中央の部隊は前と左から銃撃を受け、大きな被害を受けた。

 

夜になると暗闇で鉄砲が撃てなくなるために、両軍は帰陣した。

だが、熊野軍は帰陣してすぐに玄仁軍に攻撃を仕掛けた。

両陣の間に流れる神通川を雷源と井ノ口の騎馬隊三千が渡河する。

 

「やっぱり来たわね!密集して神通川の方角に向かって斉射!」

 

玄仁はこの夜襲があることを織り込み済であった。雷源の用兵の癖として最終局面はおおよそ奇襲を用いることを知っていたからである。

玄仁は暗夜の中、弓隊を率いて神通川に向けて斉射した。

 

(このあたりの神通川の水位は平均的な足軽の胸までの高さがあるわ。これだけの水位があれば鉄砲を担いで渡ることもできない。夜襲はあったとしても速度を重視して騎馬で行うのはわかっていた。さすがの勝定でも渡河中に逆撃を被ればひとたまりもない!)

 

しかし。

玄仁の予想と反して神通川の方角から銃声が聞こえた。

玄仁の兵が次々と銃弾に倒れていく。

 

「どうして?渡河中に鉄砲が使えるわけがないでしょう⁉︎」

 

この渡河中の銃声にはタネがあった。

先ほど井ノ口が金環党を精鋭鉄砲隊に作り変えるのに心血を注いだ、と書いた。だが、育てられていたのは人間だけではない。騎馬もまた鉄砲の轟音に耐えられるようになっていた。

これは井ノ口の意図するところではなく、ただ厩の隣の敷地で射撃訓練を行ったことによる余禄であった。

ともあれ、これに気づいた井ノ口は簡素なものであるが、鉄砲騎馬隊を創設した。この鉄砲騎馬隊以下略して鉄騎隊が此度参戦しているのである。

神通川の水位は足軽では胸まで浸かる。されど馬ならば騎乗する兵の足が水に浸かる程度に収まる。馬上から鉄砲を撃つことに支障がなかった。

 

「あの松明が我々に敵の居場所を教えてくれる!皆の者、撃て!」

 

井ノ口が軍配を振り下ろす。

暗闇の中で松明を掲げている玄仁の陣はよく目立つ。それに対して玄仁が神通川の井ノ口隊に向かって銃弾や弓を放っても暗闇のため精度が格段に落ちる。もはや玄仁軍はただの的に成り下がっていた。

 

「虎三郎がよくやってくれたみたいだな」

 

さらに雷源が神通川の上流を渡河して玄仁の背後に回り込んで陣を包囲し、攻撃を仕掛けたため玄仁軍は潰乱した。

 

********************

 

夜が明けると、玄仁の陣には多くの兵が横たわっていた。その数は千はくだらない。それに対して熊野軍は百人程度死傷者が出た程度で稀に見る大勝利と言える。

戦後、雷源は朝日山城まで進軍してこれを占領した。玄仁は敗残兵を率いて加賀に撤退するのに必死で雷源の進軍を止めることが出来ず、結果的に越中から玄仁の勢力は一掃された。

またこの大勝を知って長尾家に敵対している越中の豪族が次々と雷源に降った。神保家と四万率いる越中にゃん向一揆衆も雷源に降ったのもその好例で、これらの豪族たちは雷源を反長尾の旗頭として担ぐことが目的であった。

かくして熊野家は主に越中西部の豪族をまとめる立場となり、北陸への地歩を固めるのだった。

 

 

所変わって越後、春日山城。

 

「勝定が、越中に戻ってきたか」

 

宇佐美定満は軒猿からの報告を受け取っていた。

定満と雷源はかつて親友同士だった。しかし雷源の一族が当時の越後守護代で長尾景虎の父、長尾為景が熊野家を雷源だけを残して滅ぼしたことがきっかけに為景に対する対応で仲違いし、ついに親不知で袂を分かった。

 

「あいつが越中じゃなくて越後に帰ってきてくれたなら、楽でいいんだが」

 

されど、定満は雷源との友誼を捨てきれずにいる。

 

「宇佐美さま。熊野勝定は為景さまを討ち取った男です。お嬢様が義将を名乗る以上、必ず倒さねばならない相手ですよ?あなたの気持ちはわかりますが、彼が越後に帰参することはかないません」

 

直江大和が定満のつぶやきを否定する。

 

「そりゃあ分かってるがな直江。俺はなぜ今、勝定が越中に舞い戻ったのかわからねえんだ。あいつは戦を厭っていたはず。だのに、越中を自らの手に収めた」

 

「おそらく、星崎昭武の意向でしょう。熊野勝定は文武両道の将ですが、自ら乱世に乗り出そうとはしませんでした。しかし、星崎昭武は違うようです」

 

「熊野雷源、おとちゃを討ち取り、越後を再び乱した男……」

 

定満と直江の議論をよそに一人の少女が物憂げな表情を浮かべていた。

銀髪に紅の瞳、色素のない体躯。

この少女こそが長尾為景の娘、長尾景虎。

越後の龍、あるいは軍神と称される不世出の戦巧者であった。

 

(わたしは必ずこの者と戦うことになるだろう。この男は武田晴信とはまた違った形でわたしと相容れない)

 




読んで下さりありがとうございました。
今話でついに彼らが登場しました。雷源伝を書いたのも当時、二章の後半で彼らと戦うことを予定していたからです。ですが、三章では彼らの出番はこれっきりです。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。

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