今回も文量少なめですが、次話多めにするので勘弁して下さい。
飛騨国、高原諏訪城。
「氏理を捕らえられなかっただと⁉︎ このたわけが!」
江馬家当主、江馬輝盛は報告にきた足軽を怒りのあまり蹴り飛ばしていた。
「輝盛様……お許し、を……」
輝盛は現代の単位で言えば、2メートルを超す体躯を持つ。その巨体から繰り出される蹴りは、元服して間もない足軽には耐え難いものがあり、足軽は呻きながら許しを懇願する間に失神した。
「せっかく内ヶ島を潰したというのにこれでは楽しさも半減ではないか……。美貌で知られる氏理を侍らせて楽しもうと考えていたのが台無しだな…」
輝盛の性格は兇悪の一言に尽きる。捕らえた姫武将を幾度も犯し、商家から財貨を徴発したこともしばしばといった具合で、姉小路頼綱が存命の時でも彼がその凶行から飛騨で一番恐れられていた。だが、そんな彼でも一つ踏み越えない一線を定めていた。
(認めた相手には仏のように)
もっともそれに値する相手は飛騨国内では初陣の頃から幾度も互角の戦いを繰り広げた姉小路頼綱しかいなかったのだが。
「頼綱め、我との決着をつけぬままに逝きおって……、飛騨の王は我かお前以外には認めぬ。余所者共を皆殺しにしてそのことを示してくれよう」
輝盛は酒を片手に、決意を固めるのであった。
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飛騨桜洞城の空気はひりついていた。
桜夜や長近といった文官の働きができる者は、新しく得た鍋山旧領の統治と対江馬決戦の準備に忙しく、優花、一義、長堯、井ノ口ら武官は兵の訓練の熱を入れている。
昭武もまた桜夜に引きずられて書類仕事をさせられていた。
「なぁ桜夜、この仕事はいつになったら終わるんだ?」
「いつ終わると言えば、対江馬決戦の戦後処理が終わるまででしょうか? 江馬家が戦わずして降伏でもすれば短縮はするでしょうが……」
「ようは当分終わらんということか……」
「まあ頑張って下さい。大名家の当主になれば、好む好まざるとに関わらず書類仕事は付いてきますから。此度でその経験を積むことが出来ると考えればいいんじゃないでしょうか?」
「んー、大名になればアレを使いたいもんだな。関東で北条家が使ってるやつ」
「印判ですか?あれは熊野家にはまだ無理です。あれは主家に絶対的な権力があってはじめて効力を発揮するのです。仮に今、熊野家が印判を使い始めれば、侮られてるとみて豪族の反感を買いますよ?」
「マジか……」
「昭武殿が大名になった時に印判を使いたければ、此度の戦で江馬家を完膚なきまでに叩きのめすことです。そうすれば印判を使うに足る権勢を熊野家が持つことができますよ」
「そうか、なら話は簡単だな。そうだ桜夜、少し井ノ口のところに行ってくる。兵の訓練の仕事もオレの仕事の範疇だ」
「ちょ、昭武殿待ってください。まだ書類終わってないですよー?」
「訓練終わったら行くわ」
昭武は桜夜を顧みず、練兵場に駆け込む。ここで一度顧みてしまうと書類仕事から逃げられなくなることを分かっていた。
一方、熊野雷源は厄介な人間と対峙していた。
「雷さん、聞いてよ〜。輝盛の豚野郎がウッチーのお城を分取っちゃったんだよ〜。許せなくな〜い?」
「まあ許せることではないが、落ち着いてくれると助かる」
「これが落ち着いていられるか〜!」
(はぁ……。ガキの相手は今までにも結構してきているが、どうにもこいつは苦手だ……)
雷源が心中でぼやく。
(まさか殿のこんな姿を見ることになろうとは……、天下とはかくも広大なのだな)
普段、相手を振り回す側の雷源が頭を抱えているのを長堯は驚愕の目で見ていた。今雷源を振り回している少女こそが、行方不明だった内ヶ島家当主、内ヶ島氏理であった。
「それで、氏理どのの用件は内ヶ島旧領の奪還ということでよろしいか?」
「うん!あとできれば豚野郎の首も見てみたいな〜」
「それならば多分叶うだろうよ。近々、江馬が南下してくる。その時に迎え撃てばよい。奴を潰す算段はすでにつけてあるしな」
「わ〜!さっすが雷さん!北陸無双の侍大将!」
「と、言うわけだから落ち着いて待ってろ。寝るのもいい。諺でも言ってるだろ? 果報は寝て待てってな」
「わかった!で、私はどこで寝てればいいの?」
「長堯、案内してやれ」
「はっ」
長堯に引き連れられ氏理は謁見の間を後にする。それを見送ると、雷源は足をひょいと投げ出し、寝転んだ。
「姦しいガキだった。無害っちゃ無害だが、身近に置きたくはないな……。戦後は帰雲城だけ与えて放置、だな。だがまぁこれで江馬家の領土を食う大義名分は出来たからよしとするか……」
この戦乱の世と言えど大義名分は馬鹿にならない。特に熊野家のような下剋上で成り上がった家には必要である。大義名分がなければ、たとえ善政を敷いていたり、他家と公正に付き合っていたとしても他家からの信用を得られなくなるからだ。
(あいつらには才がある。俺がまだ生きていられるうちにあいつらが十二分に才を振るえるように整えなくちゃな……)
近年、心の臓の痛みが再発しつつある。あと何年俺はあいつらと一緒にいられるのだろうか。雷源は一抹の不安を感じていた。
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美濃、稲葉山城。
斎藤道三、利治親子は雷源からの使者が持ってきた書状とにらめっこしていた。
「父上、雷源どのからの援軍要請、如何いたす?」
「援軍を出す。迷うこともない。ワシと利治どので兵は五百じゃ」
「即断即決とはあの二人に随分と情が移りましたね」
「いやいや、まだそこまで老いた覚えはないわ。十年前、北陸無双とうたわれた男を直で見たいと思うただけよ」
利治にからかわれるが、道三は言い返す。
(利治どのの言う通り、ほんの少しだけ、あの小童らを助けてやろうとは思うたがな)
「そうですか。ならば早く出陣をしましょう、父上。時間はあまり多くはないようです」
「うむ、そうじゃな」
利治に促されるような形で、美濃兵五百、出陣。
ここで舞台が戻って高原諏訪城。
「これより桜洞城に進軍する!この戦に勝てば、飛騨の統一は我に帰する!進めぇ!」
(頼綱よ。此度の戦はお前への手向けだ。お前亡き今、最早我らの戦いに決着をつける手段はお前が成しえなかった飛騨の統一を果たすことだけなのだから)
やや感傷的に、江馬軍三千、出陣。
そして桜洞城。
雷源の前で戸沢白雲斎が左右に配下の忍びを連れて、報告をしていた。
「そうか斎藤と江馬、どちらも出陣したか……。白雲斎、江馬家がどこから松倉の盆地に入ってくるかわかるか?」
「大坂峠ですな」
大坂峠は松倉の町北方の峠である。街道が通っていて、熊野家と江馬家の勢力の境目でもあった。
「うむ、なら道三殿には、松倉の町に布陣してもらうよう伝令を出せ。そこで我が軍と合流する」
「勝定よ。ということはあれか? 儂は国府のあたりで奴らの進軍を邪魔すればよいのだな?」
「察しが良くて助かる白雲斎。だが、その名はもう捨てた名だ。雷源と呼べ」
「ふふふ、からかって悪かった。では行ってくるとしよう」
白雲斎は笑いながら雷源の目の前から消えた。
「さて、俺らも松倉の町に向かうかね」
熊野軍千五百、出陣。
この時、松倉盆地に向かう二頭波頭、三つ鱗、四つ菱を掲げる軍の長それぞれの脳裏にある一つの地名が浮かんでいた。
八日町。何の変哲も無い場所だが、ここが決戦の地となることを鋭敏な感覚を持つ彼らは感じ取っていた。
読んで下さりありがとうございました。
二頭波頭は斎藤家、三つ鱗は江馬家、四つ菱は熊野家の家紋です。あと次話で一章が終わりになります。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。