第一話 星崎昭武
「……さ……ふがふが……は……ふが……る」
「わかったわ。『さ……(中略)……る』ね。あんたの名前はサルよ!」
相良良晴と織田信奈の出会いから時は少し遡り、所変わって飛騨の国東部、現在の地名で言えば平湯温泉一帯に星崎昭武は住んでいた。
当時の飛騨は概ね三つの一族が覇権を争っていた。
北飛騨を領する江馬家、北西飛騨を領する内ヶ島家そして飛騨南部を有し、飛騨最大の勢力である姉小路家。
星崎昭武が住む平湯温泉一帯は姉小路家の勢力圏の中にあった。
「天下はまだ乱れていて泰平は未だ遠い。飛騨もまた三家のもたらす乱で荒れてしまっている……。天下…までは望まぬが飛騨ぐらいは泰平であって欲しいものだ」
星崎昭武、当年以って十六歳。
生国は飛騨ではなく越後で、この飛騨には四、五歳の時に養父熊野雷源と義妹瀬田優花と共に移り住んできた、いわば流れ者である。
だが飛騨暮らしが長いのと養父の熊野雷源が昭武の住む村の村長だということで流れ者扱いを受けたことはなかった。
そして今、星崎昭武は熊野雷源の書斎に義妹の瀬田優花と共に集められていた。
「今、お前たちを集めたのは他でもない。此度のにゃん向一揆のことだ」
「はぁ…」
養子達にわざわざ格好つけて語る大男が昭武ら兄妹の養父、熊野雷源である。
苗字のためか熊の毛で織られた陣羽織、肩に虎皮の布切れを乗っけて髪を雑な茶せん髷にしている。
かつては越後でも知らぬ者がいないほどの武勇を持ち、数千の軍を率いたことがあった将であったが、当時の国主に反旗を翻したことを皮切りに流浪の身となり、十年前にようやくこの山国の片隅の村の長に収まった。
「お父さん、それぐらい予想がついてるからさっさと話してよ」
そんな親父を急かすのは瀬田優花。
昭武と同い年で、弓に優れた美少女として姉小路領に知られ、持ち前の明るく活発な性格で多くの人々から愛されている。
「なに雰囲気作りに過ぎんさ、では望みどおり話してやろう」
雷源は軽く笑うと話を始めた。
ーー雷源の話の内容はかいつまんで言うとこういったものだった。
今、飛騨全土で猫を愛でるという教義のにゃん向宗が流行っていて、豪族領民問わず信者がいる。かくいう熊野家もにゃん向宗の信者で寺に村の収益の一部を収めたりしている。
そんなにゃん向宗の過熱の中で、飛騨の隣国越中でにゃん向一揆が起きたようで、守護代の神保氏は対応に苦慮しているらしく、武家の統治に辟易してきていた飛騨の人々もそれを聞いてその流れに乗っかろうと既にいくつもの村が一揆の参加を表明していた。
だが、表明した村の人々は皆農民で戦の指揮ができるわけもないので、越後の落武者でなおかつにゃん向宗信者である雷源に指揮してもらいたいと懇願を受けていたのだ。
今回集めたのはその懇願を受けるか受けまいかそれを決めるためだ。
そして雷源は既に答えを決めているらしい。
「此度の願い……」
昭武と優花は息を飲む。
次の雷源の言葉次第で下手したら自らの首が飛ぶような事態になる。そう考えると緊張せずにはいられなかった。
「お前ら二人がやれ」
………。
「はい?」
昭武は咄嗟に聞き返す。
(いや、絶対言い間違いだよね?お前ら二人がやれ、じゃなくて俺一人がやる、だよね?)
だが、
「お前ら二人がやれ」
聞き間違いでは、なかった。
「いやいやいや、そもそも指揮できないから親父が指揮してくれって請われたんだよな?なのになんでオレたちが?」
「そうだよお父さん!あたしたち指揮どころか初陣すら済ましてないんだよ?まだあたし死にたくないよ!」
昭武と優花共に雷源に詰め寄る。
(あまりにも無茶振りすぎる。馬鹿なんじゃねえのこの糞親父)
「まあまあ、お前ら二人の言いたいことは分かる。だが、俺ももう年だ。それにそろそろお前らも初陣をしてもいい年だしな。指揮もそれなりにこなせるやつを連れてきたからさ」
「ううーーー!」
優花が唸るが、雷源は聞く耳を持たない。
「あっそうそう決行は一週間後、松倉の町の西南の松倉山らしいから忘れずにな」
話はこれで終わりとばかりに雷源は下女に酒を持ってこさせてぐいとあおる。
それからも優花は雷源に食いついてきたが、雷源は「これから用がある。邪魔してくれるな」と取り合わなかった。
(とんでもないことになったな……)
昭武はため息を吐くのみであった。
読んで頂きありがとうございました。
9/14に今更感が半端ないですが、改訂を行いました。