基本、能天気なくらいのほほんな作品にしたいと願っていますが、今回の話も必要かなと思いまして。
シャダイ様、評価とコメントありがとうございます。
一層奮励努力致します!
艦娘運用の黎明期、深海棲艦によって人類がほぼ全ての制海権を奪われつつあった時期があった。
その危機的状況下で編成されたのが、特別防衛艦隊という呼称の寄せ集めの艦隊である。
特別防衛艦隊などという大仰な名前とは裏腹に、その実態は次々と建造・発見される艦娘達の練成時間を稼ぐ為の捨て駒艦隊。
火力不足や性能面で不安のある艦娘、提督に反抗的な性格の艦娘等で構成された決死隊。
そのうちのひとりが、麻守が初めて指揮する艦娘、所謂初期艦である叢雲だった。
「……この鎮守府も久しぶりだわ。相変わらず狭苦しいわね」
司令棟の廊下を進む彼女は、そう悪態をつく。その声はどこか懐かしさを噛み締めているような響きがあった。
拠点となる予定の泊地が壊滅し、艦隊運用の前提条件が覆ってもなお、彼女達の役割は変わらなかった。むしろ、泊地の奪還・復旧が最初の任務となった分、状況は悪化したともいえた。
それでも彼女達は腐る事なく戦い続け、課せられた役目を果たした。
気が付けば、かつて捨て駒扱いであった彼女達は、今や海軍における随一の精鋭艦隊として各鎮守府を巡り、演習を通して艦娘の育成に従事しているのだった。
「しばらく会わないうちに、随分と弛んだお腹になったじゃない」
執務室に到着後、麻守を見るなり叢雲は目を細めて言った。
瞬間、麻守の額に冷たい汗が滲んだ。真っ直ぐ此方の目を見据える叢雲の視線から逃れるように無意識に目が泳いでしまう。
「相変わらず落ち着きがないのねぇ、大丈夫?」
冷ややかな口調で言うが早いか、叢雲はツカツカと麻守に詰め寄って左手を伸ばす。
無抵抗のまま胸ぐらを掴まれ、グイッと叢雲に引き寄せられた。
あまりに顔が近い為、麻守の視界は少しぼやけた叢雲の顔で埋め尽くされている。
形のいい叢雲の唇が僅かに動いて、麻守にしか聞こえない囁きを紡ぐ。
「皆は無事な様だし、お腹も空かせてないみたいね。アンタにしちゃあ良くやってるわ。誉めてあげる」
「いや、これは……」
何か言おうとする麻守を叢雲が視線で制する。
「皆のおかげとでも言うつもり?」
「ぬ……」
図星だったのか麻守は黙り込んでしまう。
「アンタが何と言おうと思おうと、今この鎮守府の全ては、アンタが愚直に積み重ねてきたものよ。だから……」
コツンと叢雲の額が、麻守の額にぶつかる。
「誇りなさい、アンタ自身を。……そうしたら、私は──」
視界が白く染まっていく。徐々に叢雲の声は遠く細く、儚く消えていく。
そうして、麻守は目を覚ました。
半分とろんとした瞳に飛び込んで来たのは、麻守を見下ろす二十の瞳と十の顔。
そのどれもが心配そうな表情だった。
その向こうに執務室の見慣れた天井が広がっていた。
ズキリと痛む後頭部が何かしら麻守の身に起きたのだと告げていた。
右手は真新しい電球を握っている。
天井からは電球が外された照明が所在なさげに揺れている。
麻守の足下には蹴倒されたように椅子が倒れている。
執務室の電球を替えようとして、踏み台にした椅子から落下してしまったのだろうか。
不意に、ギリギリと重く響いていた後頭部の痛みが消えた。代わりに、額がじんわりと仄かに温かい。
ああ、そうか叢雲のおかげかと麻守は思った。
先ほどの光景ははっきりと思い出せる。赤橙色の瞳、銀の髪、冷たさと温かさが入り混じった声……。
夢であれなんであれ、彼女の顔を見て、その声を聞いた。それだけでまた気力が湧いてくる。
次第に意識がはっきりしてきた麻守が、ゆるゆると身体を起こした。
九人の艦娘がゴクリと唾を飲む。
「あー……、何で儂はこんな所で倒れていたのかね?」
それが引き金となった。
艦種に関係なく、艦娘達が一斉に麻守に飛びかかり揉みくちゃにされる。
麻守を気遣う言葉を口にしながら、彼の無事を喜んでいた。
そうして、静かに執務室を後にした一人を除き、その場に残った者は誰独りとして気が付かなかったのである。この場を去った十一人目の存在を──
晩秋のやや穏やかな陽光に眩く煌めく海を銀の髪の少女が眺めていた。
鎮守府の建物を背にした埠頭の先、海へと続く緩やかなスロープを下り、海面に立つ後ろ姿は、凛々しくも美しかった。
潮風に舞う長い銀の髪がキラキラと陽光を反射して、まるで煌めく波に溶けてしまいそうな錯覚さえ覚える。
「もう行ってしまうのですか?」
そんな後ろ姿へ、赤城は声を掛けた。
「あら、気付いていたのね」
「ふふっ、一航戦を舐めてもらっては困ります。索敵は過剰なくらいで丁度いい……でしたよね初期艦殿?」
冗談めかした言葉は、少しだけ震えていた。
「会っていかないのですか、その為にわざわざ此方に立ち寄ったのでは?」
「そのつもりだったけど、皆の様子を見たらその必要はないみたい」
「そんな事は──」
「いいえ」
赤城の言葉は、叢雲の言葉で制止される。
「私はもう余所者なのよ。アイツの初期艦だったといえど、もう所属が違うのだから」
「皆さんはそうは思っていませんよ。提督だってきっと……!」
きっと……何だろう、その先は……。その先に続けるべき言葉を赤城は見失ってしまった。
「……あの艦隊への配属を止められなかった事、今も気に病んでいるんでしょう、あの間抜けは」
「……」
「ったく、いい気なものだわ!この私がすぐ傍に居てやったのに呑気に気絶して目を覚まさないし、よりによって私の夢を見てるなんて」
夢への出演料を徴収しなきゃ!と叢雲は苦笑した。
「……気を失ってる間、ずっと譫言で謝っていましたよ、貴女に」
「ええ、知ってるわ。だからアイツは間抜けなのよ。あれは命令!仕方ない事じゃないの」
何度、割り切りなさいと叱り飛ばしたことか。
「あの艦隊を、あの娘達を沈めない為にはそれしか無かった。それだけじゃないの」
叢雲は知っていた。
彼女が配属された特別防衛艦隊へ秘密裏に資源・資材を麻守が送り続けていた事。常に支援艦隊を出せるよう手配していた事。
凡庸以下の麻守が無い知恵を絞って必死に援助を続けてくれていた事。
いや、麻守だけではない。
心ある海軍の将兵全てが、全軍の盾となるべく奮闘する特別防衛艦隊に対して自身の身命すら惜しまない支援をしてくれた。
なんの事はない、捨て駒だと思っていたのは当の艦娘達だけだったのだ。
長期の防衛戦闘に耐えうる練度の艦娘の寄せ集めというのが、特別防衛艦隊の正体だったのである。
だから叢雲は必死に艦隊を叱咤した。必要であれば、弱気な司令官に酸素魚雷を向けもしたし、いじけた戦艦の頬を平手打ちにもした。
その結果が現在である。
大きく前線を押し返し、内地近海ではイ級の姿も珍しくなった。
「……いつか、いつの日か貴女も帰って来ますよね?この鎮守府へ」
「赤城……」
振り向いた叢雲の瞳が僅かに揺れた。
けれど、それだけだ。次の瞬間、彼女は姿勢を正し、凛として声を発した。
それは赤城の記憶に鮮烈に残る、この鎮守府最初の旗艦のなんら変わらぬ姿であった。
「一航戦・赤城へ、元麻守艦隊旗艦である特型駆逐艦五番艦・叢雲より伝える。平和な海を取り戻すその日まで、誰一人欠けること無く、誰一人沈むこと無く、戦い抜く事を望みます」
「一航戦・赤城、この誇りに懸けてお約束致します」
敬礼を交わす。
一瞬、陽光が視界を白く灼いた。
眩しさに目蓋を閉じる。
波の音が消えて静寂が辺りを支配する。
赤城が目蓋を開くと一面の蒼い海。
あの銀の髪の少女の後ろ姿は何処にも無い。
まるで白昼夢を見たように、赤城はしばらくの間、遠く水平線を眺めていた。
うわー……誤字発見したので修正開始します。
指令と司令を間違うとか叢雲さんに平手打ちされてしまう……