「どうも、恐縮です!大本営所属広報艦の青葉です」
そんな元気な挨拶が執務室へと響くと共に、麻守の災難は始まりを告げた。
「広報艦が当鎮守府に何の用ですかな?」
クリスマスも過ぎて日々の業務や年越し準備に追われる内地近海鎮守府に、大本営の広報担当が何をしようというのか。
正直、面倒は勘弁願いたいというのが麻守の本音であった。
つ
「いえいえ、お手間はとらせませんよ!ちょっと広報誌用の写真が欲しいだけですので」
「雑誌用の写真?」
本日の秘書艦の大井が眉をひそめた。
広報誌といえば、確か艦娘への理解を深めてもらおうと海軍の有志が中心となって発行している非公式の雑誌である。
「この度、広報誌が海軍の公式の書籍としてリニューアルされる事になりまして、各鎮守府に協力をお願いしているんです」
フンスと鼻息荒く青葉は言った。
どうやら、やる気が漲っている様子。
「ふむ、それならば北上が写真や動画を記録していたはずだから、訊いてみると良いでしょう」
「ありがとうございます」
麻守の言葉に笑顔で青葉が頭を下げた。
麻守が北上を呼んで来るように頼むと、大井は何やらぶつくさ言いながら執務室を出て行った。やがて、おずおずと青葉が麻守に声を掛けた。
「あのですね。出来れば麻守提督個人にも協力願えないかと……」
「む?」
はて?と麻守は首を傾げた。別に写真や動画を個人的に撮っているわけでもないのだ。協力は喜んでするが、麻守個人としては何も提供出来るものはないのである。
「麻守提督のお腹について色々と噂を耳にしてまして……」
「……」
「何でもお腹を触った艦娘を高揚状態にしてしまうとか」
青葉のその言葉によって麻守の目から光が消えた。
そういえばこの間、鎮守府に泊まった余所の艦娘と廊下でぶつかった事があった。
その際、麻守のお腹に触ってしまった艦娘が、キラ付け状態になった。その後の遠征はその艦娘の活躍で大成功に終わったそうだ。
(何やら嫌な予感がしますな)
いま、麻守のお腹の事を知っているのは大本営と麻守旗下の艦娘たちだけである。だが、もしも他の鎮守府の提督がそれを知ってしまったらどうなるか。
(間違いなく、お腹を揉みくちゃにされますな……)
しかも不特定多数の艦娘に。最悪の場合、どこかの鎮守府に拉致される恐れもなくはないはず。
何としてもそれだけは避けたい麻守だった。
「麻守提督、すこーし青葉にも触らせてもらえませんか?やはり実際に体験してみないことには記事を書けませんし」
「いや、書かなくて結構。むしろ書かないでいただきたい」
明確で確固たる拒絶の態度だった。
「そこをなんとか!」
なかなか青葉も食い下がる。
こんなお手軽かつコスト無しに艦娘を高揚状態に出来るのならその手段は活かされるべきなのだと考えているのだろう。
「しかしですな……」
もちろん、麻守にも理由はちゃんとある。いまだに原因不明の現象なのだ。そんな不安定な事に頼ってしまうのは問題であると考えている。
それに美女、美少女ばかりの艦娘にお腹をもにゅもにゅさわさわされるのは、麻守の精神的によろしくない。もう若くないとはいえ、男には色々とあるのである、色々と。
そんな麻守の都合を口に出すわけにもいかないため、話は平行線のまま。
困り果てる麻守に青葉がもう一度、お願いの言葉を掛ようとしたとき、執務室のドアが開いた。
「いい加減にしてください!貴女の用は提督のお腹の調査ですか、それとも広報誌用の写真を手に入れる事ですか!」
執務室へ入って来るなり大井がズンズンと青葉に歩み寄った。
少し俯き気味なせいで目元が陰になってて怖い。
流石の青葉もそれで我に返ったらしく麻守に頭を下げた。
「すみません、つい取材に熱が入ってしまって」
「いや、分かってくれればそれで。では本題に入りましょうか」
とりあえず青葉を執務室のソファーに腰を下ろさせて、麻守は大井を手招きした。
「何です?」
凄く不機嫌な大井の声に若干怯えつつ、言葉を掛けた。
「すまん、助かりましたぞ」
「まったく、最後まできっぱり断らないのが悪いのよ」
ジト目でそんなことを言われては言い訳も出来ない。
「そのとおりですな。以後気を付けますかな」
「はいはい、頑張ってくださいな」
ひらひらと手を振って大井が興味なさげに言った。そして、ジロリと麻守を睨む。
「そんな事より、北上さんを待たせないでもらえます?」
「む、重ね重ねすまん」
両手を合わせて拝む格好で麻守は頭を下げた。どうにも大井には頭があがらない。
「ちょっとー、大井っちとイチャイチャする姿を見せびらかす為に呼んだの?」
茶化すような北上の言葉に麻守と大井が即座に反応した。
「「違います」」
「そんな息ぴったりで否定されても説得力ないよねー」
あははーと笑いながら北上が青葉に同意を求めた。
「そうですね」と青葉。
「それで、何の用なのさ?」
何か言っている麻守と大井を無視して北上は青葉に訊いた。
ひととおり青葉の説明が終わると、北上は麻守の私物のノートパソコンを引っ張り出した。
これに北上の私物のデジタルカメラで撮影した写真や動画を保存しているのである。
ノートパソコンが起動するカリカリという音を聞きながら、麻守は青葉に訊いた。
「それで、どんな写真が必要なのですかな?」
「特にコレと決まったテーマは無いですねー。その鎮守府の特徴が出てれば何でもって感じです」
「ふーん、海軍公式っていうからお堅い感じなのかと思ったけど」
パソコンのモニターを眺めながら北上が呟いた。
「割と自由にやらせてもらってますよ。流石に機密事項なんかは無理ですけどね」
ペロリと舌を出して青葉が笑った。
「他の鎮守府の写真はどんなのがあるのかしら」
少し興味が湧いたのか大井が訊いた。
「そうですね……。南方鎮守府はこんな感じでした」
青葉が取り出した一枚の写真に視線が集まった。
それは食事中の写真だった。
足柄の揚げた大量のカツと、それを頬張る艦娘たちの姿を写したものだ。
「最前線という事で、度々行く機会があるんですけど、雰囲気が明るくなっててびっくりでしたよ」
そう言って明るく笑う青葉の視線の先の写真も笑顔で溢れていた。
「妙高さんたち姉妹が中心になって、色々取り組んだみたいですよ」
鎮守府の雰囲気が明るくなってから戦果も上がりはじめたのだと、青葉が説明してくれた。
「そうですか……」
妙高型四姉妹は合同で行った南西海域での棲地攻略戦の祝勝会でも、麻守鎮守府の艦娘たちに比べて笑顔がなかった。
その事を気にかけていた麻守だったが、写真を見て安心した様子だった。
「お、パソコンが起動したよー」
北上の声で我に返った麻守がモニターに目をやる。
相変わらず、デスクトップの壁紙は麻守と北上のツーショット写真だった。
麻守が北上からデジタルカメラを借りて撮ったものだ。
「まだ変えてなかったんですか、この壁紙」
「はわわ、青葉見ちゃいました!」
「まー、提督のはじめてだしね。仕方ないねー」
三人の艦娘たちはそれぞれのリアクションをする。北上のは何か誤解されそうな台詞である。
「壁紙の変え方がわからないもので……」
大井の冷たい視線と、北上の生暖かい視線が突き刺さった麻守が頭を抱えた。
それはさておき、目的は内地近海鎮守府らしい写真を探すことである。
「取り敢えず適当に見ていって、使えそうなのをコピーしてこっか」
「お願いします」
「りょーかーい」
聞いた人間が軒並み脱力しそうな返事をして、北上がパソコンを操作すると写真が画面いっぱいに表示される。
「必要な写真があったら言ってよね」
北上が次々と表示する写真を変えていく。写真の枚数が多いのでじっくりと見ていては日が暮れてしまう。
数秒とかからず切り替わっていく写真たち、それでも青葉は的確に必要な写真をピックアップしていく。
ある程度の枚数になったところで、ピックアップしたなかから、更に絞り込むそうだ。
思い返せば、北上の撮った写真をあまり見る事がなかった麻守には新鮮な驚きだった。
長門と麻守の畑仕事や皆が朝食を頬張る姿など、日常の何気ない場面を切り取った写真が多い。皆、良い表情をしているものばかりだ。
麻守が撮影者の北上に内心、感心していると、とある写真がモニターに表示されたところで青葉がストップをかけた。
心なしか北上の横顔がニヤニヤしている風にも見える。青葉もすっごくニンマリ笑顔。
対して、麻守の顔は青ざめていて、大井はというと顔を真っ赤にしていた。
「な、なななななんですかこの写真!?」
本当に身に覚えがないのだろう。端からみても凄い動揺っぷりである。
「何って、こないだの南方鎮守府との祝勝会の写真だけど」
モニターに表示されているのは大井の寝顔の写真である。正確にいえば、酔いつぶれて大の字で爆睡する麻守のお腹を枕にしている大井の寝顔の写真。
「すごく気持ち良さそうです……」
そう言う青葉の視線は麻守のお腹に釘付けだった。青い顔の麻守がぶるぶる震えた。
「全っ然記憶に無いんですけど」
大井の方もあまりの衝撃で頭を抱えていた。
写真の大井の顔が赤いのは酔っていたためだろう。
(それは仕方ないわ。酔ってたんだもの。だけど……)
この表情はいくら何でも無かったことにしたい大井であった。
(これじゃまるで──)
そう大井が思った矢先。
「これはまるで──」
なんて、青葉が話し始めた。
「!!」
青葉の言葉に大井の身体がビクッと跳ねた。
耳を塞ぎたくなるのを我慢してその先の言葉に耳を澄ます。
「──お父さんに甘える娘さんみたいですよね!」
すっごく素敵な笑顔で青葉は言った。
「娘ですか……」
いまいちピンとこないのか、麻守は首を捻った。
「あー……うん、そう見えるよねー」
期待していた台詞と違ったのか、北上はどことなくつまらなそうだ。
(北上さんは何を期待していたの!?)
思いがけない北上のリアクションに動揺する大井。
「え、じゃあ北上さんはどう見えたんです?」
青葉が余計な事を訊く。大井が睨みつけるが、既に手遅れだ。
「あたしは恋する乙女に一票かなー」
「なるほどー、ロマンティックですね」
和気あいあいとした北上と青葉の会話に慌てて大井が割り込んだ。
「も、もう!北上さんったら!!」
先ほど大井自身がふと頭に浮かべてしまいそうになった言葉を北上が口にした。その事が余計に大井の動揺を大きくしてしまう。
「これは、北上さんの夢をみてたからです!きっとそうに決まってます」
何とか言い繕ってみたものの、北上と青葉はいまいちな反応だった。
「いや、これどういう写真に見えるかって話だし」
そう、実際大井がどうだったかなんてはじめから関係なかったのだ。
「とりあえず、恋する乙女とお父さんに甘える娘が一票ずつですね」
いったい何の投票なのか。ただ、はっきりしているのは北上が楽しんでらっしゃる事だけである。
「提督はどう見えるのさ?」
「ちょ…!北上さん!?」
いきなり麻守に話を振る北上に大井が非難するように声をあげた。残念ながら、北上はスルーしたけれど。
「娘というよりは、姪っ子に甘えられてる感じですかな。遠い親戚辺りの」
どんなんだそれ。いまいち分かりづらい例えに青葉が苦笑いを浮かべた。
「流石にそれはちょっと……」
北上も困惑している。
「まったく!何言ってるんですか!!」
「ぬ、すまん」
大井に叱られ、ほぼ条件反射的に頭を下げる麻守の姿に、青葉がボソッと呟いた。
「奥さんの尻に敷かれてる旦那様そのものですね、これ」
そうして、青葉は写真のデータを持って大本営へと帰投していった。
後日、発行された広報誌の表紙を飾ったのは、この麻守の腹枕で熟睡する大井の写真。そのせいで、また麻守が酷い目に遭うのだが、それはまた別の話である。
好きな娘をからかってしまうのも何気にワビサビよねー。てなわけで大井回でした。青葉の性格がいまいち掴み辛くてワロタ……。次回は大晦日か正月をネタにする予定。……クリスマス?知らない子ですね。