上位者がファミリアを創るのは間違っているだろうか   作:gulf0205

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オドン
(うーん、赤ちゃん欲しいンゴねぇ〜。特別な瞳も欲しいンゴ……。おっ、娼婦おるやん、ちょうどええわ、孕ませたろ)

赤子
「オギャー、オギャー」

アリアンナ
「嘘よこんなの嘘よ……ウヒッ、ウヒヒヒヒ……ヒーヒヒヒヒヒ……」

オドン
(よっしゃ! ワイがパッパやでー! はえ〜かわいいなあ、ええ子ええ子。声だけやからあやすこともできへんけどな! ん? 誰か来たな)

狩人
「うわっ、なんやコイツ、キッモ! 殺したろ!」グシャッ

オドン()
アリアンナ「」
赤子「」

狩人
「なんやこれ三番目のへその緒? レアアイテムやんもらっとこ。ファッ!? アリアンナが死んだる!? ……まあええわ、この可愛らしい靴だけもらっとこ。ほな、先行くでー」

オドン
(ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!)


8 ローグハンターズ(2)

一部のファミリアでは装備を似通わせたり、共通の羽根飾りやブローチなどを身につけたりすることがある。

わかりやすい例を挙げるならば、やはりヤーナムファミリアだろうか。

彼らは敵からの攻撃を鎧や盾で受けるのではなく、可能な限り身軽になって回避することを優先させる。

さらには不必要な返り血を浴びないようにするため、コートや帽子などで肌の露出を抑えるのだ。

一部の狩人はコートも帽子も着用しないのだが……おおむね、似たような服装である。

 

ではヤーナム以外で服装や装備を似せるファミリアはどのような場合か?

それは単純に主神の趣味であったり、連帯感や結束を固めるためであったり、ファミリアのブランド名を高めるためだったりと様々だろう。

それに装備や外見を統一させるメリットは当然ある。

同じ形の鎧や兜を大量に発注すれば、それだけ一つあたりの単価が安くなり、金銭的負担がそれだけ軽くなる。

そして最大のメリットは敵味方の判別がたやすいことだろう。

相手がモンスターならば人間以外を攻撃したらいいのだが……相手が人間の場合、混戦時に間違って同士討ちを誘発しかねない。

しかし自分と同じものを身につけているならば、ファミリアが肥大化して全員の顔を把握できずとも即座に味方だと判断できる。

 

 

ここ、ハスターファミリアも非常にわかりやすい共通性があった。

衣服はもちろんのこと、その上に着用する金属鎧や兜に至るまで、とにかく黄色に染めてあることだ。

ハスターはまたの名を『黄衣の翁』としても通っており、眷属たちに同様の色を身につけさせるのは当然なのかもしれない。

そのハスターファミリアの本拠、象牙の塔。

象牙の名にふさわしい白亜の尖塔の最上階に、ハスターはいた。

 

この一室は広く、高い天井のハスターの作業場だ。

その天井からは天幕のように色とりどりの布が吊るされており、下は床で固定されていた。

塔の最上階だけあって、窓からは勢いよく風が吹き込み、さながら帆船の帆のように風を受けてなびいている。

この幻想的な部屋の中でハスターは腕の裾を捲り上げて、陰干しが終わった藍色の布を丁寧に折りたたんでいた。

この布は呉服店におろされ、そこで衣服へと加工される。

染物作りはハスターの趣味だった。

赤や青、緑といろいろあるが、『黄衣の翁』というだけあって一番好きな色は黄色である。

どのくらい好きかというと、自分の眷属全員の服と装備を自分で黄色に染めるくらいに好きだ。

たまに「目が痛い」という意見が出てくるが、不満があるなら出ていってもらうだけのことである。

そこへ、二人の男性が駆け込んできた。

 

「ハスター様!」

 

蹴り飛ばす勢いで乱暴に扉が開かれ、けたたましい音を立てて扉と壁が激突する。

一人はジョーヌ。もう一人はゲルプ。

 

「なんじゃ騒々しい」

 

しわがれた声で返してそちらを見やると、息を切らせた二人の眷属がいた。

最上階までの直通エレベーターはあるのだから、そこまで全力で走り続けていたのかもしれない。

 

「ウォレイが……ウォレイが、殺された!」

 

その言葉によりハスターの手がピタリと止まった。

 

「……殺された?」

 

ダンジョンで自分の眷属が死ぬというのは残念ながら珍しいことではない。

依然として行方不明のまま戻らない眷属も多く、長期間にわたって連絡がつかなければ死亡扱いとなるのが冒険者という職業だ。

しかし人間の手によって殺されたとなると話は変わる。

 

「はい! あの……ヤーナムファミリアのやつに、命からがら逃げ延びたと思ったら……あいつがーー」

 

「リンクスだ! 『秩序破壊者』がウォレイを! いきなり、一瞬で、止める暇もなかった!」

 

興奮気味に二人は話すがいまいち要領がつかめない。

 

「落ち着かんか! 順を追って説明しろ」

 

二人を深呼吸させて落ち着かせてやり、それから話を順番に説明させる。

 

かいつまむとこうだ。

 

二四階層で染料の材料となる植物を採取していたところ、大量発生したモンスターの襲撃をうけてパーティは壊滅的被害。

ウォレイは重傷を追ったが、かろうじて三人だけが脱出に成功。

運良く助かった他のファミリアのパーティ達と手を組んで一八階層へと避難する。

ウォレイは負傷により自力では歩けなくなったため、帰還するためには別のパーティに随伴する必要があると判断。

これから帰還するパーティを探すと同時に、酒場で休息をとっていた。

そこへ悪名高いカラード・リンクスがやってきた。

“ウォレイと口論となった” リンクスはその場でウォレイを殺害し、二人はこの事実を伝えるため最短距離で地上を目指したーー

 

それがことのあらましである。

 

「……」

 

ハスターはあぐらをかいて腕を組み、静かに眼を伏せて黙祷した。

数日前に送り出した十三人の眷属のうち、帰還できたのはこの二人だけ。

モンスターに襲撃された十人は不幸な最期としか言いようがないが、残り一人のウォレイに関しては不幸な最期として片付けることはできない。

殺しを受け入れようものならつけあがるのが目に見えている。

ハスターは身内を殺されてもなにも文句を言わない神様だ、などと思われればこのファミリアは絶好のカモとなるし、ファミリアの眷属たちは去っていくだろう。

 

「どうしますか?」

 

ジョーヌの問いに対する返事を、しばし黙考する。

相手はヤーナムファミリアだ。戦争遊戯をけしかけたとして、少なくともハスターファミリアだけで勝てるような相手ではない。

かといって泣き寝入りできるはずもない。

 

「……ギルドを通じて下手人の引き渡しを求める。お前たちはなにもするでない」

 

ウォレイ殺しの犯人、カラード・リンクスの引き渡しか、あるいは慰謝料請求。

ハスターにできるのはせいぜいこの二つだけだし、これが落とし所だろう。

一人の死は悲しいが、その復讐のために何十人もの眷属を危険に晒すわけにはいかない。

感情のまま報復に出られるのはそれこそ強者の特権だろう。

弱者は規則とルールに従い、それらに護られるしかない。

二人はなおも食い下がった。

 

「それだけですか? 報復を!」

 

「ならん! 報復の報復を繰り返して勝てるような相手ではない。お前たちはなにもするな。これは命令だ。下がれ」

 

「しかしーー」

 

「下がれと言うとる! わしとてこれしかできん自分が歯がゆい……」

 

ハスターは顔をそらすと、二人は不承不承といったふうに部屋を後にした。

 

「……火に飛び込む羽虫にはなりたくないのう」

 

天井に向かって呟く。

天幕のような布は風にはためくだけだけで、なにかを言い返してくれることはなかった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

ハスターへの報告を済ませた二人は一階へと降りるエレベーターに乗っていた。

苛立たしげにエレベーターの床をつま先で足踏みする。

 

「どうする?」

 

「どうするって、なにが?」

 

「ヤーナムだよ。ハスター様は穏便にかたをつけようとしてるけど……このまま引きさがれるか?」

 

ジョーヌは歯ぎしりした。

大量のモンスターに襲われて、せめてウォレイだけでも助けようとしたが、ダメだった。

やっとの思いで安全地帯まで逃げ出したっていうのに。

モンスターに仲間が殺されたのは悲しいし辛いが、心のどこかでは諦めと、どうしようもなかったんだという思いがある。

しかしヤーナムのやつらに殺されたのは我慢ならない。

リンクス一人の死体で我慢などできないし、そもそもブラックリストに入っているような男を素直に引き渡すつもりがあるかどうかさえ疑わしい。

なあなあで片付けられる予感がしてならない。

 

「じゃあどうする? 俺たちだけでヤーナムの本拠に押し入るつもりか?」

 

ゲルプの問いかけには首を振って否定する。

 

「いいや、仲間を集めるんだ。ヤーナムのやつらを恨んでる連中を集めるのさ。捜せばきっといくらでも出てくるぜ」

 

ファミリアがファミリアと手を組むのは珍しいことではない。

特に格上のファミリアを攻撃する際にはよくあることだ。

その後でどのように分け前を分配するかでモメるのも、やはりよくあることだが……それは後で考えればいい。

 

「なにが『秩序破壊者(プロヴィデンスブレイカー)』だ、後悔させてやる」

 

「団長に相談は?」

 

「必要ないだろ。世の中やったもん勝ちだ」

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

剣閃の嵐が吹き荒れる。

死神の大鎌を連想させる煌めきがほとばしるたびに、巨木が両断され、木造屋が崩れ落ちる。

地下のダンジョンでありながら、暴風が木の葉をもみくちゃに舞あげた。鉄板に砲弾を打ち込むような轟音が響く。

嵐の中心にいるのは二人の第一級冒険者。

一人は今朝方、人前で堂々と殺人を犯したカラード・リンクス。

もう一人はつい先刻、このリヴィラの街へとやってきたアイズ・ヴァレンシュタイン。

両者はともに壁を蹴り、巨木を蹴り、枝を踏み台にし、たがいに剣閃を放つ。

 

「こうやって剣をぶつけるの何年ぶりだっけ?」

 

踏み固められた大通りで両者はぶつかった。

リンクスの横薙ぎの一撃をアイズは受け止めてつばぜり合い。

リンクスはうっすらと笑みを浮かべているが、アイズの口は真一文字に結ばれていた。

 

「<目覚めよ(テンペスト)(エアリアル)>!」

 

アイズは答えず、速攻魔法。同時にリンクスを押し返す。

暴風の鎧と刃から逃れるようにリンクスは跳びのくと、アイズはさらなる追撃を仕掛ける。

落ち葉を瞬時に切り刻むようなアイズの猛撃に、リンクスはさらに後ろへ下がった。

やがてリンクスの背後が断崖絶壁の崖へと追い込まれていく。

アイズは斬撃ならぬ斬圧で押し潰すつもりだ。

 

「<加速(クイック)>」

 

リンクスの速攻魔法。

アイズの動体視力でようやく目で追えるほどの高速移動で、リンクスはあろうことか自ら崖へと走る。

その崖へ跳躍、さらに蹴った。

三角飛びの要領でアイズの後方へ着地。

アイズはリンクスが着地体勢から立て直すまえに斬り伏せようと迫るが、リンクスが居合斬りの姿勢に移る方が早かった。

アイズはもはや立ち止まれるような距離ではないことを察した。

止まろうとしても勢いを殺しきれずにリンクスの間合いに飛び込んでしまう。

頭で考えていてはもはや間に合わない距離。体が動くがままに委ねてアイズは防御と回避に専念。

リンクスの攻撃範囲に入った。

 

抜刀。

 

アイズの胸部を狙った、神速の剣閃。

アイズの剣術を、単身で多数の敵を倒すことを前提とした、膨大な連撃による “柔” の型だとしよう。

ならばリンクスの剣術は、格上との一対一を見据えた一撃必殺を信条とした “剛” の型だ。

アイズの胸部へと放たれた死神の一振り。

アイズは身に纏う風を最大出力。

“デスペラード” の背を左手で抑えて受け止める直前に背後へ跳ぶ。

 

「っ…………!」

 

だがその威力たるや、アイズの手首や肘、肩の関節がミシリと悲鳴を上げるほどだ。

撃ち出された砲弾と砲弾が空中で激突したかのような轟音。

アイズは顔を歪め、その勢いを利用するように、半ば吹き飛ばされるように跳ぶ。

一撃必殺。

だからこそ、その剣筋が予測できるのだが……普通は予測できてもそのまま両断されるのがオチだ。

風の鎧がなければ、後退するのがわずかに遅れれば、受けたのが『剣姫』でなければ、『不壊属性』の “デスペラード” でなければ、アイズの体は上下に分断されていただろう。

リンクスはクスリと笑って速攻魔法を唱え、追撃。

アイズは空中で半回転して木造屋の屋根に着地。リンクスは反対側の木造屋の壁を蹴ってアイズと同じ屋根へと飛び移る。

 

「<風よ(エアリアル)>!」

 

「<加速(クイック)>」

 

アイズの突きから始まる連撃を、リンクスは側面に回って回避。

同時に放たれるリンクスの横薙ぎの斬撃を、アイズは大きく体を仰け反らせてかわす。

そのままアイズはバク転の要領で顎を狙った蹴り上げを行うが、リンクスはわずかに身を引いて回避。

すかさずリンクスが突きを繰り出すと、アイズは “風” の力で強引に体を浮かせてリンクスの頭上をこえ、同時に回転斬り。

リンクスは後ろを見やることなく “千影” を後頭部に回して防ぎ、アイズは空中で一回転して屋根に降り立つ。

両者は同時に向き直った。

目まぐるしく移り変わる攻防と回避。

わずかに動きが遅れれば決定打になりかねない致死の応酬。

にもかかわらず……リンクスは笑っていた。

 

 

そもそもこれはリンクスから吹っかけた喧嘩だ。

タバコ臭くなった酒場から外に出て体を伸ばしていた時、たまたま通りかかったアイズを目撃して数年ぶりに “遊ぶ” ことにしたのだ。

そうだ、遊びだ。これは。

遊び道具は自分の命。

ルールは単純。先に相手の命を奪った方が勝ち。

頭が痺れるような感覚。

心臓は高鳴る。

見える世界も、聞こえる音も、アイズと自分の周囲だけ。

余計な情報はすべて遮断され、さながら世界が二人きりになったかのような錯覚にリンクスは酔いしれた。

こんな感覚はそうそう味わえるものではない。

しかし……リンクスはアイズの動きに違和感を感じていた。

動きは早いし技術も洗練されているが、下半身と上半身の動きにわずかなムラがある。

腕の動きと重心移動にかすかなズレがあるのだ。

もちろん瞬き一回分ていどの些細な時間差なのだが……それが気になった。

さながら、性能が良すぎるがゆえに持て余しているかのような、そんな違和感。

ああそうかと思い、リンクスは自分から後ろへ飛び退いた。

アイズはしっかりとリンクスを見据えたまま怪訝な表情を浮かべる。

 

「ねえアイズ……ひょっとしてランクアップした?」

 

問うと、アイズは無言のまま小さく首肯する。

ランクアップすると肉体が自分の想定以上の動きをするため、このような動きにムラが出てくることがある。

そのムラはすぐに矯正されるものだが、まだ矯正されていないということは、ランクアップしてほとんど日が経っていないことを意味する。

アイズに感じていた違和感の正体はこれだ。

 

「へえ、よかったじゃん」

 

祝うように笑みを向けると、リンクスは “千影” を納めた。

居合斬りの構えでもなんでもない、普通の姿勢のまま。

アイズはわけがわからないと言った表情となり、リンクスはかまわず続ける。

 

「強くなったら、その時またやろうよ。俺も、追い越されないように強くなるからさ」

 

「……」

 

アイズはリンクスがこれ以上は戦うつもりがないと理解し、無言のまま剣を納めた。

 

「楽しかったよ」

 

そう言ってリンクスは屋根から飛び降りようとしたとき、アイズは呼び止める。

 

「待って」

 

「なに?」

 

「私は、どのくらい強かった?」

 

どのくらい手強かったかと問われ、リンクスは少し考える。

戦って楽しい相手というのは強い相手ということだ。

だがリンクスは対人戦闘における鉄則を怠っているし、アイズはそれを使う必要のない相手でもある。

 

「楽しい遊び相手、くらいかな」

 

「そう……」

 

言うと、釈然としない表情のままアイズは頷く。

それを見届けてからリンクスは屋根を飛び降りた。

着地するとそこにはセレンが待っており、訝しげに頭を傾げて、屋根上のアイズとリンクスに視線を交互させる。

 

「やめちゃうの?」

 

「ん。続きはまたこんど」

 

並んで歩き出すころには、建物から伺うように冒険者たちが頭をのぞかせており、そろって非難めいた目を向けてくる。

だが誰もなにも言わなかったため気にせず進む。

亀裂が入った壁。

吹き飛んだ屋根。

巨木の下敷きになった建物。

道端に転がる手作り感ありありの椅子。

散らばった商品をネコババする人々と、それらをがなり声をあげて追い払う露天商人。

そんな中を歩いて元の酒場に戻ると、見物を終えて一足先に戻ってきたドランたち狩人連中が、そろって文句をいう。

要約するとこうだ。

 

ーーなに途中で止めてんだ。これじゃ賭けにならねーだろーー

 

アイズとリンクスのどちらが勝つかで賭けをしていたのだろうが、決着をつける前にリンクスが勝負を放棄してしまったために賭けは不成立。

ここにいる狩人は水を差された気分になって、早々に切り上げて戻ってきたのだろう。

 

「うるさいな」

 

文句たれる狩人に辟易しながら、リンクスは壁際の長椅子、そこに敷かれたフロストウールヴの毛皮の上に座った。

さすがにもう座っているところを襲われることはないし、セレンももう目が覚めているので膝枕の必要もない。

セレンはパッと顔が輝いてリンクスの隣に腰かけた。

そのセレンの膝に先端だけが白い尻尾を乗せてやると、セレンは鼻歌まじりにポケットから折りたたみ式の櫛を取り出し、リンクスの尻尾の毛づくろいを始める。

美人、もしくは可愛い少女に尻尾の毛づくろいをしてもらうのがリンクスの趣味なので、いまさらそれをからかうような狩人はいない。

それにセレンも足をぱたつかせて乗り気である。

 

「それで、なんで途中でやめた?」

 

リンクスから見てテーブルの左側、そこに座るグリッグスが問う。

グリッグスの正面にはドランが座っていて、葉巻をくわえてリンクスの答えを待っていた。

 

「ランクアップしたってさ。どうせならもっと強くなってからやりたいから、だから止めた」

 

言うと、グリッグスは不快そうに眉をひそめた。

 

「ヴァレンシュタインがレベル6になったのか?」

 

「ん」

 

グリッグスはチッと舌打ちして、苛立たしげに褐色の狼耳を倒す。

それを見たドランが煙を吐いて軽く笑った。

 

「先を越されたな」

 

「あぁ!?」

 

グリッグスは声を荒げてジロリとドランを睨んだ。

普通の人ならここで「あ、すいません、調子に乗りました」と平身低頭になるところだが、あいにくとドランはそんなことをしない。

 

「喚くなよ、本当のことだろーが」

 

事実その通りなので、グリッグスはグルルと喉を鳴らすしかない。

やがてそれも飽きたのか、グリッグスはテーブルに肘をついて呟いた。

 

「戦争遊戯でもやりたいもんだ。どっかの本拠に押し入って好き放題暴れる……楽しそうだろ?」

 

「楽しそうだけど、スレイが認めないよ」

 

リンクスが口を挟んだ。

自慢の尻尾をセレンに任せているためか、気は緩んでいてその目つきは眠たげなものに変わっている。

 

「わかってるさ。言ってみただけだよ、ふん」

 

少なくともここにスレイより強いものはいない。

多人数でかかればスレイはその場から逃げ出し、アルフレートやロイ、ウィンディのような第一級の狩人を引き連れてまた戻ってくる。

あれは戦い方というものをかなりわかっている男だ。

 

「いや、案外、戦争遊戯も始まるかもしれねえな」

 

ドランの言葉に、両者は耳を傾けた。

 

「おめえ人前で一人殺ったろ? いまごろ、オラリオじゃあちょっとした騒ぎになってるだろうさ。もしかしたら戦争遊戯になるしれねえし……スレイが殺しにくるかもしれねえ」

 

「ああそっか」

 

リンクスはなんでもないことのように言い、昔を思い出して眉間にしわを寄せた。

 

「……そういえば右腕へし折られた借り、まだ返してなかったっけ」

 

数年前……リンクスは他のファミリアが実行した、名前は忘れたがどこかのファミリア潰しに加担している。

そのことを知ったスレイによって、リンクスは利き手である右腕を文字通りひねりあげられ、見事に折られた。

高い治療薬のおかげで二週間ほどでギプスは外れたのだが、その間はダンジョンに潜れず悶々とした日々を過ごしたものだ。

あの屈辱はもう思い出しただけでも腹が立つ。

 

「今度は俺が両腕へし折ってやる」

 

リンクスはここにいないスレイの姿をにらみつけた。

スレイはレベル6。

リンクスもレベル6。

リベンジにはちょうどいい。

 

「うーん……りーくんが負けるとこはみたくないなー」

 

セレンはリンクス自慢の尻尾を櫛ですきながら言う。

 

「でもりーくんをおせわしたいなー。ごはんを『あーん』したりー、おふろにいれたりー」

 

「トイレの後のケツ拭いたりか?」

 

グリッグスがせせら嗤い、セレンは両足をぱたつかせて同意した。

 

「それもあるねー」

 

「勘弁しろよ」

 

「そん時は毎日笑い飛ばしにいってやるよ」

 

「殺すぞ」

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

腹の底から大声を出すと、それだけでストレス発散になるものだ。

それが歌であればいいのだが、残念ながらエミーリアに向けられているのは思いつく限りの罵声だった。

内容といえばハイポーションの買い占めと高額転売というもので、それだけでもう何人も怒鳴り込んでくる。

本拠で寝泊まりする狩人は皆無であり、主神も人前に出ることはないため自然とエミーリアが苦情の受付と貸していた。

 

「本当にすいませんでした……」

 

銀髪なのか白髪なのかもう区別がつかない長髪をたらし、腰を深く曲げて最後の一人を玄関から見送った。

時刻は夕暮れ。

今日の太陽がお別れを告げるころ。

 

「はああああ……」

 

口から魂でも出て行きそうなため息をついてエミーリアは中へ戻り、そして階段上の書斎に入った。

のろのろとした足取りで机を回りこみ、自分の椅子にぼすんと座る。

 

「かみさま……」

 

祈りそうになったが、やめた。

この世に神はいるが助けてくれない。

断言する。

 

「うぅ……胃が……」

 

キリキリと痛むお腹をさすり、引き出しから胃腸薬を取り出した。

ポーションと同じく、試験管のようなガラス瓶にコルクの蓋がなされ、中には薄緑色の液体が入っている。

ナァーザがオススメする胃腸薬をあおると、草のような生臭さと苦さが口いっぱいに広がってくる。

しかし良薬は口に苦しというのだ。我慢して飲み干した。

不意に、玄関のドアが派手に開いた音がした。

まさしく蹴破ったような音。

エミーリアの背筋にゾッと冷たいものが走り、大慌てで書斎のドアに鍵をかける。

直後に書斎のドアノブがガチャガチャと動き回り、開けようとガタガタ動く。

 

「ひっ……!」

 

思わず出た短い悲鳴が、ドア向こうの誰かに聞こえたらしい。ドアが激しく叩かれた。

 

「おい! ここに一人いるぞ!」

 

その呼びかけに応えるように、野太い男たちの声が聞こえてきた。

彼らは一人ではない。

これはもう苦情とかそういうレベルではない。襲撃だ。

 

「あ、あなたたち正気なの!?」

 

ドア越しに叫ぶと、返事はドアの破壊音だった。

斧か何かで打ちつけている。

その間にも廊下の奥や階下の部屋に押し入ったり、踏み荒らしたりする音が聞こえてくる。

ファミリアの本拠に押し入るなどそれこそ戦争だ。

そして彼らはそのつもりでここに来ている。会話をするつもりがないのは明白だった。

 

「ああ、もう……どうして、こんな……」

 

いま本拠にいるのはエミーリアを除いて人形と上位者だけだ。

そちらも気がかりだがいまは自分の身が最優先だ。暴行されるのも殺されるのも断固としておことわりだ。

涙目になりながら机の裏へと回り、ドアを開けて身を乗り出す。

下にはすでに男が二人いた。

本拠の角に立って、逃げ出す者がいないか見張っているらしい。飛び降りるのは愚策といえる。

背後のドアはいよいよ破壊されようとしている。一撃で破壊されないところを見ると、高レベルのものがいないからだろうか。

どちらにせよエミーリアのレベルは1だ。

おまけに速攻魔法が一つと、あまりにも詠唱が長すぎる変身魔法が一つしか使えない。

エミーリアは服の下から金のペンダントを取り出して、それを手に速攻魔法を唱える。

 

「<蒼き流星(ブラウ・メテオール)>!」

 

ペンダントを触媒とした、青く発光する石のつぶてを射出。

ゴブリンの頭に当たってようやく倒せるような、あまりにも威力に乏しい魔法。

だがそれは隣の工房の壁にぶち当たり、派手な音を立てることはできた。

これなら絶対にアンドレイたちの耳に聞こえたはずだ。

直後、書斎のドアが破壊された。振り返ると黄色の革鎧を着た二人組の男が踏み込んできた。

その表情はまさしく “怒り” の色に染まっている。

 

「てめえ!」

 

「ひっ……い、痛い!」

 

机の左右から男たちが迫ってきて両腕を押さえられる。細い腕ではとても振り払えるはずもない。

 

「殺しとはいい度胸だなええ!?」

 

「な、なんの、はなしをして……」

 

パン、と乾いた音。

少し時間をおいて頰が熱を持ち、エミーリアは平手打ちされたと理解した。

 

「とぼけるな! 一八階層で俺の仲間を殺しただろう!?」

 

「わ、わたし、しりませーー」

 

パン!

 

今度は反対側の頬を。

震えて、何もできない。

 

「リンクスだ! カラード・リンクス! あのブラックリスト野郎だ!」

 

じゃあ彼のところに行ってよ!

 

そう言ってやりたいがこの状況でそれを言うのは自殺行為だろう。

激昂している相手に反論することは火に油を注ぐ行為だ。

経験則でそのことは一番よくわかっている。

 

「すみせん、すみせ……あぐっ!」

 

腹部に拳がめり込んだ。

嘔吐しそうな鈍い苦痛が全身に広がっていき、膝をつく。

それでも腕は解放されず、男の片方が拳を振り上げた。体がこわばる。

 

「すみせんじゃねえっ!」

 

「お前らなにやっとるんじゃ!」

 

見知った野太い声が飛んできた。

見ると、上半身裸で岩のような筋肉を持つ白い長髭のヒューマン、アンドレイがそこにいた。

なにも持っていない素手なのだが、岩だろうと粉砕できそうな拳はもはや凶器といっていいだろう。

エミーリアは嬉しさと安堵の表情を浮かべ、暴漢の二人は忌々しげに顔を歪める。

 

「ヘファイストスのやつに用はーー」

 

「やかましい! その娘から離れろ! それともヘファイストスともやり合うか!? ああ!?」

 

部屋の中とあって、アンドレイの怒鳴り声はひときわ大きく反響した。

さらに武器の製造・販売の最大手であるヘファイストスファミリアを敵に回す度胸はないらしく、二人は渋々といったふうにエミーリアを解放し、ゆっくりと離れる。

 

「うう……」

 

エミーリアは解放された両手でお腹を押さえた。本当に吐きそうだった。

 

「とっとと失せろ!」

 

その怒鳴り声によって、二人は舌打ちしながら部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

「ファリド! グエン! みんな行くぞ!」

 

二人は他の押し入り仲間の名前を呼んだ。

が、返事はなかった。

 

「おい! どうした!?」

 

ヤーナムファミリアに押し入ったジョーヌとゲルプだが、ヤーナムに恨みを持つ別ファミリアの仲間の反応がなく、怪訝に顔を見合わせる。

 

「どこだ!?」

 

眉間にしわを寄せ、二人が向かった下の廊下を行く。

と、二人はドアの前に倒れていた。

 

「おい、どうした? ファリド!? グエン!」

 

抱き起こすと、両者は白目をむいて口角から泡を吹いている。明らかにただ事ではない。

 

「しっかりしろ! おい!」

 

「くそ、この中か!?」

 

ジョーヌがドアノブに手をかけるが、ゲルプが引き止める。

 

「よせ、もう行くぞ。そっちを運べ」

 

ジョーヌは不服がったが、ドアノブから手を離し、グエンを背中に担ぐ。

一時的な協力でしかないが、ここに置いて行くわけにもいかない。

ひとまずはこの本拠を出ることにした。

 

 

 

 

「もうやだ、なんなの、もう、なんなのよ……」

 

「まったく苦労するなあ……」

 

エミーリアは小さく身を丸めて嗚咽を漏らし、アンドレイはその背中を優しく撫でる。

アンドレイはもう何十年と狩人工房で仕掛け武器を鍛えているのだ。

エミーリアやスレイのことを赤の他人といって切り捨てることなどできない。

 

「ポーションはどこにあるんじゃ?」

 

「……その、引き出しの、なかに……」

 

アンドレイは机の引き出しを上から開けていき、ポーションを見つけた。

 

「ほれ。少しは痛みもひくじゃろ」

 

「ありがとう……ございます……」

 

差し出されたポーションをひと瓶飲み干した。痛みはひいたが涙は止まらなかった。

 

「まったくこんな時に、スレイはどこいったんだかな」

 

アンドレイは長い顎髭をしごきながら、明後日の方角を眺めるしかなかった。

 

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

混濁した意識の中で、ファリドは目を覚ました。

 

 

真っ暗なのは部屋が暗いからではなく、目に何かを置かれているせいだと気づくのに、少しばかり時間を要した。

 

 

なにがあった?

 

 

自分にそう問いかけて、答えを思い出そうとする。

 

たしか……冒険者依頼が貼り出されている掲示板を眺めていた時、ハスターファミリアの黄色い二人がやってきた。

二人はヤーナム野郎に恨みを持っているやつを声高に訴えて探しているようだった。

ファリドは名乗り出た。

ヤーナムファミリアの狩人に、獲物を横取りされたり、料理店で先に座っていたのに座席を追い出されたり、並んで順番待ちしていたのに割り込まれたり、挙句のはてには猫人の彼女を寝取られたり、そういう横柄な態度にウンザリしていたからだ。

 

他にも何人かが名乗り出て、その足でヤーナムファミリアの本拠に乗り込んだ。

せいぜい嫌がらせくらいの気持ちだった。

それで……それで、どうなった?

 

「うぅ……あ……」

 

思い出せない。

うめき声が口から漏れるだけで答えが出ない。

乱暴に本を破いたように記憶がズタズタになっていて、そこから先がわからない。

泥沼の中から意識を強引に引きずり上げる。

 

『あ亞、メが樝メ汰んだン拿7』

 

ヌチャヌチャと水気を含んだ耳障りなうめき声が届いた。

なんだいまの……声? は。

混濁した意識がはっきりして、体を起こすと顔の上の布がパサリと落ち、その光景が目に飛び込んできた。

 

 

 

ここは地獄だった。

 

 

 

ファリドの体には胆汁と膿にまみれたシーツがかけられ、寝かせられているのはネズミの内臓を集めた肉の上。

天井、壁、床は血管や肉芽がびっしりと這いずり回って腐臭を放つ。

だがなによりも……なんだこの、豚の内臓を寄せ集めた化け物は?

全体的に赤茶色をして、ヌラヌラとした表面には血管が浮き出ている。

鉈で斬りつけたような裂け目からは半透明の粘液が絶えず流れ出ており、ぎょろりとこぼれ落ちそうな眼球が二つ、こちらを見ていた。

 

「う、わあああああ!?」

 

ファリドの顔から血の気が引いた。後ずさりして肉のベッドから転がり落ちる。

こんな醜悪な化け物はダンジョンだろうと見かけることはない。

ダンジョンのモンスターはある種の動植物らしさがあるが、目の前のこれはバケモノとしか表現できない。

生命に対する冒涜的で醜悪な悪夢の産物。

そんなものがもう手を伸ばせば届く距離にいるではないか。

 

『ナ贋鵝@タ?』

 

なんだこれは?

この……うめき声のようなものを出す、内臓の化け物はいったい?

 

「あ、あああああ……」

 

ファリドは血管のようなヒモが浮き出る壁に背中を押しつけ、いまの自分が置かれた状況を飲み込もうとするがとてもできない。

理解してしまえば狂ってしまう。

あるいはもうすでに狂ってしまったのだろうか。

 

『0イ……ど漚4#?』

 

なんだこいつは?

なんだこの世界は?

俺は死んだのか?

ここは地獄か?

 

『オ|』

 

ゆっくりと内臓の化け物は腸のようなものを伸ばしてきた。

おぞましく穢らわしい臓腑が伸びてくる。

ファリドは即座に辺りを見渡して、すぐ左に愛用するファルシオンが置かれていることに気づいた。

この血と臓腑に満ちた世界の中で、このファルシオンだけが鮮やかな輝きを放っている。

まるで『俺だけがお前の味方だ』と主張するかのように。

 

「近づくなああああああ!」

 

とっさにそれを掴み、水平になぎ払う。

寸分違わず刃は “臓腑の化物” の触手を切り飛ばした。

緑色の粘液を撒き散らして“臓腑の化物” は耳障りな悲鳴をあげる。

 

こいつは殺せる

 

そう判断したファリドの行動は早い。肉のベッドを踏みつけ、反対側にいるそいつにファルシオンを突き立てる。

見た目通りの、肉の塊を突き刺したような嫌な感触した。

 

『……髃ゲ……あ……』

 

“臓腑の化物” は醜悪な体を横たえて死んだ。

死骸からファルシオンを引き抜き、刀身にこびりつく緑の粘液を振って飛ばす。

そうだ、いつだって、どんな窮地だって、このファルシオンが助けてくれた。

相棒などという言葉では言い表せない。

これはファリドにとって腕の延長線、体の一部だ。

まだ、やれる。

ファリドは肉のベッドから降りて通路を行く。するとすぐに行き止まりになったではないか。

正面には赤褐色のサビに覆われた壁なのだが……奇妙な突起がある。

その突起物は腰の高さにあって、それだけがピンク色でプルプルと小刻みに震えていた。

 

「なんだ、この……?」

 

出口などない。

恐る恐るそれをつかむと、その外見に違わぬグニャリとした感触に背筋が凍った。

身震いすると、その弾みで突起物が回転するように動く。

眉をひそめて半回転させると、錆びついた壁が手前に開いた。

これはドア……なのだろうか。

ドアの向こうにもやはり部屋と同じく地獄が続いていた。

血管がのたうつ壁、ミミズのようなヒダが這い回る床。それが左右に続いている。

頭をのぞかせると、幸いにも化物の姿はなかった。

通路に出て、赤黒い粘液が垂れる窓から外を見て、ファリドは床が消えたような錯覚に見舞われた。

この肉の地獄は外まで続いているではないか。

空のあの色!

青ざめた血のような空。そこに浮かぶのは血をペンキのように塗りたくった月。

 

「う、あああ……」

 

いっそ喉をファルシオンで貫いたほうがいいのだろうか。

そう思って握りしめる愛剣を見やると、美しい輝きがファリドを奮い立たせた。

いやまだだ、死ぬにはまだ早い。

 

『#り°、Oきたの咖』

 

左からうめき声。

はっとして振り向くと、例の “臓腑の化物” が二体、ズルズルと体を引きずってこちらにくる。

 

「く、来るなよおおお……」

 

あんなもの相手にしていられるか。

ファリドは即座に背中を向けて反対側に走り出す。

ここは危険だ。外に、外に出なくては。

血腐った血の床は、踏みしめるごとに湿った厭な音を出す。肉を踏みつけるような弾力が気持ち悪い。

突き当たりを左に曲がると階段が上下に続いていた。迷わず下へと駆け下りる。

一番下へとたどり着き、正面の通路を走った。

走りながら……違和感。

この通路、あの階段……この構造には身に覚えがある。この通路の左にはまた別の通路があることを知っている。

正面が玄関になっていてそこは談話室を兼ねていることも知っている。

なぜか?

 

ここはファリドが住むファミリアの本拠と、まったく同じ構造をしている。

 

そのことを疑問に思う間も無く玄関広間にきた。そこでたたらを踏むように立ち止まる。

そこには “臓腑の化物” が七匹と、そして “青い化物” が一匹。

口でうまく説明できないが本能でわかる。あの “青い化物” がこいつらのボスだ。

“青い化物” は管のようなものを束ねてねじったものを集めたような、そんな姿をしていた。

表面はぬらぬらと湿っており、まぶたのないむき出しの眼球が全身の至る場所についている。

その “青い化物” は肉の椅子から立ち上がってこちらへと向かってきた。

 

『八_なむに處4イる楠てナ2を患がエて……マ弖、粗のち8なん陀?』

 

金切り声のようなうめき声が “青い化物” の口……と思われる裂け目から発せられた。

ついでに口から黄色の粘液がゴボリと吹き出し、ファリドは顔を引きつらせて後ろに飛び退く。

気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!

醜悪、などという言葉だけでは物足りない。

生きている内臓、悪夢の産物、生命を冒涜する造形、見るだけで吐き気を催す物体。

そのボスがこいつだ。

 

『なン10狙ん凪毫0を喪ッてーー』

 

“青い化物” はピチャピチャと耳障りな足音を立ててやってくる。

幸いにも “臓腑の化物” はその場から動いていない。

やるならいま。

 

「死、ねえぇぇ!」

 

踏み込み、ファルシオンを横薙ぎに振るう。

刃は “青い化物” の頭部と思われる部位へと向かい、ファルシオンに衝撃。

狙いはそれて “青い化物” の顔らしい場所を浅く切りつけるにとどまる。

 

「くっ!?」

 

“臓腑の化物” の一匹が何かを投げつけたのだと、すぐに理解した。

目の前の “青い化物” は後ろにどちゃりと転ぶ。いまだ、死ね。

 

「ああああああああああああ!」

 

ファルシオンを両手で逆持ちし

振りかぶる。

 

『4せ!』

 

耳障りなうめき声をあげて “臓腑の化物” がワラワラとやってくる。

気持ち悪い小腸のようなものが腕を、胴体をつかんで離さない。

腐臭と腐汁が顔にかかった。

このままでは自分まで “臓腑の化物” にされてしまう。内臓をひっくり返して全ての粘膜を曝し、うめき声を上げるハラワタだけの化物にされてしまう。

ファリドの頭はその恐怖が埋め尽くした。

 

「俺にさわるなあああああああああ!!」

 

叫び、持ちうる全ての力を持って “臓腑の化物” を振り払う。まだ腰に巻きついている触手のようなものをファルシオンで切り落とした。

触手を切断された “臓腑の化物” は不快極まるうめき声を出してのたうち回る。

 

近づくな! あっち行け!(away! away!)

 

化物どもにファルシオンを突きつける。化物どもはその場でたじろいだ。

“青い化物” はすでにどこかへと逃げていた。

もうここにいるべきではない。ファリドは一目散に玄関のドアを蹴破って外に飛び出した。

 

ひたすら走る。

血と、肉と、血管、肉芽。

そういうもので満たされた街をひた走る。

地獄はどこまでも続いていた。

豚の内臓を寄せ集めた化物はそこかしこにいた。

それらから逃れるために右へ左へと狭い路地を走る。

 

違和感。

 

この通りには身に覚えがある。

この順路を知っている。

この先に左右の分かれ道があることを知っている。

右に曲がるとバベルが見えることを知っている。

 

なぜか?

 

「う、あ、あああ、ああああああ、あ……」

 

ここは、地獄ではない。

オラリオだ。

あれがバベルだ。

青ざめた血のような空へ伸びる、血管のようなツタが覆い尽くす腐肉の尖塔。

それにはりついているあれはなんだ!?

左腕は三本であるのに対して右腕は四本という非対称、そして二本の脚。ゴライアスと同等以上の大きさを持ちながら、その全身は異様なまでに細く、長い。

冥府の果実を思わせる頭部には眼球らしきものが存在せず、口のような場所からは名状しがたい触手が何本も生えて不気味に揺らいでいる。

 

そんなものが何匹も肉の塔にはりついている。まるでなにかを探すように。

バベルの下を求めているように。

 

「うぅ、あああ……誰か……誰か助けてくれ……だれか……!」

 

ファリドはバベルに背を向けて走り出しす。

行くあてはない。

どうしてこうなった?

なぜこうなった?

見るもの全てが血肉の街。その住人は内臓の寄せ集め。

狂ったのは世界の全てか? それとも自分一人か?

それを知る方法はなかった。

とにかく誰でもいい、なんでもいい、助けてくれ。

どこをどう走ったのか……ふと、ファリドの視界に何かがよぎった。

血肉の世界の中で、明らかに内臓とは違う色あざやかな、綺麗ななにかが見えた。

その綺麗なものはすぐに角を曲がって見えなくなってしまう。

それが何者であるかなど考える余裕はなかった。

すぐに追いかける。

 

「待て、待ってくれ!」

 

走り、角を曲がる。

服が見えた。

だがまたもや路地へと入って視界からいなくなってしまう。

ちらりと服の裾が見えたのだ。 “臓腑の化物” とは全く異なる、ちゃんとした何かが。

右へ左へと曲がってそれを追う。

自分が追っているものはただの幻影で、あるファミリアの本拠におびき寄せられているのだと、いまのファリドには想像もできない。

とにかく希望の光を追い求めるように、その影を追い、そして見つけた。

 

ファリドが行き着いた場所はどこかの建物だった。

まるで入ってこいとでも言わんばかりに肉の口が開かれており、奥には赤い極彩色の階段があった。

階段の上には亀裂が入った肉膜があり、階段の隣には建物の奥へと続く通路がある。

ここもなにか見覚えがあるような気がした。

入るか引き返すかためらっていると、その通路の奥から声が聞こえてきた。

 

ーー来て。

 

脳に直接囁きかけるような、そんな少女の声だった。

 

ーー来て。

 

再び声。

ファリドは生唾を飲み込み、ファルシオンを握りなおしてその建物に足を踏み入れる。

内臓を踏むような嫌な感触を我慢して、足音を立てないように用心深く通路の奥へ。

やがてドアが二つある場所に来た。

片方は閉ざされているが、もう片方は開いている。

その開いている方のドアを覗き込むと、ファリドは思わず息を飲んだ。

そこには可憐な少女がいた。

腐った骨の安楽椅子に座り、椅子と共に小さく揺れている、れっきとした少女。

まだ幼さとあどけなさが残り、美しさよりも可愛らしさがまさっている。肌は透き通るように白く、ほっそりとした肢体が白いワンピースから伸びていた。

 

「あ、あああ、あああ……」

 

この血と臓腑の地獄のような世界でようやくまともな人間に出会えたことに、ファリドは思わず涙を流していた。

彼女こそが美の女神だ。

フレイヤもイシュタルも、彼女に比べれば踏みつけた粘土細工に等しい。

少なくともいまのファリドはそう信じて疑わなかった。

 

「ああああああ、あ……や、やっと……やっとまともな人に会えた……」

 

ファルシオンを落として、子供のように泣きじゃくりながら少女の元に歩き、その足元でひざまづいた。

 

「どうか、どうか手を握ってください……気がついたら世界がおかしくなっていて……見えるもの全部が気味の悪いものに変わっていて……」

 

懇願するファリドに、少女は優しげに笑みを浮かべる。

そしてファリドの頰にそっと右手を添えた。

その柔らかく、暖かな温もりにファリドは歓喜した。

この少女が望むものすべてを差し出してかまわない。少女が望むのならファリドのすべてを投げ捨ててもかまわない。

そんな思いでファリドの胸はいっぱいになった。

地獄で出会った救いの女神。

それこそが目の前にいる少女だと断言できた。

 

「あなたは……あなたは、いったい……?」

 

ーー禁断の果実を手に入れた人の片割れ。幼年期の終わりを迎えた者。

 

なにを言っているのか、なにを言いたいのか、よくわからなかった。

少女はそのまま語り続ける。

 

ーーこの世界は “彼ら” の世界だった。けれどウラノスのような神々は、欺瞞の光でこの世界を覆い尽くした。優しい嘘で真実を隠した。自分の価値観に沿うように世界を塗りつぶした。そしてこの世界に降臨して、 “彼ら” を追放した。もう少しでその末席に人は並べたはずなのだけれど、神々は子供の自立を許さなかった。子離れできないのね。

 

「 “彼ら” ? 自立……?」

 

ーー古き神々、旧支配者、深き者共、冒涜的曲線達。 “彼ら” の過半は姿を消したけど、大地のはるか下に潜んでいる赤子は取り残された。赤子が旅立つには時間が足りなかった。

 

「そ、それで……俺に、なにを望むのです? なにを、したらいいのです?」

 

ーー赤子を殺して。そして赤子の持つ禁断の果実を手に入れて。

 

禁断の果実。

最初の人間であるアダムとイヴが食べたとされる知恵の実。

それを欲しがっているのか。

 

ーー人はね、知恵を手に入れたから楽園を追放されたわけじゃない。自分から楽園の外を目指した。わたしも同じ。次元を超えた次の世界を知りたい。神の座席に座って、世界の果て、その終わりの先、虚ろな宇宙の向こう側に行きたい。そのためには(つがい)となるアダムが必要。だから……赤子を、殺して。

 

少女の意味するところはよくわからない。だが赤子とやらが持つものを殺して奪って欲しいということはわかる。

腹は決まった。

 

「その赤子はどこに?」

 

ーーダンジョンの奥底に。ダンジョンは赤子のゆりかご。身を守るための城塞。成長するための繭。神々はモンスターを生み出すだけの深い穴くらいにしか思っていないようだけど。

 

ダンジョンの奥底。

そこに少女が求めるものがある。

ファリドが立ち上がった時には、もう怯えの表情はなかった。

 

「必ず、あなたのために持ってきます。だから、どうかそのときは……」

 

ーーわたしの(つがい)になってね。イヴにはアダムが必要だから。

 

「はい」

 

力強く返事をして、最後に問うた。

 

「あなたは、人間、ですか?」

 

少女はくすりと微笑む。

 

ーー人間だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー昔は、ね

 

 

 

 

 

 

 

 

ファリドが見上げた先には巨大な肉の塔がそびえ立っていた。

雲を突き抜けるようなおぞましい尖塔。

そこに張り付く巨大な存在にも圧倒される。

その巨大なものは口と思われる場所に生える、触手のような肉腫をうごめかせてファリドをじーっと見ているようだった。

神々はこれに気づいていないのだろう。

あの少女に言わせるなら、欺瞞の光に溶けこんだ宇宙の色、それがこの存在なのだろう。

どうでもよかった。

ファリドは “臓腑の化物” など目をくれずにバベルと思われるものの中に飛び込む。

このはるか下には少女が求めるものがあるのだから。

 

旧支配者、古き神々、その生き残りを殺して禁断の果実を手に入れ、幼年期を終わらせる。

人は神から親離れをはたし、万物の理を超越した存在になる。

まさしく神への転生。

 

それこそがヤーナムファミリア主神の目的なのだから。




お仕事とゲームが忙しくて更新できんかったわすまんな。

沙耶可愛いよ沙耶。

神様なんだからヌルヌルグチョグチョな神様だっているよね。
カレル文字の『苗床』なんてハワード・フィリップス・ラヴクラフトの頭文字、『HPL』を重ねた文字だからね。


さーて、いい加減にガスコイン神父を出したいので、山ほどある説教とか戦争遊戯とかやる前にちょっと番外編挟ませてください。

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