上位者がファミリアを創るのは間違っているだろうか   作:gulf0205

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ブラッドボーン知らない人向けあらすじ

医療の街、ヤーナム。
教会と医療の街でありながら、奇妙な風土病がこの街には蔓延していた。
獣の病。
この病に罹った者は、徐々に理性を失い、身も心も獣へと変化していく。
医療を求めてヤーナムに訪れた主人公は、獣を狩る狩人の素質を見出され、終わりの見えない “獣狩りの夜” へと身を投じる。

PS4にて発売されており、現在DLC封入パックも発売中。すでに中古が出回っているためPS4をもってる人は是非。




Q. 上記のような宣伝はステマだと言われますが?

A. あ、そうなんだ……で? それがなにか問題?


6 スレイ・レーヴェンの日常(2)

ヤーナムファミリアは総勢四十名余りの中小ファミリアである。

中小規模だけあって、その本拠も二階建ての、大きくもないし小さくもない木造屋。

ここは本拠というよりは狩人のための宿泊施設のようなものでしかなく、寝泊まりと狩り道具の補充くらいしか利用されていない。

その個室さえもろくに使われておらず、ほとんどの狩人たちは自分たちで家を買ったり、もっと広い部屋を借りたりして暮らしていた。

それもそのはずで、眷属のほぼ全てがレベル2以上の上級冒険者なのだ。

全体の半数の冒険者がレベル1のまま生涯を終えることを考えると、このファミリアの眷属構成は異常だといえるだろう。

自分の実力を早々に見切りをつけたパッチなどを除いて、ヤーナムファミリアの最初の一年を超えられなかったものに待ち受けるのは容赦のない死だ。

夥しい死者を出し、才能のあるものだけが生き残り、このような少数精鋭ともいうべき状態となっている。

レベル2ともなれば到達可能階層も深くなり、自然と懐事情も潤ってくるものだ。

であればいつまでも本拠の狭い個室に満足せず、もっと広くて快適な場所に移り住むのが道理というものだろう。

ここで寝泊まりしているのは単純にお金に困っている新人か、あるいは贅沢というものに興味がなくなってしまったのか……はたまた、エミーリアの近くにいたいだけなのか。

それは当人にしかわからないことだった。

 

 

 

 

ヤーナムファミリアに入ってまだ半日しか経っていないカーターは、最低な悪夢から目覚めるとさっそく狩人の心得やスキルの説明を受けた。

 

それが終わると今度は本拠の裏庭で体を動かしながらの復習だ。

外からは見えないように、あるいは外へと何かが飛んでいかないように、裏庭は背の高い石垣に囲まれている。

その中でカーターは両手で棒切れを振り回し、相手をしているスレイは片手でなんなくいなし、防ぎ、受け流す。

 

「……ステータスは人に見せてはならない。その理由は?」

 

「えーと……」

 

思い出そうとして、カーターの視線が左上へと動き、手が止まる。

スレイはその隙を逃さず、カーターの胸元を突いた。

 

「いてっ!?」

 

「手を止めるな」

 

「こん、にゃろう!」

 

大きく振りかぶり、スレイへと振り下ろした。

スレイは軽々と横へ弾き、再度問う。

 

「ステータスを他人に見せてはいけない理由はなんだ?」

 

「ステータスはっ! 自分のっ! 情報がっ! 集まって! いるから!」

 

やけくそになって叫ぶように答える。

さらに棒切れを右へ左へと振り回すも、やはり片手で防がれた。

 

「俺たちが血を浴びるとどうなる?」

 

「アビリティが強化される!」

 

これはもちろん知っている。このスキルを目当てにやってきたのだから。

 

「それと?」

 

「怪我が治る!」

 

「浴びすぎたらどうなる?」

 

「あのー、あれだ、あれ……」

 

いいよどむと、突如としてカーターの脳天にスレイの棒切れが命中。

ゴス、と少々危ない音がした。

 

「あいっ、でええええ……」

 

涙目になって頭をさすり、恨めしげな目線をスレイに向ける。

頭を殴られたのはわかったが、その動作がまったく見えなかった。気がついた瞬間には脳天を打ちすえられていた。

 

「血を浴びすぎるか、血が体に入りすぎるとスキルの<血液再誕>(ブラッドボーン)が発動する。そうなるとどうなる?」

 

スレイはカーターの様子など気にせずに続けた。

 

「……答えろ」

 

右から棒切れが迫った。

カーターはとっさに防ぎ、記憶をたぐろうとするのだが、一度説明されただけで全部覚えられるはずがない。

 

「忘れた!」

 

 

ゴス

 

 

間髪入れずに棒切れがカーターの脳天、それも同じ場所に落ちた。

 

「うごおおおぉぉぉぅ……」

 

カーターは我慢できずに頭を抱えて膝をつく。

痛い。痛すぎる。親父のゲンコツの方がいくらかマシだ。

 

<血液再誕>(ブラッドボーン)が発動すると、俺たちはただ血肉を求めるだけの獣になる。忘れるな」

 

「その獣になるってのがよくわからねーんだよ……モンスターにでもなっちまうってのか?」

 

涙を拭って問うと、

 

「そんなところだ」

 

当たり前のように肯定された。

 

「……マジ?」

 

「ああ」

 

スレイの顔つきは真面目そのものである。嘘を言っているようには見えない。

 

「立て。次だ」

 

「ちょっと休ませてくれよ!」

 

「この程度で泣き言か? ダンジョンで誰かが助けてくれると思ってるなら大間違いだ」

 

スレイは足元の石ころを拾い上げると、迷わずカーターに投げつけた。

それはカーターの左腕に命中。鈍い痛みが広がる。

 

「あだっ……」

 

なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ? ただ冒険者になって一旗上げたいだけなのに。

そう思っている間にもスレイは足元から石ころを拾い上げた。

 

「立て。また投げるぞ」

 

本気だ。

よろよろと立ち上がり、痛みで涙ぐんだ目を向けた。

 

「泣くか? 泣いたら助けがくるのか?」

 

来るわけがない。

故郷の村からオラリオまでの二週間、足が棒のようになっても、転んで手をすりむいても、腹を空かせた野犬に出くわしても、それで弁当がなくなり腹が減っても、誰も助けになんか来なかった。

自分は特別ではないことくらい、この二週間で嫌というほど思い知った。

 

「それとも、向かってくるか? ……選べ」

 

スレイは棒切れを向けてくる。「さあかかってこい」とでも言うように。

カーターは冒険者になって、大成はせずとも成り上がるためにやってきたのだ。

泣き言など言っていられないことを思い出して、カーターは立ち上がる。

棒切れを振りかぶって、スレイへと走った。

 

「こん、のっ!」

 

大ぶりの袈裟斬り。

それもたやすく防がれるが、スレイは満足げに一言。

 

「それでいい」

 

そんなスレイにめがけて、何度となくカーターは棒切れを振るう。

不格好で、重心移動も姿勢維持もまるでなってないのだが、構わずに振り回した。

スレイは問いかけてくる。

 

「上位者のことを他人に言えばどうなる?」

 

「他のファミリアがちょっかいをかけてくる!」

 

ここの神様が “あんなもの” なんて思いもしなかった。

あれが背中に乗った時のなんとも言えない感触を忘れるように、棒切れを振るった。

 

「モンスターは五匹、味方は自分一人。どうやって捌く?」

 

これは教わっていない。自分で考えて答えを出すしかない。

汗だくになりながら想像した。モンスター五匹に囲まれたら……後ろから襲われる。

なら囲まれないようにするしかない。

 

「……壁に、背中をつける?」

 

ビシリと左腕に痛み。違ったらしい。

 

「自分から逃げ道を絶ってどうする。狭い場所に入って一対一で戦え」

 

狭い場所で一対一ね、はいはい。

「ヤーナムファミリアの警句はなんだ?」

 

「警句は……えーと……」

 

一度聞いた。

聞いたのだが……忘れた。

それを見抜いたのかゴスッと脳天に一撃。

 

「ったあああああ……」

 

「 “我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ” だ。繰り返せ」

 

うー、と唸ってから、カーターは同じように言う。

 

「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ」

 

言って、この警句とスキルの関係に気づいた。

血によって人を超える。つまりはアビリティが強化されて、怪我を癒すという意味だ。

けれども血を求めすぎると人を失う。人ではなくなってしまう。だから血を恐れよという意味なのだろうか。

 

「次、行くぞ」

 

スレイは横薙ぎに棒切れを振ってきた。とっさに防ぐと、今度は上から、左からと目まぐるしく迫ってくる。

 

これは日が沈むまで続いて、終わる頃にはもう腕が上がらなくなっていた。

 

 

 

 

 

ギルドで冒険者の証であるドッグタグを受け取ったり、本拠に備え付けてある初めての温水シャワーに興奮し、スレイのおごりで初めての食事処の料理に感激し、夜は初めてのベッドで泥のように寝ついてしまった。

 

 

 

 

 

そして翌朝。

 

さあこれから初めてのダンジョンと行きたいところだが、カーターは隣接する “狩人工房” へ訪れた。

スレイ曰く、先に噴水広場で待ってるから武器を適当にもらってこい、だそうだ。

 

「すんませーん!」

 

工房へと頭を入れて声を出す。

鍛冶炉が並んでいるが、まだ早朝とあってか火は灯されていない。

鍛冶炉の反対側には作業台があって、上には作りかけの仕掛け武器が置かれていた。

ハンマーや板金鋏といった鍛冶道具は丁寧に壁にかけられている。鍛治師にとってのハンマーは、剣士にとっての剣に等しいものだろう。

 

「なにか用事かい?」

 

そのいくつかある作業台の一つ、椅子に座って機械仕掛けのなにかに油を差す青年が問いかけてきた。

複雑な機械の左右に湾曲した剣がついた、弓のようにも見える武器。あるいは本当に弓なのかもしれない。

左右に開いた剣を結ぶように、一本のワイヤーが走っているのだから。

青年の方はというと、鍛治師というにはずいぶんと体が細くて年若い。油の染み付いた前垂れや手袋が絶望的に似合っておらず、モノクルをつけた細い顔は、鍛治師というよりはむしろ学者のようだった。

 

「あ、っと、俺、ジョン・カーターってんだ。昨日ファミリアに入って、それで武器をもらってこいって言われてここに」

 

「あー、あー、あの、スレイさんに稽古してもらってた子ね、はいはい。僕はオド・アーセナル。二つ名もズバリそのまま『火薬庫(アーセナル)』。鍛治師(ブラックスミス)っていうより技巧師(アーキテクト)なんだけどね」

 

そう言ってにこりと人懐っこい笑みを浮かべて見せると、その弓のようなものを掲げて見せた。

 

「ん?」

 

いったいなんなのだろうかとカーターは注視した時だ。

 

ガシャン

 

そんな音を立てて、左右に広がっていたはずの剣が閉じて、一本の湾曲した剣へと姿を変えたではないか。

カーターは目を見開いた。

何が起こったのかのかまるでわからない。

 

「ははははは、そういう驚いた顔は何度見ても飽きないよ」

 

ひとしきり笑ってから、再びガシャンと剣を展開した。いやもう本当に何がどうなっているのか目で追えない。

 

「っと……そうそう、武器だったね。そこにあるの、どっちか好きなの持っていきなよ。いまは誰も使ってないからさ」

 

オドがカーターの背後を指差し、その先を目で追った。

そこにはノコギリのようなギザギザが背面にならんだ鉈や、特に変わり映えのしない斧の二つが並んで立てかけてある。

どちらも柄の部分が手垢で黒ずんでいたり、サビが浮き出ていたり、刃が一部欠けていたりとかなり使い古されている。

カーターの体格では使いこなすのに難儀しそうな代物ではあるが……。

 

「じゃあこっちにする」

 

カーターが選んだのは斧の方だった。

おっかない父親が木こりだったため、斧を振るのには慣れている。

もっとも、ここにあるのは枯木を切り倒す簡素なものではなく、戦場で敵の頭をかち割るような戦斧であるが。

実際に手に持って上下させてみた。

木こりが使う斧は木の棒に金属の頭を取り付けただけのものだが、これは柄までもが金属でできている。

見た目以上にずっしりとした重さだが、扱えないというほどでもない。

むしろ力任せに殴りつければなんとかなりそうだ。

 

「それ “長柄斧” って言ってね、柄のところを回してごらん」

 

アーセナルはお手本のように手首をひねって回すようなしぐさを見せた。

 

「柄を?」

 

言われた通り回してみると、柄が半周して何かが外れる感じがした。

 

「で、上下に引伸ばす」

 

「引伸ばす」

 

やってみた。

すると斧の柄が伸びたではないか。まるでハルバードだ。

 

「それで柄を逆方向に回すと固定」

 

「おお……」

 

簡単の声を漏らしつつ、柄を固定。

しかし正直言ってこの長さはカーターの体格では扱いにくいことこの上ないので、元に戻した。

 

「でもちょっと重たいな……」

 

なんというか、工房内に置いてある武器はどれもこれも大人用の大きさだ。

カーターにとって手頃な大きさというものがない。

いやあった。

 

「そのナイフみたいなの、それは使っちゃダメか?」

 

アーセナルの背後。その壁にかけてある武器を指差す。

ナイフにしては長いし、剣にしては短い。そんな中途半端な長さの武器がそこにはあった。

鞘には小さな札が紐でくくりつけてある。

 

「これ? ダメダメ、これは他の人のなんだから。それに君じゃ、アダマンタイトくらいの強度がないとすぐに折っちゃうよ。そのくらい刀身が薄いんだ」

 

「むう……」

 

刀身が薄ければ切れ味が増すが、その分だけ折れやすい。

子供でもわかる理屈にーー子供じゃねーけどーーカーターは諦めた。

他人のものを使うわけにもいかず、この使い古しの斧から始めることにしよう。

 

「ん、わかった。じゃあな、この斧もらってくぜ」

 

踵を返し、いざ出発、という時に呼び止められた。

 

「あーちょっと待って、一つ伝言をお願い」

 

「え?」

 

「もしもファナって人に会ったら、メンテナンスが終わったって伝えて。赤い眼帯をつけたエルフの美人さんだから、見たらすぐわかるよ」

 

「赤い眼帯でエルフの美女だな? 見たら言っとく!」

 

アーセナルに手を振って今度こそ工房を飛び出した。スレイとの待ち合わせ場所は噴水広場だ。そこへと走った。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

一人、工房に残るアーセナルはモノクルをかけ直して次へと取り掛かった。

 

「ではでは……パイルハンマーの試作品を完成させなきゃ……」

 

アーセナルは “弓剣” を鞘に納めて、その持ち主であるファナの名前を書いた札をつけ、壁にかけた。

それから隣の作業台へと移動。

その上に広げられた大小様々な金属の部品と、パイルハンマーの設計図面を前に、妖しくモノクルを光らせ、笑う。

 

「ふ、ふふふふふ……」

 

変態だの馬鹿だのイカれてるだのと色々言われもしたが、このパイルハンマーを見ても同じことが言えるものか楽しみだ。

“爆発金槌” と同じく魔石による爆発機構を応用し、爆発的衝撃力でもって杭を射出。モンスターに直接杭を撃ち込む武器、パイルハンマー。

理屈の上ではあるものの、当たれば即殺・必殺・オーバーキルの武器であり、アーセナルの爆発系新作武器である。

……爆発。

ば・く・は・つ。

ああ、なんて素敵な響きなんだろう、興奮した。

 

「んふうふふふふ……」

 

アーセナルは夜道の女性につきまとう不審者のような笑顔になって、組み立て作業に入った。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

バベルの地下一階にある大広間。

直径十Mの巨大な縦穴が大口を広げる様は巨大なワームの口にも見える。

対照的に天井は本物と見間違うほどの蒼穹の大空が描かれていた。

まるで天国と地獄だ。これから行く先は地獄の底だ。

穴の外周に設けられた階段を、カーターはスレイとともに降りていく。

周囲の冒険者を見やると、同じくダンジョンへと向かう冒険者の姿。

その装備の豪華さといったら……。

何度となくモンスターの攻撃から装備者を守った堅牢な全身鎧。

使い込まれ、手垢のついた大剣。

宝石のように透き通った水晶が取り付けられた杖。

まさしく冒険者といった出で立ちであるのに対し、カーターの姿は田舎の小僧感丸出しだった。

 

「なあ、俺にはその服はねーのか?」

 

スレイに問いかけると、ふんと軽く鼻を鳴らされる。

 

「子供サイズはない。欲しいなら、まずはニードルラビットの毛皮を集めるんだな」

 

「俺は子供じゃねーっての!」

 

「……チビサイズはない」

 

「ぐっ……」

 

ジト目で見上げるが、スレイは気にせず下へと降りる。

余談ではあるが、スレイのコートや帽子も下層モンスターのドロップアイテムをふんだんに使用しており、実はこれで防御効果が高い。

おまけにスレイの武器にも希少金属が使われており、ありふれた鋼鉄武器以上の攻撃力を持っている。

もっとも、それらはカーターの知るところではなかった。

 

 

 

大穴を降りた先、第一階層は横幅が限りなく広く巨大な通路だった。

始まりの道と言うらしく、カーターにとってはまさしく始めの第一歩となる。

突き進むと、壁に当たった。

その壁にはまるで分かれ道のように無数の通路へと別れており、冒険者たちはそれぞれ好きなように別れて進む。

ただ、あまりにも広い通路からこのような狭い通路へと変わるため、まさしく押し合いへし合いというような有様でもあった。

 

「早く行けよ」

 

「うるさいな」

 

そんな言い合いを聞きながら、カーターは通路に入った。

 

「……ついてこい」

 

スレイはおもむろに、人がいない通路へと進んだ。

薄青色の壁や天井が随分と近くなり、横幅は二人並ぶのがやっとだ。始まりの道と比べると左右から押しつぶされそうな錯覚を覚える。

そしてスレイが選んだこの通路、まるっきり誰もいない。

むしろ積極的に人がいない通路を選んで進んでいる。

 

「この道であってんのか?」

 

「正解も不正解もない。だがここでいい」

 

「はあ?」

 

「見ろ」

 

スレイが立ち止まり、先を指差した。

前を見ると、通路でしゃがむ小さな緑色の小鬼が一匹いた。

 

「あれが一番弱いモンスター、ゴブリンだ。一人でやってみろ」

 

「えっ、いきなり?」

 

お手本も何もなしでやれと言われて戸惑う。

スレイはさもありなんとばかりにカーターを見やり、言う。

 

「そうだ、やれ。それとも怖いから帰るか?」

 

「そういう言い方はないだろ……」

 

怖いから帰るか? と問われて、怖いので帰ります、などと言えるはずがない。

第一、危険は承知の上で冒険者の道を選んだのだ。

カーターは前に出て、担ぐように持っていた斧を両手で握る。

心臓が高鳴った。

いきなりの実戦だ。やるしかない。

 

『ギッ?』

 

ゴブリンがこちらに気づいて立ち上がった。

耳まで裂けた口。そこから垂れ落ちるよだれ、覗かせる不揃いの牙。小さな体躯。エルフのような長い耳(エルフに失礼)とちんちくりんな手足の長さ。

やれるはず、だ。

 

「う、おおおおおお!」

 

自らを鼓舞するように叫んで走る。 “長柄斧” の重さが今は心強い。

 

『ギイイアアア!』

 

ゴブリンも威嚇するような鳴き声を発し、短い爪が生えた右手を振りかぶった。

だが攻撃が届く距離はカーターの方に分がある。

カーターは醜悪なゴブリンの頭をめがけて斧を振り下ろした。

 

ガチュッ

 

湿った、それでいて硬い音。

硬い頭蓋骨の直後にくる柔らかい脳漿。

それらの感触が柄を通じてカーターの掌へと伝わり、ゴブリンの返り血がピチリと腕に付着する。

ゴブリンはその眼球が飛び出して、崩れ落ちた。

 

「……!」

 

カーターは背骨を舐め上げるような感覚に襲われた。呼吸が荒くなり、言いようのない快感が沸き起こってくる。

精通にも似た戸惑いと興奮にカーターは打ち震えた。

もっとだ、もっと……殺し、たい……?

 

「次、来るぞ」

 

スレイの言葉がカーターを現実に引き戻す。

騒ぎを聞きつけたのか、ゴブリン二匹と二足歩行の狼、コボルト一匹がこちらへ走ってくる。

 

「敵は三体、味方は自分一人。どうする?」

 

昨日の午後の訓練と同じような状況だ。言葉通り “叩き込まれた” ことを思い出す。

 

「狭い通路に入って一対一で戦う」

 

そして幸いにも、まさしくここは二人並ぶのがやっとという狭い通路ではないか。

 

「いっくぞおおおおお!」

 

走った。

もう恐怖心も不安もない。あるのは興奮と高揚感だけだ。

スキル、狩人歓喜(ハンターズハイ)がそうさせるのだ。

カーターの腕に付着したゴブリンの血を肌から吸収し、アビリティを強化させ、興奮状態へと導く。

二匹いるゴブリンの一匹、太ったゴブリンが飛びかかってきた。

カーターは大きく斧を振りかぶり、薪を叩き割るようにゴブリンの顔をめがけて振り下ろす。

入った。

再び掌へと伝わる絶命の感触にカーターは震えた。

勢いをそのままにゴブリンを押し倒し、斧を引き抜くと、刃に付着した血が糸を引いた。

 

『ギガガガアアア!』

 

後から続いた痩せたゴブリンが腕を振る。

とっさに身をそらしてかわそうとしたが、避けきれず、頬を引っかかれた。

並行する三本の醜い傷ができて、血が流れ出る。

しかしカーターは痛みを感じない。

カーターに限った話ではないが、人は興奮状態になると痛みを感じないものだ。

 

「やっ、たな!?」

 

斧を水平に薙いだ。狙うはゴブリンの首。

“長柄斧” 本来の重量と、強化されたカーターのアビリティが、たやすくゴブリンの首を切断。血が噴き出して、カーターに向かって倒れる。

必然的にカーターはゴブリンの返り血を全身に浴びた。

すると頬に刻まれたはずのひっかき傷が、瞬く間に塞がっていく。

これがスキルの被血治癒(リゲイン)効果だ。

狩人にとって血はアビリティを高める劇薬であり、傷を癒す治療薬でもある。

そして残りのモンスターはコボルト一匹。

 

「あ、っは!」

 

その表情たるや……凄惨なまでの、笑み。

カーターはゴブリンの死骸を踏み越え、斧を大きく背後へ振りかぶってコボルトへ飛びかかる。

 

『グルゥオオオオ!』

 

コボルトが繰り出してきた右手をかわし、 “長柄斧” を左肩へと叩き込む。

これは肋骨、これは肺、これは肋骨、これも肋骨、これは心臓、これも肋骨……の辺りで斧は止まった。

いまのカーターと鉄鋼製の “長柄斧” では、コボルトの胴体を両断するに至らない。

両腕に力をこめて斧を引き抜いた。

血染めのコボルトは無言のまま地面に沈む。

 

「はあっ、はあっ……あは、あ、はははっ……」

 

心臓を突き抜けるような激しい鼓動と快感がカーターの脳を貫く。

こんなに楽しいことがあったなんて!

愉しい。

快しい。

楽しい。

たのしい!

もっと血を、甘い血を、香り立つ血の味を、もっと、もっと、もっと!

 

「カーター」

 

肩を叩かれて、カーターはハッとした。いま自分は何を考えていた?

 

「警句はなんだ?」

 

「けい、く?」

 

「ヤーナムファミリアの警句は? 言ってみろ」

 

なんだっただろうかと思い出そうとすると、昨日、殴られた時の痛みとともに言葉が浮き上がってきた。

 

「わ、われら、血によってひととなり、人をこえ……また人をうしなう……しらぬものよ、かねて血をおそれたまえ……」

 

「もう一度」

 

言われるがまま、繰り返す。

今度はろれつが回り、はっきりと言うことができた。

 

「我ら、血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ」

 

「そうだ。血と狩りに酔うな。酔えば終わりだ」

 

少しずつ、沸騰していた頭が冷えていく。ゆっくりではあるが鼓動も落ち着きを取り戻していった。

 

「落ち着いて深呼吸をしろ」

 

「……」

 

スレイに従って、深く、大きく呼吸を繰り返した。

しばらく繰り返して、足元のモンスターが灰になるころ、カーターは完全に自我を取り戻した。

 

「……落ち着いたか?」

 

「お、おう……なんか、俺が、俺じゃないみたいな、そんな感じだった……」

 

モンスターを殺して、それを楽しいと本気で思った。もっともっと殺したいとも。

 

「血でアビリティは強化されるが、同時に獣へ近づく。だから、血を恐れないといけないんだ。いいな?」

 

「わかった」

 

神妙にうなづく。

 

「よし」

 

スレイはカーターの肩に乗せていた手を下ろして、足元を指差した。

 

「魔石を拾え。それはおまえの取り分だ」

 

「ん?」

 

見ると、小さな結晶が灰の中に埋まっていた。

手に取ってみると、鈍い光を放った石ころのようでもある。

 

「これが魔石?」

 

「ああ。だがそれだけじゃ、昼飯代にもならないぞ」

 

「おお……へへへ」

 

嬉々として残る二つの魔石を拾ってズボンのポケットに突っ込んだ。

これが冒険者として初めての稼ぎというわけだ。

 

「まだ行けるな?」

 

「たりめーよ! 俺はまだやるぜ!」

 

握りこぶしを作って見せると、スレイは顎をしゃくった。

 

「じゃあさっそく後ろを見ろ」

 

「へっ?」

 

振り返ると、壁に亀裂が入り、そこからゴブリンが頭を突き出した。

 

「うおっ!?」

 

「モンスターは壁から産まれる。出てくるまえに片付けてしまえ」

 

「任せろ!」

 

 

 

 

 

そうしてしばらく一階層でのモンスター狩りを行い、帰還となった。

 

「まだやれるってのに……」

 

ぶつくさ文句をたれながら、大穴に設けられた階段を上る。

時刻はまだ昼頃でしかなく、ダンジョンに潜ろうとする冒険者はまばらに見受けられるが、帰還するのはスレイとカーターしかいない。

 

「血には少しずつ馴れろ。急に血を浴びすぎると、あっという間だ」

 

「ぬー……まだ、足りない感じがする」

 

「我慢しろ。そうだな、人を失ったらどうなるか見せてやる」

 

「見せてやるって……」

 

わけがわからず、ひとまずはギルドに向かって換金した。

メイに開口一番「シャワー浴びてこいやこのクソガキ!」となじられたが、ともかく昼食と夜食分の資金を手に入れて本拠へ。

外で軽く斧と体を洗ってから中へ入った。

 

「ただいまー、って、ここは家じゃねーな」

 

「斧はその辺に置いとけ。こっちだ」

 

カーターの一人ノリツッコミを華麗に無視され、少ししょんぼりしつつも、斧を壁にかけてスレイの後を歩く。

人を失ったらどうなるのかを見せてくれるらしいが、向かった先は上位者の部屋だった。

相変わらずカーテンがひかれた窓際に人形が座っており、その腕の中には上位者なる正体不明が収まっていた。

壁には大きな絵画がかけてあり、ヤーナムファミリアの最初の眷属であるゲールマン、ローレンス、ルドウイークが描かれている。

 

「お帰りなさいませ、狩人様」

 

人形が顔をこちらに向けて会釈した。

 

「地下に入る」

 

「ええ、どうぞ」

 

スレイはその絵画へと歩くと、絵画を少し持ち上げ、その裏側へと腕を伸ばした。

カチャリ、と何かが外れる音がして、絵画の下にある木板が手前へと開いた。隠し戸だ。

 

「ついてこい」

 

スレイはしゃがみ、その奥へと潜る。

 

「こんなところが……」

 

隠し扉の反対側には狭い廊下と、下へと伸びる梯子がかけてあった。

定期的に掃除されているのだろう、隠し通路ながら埃がない。

スレイは梯子の脇に置いてある魔石ランタンに光を灯し、梯子を下りていく。

カーターも後に続いた。

梯子を降りると、そのまま地下室となっていた。

巨大な岩をくり抜いたかのような肌寒い部屋で、まるで墓石の中にいるような気分になる。

……否、ここは本当に墓所なのだ。

梯子の正面、スレイのランタンに照らし出されたのは祭壇だった。

その祭壇には大きな、なにかの頭蓋骨が祀られている。

 

「これ、は……?」

 

頭蓋骨の大きさは人の頭の二倍か三倍はある。頭蓋骨だけでこの大きさなのだから、胴体があればどれほどの巨体になるのかわからない。

左頭頂部から後ろにかけて大きな穴が開いており、虚ろな内部をさらしていた。

もしかするとこれが致命傷になったのかもしれない。

口や鼻は狼のように前へと突き出し、その口に残る醜悪な牙は動物というよりはもはやモンスターのようでもあった。

だがモンスターの頭蓋骨ではないだろう。

モンスターならば魔石を失うと同時に灰になってしまうのだから。

祭壇にはこの頭蓋骨の他にも、流れ星のような輝きを放つ武器が祀られていた。

一つは巨大な鎌で、もう一つは大きく湾曲したナイフとも小剣ともとれる刃物。

そのどちらもが、なにか、言いようのない神聖な輝きを放っている。地上には存在しない金属を使っているかのように。

 

「……上に飾ってある絵は見たな?」

 

「ん、見た。最初の眷属なんだろ?」

 

「そうだ。この人はその最初の眷属の一人、ローレンス本人だ」

 

「えっ!? これ、人間?」

 

「ああ」

 

頭蓋骨を凝視するが、どこをどう見たらこれが人間に見えるだろうか。

 

「狩人が血に酔うとこうなる。俺も、おまえも」

 

言って、スレイは祭壇の上部を指差す。そこにはあの警句が刻まれていた。

 

「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬものよ、かねて血を恐れたまえ……ローレンスからのメッセージだ」

 

「……」

 

人を失った成れの果て。

それがこの姿であり、ローレンスから未来の狩人に当てた伝言でもある。

頭蓋骨の眼窩はなにもない空っぽの空洞なのだが、カーターにはじっと自分を見つめているような気がした。

 

「こうなりたくなかったら、自分から血を求めるな。いいな?」

 

「わかった」

 

大きくうなずく。

これが人の頭蓋骨だとは思えないにしても、スレイがわざわざそんな嘘を言うとも思えない。

それに手入れされたこの祭壇もまた、スレイの言い分に信憑性をもたせていた。

 

「……そろそろ上がるか。先に行け」

 

スレイが下から照らして、カーターは梯子を上る。

そして上位者の部屋へと戻った。

ランタンを隠し通路に置いたスレイが出てきて、隠し扉を閉ざす。

 

「ところで、一緒に置いてあった武器はなんなんだ?」

 

「鎌のほう…… “葬送の刃” は、このゲールマンが使っていたオリジナルだ」

 

スレイは絵画に描かれている青年の一人を指差した。

確かに青年は両手で巨大な鎌を持っている。まるで死神の大鎌だ。

最初の眷属、ゲールマンが使っていたものなら途方もない過去の遺産ということになる。祭壇に祀るのは当然だろう。

 

「もう片方は “慈悲の刃” ……こいつのオリジナルになる」

 

スレイはコートの下から剣ともナイフともつかない刃物を抜いた。

冷たい銀色の光を放つ湾曲した薄い刃物。

するとスレイは両手で柄を持つと、柄が滑るように別れたではないか。

そのまま左右に引っ張ると、キン、と冷ややかな音を立てて二つの剣となる。

これで内臓を抉られればきっと地獄の苦しみを味わいそうな、そんな剣だった。

 

「血に酔った狩人を殺す狩人……そういう奴がオリジナルの “慈悲の刃” を持っていたらしい」

 

言うと、スレイは左右の手に別れた “慈悲の刃” の先端にある、湾曲した部位にそれぞれを引っ掛けて、左方をくるりと一回転。

刃は右手に一枚の剣となって収まった。

 

「はー……」

 

感嘆の声を漏らして、今朝方アーセナルが言っていたことを思い出す。

確かに普通の鉄鋼で、さらにこの薄い刃では、カーターはすぐに折ってしまうだろう。

 

「……今日はここまでだ、あとは自由にしろ。だがダンジョンには入るなよ? 斧は工房に預けておくからな」

 

カーターを一人残して、スレイは去っていった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

スレイは玄関まで戻ると、カーターが置いた斧を手に工房へと向かった。

武器がなければ、いくら血に飢えてもダンジョンには潜れない。

カーターが血の乾きに苦しむのはおそらく今晩になってからだろう。昼間は放っておいて問題はない。

では夜になるまでなにをしようかと思案しつつ、工房に足を踏み入れた。

炉の熱気に満たされた工房は、窓を開けていても暑苦しく、あまり長居したい場所ではない。

 

「おうスレイ、また整備か?」

 

一番近くの炉でハンマーを振るっていたアンドレイがスレイを見やった。

もう齢六十歳を超えていそうなヒュームの老人でありながら、上半身裸の肉体は筋骨隆々でたくましく、腕にいたってはまるで丸太のようだ。

白髪と白ひげを無造作に伸ばしており、もはや鍛冶師なのか冒険者なのかわからないような見た目である。

 

「いや、ちょっと新入りの斧を預かって欲しい」

 

アンドレイにカーターの “長柄斧” を差し出した。

刃は鈍っていないのだが、カーターがダンジョンに入らないようにするためだ。

体が血に慣れていないうちに、また血を浴びるのは危険すぎる。

 

「新入り? ああ、おまえさんがしごいとった小僧か」

 

「ああ。あいつが来ても渡さないでくれ」

 

「かまわんよ」

 

アンドレイは斧を受け取って、刃の状態を軽く見てから足元に置いた。やはり大したことはないようだ。

 

「そういやアーセナルのやつがまた変なもん作ったらしいぞ」

 

「変なもの?」

 

「変というか、妙ちきりんといったほうがいいかもしれんな」

 

ガハハとアンドレイが笑ったところで、そのアーセナルが肩を怒らせてやってきた。

 

「妙ちきりんとはなんですか失礼な!」

 

その右手に持っているものだが……なるほど、 “変なもの” としか表現できない。

何かに巻きつけるためのベルトが二つとレバーのようなものが並び、その上には箱型の複雑な機械。そこから大きな杭のようなものが頭を出している。

 

「それはなんだ?」

 

問いかけると、アーセナルは待ってましたとばかりに胸をはった。

 

「よくぞ聞いてくれました! ズバリ名付けて、パイルハンマー!」

 

ドヤア、と擬音が聞こえてきそうな顔をして、その “パイルハンマー” なる機械をスレイの眼前に突きつける。

そして前髪をかきあげて長々と講釈たれる姿勢に入った。

 

「いやあ魔石を利用した爆発機構は “爆発金槌” の段階で完成済みだったんですが、今回はその機構を小型化させた上で爆発による衝撃を一点に集中、杭を射出するように変えてみました。その場合における強度計算を算出したところ、爆発の衝撃には十分耐えられるはずです。ともかく杭を打ち出したとしてもその杭は箱の中に止まりますので魔石があれば何度でも利用できーー」

 

「説明はもういい、実際に使ってみろ」

 

ぴしゃりと言い切ると、アーセナルはムッとした表情になってジト目で見やる。

 

「ここからがいいところなのに……」

 

「おまえさんの話は素人にはわからんよ」

 

アンドレイは付き合いきれるかとばかりに背中を向け、再びハンマーを振るった。まだやることがあるのだろう。

アーセナルも邪魔にならないよう、外へと促した。

 

「……まあいいや、とりあえず外に行きましょう」

 

アーセナルとともに本拠の裏庭へと出た。昨日、カーターを鍛えてやった場所だ。

 

「ではスレイさん、ちょっと腕を貸してください」

 

言われて、スレイは手を引っ込めた。

 

「待て、一度は試したんだろうな?」

 

「当然です。この子の初めては僕のものなんですから」

 

気持ち悪い表現をするものだ。

とりあえず一度は試したらしいので、スレイは左腕を差し出した。

最悪、利き腕は残る。

……最悪が起きたらアーセナルもただでは済まさないつもりだが。

 

「とりあえずこのレバーを握ってもらってですね、ベルトで、腕に縛ります」

 

アーセナルは手際よくスレイの左腕に “パイルハンマー” を縛り付けた。

杭はスレイの拳よりも先に突き出ている。このまま殴るように使うこともできるかもしれない。

文句があるとすればこの重さくらいか。まるで “長柄斧” を腕に装着させたみたいだ。

 

「このまま殴るように突くこともできますが、最大の機能はコレです!」

 

アーセナルは鼻息を荒くして “パイルハンマー” の側面にあるレバーを後ろへと下げた。

すると杭が箱の中へと引っ込み、スレイが握っているレバーが上へと引き上げられ、ガチリと金属音を立てて固定された。

箱の側面にあるレバーは、銃でいうところの撃鉄に当たる部分だろう。

 

「さあ、最後は握っているレバーをぐいっと下げるだけです! やっちゃってください!」

 

アーセナルは興奮した面持ちとなってスレイの背後へと回った。確かに正面は危険だ。

 

「……」

 

とりあえずスレイは正面方向に左腕を伸ばして、衝撃に備えて肩に力をこめ、レバーを下ろした。

 

 

暴発

 

 

「っ……!」

 

「うわっ!?」

 

衝撃と同時に箱型の前面が破裂。黒煙とともに破片を撒き散らして杭が飛び出し、転がった。

スレイもアーセナルも体を強張らせて顔をしかめた。

幸いにも破損したのは正面部分だけで怪我はしていない。

 

「おい」

 

ジロリと睨むとアーセナルは慌てて取り繕った。

 

「いやいやいや、確かに一度使った時は平気だったんですよ!? これはそう、あれですね、杭が飛び出さないようにするための前部装甲が耐えきれなかったみたいです、はい」

 

とにかく安全に使えるのは一回のみらしい。

説明を聞きながらスレイは “パイルハンマー” を外してアーセナルに押しつけた。

 

「繰り返し使えないならただの重りだ。役に立たん」

 

「試作品! これ試作品ですから! 改良してもっといいもの作りますから! 見ててください! 次はスレイさんもまた満足するもの作りますから!」

 

スレイはこんなもので喜んだりしないのだが、アーセナルは声高に宣言して工房へと戻っていった。

魔石を利用した爆発機構を作ってそれで杭を打ちこもうと考えるのは、オラリオどころか下界全ての人間の中でもアーセナルくらいだろう。

だがその変態武器を好む狩人もいるので、特に言うことはない。

 

「……」

 

スレイはため息をひとつもらし、午後までダンジョンに潜ることにした。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

昼からは街を散策し、小綺麗な服や靴を眺めて回り、食べ歩きを楽しんだジョン・カーター。

とにもかくにも時間を潰して、夜。

ベッドに飛び込み、ぐっすりと寝付いた。

寝付いた、はずだった。

 

 

ピチャ、ピチャ……ピチャ

 

 

その眠りを妨げたのは、いつか聞いたことのある、水滴の音だった。

ただの水が滴るのではなく、もっと粘り気のある液体。

例えば、血のような。

 

「……?」

 

カーターはうっすらと目を開ける。

視界いっぱいに広がるのは天井の木板だ。顔を左に向けると……そこにはなにもなかった。

ヤーナムファミリア本拠の部屋は、どれもこれも独房を思わせるほど狭いのだ。

にもかかわらず、カーターの視線の先にはなにもなく、暗黒の闇が重苦しくそこにある。

天井も途中からプツリと消えて無くなり、床には見覚えのある血溜まりができていた。

そこからヌッと腕が出てきて、ビシャ、と床をつかんだ。

そして血に濡れぼそった体を引き上げ、おぞましい獣が姿を現す。

 

『血を、もっと血を、臓腑を』

 

それはあの夢の獣のようなものだった。

むき出しの臓腑。皮膚のない肌。見え隠れする白い骨。臓腑を抉る巨大な爪。

差異があるとしたら、それは顔。

筋立つ鼻には二つの穴があって、頭には亜麻色の髪が生えており、その瞳は溶けた飴細工のように形が蕩けて崩れている。

 

「……!」

 

カーターは目を見開いた。

この獣の顔は、まさしくカーターそのものだからだ。

耳まで裂けた口から爛れた歯茎と不揃いな牙をのぞかせて、声を発した。

 

『まだ、まだ足りない。もっと、もおおっと、血を、温かい内臓を、じょぉぉんかあああたああぁぁぁ」

 

冷や汗が吹き出る。

近づくなと叫びたいのに口は動かない。

 

『これで、終わりじゃないだろお?』

 

 

 

 

 

「……!」

 

声にならない声を出して、カーターは飛び起きた。

すぐに顔を左右に振って部屋を見回す。

寝る前と同じ、木板に囲まれた独房のような狭い部屋だ。

部屋にあるのはベッドの他に、服をひっかけるハンガーラックとそこにかけている荷物袋のみ。

 

「ゆ、め……?」

 

嫌な汗のせいでシャツがべったりと肌にはりついて気持ち悪い。

深呼吸して落ち着こうとするが、心臓の高鳴りはおさまらない。喉が異様に乾いていますぐにでも暴れてしまいたい。

この体の異常には心当たりがあった。

これは午前中の、ダンジョンでモンスターを倒した時のようなあの気分だ。

 

血を、もっと血を、温かい血を、臓腑を。

 

まるで禁断症状のようにカーターの体を蝕む。血が沸騰したかのように体が熱い。

 

「うぅ……」

 

ちょっとくらい、いいじゃないか。

夢の中に出てきた化物の言葉が頭の中で反芻される。

ちょっとだけ、ほんの少しだけ。それで我慢したらいい。

そうだ、ちょっとくらいどうってことない。やっちゃおう。

カーターはおもむろに立ち上がり、ドアを開けた。

 

「どこに行く?」

 

「うわっ!?」

 

ドアのすぐ隣で、椅子に座るスレイがいた。

カーターが部屋に戻ったあと、ここにやってきたのだろう。

スレイの手首には紐が巻きつけてあり、それはドアノブへと繋がっている。

ドアを開けようものなら自然とスレイを起こすようになっていた。

 

「血が欲しいのか?」

 

核心を突かれて、カーターは言葉に詰まる。

本当のことを言うべきか、それとも誤魔化すべきかを考えているうちに、スレイは続けて言った。

 

「我慢しろ。最初の二、三日を超えたらその苦痛はなくなる。部屋に戻って寝ろ」

 

そう言われれば従うしかない。力づくで抵抗して勝てるような相手ではないのだから。

 

「わかっ、た……」

 

部屋に引っ込んで、ドアを閉じた。

ベッドの上に身を投げ出して目を閉じる。早く寝てしまいたい。

けれど寝よう寝ようと努力しても眠れるものではない。むしろ意識は完全に覚醒してしまっている。

ベッドでのたうったところで眠れない。

心臓の高鳴りも、体の熱気も、血の渇きさえも収まる気配がない。

 

「う……ぐ……」

 

身を起こして、窓を開いた。

通りを挟んだ反対側には集合住宅のが並び、その屋根の上で漂う半月が異様に明るく感じた。

そしてこれはおそらくカーターの気のせいだろうが、半分の月が、血のように赤い。

少なくともカーターには血の色に見えた。闇の中に垂らした一滴の血の雫。

そんな色。

月が赤くなることはあるし、カーターも田舎の村でそんな月を見たことがある。

しかしここまで濁った月は初めてだ。

 

「ぐっ…………ぎ…………ぎ…………」

 

カーターくぐもった呻き声をもらして、きつく目を閉じ、窓枠を強く握りしめた。強く、強く、窓枠がメキリと悲鳴をあげるほど。

血が欲しい。

血を浴びたい。

血を飲みたい。

どうしようもないほどの血の渇きがカーターを苛む。

あごを引いてうつむき、ヤーナムファミリアの警句をブツブツと唱えた。

 

「われらちによってひとろなり、ひとをうしない、ひとをこえ……ひとをこえ、しとをうしなう……しらぬひとよ、かねてちをおろれため……わ、わえあ、ちによってしとをうしない、しとをうしなう……」

 

はっきりと言葉にできない。

昼頃に見たではないか。人を失ったローレンスがどんな姿になったのか。

いやしかし、それでも、それでも、ちょっと、くらい……。

 

「……あ?」

 

窓の下に視線を落とす。

この部屋にはバルコニーなどなく、そのまま三Mほど下には石畳の道路があるのみだ。

三M……飛び降りようと思えばできる高さ。

カーターはおもむろに窓枠に足をかけた。

飛び降りたらいいじゃないか。そのままダンジョンに向かえばいいじゃないか。

そう思うと世界が輝いて見えた。

尿意を我慢に我慢を重ねていたら目の前にトイレが現れたようだ。

そうとわかればやってみようか。

身を乗り出して、飛んだ。

瞬く間に地面が近づいて、着地。

しかし勢いは完全に殺せず、手と膝をついた。

手首、足首、膝、肩が痛んで悲鳴をあげた。

が、それだけだ。捻挫も、ましてや骨折もしていない。

ふらつきつつ、立って、斧の存在を思い出した。あれはスレイが持って行ってしまった。

どこに?

工房だ。そう、言っていた。

本拠の隣にある工房に向かい、閉じられているドアに手をかけた

 

「ぐぬ、ぬ……」

 

開かない。鍵でもかかっているのだろう。

 

「くそ……」

 

斧もないのにダンジョンには入れない。いくらなんでも無謀すぎる。

ドアは諦めて、工房のまわりを探して回った。なにかないだろうか? なにか……尖っているものでもいい。なにか……。

 

「あ……?」

 

工房の裏側に網状の金属のゴミ箱が置かれていた。覗き込むと、やはり金属のガラクタが無造作に放り込まれている。

その中に杭のようなものが混ざっていた。

引き抜き、観察した。

太さは充分。長さは肘から指先くらいまであり、先端はかなり尖っている。

尻の方には焦げたようなススが付着していびつに歪んでいた。

何かが爆発して壊れたのかもしれないが、カーターにとってはどうでもよかった。

 

「あは、ははは……」

 

武器が手に入った。

その喜びを胸にバベルへと走る。

早く、早く、早く、モンスターを殺したい!

夜の風がカーターの肌を撫で、上気した肌には心地よい。

赤い半月が街を血色に染め、通りを走り抜けてバベルへ飛び込む。

そのまま地下へ。

大穴へ。

始まりの道へ。

ダンジョン第一階層へ。

ゴブリンへ!

 

「みぃ、つぅ、けぇ、たぁ!」

 

通路を徘徊する醜悪な下級モンスターが五匹。

鉄則(セオリー)なぞ糞くらえとばかりにその群れに突っこむ。

 

『ギッ!?』

 

ゴブリンはカーターに気づいて左右に広がり、いっせいに襲いかかる。

カーターは逆持ちした杭を振りかぶり、正面のゴブリンの顔面に叩き込む。

即座に引き抜いてその脇をすり抜け、包囲の外へ。

 

「あへへ、へ」

 

舌を出して杭を、それについた血を舐めとった。

ゾクゾクと背中を舐めあげられるような感覚にぶるりと身を震わせる。

血を恐れよ? まさか、こんなに美味しいじゃないか!

もっとだ、もっと、もっと!

 

「ああアアアぁぁぁあア!」

 

雄叫びを上げてゴブリンに走ってーー

眼球に杭を突き刺す。

汚い悲鳴。

鼻に杭を突き刺す。

飛び散る鼻血。

口に杭を突き刺す。

血とか、よだれとか。

腹に杭を突き刺す。

そのまま押し倒す。

馬乗りになって、突き刺す。

引き抜く。

突き刺す。

引き抜く。

突き刺す。

刺す。

刺す。

刺す。

刺す。

刺す。

殺す。

殺す。

死ね。

死ね。

死ね!

 

『グギ、ゲッ……』

 

カーターの下でゴブリンは血泡を吹く。

身体中を穴だらけにされたゴブリンだが、瀕死の状態ながらまだ息があった。

内臓に深刻なダメージを負っていないためだ。

 

「あ、へ、へへへへ、へ、へ」

 

返り血に全身を赤く染めて、カーターは笑った。

禁制薬物の中毒者のように。

 

「……あー、あー、ああ……」

 

カーターは天井を仰ぎ、呟く。

 

「のど、かわいた、な」

 

仰いでいた顔を、下のゴブリンへと向けた。

夜中に飛び起きたら汗だくだった。それからまだ一滴も水を飲んでいない。

水はない。ないが、代わりのものがある。

ゴブリンの体から流れ出ている赤い液体がある。

香りたつ、芳しき血液が。

ゴブリンの首筋に杭を突き刺し、引き抜いた。

そこにできた穴からはドクドクと血が流れ出ていく。

 

「かあああ……」

 

噛み付いた。

じゅふじゅると嫌な音を立てて血をすすった。

 

「……うぐっ!?」

 

突如としてゴブリンの皮膚が灰に変わる。じゃりじゃりしたものから口を離して口元を拭った。

どうやらモンスターの体外に流出した血液までは灰にならないらしい。

 

「は、ははは、はは、は、は」

 

人生で一番楽しいときがあるとしたら、それは多分、いまこの瞬間だった。

 

「あー……」

 

カーターは夢遊病者とも薬物中毒者ともつかない足取りでダンジョンの奥へと進んだ。

もっとモンスターを。

もっと殺しを。

 

 

ファ……! …………ト!

 

 

「あ?」

 

口元に笑みをたたえたまま、なにかの声に耳を傾けた。

誰かがいる。誰かが何かを叫んでいるのが聞こえる。

誰でもいい。

誰でもいいから、殺したい。首を切り落として、流れ出る血を頭からかぶって啜りたい。

 

「はは、あひあぁははははは、はははは、はは、あは、あは……」

 

壊れた笑い声をあげつつ、カーターはその声の方へと歩いていく。

やがてなにを言っているのか聞こえてきた。

 

「ファイアボルト! ファイアボルト!」

 

炎が吹き荒れ、モンスターが焼かれるいい匂いがする。

通路の先にある小部屋にて、白い髪の少年が魔法を乱射していた。

初めての魔法に浮かれているような、そんな大盤振る舞いで炎の矢を使いまくっていた。

 

「ファイ……あ……れ……?」

 

その少年は突如としてばったりと倒れてしまう。まるで食べてくださいとでもいうように。

ああ、いいじゃないか、人。人の血の味。知りたい。知っちゃえばいいじゃんか。

杭を持って、白髪の少年へと近づいた。どんな味だろう?

 

「待て!」

 

声をかけられ、そちらをゆっくりと見やる。

そこにいるのはエルフの女性と、金髪のヒューマンの少女。

エルフ、エルフ、エルフ……誰かに何かを頼まれていたような気がするが、忘れた。

忘れるていどの用事なら大したことじゃないだろうと、余計なことを頭から追い払う。

 

「あなたいったい、何なの? 人間……なの?」

 

二人の女性はそれぞれ杖と剣を構えた。

強そうな気がした。

自分ではとうてい敵わないような存在に武器を向けられ、カーターは後ずさりする。

 

「答えなさい! あなたはいったい何者!? モンスターなの? 人間なの!?」

 

エルフの質問の意味が理解できない。なぜそんなことを訊く? そしてなぜそこまで敵意を向けてくる?

いまのカーターには理解できない。その正気を失った頭脳では理解できない。

 

「うー、うぅ、う……」

 

とにかくいまは逃げなくてはならない。蕩けた脳みそが逃げろと告げている。

背中を向けて、脇道の通路へ入った。

振り返ると、追いかけてこなかった。

まばらに散らばる魔石を超えて、下へ通じる階段を見つけた。

 

「あ、へ、へ、へ」

 

壊れた笑い声をあげながら、ダンジョンの下へ下へと潜っていった。

 

もっと、血を。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「その子、無事?」

 

アイズは剣を収めてリヴェリアに問うた。

さっきの血まみれの “何か” はどこかへと行ってしまったものの、無防備な少年を置いていくことはできなかったのだ。

リヴェリアは倒れている少年、ベルの体を調べてからアイズを見上げる。

 

「外傷はない。典型的な精神疲労だ。後先考えずに魔法を撃ったのだな」

 

「よかった」

 

ほっとすると、自然と笑みがこぼれる。

 

「それにしてもさっきのはいったい……何だったのかしら……」

 

リヴェリアがあごに手を置いて考える。

もちろんアイズにもわからず、ただ見たままを口にするしかなかった。

 

「少年にも見えたし、モンスターにも見えた」

 

服を着ていたことからモンスターではないだろう。

だが顔立ちや姿はどうかというと、顔にはまるでシルバーバックのような深いシワが幾重にも刻まれ、バトルボアのような体毛が背中や顔の周辺を覆い尽くしていた。

そのくせ顔にはあどけなさすら残る少年のようでもあり……。

だが、何よりもまずあの眼。

溶けた飴玉のように形が崩れ、蕩けた瞳にはもう正気が感じられない。

 

結論は出せず、アイズは一人でこの少年とともに残ることを選んだ。

リヴェリアの言う償い(ひざまくら)をしたかったからだ。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「……」

 

ピクリと体を震わせてスレイは目を覚ました。

廊下の奥にある窓から、白い月明かりが差し込んでくる。まだ夜だ。

手首を見ると、ちゃんとドアノブと紐で繋がっていた。

どうやらカーターは部屋に留まっているらしい。

だが念のためと、紐を外して部屋を覗いた。

 

「ん……?」

 

カーターはベッドにおらず、窓が開いている。

呆れてため息をつき、窓へと歩いた。

これまでにも窓から逃げ出そうとして飛び降りる者はいたものだ。

そして決まって足首を捻挫するか、小指の骨を折るかして窓の下でうずくまっているのが常である。

窓から頭を出して下を見ると……予想を裏切り、そこにカーターの姿はなかった。

 

「……」

 

顔をしかめて頭を引っ込めると、急ぎ足で玄関へ向かう。

足を痛めて玄関まで這いずって、そこで伸びていることもあるからだ。

玄関口の鍵を外し、ドアを開けた。見回してもいなかった。

 

「馬鹿野郎が……」

 

眉間にしわを寄せて舌打ちし、スレイは自分の部屋へと戻ってコート、帽子、 “獣肉断ち” と “慈悲の刃” を装備。

本拠を飛び出す。

向かう先は当然ながらダンジョンだ。

武器はどうしたのかわからないが、カーターが向かうとしたらそこしかない。

走り抜けて、始まりの道をひた走る。

 

「……む」

 

前方に影。

マントを羽織ったエルフの女性……あれはロキファミリアのリヴェリアだ。

なぜ一人でここにいるのかわからないし知ったことではないが、尋ねるしかない。

 

「ああ、おい」

 

「……なにか?」

 

『おい』と呼ばれたのが不快だったのかわからないがリヴェリアは眉をひそめる。

だがいまは関係ない。急ぎなのだ。

 

「変な……明らかに様子がおかしいやつを見なかったか?」

 

「様子が……?」

 

「ああ」

 

「……服を着たモンスターのような少年かしら?」

 

そう答えるリヴェリアの目はスレイを探るようなものだった。わずかな動揺を見逃すまいという目だ。

 

「……」

 

モンスターのような少年……。

スレイは顔に出さないように努力したものの、どうしても苦い顔になってしまう。

スキルの血液再誕(ブラッドボーン)が発動したのだろう。

体が血に慣れていなければ少量の血でも人を失ってしまう。

そして人を失ったとき、どのていどの獣に成り下がるかはそれまでに摂取した血の量で決まる。

つまりカーターのように少量の血で獣になったのなら、カーターの面影や知性がかすかに残っているかもしれない。

逆に言えば、もしもスレイが人を失うときがきたら、それはきっとレベル6をはるかに超えるような強大でおぞましい獣となるだろう。

 

「知り合いなの?」

 

答えを出さないスレイに痺れを切らしたのか、リヴェリアはさらに突っ込んだ質問をしてくる。

それも無理もないかもしれないが、ここで「はいそうです」とは言えない。

あの道化師(ロキ)に目をつけられてはたまったものではないからだ。

ロキファミリアからの改宗組がいまもわずかに生き残ってはいるが、だからと言ってロキがためらうとも限らない。

あの女神が潰すと決めたらそうなってしまうだろう。

もちろんその時は後悔するほどの損害を与えるつもりだが……それはあくまでも最終手段だ。

リヴェリアの問いかけにはどっちつかずの答えを返した。

 

「……それを確かめる。どこにいた?」

 

「……」

 

リヴェリアはスレイの表情をじっと見つめてから、諦めたように目を伏せ、背後を指差す。

 

「二階層の先、ルームをいくつか越えた先よ。でもすぐにいなくなったから、もう三階層までいったかもしれない」

 

「そうか。助かる」

 

リヴェリアの脇を過ぎて走った。もう手遅れかもしれないのだが。

 

 

二階層。

モンスターといえどもそれなりの知能や、襲って勝てる相手かどうかを判断する頭を持っている。

威圧感を剥き出しのスレイに飛びかかってくるゴブリンやコボルトはおらず、岩の影で隠れているものばかりだった。

そういうものは無視して進み、ルームに出た。いくつもの通路へと分岐したルームだ。

その真ん中には金髪碧眼の美少女、アイズ・ヴァレンシュタインと、彼女に膝枕をしてもらっているベルの姿があった。

アイズはスレイが人間であると理解したのか、右手に持っていた剣を鞘ごと下ろした。

おそらく、自分の方へと近づいてくるスレイの気配を、モンスターか何かだと思って警戒していたのかもしれない。

それにしてもなぜこんなところで膝枕をしているのか、まったく見当がつかないのだが、まあいいとしよう。

ベルには外傷がないからそう大したことでもあるまい。

ベルとアイズがダンジョンの中で男女の仲を深めようと、それはスレイにとってどうでもいいことだ。

先刻のリヴェリアはカーターらしい人物を目撃している。

そしてアイズはリヴェリアと同じロキファミリアだ。遠回しな表現ではなく、率直に尋ねた。

 

「服を着たモンスターみたいなやつを見なかったか?」

 

「それなら、あっちに行った」

 

アイズの指を目で追った。

とりあえずアイズに解体されたわけではないらしい。

 

「そうか。助かる」

 

一番助かったことは余計な詮索をしてこなかったことだが……とにかくその通路へ走り、下へと続く階段を降りた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

『グ……ギ……』

 

カーターだったものは蕩けた瞳をギョロギョロと動かして獲物を探す。

口から垂れ落ちるヨダレになど露ほども気にしておらず、誰かが捨てたであろう折れた剣を、意味もなく振り回していた。

獲物を引き裂きハラワタを引きずり出したくてたまらない。

血を、もっと血を、もっと殺しを。

ゴツゴツした岩の通路を進むと、二匹のコボルトが現れた。

 

『グルルゥ……』

 

コボルトはやってきたものの異常性に気づいたのだろう、警戒して後ろへと下がった。

モンスターでも人間でもないものと化したカーターは、ぐにゃりと口を歪ませて、走った。

 

『ギャウ!』

 

『ガウ!』

 

二匹のコボルトは左右からカーターへ飛びかかる。なんだかわからないがやってしまおうというのだろう。

カーターは右から飛びかかってきたコボルトの首を左手で鷲掴みにして、右のコボルトを殴りつける。

そのまま掴んだコボルトの首を折れた剣で切り裂いて、まずは一匹。そいつは手放した。

地面に転がるコボルトに飛びかかって馬乗りとなり、折れた剣でめちゃくちゃに切りつける。

もっとも、鈍った刃はコボルトの毛皮を切るというよりも、引き剥がすと表現する方が正しい。

コボルトの口まわりの皮が剥がれて、その下の白い骨をのぞかせた。

コボルトは両手両足をばたつかせて抵抗するが、カーターを振り払うにはいたらない。

 

『ぐ……げへ、へへ、へ、へ』

 

カーターは笑った。

形が崩れた瞳で、赤く染まっていくコボルトを見下ろして、両手で肉を引き千切って、笑う。

ああ、なんて楽しいんだろう。肉が千切れる感覚。甘くて蕩ける血の匂い。脳が痺れるような興奮。

どれもこれもがカーターを喜ばせる。

だが……楽しい時間はすぐに終わった。

 

『あ……?』

 

コボルトが消えた。さらさらの灰になって、形がなくなった。

これではなにもできないではないか。

八つ当たりに灰の塊を横殴りした。白い灰が舞い上がったが、ちっとも楽しくない。

カーターは立ち上がった。

楽しくないなら他の遊ぶものを探しに行こう。もっと下へ、もっと先へ。

 

「おい」

 

後ろから声がした。

振り返ると、どこかで見たような見てないような、青年がいた。

コートと三角つばの帽子、右手にはノコギリのような大鉈の武器。

なんでもよかった。肉袋がむこうからやってきたのだから。もっと血を浴びれるのだから。

 

『アァアアアアアア!』

 

折れた剣を振り回してそいつへと向かった。

大きい男だ。人を失ったカーターでさえも見上げるほどの男だ。

カーターはズタズタに切り裂いてやろうとするが、そいつはまるで蝶々や風のようにひらひらと避ける。

まったく当たらない。切っ先さえも引っかからない。

 

「……警句を言ってみろ」

 

男が何かを言ったが、理解できなかった。

ケイクってなんだ?

どうでもいいじゃん、そんなの、避けるなよ、血を吸わせろ、イライラする!

 

この病気持ちのネズミ!(You plague-ridden rat!)

 

罵り、なおも追撃の手を止めない。

すると男はため息をついて、武器の留め具を外した。

 

「……そうか」

 

冷たい煌めきがカーターへと迫った。

あまりにも早すぎて避けることも防ぐこともできなかった。

 

 

ギジュッ

 

 

一瞬の時間差を置くことなく、四肢の感覚が消えた。

 

『アっ!?』

 

支えを失ったカーターの胴体は地面に落ちて、顔を派手に地面に打ちつける。

根元からなくなった手足で抵抗しようとするが、芋虫となったカーターにできることなどない。

自分の血で溺れる魚のようにピチピチとはねるカーターは、もはや完全な手詰まりだ。

 

「俺の監視が甘かったせいだ。すまん」

 

言葉の意味は理解できなかったし、これからも理解することはない。

カーターの頭は肉厚の鉈によって叩き割られ、脳漿を撒き散らすことになったのだから。

 

 

その獣に堕ちた魂がどこにいったのか、それは神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 

ジョン・カーター。一五歳。

ヤーナムファミリア入信後、二日後に死亡。

 

最短死亡記録更新。




二万文字越えたぜ。疲れたぜ。


ブラッドボーンの雰囲気出すには誰か死んでもらわんといかん……

かといってダンまちキャラ死なせるとそのファンを怒らせてまうしアンチ作品になってしまう……

せや! オリキャラ出して殺したろ!


いかんのか?

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