ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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Shake it down(7)

 「小僧……ここまでだ。そろそろ終わりにするとしよう」

 

 部屋に飛び込んだ後、ルフィは部屋の中央に尻もちをついていた。すぐ目の前までアーロンが迫っていたため、本来なら立ち上がるべきだろうが、なぜか彼はそうしない。

 室内の光景に目を奪われて注意が逸れてしまっている。

 彼はアーロンではなく部屋の中を見回し、そこに大量の海図が置かれているのを発見した。

 

 「なんだこの部屋。紙ばっか」

 「測量室さ。おれたちが集めた海に関するデータを、優秀な航海士が全て海図に記した。ナミが描いたのさ。つまりここはナミに与えられた部屋だ」

 「ふーん」

 

 殺風景な部屋だった。

 大量の海図が部屋の大半を占め、ベッドさえ置かずに机と椅子、本棚がいくつかあって、ただそれだけ。年頃の少女が過ごす部屋とは到底思えない。あまりに無機質で、無感情な一室。

 

 山の中で育ったルフィが世間一般の少女の部屋を知るはずもない。だがその部屋が異質なのは理解できる。そこにある空気がひどく寂しげなのだ。

 何を見たからという訳でもない。ただ感覚で理解した。

 ここは誰かが過ごしていたとは思えないほど寂し過ぎる。

 

 「おまえが身勝手に暴れなきゃ、あいつは今もここで海図を描いてただろう。何一つ不自由なくな。メシも服もおれたちに与えられ、ただ渡されたデータを海図にするだけの簡単な仕事だ。不満を抱いてるはずもねぇだろう。先走っちまったおまえにはあいつも迷惑してるだろうぜ」

 

 ふと、ルフィが机の下に落ちている物に気付いた。

 手を伸ばして持ち上げる。羽根の付いた古びたペンだ。

 

 ずっとこれで描いていたのだろうか。

 アーロンの声を聞いているのかさえ定かではなく、手の中にあるペンをじっと見つめる。

 

 「このペン、血がしみ込んでる」

 「ここに居ればあいつは幸せだった。何不自由のない生活を送りながら海図を描き続けるのさ。おれたちのためにな。だがこうなっちまった以上もう見逃すこともできねぇ……」

 

 持ち上げたキリバチをルフィの首に近付け、触れるか否かというギリギリで止める。

 アーロンは胡坐を掻いて座る彼を見下ろして笑った。

 

 「おれはこの海図を使って人間どもを駆逐し、やがて魚人が全ての主導権を握る魚人の帝国を作り上げる。ココヤシ村はその礎だった。人間どもも奴隷としてなら生かしてやろうかと考えていたのに、おまえが全てをぶち壊した。あの村もナミも、今日の内に始末しとかなきゃならねぇ」

 「へぇ」

 

 ルフィは俯き、ペンを見たまま動かない。

 

 「てめぇも海賊を名乗っていたな。だがな、格が違う。ただ勢い任せのバカと違っておれなら効率よく人材を使える。優れた魚人も、下等種族の人間どもも。ナミもそうさ。仮におまえがあいつを連れ出せたとして、おまえにあいつが使えるか?」

 「使う?」

 「おれなら使える。八年間でこれだけの海図を描かせて野望への足掛かりを作らせたんだ。おれだけが最もあいつを効率よく使える存在だった」

 

 静かに、ルフィがペンを置いた。

 そして何を想ったか、首に添えられたキリバチの刃に右手を触れさせる。

 

 血に濡れた手が触れた途端、キリバチが動かなくなる。

 異変を感じたアーロンは訝しむ顔を見せ、ルフィを見る目にも違和感が混じった。

 

 (なんだ……? キリバチが、動かねぇ)

 

 今の今まで自在に操っていたキリバチが押さえられただけで動かなくなる。違和感を感じて当然だった。感情を無視して彼に触れられたせいだと気付くのも無理からぬこと。

 ルフィがゆっくり顔を上げ、アーロンの顔を睨みつける。

 

 「使うだとッ」

 

 その時、キリバチの刃に触れる指に力が入れられ、軽い音を立てて貫通した。

 刃にヒビが入り、再び先程と同じ感覚に囚われる。

 

 威圧。

 言葉にしてみれば簡単だ。だが彼が放つそれは尋常ではない。

 まるで王の資質を持っているかのような。

 

 音が鳴るほど歯を食いしばり、アーロンの目に鋭さが増す。

 

 「おまえあいつを、なんだと思ってんだ」

 「優秀な航海士さ。いや、だったと言うべきだな。おれの企みに気付いて逆らった以上は生かしちゃおけねぇ。今までの罪を全て許してやったってのにバカな奴だ。自ら無駄死にを選ぶとは。もっとも、頭を下げて来たんなら許してやってもいいが」

 「またこの部屋に閉じ込めるのか」

 「それが幸せのためだろう? なぁに、話せばわかる」

 

 ぐっと力を込め、拳を作った瞬間に刃が壊れて破片と化す。これで二つ目。キリバチの刃が壊されて、冷たい床に破片が散らばった。

 

 ルフィはのろのろと立ち上がる。

 そして立ち上がった時、アーロンを睨みつけたまま、突如傍らの机を蹴り飛ばした。

 

 「何っ……!?」

 

 伸ばした足が壁ごと机を壊し、外に放り出す。

 続けてルフィはくるりと振り返って腕を伸ばした。殴ったのは後方にあった本棚である。

 それもまた壁を貫いて部屋の外へ出て行ってしまい、見送りもせず、尚もルフィは部屋にある物を壊そうとする。傍に居るアーロンになどまるで目もくれずに、今度は扉を蹴り破った。

 

 何のつもりなのか。

 動揺するアーロンはすぐには反応出来ていなくて、呆然と彼の行動を見ている。

 ルフィは強く海図を殴りつけた。

 

 「やめろォ! てめぇ一体何の真似だァ!」

 「おおおおォ!」

 

 かつてないほど攻撃の威力が増していたようだ。彼の拳は壁を突き破り、蹴りは的確に狙った物体を捉えて、何かが破砕される轟音が外にまで響く。

 

 アーロンパークの下にまで辿り着き、頭上を見上げていた六人はその様を外から見ていた。

 次々に壁を破って何かが飛び出してくる。

 机、本棚、海図。全て測量室にあった物で、ルフィやアーロンの姿は見えない。

 状況が読み切れない彼らは表情を歪めており、何が起こっているのかを想像出来なかった。

 

 「い、一体何が起きてんだ? 机やら本棚やら、なんでこう物ばっかり」

 「かなり激しくやり合ってんのか。だが何か妙じゃねぇか? あれじゃあまるで――」

 

 ウソップとサンジが呟く間も轟音が続いている。

 徐々に部屋は壊されていき、外からの見た目は次第に変化していった。

 

 ナミはその部屋を見上げ、誰に言うでもなくふと口元に手を当てる。

 

 (ルフィ……)

 

 室内ではルフィが暴れ回っていた。アーロンが慌てて止めようとするも、せっかく作った海図まで蹴り飛ばされてしまい、外へ出てしまって風に煽られ飛んでいく。

 皆が困惑する中、ナミだけは行動の意図がわかって、堪え切れなくなって静かに涙を流した。

 

 (ありがとう……!)

 

 部屋が次々壊されていく。

 宙を舞った瓦礫が落下してきて、発される音だけは騒がしくなった。

 

 ルフィは決してアーロンを狙わず、たとえ目が合おうとも攻撃が彼の傍を通り過ぎ、あくまでも部屋の破壊だけを行っている。ただそれがアーロンにとってもまずい状況だった。

 八年かけて作った海図が無駄になってしまう。それを使って計画を進めるつもりだったのだ。

 平静を欠いて、止めるためにキリバチを振り下ろす。

 

 「何のつもりだ! おれの海図だぞ!」

 

 大上段から落とされた攻撃は避けられ、地面に刺さる。ルフィはその傍らを動いてまた海図の山を殴り、壁ごと外へ押し出す。無数の紙が風に煽られて散ってしまった。

 一つずつ着実に計画を潰されている。

 アーロンの焦りは募るばかりだ。

 

 仕方なくキリバチを横薙ぎに振るった。

 跳んだことでまたしても回避され、恐れていたことだが、キリバチによって海図の山が斬られてしまう。積んでいたのが仇となったか、何十枚もが一瞬で無駄になったのである。

 

 「くそ、海図が……!」

 「おおおっ!」

 「て、てめぇ!」

 

 尚もルフィは猛威を振るう。部屋を壊そうと攻撃を繰り出し続ける。

 咄嗟にアーロンがキリバチを捨てた。狭い室内で使う武器ではないと判断し、これ以上の二次被害を防ぐため、無手となってルフィを捕まえようと駆け寄る。

 荒々しく動く彼の首を掴み、力ずくで壁へ押し付けた。

 

 「やめねぇかァ!」

 「うぐっ……うああああっ!」

 「んなっ!?」

 

 捕まった状態で尚も手を伸ばし、拳が壁を殴りつけた。粉塵が立って壁が崩れ落ちる。

 まずいと感じて、アーロンが大口を開ける。

 全ての行動を止めるためルフィの首筋へと噛みついていた。

 

 肉を突き破って牙が刺さる。瞬間、ルフィが目を見開いて絶句した。

 今まで受けた痛みの比ではない。命さえ奪いかねない一撃で呼吸の調子が変化している。自分の死を非常に近く感じて、理由はわからないが全身が震えていた。

 大量の血が噴き出して、それでもアーロンが力を込めて牙を埋め込む。

 口からは噛み潰した悲鳴が漏れ出て、しかし抵抗する力を手放そうとはしていない。

 

 「いい加減にしろ! やり過ぎたクソゴム!」

 「あっ、がぁっ……!?」

 

 震える手がアーロンの鼻を掴んだ。鋭い棘を持つそこを掴めば、当然掌に刺さって血が噴き出す。痛みを感じるものの決して離さない。やっと敵を捕まえたからだ。

 ルフィは全ての痛みに耐えて体を動かし、両腕に力が込められる。

 

 「魚人がどう偉いとかっ。海図がどうとか、事情とか、そんなことはよく知らねぇけどな! やっとあいつを助ける方法がわかった……!」

 

 バキッ、と音がして、アーロンの鼻がへし折られた。

 誰にも折られないはずの強靭な鼻が歪に曲がって、彼が悲鳴を上げながら口を離す。

 痛みによって地面を転げ回ったアーロンに向け、表情を引き締め直したルフィが呟いた。

 

 「こんな部屋があるからいけねぇんだ。居たくもねぇあいつの居場所なんて、おれが全部ぶっ壊してやる――!!」

 「こ、のォ……!」

 

 そう言ってルフィは右足を振り上げ、天井を突き破って天まで伸ばした。

 

 「ゴムゴムのォ!」

 「図に乗るなよ小僧! てめぇみたいな下等種族に落とせるこのアーロンパークじゃねぇぞ!」

 

 自身の手で無理やり曲がった鼻を元に戻し、即座にアーロンが床に四肢をついて構えを変える。

 慣れた様子で高速回転を始め、狙いを定めるとルフィに向かって飛び掛かった。

 勢いをつけて噛みつくつもりのようだ。

 

 「思い知れ! (シャーク)・ON・歯車(トゥース)!」

 

 ルフィはまだ足を振り下ろさない。ギリギリまで待ち続けた。

 勢いよく飛び出したアーロンは速度を緩めずルフィの腹へ喰らい付き、その皮膚を突き破って牙が刺さる。そのまま回転を続けようとするためルフィの体勢も崩されそうになった。

 

 しかし、その時こそ待ち続けたもので。

 高速で振り下ろされた右足が、アーロンの体を強かに踏みつける。

 

 「斧ッ!」

 

 その一撃でアーロンの体が地面に沈み、尚も止まらず床を突き破って階下へ落ちる。それでも伸ばした足を引き戻さず、彼の体は次々床を突き破って落ちていった。

 

 一階ごとに痛みが加算されていき、その度に気が遠くなる。

 やがて一番下の床に到達し、轟音を立ててその身が叩きつけられた。

 アーロンは動かなくなって沈黙し、それからルフィが伸びた足を縮める。

 

 バチンと戻ってきてすぐ、穴を覗きながら膝をついた。

 もう動きたくないと思うほどの疲労が纏わりついている。体の自由が利きそうにない。一度座り込んでしまった以上、次に立ち上がるのがひどく億劫だった。

 乱れた呼吸が整えられない。大量の血も失って、これ以上は限界だろう。

 

 建物全体を貫く一撃を受け、アーロンパークは揺れていた。

 今から崩壊しようとしているらしい。階下を見ても影響は感じられる。

 すぐに逃げなければおそらく下敷きになるだろう。ただアーロンがどうなったかを確認できた訳ではない。最後まで白黒はっきりつけてから。まだ逃げ出す気になれなかった。

 

 アーロンは一階に落ちて大の字に倒れていた。目は閉じられて、呼吸しているかはわからない。

 決着はついたか。

 そう思った瞬間、閉じられていたアーロンの目が開く。

 瞳孔が細くなって爬虫類のよう。言い知れない感覚にルフィはぎょっとして声を出した。

 

 「あいつ、まだ動けんのか……!」

 「クソゴムッ……! 最後の勝負だ!」

 

 考える間でもなくルフィは腕を伸ばしていた。

 天へ向かって長く伸ばした後、腕を捻ってぐるぐる螺旋を描かせ、まるでネジを巻いたよう。

 その状態になってから目の前の穴へ身を投げて、真っ逆さまに落ちていく。

 

 対してアーロンは最後の力を振り絞って地面を蹴り、跳び上がる。

 血走った目にはもはやルフィの姿しか映っていなかった。

 

 天と地から飛び立ち、二人の距離は一気に埋まる。

 

 「ゴムゴムのォ――!」

 「何も知らねぇ人間がっ。魚人族の怒りを知れ! (シャーク)・ON・DARTS!」

 「回転弾(ライフル)ッ!!」

 

 捻った腕が戻る力を利用し、威力を高めた拳が回転しながらアーロンの顔面を打つ。

 空へ向かっていた彼が、再び地面へ落ちていく。

 腕が伸びきる前に地面へ到達して凄まじい衝撃を受け、それでもルフィは力を込めた。

 

 「うおおおおおおおおっ――!」

 

 その時ついに、アーロンパークが崩れた。

 中心部をぶち抜かれてすでに限界を超えていた建物はそれ以上耐えられず、内に二人の姿を残したままで脆くも崩壊していき、すぐに二人の姿を覆い隠してしまう。

 

 破損を知って避難していた六人はとんでもない迫力の崩壊を目撃する。

 まだルフィの姿は見えておらず、おそらく内部に残ったまま。

 シルクに抱かれて制止されるナミが、必死の形相で叫んでいた。

 

 「ルフィ~~ッ!?」

 

 叫びは轟音によってかき消され、アーロンパークは完全崩壊する。

 後には瓦礫が山となって積み重なり、動きが止まると同時に凄惨な姿で静寂が広がった。

 

 辺りに沈黙が広がる。

 崩壊は止まった。だがルフィの姿はない。まさか飲み込まれてしまったのか。

 彼がどうなったかは誰にもわからず、しばし立ち尽くして言葉を失う。

 

 どれほど経った後だったか。やがてぽつぽつ話し始めることが出来た。

 恐る恐るといった様子でウソップが口を開き、皆もようやく声を出し始める。

 

 「ど、どうなったんだ……ルフィは、一体」

 「外に出た形跡はない。多分、あの中に」

 「飲み込まれたか……」

 

 ウソップの呟きにキリとゾロが続く。

 まさかの決着であった。建物ごと破壊するとは誰も想像していない。彼らしいとも言える規格外の行動だったが、その本人の姿が見えないのでは果たして喜んでいいものか。

 

 勝利か、敗北か。どちらか判断することも出来ない。

 困った奴だと思う反面、心配する心もある。やはりウソップが心配そうに口を開いた。

 

 「そんなっ。それじゃあいつ、死んじまったんじゃねぇよな?」

 「大丈夫。ルフィはゴム人間だ。瓦礫に押し潰されて死ぬことはない」

 「でも、それじゃあ、自力じゃ出られなくなってるのか」

 「可能性はある。でも――」

 

 答えるキリの声を遮るように、カランと小石が転がった。

 瓦礫を押しのけて外へ出て来ようとしているらしい。

 息を呑み、その時を待った。

 

 ゆっくりとした動きで、今にも倒れそうだが、瓦礫の中から人の姿が現れる。しかしそれは彼らが待ち望んでいた人物ではなくアーロンの物だった。

 全身が血に濡れ、意識を朦朧とさせて外に出て、ふらふらになっても彼はまだ立っていた。

 

 「ア、アーロン!? あいつ、あんなになってまだ生きてんのかよ!」

 「おれは……魚人の、帝国を――!」

 

 呟いた直後、巨体が倒れた。

 意識を失ってしまったようで、再び動き出すことはない。今度は完全に沈黙していた。

 

 倒れた瞬間を見ていた六人はまたも言葉を失っていたようだ。

 

 その時またも瓦礫を押しのけるわずかな音が聞こえて、全員の視線が上を向く。

 崩壊したアーロンパークの頂点に立つ人影がある。

 月の光に照らされて、ひどく印象的な姿。それは血に濡れて壮絶な姿となったルフィであった。

 

 安堵で胸を撫で下ろす前に、俯いたルフィが大声で告げる。

 

 「ナミ!!」

 

 名前を呼ばれて、ナミの目が片時も離さず彼を見る。

 言葉は端的に。

 ひどく分かり易い想いが伝えられた。

 

 「おまえは、おれの仲間だ!!!」

 

 それが全ての結果だった。

 ナミの目から涙が零れ落ち、右手の指で拭いながら、彼を見つめて小さく頷いた。

 

 「……うん!」

 

 同時に、皆がわっと声を上げる。

 ウソップが両手を上げて嬉しそうに跳び上がり、サンジは拳を握って喜びを露わにして、シルクもはしゃぐ様子で諸手を上げる。

 キリが満面の笑みを浮かべ、ゾロでさえ笑みを浮かべていた。

 

 しばし離れていた仲間たちの顔を見た後、ルフィも嬉しそうな笑顔になる。

 今にも倒れそうな危うい足取りで瓦礫の山を下り始め、それを待てずにウソップが飛び出した。

 

 「ルフィ~~っ! おまえ、やりやがったなこんにゃろう!」

 「しっしっし。ぶっ飛ばしてやった」

 「へへっ、やったな! おれたちの勝ちだ!」

 

 ルフィに駆け寄り、自身も怪我をしているというのにすっかり忘れて、肩を貸してやりながら二人で降りてくる。足場はひどいが転ぶことはなかったようだ。

 

 彼らが降りてくる間に他の者も喜んでおり、特にサンジは感情が高ぶっている。

 海賊になって初めての戦闘、初めての勝利で、仲間と感動を分かち合うのも初めて。案外良い物だと判断している。何より、涙を流すとはいえナミが喜んでいるのだ。

 冷静ではいられず、半ば無意識的に気付けば地面を蹴っていた。

 

 「やったぜナミさん、あいつが勝ったぁ!」

 「こら」

 「ごふっ!?」

 「ダメだよサンジ。急に女の子に抱き着こうとしちゃ」

 

 思わず勢いで抱き着こうとしたのだが、ナミの隣に居たシルクに鞘で殴られ、撃墜される。サンジは勢いよく地面に顔を打ち付けてしまって鼻血を流した。

 戦闘では傷つかなかったというのに、惜しい姿である。

 

 暴走するサンジからナミを守ったシルクは彼女の表情を見て素直に喜んだ。

 やっと初めて本当の彼女と話せる気がする。

 些細ながら如実な変化は、傍で見ていた人間にとっては明らかな物だったようだ。

 

 「やったねナミ。私たちの勝ちだよ」

 「うん……そうね。あんたたちを、信じてよかった」

 「ふふ。もちろんだよ。だって私たち、もう仲間でしょ?」

 

 シルクが笑顔で告げると、不思議と涙は止まって、ナミもまた満面の笑みで頷く。

 彼らの姿を見ていたら涙もすっかり遠ざかってしまった。もう我慢する必要はない。無理に泣く必要なんてないんだから思い切り笑おう。

 嬉しそうに頬を緩めたナミはがばりとシルクへ抱き着いた。

 

 「ありがとうみんなっ。私……諦めなくて本当によかった!」

 「うん!」

 「んナミさぁ~んっ! お、おれには!?」

 

 熱い抱擁を交わす二人を見てサンジが跳び上がり、腕を広げてアピールし始める。

 抱き合っていた二人はそんな彼を見てやれやれと苦笑していた。

 

 騒がしく、どこか楽しい雰囲気。ルフィたちも降りてくる。

 その場では比較的静かだったキリとゾロが言葉を交わしており、戦いの終わりに安堵している。これでやっと、本当に終わったのだ。

 

 「何はともあれ、一件落着かな」

 「ちょっとばかし退屈だったくらいだがな。もう少し骨のある奴が居りゃよかったんだが」

 「イカじゃなくてタコなら満足できた?」

 「ま、どっちでも変わらなかったもしれねぇな。あれじゃ期待もできねぇ」

 「そうだね。タコには骨ってないらしいし」

 「そういう問題じゃねぇんだよ」

 

 彼らも肩の力を抜いて話しているらしく、ようやく安堵できる瞬間が得られた。

 その場の空気は緩んでいた。

 ルフィとウソップが瓦礫を下り終えて皆に合流し、二人同時に手を上げて大きく声を出した。緊張感など欠片も残っていない。ただ勝利に酔いしれる海賊たちの姿だ。

 

 「おぉ~しおまえら、こっちに注目! 何を隠そうこの男が敵の船長、アーロンを一人でぶっ飛ばした男、海賊ルフィ親分で、おれはその部下の狙撃手、キャプテ~ン――」

 

 上機嫌にウソップが語っている最中、海から何かが浮上してくるのが伝わった。

 キリとゾロが最も早く気付いて振り返り、ルフィが首をかしげると、高い水しぶきが上がる。

 海から顔を出したのは、怒った様子のモームだった。

 

 「うぎゃああああっ!? 海から牛が出てきたぁ!?」

 「モーム!」

 

 ウソップの絶叫が辺りに広がった。

 存在を知っているナミがその名を呼ぶ。だが怒り心頭のモームはすでに声など聞こえていないらしく、殴られた影響だろう、仕返しのことしか考えていないようだった。

 すぐ近くに人間を見つけたのだからちょうどいい。

 もはや誰でもいいと考え、相手を確認することなく喰らい付こうと頭を近付けた。

 

 「モォォオオオッ!」

 「いきなり来たァ!?」

 

 ウソップが騒いでいるものの、狙われたのはおそらく咄嗟にシルクを庇ったナミ。

 その瞬間、二人の女性しか見えていなかったサンジの目つきが変わる。女性に見惚れてハートになっていたはずの目に鋭さが現れ、モーム以上の怒りに燃える。

 

 気付いた後では驚くほど動きが速い。

 即座にモームの目の前へ躍り出て右足を振り上げ、猛然と接近する顎を蹴り上げていた。

 

 「何しとんじゃクラァ!!」

 「モォッ!?」

 

 人間の数十倍の体長を持つモームが、一発の蹴りで弾き飛ばされた。背筋を反らせて体勢が変わり、必然的に顔面が遠くなる。

 すぐにモームの目が眼下のサンジを睨みつけるものの、獰猛な巨獣ですら怯えるほどの熱い眼差しを受け、一瞬で怒りが霧散したモームには代わりに恐怖心が植え付けられる。

 

 その男、まさに修羅だ。

 女性陣を守るために鬼となって、眼前に居る誰よりも圧倒的な迫力を放っていた。

 

 怯えて震え始めたモームに指を突きつけ、サンジは怒りを滲ませる声を出す。

 

 「てめぇ今誰を狙いやがった。答えろ牛ィ! てめぇは今、絶対に狙っちゃいけねぇ人に危害を加えようとした、そうだなッ!」

 「モッ……!」

 「騎士道もわからねぇエイに、女を傷つけちゃならねぇって全世界共通のルールさえ知らねぇ牛か。このクソ海賊団、てめぇ以外にも意識がありゃおれが全員蹴り飛ばしてるところだがッ。とりあえずてめぇに一つ教えといてやる! 骨の髄から魂にまで刻み込め!」

 「モォ……!?」

 「女は何があっても傷つけちゃいけねぇ存在だ! そしてェ――!」

 

 凄まじい音がするほど強く地面を蹴りつけ、サンジが飛んだ。

 動揺するモームの首へ近付き、あまりに強力な、そして強烈な蹴りを叩き込もうとする。

 

 「恋はいつでもハリケーンなんだよォ!」

 「モォォォッ……!?」

 「猛進! 猪鍋シュート!!」

 

 モームの肉体に深々と蹴りが突き刺さり、あまりに大きな衝撃と痛みは全身にまで響き渡って、その巨体は一瞬で空中に浮く。まるで夢でも見ているかのようだ。

 空を飛んだモームの体は、角度の関係か、陸上に上がってズズンと大きな音を立てた。

 そのまま完全に沈黙してしまい、荒みかけた雰囲気が元に戻る。

 

 海に落ちることもなく見事に地面へ着地し、しゃがんだ状態からゆっくり立ち上がる。

 そしてくるりと振り返った後、再び目の色は変わっていた。

 

 「んナミすわぁ~ん! さぁ、今度こそおれの胸の中に――!」

 「アホか」

 「藻!?」

 

 しかしナミへ向けて放られたはずの言葉はゾロの溜息で流されてしまい、再び燃え上がる怒りを感じたサンジはおもむろにゾロへと飛び掛かる。

 蹴りと鞘に納まったままの刀がぶつかり、彼らは懲りずに戦い始めてしまった。

 

 「てめぇごときに用はねぇんだよ! ケガ悪化させて死んでろ、アホめ!」

 「死ぬか、バカ! てめぇこそその辺で頭打って死んでろ!」

 「二人とも、ストップ! もう、ケンカしちゃダメって言ったのに……!」

 

 常人とは思えぬ速度で戦い始め、明らかに手を抜いていない様子にシルクが慌て、剣を抜いて駆けつけていく。二人は風に飛ばされて勢いよく海に落ちてしまい、どうやら頭は冷えたようだ。

 冷静さを取り戻したらしく二人揃って泳いで戻ってくる。

 

 騒がしい彼らを見てくすくす笑いつつ、キリは歩き出す。

 モームの一件で呆然としているウソップの傍を通り過ぎてルフィの前へ。

 右手を軽く持ち上げて掌を見せれば、肩を揺らす彼も同じく右手を上げて、パンとハイタッチ。緩んだ空気の中で笑顔を向け合ってようやく安心できる。

 

 「お疲れ、キャプテン。大怪我人が一人追加だね」

 「まぁ大したことねぇよ。それより腹減った。肉食いてぇな」

 「どうせすぐ食べれるよ。もう全部終わったんだ」

 

 からから笑うルフィは次いでナミに目をやり、親しげに声をかける。

 以前と何一つ変わらない。

 初めて出会った時のままだった。

 

 「なぁナミ、宴やろう。村の奴らみんな集めてさ、思いっきり騒ごうぜ」

 「え?」

 「いいだろ? おれたちが勝ったんだから」

 

 単純な思考で深く考えずにそう言われ、呆れてしまって嘆息する。けれど拒む気などない。言い知れないほどの大きな感謝の念があった。

 肩をすくめ、苦笑し、小さく頷いた。

 ナミの反応でルフィは上機嫌に肩を揺らす。

 

 「あんたっていつもそればっかり。でもいいわ……やっとみんなも笑えるようになるから」

 「だろ? 幸せになるにはな、肉食って思いっきり笑えばいいんだ」

 「あはは、バーカ。ねぇルフィ」

 「ん?」

 「ありがとう」

 

 穏やかな微笑みを湛えて告げられ、直後に麦わら帽子を乱暴にかぶせられる。

 片手でそれをかぶり直し、彼はそれもまた笑い飛ばした。

 

 「いいさ、気にすんな。おれは肉食えればそれでいいんだ」

 

 おどけるようにそう言って、ルフィは歩き出してしまう。

 同じくキリも微笑んで目を伏せながら傍らを通り抜け、どことなく誇らしげな顔で鼻の下を擦ったウソップも、静かにナミの傍を離れた。

 

 背後では皆がぎゃーぎゃー騒いでいる。

 子供っぽいと言うのか、海賊らしいと表現すべきか。退屈しない面子ばかりだ。

 

 背中で声を受けながらナミは崩れたアーロンパークの前で立ち尽くす。

 ふと月を見上げた笑顔は、いつの間にか頬を濡らしていて。

 嬉しそうに、穏やかに、ここには居ない誰かへ伝える。

 

 「ベルメールさん……終わったよ。私、自由になれたんだ」

 

 空には数えきれないほどの星が浮かんでいた。

 


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