夜の静寂を破壊する轟音が連続していた。
起こる場所は一か所。広く、それでいて音が籠ったり、遠くまで響いたりと時折変化がある。
アーロンパークの一階で戦闘の音が鳴り響いていた。
ルフィとアーロンの一騎討ちは現在も続いている。
激突を繰り返してまだどちらも大きなダメージはない。いまだ探り合っているせいか、決定打は一つたりとも与えられていなかった。
攻撃を軽やかに避けるルフィは猛威を振るうノコギリを避け、またアーロンは生まれ持った強固な肉体により、拳を受けて尚も大きな影響を感じさせない。ダメージは与えているはずだ。しかし許容できる範囲なのか動きの変化は微塵も確認できなかった。
建物を破壊する激闘はここへきて膠着状態を見せる。
避けるルフィと耐えるアーロン。対照的だがどちらも余裕を保ったまま。
一度距離を取って一階で向かい合い、至る所の壁が破壊されたそこで睨み合った。
「ちょこまかと鬱陶しい野郎だ……! 人間の拳が通用すると思ってんのか!」
「ハァ、やってみなきゃわかんねぇだろ!」
予想以上に長引く戦闘に苛立ち、アーロンが長いノコギリを振り上げて走り出す。
キリバチと名付けられたそれはアーロンの剛腕に耐えられるよう作られている。刃は触れた壁を削り、破壊して、今でも刃毀れ一つしていない。
斬るのではなく叩き割る、そんな使用法が原因だろう。
当たればゴム人間の彼が耐えられるはずもない。
従って避けずにはいられず、迫り来る刃を見てルフィは跳び上がった。
アーロンの動きは決して遅くない。これに反応できない人間などいくらでも居た。しかしルフィと比較すればやはり彼の方が速いため、回避にも反撃にも分があった様子。
近くにあったテーブルを斬り飛ばし、割れた木材が宙を舞うもののルフィには当たらず。
腕を振り抜いて隙を見せたアーロンは、伸びる足で繰り出された蹴りに胸を打たれた。
「ゴムゴムのスタンプ!」
「チィッ!」
ギリギリで防御が間に合い、左腕で蹴りを受け止める。しかし衝撃までは殺し切れず、体勢が崩れて後方へ滑った。これでまた距離が開く。
攻撃が可能な範囲を考えればルフィにとっては距離がある方が有利。
ただそれはアーロンにとっての不利にはならず、決して安堵できる立ち位置ではない。
伸ばした足を引き戻し、着地したルフィは冷静に敵を見据える。
普段の行いからは考え無しで突っ込むバカと思われがちだが、その実彼は頭が悪い訳ではない。思考を言葉にするのを苦手としていて、ただ自身の思考全てを伝えようとしないだけだ。
考えずとも判断を下すことができる。今、彼の目は真剣にアーロンを見ていた。
アーロンの動きと攻撃を見てわかったことがある。腕力は自分より上、武器とするのはキリバチのみならず拳や蹴りと、鋭い牙。あの牙は崩れた壁の破片、つまりは岩を噛み砕いて見せていた。つまり肉体を捕らえれば肉を食い千切ることくらいは簡単にできるだろう。
もはや全身が武器と言っていい。
全身に武器を仕込んだクリークとは違い、キリバチを除けば全て生まれ持った物。
ただの動作全てが凶器となる。
警戒心は大きくなって、油断など欠片も残されていなかった。
しかしルフィは勝つための方法など考えずに、ただ戦う相手に集中するのみ。
それだけでいい。余計な思考は必要なかった。
元々考えるのが苦手なのだ。ならば最初から考えず、ただ思うがままに動いた方が良い。幼少期の修行中に兄たちから言われていたし、自身もそっちの方がやり易いと知っている。
拳を握り、足を開いて腰を落として、初めから小細工を捨てて正面から対峙する。
ただそれだけの姿勢が堂に入っていた。
それが気に入らない。アーロンの怒りはさらに大きくなっていった。
魚人に恐れを抱かず正面から向かってくる人間。生意気とも言える素振りで腹が立つ。圧倒的な力を前にした人間は怯えて動けなくなるものだが、今の彼にはそれがない。
あくまで勝利を求める目だ。
こういう相手こそ叩き潰したい相手である。
「クソ生意気なっ。おまえのような奴が魚人族のプライドをズタズタにする!」
「知るか。魚人も人間も関係ねぇ。おれはおまえをぶっ飛ばしてぇだけだ」
「できるとでも思ってんのかァ!」
素早く振り下ろされたキリバチが迫る。
ルフィは潜るようにその攻撃を避け、自身も拳を振るう。
「できなきゃ仲間は守れねぇだろ!」
腹を殴られ、足が地面を離れる。
アーロンは背から転がるが素早く起き上がった。動けなくなるほどのダメージではなくともそれだけで侮辱。地に背をつけられたことが怒りの火種となる。
落ち着く時間を与えずにルフィが攻勢へ出た。
地を蹴って宙に躍り出て、頭を振って後方へ首を伸ばし、攻撃の予備動作に入る。
起き上がったばかりで体勢が整っていないアーロンは、見えていながら反応できなかった。
「鐘ェ!」
「おうっ!?」
ゴムの張力を利用した頭突き。アーロンの額にぶち当たって、勢いから背を仰け反らせる。
続いてルフィは着地の寸前に蹴りを放った。
「鞭!」
胴体を強かに叩き、体勢が崩れた。しかし倒れることを許さずに目前まで迫る。
「
腹に強烈なパンチが叩き込まれて、アーロンの巨体は殴り飛ばされて壁に激突した。
逃さずにルフィが両手を動かす。
予備動作の後に繰り出される攻撃は無数の拳。嵐のような猛攻である。
「ガトリングッ!!」
全身を打った拳によってアーロンの体がさらに後方へ動き、壁が壊れて外へ放り出される。海に面したその場所だ。最初に出会った場所へ転がり、倒れてしばし動かなくなる。
腕を戻したルフィは深呼吸して息を整えた。
流れるような連撃。しかしこれで終わりのはずがない。
予想通り、アーロンはそう時間もかけずに立ち上がって、足取りはまだ平気だと訴えている。頑丈な体だった。ここまでルフィの攻撃に耐える人物も珍しい。
やはり生まれ持った種族の血によるものか。
恵まれた体格は虚栄ではなく、ルフィの眉間に皺が出来る。
殴った拳に伝わった感触は、まるで分厚いゴムを殴ったかのよう。生来からの体質だけでなく鍛え上げた筋肉がある。勝負は長引きそうだった。
「ふーっ。タフな奴だな。おれももうちょっと気合い入れねぇと」
「今……何かしたか?」
「うん。準備運動」
拳を鳴らして平然と。ルフィは嘘偽りのない言葉を吐き出す。
先程から先の怪我に巻いた包帯が邪魔だった。その感触に慣れるために体を動かして、そろそろ十分な頃だろう。ようやく全力で戦える気がする。
嘘は言っていない。だがアーロンにとっては挑発されているような気分だ。
大したダメージはないとはいえ、攻撃を当てられたことは認めている。だからこそ効いていないぞと伝えたつもりだったがあっさり受け流されてしまった。おそらく意味も理解していない。言葉の表面だけを受け取って答えたと思える表情を見せているのだから。
ますます、こんな人間に負ける訳にはいかないとの想いを強くする。
肩にキリバチを担ぎ、笑みを見せたアーロンもまた力を隠していたようだった。
「まだそんな軽口が叩けたとはな。おれも少し手を抜き過ぎたらしい」
「軽口じゃねぇよ、ほんとだ」
「好きなように言ってりゃいいさ。おまえはまだ魚人族の怖さを理解しちゃいない……」
勝ち誇るようで、警告するような。
動き出すのをやめたアーロンはルフィへと問いかける。
「小僧。おれとおまえの絶望的な違いはなんだ?」
「鼻」
間髪入れずに答える。しかしそうではないとアーロンの眉が動いた。
「ん~……あご?」
相手の姿をしっかり見ながら続けて答える。よく見れば見るほど違いはあった。
何かに気付いた様子で、ルフィがポンと手を打ちながら言う。
「水かき!」
「種族だ!」
怒り心頭といった顔でアーロンが動いた。両手で柄を持ち、全力で振り切ったキリバチが猛威を振るい、体ごと独楽のように回転しながら迫ってくる。
素早く動いたルフィは跳ぶことでそれを回避した。
空を切るが壁の残骸を殴り飛ばし、一部を削って硬い音が鳴る。心地の悪いそれが耳に残った。
着地して敵の姿を視界に捉える。
即座に振り返るアーロンは再びキリバチを振りかぶっていて、あれを素手で止めるのは難しい。たとえ肉体がゴムでも肉を削られる。選ぶのならば防御よりも回避だ。
ルフィは後ろへ跳び、敵との距離を取った。その後一秒とかからず降ってきたキリバチの刃が地面を抉り、陥没させてガリッと削って、深い傷跡を残した上で跳ね上げられる。
削った石が宙を舞ったがルフィには届かない。
騒音は起こるが静かな決闘。どちらも集中力を高めていく。
問いかければふざけているように見えるものの、戦闘に関してルフィは手を抜いていない。優れた動体視力がアーロンの動きを見切ろうと細かな観察を続けていて、ともすれば反撃の機会を窺っている。ただ、敵の武器が危険であるため無茶な行動が出来ないのは事実だった。
対するアーロンも激しい怒りに囚われながら、思考だけは冷静な状態を保っている。
確かに人間としては強いだろう。それでもそもそも体の出来が違う。猿のように軽やかに動く彼だが捕まえすれば攻撃に耐えられるはずはない。
「魚人の力、見せてやる」
アーロンが目を怪しく光らせて笑った。
その一言にルフィも訝しむ様子を見せる。
体ごと回転してキリバチを一閃。ルフィはさらに跳んで回避する。
その時、振り切った姿勢でアーロンは左手を離していた。
魚人族の特徴か、体内から肌を通して水滴が現れ、奇妙な様子ながら武装する。左手は水に濡れてわずかに滴り、それさえも彼の武器となるのだ。
「撃水」
左腕を振るって水滴を飛ばした。ルフィの目にも見えているが、果たしてそれが攻撃かどうか判断できず、動きを止めると共に首をかしげて見入ってしまった。
それが失敗だっただろう。
顔に当たった水滴はピストルから放たれた弾丸の如く、ルフィの体を跳ね飛ばす。
貫かれていないだけマシだ。しかしその一撃でルフィの体はぐるりと回転し、勢いよく倒れる。
スピードはそこまでではないと思っていた。ただ触れてみればその異常性が嫌でも理解できて、明らかに普通の攻撃ではなかったと判断できる。
血反吐を吐き、ルフィはゆっくり地面に手をつく。
その背後からアーロンが飛び掛かり、キリバチが唸りを上げて振り下ろされた。
「ウオラァッ!」
気付いた途端、地面を押してごろりと転がった。
わずかながら自分が居る位置を変え、かろうじて避けることに成功する。キリバチは再び剛腕の力を借りて硬い石の地面を削り、耳障りな音を奏でた。
ごろごろ転がって距離を開け、安全だと判断してから立ち上がる。
驚きはそれなりに大きく、やはりさっきの水が気がかりになる。
「ハァ、なんださっきの……ただの水なのにピストルみたいだった」
呟きが聞こえたところでアーロンは気にせず、キリバチを担いでさらに接近しようとする。
そんな挙動を見せた直後、ぴたりと足を止めた。
迎え撃つために構えたルフィは虚を衝かれた様子。なぜ止まったかがわからず表情が変わる。
「シャハハハハ。外に出たのは間違いだったかもな」
「ん?」
「おれたち魚人族は海でこそ真価を発揮する。海がある場所での敗北はあり得ねぇ」
トンッ、と小さな足音。
アーロンは後ろへ向かって飛んでいた。そのまま海へ飛び込んでしまい、水しぶきが上がる。
逃げた訳ではないだろう。様子を見ていれば戦闘を続ける気なのは理解できた。
ただどんな攻撃が来るかはわからない。
ルフィは拳を構えたまま海を眺めた。
夜の時間は静かだった。
わずかに聞こえる波の音。水面は穏やかでアーロンの姿は感知できない。
辺りは奇妙なほど静寂に包まれていて、普段なら当然のそれも、緊迫したこの状況では不安を煽ろうとしているかのよう。攻撃に移る一瞬に集中するより他はなさそうだ。
「どこ行った、サメ」
逃げたはずがないと思っている。必ずどこかから向かってくると。
泳げない以上は待つしかなく、不安も抱かずに海に視線を置いて待ち続ける。
そしてその時がやってきた。
海水を高く跳ね飛ばし、しぶきを上げて海面から飛び出す魚雷。それはアーロン自身で、鋭く尖った鼻を武器とするかのように飛び出してくる。
まるでトビウオ。或いはそれ以上の危険性を持つ。
認識できた時にはすでに目の前に居て、反応さえ許さないスピード。
かろうじて体を動かして反応するが、気付けばルフィの体は跳ね飛ばされていた。
「
「がっ……いてぇ!?」
尖った鼻に刻まれ、肌が裂けて血が飛び出した。それだけでなく凄まじい突撃で体が宙に浮いて身動きが取れない。痛みと浮遊感、両方に襲われていた。
アーロンは自らが建てた建物に到達し、軽やかに体勢を変えて足で壁に触れる。
空中に居るルフィを見やり、落下速度から衝突する地点を計算。
壁を蹴って瞬時に自分を撃ち出した。
「
「くそぉ、こいつ!」
狙うのはルフィを連れて海中へ潜ること。
この攻撃で即死させる必要はない。彼を海中に引きずり込めばそれだけで抵抗できなくなり、後で嬲り殺すことなど簡単だ。ひとまず無力化させてしまえば能力者など怖くない。
向かってくるアーロンを見てルフィも気付いた。
落とされる訳にはいかないと、落下しながら空中で無理やり体勢を変える。
幸いにも軌道は真っ直ぐ。敵は空を飛べる訳ではない。
身を捻ったルフィは右の拳を振るい、自身の眼前に尖った鼻が来た時点でアーロンの頬を殴りつけた。想像を絶する勢いだったが力比べで負ける気はなく、アーロンは自身の予想に反して大きなダメージを負い、無理やり軌道を変えられた。まるで撃墜されるかのようである。
ギリギリでなんとか攻撃を避けられた。
ルフィは腕を伸ばして建物の傍へと戻り、アーロンは再び海中へ落ちる。
深く息を吐いて生を実感する。今の一瞬だけは緊張感は倍増していたのだろう。
どっと汗が噴き出して、拭うことすら忘れてルフィの目は海を見る。
「危なかった。海に落ちたらどうしようもねぇからな」
呟くと同時、バシャンと水が跳ねあがってアーロンが飛び出してくる。
再度の射出。ルフィも応戦するためその場を動かなかった。しかしさっきと違うのは、無手ではなくてキリバチを持っていること。海中で一旦手放していたのだろうか。
武器を持っているだけで攻撃の種類は変わる。
考えもせずルフィは地面を蹴っていた。
高速で向かってくるアーロンから逃れるのは簡単ではない。反応できてもスピードの差は埋めようがなく、地面を蹴ったルフィだったが、回避できる距離にまで逃げられなかった。
海中で助走をつけ、弾丸が如く飛び出してきたアーロンは人間が出せる速度を超えていて。さらにそのスピードの中でも敵の動きが的確に見えている。
わずかに射線上から逃れたルフィを見て、体を回してキリバチを振るう。
スピードと広い攻撃範囲が揃ってしまってはルフィでさえ反応し切れる物ではない。
刃は確かに彼へ届いた。
「ぎっ……!?」
「オラァ!」
防御のために掲げられた腕を刃が捉え、ぐっと力を込めて振り切り、自らの着地も無視して全力で斬り飛ばす。ルフィが腕から血を流して壁へ激突し、自らも頭から突っ込んでいく。
もうもうと土煙が立ち込めて数秒。
先にアーロンが瓦礫を蹴って立ち上がり、敵を見つけようと視線を彷徨わせる。
ルフィもまたすぐに立ち上がった。
どうやら防御が利かなかったらしい。腕の肉が一部抉れて、傷は胸の辺りにまで達している。長い刀身のキリバチに狙われては仕方のない結果であろう。
傷は増えた。血が滴って床を赤く汚す。
まだ終わりではないとはいえ、表情が変わった姿を見てアーロンがほくそ笑む。
そうでなければならない。もっと恐怖しなければおかしい。
またもキリバチを担いで歩き出し、敵を威嚇するべく低くなった声を出した。
「確かゴムだと言ってたな、おまえの体は。おれとの相性はどうにも悪い。牙、キリバチ、または海を使った戦闘。哀れなおまえを殺す手段なんざいくらでもある」
「フン。そんなもんちっとも効いてねぇよ!」
「まだ強がれる気概は褒めてやろう。だがおれとおまえの間には越えようのねぇ壁がある」
アーロンが姿勢を変え、キリバチを持って低く構えた。
「身の程を知れ。魚人に勝てる人間なんざ居ねぇんだ」
「だったらおれが最初の一人だ!」
駆け出したアーロンが前へ出て、迎え撃つ形でルフィが拳を突き出した。
伸びる腕が彼の出鼻をくじき、パンチが頬に当たる。
「ゴムゴムのピストル!」
「むぅ!?」
衝撃は強く、痛みもある。だが飛ばされるほどではなく、踏ん張った足が後ずさった。
まだ止まらずにルフィが続ける。
両腕を後方へ伸ばしながら前方に走って、接近と同時に強烈な掌底を繰り出す。
「バズーカ!」
強かに腹を打って体がくの字に曲がる。
受けた衝撃はパンチよりも強い。歯を食いしばり、視界が揺れるのを感じていた。
わずかとはいえ隙が出来たのである。
これを逃さぬため、ルフィは彼の肩を掴んで跳び上がり、頭上に出てから両足の底を合わせ、眼下に居るアーロンの背へ蹴りを突き刺した。
両足で同時に繰り出す様は、槍の如く。
アーロンの巨体が地面へ沈む。
「槍!」
「ぐあァッ……!?」
うつ伏せに倒れて意識が遠のきかける。それを必死に繋ぎ止めて痛みを堪えた。
着地したルフィはすぐに振り返り、次なる攻撃に備える。
アーロンもゆっくり、ダメージを無視できていない様子で、なんとか起き上がった。やはり想像以上の威力に体がついて来なくなっている。長引かせるのはまずいと思った。
本当に、鬱陶しい相手だ。
なぜこんな奴が現れるのか。
極限まで膨れ上がった怒りで牙を打ち鳴らし、殺意は大きくなるばかりである。
「下等種族が、このおれに――」
「ん?」
「魚人のおれに何をしたァ!」
振り返り様にキリバチを振るう。懐へ飛び込んでルフィが避け、鋭く拳が繰り出される。
ドンッと腹に一発。
痛みで血反吐を吐く刹那、足を振り上げたルフィに顎を蹴り上げられ、背筋が伸びる。
一旦後ろへ下がって距離を作り、腕を後方へ伸ばしながら助走を取る。
接近してくる彼の姿をなんとか見て、アーロンはしかし反応するに至らなかった。
「ブレットォ!」
胸に一発、体が飛ぶ。
その瞬間に掲げたキリバチを振り下ろしていて、攻撃の直後だったルフィの肩口に突き刺さり、袈裟切りに胴体を引き裂いた。歯噛みする呼吸音が聞こえた直後、地面を滑っている。
ルフィもまた痛みを堪えながら足がふらつき、思わずその場へ膝をつく。
倒れたままで気付いた。
互いに体力を削り合えばそう遠からぬうちに決着がつくはず。
肉体的に優れているのは自分だ。消耗戦となれば負けるはずがない。事実、ルフィは流した血の量が多い。対してアーロンは殴打によるダメージこそ積み重なっているものの、決定打らしき外傷は作られていなかった。肉を切らせて骨を断てば、身軽な彼にも攻撃は当てられる。
自らの勝機は、そう遠からぬ所にある。
起き上がったアーロンはゆらりとその場へ立ち、笑みを浮かべてルフィを見た。
「何から何まで、てめぇに負ける物なんざねぇんだ。人間に生まれたことこそ後悔しろ」
「ハァ、別におれは、そんなもんどうでもいい」
「何?」
「おまえをぶっ飛ばすっつっただけだぞ」
頭から滴る血が顎に伝って、それを手の甲で拭いながら告げた。
ルフィは真っ直ぐアーロンの目を見つめている。恐れなど欠片も持ち合わせていない。
自然、彼の声も穏やかではいられなかった。
「ナミのためにか。バカな奴らだ、ヒーローにでも憧れてたか? 何も知らねぇてめぇらが割って入って何になる。ただ事態を混乱させるだけだ」
「おまえが決めることじゃねぇ」
「いいや、おれが決めるのさ。なぜならこの島はもうおれのナワバリ。おれの領土でおれの国だ。そこにどこの誰とも知らねぇ奴らが侵入して、仲間を助けるなどと好き勝手ほざいてやがる。正当性はどちらにある? てめぇらは国を脅かす反乱分子でしかねぇのよ」
「それでいい。おれたちは海賊だ」
熱を帯びるアーロンとは違い、ルフィの声は静かだった。
限界まで感情を奥へ秘めたかのような、決して無感情ではないがひどく静かである。
「ヒーローになんかなりたくねぇし、この島の人間がどう思ってるかなんてどうでもいい。人助けなんかするつもりねぇ。おれは自分のためにケンカを売ったんだ」
「ますます馬鹿らしい。所詮は野望さえ持たねぇ人間の浅はかさよ」
「おまえがナミを泣かせたんだ」
拳を握る力が強くなる。意志の強さだけはその目に現れていた。
「言ったはずだぞ、ナミはおれの仲間だ。おまえがここに来さえしなければあいつは平和に過ごせた。あいつが守ろうとした村も破壊されることはなかったんだ。何も知らずに突っ込んだおまえが全てをぶち壊した。おれの計画も含めてな」
「ナミが、それを望んでたって言うのか」
「当然だろう。おまえらが居なけりゃあいつはずっと幸せだった」
感情が表情に浮かび上がり、目つきが変わる。
ルフィは激情を表に出して雰囲気を変えた。
想像以上の力強さを感じてアーロンの表情に変化が起こる。
(こいつ、まさか覇気を……?)
肌を刺すような威圧感に違和感を覚える。まさかと思わずにはいられなかった。
半ば急ぎもしたが、キリバチを振ってその命を狙う。
(あり得ん!)
ルフィは即座に反応した。しかしその反撃はアーロンの予想を超える。
振り下ろされるキリバチの刃に自ら拳をぶつけたのだ。
予想もしていなかった衝撃が柄を伝って腕へ響く。
ゴムでしかないルフィの拳により、刃の一つが破壊された。軽い音を立てて金属のそれが折られて宙へ飛ばされ、キリバチそれ自体は軌道を変えられて体には届かない。
当然、攻撃を受け止めた拳は刃が突き刺さって血が噴き出しているものの、本人は気にせず。
握り締めた拳は確かな痛みにも負けずに握られたままだ。
明確な隙が生まれていた。
ルフィがアーロンへ接近して、刃を折った右の拳で頬を殴る。
巨体が大きく揺れ、勢いよく倒れた。
地面に触れると同時に飛び起きて武器を握り直す。
自覚した後では身に感じる威圧感がそれだと思えて仕方ない。どうしたことか、かつてグランドラインで経験したはずの窮地を思い出している。
あり得ない、と首を振った。
イーストブルーにこんな奴が居るはずがない。そう思いながらキリバチを振るう。
「おれはノコギリのアーロンだぞ! てめぇに負ける道理はねぇ!」
横薙ぎに振るわれる刀身を下から蹴り上げ、キリバチは空を切った。
その挙動を見た後でルフィが跳び上がり、体を一回転させた上で蹴りを放つ。ゴムの性質でしなる左足はアーロンの顔面を狙った。だが素早く反応し、大口を開け、アーロンは待ち構えた状態でルフィの左足に噛みつき、鋭い牙が深々と肉に突き刺さる。
痛みは相当な物。ルフィが目を見開いて歯を食いしばった。
すぐさま腰を捻り、右足で繰り出す蹴りをアーロンの側頭部へ叩き込む。
「いっ!? ぎゃあっ……こんにゃろォ!」
強く蹴り飛ばして口は離された。脛の辺りにぽっかり穴が開いた左足は解放され、アーロンが倒れるのと同時にルフィも地面へ落ちてその場を転がる。
壮絶な戦いだった。
互いにダメージが蓄積されていき、余力は見る見るうちに削られていく。
二人はすぐに立ち上がるものの時を置こうとはせず。
決着をつけるべく、両者同時に自ら攻勢に切り出した。
「撃水!」
「ふんっ!」
手から飛ばされる水滴を殴って飛散させ、ルフィが接近しようとする。それを見てアーロンはキリバチを振り回して牽制し、仕方なくルフィが足を止めた。
頭上から振り下ろせば圧倒的な脅威となる。
再び跳んで逃げたルフィが近くにあった屋根の上へ飛び乗る。
逃がしはしない。アーロンがすぐに後を追う。
跳び上がってキリバチを振り上げ、振り下ろすそれで頭から割ってやろうと襲い掛かった。
防げないと感じてルフィは尚も頭上の屋根へ跳び上がり、ゴムの腕を伸ばして逃げる。
しばし追いかけっこが始まった。ルフィが屋根に乗って逃げればすぐさまアーロンが後を追い、キリバチで屋根や壁の一部を壊し、最上階まで外壁を上っていく。
やがて一番上に到達して逃げ場を失くしかけた時。
「うっ、やべぇ!?」
「終わりだァ!」
視界の端に小さな窓が映り、咄嗟の判断でルフィがガラスを割ってそこに逃げ込んだ。
直後にキリバチが激しく壁を削って、アーロンも後を追って窓の内部へ飛び込む。
二人の姿は外から見えなくなり、ちょうどそんな頃に六人が門の辺りに到着した。
大きな音に気付いていたウソップは窓の辺りを指差し、後ろに居る仲間たちへ語り掛ける。
「おい、今の見たか? ルフィたちだ!」
「まだ終わってなかったのか。しかもずいぶん暴れてんなぁ」
「あいつが負けたらおれが代わるぞ。いいな?」
「ご自由に。どうせ負けないけどね」
サンジが辺りを見回しながら呟けば、うずうずした様子でゾロが言い、キリが肩をすくめる。
男性陣にはいまいち緊張感が足りない。
少し嘆息したシルクが隣に立つナミを見た時、なぜか彼女は、呆然と二人が消えた場所を見つめている。最上階の左側の部屋。何やらただ事ではなさそうな表情である。
「ナミ、どうしたの? ルフィなら大丈夫だよ。誰が相手でも負けるような人じゃ――」
「最上階の、左の窓」
ぽつりと呟き、目はそこを捉えて離さない。
他の四人もようやく気付いた。
「測量室だ……」
ナミは思いを馳せるように、そこが自室だったことを告げた。