ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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Shake it down(4)

 ウソップが臆病であることは自他共に認める周知の事実であるが、だからと言って彼が弱いと断じる要因になるとは限らない。彼は臆病でも、決して馬鹿ではなかった。

 

 自分がチュウの標的になっていると知って今にも脚が震えそうになっている。

 それでも自分が逃げれば村人が狙われると知っているため逃げ出さない。

 彼は臆病だが根性がない訳でもなかった。

 

 精一杯の虚勢を張り、彼はチュウの前に立っている。

 表情は引き攣って余裕がなく、どう見ても顔色は悪いものの、逃げるチャンスなどとっくに失っていた。仲間たちが助けに割り込んでくる様子もなし。すっかり任されてしまっている。

 傍から見れば勇敢にも見える姿。だが本人は動揺しっぱなしで、心中は穏やかではない。

 

 (やべぇ……完璧に標的にされた)

 

 彼の本分は狙撃。敵と距離を取って安全な場所からの援護にある。

 というのが本人の言い分だ。

 決して先陣を切って敵と戦うタイプではないし、ましてや幹部と一対一など望んでいない。そんなことをしたら死んでしまうではないかと叫びたくて仕方なかった。

 しかし村人が見ている手前、彼らを狙わせないためには自分が的になるのも必要だとわかった。

 

 一味と航海する中で、ルフィやシルクからピースメインという存在について聞かされている。

 決して武器を持たない者を襲わず、自由と冒険を愛する気の良い海賊たち。世間から見れば自分勝手で悪だと語られても仕方ないが、抵抗できない町民を襲ったりはしない、そういう誇り高い海賊に憧れたのだ。父もきっとそうなのだと想って。

 ココヤシ村の人間を見捨てて逃げるのは流儀に反する。

 ウソップの足を縫い付けていたのはひとえにその想いだった。

 

 ただやはり怖がりを克服した訳ではないらしく、何か奇跡が起きて助かりはしないかと考えてしまうあたり、良くも悪くもいつもの彼だった。

 

 「ちくしょー……こんなつもりじゃなかったのになぁ。なんでおれなんて狙うんだよ、他にもキリとかゾロとか居るのに。うっ、おれ、もう死んじまうのかなぁ」

 「何ぶつくさ言ってやがる」

 「ハッ!?」

 

 チュウに声をかけられただけで肩がびくつく。さっきまで威勢よく叫んでいた男が妙な素振りだ。不思議に思うチュウの眉間には深い皺が刻まれていた。

 何かがおかしいと思う。

 元々強そうとも思っていないがその念が強まった気がした。

 

 こいつは、弱いのではないか。

 様子が変わっていく様や態度を見ているとそう思えて仕方ない。ただそうなるとなぜ勇んで自分に挑んできたかがわからず、互いの実力差がわからないほどのバカとも違う気がする。怯えているのが良い証拠だ。勝てないと思っているらしいと表情を見てわかる。

 

 不思議な人間を前にして彼はしばし逡巡していた。すぐに襲わなかったのはそのためだろう。

 海賊としていくつもの戦闘を経験しているからこそ、考え無しに動くのは愚かだと知っている。弱そうに見せておいて実は勝つための策を持っている相手かもしれない。魚人の自分が人間を相手にその策を怖がる必要はないと思いつつ、用心するのは戦闘の慣れからだ。

 

 敵の考えを知るため、敢えて手を出さずに居ると、ウソップはちっとも動かない。疑念はますます強くなり、まるで我慢比べになったのがまずかった。

 先に動いた方が勝ちか、或いは負けるのか。

 緊迫した空気はウソップの思惑とは裏腹にチュウを困惑させ、混沌とした空気を生み出す。

 そのため彼らの沈黙は重くなり、完全に動き出すタイミングを見失った。

 

 どちらも思考が深くなる。

 必要以上に考え事が増えていって、敵への警戒心も大きくなっていたようだ。

 ウソップとチュウは真剣な顔で睨み合い、それぞれ戦いを始める時を窺っていた。

 

 (でも考えてみればこいつは他の奴より体は小せぇな。めちゃくちゃ力があるようにも見えねぇし、火薬星は確実に効いてたはず。上手く隠れて狙撃に持ち込めれば……)

 

 ちらりと視線を外し、ウソップは近くの森を見る。

 辺りには田んぼが広がって、その傍に大量の木々がある。つまり隠れる場所はあった。遠距離からの狙撃を考えるなら、必要とするのはその場所だろう。

 上手く隙を突いて移動すれば勝機はあるかもしれない。

 冷静になろうと努めて考えてみた結果、自分の負けが決まった訳ではなさそうだと気付いた。

 

 (こいつ、さっきパチンコで爆発する弾を撃ってきたな。あれもかなりのダメージだった、何発も食らうのはまずい。つまりこいつは狙撃手。しかも体つきから見て肉弾戦は経験がねぇな……同じ狙撃手でもおれの方が上。敢えて遠ざからずに接近戦で仕留める)

 

 対して、チュウも考えた。

 ウソップの外見や手に持っている武器、先程の挙動から戦法を分析、戦い方を決める。互いに狙撃手のため狙撃勝負に持ち込むのも面白いが、相手が人間ならわざわざ付き合ってやる必要もない。腕力で勝る魚人は自らの拳で黙らせるのも簡単だからだ。

 一発。接近のための一発があれば勝てる。

 表情が緩まないようにと気をつけ、チュウは心の中で勝ちを確信した。

 

 あとはいつ動き出すか。きっかけ一つで敵を倒せるだけの自信がチュウにはあった。しかし対照的にウソップにはそこまでの自信がないため、二の足を踏む。

 嫌でも心臓の鼓動は速くなった。

 その音ばかりが大きく聞こえ、辺りが静か過ぎることもあり、ウソップの頬を汗が伝う。

 

 きっかけを待つ二人の下に、突如轟音が聞こえた。

 キリがクルーラを落とした際に生じる地面への衝突音である。

 

 ほんのわずかに大地が揺れたことを感じ、チュウとウソップは瞬時に気付いた。この瞬間に相手が動く。考えた直後に、半ば考えもせず反射的に体が動いていた。

 ウソップが持っていた弾をパチンコに番えて、即座に放とうとする。

 しかしそれより早く、唇を尖らせたチュウが背を反らし、自らの口から攻撃を放った。

 

 コンマ数秒の差。

 勝ったのはチュウ。放った水がピストルにも負けぬ勢いで、ウソップの体を貫いた。

 

 「水鉄砲!」

 「うわっ……!?」

 

 弾丸のような水が脇腹を貫通し、肉体からは貫通した水と共に血が飛び出す。

 痛みは相当な物。放とうとした弾を取り落としてウソップはゆっくり倒れていく。

 

 見ていた村人が声を出した。

 やはり、勝てないのか。一時とはいえ希望を抱いただけに胸を打つ喪失感が大きく、頑張れと握り拳を作る者も少なくない。

 

 ウソップは倒れ込む前になんとか体勢を立て直した。

 必死に痛みを堪えて目を開く。しかし気付けば目前までチュウが迫っていて。

 彼が振り切った拳が顔面を叩き、ウソップの体は地面をバウンドしてダメージを受け、その後に地面へ倒れた。受けた衝撃から血を吐き出して意識が遠のく。

 

 圧倒的な差。これこそが魚人と人間の違いだろう。

 無様な姿を見下ろしたチュウはにやりと笑う。

 

 「呆気無かったな。チュッ♡ 最初のはやっぱり虚勢だったか。哀れな野郎だぜ」

 「うぐっ、おぉ……!」

 「今ので死んでねぇことだけは褒めてやるよ。でももう終わりだ」

 

 急ぐでもなく歩み寄って拳を振り上げる。

 わざわざ楽に死なせてやる必要もない。自身の特技である水鉄砲を使うまでもなく自分の拳で十分だと思っていた。従ってチュウは倒れた彼の隣に立って余裕綽々にウソップを見下ろす。

 

 ゴーグルは無事だった。壊れていない。

 装着したゴーグル越しにチュウを見つけて、強く歯噛みし、意識が変わるのを自覚する。

 

 情けない。今の自分について思うのはただその一言。

 命懸けで戦ったキリの姿を見たのではなかったか。強くなりたいとダディに教えを乞うたのではなかったのか。それなのにいつまでも逃げることばかり。戦わない選択ばかり欲している。それでは何も変わっていない、勇敢なる海の戦士はそんな姿ではないだろう。

 意識せずとも脳裏に思い出す。血に濡れて倒れたキリの姿。幼き日に見た我が父の顔を。

 

 海賊になるために海へ出た。それだけは絶対に嘘ではない。

 いつかシロップ村へ帰った時、胸を張って嘘じゃない冒険の話を聞かせられるように。

 

 今こそ変わるべきだと思った。

 もう海賊ごっこじゃない、本物の海賊になって海を航海している。

 ウソップはチュウを睨みつけ、絞り出すように声を発した。

 

 「へへっ、そうだ……おれは、勇敢なる海の戦士になるために、村を出た。ハァ、こんなところでくたばれねぇし、おまえにくらい勝てねぇと、あいつらと一緒に居る資格なんてねぇ……!」

 「なんだ、恐怖で頭がおかしくなったか? まさか笑い出すとはな」

 「ゴホッ、ゲホッ。んん、よく聞けよサカナ野郎……おれを本気にさせたこと、後悔するぞ。おまえは、眠れる獅子を起こしちまった」

 「そのサカナってのは、二度と口にするな」

 

 拳を使わず、苛立った顔のチュウは思い切りウソップの体を蹴りつけた。

 腰の辺りから凄まじい衝撃が走り、体が飛んで地面を転がる。ダメージはさらに大きくなった。徐々に体へ蓄積していき、石で切ったのか、額が割れて血が流れ出す。

 焦らすようにゆっくり歩いて近付きながら、チュウは明らかに声色を変えていた。

 

 「おれたち魚人族は至高の種族だ。たかが魚でも、たかが人間とも違う。世界で最も優れた種族だということを覚えておけ。そしておまえはその魚人族の怒りに殺されるんだよ」

 「ハァ、うぅ……殺されてたまるか。おれは死ぬのが怖くて仕方ねぇんだよ」

 「だったらここに来るべきじゃなかったな。チュッ♡ バカもここまで来ると呆れちまうぜ」

 「おれは、死なねぇためにここへ来たんだよ……! おれ自身も死なねぇし、村の奴らだって殺させねぇ。メリーを盗んで逃げたとしたって、あいつはなぁ――!」

 「もう十分だ」

 

 最後の数歩は歩調を合わせるために勢いをつけ、もう一度ウソップの体が蹴り上げられる。腹に受けた痛みから血液が逆流してきて、体が宙に浮いている間に吐き出す。

 そのまま体の前面から地に落ちて動かなくなった。

 

 勝負は呆気無く終わったと、誰もがそう思っていた。

 チュウはあっさり彼に背を向け、他の敵を仕留めようと視線を走らせる。

 しかし、まだ終わっていないと信じていた者たちは倒れたウソップに目を向けており、キリが、ゾロが、ナミがまだ諦めてはいなかったようだ。

 

 「チッ、やられちまってるじゃねぇか。おれの仕事を増やしやがって。まぁいい、どうせあと二人やっちまえば終わる話だろ。とっとと終わらせて逃げた一匹を――」

 「ま、待て」

 

 声が聞こえて、眉を動かしたチュウが振り返った。

 うつ伏せに倒れたまま、腕を突っ張ってわずかに上体を反らし、チュウを睨んでいる。

 

 「おまえの相手は、おれだろうがッ!!」

 

 その一言を機に再び怒りが沸き上がって来た。

 チュウは厳しい目で彼を睨みつけ、改めて彼へ向かって歩き出す。

 

 弱いくせに、口先だけは一丁前に動く敵。弱いなら黙って死んでいればいいものを案外しぶとく粘ってくる。本来なら相手にしてやるほどの格でもない相手だが、チュウは敢えて決意した。

 きちんと命を刈り取る。適当に終わらせていい訳ではなかった。

 

 どうやって殺してやろうかと考えながらチュウが近付いて来る。

 それを良しと考えて、ウソップは素早くパチンコを構え、今度は待たずに弾を放った。

 

 「必殺! 鉛星!」

 「はおっ!?」

 

 選んだのはただの鉛玉。ただしゴツンとぶつかったのは彼の脛で、魚人だろうと人間だろうとそこだけは非常に痛く、たった一発で表情が変わった。

 チュウの立ち姿は腰が引けた物になり、即座にウソップは立ち上がって駆け出す。

 がま口の鞄から新たな武器を取り出して、彼の目の前でそれを突きつけた。

 

 「おまえにこいつが耐えられるか……! ウソ~ップ・輪ゴ~ム!」

 「なっ――!?」

 

 親指に輪ゴムを引っ掛け、もう一方を右手で引っ張り撃ち出す体勢。子供騙しにも思えるが飛んでくると思えば反射で体が強張ってしまう。チュウは自分でも気付かぬ内に目を閉じていた。

 それを見てウソップはさらに鞄から武器を取り出す。

 

 脛を庇って目を閉じて明らかに隙だらけ。これなら誰だって攻撃を当てられる。

 両手で持ったトンカチを猛然と振り上げて、自身が苦手とする接近戦で一撃を叩き込んだ。

 

 「ウソップ・ハンマーッ!」

 「おごっ!?」

 

 ガツン、と顎が殴り飛ばされる。

 体重差はあっただろうがチュウの体は一瞬浮かび、頭から地面に落ちて後頭部を打った。しかしダメージは顎への一撃の方が大きい。急所を狙ったそれはどうにも悪質だった。

 

 顎を押さえながら頭も気にしつつ、痛みに耐えかねて地面を転がる。

 そうする彼は子供のように必死になって、すっかり余裕を失っていた。

 

 「ぐおおっ!? ちくしょう、輪ゴムが飛んでくると思ったのに! おのれ人間ンッ……!」

 

 痛みに耐えられるようになった後、まだ痛みは続いているが、立ち上がったチュウは目を血走らせてウソップが居た場所を見た。だがそこには誰の姿もない。

 気付けばウソップの姿は忽然と消えていた。

 

 「野郎、どこへ行きやがった! まさか逃げた訳じゃねぇよな腰抜けェ!」

 

 冷静さを欠いて激情のままに周囲へ言葉を投げ飛ばす。しばし応答はないかと思われたものの、首を振って姿を探している内に返答があった。

 声はおそらく森の中から。

 どこかへ隠れたらしいウソップは威勢のよさを取り戻して、上機嫌な声を発していた。

 

 「ハーッハッハァ! どうだ見たかサカナ野郎ォ! 輪ゴムが飛んでくると思いやがったな、騙されやがってバァカめっ! おれは嘘つきで海賊だァ!」

 「チッ、森の中か……!」

 「言われたくないなら何度でも言ってやるぞ! サカナァ! このサカナめ!」

 

 わざわざ言われたくない言葉を教えてもらった。これ幸いとウソップはそれを連呼し、チュウの余裕を崩してやろうと叫び始める。同時に余裕があると装った高笑いも忘れなかった。

 見る見るうちにチュウの顔色は変わっていき、全身が怒りに支配されていく。

 それが作戦だと気付いているのか、それとも否か。どちらにせよ平静は失われていったようだ。

 

 森の中の声はさらに続く。

 武器は狙撃と嘘と逃げ足、そして武器の多様性。

 覚悟さえ決めてしまえばこの程度の相手はどうってことない。自分自身にそう嘘をついて、彼の声はどんどん自信に満ちていくように感じられた。

 

 「いいか、おれの名前をよ~く覚えとけ! おれは大頭ルフィ親分の子分で、八千人の部下を持つ一番船船長! キャプテ~ン・ウソップ様だァ! おまえら魚人どもが束になったって勝てる相手じゃねぇんだよ! 逃げるんなら今の内だぞサカナ野郎! もう逃がさねぇけどな!」

 「そこかァ! 水鉄砲!」

 「うおおっ!? あ、危ねぇぇっ!?」

 

 生い茂る木々に隠れても、注意して声を聞けばどこから言っているのかわかる。それだけ大声を出して長々としゃべっているのだ、それも無理はなかった。

 反撃の水鉄砲を撃ち出したチュウは正確にウソップの位置を見抜き、しかし狙いがわずかに逸れて隠れていた木の幹を貫く。おかげでウソップにダメージはなく、驚かせただけになる。

 

 見つかってしまった。そう知ったウソップは木の傍を離れてしまって姿が露わになる。

 辺りが暗いとはいえそれを見逃すほどチュウはバカではない。

 自身の視界にしっかり納めて、何を想ってかにやりと笑う。

 

 「そこに居たのか」

 「げぇっ!? 見つかっちまった!」

 「野郎、ぶち殺してやるッ!」

 「ぎゃああああっ!? 待て、待ってくれ! さっきのは調子に乗っちゃっただけなんだよ! は、話せばわかる! ちょっと落ち着いて……!」

 「落ち着けるかァ! てめぇだけは許さねぇ!」

 

 激しい怒りに囚われているせいか、チュウは何も考えずに走り出した。水鉄砲で狙おうという考えがない。自らの拳で仕留めたいと思っている可能性もあった。

 暗い森の中へ、警戒心も持たずに入り込もうとしている。

 ウソップはギャーギャーと悲鳴を上げ続け、涙すら流しそうな表情である。

 

 「ギャ~ッ、やめろ!? それ以上やめろ!? 森に入ってくるなぁ!?」

 「バカめ、ただの雑魚が調子に乗るからそうなる! 後悔しながら死ね!」

 「やめてくれぇぇぇっ――なんてな」

 

 道を選びもせず、チュウが草むらを突き破って森に入った瞬間だ。

 表情を一変させてウソップがにやりと笑う。

 

 走るために強く踏み込んだ右足の裏に、鋭い痛みが走る。一瞬でチュウの表情が変わった。足の裏という急所を衝く痛みに余裕を失い、飛び上がらずにはいられなかった。

 反射的に右足を上げて跳ぶものの、焦ったせいか前へ出てしまって。

 左足もその辺りを踏んでしまって同じように痛みが走り、悲鳴が重なる。

 足には深々とまきびしが刺さっていた。

 

 「いっでぇ~っ!?」

 「バカめ! そこはすでにまきびし地獄だ!」

 

 地面に広げられたまきびしを避けるためぴょんぴょん跳ぶ傍ら、サンダルを貫いて足の裏に刺さったそれを抜く。そうしているチュウの姿は傍から見て間抜けだった。

 

 明確な隙が出来ている。

 ここを逃す手はなく、ウソップは素早くパチンコに弾を番える。

 そして狙いを定め、怯えること無く発射した。

 

 「必殺! 激辛タバスコ星!」

 

 狙われたのはキスの魚人らしく、特徴的に突き出た唇、さらに言えばその内部。

 難しいはずの目標を相手に狙撃は見事成功し、放たれた弾は飛び跳ねる最中のチュウの口内へ飛び込んだ。唾液へ触れて弾が溶け、その味は確実に彼の舌へ伝わる。

 

 辛味は痛覚で感じる物。そして舌は鍛えようがない。

 一気に襲い掛かった辛味が彼を叫ばせ、足の痛みすら忘れるほどの衝動に苛まれる。

 

 「辛ェェェ~ッ!?」

 「おれが弱いのは本人が一番理解してんだっ。必殺、火薬星!」

 

 加えて一撃。棒立ちになったチュウの顔面へ弾が当たって小さな爆発が起こる。

 まきびし地帯に背から倒れ込み、熱を感じた直後に刺す痛みが強く襲い掛かって、彼の混乱は消え去らなかった。また絶叫して地面をごろごろ転がる。

 

 強くなんてなくたっていい。

 俯いたウソップは手応えを感じながら静かに思った。

 

 狙撃手にとって援護こそ花道。

 目立つ役割ではないかもしれない。けれどだからこそ、仲間の背を押すことができるのだ。

 短い間だったとはいえ、師匠の言葉が脳裏に残っている。自分は目立たなくていい。気の良い彼らと共に航海して先へ進みたいのだ。

 

 倒れたチュウを睨んでウソップが語り掛ける。

 舐めるな、と思っているのは相手だけではなかった。

 

 「ハァ、海賊には正義も悪もねぇんだ。これがおれの戦い方だぞ。カッコよさなんかより、仲間のためになるならどんな汚い手を使ってでも勝利を選ぶ!」

 「ふらけんなぁ!」

 「うおっ!? まだ死んでなかったのかよ!」

 

 一度は沈黙したかに思えたチュウが勢いよく立ち上がった。辛さで唇を腫らし、爆発でわずかに髪を焦がしながら、尚もしっかりした足取りでウソップへ向き直った。

 

 彼は立ち上がると同時に駆け出す。

 あまりの速度と気迫に距離はみるみる埋まっていき、またもウソップが悲鳴を発していた。

 

 「うわぁぁぁっ、待て!? やっぱり降参するから見逃してくれぇ!」

 「ころすっ! へめぇはれったいにころすっ!」

 「なんて言う訳ねぇだろうが! 特用油玉だッ!」

 

 高速だが真っ直ぐ向かってくるチュウを狙い、ウソップが掌大の玉を投げた。

 避ける暇もなく直撃してしまって玉が割れ、中から大量の油が飛び出す。ぶつかったチュウはそれを全身に浴びる格好となってしまい、わずかに怯んだ。

 

 ウソップは逃げない。勝利を確信する。

 体に付着した分だけでなく、地面に落ちた油がある。それを踏んでしまったチュウは足を滑らせて勢いよく転び、またしても後頭部を強かにぶつけてしまう形になった。

 

 「はおっ!? おおおっ……!」

 「おまえもこれくらい知ってるだろ。油ってのはよく燃えるんだぞ!」

 

 痛みに頭を押さえていたチュウが、その一言をきっかけに血相を変える。

 目に油が入るだとか、そんなことは気にしていられない。即座に逃げ出そうともがくのだが油に包まれて足が滑り、上手く立ち上がれず、余計に混乱が強まって逃げる手段を見出せない。

 

 新たな弾を番えて一呼吸。

 覚悟は決まった。自分は海賊。

 海賊ごっこはもう終わったのだ。

 

 「必殺! 火炎星ィ!」

 「うぉぉおおおおあああっ!?」

 

 パチンコから放たれた火の玉がチュウの体へ直撃。油へ引火し、火達磨となった。

 その途端、絶叫したチュウは恐るべき力を発揮して立ち上がり、物凄いスピードで走り出す。森を抜け出るために坂道を下り、向かう先には田んぼがあった。

 水で消化するつもりなのだろう。少なくとも近くに消火できる物はそれしかない。

 

 「あぢぃぃぃっ!? 水! ミズッ! ミドゥ!」

 「しまった、田んぼかっ」

 

 まずいと感じてウソップが後を追い始めた。

 しかしある時、ぴたりと足を止めて鞄の中に手を突っ込む。

 取り出したのはダディから受け取ったピストルだった。

 

 通常の物より銃身が長い特別仕様。狙撃のために作られ、射程距離を伸ばしたのだろう。

 使い方は自分で調べた。だが実際に弾を放った経験は一度もない。

 ぶっつけ本番になる。

 自らの腕を試すには十分な展開で、逃げる敵を標的にピストルを構えた。

 

 「ロングバレルっ。こいつの力を見せてやる……!」

 

 地面にしゃがんで膝立ちになり、両手で持って狙いを定めた。

 チュウの足は速い。火を点けられたことで余計にそれが顕著になっているようで、少し目を離した隙に早くも田んぼの目前まで迫っていた。

 

 躊躇っている暇すら与えられていない。最後のチャンスはこの一瞬。

 深呼吸して落ち着く数秒もなく、瞬時に照準を合わせ、引き金を引いた。

 銃声を発して飛び出した銃弾が夜空を駆ける。

 

 チュウは後ろを気にする余裕がなかった。その目には前方の田んぼしか映っておらず、銃声などと全く聞こえていない。回避行動を取れるはずもないだろう。

 

 射程距離は確かに伸びていた。

 弾丸は狙った通りの軌道で進み、チュウの左足、太ももを射抜いた。

 鮮血が舞って体勢が崩れる。それでも水を求めてやまないチュウは地面に当たって体が跳ねた瞬間、無意識的に全身を動かして転がるように田んぼへ向かった。

 

 「ミヅッ!!」

 

 凄まじい執念である。

 バシャンと勢いよく水の中へ飛び込んで、なんとか死ぬ前に消火することができた。しかし火傷も凄まじい。髪はチリチリになって肌の様子もひどく、田んぼに浮かんで動かなくなる。

 

 ようやく動き出せた時、正常な思考が戻りかけてきて、彼の中に業火が生まれる。

 これは怒りだ。自らに火を点けた、愚かしい人間への憤怒の炎。

 生かしては帰さないと決めてゆっくり手をつき起き上がり、ウソップが居る方向へ振り返った。

 

 「て、メェは……絶対に、ゆるさん。水大砲で、ぶっとばして――」

 

 ひどくゆっくりと森へ目を向け、忌々しい人間を探そうとした。

 ただ、その時にはもう遅く。

 振り返った瞬間目に飛び込んできたのは、地面を蹴って田んぼへ飛び込むウソップの姿だ。

 

 トンカチの柄を両手で握り、勢いよく突っ込んでくる。

 今度こそチュウは悲鳴を上げたい心境で目を見開き、声を出す暇すら与えられずに、迫ってくるトンカチを最後の一瞬まで見つめ続けた。

 やがて全力で振り切られた武器が彼の頭を殴り飛ばす。

 

 「ウソップハンマーッ!!!」

 「ぶごぁぁっ!?」

 

 さっきよりも大きな水しぶきを上げて倒れ、ウソップも着地のため勢いよく転がる。ただし気を失う寸前のチュウと違ってウソップが立ち上がるスピードは速い。

 彼はまだ攻撃をやめず、とどめを刺すためチュウへ駆け寄り、トンカチを振った。

 

 「ウソップハンマー!」

 「がっ!?」

 「ウソップハンマー!」

 「ぐっ!?」

 「ハンマー!」

 「ぎゃっ!?」

 「ハンマー!」

 「でぇゃっ!?」

 「輪ゴーム」

 「……ッ!?」

 「ウソップハンマー!!」

 

 意識を失うまで執拗に頭を殴り、いくつものタンコブが出来上がるまで攻撃は続いた。

 今度こそ動けなくなり、倒れてしまったチュウは田んぼに沈み、自らの醜態に涙を流しながら意識を手放す。対照的に気絶した彼の傍ではウソップが両手に拳を握って掲げていた。

 

 「か、勝った……」

 

 形はどうあれ、彼が自分で掴んだ勝利であることは間違いなかったのだ。

 自分でも信じられないと思いながら、手を下ろしてから仲間たちが居る方向を見る。

 

 キリとゾロはしっかり見ていた。それを知って、ぐっと親指を立てて見せる。するとキリは嬉しそうな笑顔で同じポーズを取り、ゾロはわずかに笑って頷いた。

 瞬間、見ていた村人たちからわっと歓声が上がる。

 魚人に勝った。幹部に勝った。

 彼らの喜びが伝わってくるようで、称賛を受けながらウソップは子供のように頬を緩ませた。

 

 「やったぜ! ウソップの兄貴が勝ったぁ!」

 「うぅ、あんた流石だぜ、ウソップの兄貴……修行した甲斐があったってもんだよなぁ」

 「信じられん。まさか、こんな日が来るとは……」

 「あいつら、すごい奴だよ。本当にアーロンを倒せるのかもしれない」

 

 ヨサクが、ジョニーが、ゲンゾウが、ノジコが感嘆の声を出していた。他の村人たちも大きな希望を胸にして喜びの声を上げていて、辺りの雰囲気が一変している。

 多くの称賛を一心に浴び、人々の歓声に酔いしれた。

 同時にウソップは安堵していて、戦いが終わったことを知って体が震え出す。

 

 今頃になって恐怖心が追いついて来た。田んぼに浸かったまま膝が笑って立っているのも困難。彼は思わず自分の膝に両手を置いて、笑みを張り付けたまま小さく呟く。

 

 「へ、へへっ、今頃になって武者震いが……おれが、海賊の幹部に勝ったんだ」

 

 倒れそうな足取りでなんとか道にまで辿り着き、耐え切れずにその場へ転がる。

 呼吸が乱れていた。落ち着けようとしても身を襲う興奮がそれを許そうとしない。

 全身が震えていた。おそらく喜びと恐怖心と。両方を浴びておかしくなってしまっている。

 

 叫び出したい衝動があった。

 何も考えず衝動に従うまま、道端で大の字に寝転んだウソップが天を見上げ、大いに叫ぶ。

 

 「ハァ、ゼェ……おいナミッ! おまえちゃんと見てたか!」

 

 彼らに怯えていた人物へ声をかけ、必死に叫ぶ。自分が勝ったのだと自信を持って。

 

 「おれだってなァ、やりゃあできるんだ! 見たかコノヤロー! ナメんなチクショーッ!!」

 「……はは」

 

 ナミはその言葉を聞いて、今にも泣きだしそうな顔で笑った。

 仕方なく麦わら帽子を目深にかぶって顔を隠す。

 

 腹を割って話した時に、メリー号の件はもう忘れた。彼女のために戦おうと決めたからだ。

 自身の狙撃は仲間を助けるための物。

 ナミを助けるためだと決めて、逃げなくて本当によかったと今なら素直に思えた。

 


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