ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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Shake it down(3)

 雲が無くなり、晴れた空から月の光が降り注ぐ。

 照らされるコノミ諸島はいつもより騒がしくなっていた。

 

 ココヤシ村の村民が武器を持ってアーロンパークへ向かっている。先頭は護衛を務めるヨサクとジョニー。その後ろにゲンゾウが立って皆を引き連れている。

 物々しい雰囲気はかつてなく、全員が揃いも揃って決意を滲ませる顔だった。

 

 これから彼らはアーロンパークへ赴き、魚人たちと戦う。

 そのつもりで歩いていたところ、アーロンパークに辿り着く前に戦場を見つけてしまった。

 

 前方に六人の魚人たちの背。

 アーロンパークまで続く道を塞ぐかのように五人の人間。

 他の魚人は全員が意識を失って倒れていて、辺りの地面も多少影響が出ており、草が焼けている所や土がめくれ上がっている箇所もある。現場を見ていないとはいえ勝敗は明らか。幹部と補佐を残し、五人がダメージを受けることなく勝っていたのだ。

 

 距離を置いた状態で足を止め、ヨサクとジョニーが喜びの声を出す。

 少し後ろでゲンゾウや村民たちは声すら出せずに驚いていた。

 

 「おぉっ、流石兄貴たち。ちょっと目を離した隙にもう勝ったも同然だ」

 「あいつらは幹部か? だが兄貴たちが負けるはずねぇからな」

 

 喜ぶ二人はさも当然のように語っているが、今まで圧政の下に居た村民は信じられない心情だ。

 魚人を倒せる者が存在したとは。

 武器を集めていたとはいえ刺し違える覚悟だっただけに、ゲンゾウは低く唸る。

 

 彼らならなんとかできるかもしれない。

 そう思っているところに背後から声をかけられた。

 

 「ゲンさんっ」

 「ん? ナミ、ノジコ」

 

 麦わら帽子をかぶって三節棍を持つナミと、その後ろからノジコ。

 ナミの左肩に巻かれた包帯に血が滲んでいることが気になったが、それよりも大きな衝撃があったせいか、呆然として質問することすら忘れてしまった。

 

 待ち切れずに二人もやってきたらしい。

 ゲンゾウへ駆け寄ると前方の光景に気付いて、どちらも驚きを露わにしていた。ナミより先に信じられないといった表情でノジコが呟く。

 

 「これ、あいつらがやったの?」

 「我々も今着いたところだ。だがおそらくそうなんだろう」

 「……ルフィが居ない」

 

 ナミがぽつりと呟くも、そのことについて議論しようとする者は居なかった。

 一時は静止したものの戦闘は今にも再開されようとしている。

 

 麦わらの一味に属する五人は余裕を失くしておらず、互いに会話する余裕もある。

 雑兵は殲滅した。

 残る幹部たちを倒せばひとまずこの場の戦闘は終わりとなるだろう。

 

 「さて、誰が誰の相手をするか」

 「全員おれでもいいぞ。リハビリには十分ってとこだろ」

 「大怪我人は黙ってろ。全員おれが蹴り飛ばすんだよ」

 「ウソップ、顔色悪いけど大丈夫?」

 「お、おれはゼロでいいぞ。そりゃあ不服だが、今回はおまえらに譲ってやろう」

 

 それぞれ表情は違うがいまだ健在。相手を選ぶ余裕もあった。

 対するは幹部のキス、タコ、エイの魚人。

 さらにそのすぐ下につくウツボ、アオリイカ、ピラルクーの魚人たちだ。

 

 「部下がやられちまった……チュッ♡ こりゃいよいよ笑えねぇ」

 「ニュ~ッ! よくも同胞たちを!」

 「奴らを甘く見過ぎていたか。しかしそれでも人間であることに変わりない」

 「魚人のおれたちが負ける訳ねぇ!」

 「それにこちらは幹部が残っている。ここからが本領発揮と言って過言ではない」

 「おれたちが負けるはずがねぇ。さっさと終わらせて、逃げた一匹をやっちまおうぜ」

 

 戦意を漲らせて立ち並ぶ彼らは敵を見据えて離さない。

 いつ動き出してもおかしくない空気で、咄嗟にウソップが驚きの声を出した。

 

 「おいっ、村の連中追いついてきちまったぞ。危ないんじゃねぇか?」

 「あーほんとだ。でも先頭がヨサクとジョニーだから大丈夫だよ」

 「心配ならおまえが助けに行けよ」

 「む、無茶言うな!? おれの弱さを見くびんなよっ!」

 「だからその自慢はなんなんだ」

 

 彼らのやり取りを聞いていたのか、それとも気配を感じたのか。

 チュウが厳しい目で振り返る。

 

 ただでさえ同胞をやられて怒りが抑え切れなくなっていたのだ。そこへ武器を持った村人が現れて明らかに反逆の意志を見せている。これで動じずにはいられない。

 敵に背を向け、チュウが彼らを睨みつける。

 その時ウソップが反射的に手を動かしていた。

 

 「まずいっ」

 「あいつら、ココヤシ村の連中じゃねぇか。武器まで持って偉そうに……チュッ♡ そうか、つまり全員殺されてぇってことだよなぁ」

 「必殺鉛星!」

 「うごっ!?」

 

 村人たちを見ていたチュウの背にパチンコから放たれた鉛玉が激突する。鈍い音がすると同時に転びかけて、なんとか倒れずにしゃがみ込んだチュウが痛みを堪えて背後を見た。

 どう見ても発射したのはパチンコを構えるウソップ。

 勇ましい叫びを聞いて尚のこと意志は固まった。

 

 「おまえの相手はおれだろうが!」

 「なるほど。やっぱりてめぇはおれに殺されてぇようだなァ!」

 

 形相を変えて叫んだチュウを目にして、途端にウソップが全身に滝のような汗を掻き出す。

 村の人間を守ろうと注意を逸らすために思わず動いてしまった。その後のことまで考える時間などない。そのため自分が置かれた状況を今になって思い知る。

 

 ただ単純に怖い。

 助けを求めるように仲間たちへ視線をやると、キリとサンジには意図など伝わっていなかったようで、かけられた言葉は彼が全く望んでいない物だった。

 

 「ほぉ~、やるじゃねぇかウソップ。おまえが真っ先に選ぶとは思ってなかったぜ」

 「いやいやいや!?」

 「流石キャプテン・ウソップ。じゃ、あいつはウソップに任せるよ」

 「違う違う違う!? ただ注意を逸らそうと思っただけなんだよ、おれがやる訳じゃないって!」

 「でも相手はそのつもりだし」

 「代わってくれりゃいいじゃねぇか! あっ、おい、お願いだから話聞いて!」

 

 ウソップが騒ぐもののすっかり聞き流されてしまい、他の面々はすぐ自分の思考に集中する。

 とりあえず選択肢は一つ減った。

 敵もその気でチュウと戦う機会は無くなる。

 

 あと五人。

 敵はこちらより一人多く、誰かが二人を倒す必要がある。

 果たして誰が担当になるのか。考える隙にはっちゃんが大声を出した。

 

 タコの魚人である彼は足が二本に、腕が六本。武器とするのは六本の腕に持ったサーベル。

 まだ腕前は見ていないものの剣士であることは確定しただろう。

 六本の腕に剣を持つ様を見て、ゾロが興味津々で笑っていた。

 

 「ニュ~、おまえらもう終わりだな! おれは魚人島ナンバーツーの剣士、六刀流のハチ! 二本腕のおまえたちには絶対にできない剣術を見せてやるぞ!」

 「へぇ、六刀流……おもしれぇ」

 

 抜き身の刀を肩に担いでゾロが前へ出ようとした。

 それをシルクが止める。

 

 「待ってゾロ。ゾロは怪我してるんだから、今回は無理しない方がいいよ」

 「あぁ? だから大丈夫だっつってんだろ」

 「ダメ。大丈夫じゃなくても大丈夫って言う人なんだから、今日は戦わせない。あの人は私が倒すよ。ゾロはもう休んでて」

 「必要ねぇっての。なんでおれだけ休まなきゃならね――」

 「ダ・メ」

 

 ずいっと迫られて強く言い返せなくなる。ここまで頑なな彼女を見るのは初めてな気がした。

 ゾロは言葉に詰まり、渋々といった顔で唸るように呟く。

 

 「おまえ、だんだんあいつらに似てきたぞ……」

 「そうかな? とにかく無理しちゃダメだよ」

 「あはは、怒られてやんのー」

 「キリもだよ」

 「あれ?」

 「普通わかるだろ。バカか」

 

 シルクが気合いの入った顔つきではっちゃんの前に立ち塞がり、彼もそれに気付く。

 互いに剣士。だが普通でないのはお互い様だ。

 戦闘を始める機会を待ち、どちらも油断せずに視線をぶつけた。

 

 傍らで聞いていたサンジは言い出さずには居られなかった。ほんの少しとはいえ彼女が戦う姿を見た。能力者で剣士、確かに強いのだろう。しかしそれと安心できるかは別である。

 迷惑になるだろうと知りつつ、苦心しつつもシルクへ声をかけてしまった。

 

 「シルクちゃん、やっぱりあのアホどもにやらせた方がいいんじゃないか? おれはシルクちゃんが怪我したらと思うと心配で心配で……」

 「ふふ、ありがとう。でもやらせて。練習したこと、全部試したいし」

 「そうかい? 危なくなったら遠慮せずおれを呼んでくれ。何があっても絶対に――」

 「くだらんな」

 「あ?」

 

 会話を遮るようにクロオビが呟いた。腕組みをして目を伏せ、サンジの態度をくだらないと吐き捨てる。これを聞いて黙っていられるはずもなかった。

 サンジはシルクの傍を離れてクロオビの前に立ち、睨むように見据える。

 目を開けたクロオビもまた、剣呑な雰囲気を纏って彼に目を向けた。

 

 「騎士道のつもりか。そうやって女に甘い態度を見せるだけで、実力が伴わずに死んでいった奴らを山ほど知っている。所詮口先だけの騎士道。貴様に守れる物などありはしない」

 「言ってくれるねぇサカナマン。おれが誰も守れねぇって?」

 「当然だ。おれの手で引導を渡してやる」

 「その言葉忘れんなよ。騎士道の何たるかを知らねぇ野郎が、偉そうに語るな」

 

 どうやらサンジはクロオビを己の敵と定めたらしく、眼前に立って対峙する。

 これにより蚊帳の外に置かれたキリとゾロが肩をすくめて会話していた。

 

 「やっぱケガするのってよくないね。なんか扱い悪い気がするよ」

 「チッ。シルクの奴、勝手に決めつけやがって」

 「まぁいいじゃん。三人は残ってる訳だしさ」

 

 必然的に残された二人はあとの三人を見やり、敵も気付いた様子で構えを見せる。

 右手の指を動かしたキリが紙を動かし、ゾロは溜息交じりに刀を握り直した。

 

 「せっかくなら怪我人同士、タッグマッチでもやってみる?」

 「サボりてぇんなら見ててもいいぞ。おれが全部斬っちまう」

 「一刀流って苦手じゃなかったっけ?」

 「修行くらいにはなるだろ」

 「まぁそうか。でも悪いけど今回はやるよ」

 

 キリが柔和に笑って言う。

 

 「歴史的な大敗をしたとこだからね。もう一度自分の能力を見つめ直そうかと思ってさ」

 「見つめ直せば変わるもんか?」

 「そりゃもう。鍛えれば変化するのが悪魔の実の能力だ。考え直せば戦法だって変わるし、ボクの場合そもそも能力の応用力が高いからね」

 「そうかい。ま、勝手に頑張れ」

 「ゾロこそ三刀流だった方が修行になるんじゃない?」

 

 指先の動きで紙を束ね合わせて、二本の剣が作られる。空中に浮遊するそれはキリが使う訳ではない。彼は仲間から左手を使わないようにと厳しく言われているため、右手しか使えなかった。

 宙を動いたそれらはゾロの前に移動する。

 ゾロは笑い、頭に黒い手拭いを巻いた。

 

 タッグマッチ。適当に言い出しただけだろうが案外面白いかもしれない。

 今まで一度も経験がなかった。

 

 「ちゃんと斬れるんだろうな」

 「本物に比べれば切れ味は悪いけど、ゾロなら腕力があるから十分使えるよ。あ、でも濡れたら紙が剥がれるから要注意。こればっかりは修行しても直らなくてね」

 「敵を斬ったら弱くなるってことじゃねぇか。微妙な剣だな、こりゃ」

 「でもないよりマシでしょ」

 

 自身の刀を口に銜え、両手に紙の剣を持つ。

 瞬く間にゾロの準備は整った。すでにキリも紙を浮かばせ、準備を終えている。

 その空気を感じ取ったか、魚人たち三人も闘志を剥き出しにした。

 

 「ふざけた連中が、おれたちに勝つ気だぞ」

 「思い知らせてやる! 魚人族の力を!」

 「皆、チームワークを忘れるな。仲間は助け合うものだ」

 

 アオカが槍を構えて言えば、本当に聞いていたのか、ツウボが勢いよく飛び出した。

 どうやら落ち着きのない性格らしい。

 仲間を置き去りに単独で突出し、二人を同時に狙って大口を開き、飛び掛かった。

 

 ウツボの魚人、体はぬるりと首が長く、鋭い牙が生え揃っている。噛みつけば決して離さず肉を食い千切り、人体であっても簡単に分解できる力を持つ。

 さらに他の魚人より長い首は獲物を捕食するのが得意だ。

 攻撃においては三人の中で最も危険性を持つ人物。大口を開ける様を見ても慣れているらしい。

 

 目前まで迫ったツウボを見、突如キリが動いた。

 能力を使わず右足で顎を蹴り上げ、無理やり口を閉じさせる。攻撃でありながら敵の攻撃を防いでもいる。顎から生じた痛みによって、ツウボはぐらりと視界が揺れるのを感じた。

 為す術もなく地面へ落ちて転がる。

 一時とはいえ動きが封じられ、眩暈が治まるまで動けなくなった。

 

 着地したキリは笑顔で辺りを見回し、ゾロはつまらなそうにしている。

 

 「で、いつ始めるつもりなのかな?」

 「もう始めてるつもりなんじゃねぇか。どうもそんな気はするがな」

 

 ほんの一瞬でも、感じ取った実力は相当な物だと思われる。

 ツウボを蹴った動きは想像以上に素早い。

 離れた位置で見ていたクルーラが呟き、同意するようにアオカが槍を回した。

 

 「あいつら、できるな」

 「ああ……気合いを入れなければこちらがやられるぞ」

 

 槍を構え、アオカがにじり寄り始めたことを機に、二人は敵を見回して話し合う。

 敵は三人だがこちらは二人。

 誰が誰をやるべきか。

 

 「ご希望は?」

 「とりあえずイカだな。槍ってのは戦ったことがねぇ」

 「じゃ、ボクはとりあえずウツボにしとこうか。どうせ近くに居るし」

 

 ゾロが数歩前へ出ると同時、一気に踏み込んだアオカが彼を目掛けて槍を突き出す。踏み込みの強い素早い一撃だ。しかしゾロは右手の剣を使い、あっさり受け流す。

 一度引いて再び突き出し、二度三度と連続して攻撃を行う。

 その場を動かず、ゾロは冷静に全ての攻撃を受け流していった。

 

 「ぬおおぉっ! 我が槍を見よ!」

 「ああ、見てるよ。修行はそれなりに積んでるようだな」

 

 高速の突きを次々捌き、見事な光景だった。

 アオカが繰り出す攻撃はゾロの防御を崩せない。本物の刀を使わずとも十分らしい。

 

 キリは二人のやり取りを見てぼんやりと呟く。

 

 「上手く受け流すねぇ。死にかけなのによくやるもんだ」

 「くそォ、てめぇよくもやりやがったな!」

 「あ、起きた」

 

 彼の傍ではツウボが起き上がり、蹴られた顎を撫でながら怒ってキリを睨みつける。

 普通は睨みつけてやっただけで相手が怯えるものだが、間近に居る彼は全く怯えた様子がない。不審に思って表情を変えれば、にこりと親しげに笑いかけられた。

 

 ちょうどいい。

 心の中で独り言ちて、彼は決意を言葉にし始める。

 

 「なんだかんだ言ってこの間も油断してたのかもね。悪い癖だ、今日は久々に本気でやるよ」

 「あァ!? 訳のわからんこと言いやがって! てめぇが本気出したところでおれに勝てると思ってんのか! ウツボ舐めんなよコラァ!」

 「声大きいなぁ。わかったから普通にしゃべってくれない?」

 

 凄んだところでさらりと受け流され、耐え切れなくなってツウボが首を伸ばした。宣言のない強襲で不意を衝こうとしたのである。しかしキリはしゃがみ込んであっさり避けた。

 指を振って周囲に浮かぶ紙を呼び寄せ、能力を使役する。

 

 ペラペラの実の強さとは何か。彼は改めて考えた。

 ここのところ余裕ぶって何もしていないが、かつては強くなるため修行をしていた。紙の操作はその結果による物。そもそもは体質の変化こそ彼の強みであった。

 紙を操って行う戦法において最強とは。

 改めて考え、すぐに答えが出せるほど簡単な問いではないものの、すぐにわかることもある。

 

 自身の強みは変幻自在の戦法にある。キリはそう思っていた。

 ルフィのようにゴムの張力を利用した肉弾戦でもなく、ゾロのように刀を使った接近戦でもなく、シルクのように能力による遠距離でもなく、ウソップのように狙撃を主として多種多様の武器を使う戦法でもなく、サンジのように自らの肉体を頼りにする蹴りが主体でもない。

 敢えて言うならばその全て。

 殴打、斬撃、狙撃、蹴り、そして能力による独自の戦法。全て行えることこそ強味だろう。

 

 紙という一見弱々しい物質を硬くして、折り重ねて強固にして、状況を見て使い分ける。紙の操作を手に入れた今、浮かせることも飛ばすこともできるのならば可能なはず。

 今一度、自らの全力を知っておくべきだ。

 

 敵との距離を作るため、地面を蹴って後ろに跳んだ。

 すると即座にツウボが後を追って飛び掛かり、首を伸ばして彼の首に噛みつこうとする。

 

 「ええい、逃がすか!」

 「うわぁ~、こわ~い」

 「ふざけてんのかてめぇはッ!」

 

 やる気のない声で言えばツウボは怒りを倍増させて、ただでさえ持っていなかっただろう冷静な思考が欠片と残さず消える。想像通りの反応だ。こういった短絡的な思考を持つ相手は自身の船長で得意としている。平静を崩すのも非常に簡単だった。

 敵はやる気だけが前に出て状況を判断できる思考能力を失っている。

 牙が迫るものの笑みは崩れず、着地と同時にツウボはキリの首を狙って噛みつこうとした。

 

 ガチンと音がして口が閉じられる。しかしキリはひらりと避けていた。

 気付けばなぜか彼の全身は紙のように薄く、ペラペラになっていて、風が吹けば飛んで行ってしまいそうな姿。一瞬の変化にツウボが驚いて背をのけ反らせる。

 

 「な、なんだそりゃ!? 体が紙みてぇになっちまいやがって……!?」

 「そりゃボクは紙だからね。紙みたいにだってなるよ」

 

 音もなく体に厚みが戻って元の姿になる。

 驚いて動きを止めたツウボを狙い、キリは右手だけを紙に変え、腕が白く染まった。しかし今度は一枚の薄い紙の状態ではなく、何枚もの紙が折り重なって構成されているような、厚みのある姿。腕の形それ自体は至って普通だが肌の色だけが変わっていた。

 

 紙を硬化する力を習得した以上、その腕もまた硬化されて、鉄と同等の硬度を持つ。

 肉体の変化と硬化を併用し、素早く動き出す。ツウボの頬を殴りつけた一撃はまるで鉄の武器で殴られたようでもあって、脳が揺れて足元がふらついた。

 

 「ぐふっ……!?」

 「悪いけど容赦はしない」

 

 続けて裏拳で反対側の頬を殴り、腹へ突き刺さって、顎を殴り上げた。

 ただ殴られている訳ではない。その硬度が凄まじい威力を発揮し、痛みを感じるだけでなく衝撃が肉体と共に精神までを揺さぶって、立っていることさえ辛くなる。

 

 無慈悲に、容赦なく敵を殴り続けながらキリは想う。

 強くなるために修行していた頃はもっと冷酷だったはずだ。

 

 普段から紙の操作ばかりを使って、肉体を紙に変える力を隠していたのはここぞという瞬間まで油断を誘うため。しかし言ってしまえばそんな小細工はただの甘え。本当の強者には通用せず、意味のない物だと気付かされた。これもしばらく戦闘から遠ざかっていた影響だろうか。

 

 理解した彼は考えを改める。

 最初から己の能力を十全に使い、徹底的に追い詰め、撃破する。以前の自分はそうしていた。

 冷酷に、無慈悲に、容赦なく倒す。その言葉をようやく思い出した。

 

 仲間を失って強くなると決めたはずが、すっかり大事なことを忘れていたようだ。

 過去の光景を思い返し、意識を研ぎ澄ませて、集中する。

 

 ペラペラの実の能力とは、紙を操ること。

 そして紙とは自身が持ち運ぶ物であり、己の体その物でもある。

 今、改めて答えに辿り着き、全力で放ったパンチがツウボの体を殴り飛ばした。

 

 「ぶぉあぁっ!?」

 「威勢は良かったんだけどね。ま、こういうの珍しくないから別にいいよ」

 

 背中から地面に落ちたツウボは気絶寸前。だがまだ負けてはいなかった。

 意識を失っていない限りはまた立ち上がる可能性がある訳で、仲間のためを思うならば放ってはおけないだろうと、思考を切り替えたキリは歩み寄ろうとする。

 徹底的にやる。殺すほどの相手ではないとはいえ、意識を刈り取る必要があるだろう。

 

 攻撃の手を緩めようとしないキリの前へ、クルーラが立ちはだかった。

 おそらく動けないだろうツウボを守るため、最も硬い鱗を持つ彼が両腕を広げる。防御においては彼が誰よりも優れていた。ただ立ちはだかるだけで脅威となる。

 キリも思わず足を止めた。

 

 「それ以上はやらせん! 仲間はおれが守る!」

 「おっと」

 

 キリはふとゾロに目を向け、いまだに一太刀も受けずに攻撃を受け流している様を見た。

 語る声は普段と何も変わらず、戦闘中にも拘らず肩の力も抜けている。

 

 「ゾロ、遊んでるようならこっちもう一人もらっちゃうよ」

 「何? そりゃズルいだろ。もうちょっと待て」

 「だって全然終わらせないじゃないか」

 「槍の間合いを見てたんだよ。珍しいもんだからな」

 「そうかなぁ。でも珍しいにしたってそんなに見て面白い物でもないでしょ」

 「わかった、今終わらすからちょっと待ってろ」

 

 緊張感のないやり取りを終え、キリは敢えて後ろへ跳んで敵との距離を取った。話を聞いていたクルーラだがツウボを狙うのをやめたと知ったため追うことはしない。

 

 一方、空気が変わったのはゾロとアオカの二人だ。

 彼は何と言ったか。今終わらせると、事も無げに言い切ったのだ。本気で攻め続け、決して手を抜いていないアオカの猛攻を全て防ぎ切りながら、笑みを浮かべて視線を外してあっさりと。

 ひどい侮辱である。怒りを見せるのも当然で、アオカの腕に尚更の力が入った。

 

 「軽んじてくれた物だなっ。そう簡単におれに勝てると思っているのか!」

 「ああ。おまえの槍は見せてもらった。もう十分だ」

 「舐めるなッ!」

 

 槍の穂先と紙の剣を打ち合わせ、両者が後ろへ跳んで距離を取った。

 着地と同時にアオカが巧みな様子で槍を回す。

 少しは違った物が見れる気がして、ゾロは姿勢を低く、眼光を鋭くした。

 

 「我が槍の必殺はまだ見せていない! 大口を叩くならこれを避けてからにしてもらおうか!」

 「いいぜ。待っててやるから早く来い」

 「この一撃で……叩き潰してやる!」

 

 そう言って全力の一撃がやってきた。

 長身を生かして大上段から振り下ろし、高速で強靭な攻撃が降ってくる。ただ、ゾロは怯えるどころか自ら前へ出てそれに挑みかかっており、接触の瞬間、口に銜えた刀でするりと受け流した。

 見よう見まねの柔の剣。

 その一瞬で出来た隙はあまりに大きく、見逃してやるほどゾロはやさしくもない。

 

 驚愕の一瞬。槍は強く地面を叩く。

 ゾロは凶悪そうに笑って刀を構えていて、突進から繰り出す斬撃が襲い掛かって来た。

 

 「鬼斬り!!」

 「ぐあぁっ!?」

 

 アオカの巨体が斬り飛ばされ、空中から血を撒き散らしながら落下してくる。彼はそのまま地面へ倒れて動かなくなった。どうやら一撃で気絶してしまったらしい。

 

 体には三本の刀による刀傷。

 血を浴び、濡れたことで力を失った紙の剣の一部が剥がれる。従って不服そうにして剣を手放すと、形を失って散ってしまったそれは地面に広がる。

 

 口に銜えた自身の刀を手に持つ。

 振り返ったゾロは、冷静とも冷ややかとも言える声でアオカへ告げた。

 

 「悪いがおまえは眼中にねぇ。お遊戯がしたいなら他をあたりな」

 「いいね。初めからそうしとけばいいのに」

 

 ひどくあっさりとアオカが討たれた。

 幹部たちには届かないものの、アーロン一味の中では実力者の一人。単純な思考しか持たずに暴走することもあるツウボはともかくとして、彼まで倒されるのは驚愕に値した。

 クルーラは一人残された形となり、戦慄する。

 二人が並んで彼を見ていたのだ。

 

 「硬さはともかく水に濡れてこれじゃ脆いだろ」

 「でも一撃に賭ければ使えないことはないよ。あと殴るとかさ」

 「やっぱり新しい刀は必要だな。どっかで買えればいいんだが」

 「せっかくなら良い物買った方がいいよ。これからずっと使うんだからさ」

 

 敵を倒したことを手柄とも思わず、気楽に話している姿はまさしく異様。海賊であれば勝利に酔いしれてもおかしくない。そうならない彼らは、もっと高みに居る気がした。

 血相を変えたクルーラは拳を握って構える。

 鉄の鱗に一味で一番の巨体。肉弾戦には自信があった。

 

 戦闘はまだ続いている。

 クルーラが構えたことで二人も佇まいを変え、準備をするようにわずかな動きを見せた。

 

 「一応、残りは一人だけど」

 「確か鉄みてぇに硬い奴だったか。アホコックが倒せなかった奴だな」

 「まぁ言い方変えればね。さっきまで乱戦だったからさ」

 「鉄を斬る力か……ちょうどそいつが欲しいと思ってたところだ。おれにやらせろ」

 「え~? ボクもやっとノッてきたとこなのになぁ」

 

 構えるクルーラを無視して一行に襲ってこない。

 彼が緊張しているのも知らず彼らは悠長に話していた。

 

 「ジャンケンで決めようか。試そうかと思ってたことまだできてないし」

 「後出しすんなよ」

 「ゾロこそ。大怪我してるんだから降りるのもありだよ」

 「おまえが人のこと言える格好か? いいから早くしろ」

 

 呑気にジャンケンを始めて、クルーラは針の筵に座らされたまま待つことになった。

 勝敗は一瞬で決まる。勝ったのはキリだ。

 彼はピースサインと共に笑顔で前に出て、指を広げていたゾロは悔しげにその背を見送る。

 

 「一分経って終わらなかったらおれが変わるからな」

 「心配しなくてもそんなにかからない。あ、それだと残念ながらって言った方がいい?」

 「わかったから早くやれ。まったく、貧乏くじばっかりだな」

 「悪いね」

 

 改めてキリがクルーラに対峙し、紙を操る。

 宙を舞ったそれらは彼の右腕に纏わりついて、何やら鎧のような物を生み出した。

 

 ペラペラの実の可能性。その一つに“武装”を見た。

 自由に形を作り上げる“操作”と鉄の硬度にまで引き上げる“硬化”。その両方を使って行える戦法が武器を作って敵を討つこと。ならば自らを紙の武器で武装する、それこそ彼独自の戦法。

 キリの右腕には腕の数倍にはなるだろう籠手が装備されていた。

 

 「鉛紙武装“ガントレット”。鉄が相手なら鉄で相手するまで」

 「くっ……子供騙しだ! うおおおっ――!」

 

 気合いを入れてクルーラが駆け出した。真正面からキリへ向かい、自らの剛腕で敵を叩き潰さんと接近する。それを見てキリも駆け出し、逃げずに立ち向かった。

 だが動きはキリの方が早く、気付けば目の前に居て。

 見切れぬほど素早く繰り出された手甲による拳が上半身を打っていた。

 

 「うぐっ、おぉっ――!?」

 

 衝撃は凄まじく、体が飛びそうになる。だが必死に耐えてなんとかその場に踏ん張った。

 足が滑って地面が削れるものの飛ばされまいと拳を両手で掴み。

 まだ衝撃が消え去らない内にキリの涼しい声が聞こえた。

 

 「あと言い忘れてたけど、ボクは結構嘘つきだよ」

 「う、おっ」

 

 紙で出来ていた手甲が一瞬で形を変え、まるで大口を開けて噛みつくように、クルーラの体を捕らえてしまった。その様子は何かの生物を思わせる。

 動揺している間にキリは地面に足を着き、巨大な紙の塊から右腕を抜く。

 軽く指を振って指揮をすれば、紙は独りでに空へ飛び上がった。

 

 「魚人は空を飛べないよね」

 

 動揺している間にクルーラを連れた紙の塊はぐんぐん空を目指し、天高くまで彼を連れていく。

 逃れようともがくのだが、ある時ふと気付いた。

 もしも今離されてしまえば地面まで落下、ただでは済まない。かと言って抵抗せずにいると何をされるかはわからない。どちらを選んでも良い方向などない状況だ。

 

 言わば、絶対絶命。

 クルーラは顔から血の気を失くして、怯えた目で地面を見下ろすが遥か遠く。

 声を出したところで相手には届かずに、また相手の声も聞こえない位置に達していた。

 

 「ま、待て!? おれが悪かった! こ、降参するッ!」

 「さて。鉄の鱗はこの高さから落とされて無事でいられるのかな」

 

 右手の指は天を向いている。それが振り下ろされれば彼の体は真っ逆さま。

 姿もよく見えず、声も聞こえぬ距離ながら、二人はそれぞれ言葉を止めなかった。

 

 「や、やめろぉぉおおおおおっ!」

 「紙鳴(かみなり)――!」

 

 そうして、腕ごと指が振り下ろされた。

 彼の体を掴んでいた巨大な紙の塊は形を変え、クルーラの背を地面に向けた状態で、高速で落下してくる。重力さえも利用して速度は目で見るのも難しいほど。地面へ向けて空を泳ぐかのような紙の群れはまるで竜の姿を連想させて、同時に天から落とされる稲妻のようでもあった。

 

 誰もが見上げる中でそれが落下してくる。

 風を纏って轟音を放ち、止める者のない紙は地面に到達した。

 奏でられる音はまさしく雷が落ちたかのような。大地を揺るがす衝撃と轟音が辺りへ広がる。

 

 どうしても無視はできない一瞬。

 皆が見ている前でクルーラは気を失い、陥没した地面の中央で白目を剥いて倒れていた。

 

 紙を回収し、キリは笑う。

 体の状態は上々。怪我による悪影響もない。

 念のため陥没した地面を覗き込み、クルーラが気絶していることを確認して肩をすくめる。

 

 「やっぱ耐えられなかったね。でもまぁ、死んでないようで何よりだよ」

 

 気楽に告げた瞬間、足をふらつかせながら立ち上がったツウボが、背後からキリへ襲い掛かる。

 しこたま殴られてひどい様相だった。だからこそリベンジのため大口を開ける。

 首に噛みつき、肉を抉り取れば人間を始末するなど簡単。

 隙を見つけて、勝機を悟っていた彼だが、静かにゾロが刀を手にしていた。

 

 「よくもやりやがったなクソ人間! おれに勝てたと思ったのが運のツキだ!」

 「ゾロ」

 

 飛び掛かるツウボへ素早く駆け寄り、刀が振るわれる。

 余裕がないせいか本人はそれに気付いていない。

 

 「死ねェ!」

 

 叫ぶと同時、血を噴き出して倒れたのはツウボだった。

 通り過ぎ様に一撃。元々余力も残っていなかったためあっさり決着が着いた。

 

 村人たちは言葉を失くして立ち尽くした。

 こんなに強い人間は、海賊でも海軍でも見たことがない。あれだけ強いと思っていたアーロン一味を、全く疲労も感じさせずに倒してしまった。

 信じられない物を見る目で見て、けれど本人たちは大したことをしたと思っていない。

 

 振り返ったキリはゾロに目をやり、肩をすくめて話しかけた。

 

 「数的に言えば、ゾロが二人でボクが一人?」

 「どっちでもいいだろ。数えるほどの相手じゃねぇよ」

 「まぁね。なんか思ったほどじゃなかったかな」

 「ザコの相手なんかもう二度とするか。次から幹部はおれがやるからな」

 「はいはい」

 「おまえも満足しちゃいねぇだろ」

 「でもやっと昔の感覚戻って来た感じするよ。成長の余地あったでしょ?」

 「ま、普通じゃねぇってのは改めてわかったがな。いっそ退屈ならおれとやるか?」

 「なんか卑猥な誘いに聞こえるよね。別にいいけど笑顔で言うのはやめた方がいいと思う」

 「斬るぞてめぇ」

 

 苛立った様子のゾロと楽しげなキリ。

 一足先に戦闘を終えた彼らは仲間を手伝う動きも見せなかった。

 

 ひょっとしたら彼らなら。

 村人たちの間で希望が生まれ、期待を持って彼らの姿を見守り始める。その様子は明らかに応援をしていた。今や賭けでさえも頭の中から弾き出されてしまっている。

 敵はまだ残っている。今度は他の戦いに目が向けられた。

 


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