ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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Shake it down(2)

 はしゃぐこともなくゆったりした歩調で歩き、ルフィはついに建物を見つけた。

 海に面した位置にあるアーロンパーク。

 五階から成る大きな建物で、屋根には鮫を模した像と旗。アーロン一味のジョリーロジャーは隠されることもなく堂々と掲げられている。

 それを目にして、ルフィはそう時間もかけずに門の前へ到着した。

 

 扉は閉じられている。しかし問題など一つも無い。

 歯を食いしばって振り上げられた拳が強かに扉を叩き、木製のそれをいとも容易く破壊した。

 

 轟音と共に吹き飛ばした結果、視界が開けて前方に道ができる。

 ルフィの目に一人の男の姿が映った。

 

 海と繋がる簡易的なプールを眼前として、椅子にだらしなく座った大柄の魚人。魚人の存在自体はつい先程見たばかりだが迫力が違う。船長と見て間違いないだろう。

 扉を破壊されて尚も俯いたまま動き出さない。

 アーロンはじっと佇んでいて、歩き出したルフィが敷地内に踏み込んだところで視線を向けた。

 

 ただの人間、その中でも想像以上に弱そうだと思った。どこにでも居ると言ってもおかしくはない至って普通の外見で、特別長身である訳でもない。しかも人数はたった一人。

 堂々と歩いて来る彼を見やり、アーロンが重々しく言葉を紡いだ。

 

 「アーロンってのは、おまえだな」

 「小僧、おまえは誰だ?」

 「おれはルフィ」

 「そうか、ルフィ。で、おまえは何だ?」

 「海賊」

 

 草履が奏でるペタペタという間抜けな音と共にルフィが接近してくる。

 別段警戒する様子もなく、アーロンは間近にまで来た彼から目を離さなかった。

 

 「海賊がおれに何の用――」

 

 直後、気付けば殴り飛ばされていた。

 左頬を打った衝撃は凄まじく、理解した瞬間には彼とは反対側の壁に体が激突しており、大きな音を立てて石造りのそれが崩れる。もうもうと土煙が立ち昇った。

 衝撃だけでなく痛みも相当な物。飛んだ体が地面で落ち着いたせいか余計にそう思う。

 地面に膝をつき、見上げるように睨みつける。

 今、ルフィの顔には憤怒の表情があった。

 

 「てめぇは一体……」

 「うちの航海士を、泣かすなよッ」

 

 一言だけで理解した。

 この男はナミに関わってここに来たのだと。

 

 思い返せば航海士としては優秀だが面倒な人間だった。何度も暗殺を企て、毒を盛ろうと試み、命令に従おうとしなかったことも数多い。始末しようと思えばいつでも出来たがそうしなかったのは海図のため。航海士としての能力を利用するためだった。

 全ての失態を見逃してやろうと思っていれば調子に乗ったようだ。

 人間に対する嫌悪感、憎悪。怒りがますます大きくなっていく。

 

 アーロンの怒りが一気に膨れ上がる頃、ルフィは尚も悠々と歩いて接近しようとしていた。

 拳は固く握られて、余裕を持ちながら微塵も油断していない。

 厳しい表情は見るも明らか。小賢しいとアーロンが立ち上がった。

 

 「ナミの差し金だな。人間風情が、魚人のおれに勝てるつもりか?」

 「ああ」

 「ふざけた野郎だ」

 

 アーロンもまた前へ歩き出し、自分から接近を許す。

 痛いほどの沈黙が広がっている。この場に居るのは二人だけ。月光に照らされて影が伸びる。

 

 両者は慌てずに歩いて近付いていき、いよいよ手が届きそうだという時。

 先にアーロンが拳を振るって殴りかかっており、だがそれに反応する形のルフィがさらに早く、アーロンの腹へパンチを叩き込んでいた。

 予想外の動きに体が硬直する。

 間を置かずに次いで顎が蹴り上げられ、思わずたたらを踏んだ。

 

 さらに一撃叩き込む。

 左の拳が腹を捉え、ルフィの身長を超える巨体が軽々飛ばされた。

 アーロンの体は建物の壁に激突する。背中を強かに打ちつけて壁が崩れ、だが内部まで突き抜けることはなかったようだ。滑り落ちるように地面へ座り込む。

 そこへ座ったまま、睨む視線はルフィを捉えた。

 彼は肩を怒らせて鼻息を大きく、すっきりしない様子で視線を受け止める。

 

 「てめぇ……」

 

 予想以上の動きである。

 身長は高く体つきも恵まれていたが、アーロンは決して鈍重ではない。振るわれる拳は決して常人に避けられる速度ではなくて、また放たれる威圧感は見る者を動けなくさせる力がある。尚且つ敵を捉えれば一撃で仕留めることすら可能な、まさしく必殺であった。

 それを彼は軽やかに避けた。どころか、慣れた様子で反撃までしてくる。

 

 確かに速い。だがガープの拳を見た後では止まっているのと大差ないと言っていい。

 幼少期からの特訓が、或いは航海に出てからの戦いが、彼の実力を底上げしている。これまでの出会いと戦闘は無駄な物ではない。祖父との邂逅も意味があった。

 

 構えもせずにルフィは余裕綽々で立っており、一方で怒りを滲ませていた。

 立ち上がったアーロンは怒りを抑えて冷静に彼を見る。

 

 攻撃を当てられて痛みを感じた。ダメージはある。

 しかしそれ以上に面倒なのは反応速度と動きの速さ。今の数撃で攻撃を見た後に動いたのだと理解している。あのタイミングで動けるのは厄介だと分析し、思考は冷静に働いていた。

 所詮は人間。勝てない相手ではない。

 それでも無策で突っ込んでいくほど彼もバカではなく、平静を装った声を発した。

 

 「おかしなことを言う奴だな。ナミはおれの仲間だぞ? 他人の仲間をウチの航海士とは、いくら海賊とはいえ少し身勝手が過ぎるんじゃねぇか」

 「あいつが」

 「んん?」

 「あいつが本当におまえの仲間なら……なんであんな顔してんだッ!!」

 

 ルフィの脳裏にナミの顔が浮かぶ。最初は強がっていた彼女は嘘を突き通そうとしたが、この島に辿り着いて涙を流していた。それを思い出して怒りが収まらなくなった。

 辛い戦いを強いていたのは目の前の魚人で、涙を流させたのは間違いなく奴。

 決意は揺るがず、迫力はアーロンに伝わって、眉を動かせた。

 

 「あいつが、どんな顔をしていたって? そりゃあ生きてりゃ辛いことなんて誰にでもあるさ。おれもそうだしおまえもそうだ。ナミだけが特別って訳でもねぇだろう」

 「おまえがあいつを泣かせたんだ」

 「ナミがそう言ったか? 一方の話を聞いて善悪を決めるのは身勝手ってもんだろう。それならおれの意見も聞いて欲しいもんだが」

 

 言葉巧みに動揺を誘う。そうすれば隙ができるはずだ。

 アーロンは語り始めるもののルフィの表情はぴくりとも動かず、またしても怒りが燻り出す。

 

 「おれはナミを妹のように想い、奴が望むように尽くしてやったはずだ。多少意に反することもあったかもしれんが、メシを食わせ、服を買い与え、仕事を与えた。それでなぜ泣く必要がある? 危険が迫れば守ってやって、怪我をすれば治療してやった。これ以上の何が必要だ」

 「持ってねぇもんがある。あいつが欲しがって、それでもおまえらが渡さなかったもんが」

 「ほう」

 「自由だ」

 

 一言一言でアーロンが考えを変えた。言い負かすのはなしだ。この男は揺らがない。

 強い意志を見せる瞳は真っ直ぐに敵だけを見据え、動揺など微塵も与えられない。

 ならば力で殺すまで。

 静かに思考は形となった。

 

 「おまえがあいつから自由を奪って縛り付けたんだ。おれはおまえを許さねぇ」

 「で……どうするって?」

 「おれがおまえをぶっ飛ばす。おまえになんか任せられねぇ。ナミはおれの仲間にする!」

 「口だけなら、まぁ、なんとでも言えるがな……」

 

 にやりと笑って恐怖心を煽る表情。一気に感情が爆発するようだった。

 

 「シャハハハハ、ナミを仲間にする? おれに勝つ? やれるもんならやってみりゃいいさ。魚人族は至高の種族だ。人間如きがたった一人で勝てると思ってんのか! 下等種族が、舐めるのも大概にしろ! 出てこいモーム!」

 

 叫ぶと同時、アーロンが右手を振り上げれば海から何かが飛び出してきた。

 大量のしぶきを上げて顔を出したのは巨大な海牛、モームである。

 可愛らしい顔つきをしているが他の海獣と比べても獰猛で、体長は三十メートルを超える。巨大さはそれだけで武器だ。尾びれがある以上陸の上を歩けないとはいえ強いだろうとは予想できる。

 

 ルフィは驚かずに振り返り、その威容を見上げた。

 表情は至って冷静なまま。

 姿を確認するや否や、静かに右腕を振りかぶる。

 

 「シャーッハッハッハ! 海中で呼吸すらできねぇ哀れなてめぇらじゃこんな芸当はできねぇだろう! おれたち魚人族はこいつを従えることができる! 海牛モーム、こいつを踏み潰せ!」

 「モォォォォッ!!」

 「ゴムゴムの」

 

 拳を握って、腕を引き、狙いを定めた。

 モームは鋭い牙でルフィを食い千切ろうと顔を近付けてくる。狙うのならばそこがいい。

 おもむろに突き出された右腕はゴムのように伸びて、高速のパンチがモームの頬を強く打った。

 

 「ピストルッ!」

 「モォッ!?」

 

 三十メートルにも及ぶモームの巨体がたった一発で浮かび上がり、海から全身が現われて宙を舞った後、頭から海面へ落ちる。距離はさらに離れて高い水しぶきが立った。

 雨のように降るそれを浴びながらルフィは佇み、アーロンは言葉を失う。

 

 腕が伸びた。

 モームを殴り飛ばす一撃にも驚くが、それ以上の衝撃はおよそ普通の人体とは呼べぬこと。

 ゴムのように伸び、攻撃を終えて縮めば元通りの姿となって、それが悪魔の実を食べた結果であることは考えずとも理解できた。

 

 能力者を見たのは初めてではない。驚きはするものの誰もが共通の弱点を持っている。それを知るアーロンはむしろ好都合だと笑みを深くしていた。

 能力者が必ず持っている弱点、それは一生カナヅチになること。

 魚人族が得意とする場は、彼らにとって死を意味するのだ。

 

 魚人族は陸上と海中、両方での呼吸が可能な肉体を生まれながらに持っている。

 遊泳速度こそ人魚には及ばないとはいえ、魚に勝るとも劣らぬ速度で泳ぐことができ、人間が追いつくことなどまずあり得ない。その上で人間以上の腕力を持っている。

 魚人族の真価を発揮できる場所は陸上ではなく海の中だ。

 能力者が厄介と言っても海中に引きずり込めば彼らに勝てる者は居なくなる。少なくともアーロンは人間、人魚、海王類が相手でも負ける気などなかった。

 

 今、はっきりと勝機を見たと悟る。

 奴を海中へ引きずり込んで嬲り殺しにする。魚人を舐めた罰だとして考えが決まった。

 モームを殴り飛ばしたまま背を向けるルフィを狙い、アーロンが瓦礫が散らばる地面を蹴った。

 

 「図に乗るなよ小僧!」

 

 明確な攻撃を当てる必要はない。ただ捕まえて海中に連れ込む、それだけで自身の勝利。相手は呼吸もできず、泳げない訳で、逃げる手立てなど一つも無かった。

 

 「ゴムゴムの」

 

 反応してルフィが振り返る。だが問題ないとアーロンは飛び掛かるのをやめなかった。

 即座に足が振り上げられ、勢いよく蹴りが繰り出される。

 その一撃はアーロンの腹へ突き刺さり、草履越しに衝撃が走った。

 

 「スタンプ!」

 「ぐおっ――!?」

 

 それだけではない。蹴りの最中に勢いを利用して脚が伸ばされていて、見る見るうちにルフィとの距離が遠ざかっていく。彼が蹴った地面の位置さえ越え、建物の壁へ再び激突する。

 ひび割れていた壁は今度こそ破れた。

 アーロンの体は建物の内部へ飛び込み、背中を打って地面に倒れる。

 

 まさかの事態だった。ルフィの反応は素早く、反撃も堂に入っている。

 油断し過ぎたか、或いはまぐれだろう。そう思うアーロンが頭を押さえながら起き上がると同時、壁が崩れて出来た破片を踏みつけ、ルフィが姿を見せる。

 外と内、睨み合って対峙した。

 

 「海に落ちたらおまえらには勝てねぇってのは知ってる。キリが教えてくれたからな。おれはカナヅチで泳げねぇし、魚人は海で呼吸できるってのも聞いた」

 「チィ……!」

 「でも陸の上なら負ける気がしねぇ。おれはおまえに勝てる」

 「ふざけんじゃねぇぞ下等種族がァ!」

 

 アーロンが荒々しく吠えた。

 彼にとって最も許せないのは人間に舐められること、魚人族を軽んじて見られることだ。

 魚人族こそ世界で最も優れた種族。彼の中には確固たる意志があり、それを崩そうとする者がたとえ誰であっても許せない。格上の相手であっても許せず挑みかかる気性があった。

 

 たかが人間、泳げもしないし海中で呼吸もできない。

 なぜそんな奴に負けなければいけないのか。

 

 怒りが力となって全身を満たし、少々のダメージなどすでに忘れてしまった。

 絶対に逃がさない。泣いて謝っても許すことはないだろう。

 強い意志を持ってアーロンが睨みつけ、ルフィは涼しげな顔でその激情を受け止める。

 

 「魚人族は最強の種族だ! 人間がどうあがいたところで越えようのねぇ壁があるんだ! いいだろう、そこまで言うなら陸の上で殺してやる! てめぇ相手に小細工なんざ必要ねぇんだよ!」

 「どっちでもいいよ。おれはおまえを許す気なんてねぇから」

 

 そう言ってアーロンは室内に視線を走らせ、壁に掛けられていた武器を手に取った。

 刀の柄から伸びるのはいくつもの刃を付ける長大なノコギリ。

 アーロン専用の武器、“キリバチ”である。

 

 向かい合った二人は感情を隠さず睨み合った。

 状態は万全。状況に有利も不利もなく、ただ強い者が勝つ。

 両者は同時に動き出した。

 


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