ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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モーガニア

 近くの家屋から勝手に持ち出した本を道端へ置き、三人はそれだけで準備を終えていた。

 提案したのはキリである。武器にもならない本を掻き集めてそこへ運び、後は何もしない。準備の時間がないとは言ってもあまりに奇妙な行動であった。

 

 己の肉体で戦うルフィは武器など必要とせず、何も気にしていないものの、シルクはキリの提案の意味を読み切れずに困惑している。その行動に意味などあるのか。しかしすでに海賊船は港のすぐ傍まで迫っていて、悠長に会話している暇もないようだった。

 

 「シルク。流石に帆船相手だと町全体はカバーできない。砲撃されたら被害が出るかも」

 「うん……でも、できるだけ最小限にしたい。なんとかできるかな」

 「どうだろう船長」

 「おれに任せろ。いいこと考えたんだ」

 

 両の拳をぶつけて喜々とした様子のルフィが答える。自信満々で不安など一切感じさせない。その姿に少しはシルクもほっと息をつくことができた。

 それでも胸中の不安は消え去らない。

 子供の喧嘩は経験があっても海賊と戦うなど初めてのことだ。緊張するのは当然で、気付けば知らぬ間に腕が震えている。大丈夫だと思っていても少なからず恐怖を感じているらしい。

 

 目を閉じて、深く息を吸い、吐く。

 落ち着こうと試してみてもあまり変化はなく、全身の緊張はそのまま。

 困って二人を見たら、彼らは和やかな会話の最中だった。

 

 「なんで本なんか持って来たんだ? これ武器か」

 「子供の頃ケンカで投げたりしなかった? 背表紙でも当たると痛いんだよ」

 「んー、ねぇ。ケンカの時は殴り合ってたもんなぁ」

 「そういえば野生児だったね。ジャングルで本なんか持ってないか」

 「それにおれは投げるより伸びた方が早いや」

 「ますます聞く相手を間違えた。まぁこれはボクが使うからいいよ。先頭はよろしく」

 「おう、任せろ」

 

 何一つ変わらぬ気軽な様子には思わず頬が緩み、不思議とシルクは落ち着くことができた。

 敵を前にしても恐れを抱かない。彼らはどれほど強いのだろうか。

 想像する暇すらなかったようで、落ち着いた頃に海賊船は港へ足を止めていた。

 

 「あっ……」

 「来たね」

 「どんな奴かな。でもここまで来ても攻撃して来ねぇな」

 「油断させようと思ってるだけじゃないの。海賊の常套手段だって知っといた方がいいよ」

 「ふぅん。キリもやったことあるか?」

 「一人の時はね。生き残るためには嘘も必要だと思うもんで」

 

 錨を下ろして船は完全に停泊。船上はやけに静かだった。

 港に立つ彼らはじっと船を見上げて待つ。

 

 人の話し声すら聞こえずに奇妙な様相には間違いない。やがてのろのろと地面と船とを繋ぐ板が置かれ、数人の男たちが下りてきた。やって来たのは三人。三日月型のひげを蓄えた、見るからに船長らしき風貌の男を先頭に、やせっぽちと太った男が後からついてくる。

 

 武器はおそらく持っていない。

 無手でやけによろよろした危なげな足取り。何か様子がおかしいとルフィたちが見守っていると、三人の男たちは彼らの下までゆったりした歩みでやってきた。

 

 三日月型のひげ。船に掲げられたジョリーロジャー。

 シルクから教えられた通りだ。

 目の前に来たのは三日月のギャリーに間違いないようで、ルフィたちは呆気に取られていた。

 

 「すまない……嵐に見舞われて、食料が底をついた。船で部下たちが、腹を空かせて倒れてるんだ。頼む、食い物と水を……あいつらに持って行ってやりたいんだ」

 「もう死にそうになってるぞ」

 「顔色悪いね。ねぇキリ、本当に遭難してたんじゃないかな」

 「うーん、とりあえず武器は持ってなさそうだね。でも船を調べないと一概にはそう言えないと思うよ。実は全員ピンピンしてたりしてね」

 「た、頼む。本当なんだ。金なら払う、だから食料と水を……」

 

 伸ばした腕を震わせるギャリーに、シルクの表情は歪む。

 弱々しい仕草は彼らが本当に飢えているのだと感じさせた。海賊旗を掲げていたから戦うつもりだったが、これでは戦闘などできるはずもないだろう。ならば今すぐ剣を捨てて、みんなを呼んで、腹を空かせた彼らに食事を提供した方がいいのでは。

 

 逡巡する彼女はルフィとキリに目を向ける。無駄な戦闘などするべきではないと。

 ルフィはじっと彼らを見つめて離さず、まるで真意を問おうとするかのよう。一方でキリは手に持った一冊の本を見、ぺらぺらとページを捲っている。どちらも笑みは消していた。

 

 「ねぇ、二人とも。何か事情があったんじゃないかな。食料、持ってきた方が……」

 「やめといた方がいいよ」

 「え? だけど」

 

 キリが手元に視線を落としながら小さく呟く。

 ゆっくり上がった視線はルフィへ手を伸ばすギャリーを捉え、冷ややかな声だった。

 

 「ギャリーっていったっけ。食料が無くなってから何日?」

 「も、もう三日三晩飲まず食わずだ。いい加減、意識が遠くなって――」

 「それにしちゃしっかりした足取りだね。食事ならともかく、水を三日も飲んでなければさっきみたいな速度で歩くのは不可能だと思うけど」

 

 そう言われた途端、ピンと空気が張り詰めた。少なくともルフィとシルクはその変化に気付いており、三人の男たちが動きを止め、わずかに表情が変わった気がする。

 キリはさらに続けた。

 

 「経験済みだよ。ボクも昔死にかけたけど、人に助けられてなんとかなった。飲まず食わずという割にはずいぶんな速度で、しかも支えられもせずここまで来れたね」

 

 いつの間にか腕の震えは止まっていた。

 それに気付いたシルクが即座に後ろへ跳んで三人から距離を取り、鞘を捨てて剣を抜く。

 練習通りに両手で構え、男たちに敵意を見せた。

 

 観念したのか、ギャリーはすっと背筋を伸ばす。とても腹を空かせて限界を迎えた人間には見えない。続いて他の二人も背を伸ばして平然と立った。

 やはりと思うキリに、ルフィは感心した様子でへぇと声を漏らす。

 ギャリーが話し始めたのはそれからだった。

 

 「チッ……せっかく穏便に済ませてやろうとしたってのによぉ。人様の気遣いには甘えとくもんだぜ。頭の回る人間ってのは、時に早死にするもんさ」

 

 発砲音が聞こえた。

 音の出所は船上、メインマストの頂点。見張り台から放たれていたらしい。

 

 重力に従って落下の軌道で飛来した銃弾は、気付けばキリの胸を打っていて。

 まるでスローモーションのように全てがゆっくり見えていた。振り返るルフィと、剣を構えて目を見開いたシルクの目に、力なく倒れていくキリの姿が映る。わずかな音を立てて彼は地面へ横たわり、力が入らない姿で動かなくなった。

 

 血の気が引いていくと嫌でもわかる。全身の感覚が狂い始めるような奇妙さだ。

 かつてない感覚に驚く二人はすぐに動き出すことができず、その間にギャリーの命令で二人の部下が動き出していた。

 

 「取り押さえろォ!」

 

 太った男がルフィの背後から襲い掛かり、力ずくで彼を押し倒した。体重をかけて上からのしかかったことでそう簡単には動けない状態となる。しかし当のルフィは倒れたキリを気にしていてそれどころではなかったようだ。

 

 「おいキリッ! おまえ大丈夫か!? 黙ってないで答えろよ!」

 「ギャッハッハッハ、バカめ! このおれ様の前に立つからそんなことになるんだ! おれ様は三日月のギャリー様だぞ! 旗を見た段階で道を開けてろ、バカどもがァ!」

 

 押さえつけられたルフィはキリへ必死に声をかけるも、反応はなし。

 面白がるギャリーはそんな彼らを笑っていた。どうやら迎え撃とうとそこに立っていたようだが抵抗の一つもできず、一人は撃たれて一人は捕まった。こんな間抜けは見た事がない。

 笑い声は建物を使って広い通りに響き渡る。

 

 やせっぽちの男と相対し、剣を持つせいかすぐには襲われず、敵と睨み合っていたシルクは強く歯噛みする。一瞬でも彼らを助けようとした自分が恥ずかしくて堪らない。やはり海賊を信じてはいけなかったのだ。もっと警戒すべきだった、と今更考える。

 

 まだ彼女は取り押さえられてはいない。しかし人数の差で明らかに分が悪そうだ。

 状況を読んでかシルクは動き出せず、嫌な汗が流れるのを知る。

 対峙するやせっぽちの男が彼女を見たままギャリーへ言った。

 

 「船長、こいつ武器持ってますぜ。せめてナイフくらいもらわねぇと」

 「あぁ? フン、女のくせに面倒な奴だ。まぁいい、どうせやることは変わらねぇ……全員降りて来い野郎どもォ! 略奪を始めるぞ!」

 

 オォォッ、と雄々しい叫び声。

 船からは微塵も衰弱していない、元気な姿の海賊たちが一斉に飛び降りて、手には武器を持って港へと降り立った。総勢で二十名を超える。並び立つ威容はまさに海賊といった風情で雄々しくも荒々しい。サーベルを振り上げ、ピストルを掲げて発砲し、その姿にはシルクも恐怖心を覚えずにはいられなかった。

 

 一人で勝てる人数ではない。しかも仲間となった二人があっという間にやられてしまった。

 勝ち目があると感じるにはあまりに難しい状況だが、それでも逃げ出す訳にはいかない。町を守ると決めた。たとえ勝てないとわかっていても、敵に背を向けて好き勝手にさせることだけはしたくない。剣の柄を握り直したシルクは仁王立ちで彼らに対峙する。

 

 海賊たちに怯えた様子はない。

 立ち止まってにやりと笑う彼らの群れを掻き分けて、同じく余裕綽々のギャリーが先頭へ現れ、シルクを見つけるといやらしい笑みを浮かべた。

 

 「ふふん、一人で何をするつもりだ女ぁ。殺されたくなければ今すぐそこを退け。おまえ一人で何ができるってんだ、あァ?」

 「くっ……!」

 「おまえがそこで何をしようが、おれたちを止める手立てはねぇ。そっちのガキみてぇに殺されてぇのか。わかったら二度とおれ様の前に立つなァ!」

 

 部下からピストルを受け取り、銃口をシルクへ向けたギャリーが叫ぶ。

 それなりに離れているがピストルならば届く距離。ぴたりと狙いを定められると命の危険を感じたか、それとも動揺したのかもしれない。シルクが持つ剣がわずかに揺れた。

 緊張感が漂い、海賊たちは一様に闘志をむき出しにしている。

 

 いつ戦闘が始まってもおかしくない状況。そんな中で、突如轟音が響いた。

 音は彼らの後方から響いていたようだ。唐突な物音に誰もが疑問を抱き、振り返って確認すると、見えたのはゆらりと立ち上がるルフィ。傍には砕けた地面に頭がめり込んだ、太った男が倒れている。どうやら殴られたらしく、頬にはルフィの拳の跡が残っていた。

 

 一瞬で空気が変わる。

 大の男が一発で沈黙させられた。その事実は間違いなく、武器を持っていても恐怖心を抱かずにはいられない様子。笑い声は消え、笑みも消えて危機感が増す。

 誰もがルフィを見つめていた。

 そしてルフィは、凄まじい気迫を放つ目でギャリーを見据えていた。

 

 「おまえ……おれの仲間に何してんだ!」

 

 大気を震わす力強い叫び。

 あまりの気迫に海賊たちは気圧され、ギャリーは気付けば悲鳴を上げていた。

 

 倒れたキリを想っての発言であることは明らか。その場に並び立った海賊たちの中に彼を撃った男も居て、まだ誰なのかはわかっていないようだが本人は生きた心地がしない。

 ただの若造だと思っていれば想像以上の気迫。

 汗を流し、足を震わせる者も居た。

 

 棒立ちになった一同に彼を止められる者はおらず、ルフィは地面を蹴って高く跳び、海賊たちの頭上を越えた。空中でくるりと一回転。右の拳を構えてギャリーの姿に集中する。

 ゴムの体を利用した攻撃を放つため、腰の捻りを利用したパンチが繰り出された。

 

 「ゴムゴムのォ、(ピストル)!」

 

 猛然と伸びたゴムの腕が拳を持ってギャリーへ接近する。その様は強く、速く、勢いが凄まじい。見ている間にも立ち尽くして動けないギャリーの悲鳴は止まらなかった。

 避けること叶わず、ギャリーは思い切り頬を殴られて体が飛び、ぐるりと回転しながら落ちた。

 

 「ギャーッ!? ぐほぉっ、歯がァ!?」

 「こいつ、よくもキリを殺しやがったな。おまえだけは許さねぇぞ」

 「くそ、なんだあのわけわからん奴は……おい、おまえら!」

 「は、はい」

 「あいつを殺せェ! 今すぐだ!」

 

 滑るように地面へ落ちた後、頬を押さえて痛がるギャリーは歯を剥き出しに、部下へ叫んだ。途端に海賊たちが武器を握り直し、怯えながらもルフィ目掛けて駆け出す。

 先に攻撃しようとしたのはサーベルを持った男たちだった。

 剣を振り上げて襲い掛かってくる集団に対し、ルフィは両の拳を構えて待ち受ける。足を開いて立ち、腰を落として姿勢を低く、睨む目つきで敵を見据える。

 

 一斉に駆けてくる集団を目にして、ギャリーはほくそ笑んでいた。自分を殴りつけた生意気なガキ。この人数を相手に生き残れるはずがないと。

 そんな瞬間に、その場を奇妙な光景が包み込んだ。

 

 バサリと大きな音。宙を舞うのは白い何か。

 目を凝らせば紙であることはすぐにわかった。小さな紙片が群れとなって空を舞っている。それらは道端に置かれた本から離れ、独りでに動き出しているかのようだった。

 誰もがその光景に目を奪われる。

 全員の動きは止まり、攻撃は一時的に止められていた。

 

 「なんだ……紙?」

 「これは、一体」

 

 ルフィやシルクもまた見惚れていた。ただの紙が空を舞う。美しくもあり、不思議でもあるその景色は世界広しと言えどそう簡単に見れる物ではない。

 

 紙が舞う景色の中、ある時突然景色が晴れた。

 視界を阻害する群れは消え、代わりに空中で紙がいくつもの束を作り、矢のように武器となる。

 穂先は全て海賊たちに向いていて、空中でぴたりと止まり、狙いを定めるかの様子。持ち手のいない無数の武器に狙われる現状はなんとも恐ろしいもの。あまりに不可解で、あまりに理不尽。ギャリーを含む海賊たちはただ怯えるばかりであった。

 

 全ての武器が、一斉に放たれる。

 海賊たちへ飛来したそれらは数多の悲鳴を生み出し、肌をわずかに削って血を噴出させた。

 放たれた多くが甲高い音を立てて地面へ突き刺さった。傷ついた者たちはその場に倒れ、武器を取り落として動けなくなる。しかし不思議とギャリーは無事だったらしく、攻撃の範囲に入っていなかったのか、尻もちをついた彼の目の前には突き刺さっているものの怪我は一つもない。

 

 また甲高い悲鳴が響いた。

 ギャリーが発する声を聞いて微塵も表情を変えないルフィは、気配を感じ取って背後を見る。

 やはりと言うべきか、想像した通り、ルフィの背後ではキリが平然と立ち上がっていた。

 

 「あーっ! キリィ!」

 「勝手に殺さないでくれる? ちゃんと生きてるよ」

 

 ひらひらと宙を舞う紙を周囲に置いて、微笑むキリが辺りを見ていた。

 この光景は彼が生み出したものなのだろう。無慈悲な攻撃、神秘的な景色、ゆらりと動かされる右手で操られているように見える。その姿は不思議なものだった。

 

 それを見て初めてルフィは気付く。

 カナヅチで、何の変哲もない紙を操る人間。彼も能力者だったのだ。

 ルフィの視線に気付いたキリはくすりと笑い、指先を動かして自分の手元に紙を集める。

 

 「ペラペラの実の紙人間。ご覧の通り紙を操る能力だよ」

 「すんげぇーなぁ~。キリも能力者だったのか」

 「別に隠してた訳でもないけど、紙がなければ大して何もできない能力だからね。その代わりこれだけ紙があれば大抵のことはできるよ」

 

 キリが指を回せば宙に浮いていた紙の束が群れとなり、同じ動きで空を駆ける。調教された動物よりももっと従順な、無生物であって生物にも等しい見事な動き。見ているだけで存外面白い能力で、いつしか先程の怒りも忘れてルフィの目が輝いていた。

 くるくると回る紙の群れに意思などない。キリの意思によって動かされているだけだ。

 その動きが見事。おどけるような紙の動きにルフィの笑い声はさらに大きくなった。

 

 「あっひゃっひゃ。いいなぁその能力。肉とか作れねぇかな?」

 「作っても材質は紙だよ。本物なんて作れないから」

 「そっかぁ。それじゃあ惜しい能力なんだな。せっかく作れそうなのに」

 「何を基準に惜しいんだろ。食事のための能力じゃないんだから」

 

 彼らがそうして話していると、同じく驚いた様子のシルクは剣を下ろしている。

 

 「すごい……」

 

 ぽつりと呟かれた声は誰の耳にも届かない。

 決着がつくのはあっという間だった。

 倒れたと思ったキリが動き出してすぐ、その場に居る海賊たちは倒れ伏し、死んだ者など一人もいないが戦闘のための気概はへし折られていたようだ。気絶した者だって一人もいないが、それでも武器を拾い上げようとする者どころか、動き出そうとする者さえ一人としていない。

 

 勝ち目などないとさえ思っていたのに場はたった数秒で治められた。

 加えてルフィの一撃。数多の人間をくぐり抜けてギャリーだけを殴り飛ばした、ゴム人間としての性質を利用した攻撃を見た後だ。どちらも普通の人間ではないと当然気付ける。

 

 想像もしていなかった状況に言葉を失い、シルクは呆けて立ち尽くしていた。

 相も変わらず平然と話す二人の会話を聞いていて、徐々に気分を落ち着けていく。

 

 「でもなんで無事だったんだ? さっき撃たれたはずだろ」

 「相変わらず大事なことを後回しにするよね。まぁいいけど……特別なことは何もしてないよ。ただ紙で受け止めただけ」

 「紙で? 受け止められねぇだろ」

 「それが悪魔の実の能力だよ。鉄みたいに硬質化させれば銃弾だって受けられる。ほら」

 

 左手に持った小さな紙切れ。へにゃりと折れるその中央には確かに潰れた銃弾が張り付いていて、硬い鉄板に衝突したかのような結果が見て取れた。

 紙を硬化させて防いだ。れっきとした証拠である。

 わかっているのかいないのか、笑顔のルフィはひとまず頷いていた。

 

 「へぇ。なんかすげぇんだなぁ」

 「本当にわかってる? それなりに凄いこと言ったと思うけど」

 

 呆然とする面々を置き去りにのんきな声だけが聞こえている。どう見ても異様な光景であった。

 しばし動けずにいた海賊たちだが場の空気に耐え切れず、怯えながらも立ち上がると武器さえ拾わずに逃げ始めようとする。だがギャリーだけは諦めの悪い様子でピストルを構えた。

 

 「チクショー! なんなんだてめぇらは! おれ様が誰だかわかってんのか! 懸賞金五百万ベリーの大海賊、三日月のギャリー様だぞ!」

 「知らねぇな。そうなのかキリ?」

 「五百万じゃ大物とは言えないね。イーストブルーの相場で言えば大物は一千万ベリーを超えてから。そんなに大したことないよ」

 「なにを~っ!」

 

 銃口は舐めた口を叩くキリに向けられた。目視で理解したルフィは射線上に入る。

 庇うような立ち姿である。

 仁王立ちしたルフィは真っ向からピストルに向かい合った。

 

 「もうキリは撃つなよ。さっき死んだのかと思ったからな」

 「やかましい! ガキどもが好き勝手言いやがって、一体何のつもりだ!」

 「おれたちは海賊だ」

 

 帽子を押さえてルフィが笑う。

 ピストルにも全く怯えず、逆にギャリーが気圧されていた。

 

 「海賊だとぉ? 何を言い出すかと思えば、海賊はガキの遊びじゃねぇんだぞ」

 「遊びじゃねぇよ、昨日から海賊だ」

 「昨日からぁ? 尚悪いわ! 海賊のなんたるかを知らんガキどもが偉そうにしやがって。理解しちゃいねぇんだろう、本物の海賊の恐ろしさを!」

 

 引き金にかかった指が力を入れる。ルフィの様子は変わらない。

 

 「ええい、野郎ども! 船に戻って砲撃準備を始めろ! この町ごとこいつら消してやる!」

 「やめなさいよ!」

 

 ギャリーがルフィを撃とうとした時、静止したのは厳しい表情のシルクである。剣を下ろした状態で無警戒にギャリーへの歩を進め、銃口を向けられたところでやっと足を止めた。直線距離にして五メートル。銃弾が放たれさえすれば間違いなく当たるだろう位置だ。

 

 恐怖心など一切なく、全て消し去ってシルクが厳しい目で彼を睨む。

 本物の海賊と睨み合っても視線は外れず、体の震えはいつしか止まっている。それだけ覚悟が固まっていたということだろう。

 バタバタと騒がしく船へ戻る部下たちをそっちのけに、危険な空気が漂った。

 

 「あなたたち、もう十分でしょ。帰って。二度とこの町に来ないでよ」

 「小娘ぇ、誰に向かって物言ってんだ? おれァ海賊だぞ」

 「海賊でもなんでも、この町を傷つけていい理由なんてない」

 「バカ言え。おれたちに法は適用されない。おまえらのルールも適用されない。つまりおまえの命令を聞く理由なんざ一つもねぇってことだ」

 

 ぐっと歯を食いしばったシルクが眉間に皺を寄せて、再び剣を構える。

 サーベルとピストル。どちらが勝つかは簡単に想像できるため、本来ならば退いてもおかしくないがシルクは逃げず、二人は対峙した。

 当然ギャリーは力で彼女を黙らせようとし、引き金を引こうと力を入れる。

 その瞬間にルフィが動き出していた。

 

 「どいつもこいつも海賊を舐めてんじゃねぇよ!」

 

 声と同時に容赦なくシルクへ向けて発砲された。キリが指の間に挟んだ紙を投げようとした時、すでに動き出していたルフィが素早い動きでシルクを抱きとめ、横跳びで弾丸を回避する。二人はごろりと地面を転がって無傷。空を駆けた弾丸は通りを横切って家屋の壁へ突き刺さる。

 

 麦わら帽子がふわりと宙を舞った。

 転がるように動いたせいかルフィの頭を離れた帽子は風に乗ってギャリーの足元へ運ばれる。チッと舌を鳴らす彼は無事な二人を視認し、忌々しげに地団太を繰り返した。

 しゃがんだままで体勢を整えたルフィとシルクは互いの様子を確認し合う。

 

 「ふぅ。危ねぇな」

 「あ、ありがとう……」

 「チクショー! なんなんだこいつは、化け物め!」

 

 ダンダンっと地面を踏みしめる強い音は何度も聞こえていた。そちらを見るのは何ら不思議なことではなかったが、ギャリーの姿を見た途端、なぜかルフィの顔が一瞬で強張る。

 彼の目は今まで見た事がないほど鋭くなり、わかりやすく怒気が放たれた。

 

 「おい! やめろ!」

 「あぁ?」

 「その帽子は、絶対に踏むなよ」

 

 即座に立ち上がって拳を握り、血相を変えてギャリーを睨みつけた。その様子に驚きを隠せないらしく、キリもシルクも、睨まれたギャリーと同じく呆けた顔を見せる。

 言われてやっとギャリーの目が足元の麦わら帽子を見つけた。

 

 踏むな。確かにそう言われたのだ。

 理解して、ギャリーの顔がにやりと歪む。

 

 「なんだ? そりゃあ、これを踏めって言いたいのか?」

 「おまえ……それを踏んだら、絶対に許さねぇぞ」

 「おやおやぁ? 急に目の色が変わっちまったじゃないの。どうかしちゃったのかなぁ? もしも間違えてこれを踏んじゃったら、君はどうなっちゃうんだろうなぁ」

 「やめろっ! 踏んだらぶっ飛ばすからな!」

 「どう見ても薄汚ぇただの帽子だがな。そうかそうか、そんなに大事な物なのか」

 「やめろォ!」

 

 町中へ響くほどのルフィの絶叫も空しく、振り上げた足が、強かに麦わら帽子を踏みつけた。

 帽子はいとも容易く形を変え、無遠慮なギャリーのブーツの下。

 激しい怒りに見舞われたルフィは咄嗟に駆け出し、拳を振りかぶってギャリーへ突進する。しかし狙い澄ましたかのようなタイミングで船からの砲撃が始まり、辺りを轟音が襲った。

 

 飛来する砲弾。怒りに支配されながらも一瞬そちらへ注意が逸れた。

 町を守るという約束。言い換えればそれはシルクのお宝を守るというものだ。走りながらもわずか数秒、確かに彼の脳裏にその言葉が浮かび、視線は頭上へと向かう。

 

 船から放たれた砲弾は町を破壊しようと迫っていた。

 宝のピンチにシルクが悲鳴を上げた時、動けない彼女の代わりとばかりキリが動いていた。

 独りでにふわりと動き出す紙は彼の手の中で束となり、まるで剣のように細長く連なって形を得る。見た目はただの紙の集合体であってもピンと伸びる姿はまさしく鉄製の真剣そのもの。手の中でくるりと回されても紙片が離れることはなかった。

 

 「鉛紙」

 

 武器となった紙は硬質化されて剣となり、キリの手から投げられ、飛来する砲弾へ向かう。軌道を読んだ上で投擲。両者は空で激突し、その地点で大爆発を起こした。

 

 再びの轟音。粉塵と共に小さな紙片が舞い落ちる。

 視界の変化に伴い、咄嗟に足を止めていたルフィは再度ギャリーの姿を探すが、すぐには見つからず。気付けば彼は今の一瞬で素早く移動していたようで、出航して港を離れようとする船へ飛び乗っていた。外装にしがみつき、ひどく間抜けな姿で町を振り返る。

 

 「ギャッハッハッ、ざまぁみろバカどもめ! 勝った気になるなよ! こうなりゃ町ごとおまえらを消してやる! おいクソガキ、おまえのその古臭い麦わら帽子も大砲で木っ端微塵にしてやるからなァ!」

 「あんにゃろ、いつの間に」

 

 帆を開いて風を受け、船はぐんぐん島から離れていく。けれど攻撃をやめる気はない。誰にも手出しできない位置から一方的な襲撃を始めるつもりだ。

 

 歯噛みしたルフィは帽子を拾い上げ、己の頭にかぶる。

 すでに決意した目を見せており、戦闘が終わったとは思っていない顔だった。

 キリが彼らの下へ駆けつけて声をかける。

 

 「二人とも大丈夫?」

 「ああ、ありがとなキリ。……追いかけるぞ。あいつおれの帽子踏みやがって」

 「む、無理だよ。船は海の上だし、それに大砲だって……」

 

 怒りを露わにするルフィや冷静なままのキリとは違い、か細い声でシルクが呟く。今になって不安に苛まれているのか、顔色は変わって指先が震えている。

 無理もない。生まれて初めてピストルを向けられ、発砲された。ルフィが助けなければきっと死んでいただろう。強烈に感じた死の恐怖に心が折れかけて視線が泳いだ。

 シルクの異変に気付きつつ、ルフィは厳しいとも思える態度で彼女を見た。

 

 「無理じゃねぇよ。まだ終わってねぇ」

 「相手は、本物の海賊なんだよ。本当に私たちを殺そうとしてる……さっきだって、死んじゃうかと思って。このままじゃ町も……」

 「おれたちだって海賊だろ」

 「でもあいつらとは違うじゃない。船もないし、大砲もない。あなたたちは確かに、あいつらより強いかもしれないけど、もう戦う方法なんてないでしょ」

 「じゃあ諦めるのかよ。おまえの宝があるんだろ」

 「それは……」

 

 俯くシルクは言葉を失くし、己を恥じながら唇を結んだ。

 それでも尚見捨てるつもりはなく、ルフィは帽子を手に取り、無理やり彼女へかぶらせた。

 

 「任せろ。全部おれが守ってやる」

 

 帽子をかぶったシルクはゆっくり彼の顔を見上げ、にこりと笑う様子を目にする。

 

 「落としたら困るからな。おまえが持っててくれ」

 「あっ……う、うん」

 

 頷く彼女を見た後で、隣に立つキリへ向き直ったルフィは表情を引き締め直す。

 準備するかのように腕を回して、妙に力のある目を見せた。

 

 「キリ、さっきので砲弾落とせるか?」

 「何発かなら。でも紙が無くなったら一巻の終わりだよ」

 「じゃあその前に決着つけてやる」

 

 振り返る二人は海上へ出て横っ腹を町に向ける帆船を見つめる。

 準備は完了、といったところか。場の空気が変わったように思える。

 それぞれが別々に動き出そうとしたその時、町を滅ぼすべくついに砲撃が始まった。

 


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