港へ緩やかに停まった軍艦は慌ただしい様相を称えていた。
全海兵、戦闘準備を行っている。
以前の対峙から、麦わらの一味に対する警戒心が持たれていた。実際に敵と会ったのはガープとボガードの二名。対峙した末に戦い、まさかの展開ではあったが敵を取り逃がし、一度は姿を見失ってしまった。誰もが想像もできなかった事態で、緊張は驚くほど広まっている様子。
イーストブルーでこれほどの緊張感に包まれるとは誰一人として思っていなかった。
海軍本部、つまりはグランドラインから来た彼らは些かこの海を舐めていたということだろう。苦戦することなどあり得るはずがないと思っていたに違いない。
今はこの海へ来た時とは空気が一変していた。
どちらを見ても顔には緊張が張り付けられ、無駄口を叩く余裕すら無くなっている。
あのガープ中将の手から逃げた海賊。
噂にあった海賊王ではあるまいし、そんなことが可能な海賊が居るというのか。恐怖心も浮かびつつ、船上にある空気は重い。できることなら戦闘は避けたいところ。
ただ、ガープはやる気だった。
ルフィを連れ帰る。それだけでなく以前取り逃がした海賊たちの捕縛もせねばならない。
敗北したままでは退けずに、彼の決意は以前よりも固くなっていたようだ。
「もうじき島に到着します。……よろしいのですか」
「何がじゃ」
「雑用二人を迎えるのはいいとして、その他は本来約束にないこと。これ以上は蛇足です。無駄な戦闘は行わず、早急に本部へ戻るべきかと」
「フン、撤退のう。海兵が海賊を見逃してか」
「それをあなたが言いますか。……フーシャ村の、山奥の話。私が知らないとは思っていないんでしょう。本当に、今更な話だ」
ボガードの言葉にガープが口を閉ざして黙り込む。
それは罪。海賊と戦うべき海兵として、やってはならないことをした自覚はある。
部下が呆れるのも無理はない。
彼は誰よりも深い罪を犯し、それを知られぬままに今日を生きている。海軍の英雄として、数多の尊敬を集めて、これからもきっとそうであろう。
一度目を閉じ、しばしの時を置いて、再び目を開いた時には迷いが消えていた。
多くは語らない。今は目の前の標的を仕留めるのみ。
改めてガープが返答を出す。
「我が孫ルフィと、その一味を捕らえる。変更はなしじゃ」
「了解」
それ以上はボガードも追及しない。ただ命令に従う姿勢を見せた。
海兵たちの準備が整い始める中、まず最初にガープが船を降りていく。後ろにはすぐボガードが続く。他の海兵たちも、一つの部隊を残して島へと降り立った。
大型の軍艦に、百人を超える海兵が武器を持って町に現れる。
物々しい雰囲気を纏って訪れれば、港に立ってすぐその姿を拝むことができた。
彼らは進む足を止め、距離を取って対峙する。
誰もが真剣な顔になっている。油断もしていなければ迷いを見せる者とて一人もいない。そこに居たのはすでに聞かされていた風貌の男だったのだ。
赤いシャツにジーンズの半ズボン。そして草履と麦わら帽子。
待ち構えていた様子でルフィ一人、腕を組んで町の入り口に立ち、ガープを見据えている。
もう殴られることに怯えていた子供ではない。
覚悟を感じる強い眼差しを感じ、思わずガープが笑ってしまった。
「久しぶりじゃのう、ルフィ。今日は逃げんのか」
「なんだよじいちゃん、前にも言っただろ。おれは海賊やめる気なんてねぇって」
「この大馬鹿もんが。いいからじいちゃんの言うことを聞いとけ。海賊なんぞやっとっても百害あって一利なし。良い事なんぞ一つもないぞ」
「そんなこと、じいちゃんが決めんなよ」
会話もそこそこ。ルフィは早々に拳を構えた。
姿勢は低く、闘志は漲っている。演技でそうしている訳ではない。本気で戦うつもりだ。
鼻を鳴らしてガープが笑む。
己の孫であっても敵となるのなら容赦するつもりはない。向かってくる気だったとしたら、己の拳で迎え撃つまで。そこに家族の情は割り込ませない。
ガープもまた準備をしようとコートを脱ぎ捨てた。
「どうしても連れて行きてぇなら、力ずくでやってみろよ。それでもおれは行かねぇ」
「聞き分けの悪い奴じゃ。そうまで言うなら力を見せてみろ。覇気も使えんおまえが、この先の海で生き残っていけると思っとるのか」
「ハキ?」
「その存在を知らんまま手に入れられるほど、海賊王の名は安くないぞ」
「知らねぇからってなんだ。色々知るために冒険するんだ。じいちゃんは黙っててくれ」
「じいちゃんに向かって黙れとはなんじゃあ!」
「おれは、海賊王になる男だッ‼」
拳を握って雄々しく吠えた。
その声は海兵たちが震え上がるほどの迫力を持つ。船出したばかりで予想以上の力を感じさせ、まだ未完ながら凄まじい力を秘めていることを想像させる。
やはり血は争えないのか。
先の言葉を引っ込めて、密かにガープは驚いていた。
「操れてはいませんが、内に秘めた力は相当な物ですね」
「流石は我が孫。じゃが、容赦はせんぞ」
ガープが拳を握りしめてやる気を見せる。
必然的にルフィとガープのみが対峙する構図となり、海兵たちはどうすればよいかもわからず立ち尽くし、ボガードは敢えて静観するつもりで口を閉ざした。
緊迫した空気が港へ広がっていく。
その時、ボガードが気付き、視線を上げた。
突如として、町にある家屋の一つ、屋根の上から火の玉が飛んできたのである。敵の攻撃なのだろうか。それにしては狙いがあまりにも上過ぎて、誰かに被害を及ぼす様子でもなかった。
ガープも気付いている様子でその軌道を眺める。
目線で辿ればどこを狙っているかわかった。しかしそれはあまりにも想定外。
まさかの事態に彼ら二人が真っ先に驚愕し、目で動きを追う。
放たれた火の玉は正確無比、軍艦のマストに掲げられた旗にぶち当たった。当然、海軍所属を示すカモメマークを記した旗が燃え上がり、その場の海兵たち全員が見上げ、言葉を失う。
敵船が掲げる旗への攻撃。
それは宣戦布告を示す。
十人にも満たない小さな海賊団が、英雄ガープに喧嘩を売ったのだ。
「まさか……!?」
「わしらの旗を……!」
「じいちゃんっ!」
旗を撃った犯人が誰かを確認する暇も与えず、ルフィが叫ぶ。
大気の震えが増していた。
この時、疑念は確信に変わる。
彼らを野放しにしていてはいけない。必ずこの場で捕らえなければと。
いつしかガープだけでなくボガードもそう思うようになり、刀を持つ手に力が入る。
「止めてぇんなら何回だってかかってこい! 何回でもぶっ飛ばして、おれたちは前に進む!」
「ひよっこがッ。偉そうに言いおるわ……!」
言い終えた途端、ルフィは踵を返し、坂道を駆け上がり始めた。
一見すれば逃げる仕草だ。だが彼らの船は港にあり、そこから遠ざかる挙動はあまりに愚行。逃走とは別の何かを考えているらしかった。だからと言って、向かわない選択肢はない。
覚悟を決めたのはガープが先。
即座に駆け出し、己が孫を追って町の中へと向かい始めた。
「待たんかルフィ! 貴様の性根を殴り直してやるわい!」
「ガープ中将、お待ちを……チッ、聞く訳ないか。仕方ない」
一人で走り出してしまったガープを止める暇もない。あっという間に行ってしまい、言うなればこれは、彼と分断させられたような状況だった。
ルフィを狙っている以上、挑発されればガープが見逃すはずもない。
上手くしてやられたのではないかとボガードの表情が歪んだ。
何やら嫌な予感がする。一手を間違えれば大損害を与えられかねない、近頃はめっきり感じなくなった独特の感覚だ。
ガープの単独行動を許し、ボガードの視線は先程の弾が放たれた屋根へ。
今はもう見えない。さっきはそこに二人分の頭が見えたはずだ。
何かが始まっている。宣戦布告から始まる、自分たちを迎撃するための何かが。
混乱した状況で冷静に思考を動かす。
とにかくこの場に居続ける意味はないとして、彼は部下に指示を出し始めた。
「敵の船を押さえておけ。怪しい者が来たら戸惑い無く発砲し、必ず止めろ。ただし殺すな」
「はっ!」
「残りは私について来い。海賊たちを捕縛する」
十名ほどがゴーイングメリー号へと向かい、敵が来ないようにと警備を始める。
残りの九十名近い戦力がボガードを先頭に町へ歩き出し、そこからいくつかの部隊に分かれて、敵の捜索を開始する。まだ人数さえ定かではないが、そうするより他はない。怪しい者を見つけ、捕らえて、果たして海賊か否かを確認するより方法がないのだ。
事態は急速に動き始める。
海兵たちは町中へ入り、一部は港へ残って、いまだ海賊たちの総数知れず。
ルフィはガープを引き連れて町中を走り回り、とにかく坂道を上って山を目指して、港から離れようと速度を上げ続けた。ガープもそれにしっかりついていく。
作戦開始から、実に三分。
最初に動いたのは港付近に潜んでいた、ヨサクとジョニーであった。
「よし。敵の数は減ってる。そろそろいいはずだぜ」
「しかしまさか、海軍と戦う羽目になるとはな。おれたちの金づるだったはずなのに」
「おい、逃げる気じゃねぇだろうな。兄貴たちの頼みなんだぞ」
「わかってる。そんなつもりは毛頭ねぇよ。おれァゾロの兄貴についてくって決めたんだ」
港の端にある木箱の陰に隠れてしゃがみ、ひっそりと辺りの様子を伺う。
ひとまず目につくのは、ゴーイングメリー号の周囲を固める十名ほど。近くには軍艦が止められているため、そこに残った海兵が駆けつけてくる可能性もあるが、当初の数を見た後では少な過ぎるくらいだ。全く問題はないとして、二人が利き手に刀を持つ。
独特な刀身の包丁のような剣。
使い慣れた武器を手に、彼らは勢いよく飛び出した。
「しゃあっ! 行くぜ相棒!」
「おおともよ! こうなりゃやれるだけ暴れてやる! 兄貴たちのために!」
突如現れた二人は真っ直ぐにメリー号へと走って行き、警備についていた海兵たちが驚愕する。武器を振り上げているのは明らか。おそらく海賊だろうと思い、瞬時に武器が構えられた。
襲ってきたのは賞金稼ぎ。だがそうと気付く者は居ない。
海賊として認識された彼らは、奪われたメリー号を取り戻すために戦いを始めた。
時を同じくして、別の場所では。
屋根の上を飛び移って移動するキリとウソップの姿がある。敵船の旗を燃やして、宣戦布告を行った後、彼らは海兵に見つからないよう気をつけて行動していた。
時折双眼鏡を使いつつ、敵の動きを確認したところ、人数を分けて行動しているのは明らか。
このまま見つからないならば密かに港へ向かってもいい。しかしウソップはともかく、キリは以前に顔を見られている。一度も見つからなければ敵の警戒心を高める危険性があった。ならば、何度か敵の前に姿を現し、かく乱した上で姿を隠して、逃げる。それが最も良い手段。
少しでも逃げられる確率を高めるため。
二人は最初の地点からずいぶん離れてから通りへ降り、すぐさま狭い路地へと入った。
「ほんとに大丈夫かよ……海軍に宣戦布告って、海賊だってやらねぇぞ」
「なに、パフォーマンスさ。あれくらい派手にやらなきゃ敵の動揺は誘えない」
「だからってよぉ、今後のこと考えてるか? おれたち明らかに目ぇつけられるぞ。本部の船に、しかもあのガープの船に覚えられちまったらどうなるか」
「残念ながらもう遅いよ。ウソップが乗り込む前から、ボクら本部の船に目をつけられてる」
「マジか!? なんで!」
「しーっ。色々事情があるんだよ」
小さな路地から大通りを見れば海兵の姿はない。まだ近くには居ないようだ。
かく乱のための準備もある。
キリはウソップへ振り返り、緊張する彼に落ち着くよう促した。
「心配しなくたって上手くいくよ。ほら深呼吸」
「すーっ……はぁーっ。いや無理だ。全然落ち着かねぇ」
「まぁ緊張感は持ってた方がいいからね。じゃそのまま行こう」
「おまえ、軽く言いやがって。おれの臆病さを舐めんなよ」
「舐めてないって。ウソップはそのままが良いんだ」
いつもの微笑みであっさり言い始める。元気付けようとしているのか、それとも本音か。
どちらにせよ話していなければプレッシャーで押し潰されそうだ。
時間はまだあるらしい。ひとまずキリの話を受け入れる。
「はっきり言ってウソップは今までウチに居なかった新しいタイプだ。確かに正面切って戦えばボクらには勝てない。でもだからこそ他のみんなにはできない戦法がある」
「どういうことだよ。言っとくがおだてて強くなるほど単純じゃねぇぞ。おれのネガティブは本人も認めるほどのお墨付きだ」
「おだててる訳じゃない、本気さ。前に言ったこと覚えてる? 戦闘に必要な物」
「敵の隙を突いて、攻撃を当てる」
「その通り」
「だからそれができりゃ苦労はしねぇって……」
「それからもう一つ。戦闘に必要なのはここだ。これがあれば大抵の人間は強くなれる」
キリが自身の頭を指して言った。
頭を使って戦えと言いたいのだろう。
確かにそうだとウソップは思う。自分はルフィのように身体能力に優れる訳ではなく、ゾロのように刀を使える訳ではない。シルクやキリのように悪魔の実の能力も持っていない。戦う方法があるとするならば、頭を使って工夫するしかないのである。
それは自覚している。だがやはり言うのとやるのでは大きな違いがあるだろう。
やはりウソップの表情は暗いままで、さらにキリが言葉を重ねた。
「ウソップの武器は、狙撃と嘘と逃げ足、そして武器の多様さだよ。それだけあれば十分戦える。ボクらとは違った戦法で、ボクらを助けることだって」
「頭を使って、ってやつか……」
「特にこの町は地形が使える。坂道と狭い路地。これ二つだけで色々遊べるよ。だから、さっき打ち合わせした通りに。今やることはそれだけで十分」
「なるほど。わかった」
「まずは時間稼ぎだ。ルフィが目標地点に到着するまで、町中をパニックにする」
再びキリが通りを確認する。海兵たちの姿が見えた。
笑みが深まり、路地へ戻ってウソップを確認する。顔が強張っているがさっきよりはマシだ。
互いに頷く。
事前に決めた作戦通り。そうすれば人数の差など怖くない。
「そろそろ行くよ。準備は?」
「よよよ、よぉし。大丈夫」
「足震えてるよ」
「む、武者震いだっ」
「そうだと思った。それじゃ、先陣はキャプテンに」
キリが道を譲ったことで、ウソップが通りへ歩み出た。
足は震え、緊張で全身が硬くなっている。恥ずかしいほどに体の自由が利かなかった。
それでもやる。
仲間のために頑張ると決めたのだから、ここで足を止める訳にはいかない。
意を決して通りへ飛び出す。
するとすぐに海兵たちが彼の存在に気付いた。まだそれだけでは足りないだろう。ウソップが海賊だとは気付かないはずだ。
そのため、パチンコを使って鉛玉を放った。
「必殺鉛星ィ!」
「おごっ!?」
「なっ、こいつ……!」
「おまえらにはっきり言っといてやる! さっき旗を撃ったのはこのおれ様だァ!」
一人の腹に鉛玉を当てたことで、警戒心は一気に膨れ上がる。
その直後に言い終えた途端、驚愕が伝染している間に先程の路地へ飛び込み、全力で駆け出した。これで追ってこないはずはない。
敵を信用する、それも戦闘に必要な要素なのだと聞かされていた。
すでにキリは居ない。準備のために動いているはずだ。
高速で路地を通り抜けて反対側の広い通りへ出る。
そこで一旦足を止めて海兵の到着を待った。
すぐに追ってくるはず。攻撃までして自分の存在感を叩きつけた。全身が熱くなって汗が噴き出し、さっきよりも足が震えているが、恥と思う余裕すらない。
待っているとすぐに海兵たちが追ってきた。流石に一団、一気には通りへ入れない。
一人ずつ向かってくることを確認したウソップは再びパチンコを構える。
「必殺! 火薬星ィ!」
「ぐはっ!?」
「あ、あの野郎……!」
「わーっはっはっはぁ! ここまでおーいで! べろべろばーっだ!」
言うだけ言って即座に駆け出す。今度は坂を上り始めた。
本当は敵を挑発する余裕だってない。しかしそんな自分を押し留めて言葉を選ぶのも嘘の一種。虚勢を張るのも立派な策略だと今なら思えた。
全力で走って敵との距離を保とうとする。自らが得意とする距離は遠距離。近付かれてはいけない。危険が一気に増してしまうからだ。
すぐに海兵たちが広い通りへ出て、ウソップを追うために走ってくる。
足の速さで言えば圧倒的にウソップの勝ち。
目標とする地点を通り過ぎた時、敵との距離に余裕を持ち、彼が叫んだ。
「おぉい! 頼んだぞぉ!」
直後に通りを挟む両側の屋根の上で、大量の紙が動き、大量の樽がばら撒かれた。
大きな音を立てて地面に落ちたそれらは坂道を転げ落ちていき、海兵たちを追い始める。形勢は逆転。唐突な展開に彼らの平静は崩れ、見るからに統率が乱れた。
最初の一人に樽が当たれば、後は連続して海兵たちにぶつかっていく。
殺傷力はない。だが急な坂を転げ落ちたそれらは立派な凶器となり得る。
大きな音を立てた結果、気絶した者はごくわずか。転んだ者はほぼ全員。
乱れた隊を置き、ウソップはさらに駆けていく。そしてたっぷり二百メートル以上は距離を置いてから振り返り、勇ましくパチンコを構え、新たな弾を番えた。
「追って来れるもんなら来てみろ! 必殺、煙星!」
一番前に居た海兵目掛けて弾を放つ。狙い違わずその眉間に激突し、衝撃から弾丸が割れて、中から大量の煙が発生した。未完成の試作品、強力な煙幕である。
視界が真っ白に染まり、海兵たちは咳き込んで動けなくなる。
もうしばらくはあの位置に留まり続けるだろう。
足止めは成功。ウソップは走って坂を上り始めて、屋根を伝ってキリもついてくる。これで時間を稼ぎ、敵の士気も下がるはずだった。
「よっしゃあ! 作戦成功だ!」
「ナイスだよウソップ。この調子で敵を混乱させていこう」
「おう! おれならできる気がしてきた……!」
彼らは別の部隊を目指して走り出す。
ただ一点。酒屋から勝手に拝借した樽が転がされてしまったため、酒場の親父が彼ら二人へ怒鳴り始め、怒る店長から逃げる羽目にもなってしまった様子である。
「こらぁガキども、何しやがる! うちの商品をよくも……!」
「あぁごめんおじさん。支払いならあっちのお兄さんたちにどーぞー」
キリが酒屋の店主へ返し、彼らは颯爽とその場を離れる。気持ちがいいほどの逃げ方、そして計算された撤退のタイミングだった。
人数が少ないが故のゲリラ戦法。並びに市民へ迷惑をかける戦法は海賊ならでは。彼らが困っているのなら海兵たちも無視はできないはず。その心理を利用する。
二人はタッグを組んで町中を駆け回り、あらゆる方法で海兵たちの士気を乱そうと奔走した。
さらに場所が変わり、港からの一本道で続く広い大通り。
ガープを追って町へ入ったはずだった部隊は足止めを喰らっていた。
まるでルフィの下へ行かせないと言うよう。狭い路地から出てきて彼らの前に仁王立ち。たった一人で道を塞ごうとしている男が居た。
ボガードを先頭に置く彼らは、頭に手拭いを巻く三刀流の男と対峙している。
「ロロノア・ゾロだな」
返答はない。
手拭いの下から鋭い眼光が覗き、すでに両手へ刀が持たれている。
凄まじい気迫だ。若者ながらその身から放つのは並大抵の闘気ではない。ルフィといい、以前見たキリといい、この一味は粒が揃い過ぎている。今の実力に怯えずとも、将来を想ってぞっとするほどに。ここで潰しておきたいと心から想う相手だった。
ハンドサインだけで部下の手出しを禁じ、ボガードのみが前へ出る。
逃げる素振りはない。ゾロは三本目の刀を銜えた。
「有能な賞金稼ぎまで海賊になったか。世も末だ」
「元々はそちらさんのせいだとは思うがな。おれも海賊に脅迫されたクチだ」
「シェルズタウンの一件」
「今となっちゃどうでもいいさ。おまえらに一つ、返してぇもんがあった」
「なんだ?」
にやりと口の端が上がり、禍々しい雰囲気を称える笑み。
あれは鬼か狂人か。海兵たちに動揺が走る。
異質な空気の中でもボガードだけは冷静なまま、彼の視線を正面から受け止めていた。
「おまえらんとこの大将に一発もらっててな。その借りが返せてねぇままだった」
「あの時、確かに一撃叩き込んでいたと思ったが」
「いやぁ、足りねぇさ。大して堪えちゃいなかったんだろ」
正解。ボガードはそう思う。
以前の戦闘でガープ中将にダメージはない。すべての攻撃を防御していた。
それでやる気になっているらしく、ゾロが構える。
世にも珍しい三刀流。そちらはいいとしても体から放つ闘気が気になった。
あれは間違いなく強くなる。
危機感は抑えられず、ボガードもまた構えを取り、迎え撃つ気で視線を鋭くした。
「おまえらに負けてるようじゃ、世界最強の大剣豪は遠いままだ。少しでも近付かせてもらう」
「投降する気は」
「へっ、見りゃわかんだろ」
ゾロが駆け出し、ボガードが迎え入れる。
両者の刀がぶつかって甲高い音が響き始めた。
こちらでは正面からの衝突が始まり、町は確かにいつもの平穏を失くしていく。昨夜の雰囲気とは一転して、恐ろしい戦闘が乱立し、着実に混沌が深まりつつあった。