ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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断章 夢見る者たち

 1

 

 骨を銜えた犬の船首を持つ海軍船が航海していた。

 海軍本部中将、英雄とまで言われたガープの船である。

 犬の被り物をした男はとぼけている風に見えて実は海軍屈指の逸材。山を拳で砕き、幾人もの海賊たちを打ち倒して捕縛して、かつては海賊王を名乗る前のゴールド・ロジャーと何度も渡り合った経験を持つ。世代が変わりつつある今の海軍にあってもれっきとした強者だ。

 その男がイーストブルーに来ること自体、早々簡単に受け入れられる事実ではない。

 その上、海軍の英雄に自分たちが鍛えられるという事実は、まだ見習いになったばかりのコビーとヘルメッポにとっては信じられない事態だった。

 二人は現在、甲板に突っ立ってガープの背を見ている。

 今も彼は電伝虫で誰かと話している最中。

 相手の名前を聞かされ、やはり驚かずにはいられず、全身が硬直して微塵も動けなかった。

 

 《ガープ! 何度言ったらわかる! 任務が終わったのならすぐに戻って来い! おまえを野放しにしておくと我々の負担となるのだ!》

 「ぶわっはっは! 断る! わしは孫の顔が見たいんじゃ!」

 《そんなくだらん理由で断るなァ!》

 

 受話器の向こうで怒鳴っている声に動じもせず、ガープは機嫌よく笑っている。

 休暇でもなければ訪れることのできないイーストブルー。久しく寄ることが嬉しくて仕方ないのだろう。ただそのせいで古くからの仲間に迷惑をかけているのは事実のようだ。

 コビーとヘルメッポは背筋を伸ばしてその光景を見ている。

 噂に違いはない。ガープと肩を並べる古くからの親友と言えば、あの男しかいなかった。

 

 「な、なぁコビー、ガープ中将としゃべってるのって……」

 「う、うん。きっとセンゴク元帥だよ……や、やっぱり、すごい人なんだ」

 

 どんどん熱くなる相手とは違ってガープの機嫌は揺らがない。

 大きな笑い声まで響かせ、傍目に見る腹心が呆れるのも気にせず自由気ままに振舞っている。

 コビーはその姿に誰かを幻視しそうになるものの、そんなはずないという思考に邪魔されて、確信に至ることができない。今できることと言えば事態を見守ることだけであった。

 

 「まぁそうカリカリするな。心配せんでも孫の顔を一目見たらすぐに帰るわい。あやつめ、わしを無視して海賊になんぞなりおって。じいちゃんへの愛はないのか」

 《おまえもおまえなら孫も孫だ。報告は聞いているぞ。モーガンを取り逃がしたそうだな》

 「おっ、早いな。あの監査役の嬢ちゃんか。まったく面倒な奴に報告を……」

 《あれも勝手だがおまえはそれ以上だ。まさか居眠りで捕虜を逃がすとは……いいからさっさと戻って来い! これ以上面倒を増やすな!》

 「だーからそれはできんと言うとろうが。わしはルフィのじいちゃんじゃぞ!」

 《知るか! おまえが誰のじいちゃんだろうが海兵の一人であることに変わりはない! このまま海軍に居続けたいなら処分される前に行動しろ!》

 「ふん、何を今更。命令違反なんぞ今に始まったことじゃないじゃろうが」

 《それが問題だと言っとるんだ! まったくおまえはいつもいつも――!》

 

 ガープの笑い声に怒鳴り声が混じる。センゴクの機嫌は彼とは対照的だったらしい。

 一方で無視できない物を見つける。

 会話の最中、確かに聞こえた名前にコビーとヘルメッポが反応した。

 互いに顔を見合わせ、驚愕の表情。

 孫に会いたいと言っていた。そして聞こえた、ルフィの名前。

 まさかと思って再びガープの背を見れば、焦れた様子の彼は無理やり通信を切ろうとしている。

 

 「とにかくそういうことじゃからしばらく戻らん。すぐ会えたらすぐ戻るわい」

 《待てガープ! 話はまだ終わっていないぞ!》

 「こっちは終わった。というわけで、またな」

 《おいガープッ――!》

 

 受話器が置かれ、電伝虫は眠ってしまう。通信は無理やり切られてしまった。

 きっと今頃センゴクが怒り狂っていることだろうが、やはりガープは心配せずに上機嫌。久しぶりにイーストブルーへ来た機会を最大限に利用しようとしている。それも私利私欲のためだけに。長い付き合いのある部下であっても海兵として如何な態度かと思ってしまう姿だった。

 小さく嘆息し、呆れた様子で腹心の男が口を開く。

 ボガードという男、目深にかぶった帽子の下からガープを見やり、落ち着いた声で問いかけた。

 

 「いいんですか? またどやされますよ」

 「いつものことじゃ。それより今は孫に会うチャンス。これを使わん手はないじゃろ」

 「親バカも大概にしてください。ま、言っても聞かないでしょうが」

 「ぶわっはっは! わかっておるなら結構。さぁて、あいつはどこへ行きよったか」

 

 電伝虫の傍を離れて海を眺めるガープに、堪えきれずにコビーが声をかけた。

 今でも上官が相手だと緊張する。特に彼はそんじゃそこらの海兵ではない。海軍の中では知らぬ者は居ない、どころか、世界中に名を轟かせた英雄の一人。

 自然と声は震えたが、それでも聞いてみたいことがある。

 

 「あ、あの、ガープ中将。さっき、ルフィって名前を……」

 「んん? ああそうじゃ、わしの孫はルフィという。なんじゃ、もしかして知り合いか?」

 「えっと――」

 

 不安げな表情でコビーは一度ヘルメッポを見た。驚きのあまり彼もまた顔面蒼白となって何も反応できずにいる。それも当然だ、海軍の英雄の孫が海賊となり、すでに顔見知りなのだから。

 言って良い物かどうか。

 わからなかったが上官に嘘をつく訳にはいかないと、真面目な彼は有りのままを語る。

 

 「実は、ぼくが海兵になるきっかけをくれたのは、ルフィさんなんですっ。圧政に苦しむシェルズタウンを救ったのも、モーガン大佐を倒したのも、全部ルフィさんがやったことなんです!」

 「なにっ!? あいつめ……!」

 「で、でもルフィさんにも戦う理由があって、決して悪いことがしたかったわけでは――!」

 「よくやった! 流石我が孫!」

 「へ?」

 

 怒り出すかと思いきや、ガープは拳を握って喜色を露わに吠えた。

 想像していた反応ではない。

 コビーとヘルメッポはぽかんと口を半開きに、ボガードはやれやれと首を振る。

 

 「少し前まで鼻水垂らしとったあいつが強くなったもんじゃ。まさか海軍大佐に勝つとはな。やはりわしの教育は間違えていなかったということか」

 「ガープ中将、お忘れなく。あなたの孫は海賊です」

 「なぁに今からでも間に合う。わしが説得すればいちころじゃて。じいちゃんを舐めるな」

 「あなたの孫という時点で、とてもそうは思えませんが……」

 

 腕組みをしてガープが若い二人を見た。

 見られた二人は体がびくりと震え、表情が強張ったのだがさほど気にされることもなく。ガープはふと考えてみる。二人の顔を見つめるため自然と緊張を強いるような状況だ。

 彼らはルフィと出会っている。しばらく会っていなかった孫の今を知っている。

 親心から気になってしまい、自然とやさしい口調になって問うてみた。

 

 「おまえたちルフィに会ったか」

 「は、はい」

 「ルフィはどんな男になっておった?」

 「それは……とても自由で、誰にも縛られなくて」

 

 被り物をしていてもガープの笑みが柔らかくなったのには気付いた。

 そのせいもあって、ルフィのことを思い出したこともあって、ふっと胸の中が軽くなる。この瞬間だけは緊張を忘れてしまい、彼について語る時だけは口がスムーズに動く。

 自分の想いのままを伝える。

 それが友に対する尊敬の表れで、嘘一つない言葉が並べられた。

 

 「ぼくが見てきた中で最高の、とても素敵な海賊でした」

 「気に食わん!」

 「えぇっ!?」

 

 しかし言い終えた直後に表情が一転し、瞬時に怒りの念が放出された。

 振り回されるコビーとヘルメッポが動揺する。

 それを全く意に介さずにガープは迫力のある姿で言いのけた。

 

 「わしはルフィを海兵にしたかったんじゃ! それをあいつめ、赤髪になんぞ毒されおって、まさか本当に海賊になりよるとは……全く気に入らん!」

 「だから、それなら自分で育てればよかったでしょう。目を離すからそうなるんです」

 「仕方ないじゃろう。仕事せんかったらセンゴクの奴がうるさいし、それにエースのこともあった。わしの体は一つしかない」 

 「それはそうですが」

 「おのれ、憎きは赤髪じゃ。あれが四皇などと呼ばれてなければ、わし自らが出向いて仕留めてやるものを」

 「それだけはやめておいてください。四皇の誰かが欠ければ、それだけで新世界の秩序は乱れる。きっと今以上に大荒れになりますよ」

 「わかっておる。だから今こそルフィを捕まえ、わしの手で海兵に育てる!」

 「元海賊の入隊を大将赤犬が許すとは思えませんがね」

 「サカズキにはわしの方から上手いこと言っとく。孫じゃからと言えばなんとかなるじゃろ」

 「それは全然上手いこと言ってません」

 

 ガープとボガードのやり取りは堂に入ったもので、長らくの経験を感じさせる。

 見つめるままのコビーとヘルメッポが割って入る隙間などなく、何をする訳にもいかない雰囲気で、しばし緊張したまま無言で立ち尽くすこととなった。

 

 「とにかくこれからルフィを探しに行く。さて、どこから探したものか……確か監査役の嬢ちゃんが海賊に船をやられたと言っておったな。それに関わっておらんのか?」

 「関わっているんでしょう。麦わら帽子をかぶったドクロだったそうです」

 「何? そんな話は聞いておらんぞ」

 「嫌な予感がしたもので」

 「その麦わら帽子こそルフィに違いない! 憎き赤髪から受け取ったという帽子じゃ! その船はどこへ行った!」

 「さぁ、詳しくは聞いていませんが」

 「今すぐウェンディに電伝虫を繋げ! 遠くへ行く前に捕まえるぞ!」

 「やれやれ……」

 

 今度はボガードが受話器を取って通信を始める。疲れた表情で全く気が進んでいない。しかし反論したところで自由気ままな彼が考えを変えるはずもなく、こうするしかないのだろう。

 ボガードの動きを見た後でガープは振り返る。

 今になって思い出したとばかり、立ち尽くす二人を見て笑いかけた。

 

 「おぉ、そう言えば言うのを忘れておった。おまえたちには今日から特別に修行をつける」

 「え? 修行、ですか」

 「そうじゃ。わしの船に乗る以上は強くなってもらわねば困るのでな」

 

 唐突に彼は拳を握り、ポキポキと音を鳴らし始める。

 妙に恐怖心を煽る音で二人の表情が変わった。

 まさか嫌なことは言わないだろうな。そう思った瞬間に笑顔でガープから告げられる。

 

 「とりあえず今の実力を見てやろう。さぁ、どこからでもかかってこい」

 「え? あ、あの、ガープ中将……」

 「お、おれたち雑用で、まだ訓練にも参加してないんですが」

 「だからわしが鍛えるんじゃろう。遠慮はいらんぞ、思いっきり来い!」

 

 顔を見合わせる二人だったが、やはり上官の命令に逆らう訳にはいかないという考えが変わらず、行くしかないのかと怯えながら頷く。

 二人は駆け出し、そしてガープに殴り飛ばされた。

 たった一撃で気絶させられてしまったものの、吠えながら向かってくる様を見て、度胸はあると思ったらしく、ガープは上機嫌。鍛え甲斐があるだろうと大声で笑った。

 今日この日より彼らの修行は始まり、強くなるための手ほどきが始まったのである。

 

 

 

 2

 

 平穏に包まれる軍艦島の桟橋。一味の休養は二日目に入っていた。

 ルフィは先端に座っており、近くには水着の上にTシャツを着たナミが居る。

 釣りをする彼の近く、背中を向けられているとあって、誰も見ていないと思って少し思案する表情。どことなく物憂げでもあった。膝を抱えて座るナミは何一つ変化のない海を眺めている。

 水平線は遠く、和やかな様相。

 驚くほど平和な日々だ。今まで何度も危険な目に遭ったがそれが遠い日のことに感じる。

 こんなに落ち着いていていいのかと思う。

 のんびりするなど、何年振りのことだろうか。ひょっとしたら子供の頃以来の可能性もある。泥棒稼業を始めてからというもの、心が落ち着く日などなかった。それを想えば今はやはり不自然なほど落ち着いている。まるで自分が自分じゃないのではないかと思うほどに。

 緩やかな風に触れて目を閉じる。

 波の音が心地いい。海をこれだけ近く感じて、やさしいと思ったのは初めてだ。

 きっと今までは心に余裕がなかった。そして今は余裕が生まれていて、今まで見えなかった物が見えているのだろう。変化は自分自身でも理解している。

 安心しきった顔でまどろんでいると、ふとした瞬間にルフィが声をかけてくる。

 

 「そういやさ、なんでナミは泥棒やってんだ?」

 「なによ、急に」

 「なんか気になった。まだ聞いてなかっただろ」

 「別に大した理由なんて。ただお金が欲しかっただけよ」

 「ふぅん」

 「聞いといてそのリアクション? あんたは相変わらず自分勝手ね」

 

 くすりと笑って彼の背中を見る。

 いつもと変わらずマイペースな姿。興味があるのかないのかさえわからない。顔と視線は自身が落とした釣り糸を見つめていて、そちらに集中しているようにも思える。

 それでいい。その方が気が楽になる。

 再び目を閉じ、薄く笑みを浮かべてナミは安堵した。

 ルフィだけでなく彼らと共に居ると肩の力が抜ける気がする。これがリラックスと言うのだろうか。詳しくは知らないが気分は悪くない。

 

 「じゃあさ、なんで海賊が嫌いなんだ?」

 「なんでって言われても」

 「おれは海賊好きだぞ。海賊ってのはさ、冒険するし喧嘩するし、お宝だって見つかるんだぞ。金が欲しいなら海賊やりゃいいじゃねぇか。おれやっぱ航海士はおまえがいいや」

 「また勝手なこと」

 「海賊は宝探しもするんだ。おれとキリだけで見つけたことだってある。なぁ、いっしょに海賊やろうぜ。金が必要ならいくらだって集められるぞ」

 「冗談。私は海賊が嫌いだし、それにほんとに欲しいのは、お金じゃなくて……」

 

 言いかけてハッと我に返る。気を抜き過ぎてしゃべり過ぎたらしい。リラックスするのは良いのかもしれないが気を許し過ぎてもいけない。気付いた後で佇まいを直して顔を上げた。

 もう緩み切った彼女は居ない。また前のような姿。

 背中でそれを感じつつ、ルフィはやはり敢えて問い詰めることはしない。

 

 「先に言っておくけど、私はあんたたちの仲間に、海賊にはならない。待つのは勝手だけどいつまで経っても変わらないわよ」

 「キリだって最初はそう言ってた。でも今はおれの仲間だぞ」

 「いっしょにしないでよ。私はそうはならない」

 「まぁいいや。しばらく待ってみる。そしたら気が変わるかもしれねぇだろ」

 「はいはい、どうぞご勝手に」

 

 脚を伸ばした後で両腕も伸ばし、大きく体を伸ばす。ぐぐっと筋肉が伸びるようで心地良さがあった。腕を下ろしたナミはまた静かに海を眺める。

 いつか彼らとの別れの時が来るのだろう。ただ今はそれがいつなのかわからない。

 情を残さない方がきっと楽だ。

 今はもうすでに危うい。このままずっと居れば必ず離れ難くなってしまう。

 それでも、今はまだ。

 人知れずそう思ったところでルフィがいつも通り口を開いた。

 

 「でも重くなったら言えよ。おれは敵にはならねぇ」

 「え?」

 「おまえのこと気に入ってるからな。仲間になるかどうかは自分で決めりゃいいけど、ナミが本当に困ってる時はおれたちに言え」

 

 それだけ言って声は途切れてしまう。もう言い終えたらしかった。

 驚いた様子のナミはまだ続きを待っていたような素振りさえあるが、ルフィはそれ以上語らず。

 ある時、餌に魚がかかったらしくて竿が揺れた。

 途端に両手に力が込められ、ぐっと強く引っ張られる。今日初めてのヒットだった。

 

 「おぉっ、きた! 今日の昼飯ぃ!」

 「あ、うん……」

 「おいナミ、網ないか網! あとバケツ!」

 「どこにあるのよ。それくらい先に用意しときなさい、もう」

 

 表情を変え、溜息をつきながら立ち上がる。

 桟橋のどこを見回しても網もバケツも置かれていない。

 仕方なく取りに行ってやるつもりだった。

 そうしてナミが砂浜へ行こうとすると、向こうからアピスが走ってくる。

 アピスが網を持って、隣を走るリュウ爺はバケツを頭に乗せていた。絶好のタイミングで持ってきてくれたものである。思わずナミが微笑んでルフィに振り返る。

 しなる竿に夢中な彼はまだ気付いていない。仕方ないので教えてやった。

 

 「両方来たわよ。まったく不用心なんだから」

 「ほんとか!? ありがとう、助かった!」

 「私じゃなくてアピスにね。それとリュウ爺にも」

 

 言い残してナミは桟橋を歩き、アピスたちとすれ違って歩き去った。

 背後からは慌ただしい声が聞こえてくる。初めての釣果に興奮しているらしいことが声から伝わった。しかし彼女は振り返って確認するでもなく離れていく。

 

 「上がってきた! でっけぇぞ!」

 「ルフィ、ほら網っ!」

 「掬ってくれ! も、もってかれちまいそうだ!」

 「うん!」

 

 バシャバシャと水音が激しくなっている。魚が上がってきたのだろう。

 ゆっくりその場を離れて砂浜へ降りる。

 釣竿を一本持って村から来たシルクともすれ違い、その一瞬に足が止まった。

 シルクは何かに気付いた様子で不思議そうに首をかしげる。

 

 「あれ? ナミは釣りしないの?」

 「今日はパス。気分じゃないし、昼寝でもしようかしら」

 「ふぅん……ねぇ、何かいいことあった?」

 「ん? どうして」

 「だって、なんだかいい顔してる。前よりやさしく見えるよ」

 「そう? 気のせいなんじゃない」

 

 ふわりと笑って肩をすくめる。

 やはり今日のナミはいつもよりきれいで、思わず目が惹きつけられた。

 見ているだけでシルクまで嬉しくなり、彼女へかける声も弾み出す。

 

 「ルフィと話してみて、いいことあったかな」

 「別にぃ。めんどくさい奴ってわかっただけ」

 「ふふ、そっか」

 「あんたも気をつけなさいよ。振り回されてばっかりじゃ疲れるからね」

 

 またナミは歩き出し、村へ入っていく。

 その背を見送ってシルクは嬉しそうにしていた。

 前よりずっと距離が近くなって、もっと親しくなれればいい。それで友達のままか、仲間になれるかはまだわからないものの、今より近くなった方がきっといいに決まってる。

 言葉にはせず心の中で伝えた。

 ナミを見送っていると桟橋の上から声が聞こえて振り返ってみる。

 ルフィとアピスが両手を上げてこちらを見ており、ルフィの手には一匹の魚。中々大きなサイズが釣れている。おかげで二人とリュウ爺は嬉しそうにしていた。

 

 「釣れたぁ~! にっしっし、大漁だな!」

 「シルク~! ナミ~! 一匹釣れたよぉ~!」

 

 声をかけられてすぐにシルクが手を振り始める。ナミはそのまま行ってしまった。

 しかし彼女が密かに笑みを浮かべていたことは、たとえ背中合わせであってもシルクにも伝わっている。彼女の隠された素直さが今ではわかるかのようだった。

 

 

 

 3

 

 いつもと変わらぬ朝が来て、その少年は日の出を見た後に村の入り口に立った。

 腕組みをして堂々とした態度。まだ朝の陽気さに包まれ、緊張感に欠ける辺りを見つめる。

 全くけしからん。この村へ刺激を与えてやろうと思う。

 いつものことではあったとはいえ、少年は大きく息を吸い込むと覚悟を決め、すべての村人へ伝わるように大声を出した。

 

 「おいみんな、大変だぁ! 海賊が来たぞぉ~!」

 

 彼は村の中を走り回って叫ぶ。海賊が来たぞ。

 その言葉に反応した村人は慌てて起き出し、中には気軽に笑う者も居て、やがて家の外へ飛び出してくる者も居た。しかも手に持たれた武器代わりのチリトリは少年へと投げられる。

 足元へ落ちるチリトリを見て、堪えきれない様子で少年は大声で笑い出した。

 

 「ウソだぁ~! わっはっはっはぁ!」

 「こらぁウソップ! てめぇは毎日毎日懲りねぇ野郎だな!」

 

 家から道具を持って出てきた中年の男性が言う。

 他にも何名か武器を手に彼を睨みつけていた。

 これがこの村の風景。嘘つきの少年が朝一につく嘘で村が目覚め、一日が始まる。今やすっかり習慣となってしまっている光景で、好意的に受け取る者も居れば、武器を持ち出すように否定的な態度を持つ者も居る。だがそれらすべて含めて朝の風景だ。

 少年は楽しげに笑い、誰かが走り出すよりも先に自分が駆け出し、逃げ出した。

 

 「今日という今日は許さねぇ! この嘘つき小僧め!」

 「わーっはっはっは、捕まえてみろぉ!」

 

 少年の逃げ足は大人たちでも追い切れず、すぐに皆を置いて村を出て行ってしまう。相変わらず尊敬できるほどの逃げ足。村人たちの追跡はすぐに終わってしまった。

 一見殺伐とした雰囲気を持ちながら、一方でのどかな空気である。

 不思議なのは本気で怒っている者が一人も居ないことだった。

 毎日嘘をつかれているが、誰も本気で彼を嫌っていない。常日頃から普通に挨拶をして、なんでもない世間話をして、朝になれば嘘をつかれて追い回す。そんな奇妙な関係。

 シロップ村の一日は今日もいつも通りだった。

 逃げ出した少年は村の近場、木の上に登って一息ついている。

 朝一番に活気を取り戻した村を眺め、ひどく満足そうな笑顔である。

 

 「ふぅ~、今日もいい仕事をした。退屈なこの村に刺激というスパイスを与えてやったぜ」

 

 木の上で脱力し、少し休んでいると木の下へ子供たちが三人集まってくる。

 彼らは少年を見上げて平然と声をかけた。

 

 「キャプテン・ウソップ、ウソップ海賊団集まりました!」

 「ん? おぉーおまえら来たのか。今日はなんか早くねぇか?」

 「だってキャプテン、今日はいつもと予定違うでしょ」

 「今日はお屋敷に行く時間、早くしたんでしょ? ひつじに見つからないようにって」

 「やべっ、そうだった! 約束があるんだった!」

 

 すっかり失念していたことを教えられ、慌てて少年が木から降りてくる。

 降りてすぐに走り出し、子供たちと向き合うこともなく行ってしまう。それを不満に思ったりはしない。今日は約束があるのだと知っているからだ。

 

 「悪いなおまえら、今日の冒険は後回しだ! おれは用事があるんで行ってくる!」

 「行ってらっしゃーい」

 「おみやげ買ってきてねー」

 「旅行じゃねぇんだよ!? 買えるか!」

 

 振り向き様に大声で叫びつつも、尚も駆けていく。

 辿り着いたのは丘の上にある大きな屋敷だった。村一番の大きな家に、村を見下ろす位置。この村で一番の金持ちが住む家なのは傍から見ても明らかである。

 その屋敷へ到達した少年は、正門から見て西側にある塀に沿って歩いた。

 あらかじめ印をつけていた地点で足を止め、植え込みを前にすると両手を伸ばす。

 事前に植え込みを切り、穴をあけていた。手で引っ張れば四角くくり抜かれた一部分がすぽっと抜けてしまい、屈めば大の大人でも通れるスペースが現れる。そこから庭の中へ潜入し、ちゃんと穴を隠して、彼は誰にも見つからずに屋敷の敷地内へ入った。

 そうしてすぐ傍に見えた窓を軽く小突く。

 小突いた後は勝手知ったる様子で傍の木の根元へ腰を下ろし、座って時を待った。

 やがて窓が開いて一人の少女が顔を出す。

 ふわりと柔らかい笑みで少年を見つけ、嬉しそうに声を弾ませた。

 

 「ウソップさん」

 「よぉ、ちょっと遅れちまったか。悪いな」

 「ううん。ちゃんと来てくれたから気にしてないわ」

 「実は遅れたのには理由があってな。昨日からずっと冒険に出てたもんで」

 「そうなの? どんな冒険?」

 「まぁそう慌てんな。時間はあるからゆっくりな」

 

 佇まいを直して少年が語り出す。

 それは嘘の冒険譚。彼の頭の中で作られ、紡がれ、言葉にして彼女だけに伝えられる物語。

 他の誰もが知らない、彼らだけが知るストーリーだった。

 

 「おれの友達が好物が食いたいって言うもんだから、そいつを探す旅だったんだ。ただここで普通じゃないのはおれの友達でよ、信じられないかもしれねぇけど、ドラゴンなんだ。空想上じゃなく本当に存在してる」

 「それって、あの千年竜みたいな?」

 「そうさ、まさしくその千年竜だよ。友達の千年竜は貝が大好物なんだ。だけど体がでか過ぎるせいで、その辺の貝じゃちっとも腹いっぱいにならない。そこでおれを頼ってきた。一度でいいから、腹がはち切れるほど大きな貝を食ってみたいってな」

 「大きな貝を探す冒険ね」

 「正直言って大変だったね。島を見つけるのは早かったけど、なんせ島みてぇにでっけぇ貝だ。運ぶのがそう簡単じゃなくてよ、おまけに友達はもう歳食っちまって動きたくねぇって言うし、一番時間かかったのはその貝を運ぶことだった」

 「どうやって運んだの?」

 「たまたま近くを巨人の海賊たちが通ったのさ。こいつを持ち帰ったらいっしょに宴をしようって言って手伝ってもらった。千年竜は大満足で、巨人たちとも仲良くなれた」

 「ふふ、そっか。いいお話ですね」

 「でもこれで終わらねぇのがおれの冒険よ。いいか、その島には実は秘密があった。島くらいでっけぇ貝殻の中には、これまた大きな真珠があったんだ」

 「真珠? それも島くらいの大きさ?」

 「もちろんだ。当然おれたちはそれを見て喜んだけど、そんだけでかかったら気付く奴らも当然居て、すぐに横取りしようとする海賊たちがやってきたんだが――」

 

 少年は堂々とホラ話を進め、少女は興味津々にその話を聞き、時折幸せそうに笑う。

 ひどく歪な時間で、奇妙な空間。

 しかしこれが二人にとっての当たり前であって、その後も楽しそうな雰囲気のまま続けられた。

 


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