ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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蘇る伝説

 天へ響く空砲の音を聞き、洞窟へ入る直前ルフィが振り返った。

 合図を覚えているおかげで状況が変わったのだとわかる。自然と柔和な笑みが消えて真剣な表情。体に纏う雰囲気が変わってアピスの表情も変化した。

 海を見ればすでに敵船が見えていて、戻る必要があるのだと理解する。

 最悪の展開。彼もまたそれを理解していたようだ。

 

 「アピス、おまえはリュウ爺のところに行け!」

 「ル、ルフィ……」

 「心配すんな、おれたちがなんとかする」

 

 隣に居たアピスへ笑いかけた直後、走り出した彼は真剣な顔で前を見つめた。

 現在地から船までは真っ直ぐ進めば着ける。山の上に登っていたということもあって自身の船も見えていて、方向音痴だと自称する彼でも迷いはしなかった。

 風のように駆け抜け、身体能力の高さ故か到着は驚くほど早い。

 それでもクルーたちそれぞれの立ち位置からすれば最も遠い場所に居て、船に乗り込んだのは一番最後である。その頃にはすでに全員が船に戻って出航準備中。村の傍に居ては危ない、こちらから迎え撃って沖で戦う。それが事前に決めた唯一の作戦。

 甲板へ戻ったルフィは全員の顔を見渡した。

 キリ、ナミ、ゾロ、シルク。一人も欠けずに揃っている。

 こちらは帆船が一隻にクルーは船長を含めて五名。対する敵は、彼らの船よりも大きな軍艦が目に見えるだけで十隻、その上に乗る海兵は総勢で数百を超えるだろう。彼らが如何に強かろうが、正面から戦って勝てる相手ではなかった。

 それを知りながらもすでに見つかってしまっている。

 逃げ場はなく、体勢を立て直すことさえできない。

 選べる道はたった一つ。リュウ爺を守るためには戦うしかなかった。

 望遠鏡で敵船を見るキリへ歩み寄ったルフィは、無謀を承知か厳しい表情で声をかける。

 

 「キリ、こっちから行くんだろ?」

 「そうするしかなさそうだね。多分連中、島を包囲するつもりだ」

 「じゃあリュウ爺が逃げるのも無理か」

 「倒さない限りはおそらく」

 

 望遠鏡を下ろしたキリは苦笑する。

 かつてこれほどの窮地を感じたのは、仲間を失った戦闘の時くらいの物である。その時でさえ、一隻対一隻で海上で睨み合った。これほどの戦力差は初めてだった。

 心底まずいと思ったのは初めてかもしれない。

 胸騒ぎがする。しかも認めたくないが嫌な感覚だ。

 苦笑はすぐに消えてしまい、キリは真剣な眼差しで遠方の敵船を眺める。

 

 「これは流石に死ぬかなぁ……」

 「んなことねぇ! まだ始まったばっかなのにこんなとこで死ねねぇぞ。おまえがおれを海賊王にするんだろうが」

 「わかってる。ふぅ、やってみるしかないか」

 

 船は動き出して桟橋を離れ始めており、ナミが舵を取って船首の向きが変わりつつある。

 それを知ってキリは全員に聞こえるよう言った。

 

 「狙いは正面の一番装飾がきつい船だ。おそらくあれに指揮官が乗ってる。間違ってなければ第八支部のネルソン・ロイヤル、海戦には滅法強いらしい」

 「それじゃやっぱりこっちが不利なんじゃないかな」

 「だからこそ沈められない内に指揮官をやる必要がある。ボクらが勝てるとすれば、敵将の首を獲って指揮系統を滅茶苦茶にしてやることだけだ」

 

 相当危険な状況なのだと伝わる。すでに全員の顔つきが違っていた。

 これだけ焦りを抱えるキリは見たことがない。当然ではあるのだが、表情が引き締まり、笑みが見えないのが不安にさせた。

 余裕がないところを見るとそれでも勝ち目は薄いと思っているのだろう。

 海の上での戦闘は今までと勝手が違う。

 個人の力ではなく組織としての力だ。上手く船を操った方が勝てる。その上、彼らの船には大砲を操れる狙撃手が居ない。扱い方を知っているキリでさえ、装填と整備の方法を知るだけで、照準の合わせ方や目視で敵との距離を測る力は決して優れていない。

 最悪の状況は、こちらが反撃できないのに敵の攻撃ばかり続く場合。

 今この船には不安要素しか存在していない。あまりにも人数が足りな過ぎる。

 やはりキリの表情は優れなかった。

 

 「さっきと同じだ。ギリギリまで接近して体当たりする。その後ルフィとゾロが敵船へ乗り込んで、ボクらは船が沈まないように努力する」

 「それで勝てんのか?」

 「勝てる確率は、せいぜい十パーセント」

 「低いな……そんなもんか」

 「問題は敵船に接近できるかどうかだ。二人の強さなら協力すれば海兵にだってそう簡単には負けないと思う。だから最悪の場合、この船を捨てる覚悟で敵に突っ込むしかないだろうね」

 「聞けば聞くほど辛くなってくるね。でも逃げるわけにはいかないし……」

 「勝負は多分一瞬で決まる。全員気を緩められないよ。油断したら全員死ぬだけだ」

 

 あっさり告げられた言葉にゾロが唸る。想像以上の低さだった。憂鬱に思ったのかシルクも同じように表情を歪めていて、前方の景色に溜息が漏れそうになる。

 しかしキリの顔を見れば冗談や嘘ではないと気付く。

 落ち込んでいる暇もなければ考える時間だって与えられていない。

 どうやら混じり気無しに窮地に立たされたようだった。

 

 「死ぬ気でやるしかないね。ルフィ、勝てると思う?」

 「勝つ!」

 「だそうだから、みんな頑張るように」

 

 ようやく笑みを取り戻したキリが肩をすくめる。

 確率などもはや口にしていられない。どちらにしろ海賊旗を掲げている限り、相手が海軍ならば勝利以外はすべて悪い結果になるだけだ。

 後ろに退く道はなく、ただ前に進むだけ。

 敵は着実に島を目指して前進を続けてくる。彼らはその敵を目指して進んでいた。

 徐々に距離が詰まっていく中で全員の緊張感が増していく。

 耐え切れないほどの空気に船上が包まれ、舵を握ったまま黙り込んでしまうナミは彼らの顔を確認し、胸の内のざわめきを無視できなくなっている。このまま、全員無事に生きて帰れればいいのだが。募る不安からそんな想いを抱かずにはいられない。

 

 「ボクとルフィの能力なら船の防御ができる。ただし反撃はほぼ砲撃だ。シルク、能力は?」

 「実の名前はわかったよ。カマカマの実の、カマイタチ人間だって」

 「かまいたちか……ロギアに近い能力かな」

 「私もそう思う。あの時、もう使ってたんだよね」

 

 そう答えたシルクは視線を落とした。

 剣の柄を握りしめて見つめる。自分で気付かぬ内に使用した経験があるのだ。

 それを自分の意志で使えるかはわからない。あの時と今では状況が違う。仲間を守りたいという強い気持ちは同じ、だが目の前に剣が通用する敵が居るのと、帆船が居るのではあまりにも違っていた。まさか剣と能力で軍艦を斬れるとも思っていないのだから。

 船を守るくらいならばとは思う。だが使えなければ、仲間たちに危険が及ぶ可能性もある。

 不安を抱えたシルクにキリが言った。

 

 「心配しなくても悪魔の実を食べて弱くなることはまずない。大事なのはイメージと覚悟だ。確固たる意志があればきっと使える」

 「そ、そうかな」

 「能力は鍛えれば鍛えるほど強くなるものだ。土壇場で試すのは案外ありだったかもね」

 「火事場の馬鹿力ってやつ? そうだね、もうやるしかないもんね」

 

 気合いを入れ直したシルクの姿が見れた後、船の後方で舵を握ったナミが告げた。

 

 「あんたたち、そろそろ砲弾が飛んでくる距離よ。数発なら大丈夫だろうけど、こっちも限界があるんだからしっかり守ってよね」

 「任せてナミ。私も船の防御に回る。あの時の感覚が使えれば、きっと砲弾だって斬れるはず」

 

 シルクがゆっくりと剣を抜いた。

 他の者たちも所定の位置につき、戦闘準備は整う。

 ルフィは指を鳴らして敵船を見据え、キリとゾロは大砲の準備をしてその時を待つ。

 

 「こっちから撃って当たるもんなのか?」

 「当たらなくてもいいんだ。威嚇して平静を乱せればそれで十分」

 「乱せなかったら」

 「勢いで突っ込む」

 「ご立派な作戦だな。気が遠くなりそうだぜ」

 

 敵船の並びは少し前と変わっている。

 おそらくは指揮官の船だろう、金色に彩られた鬼を船首の装飾とする軍艦の前に、左右の軍艦が出てきている。狙いを理解して守ろうとしているようだ。これでは接近も難しくなる。

 他の船は一味の船を囲うため、大回りで動いて回り込もうとしている。

 すべてに気を回すのは不可能だ。狙いはあくまで一隻のみ。

 多くの軍艦を無視しようとする彼らはただ一直線に進もうとした。

 そうして見る見るうちに近くなっていって、敵船が先に砲撃を始める。まだ届く射程ではない。それでも開戦とするには十分なタイミングだっただろう。

 

 「来たぞ!」

 

 当たるコースではなかったため、砲弾は海面へ落ちて高く水柱を上げる。

 前方の二隻がわずかに船体を横へ逸らし、一味の船を挟み込もうとするかのように船首の向きを変えていた。船体の横っ腹が見えて、無数の砲門が見えるようになる。

 一斉に砲撃が始められた。

 飛んでくる砲弾は十や二十ではない。

 前方の二隻、さらに距離を開けて彼らを挟んだ二隻からの攻撃で、轟音が連続する。

 すべてが当たる訳ではないが迫力は十分だ。

 防御を担当するルフィとシルクが縁へ駆け寄り、迷わず能力を使用する。

 

 「ゴムゴムの風船!」

 「ええいっ!」

 

 軌道から船に当たると予想した一発を選び、ルフィは空気を吸って腹を膨らませると砲弾を弾き返した。敵船までは届かない、だが船を守ることには成功する。

 同じく、シルクは能力を使用するイメージを持って剣を振っていた。

 必ずできる。自分に強く言い聞かせた結果、確かに風が起こる。

 刀身から放たれたのは視認できない斬撃と言っても相違はなく、横薙ぎに振るわれた軌跡から広範囲に渡って風が走り、数発の砲弾を一斉に切り裂いた。自身の想像を遥かに超える。結果となって現れた彼女の能力は、たった一度で使えると思える物だ。

 砲弾を切り落としたシルクは笑顔を咲かせ、船を守れたことに安堵する。

 

 「やった、使えたっ」

 「やるじゃねぇかシルク! いいぞ、その調子だ!」

 

 嬉しそうに告げたルフィは別の砲弾を蹴り落としつつ彼女へ声をかける。

 その能力、この状況においては特に役立つ。

 攻撃の範囲は広いらしく、それだけでなく鉄製の砲弾を軽やかに切り裂いて見せたのだ。ただの風とは違う圧倒的な攻撃力を持ち、尚且つ風の流れなど視認できる物ではない。

 続けて一撃、振ってみれば、やはり風は刀身から駆け出して宙へと放たれる。

 またも見事にいくつかの砲弾を切り捨てた。

 予想外の頼もしさを心強く思いつつ、少し希望が見えた気がする。二人が必死に動く間にキリとゾロが慌ただしく甲板を走り、並べられた大砲に一つ一つ着火していった。

 

 「ゾロ、狙いなんてどうでもいいからとにかく着火だ! 全部に火をつけるんだ!」

 「今やってる!」

 

 次々に火を点けていき、こちらも連続して砲撃音を響かせる。

 狙いはほとんどつけられていない。放たれた砲弾は敵に当たることなく、数発は届きもせずに海へ落ちた。しかしこれにより攻撃意志はあるのだと伝えることができただろう。近付けば迎え撃つとはわかったはずで、多少なりとも時間稼ぎにはなる。

 ただし今接近されると確実に沈められる。砲撃が威嚇射撃、ただのハッタリであることがバレる前に本船へ接近して指揮官を倒す必要があった。

 幸いにも前方は開けている。

 横へ回り込もうとする二隻が離れたことで、本船が真正面に見えた。

 それだけ包囲が完成しつつあるという事実ではあるものの、もはや待っていられないし、構ってもいられない。玉砕覚悟で突っ込むのが生き残る術だ。

 次々飛んでくる砲弾に気をやきもきさせながら前だけを向く。

 距離があるせいで幸いにもまだ直撃はしていないが、それも時間の問題。

 徐々にでも距離を詰められれば届くようになってしまう。

 その時、ナミが叫んだ。

 

 「キリ、後ろに回られた!」

 

 後方で舵を握るナミの言葉に、素早く反応したキリが船の後部へと走った。

 半ば跳ぶようにして後方へ辿り着き、紙で武器を模り、すでに放たれていた砲弾を見つけると全力で投げつける。硬化した紙は槍の如く宙を駆ける。狙いが正確だったため砲弾と紙が空中で激突し、ギリギリの所で軌道が無理やり変えられた。

 砲弾は海面を打ち、高い水しぶき。

 見れば統率が取れた動きで十隻の軍艦に囲まれており、もはや逃げ場など残されていなかった。

 わかっていたこととはいえあまりにも速い。

 キリは自分たちの数秒後を幻視した気がして、悔しく思いながら歯噛みする。半ば無意識下での行動。それでは負けを認めているようなものだとすぐに頭を振って考えを打ち払った。

 

 「ついに逃げ道が無くなったわね……」

 「このまま真っ直ぐ進むんだ。こうなったら船が壊れてでも前に進むしか――」

 

 船の前方には一つだけサイズが違う軍艦。あそこにさえ辿り着ければ、と思う。

 敵船の動きを警戒しながらキリがちらりと振り返れば、本船がついに動き出していた。

 獅子を模した船首の口から、大砲が飛び出したのである。

 それがまた妙な形をしていて、三門の大砲を一つに纏めたような形。

 不幸にも見覚えがあった。咄嗟にキリは驚愕し、動く前に悲痛な声を発した。

 

 「回転砲……!?」

 

 本船が攻撃態勢に入ったことを確認して、急いでシルクが船の前方へ走った。

 船首の傍に立って剣を構える。

 奇妙な形の大砲は初めて見るが、今ならやれるという自信がある。この力なら仲間を守れるのだ。今度は以前のように負い目を感じずに済む。

 しかし、敵の行動は予想とは違っていて。

 三門の大砲が一発放つごとに回転し、連続で三発の砲弾を発射すると同時、包囲していた軍艦すべてが一斉に砲撃を開始して、その様はもはや砲弾の雨。正面だけを守ればいいという状況ではない。いくつも聞こえた砲撃音に一瞬我を忘れ、シルクの注意が逸れた。

 守らなければ、という意志から気付けば腕を振っていた。だが変化は腕から如実に伝わる。能力は確かに使えたのだがまるでそよ風で、斬撃とは成り得ない微風が放たれた。

 

 「あっ――」

 

 呆然と声を発した直後、船体に無数の砲弾が直撃した。

 守ろうとしたルフィとキリであっても防ぎ切れない。嵐の如く猛威を振るった砲弾の群れがあっという間に帆船を穴だらけにしていき、轟音の次にまた轟音、木材が引き千切られて飛んでいく音が数え切れないほど耳の中に飛び込んできた。

 五人は為す術もなく船の上で伏せる。

 衝撃で揺れる船上では立っていられず、直撃していないのは奇跡だった。

 装填のためか、攻撃が一度止んだ時。

 ほんの数秒で、船はみすぼらしい様子に様変わりしており、浮かんでいるのがやっとの状態。立ち上がった彼らは呆然としていて、どうあっても拭えない絶望感に浸る他なかった。

 

 「ハァ、みんな大丈夫か?」

 「う、うん。なんとか」

 

 一番に口を開いたルフィが全員の顔を見渡せば、浮かない表情ばかり見える。

 士気は明らかに下がっていた。

 あまりに無謀だったと認めざるを得ない。やはり戦力に差があり過ぎた。敵もそう甘くはなく、むしろ思考を読まれて誘い込まれた様子すらある。

 海戦が得意という話、嘘ではない。

 冷酷無慈悲な砲撃はあまりに慣れていた。この分ならば最初の数発は油断を誘うためにわざと外していた可能性も高い。そこまで近付かれた訳ではなく、通常では外れてもおかしくはない距離感で、一発も外さず全弾ぶち込まれたと言ってもおかしくはない状況だ。

 呆然と立ち尽くす彼らはしばし敵船を眺め、何かを言いたくても言葉が出なかった。

 戦力が違い過ぎる。

 これが海の上での戦い。海賊として生きるならば決して逃れられないもの。

 船上が緊迫した空気に包みこまれ、その中でなんとか話せたのはルフィとキリだ。

 

 「もうこの船は動かせない。戦法を変えるべきだ」

 「敵の船まで飛ぼう! それしかねぇだろ!」

 「いや、大砲の数が多過ぎる。この距離からじゃ撃ち落されるのがオチだ」

 「じゃあ、どうすんだ」

 

 焦りを見せながら落ち着こうとし、声を抑えたルフィが問う。その言葉にキリはいつも通りとはできず、すぐには答えを返せなかった。

 思考がぐるぐる回る。

 生き残る方法。勝つ方法。様々なパターンを考えるが焦りが募るばかり。

 何一つとして思い浮かばない。

 そんな彼を見るのは初めてだった。

 苛立った様子で歯を食いしばり、血が滴るほど拳を握りしめ、それでも言葉が出ない。この戦いに勝ち、尚且つ全員が生き残る術が見つからなかったようだ。焦燥は傍から見ても明らかで待つのが辛くなるほど。言葉を出すことが驚くほど難しい。

 緊迫した状況下で時間が静止していると、敵の準備が終わったらしかった。

 再び砲撃の音が聞こえてきて、咄嗟にゾロが鋭く叫んだ。

 

 「伏せろ!」

 

 もはや防御する余裕もなく、全員が一斉に甲板へ伏せた。直後に再び砲弾の雨が船を穿ち、簡単に貫き、また大量の木材が宙を舞った。

 船は大きく揺さぶられ、伏せた彼らの体は為す術もなく転がる。

 その結果、船体が真っ二つに割れて前部と後部に別れてしまって、二手に分断されてしまった。

 ルフィ、キリ、ゾロは船首側で倒れており、後部にはナミとシルクが取り残される。

 いよいよ船が大破してしまって沈没寸前。

 敵にとっては楽勝ムードで、敵を包囲したままとあって余裕綽々の状態。次弾の装填も余裕を持って行われる。言わばこれは戦闘ではなく処刑。敵の死が決まったも同然だった。

 対する彼らの動揺はさらに大きくなり、とても冷静でいられる状況などではなくなる。

 

 「うっ、くっ」

 「おいキリ、おまえ血がっ」

 「大丈夫。ちょっと切っただけだから」

 

 傾いた船体で三人が起き上がった。

 その時、ルフィがキリの額から血が流れていることに気付く。

 どうやら宙を舞った木材で切ったらしい。深手ではないが彼の怪我は初めて見て、髪の一部が赤く濡れてしまい、思いのほか多量に流れて顔の右側が血濡れとなる。

 いよいよルフィは居ても立っても居られなくなってきたようだ。

 彼の仲間が海上で敵と戦い、船ごと海に沈められた話は以前聞いている。そうはさせないと約束したのに、このままでは全員が海の藻屑だ。それだけは認めることができない。

 立ち上がったルフィは敵船を見つめ、怒り心頭といった顔で呟いた。

 

 「あの船潰せばまだ勝てるんだろ。だったらおれが行く。あいつさえ踏み沈めれば……」

 「おい待てよルフィ。ここからあそこまでどんだけ距離があると思ってんだ。どうやって飛ぶかは大体わかるがな、もし届いたとして大砲が全部こっち向いてんだぞ。キリじゃなくても途中で撃ち落とされるなんざ考えりゃわかることだろ」

 「避けるか跳ね返せばいいじゃねぇか! このままだと全員死んじまうんだぞ!」

 「バカが、それができりゃ最初っからやってるだろ! 相手は訓練された軍隊だ、そこら辺の海賊とは違うんだよ!」

 「じゃあ撃たれんの待ってろって言うのかよ! おれはそんなのいやだ!」

 「そうは言ってねぇ! 海に落ちたらおまえは泳げねぇんだ! 少しは考えて――!」

 「二人とも落ち着いて。ここで争っても意味はない」

 

 二人の間にキリが割って入ったことでいがみ合いは一時中断された。しかし今まで言い争いをしたことがない二人の姿だ。この場の緊迫感を感じずにはいられない。

 だからと言って動き出せなかった。

 何をすればいいのか、どうすればいいのかわからず、途方に暮れてしまう。

 空気はますます悪くなるばかり。こうしている間にも、敵はとどめを刺す準備をしているはず。

 一方で後部に隔離された二人もまた、平静を保てる状態ではなかったようである。

 

 「まずいっ。このままだと……!」

 「あ、ちょっとナミ!」

 

 突然駆け出したナミは扉を蹴破り、船内へと赴く。

 壊れて沈みかけているそこは浸水も多く、すでに半ばまでが海中にある様子。

 内部に入るのはあまりにも危険だったがナミは慌てる様子でちっとも気にしない。

 傾いた中で階段を駆け下り、ある一室に辿り着いたナミは外れかけた扉を蹴りつけた。

 そこは今まで手に入れた宝を保管していた一室だった。すでに海水が入り込んで宝は水に浸かっている。本来ならば命の危険さえ感じる光景。閉じ込められれば命はないが、そんなことはお構いなしとばかり、海水に足を踏み入れたナミは全ての宝を持ち出そうとしているようだ。

 慌てて追いかけてきたシルクがその姿を見つけ、反射的にナミの腰へ腕を回し、強く抱き着いて止めようとする。だがナミは必死の形相でやめようとはしない。

 

 「ナミ、危ないよ! この船もうすぐ沈んじゃうから、外に出ないと!」

 「離してよ! 私にはこれが必要なの!」

 「お宝ならまた見つけられるでしょ! だけど今死んじゃったらもう二度と探せないんだよ!」

 

 必死に止めようとするシルクへ向き直って、その肩を掴んだ。

 ナミはかつてないほど必死な表情で叫び、今まで隠し続けた胸の内をさらけ出す。

 

 「私の村を救うためなの! みんなを助けるためにはこれしかないのよ!」

 

 思わぬ言葉と悲痛な声に、シルクの思考は一瞬停止した。

 その直後のこと。

 三度行われた一斉掃射によって更なる砲撃が降り注ぎ、船は完全に崩壊した。

 メインマストが半ばほどからぽっきりと折れて、天辺に掲げられていた旗は衝撃からマストを離れてしまい、風に乗って島の方向へと飛んでいく。やがて麦わら帽子のジョリーロジャーは砂浜へと辿り着き、ふわりと力なく落ちて動かなくなった。

 そこへ、息を切らしたアピスがやってくる。

 一度はリュウ爺の下へ辿り着いたはずの彼女も、友達のことが気になって仕方なかった。

 洞窟内に居たリュウ爺へ少しだけ待つように頼み、慌てて外へ出てみれば砲撃を受けてボロボロになる船。共に食事し、海軍と戦い、嵐を乗り越えた船が無残な姿に変わっている。

 何ができるかもわからずに走り出し、砂浜へ辿り着く頃には轟沈していた。

 呆然と立ち尽くしたアピスは言葉も出ず、震える手で口を押えるのが精いっぱいの動きだ。

 

 「あぁ、そんな……!?」

 

 アピスは砂浜へ落ちた海賊旗を持ち上げる。

 よろめいた足でなんとか歩き、かつて船にあったはずのそれを見ると、凄まじい物悲しさを感じた。初めて見た日はそう遠くないというのに、なぜこれほど愛おしくなるのか。

 ルフィたちがどうなったのかわからない。

 船の状態を見たところ、死んだのかもしれないと思うのも仕方なかった。

 痛いほどに胸が苦しくなる。

 海賊旗を胸に抱きしめ、溢れ出した涙が頬へ伝い落ちる。

 俯いた彼女は絞り出すような声で呟いた。

 

 「助けて……」

 

 誰を助けて欲しいのか、何をして欲しいのかは自分でもわからない。

 ただ彼らに死んで欲しくなくて、込み上げる気持ちを抑えられなかった。

 それを言ってはいけないと知っている。

 だが今この時だけは、堪えきれない。

 

 「助けてよ、リュウ爺ッ‼」

 

 自分が助けたいと思っていたその名を、感情のままに大声で叫ぶ。

 直後、懐かしさを感じるあの力強い咆哮が、島中へと響き渡ったのだ。

 


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