ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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出逢い

 船に残ったキリとゾロは船の修繕を行っていた。壊れた柵や壁に板を打ち付けるだけの応急処置。見栄えは良くないが壊れたままでいるよりかは遥かにマシだろう。と言っても作業しているのはほとんどキリだけで、ゾロは彼に板を渡すだけで大したことはしていなかった。

 作業はのんびり進められて急いでいない。

 それでいて二人は気楽に会話していた。

 

 「おまえはいいのか? あいつをほっといて」

 「ん?」

 「ルフィのことだ。ずいぶん好き勝手にやってるだろ。おまえが面倒見るかと思ってたが」

 「見てるよ、ちゃんと」

 「今回のもあいつが勝手に決めただろ。止めなくていいのか」

 「別にいいんじゃない? 悪いことしてるわけじゃないし」

 「そりゃあそうだけどよ」

 「冒険に寄り道はつきものだよ。グランドライン以外にも広い世界があるんだ。時間をかけて一つずつ見ていくのも成長のための材料だと思ってさ」

 「フン。鉄も斬れねぇおれに強くなれってか?」

 「そんな当てつけみたいには言わないけど、戦闘は一つでも多い方がいいでしょ」

 

 不満そうに唇を尖らせるゾロだったが、否定はしない。強くなるためならば望むところだった。

 目指すのはあくまで世界最強の剣豪。

 こんなところで躓いている場合ではなく、できる事ならば強者との戦いで己の腕を高めたい。自分がいまだ未熟であるとは理解している。おそらくキリとやり合ってすんなり勝つのは無理だろう。それさえできないのならば世界一など夢のまた夢だ。

 次の板を渡して、作業を続けるキリを見る。

 グランドラインの敗北者。以前自身をそう表現していた。

 そこが一体どんな場所か、今のところ知るのは彼一人しか居ない。

 恐怖心より先に興味が沸いてきてゾロが尋ねた。いずれ自分たちも目指す世界最強の海。そこには自身が目指す世界一の大剣豪も居るはずだ。

 

 「グランドラインに居る奴は強いのか」

 「うーん、人によるかな。今のゾロより弱い人も居れば、ボクら全員が束になっても勝てない人も居る。一概には言えない感じじゃない?」

 「いまいちピンと来ねぇな」

 「例えば、ゾロが目指してる世界一の大剣豪。今のボクら四人で挑みかかったとして、多分得物を抜かせることもできないね。こっちから触れることもできずに斬られて終わりだよ」

 「見たことあんのか、本人」

 「ないけど」

 「ねぇのかよ」

 「でも同格の人間なら見たことあるよ」

 

 眉を動かすゾロへ振り返って、目を合わせたキリが笑う。

 得意げにも見えるが普段と変わらぬ表情。そういえば常々余裕を称えていたと再認識する。

 

 「現世界一の大剣豪は“王下七武海”の一角、鷹の目のミホーク。当然その名前は知ってるよね」

 「まぁな」

 「じゃあ七武海については?」

 「聞いたことはあるが詳しくは知らねぇな。なんなんだそりゃ?」

 「そういうタイプだと思ったよ。ルフィに聞いても知らなかったし」

 「あいつと同じに考えんじゃねぇよ。あそこまで能天気じゃねぇ」

 「そう? 案外似てると思うけど」

 

 再び壊れた壁に板を打ち付け始める。トントン、と釘を打つ音がリズムよく奏でられた。

 

 「七武海っていうのは、世界政府に認められた七人の海賊。彼らが行う略奪行為は政府によって認められる。ただし略奪品の何割かは政府に渡さなきゃいけないから、政府の狗だって罵倒する人も居る。正直ボクはそんな風に思わないけどね」

 「どういう意味だ?」

 「海賊やるような人間が望んで政府の下につく訳ないでしょ。七武海になった段階で懸賞金は撤回だし、恩恵を利用して悪事を働く気なのさ。もちろん政府にバレないように」

 「……鷹の目は海賊なのか? おれァそんな話聞いたことねぇが」

 「微妙なとこだね。ボクも加入した経緯は知らないし。気になるなら本人に聞けば?」

 「いつ会えるかわかったもんじゃねぇだろ。それともおまえどこに居るか知ってんのか」

 「いや知らない。って言うか話逸れたね」

 

 七武海に関して話していたのだったと話を元に戻す。

 流石グランドラインを航海していただけあってか、彼はその手の話に詳しいらしい。というよりも七武海の名は全世界へ轟いており、この場合知らないゾロが異質と言える。

 興味があるのは“鷹の目”と呼ばれた男だけ。

 そうは言っても一応この場は真剣に話を聞いていた。

 今は以前と状況が違う。一人で旅をしている訳ではなく、ただ大剣豪を倒して最強の名を奪うだけの旅ではなくなった。海賊の自覚を持って、それ以外の勢力にも目を向けようとしている。

 

 「七武海は有事の際に政府側の味方をする存在で、加入に必要なのは強さと知名度。今となっては全員世界中に名が知れてるよ」

 「で、そいつら全員おれたちより上か」

 「もちろん。加入した時期は様々。その時の懸賞金も一億を超えてない人間も居たけど、もう何年も席を離れてない人間が多い。今懸賞金をかけるなら全員五億はくだらないんじゃないかな」

 「五億……一人仕留めりゃ五億か」

 「あくまでボクの勝手な予想だけどね。それくらい強い」

 「今のおれが鷹の目と戦って、結果はどう予想する」

 「勝てる確率はゼロだね。向こうが手を抜いてれば多少遊んでもらえるんじゃないかな」

 「もし、最初から本気だったら」

 「一瞬で上半身と下半身がさよならして終わり。二秒あれば終わるんじゃない?」

 

 修理しながら、あっさりした口調で、思わずゾロの眉間に皺が寄る。

 己の力量不足は理解している。とはいえそこまで言われるものか。

 流石に受け止めきれない言葉であって、不服そうな態度が色濃くなった。

 

 「ずいぶん言ってくれるじゃねぇか。だが何を根拠にしてんだよ」

 「勘?」

 「まったく、真面目に聞いていいんだかわからねぇ。おまえ、七武海を見たんだろ? そいつはどんな奴だったんだよ。鷹の目より強いのか」

 「どうだろうねぇ。七武海の中でランク付けとかあるのかな」

 「大体でもいいが。つうかおまえが会ったのは誰なんだよ」

 「いいよ、どうせ言っても知らないだろうし」

 「調べることはできるだろ」

 「どうせ昼寝したら忘れてるって。この後寝るんでしょ」

 「てめぇ、久々に言いやがったな。なんならこの場でおまえとやり合ってもいいんだぞ」

 「あはは、それはパス。これ以上船が壊れると直すのが大変だ」

 「チッ……」

 

 板を渡すのをやめてしまい、ゾロはその場で寝転がる。

 頭の後ろで手を組み、すぐに目を閉じてしまった。

 拗ねた訳ではない。彼に言われた言葉をすべて受け止め、冷静に考えるのは目標と自分との距離について。きっと彼は嘘をついていない。野望はまだ遠く彼方、このままでは手を伸ばしても届かない位置にある。キリの言葉があってより一層強く思った。

 果たしていつ手が届くのか。そう思う一方で体が疼く。

 早く挑戦してみたいという欲求と、今すぐに誰でもいいから戦いたいという気持ちが沸いてくる。

 まさしく野獣じみた迫力を滲ませていた。

 相変わらずの気質にキリは苦笑し、自分で次の板を持ち上げる。

 

 「一歩ずつ進んでこうよ。焦ったっていいことないからさ」

 「焦っちゃいねぇ。ただやる気になってるだけだ」

 「それはそれで問題な気はするけど、まぁいいか」

 

 釘を打って板を張り付け、なんとか簡易的な修繕が終わった。

 キリは肩を撫で下ろす。

 壁の穴は塞いだものの直さなければならない場所は他にもある。道具を持ち上げたキリは寝転がるゾロを見下ろし、板を持ってくるよう言って歩き出した。

 

 「ほら、次は柵直すよ。泳げないのが二人居るんだから。おいでゾロ」

 「てめぇ、犬扱いすんじゃねぇよ」

 

 ぶつぶつ文句を言いながらもゾロは板を持ち上げ、後ろから続く。

 階段を下りて以前ルフィたちが壊した場所へと歩み寄り、柵がないそこの前へ座って、しばし考える。あいにく船大工ほどの技術は持ち合わせていない。壁に板を張り付けるだけならそう難しい作業ではいが、壊れた柵を直すのは中々骨が折れそうだった。

 胡坐を掻いたキリは難しい顔を見せる。

 その隣へ立ち、適当に板を置いたゾロが言う。

 

 「今更だが直せんのか。船大工じゃねぇっつったのはおまえだろ」

 「これは流石に難しいかなぁ。そうだ、島の人に直せないか聞いてみようか」

 「むしろ最初からそうしときゃよかったんじゃねぇか?」

 「そうとも言う」

 

 気楽に言ってキリは立ち上がろうとしたが、疲れたように頭を抱えるゾロに気付かず、海を眺めて何かに気付く。妙な波の動きがあった。

 天変地異の類ではない、おそらく大きな何かが泳いでいる。

 途端にそちらが気になって、座ったまま接近してくる物体を注視した。

 

 「何か来るよ」

 「あ? 敵か」

 「敵は泳いで来ないでしょ。野生動物の可能性が高いかな。また珍獣かもね」

 「またか。もうパンダだのたわしのおっさんだのは腹いっぱいだぞ」

 「気持ちはわかるよ。でもグランドラインに行けばあの島も目じゃないくらいの珍獣も――」

 

 近付いて来る姿を見ていたキリが思わず身を乗り出した。

 壊れた柵から前のめりに、海へ落ちかねないかという姿だ。ゾロは何気なくフォローのため、彼の背後へ近付く。

 

 「ゾロ、シロクマがバタフライで泳いでくる」

 「は? クマは泳いでもバタフライはしねぇだろ」

 「でも見てよあれ」

 「……確かにバタフライしてるな」

 「でしょ」

 「ほんとにシロクマか? だとしたらどう考えてもおかしいだろ」

 「でもまぁ、悪い事してるわけじゃないしいいんじゃないかな」

 「前々から思ってたがその判断基準はなんなんだ」

 

 脇目も振らずに船へ接近してきたのは一匹のシロクマであった。

 体長はおよそ三メートル。人間と比べてあまりに大きな個体は船体の傍まで来ると、泳ぐのをやめて船上を見上げる。つぶらな瞳で見上げてくる顔は存外可愛らしく、体の大きさに反して獰猛さや危険性は感じない。ますますキリが身を乗り出して彼を見下ろし、視線を合わせた。

 襲ってくる様子はない。大人しい動物のようだ。

 危機感もなくキリは甲板へ寝そべり、シロクマへ向かって手を伸ばした。

 流石にゾロが表情を変えて彼へ忠告する。

 

 「おい、気をつけろよ。無暗に触ろうとすんな」

 「大丈夫じゃない? 可愛い顔してるよ」

 「大体なんで真っ直ぐここに向かってきた。明らかに怪しいだろ。しかもこいつ、最初からおまえしか見てなかったぞ」

 「そりゃゾロは顔が怖いからさ、目を合わせたら食われるって思ったんでしょ」

 「こいつ、まずおまえを喰ってやろうか……」

 

 額に青筋を立ててゾロが唸るものの、全く意に介さずキリはシロクマを見ている。

 巧みな様子で立ち泳ぎをし、その場から動くことなく、奇妙な様子ながらじっとキリの顔を見つめていた。どう見ても怪しい。あまりにも目的がはっきりし過ぎている。

 ゾロは密かに刀へ手を伸ばしていた。

 まだ敵と決まった訳ではないが、この雰囲気ではそうなってもおかしくないとの判断だ。

 普段は頭も回るキリだが時折抜けている部分がある。相手が動物だというだけで全く警戒していないのだろう。そのせいか状況の奇妙さに気付いていない。

 鼻先を撫でようと手を伸ばして、やがて右の前脚を上げたシロクマに触れる。

 

 「ほら、握手できた。大丈夫、安全だって」

 「この状況でそう言えるおまえはどうなってんだ」

 「人懐っこいみたいだし寂しかったんじゃないかな。まぁそうでなくても別に危険は――」

 

 そう言っている最中から、腕を引っ張られたキリの体が船を離れる。

 あっと思った一瞬。ゾロは咄嗟に手を伸ばしていた。だが彼を捕まえることは叶わず、シロクマに引っ張られたキリの体は、シロクマと共に海中へと姿を消す。

 バシャンという音を聞いて背筋が凍った。

 彼は能力者だ。海に嫌われ、一生カナヅチになった。

 海に引きずり込まれた今、自分の力で浮上してくることは不可能である。

 何を考えるより先にゾロもまた海へ飛び込もうと足に力を込めた。しかし跳ぶ寸前、再び水しぶきを上げてシロクマが顔を出す。胸の中にはしっかりとキリの体を抱きしめて。

 訳が分からず動きが止まる。

 なぜかシロクマはキリの体を大事そうに抱えており、溺死させるどころか、溺れないように気をつけて海上へ引き上げている。何度も咳き込む彼は苦しそうだがひとまず呼吸はしていた。それでいてシロクマの奇行は続き、不思議にもキリの髪や首筋に鼻を近付けて匂いを嗅いでいる。

 状況が読み切れず、ゾロは固唾を飲んで見守った。

 そうするとシロクマが視線を上げてゾロを見る。

 直後、言葉を発されるより先にシロクマは脚をバタつかせ、背泳ぎの状態で腹の上にキリを乗せ、抱きしめたまま逃げ出した。

 突然の行動にゾロはさらに驚愕し、大声で叫ぶ。

 

 「はっ!? おいおまえ、ちょっと待てコラァ!」

 

 大声で叫ぶもシロクマは止まらず、虚しくも彼は去ってしまう。キリは誘拐されてしまった。

 立ち尽くすゾロはしばらく状況を理解できずに、遠ざかる姿を見るだけだったようだ。

 その間にキリを連れたシロクマは強靭な脚力により、高速で泳いでどこかを目指す。海水に浸かってしまったキリはぐったりしており、目を開くことさえ辛い状態。少量とはいえ海水を飲んでしまったらしい。体の表面から内臓、細胞の一つ一つまで紙でできた彼にとって水は天敵。しばらくは動けそうにない状況であった。

 目を開ける動きすら億劫で、どこへ連れていかれているのかもわからない。

 そんな状態だが島を離れていることだけは知っていた。

 水に浸っている時間が長い。顔は水上にあるため呼吸はできるが抵抗できず、そうでなくとも体をがっちり抱きしめられて身動きが取れなかった。

 おそらく慣れている。このシロクマは何度もこうして誰かを捕らえたのだろう。

 思考が朦朧とする中で、やがて目的地に到着したのがわかる。

 慣れた様子で一度海中へ潜り、キリの驚愕にも気付かず、勢いよく海面を目指したシロクマは泳いだ勢いを利用し、高く跳び上がった。

 そうして着地したのは一隻の軍艦である。

 怯える事無く堂々と立ったシロクマが見るのは見慣れた顔。

 白い制服に身を包む海兵から注目を浴びている。この場は海軍の軍艦だった。

 シロクマはそっとキリの体を床へ横たえる。

 つま先から髪の先まで濡れ、呼吸は荒く、ぐったりした姿で動かない。だが死んでいないのは明白だ。苦しげな表情と、必死で目を開けようとする様から存命は確認できる。

 周囲に居るのが海兵だと気付き始める頃に、数名の海兵たちが傍へやってきた。

 

 「ドニーが戻ったぞ。誰か連れてる。また海賊か?」

 「誰かこいつの顔を手配書で見たか」

 「いや、見覚えはないが……」

 

 三人の海兵が口々に話していると、彼らより階級が上、少尉が歩み寄ってくる。

 気付いて振り返った三人が慌てて敬礼し、少尉は倒れたキリを見つめる。

 

 「ドニーが海賊を捕らえてきたか。いつもながら見事な手腕だ」

 「はっ。しかし奇妙なことがありまして」

 「なんだ?」

 「この男、手配書で見たことがない顔なんです。少尉殿はご存知でしょうか」

 「ふむ……」

 

 改めてまじまじと見てみる。

 言われてみれば確かに見覚えのない顔だ。

 特徴的な髪の色とまだ幼さを残す若々しい少年。懸賞金がつけば話題になってもおかしくはないだろう。これで覚えていないのなら手配書が出ていない可能性がある。

 まさか海賊でない人間を捕まえてしまったのかと、動揺が走った。キリが衰弱しているのは明らか。これでもし海賊でない者を溺れさせたとなれば、海軍の信用に関わる。

 厳しい顔を見せる海兵たちに対して、少尉はわずかに頷く。

 

 「なるほど。確かに見覚えのない顔だ」

 「ドニーが間違えてしまったのではないでしょうか。誰かと間違えたとか」

 「それはないだろう。ドニーは我々よりよほど長く海賊たちと戦っている。覚えた海賊の顔は一度も間違えたことがないという話だ」

 「しかし彼の件については……」

 「確かに疑問は残る。仕方ない、大佐に尋ねてみるとしよう」

 

 シロクマのドニーは倒れたキリの隣へ寝そべり、何やら愛着がある様子でその体に触れる。普段滅多に人へ懐かない彼が、初めて誰かに甘えている姿を見せた。これには甲板の上に広がる動揺も止められない。見覚えのない顔だというのに事情がありそうだと感じさせる。

 疑念を強めた少尉が振り返って歩き出す。

 向かうのは船室の一つ、船の最高責任者が持つ部屋。

 ノックをしてから返事を待ち、声が聞こえた後に室内へと入った。

 

 「ウェンディ大佐。少しお耳に入れたいことが」

 「無理よ。大道芸人じゃないんだから」

 「真面目に聞いてください。何も物を耳に入れようという意味ではありません」

 

 幅広の机の向こうに座っていたのは若い女性だった。

 少し青みがかった黒髪がセミロングの長さ。紺色のスーツに身を包み、肩には白いコート。背中に正義の二文字を掲げる海軍特有のコートである。

 何やら気だるげな態度を見せる彼女はこの船で最も高い位にある人物。

 海軍本部大佐、並びに海軍監査役である。

 非常に整った容姿を持つ麗人でありながら、今日はあまり機嫌が良くない様子。唇を尖らせつつ本を読んでおり、不平不満を抱えた姿は分かり易く、ページから目線を上げようとしない。そんな上官に少尉は溜息をつき、またかと頭を振った。

 こうした状況はそう珍しくない。

 理由は単純。ただ単に彼女が長旅を嫌うせいであった。

 

 「私、海軍に向いてないみたい」

 「今更そんなこと言い出しますか。大佐にまでなっておいて」

 「どうせおじいちゃんのコネよ。有名人だからってだけでしょ」

 「別にあなたが利用した訳ではないでしょうに」

 「でもお偉いさんはそのつもりなんでしょう? 面倒な話だわ、おじいちゃんはおじいちゃんで、私は私。どうしてわざわざ同じ役職に就かなきゃいけないのかしら」

 「あなたに向いているからです。それ以外に理由はありませんとも」

 「あーあ、支部の基地長になりたい。そうしたらこんな遠いところまで来なくて済むのに」

 「海軍内部の不正を正すために必要な部署です。良いお仕事だと思いますよ」

 

 ふぅーっと分かり易く息を吐き出して、机に本を置いたウェンディは背もたれに体重を預けた。

 海軍へ入隊したのは自らの意志。実のところ、監査役の地位を嫌っている訳ではない。

 気に入らないのは長期間の航海だ。本来、グランドラインの方々を飛び回って海軍内部の不正を調査する彼女が、四つの海へ赴くことなどそうあり得ることではない。しかしなんでも、今回だけは特別だとの言葉があってウェンディが動くこととなったのだ。

 監査役ならば他にも居るだろうに、なぜ自分なのか。

 そんな不満はありありと見え、彼女を傍で支える少尉は今日も頭を悩ませる。

 ともすれば吐き出しそうになる溜息を飲み込み、苦心しつつも真剣な顔で言う他なかった。

 

 「ドニーの件で確かめて欲しいことがあります」

 「なぁに? また海賊でも捕まえてきた?」

 「いえ、今回は様子が違うようで……手配書にない人間を連れてきたようです」

 

 その言葉にウェンディの表情がわずかに変わる。

 背もたれに寄りかかってだらしなかったはずの姿勢は変わり、背筋を伸ばして前のめりに。

 信じられない話を聞いたとばかりの驚きの表情だった。

 

 「ドニーが海賊の顔を間違えたの? にわかには信じられないけど」

 「いえ、それが、ただ単に間違えたとも言いにくい状況でして」

 「どういうこと?」

 「見て頂いた方が早いです。一緒に来て頂けますか」

 「わかったわ」

 

 席を立ったウェンディを連れ、少尉が先頭となって甲板まで連れて行く。

 船室を出るとドニーの周囲に人だかりが出来ているのが見えた。皆が連れてこられた人間の顔を確認しているのだろう。普段、そこまでドニーに近付く者は居ないが今日は特別らしい。

 二人が近付くと人垣は割れるように離れて行き、敬礼と共に道が作られる。

 倒れたままのキリと寝そべるドニーを見つけ、ウェンディの眉が動いた。

 いつも通りではない奇怪な光景である。

 そう思いつつ、ウェンディが注視するのは目を閉じるキリの髪の色、それから彼を見る妙にやさしいドニーの目つき。まるで何かを懐かしむような眼ではないか。

 キリの傍でしゃがんで顔をじっくり見つめる。

 どうやら気絶しているらしい。試しに頬へ触れてみても反応はなかった。

 彼女はなぜかそのまま動きを止めた。

 黙り込んでしまうウェンディへ少尉が声をかけるも、反応は決して良い物ではない。

 

 「如何でしょう。我々には見覚えのない顔ですが、ドニーが間違えるはずはないと思いますし」

 「そうね……」

 「とりあえず目が覚めるのを待ちますか。もし間違いであれば、その後謝罪して、彼をどこか近くの町へ送り届けて――」

 「いいえ。手錠を持ってきて」

 

 ウェンディは立ち上がり、きっぱりした口調で言う。

 これには少尉が驚き、言葉の真意をくみ取ることができなかった。

 

 「彼に聞きたいことがあるの。目が覚めたら私の部屋に連れてきて」

 「しかし錠は」

 「間違ってたら謝るわ。だけど私はドニーが間違えるとは思えない。実際に彼を見て余計そう思ったの」

 「手配書にはない顔です。たとえ海賊だったとしても、何をしたかすらわからない」

 「それを調べるのも私たちの仕事でしょう? 逃がさないようにお願いね」

 

 言い切ってウェンディは歩き出し、再び船内へと戻っていく。

 状況を理解できない少尉は何と言っていいかわからず、しばし立ち尽くした。

 彼女にしろ、ドニーにしろ、いつもと何かが違う気がする。そう簡単に気まぐれを起こす性格ではない。これでも理解していたつもりだった。

 よっぽどの理由があるのか、それとも思い付きか。

 どちらともわからず、少尉はキリを大事そうに抱えるドニーを見た。

 やはり、いつもより表情が柔らかい気がする。

 


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