ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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 オリジナル色が強くなります。
 なんせ十五年前くらいのエピソードですし、見たような見てないようなって感じで、設定等々かなりオリジナルで作り変えてます。


ロストアイランド編
“声”を聞く少女


 夕暮れ時になって船は停泊するため、海原の上で足を止めた。

 錨は降ろさず、帆を畳んで波の動きに身を任せる。こうしていれば案外一夜の前に進むのだと言うのはキリで、普通そんなことはしないと発言するナミを気にせず決定していた。長い航海の経験から知ったことらしい。船番さえ立てておけばそう間違った航路に乗ることもないようだ。

 ただ方向音痴なルフィとゾロに任せる訳にはいかず、女性陣にも無理はさせたくない。

 夜番を引き受けると言ったのはキリだった。

 慣れているからの一言。海賊としての経験が最も長い彼が航路を見ると言っていた。

 他の者が代わると言っても態度は頑なで、一人で十分だから大丈夫だと断られたのである。

 仮眠を取りながら時に確認をするだけで十分らしい。航路のみならず、その辺りの采配を知っているのも彼だけだ。強く言われては逆らうこともできなかった。

 船上では休息を取るための準備を始めようとしている。

 キリは夕食のために料理を開始しようとしていたが、それを手伝う直前、シルクは修行中のゾロへと声をかけ、意を決した表情で剣を持っていた。

 

 「ゾロ。私に修行つけてもらえないかな」

 「あぁ?」

 

 上半身裸で鍛錬を行い、汗を流すゾロは逆立ちしたまま彼女を見上げる。

 片手には剣を持って普段と違った表情。

 並々ならぬ決意が見られてゾロは鍛錬を中断し、その場へ座った。

 胡坐を掻いた彼は真剣な顔で尋ねる。

 

 「修行だと」

 「うん。私、もっと強くなりたい。今までずっと独学で剣を学んできたけどゾロの方がずっと強いでしょ? だからゾロに学んだ方が早いと思う」

 「そういうことか……」

 

 ゾロは小さく嘆息した。

 彼女の剣は刃と鞘の両方を使う物。男と比べて腕力に劣るため、斬撃にのみ頼らず、体の柔らかさを利用して敵の攻撃を受け流し、殴打さえ行う。独特だと思っていたがあれで独学なら大した力量だ。相当長い期間鍛えてきたのだろう。それは確かに彼も認めるところだが、しかし修行をつけるとなると話は変わってくる。

 彼ら二人の戦法は違っていて、一日やそこらで変えられる物ではない。

 加えて言えば、シルクは剣士という訳でもない。彼女の戦い方は斬撃よりも回避技術や鞘による殴打、つまりは敵を斬らないことに長けている。言わばゾロの剣技とは真逆に位置するだろう。それを理解できるだけゾロの目も確かな物だがやはり修行は難しく感じる。

 簡単に答えていい局面ではない。

 真剣に考えたからこそゾロは答えを決めかねていた。

 

 「言ってることはわからなくもねぇが、そりゃ難しいんじゃねぇか」

 「どうして」

 「おれとおまえじゃ戦闘が違う。持ってる武器からして違うんだ。おれに教えを乞うたところで望んだ結果になるとは限らねぇぞ」

 「うっ、それはそうかもしれないけど」

 

 その意思は悪い物ではなく、彼女が嫌いな訳でもないが疑念は残る。強くなるためと言って戦法を一から変えるのは得策ではないのだろう。従って彼の表情は優れない。

 ゾロの言葉に対してシルクは負けじと食い下がった。

 

 「じゃあ稽古に付き合ってくれるだけでいいから。実戦形式で戦うだけならいいでしょ?」

 「それなら話はわからねぇわけじゃねぇが……だがな」

 「いいじゃねぇか。やってやれよ」

 

 話している二人を見ていたルフィが言った。

 欄干の上で胡坐を掻いて、食事前だというのにねだってもらったフルーツを食しつつ、いつもの気楽な笑顔。話を聞いていたようで自身の意見を口にする。

 

 「シルクが強くなったらおれたちが助かるだろ。それにおもしろそうじゃねぇか」

 「てめぇ、他人事だと思いやがって」

 「迷惑はかけないようにするから。時間がある時だけ、ね?」

 「ハァ……わかった。気が向けばな」

 

 観念した様子でゾロが溜息をつけば、シルクの表情がパッと明るくなった。

 ルフィと顔を見合わせて笑い、嬉しそうに告げる。

 

 「ありがとうゾロ。ルフィもありがとね」

 「ししし、気にすんな」

 「この船にゃ我が強い奴しか乗ってねぇのか、まったく……」

 「我が強いのは君もでしょ」

 

 頭を抱えて呟いたゾロへ、いつの間にか船室から出てきていたキリが声をかける。

 三人の視線は一斉にそちらへ向いて、どうやら食事の準備のためシルクを探しに来たらしい。できる限り手伝うと言った彼女も料理を学ぶ気だった。その代わり、昨日妙なやる気を見せたルフィを必死に押し留めたばかり。どちらの方が安全かと考えれば確実にシルクだろう。

 キリは彼女だけを呼び、ルフィはその場から動かなかった。

 

 「夕食の準備するよ。シルク、手伝ってくれる?」

 「うん。それじゃゾロ、明日からよろしくね」

 

 二人が船室に行ってしまったことでルフィとゾロだけが取り残される。

 フルーツはすっかり食べ終え、手持無沙汰となったらしい。

 何を言うでもなくルフィはゾロの隣へ腰を下ろした。

 話す事がある訳でもなく、しばし無言の時間が続く。脚を止めた船の上には穏やかな風が走り、和やかな空気が感じ取れる。時には危険な状況がある航海の中の一瞬の静寂。

 頭の後ろで手を組んだルフィは欄干へ背を預け、ふと目を閉じる。

 珍しく静かで大人しい姿だ。

 なぜか困惑してしまうゾロは彼の顔を見やり、気になったため声をかける。

 

 「おまえもおれになんか用か」

 「ん? 別に」

 「それにしちゃ大人しいじゃねぇか。なんかあったように見えるぜ」

 「腹減っちまってよぉ。キリはメシの前だから我慢しろって言うし」

 「バナナ食ってただろ」

 「でも一本だけだ。二本目はだめなんだってよ」

 「あぁもういい……あいつの苦労が少しはわかった」

 

 いつも通りのルフィだった。

 大食漢で興味の大半は食と冒険にのみ向けられ、はしゃいでいる姿が多く見られる彼。今が妙に落ち着いてしまっているものだから物珍しいと感じてしまった。

 思えば、彼と二人で話す場面など初めてかもしれない。

 キリとは珍獣島で少しの時を過ごし、シルクとはオレンジの町へ入った際、二人で歩いた。

 改めて考えてみるとルフィとだけは二人きりの時間を共有した経験が少ない。

 ふとゾロが尋ねてみた。

 

 「そういや一度聞いてみたかったんだが」

 「おう」

 「なんでおれだったんだ?」

 

 気安く聞いてみればルフィは少し考えたようだ。

 なぜ自分を仲間にしたのか、それを聞きたかったのだろう。思いのほかゾロの顔は真剣になっていて、しかしそれを見ずにルフィは何もない空を見上げている。

 唇を尖らせて真面目とは思えぬ顔つきだが、すぐに自分なりの答えが出された。

 

 「わかんねぇけどおまえがよかったんだ」

 「答えになっちゃいねぇだろ」

 「まぁいいじゃねぇか。もう仲間になったんだし」

 「ほんっとに何も考えてねぇようだな。こりゃおれとあいつがしっかりするしかなさそうだ」

 「おう、まかせた」

 「おまえも努力しろよ」

 

 他人任せな言葉を吐いてからから笑うルフィには参った。とはいえ、ゾロも気分を害した様子はないらしく、すぐに表情を変えて反対側の欄干の傍へ立つナミを見る。

 彼女は欄干に肘をつき、海を眺めていた。

 何を考えるのかはあずかり知らぬところだがゾロはまだ信用していない。キリはあやふやな立場で、シルクはおそらく彼女の合流を喜んでいる。そしてルフィもまた喜んでいて、この分ではいずれ本気で仲間にするつもりなのだろう。自分を勧誘した際に大して理由がないのならば、今度もきっと理由はない。冷静に理解すれば頭が痛くなりそうだ。

 ルフィもゾロの様子に気付いて、同じくナミの背を見る。

 彼女自身もきっと信用してはいないだろう。ただこの時の横顔は何かを思案する様子。

 それぞれ違った表情で会話は続いた。

 

 「そんな調子であいつも引き込む気か?」

 「ああ。優秀だって自分で言ってたぞ」

 「てめぇの口からならいくらでも言えるだろ。本当とは限らねぇ」

 「そうか? おれはほんとだと思ったけどなぁ」

 「おまえは人の話を信用し過ぎなんだよ。少しは疑うってことを知れ」

 

 少しと言わず、彼は警戒心が無さ過ぎる。よく言えば純粋なのだが悪く言えば騙され易い。この性質のままではいつか必ずバカを見ることは予想できた。

 腕組みをして考え始めたルフィは、何か閃いたかのように目を輝かせる。

 何を想ってか元気よく立ち上がったかと思えば喜々としてナミの下へ歩き始めたのだ。

 

 「そうだ、あいつに聞けば早いだろ。優秀な航海士かどうか聞いてみようぜ」

 「あぁ? おまえそれ本気で言ってんのか」

 「おーいナミぃ」

 

 止める間もなく気軽に歩き出してしまう。そんなルフィの背を見てゾロは深い溜息をついた。

 やはり、危うい。

 一味の船長としての態度ではないと思えた。彼については面白い男だという認識を持っている。ただその一方、こういう彼だから周囲の人間がしっかりしなければならないに違いない。そういう意味では、偶然とはいえキリを拾えたのは幸運だった。

 今はこの場に居ないキリに代わり、自分がしっかりすべきだとゾロもついていく。

 振り返ったナミの前へ二人が並んだ。ルフィが傍へ立ち、ゾロは少し距離を取って。

 ナミの表情は決して優れていない。

 多少の警戒心を露わに、ルフィの顔へ目をやった。

 

 「何の用?」

 「おまえ優秀な航海士なんだろ?」

 「当然でしょ。航海術に関しては誰にも負ける気はないわ」

 「ほらみろ、優秀だった」

 「おまえは……もういい」

 

 疲れた顔で首を振り、ルフィの会話は聞いてられないとばかりにゾロが口を開く。

 ナミを見つめる目は厳しく、信用していない素振りはわかりやすい。彼女にとってはそちらの方が有難かった。勝気な表情で見つめ返し、何を言われようが構わないといった立ち姿である。

 

 「何考えてやがる。ウチの船長はこうでも、おれは騙されねぇぞ」

 「ずいぶん嫌われちゃったわね。何もしてないのに」

 「仲間になるって言うなら歓迎もしてやったがな、海賊専門の泥棒が手を組もうって言ってきたんなら何か裏があると考えんのが普通だろ。考えねぇこいつがおかしい」

 「そうかもね。でも心配しなくていいわ。あんたたちと居たら稼げそうだし、十分な成果をくれれば何もしない。大人しく船を降りたっていいわよ」

 「ふん……どうだかな」

 

 ゾロの目は微塵も彼女を信用していない。

 それが当然だと思う。出会ったばかりの見ず知らずの人間を船に乗せるなど普通はあり得ない。

 この場合、ルフィの態度が問題なのだ。

 元々海賊など、いつ裏切者が出てくるかわからない非情な集団。それだけに仲間へ目を光らせる者が居て、信頼できる者を仲間にしようとするのが当然だ。

 知らない人間を、ましてや海賊相手に泥棒稼業をしていると公言する人物は特に危険視する相手だろう。それをあっさり乗せてしまったルフィは大物か、或いはバカか。いまだナミも判別できない。ただ彼らの姿を見てみようと思った理由はある。

 どうしても聞きたい事が一つあった。

 それはオレンジの町、町長のブードルから聞かされた言葉。

 ナミの目はのんきな顔のルフィを見つめ、どこか真剣な顔つきで尋ねられた。

 

 「一つ、聞きたいことがあったんだけど」

 「ん? なんだ?」

 「海賊を狩る海賊って、何?」

 

 首をかしげるルフィだったが、思い当たる存在が頭の中にあった。

 シルクが志すといった海賊のことだろう。

 ルフィは笑顔で伝える。

 

 「ああ、ピースメインのことだろ? 昔の海賊は相手が誰でも略奪を繰り返すモーガニアと、そいつらをカモにするピースメインが居たんだ」

 「つまりモーガニアって連中を狩る海賊って意味?」

 「そうだ。シルクは元々港町に住んでて、そこが昔海賊に襲われたらしくてさ。抵抗できない奴らを襲うのが許せねぇからピースメインになりたいんだってよ。おれたちもその話に乗った。だからバギーをぶっ飛ばしたんだ」

 「へぇ……変な奴ら。海賊なのに人助けするんだ」

 「別に人助けじゃねぇよ。おれはシルクの頼みを聞いてやっただけだ」

 「それの何が違うのよ?」

 「海賊はヒーローじゃねぇんだ。だから人助けなんてしないんだぞ。もしおれがバギーをぶっ飛ばしてあの町の奴が喜んでても、おれがバギーをぶっ飛ばしたかっただけで、別に町の人間のためにやったわけじゃねぇ。わかったか?」

 「ええ。ほんと変な奴だってことはね」

 

 呆れた顔でナミが溜息をつく。

 何も考えていない訳ではなくこだわりは持っているようだが、その内容がいまいちわからない。人助けと認識されたくないとは、悪人だと思われたいという意味だろうか。だとしたら子供じみた願望だ。海賊らしさを追求した結果だとしても格好いいとは思えない。

 一方で気になる点もある。

 疑念は晴れたようで、晴れていない気もして。聞きたい事は別にあるのだと自覚した。

 ふとナミの表情に戸惑いが浮かぶ。

 その様子はルフィとゾロの目にもはっきりと映り、一体何を意味する変化なのだろうと思った。気丈に振舞っていたさっきとは明らかに違っている。

 視線を落としつつ、何かを思案しながら、ナミがぽつりと呟く。

 

 「あんたたち、強いのよね」

 「ああ。強ぇぞ」

 「無抵抗の町を襲うような、海賊が嫌いなのよね」

 「うん。だからバギーをぶっ飛ばしたんだ」

 「だったら……だったらもし、私が、そんな海賊を知ってたら――」

 

 思わずといった様子で言いかけた直後、ナミは首を振って言葉を遮った。

 自分の感情を無理やり押し留めたように感じる。二人が違和感を覚えるのも当然だ。

 一転して笑みを浮かべたナミが取り繕うように口を開いた。

 違和感は拭えず、二人は真剣な表情で彼女を見つめる。

 

 「なんでもない。気にしないで」

 「そうか? そう言うならいいけどよ」

 

 嘘だとはすぐに見抜けるがルフィは詰問しない。敢えて泳がせたようだ。

 ナミは再び海へ向け、二人から視線を外す。

 笑みがあるのだが不思議と楽しそうだとは見えず、上機嫌には思えず、無理をしているような印象。彼女のことを深く理解していなくとも変化に気付くのは難しくなかった。

 何かを隠している。そう思うのは不思議ではない。

 会話が途切れたことでルフィが振り返り、ゾロと目を合わせた。

 お互いになんと言っていいのか、生まれてしまった沈黙を破れない。

 そんな一瞬をナミが切り裂いた。海を眺めた彼女は何かを発見したらしく、欄干に手をつき、身を乗り出しながらその何かを見ようとしている。

 遠方から波に流されて漂ってくるのはどうやら小舟のようだった。

 

 「ねぇ、あれ何かしら?」

 「小舟じゃねぇか? だれか乗ってんのかな」

 「だけど誰も居ないようにも見えるけど……」

 「とりあえず引っ張ってみるか」

 

 新たな発見に喜々として欄干へ寄ったルフィが、右腕をぐるぐる回して準備する。

 それを見たゾロは咄嗟に止めようとするが聞き入れられず。

 やはり彼は勝手に腕を伸ばしてしまっていた。

 

 「おいルフィ、いい加減冷静に考えて動けよ――」

 「ふんっ!」

 「って聞いちゃいねぇ」

 

 勢いよく右腕が伸ばされてギリギリで小舟へ到達する。

 強く掴んで力強く引っ張り、徐々に帆船へと引き寄せてくる。

 傍までやってきた小舟の上には、一人の少女が倒れていた。外見から見て年齢は十歳前後。まだ成長期半ばだろう少女が眠っている。或いは気絶していた。

 何やら奇妙な光景に思えてルフィは腕を伸ばして彼女の体を抱え上げた。

 甲板へ連れてきて横たえ、三人で少女を囲って様子を眺める。

 外傷はない。だが年端も行かぬ少女がたった一人で小舟に乗り、眠りこけているのは明らかに異常だ。訳があってのことだろうと推測できた。

 真剣な顔つきを見せる三人は顔を突き合わせて話す。

 

 「気絶してるみたいね。どこの子かしら」

 「それよりあっさり乗せちまう方が問題だろ。おまえはいい加減緊張感を持て」

 「いいじゃねぇか、寝てるし。死にかけてんのかな」

 「変わったところはなさそうだけど、これだけ動かされて気付かないってことは疲れてるみたいね。どことなく顔色も悪い。きっと何かあったのよ」

 「そうだ、キリ呼んで来よう。あいつだったらなんとかしてくれる」

 

 そう言ってルフィはしゃがむのをやめて立ち上がり、船室へと駆け出していく。

 荒々しく扉を開けて足音が遠ざかる中、ゾロはふとナミの顔を確認する。少女を見つめて、そっと頬へ触れる彼女の姿は思いのほかやさしい。悪党だとは思えなかった。

 疑念を込めた視線に気付いたナミが顔を上げる。

 二人の視線が一瞬ぶつかるも、すぐにゾロが顔を下げて視線を外す。

 そうするとむっとした顔でナミが彼へ言った。

 

 「何よ」

 「泥棒って言うからには薄情な奴かと思ってたが、意外にそうでもねぇんだな」

 「フン、ほっといてよ。泥棒やってても私は心まで捨てたつもりはないわ。あんたたち海賊と違ってね」

 「あのなぁ」

 

 じとりとした視線を彼女へぶつけ、ゾロが言う。今の発言に納得していない顔だった。

 

 「おまえが海賊を嫌うのは勝手だがな、そいつとおれたちを一緒くたにすんじゃねぇよ。八つ当たりがしたいだけなら最初っから海賊に関わんねぇことだな」

 「何よ、あんたに命令される筋合いはないわ」

 「だったら今すぐ降りるか? ちょうど小舟は一つある。こいつを連れて町を探しに行ってもいいんだぜ」

 

 少女を指差しながら言えば、ナミの表情が曇る。眉間に皺を寄せて怒りをぶつけていた。しかしそれはゾロも同じ。彼女を信用する気はないと眉間の皺は深くなっている。

 しばし剣呑な空気を醸し出して睨み合っていると、三人分の足音がやってきた。

 キリとシルクを連れてきたルフィが甲板へ現れて倒れた少女へ近付いて来る。

 それを機に二人の睨み合いは終わり、疲弊した様子で眠りこける少女へ注目が集められる。誰とも知らない少女だが一同は助けるための行動を起こし、キリが的確に指示を出し始めた。

 

 

 *

 

 

 少女が目を覚ました時、室内は真っ暗であった。

 見知らぬ場所だと瞬時に判断する。慌てて乗り込んだ小舟でもなければ、以前見た船内、海軍の軍艦でもない。暗い中でも室内の様子が見えて辺りを確認する。

 医務室だろうか。自分はベッドに寝かされて、傍には一人の女性が居た。

 ベッドに上半身を預け、椅子に座ったまま眠りこける金髪の少女。

 知らない顔だ。しかしその寝顔を見ると怖そうな人物とは思わない。

 少女はゆっくり起き出し、そっとベッドを降りる。その際に自分にかけられていた薄い布団を彼女の肩へかけてやり、その後で扉へと歩き出す。

 音を立てないように廊下へ出て、真っ直ぐ歩けばもう一つの扉から甲板へ出られた。

 やはり知らない船。軍艦でもなければ小さな小舟の訳もない。全く知らない場所である。

 少女はどうすべきかと辺りを見回す。

 人気はなく、周囲に危険はなさそうだがいつまでもここに居る訳にはいかない。どうすれば船から降りられるのだろうと思いながら、その先を考える。一刻も早く故郷へ帰らなければならない。だがそうするためには、島がある方角さえわからなかった。

 見知らぬ場所で困り果てた少女は立ち尽くした。問題が山積みで動けそうにない。

 焦りだけを抱えて立っていると、突然声をかけられた。

 

 「あぁ、起きたんだ」

 「ひっ!?」

 「こっちこっち。上だよ」

 

 正体不明の声に従って頭上を見上げれば、メインマストの展望台から顔を覗かせ、手を振る人間が居る。声から男だろうと思われた彼は軽い仕草で飛び降り、上から降ってくる。

 危ない、と思ったのも束の間。

 ふわりと奇妙な動きで軽く着地してしまい、どうやら怪我もない様子。

 少女は目を丸くして驚き、目の前に立った青年を見る。

 月が雲に隠された暗闇の中。それでも彼の姿はわかった。くすんだ色の金髪と、人の良さそうな微笑み。素直に助けてくれたのだろうと安心できる風貌である。

 

 「大丈夫? 君、小舟で漂流してたんだ。その時のこと覚えてる?」

 「あ、うん。助けてくれてありがとう……」

 「心配しなくていいよ。何もする気はない。ただ助けたいだけだから」

 「あの、この船って」

 「パッと見じゃわからないか。海賊船へようこそ、お嬢さん」

 「か、海賊船?」

 

 そう聞かされた少女は思わずメインマストの頂点を見上げ、そこではためく黒い旗を見つける。

 海賊であることを示す印。その存在は知っていた。

 どうやら本当に海賊の船であるらしいと知り、少女は怯え始める。それを当然の反応だとしながらキリは微笑み、危害を加える気はないと両手を広げた。

 

 「大丈夫だよ、襲ったりしないって。幸いそこまで飢えてないから」

 「う、うん……でも、本物の海賊なんでしょ?」

 「一応ね。最近旗揚げしたばっかりのルーキーだけどさ」

 「そうなんだ。よくわかんないけど、危険じゃないんだよね」

 「もちろん。ボクも何度か漂流した経験があるから君の気持ちはわかるんだ。警戒するのも無理ないけど、しばらく休んでいきなよ」

 「そっか……はぁ」

 

 安堵した顔で少女がへたり込む。その場へ力なく座ってしまい、小さく溜息がつかれた。

 キリもしゃがんで目線を合わせて、笑顔を絶やさずに声をかける。

 

 「何か飲む? ずっと寝てたからお腹も空いてるんじゃないかな」

 「うん、ちょっと。でもそこまでしてもらうの悪いよ」

 「気にしなくていいよ。漂流した人は見過ごせないしさ」

 「あなたも助けてもらったの?」

 「最低でも三回はね」

 

 ちょっと待ってて。そう言って歩き出したキリが扉を開けて船室へ入る。

 しばし少女が一人で待つこととなった。

 薄暗い辺りでは光が見えず、ただ星は見えていて、ふとそちらを見上げる。

 薄い雲がゆっくりと動いて月が現れようとしていた。暗かった辺りに月光が降り注ぎ、少しは明るくなる。それだけでは心細さは変わらないものの、さっきよりはマシだろう。

 当初は逃げようかと考えていた少女だがマストを背にして座る。

 少し肌寒い風が吹いていた。少女の小さな体を苛むようで、思わず自分の体を抱きしめる。

 ここはどこなのだろうか。

 すっかり知らない場所に居て、なぜこんなことになったのだろうと思い返してみる。きっかけはそう遠く離れた日ではない。ほんの数日前、島に海軍がやってきた時から始まった。友達を助けたい一心で彼らに対して嘘をつき、協力すると言って船へ乗り込んだ。もちろんそんな気はない。最初から隙を突いて逃げ出す気で、自分から提案した瞬間から常に機を伺っていた。

 心配するのは友達のこと。今頃海軍に見つかっていないのか、ひどく心配だ。

 彼は今動けない。だから少女が守ろうとしたのだが、軍艦から逃げ出してしまった今、あの船が島へ戻って捜索を始めていたとしてもおかしくはなかった。

 見つかっていなければいいが。そう考えるだけで胸の中がもやもやする。

 少女は抱えた膝に顔を埋めた。

 その頃になって声がかけられる。戻って来たキリがコップを一つ、小皿を持って彼女へ差し出していた。水と食べ物を持ってきてくれたようだ。

 顔を上げた少女は彼の微笑みを目にする。

 

 「顔色悪いよ。無理してでも食べた方がいい」

 「……うん」

 

 コップを受け取って水を飲み、それを置くと小皿とフォークを受け取る。

 キリは彼女の隣へ腰を下ろした。

 緊張しながらではあったが少女はゆっくり食べ始めた。表情には不安が色濃く出ており、伝わってくる雰囲気からも元気がない。

 不思議な沈黙が辺りに漂っていて、キリは空を眺めながら待ち、彼女が話し出すのを待った。

 

 「ありがとう」

 「うん?」

 「助けてくれたことと、それからこれも」

 「いいよ、お礼なんて。ウチのクルーが勝手にやっただけだし」

 「海賊、なんだよね」

 「そうだよ。そう見えないかもしれないけどね」

 

 キリが少女の顔へ目を向ける。

 表情は暗い。心を開くにはまだ時間が必要なようだ。

 

 「名前は?」

 「アピス」

 「アピスはどうしてあんな場所に居たの? しかも小舟で」

 「私、海軍から逃げてきて、それで――」

 

 ぐっと唇を噛んで言葉が止められる。

 事情があるのだと瞬時に伝わった。誰にでも言いたくないことはあるだろう。それも今聞いた言葉、海軍が関わっているのなら相当な一件だ。犯罪者の類には見えないが何かに巻き込まれた可能性は高い。逃げてきた、という言葉が非常に引っ掛かる。

 数秒黙った後でアピスはパッと顔を上げた。

 キリの目を覗き込み、必死な様子で言葉を吐き出す。

 

 「私、今すぐ故郷に帰りたいの」

 「故郷?」

 「軍艦島っていう場所。友達が待ってるの。心配だから今すぐ会いたくて……こんなこと頼むの、悪いと思うけど、連れて行ってくれない?」

 「軍艦島か……聞いたことないな」

 

 キリは思案する顔で呟く。

 あいにくイーストブルーの地理には疎い。この手の話ならナミに聞く方が得策だろう。加えて船の航路は船長のルフィが決めるもの。

 今ここで決断できるものではなかっただろうに、敢えてキリは頷いた。

 途端にアピスの顔に笑顔が咲く。

 

 「ほんとっ!?」

 「どうせ今は寄り道の最中なんだ。目的地に行くのは早いし、送り届けるくらい問題ない」

 「ありがとう! もし断られたらどうすればよかったか……」

 「後で船長の決定を仰がなきゃいけないけど、まぁあの人ならオッケーするよ。冒険が好きなんだ。軍艦島ってワードにはまず引っ掛かるだろうね」

 「船長? あなたじゃなくて?」

 「ボクは違うよ。でも船長は悪い人じゃないから心配しなくていい」

 

 食事の手を止めていたアピスは、それを聞くと嬉しそうに手を動かし始めた。

 すっかり表情は柔らかくなっていて、安心しきったかどうかは本人にしかわからないとはいえ、少なくとも痛々しい様子は消えている。子供らしい温かな雰囲気だ。

 食事を終えるのを待ってやり、その間にキリは考える。

 軍艦島。位置を知らない島を探すのは骨が折れそうだ。

 今のところ心配はそれだけ。

 大した問題はないとはいえ数日を使わなければならないかもしれない。

 

 「だけど軍艦島か……まずその島がどこにあるかを調べないと。方角もわからないんじゃ辿り着くはずないし……アピス、どっちに進めばいいかわかる?」

 「ううん。でも大丈夫だよ。聞けばいいんだから」

 「そうだね。じゃあ近くの町に――」

 「そんなことしなくてもいいよ。私が聞くから」

 

 そう言ってアピスは空になった皿を置き、コップに入った水を飲み干す。その勢いのまま立ち上がって欄干へ駆け寄った。

 何をするのだろうと見守りつつ立ち上がると、彼女は辺りを見回している。

 そして何も見つけられないと知るや、海面へ向かって大声を出した。

 

 「おーいっ!」

 

 周囲に変化はない。キリがアピスの隣へ並んだ。

 アピスが見つめる海面へ目をやるとそこにだけ変化がある。ボコボコと水中での呼吸から生まれる泡ぶく。海中の生物が上がってきているらしい。

 眉を顰め、訳も分からず見ているとやがて顔が出てきた。

 浮上してきたのは一匹のイルカだった。

 まさかアピスの声を聞いて上がって来たのか。キリが驚く隣、アピスはさらに声をかける。

 

 「動物たちは島がどこにあるか詳しいんだよ。だから道に迷っても聞けば教えてくれるの。ねぇ、軍艦島はどっち?」

 

 イルカに尋ねれば言葉を理解しているようで、頭を振って一方向を指し示す。

 驚愕したままのキリへ笑顔を向け、アピスの指がそちらを指した。

 

 「あっちだって」

 「あ、ああ……君、動物としゃべれるの?」

 「うん。やっぱり変だよね」

 

 海中へ帰っていくイルカを見送り、自嘲するように笑う。

 

 「私ね、悪魔の実を食べたの。ヒソヒソの実。動物としゃべれるんだ」

 「能力者だったのか……」

 

 アピスの笑顔を見てしばし言葉を失う。

 ヒソヒソの実。能力は動物としゃべれること。

 直接的には戦闘に役立ちそうもない能力だが、考えようによっては非常に厄介な力となる。或いは、海軍はそれを知って彼女を捕まえたのかもしれない。

 そう思考しながら、キリは取り繕うように笑うので精いっぱいだった。

 


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