ベアキングの巨体が半ば蹴るようにして放り投げられた。
敗走して傷だらけになったトランプ海賊団兵士は驚きながらも受け止めようとして、力が足りずに数人が下敷きになる。倒れた彼らは苦しげに声を発し、他の兵士が慌てて駆け寄る。
船長を含む幹部が全員倒されて、さらには容赦なく兵士たちまで痛めつけ、すっかり心を折られたトランプ海賊団は彼らから逃げるべく島を出ようとしていた。
律儀にもそれを見送りに来たルフィたちから逃れるべく、彼らは慌てて行動する。
ルフィたちはそれを冷静に見ていた。
「忘れ物ないように。ほら行った行った」
「なんだ、ゾロが倒しちまったのか」
「作戦が裏目に出たな。まぁ大した奴らじゃなかったが」
「考えてみたらすごいことだよ。これだけの人数で勝ったんだから」
「あなたたちいつもこんなことしてるの? 刺激的な毎日ね」
トランプ海賊団を追いたてるキリの背後で四人が想い想いに話していた。
彼らが慌てて町から去っていくのを見送った後、振り向いたキリはゾロの言葉に反応し、何か言いたげな顔で反論を始める。
「失敗とは言うけどね、警戒してない船長の前まで潜入できたんだからほとんど成功してるよ」
「ありゃ相手がアホだっただけだろ」
「君は失礼なこと言うなぁ」
「ゾロもアホなのにな」
「あ?」
ゾロがルフィとキリを威圧し始めた一方、傍で見ていたボロードとアキースは呆然としていた。
頼んだのは彼らであったが、いざ現場に来てみれば何もしていない。敵と対面した途端にルフィとロビンが一網打尽にしてしまい、子供のアキースは別として、戦えない訳ではないボロードが手を出す暇すらなかった。
偶然の出会いから依頼しただけだがとんでもない連中だ。
彼らは驚きの言葉すら忘れて、事態が終息した今でも驚愕したままだった。
「あいつら、すげぇな……」
「ああ。実際のところ、おれたち何もしてないからな」
引き攣った笑みを浮かべてボロードが言う。だが考えてみれば当初からこうなることを期待して頼んだのだ。結果は望んだ通りのものだった。
これで良かった。そう思うことは間違いではない。
町の人々は歓喜に酔いしれていた。
城に連れて行かれた研究員たちが家に帰ってきて、家族との再会を果たし、さらにトランプ海賊団の支配が終わったことを知った。辛い日々は終わりを告げたのだと抱き合って喜んでいる。
振り向いてその光景を見たボロードは表情を柔らかくした。
笑みにも見え、同時にどこか寂しげにも見える。
「なぁ、アキース」
「ん? なんだよボロード」
「お前に言ってなかったことがある」
「隠し事か? 水くせぇな、おれたちは泥棒兄弟だろ? 隠さずになんでも言えよ」
「そうだな……ようやく言える時が来た」
やけに遠い目をしてるのが気になってアキースは怪訝な顔をする。
ボロードは彼の顔を見ずに、町の方ばかりを気にしていた。
「お前の家族についてだ」
「え……?」
「海でお前を拾った時、小舟にあったのはお前自身と小さな玩具だけだった。調べてみるとそいつはこの島で作られたらしいってことがわかってな」
今耳にした言葉を理解し難いという顔で、アキースの表情は固まっていた。
何かに気付いた様子で肩から提げた鞄に手を突っ込み、件の玩具を取り出す。アキースと名前が彫られたそれは、ネジを巻けば羽が回る小さな風車。改めて確認してみると同じ形の建物が町の中にいくつかある。
全く同じ形の風車を見て、アキースは混乱した。
ボロ―ドは常々言っていた。おれたちは兄弟だと。アキースはその言葉を疑わなかったし、両親を欲したこともなかった。彼の中にある世界は、ボロードが与えてくれたものと、彼と共に見たものが全て。それ以外を望むという考えがなかった。
困惑するアキースとは裏腹にボロードは何かを成し遂げた顔だった。
お互いの気持ちがすれ違ったまま、ボロードは言う。
「きっとここがお前の故郷だ。お前の両親がここに居るかもしれない」
「そんなこと、急に言われても……」
アキースは苦心した様子で、自らの想いを素直に言葉にする。
「両親とか言われても、おれ、会ったこともねぇし……おれの家族はボロードだけだったんだ。なのに今更会ったって」
「黙ってたことは悪かった。だがなアキース、血の繋がった肉親ってのは代わりが居ない。お前には必要なんじゃないかってずっと考えてたんだ」
ボロードはアキースと視線を合わせるようにしゃがむと彼の肩に手を置く。
不安げな顔をする彼に優しく微笑みかけた。
「心配するな。おれたちが泥棒兄弟だってのは変わらない」
「でも……会ってどうしたらいいのか」
「ただ会うだけでいいんだ。それだけでいい」
「……うん」
軽く背中を押されたことで、アキースは一人歩きだす。
喜ぶ人々の間を歩いて両親を探し始めるのだが、見つかるはずがない、と彼は思う。会ったことがない人間を見て気付けるはずがない。赤ん坊の頃から彼はボロードに育てられて、それ以外の家族など居なかったのだ。今更会ったところで、という気持ちも少なからずあった。
唯一の手掛かりは彼が持つ風車の玩具だけ。
それを両手で握りしめ、アキースは不安そうな顔で歩く。
多くの人とすれ違い、顔を見回し、探すも、やはり見つからない。
それはそうだ、と彼は諦めに近い感情を持っていた。
元より必要とはしていない。ボロードが居ればそれでいい。それが彼の本音だった。
どうせ見つからないから。引き返そうかと考えだした時だった。
前方にとある二人組を見つけた。城に連れて行かれた研究員たちのまとめ役だったのだろう、多くの人々に声をかけられ、気遣いを見せている中年の男女が居る。
不意にアキースは足を止めた。
特別な理由があった訳ではないが何となく気になったのだ。
見知らぬ二人をじっと見つめていると、やがて彼らもアキースに気付いた。
不思議そうな顔でまじまじと見つめられる。当然だ。彼は島に住んでいた訳ではなく、彼らの知り合いでもなければ顔見知りでもない。今日初めて出会った。
ただ、不思議と何かが気になって、しばらく視線が外せなかったようだ。
その時不意に、女性が何かに気付いた。
アキースが持っている玩具を見て顔色を変えたのだ。
わなわなと震え、恐る恐る近付いてくる。その様子にアキースはなぜか緊張してしまう。
「それ……ひょっとして」
その女性はアキースの前で立ち止まり、信じられないという顔で彼を見つめる。
「あなた……アキース、なの……?」
「え……? じゃあ――」
呆気にとられていたアキースは思わず呟く。
それは考えるまでもなく自然に出てきた言葉だった。
「かあ、ちゃん……?」
女性が思わず息を呑んだ。
その直後には体が勝手に動き出していた。その場に膝をついてアキースの体を強く抱きしめる。自然と涙が溢れ出て、腕に強く力を込め、二度と離さないと言うかの如く胸の中へ引き寄せる。
アキースは呆然としていた。
実感はなく、自分でもよくわからない、初めての感覚に悩まされている。
ただ、彼女が泣いているのはわかったし、それが決して悲しいから流れている涙ではないと理解できていて、逃げ出そうとはしない。
不思議と嫌な気分ではなかった。
その様子に気付いた二人組の片割れの男性も近付いてきて、驚いた顔を見せた後、その女性と同じようにして二人を纏めて抱きしめる。
離れた場所で見ていたボロードは満足げな顔だった。
いずれこうなる時が来るのではないか。想像していたことが現実になった瞬間だ。
「目的は達成したってことでいいかな?」
背後からかけられた声にボロードが振り向く。
島に上陸した麦わらの一味の五人が並んでいて、キリの問いかけに小さく頷く。
「ああ。ありがとう。お前たちのおかげだ」
「これからどうするの?」
シルクが質問する。
アキースは両親と再会できた。しかし泥棒兄弟として活動していたらしい話は聞いている。二人はこれから離れ離れになるのか、それとも異なる道を選ぶのか。
聞かれたボロードは晴れ晴れとした顔で答えた。
「おれは元々一人だったからな。子守りにも飽きてきたとこだし、また元の生活に戻るだけだ」
「子守り、ねぇ」
「飽きたにしてはずいぶん仲が良さそうだったけれど」
何かを見透かしたようにゾロとロビンが笑みを見せるが、ボロードは取り合わなかった。
これでいい。このために努力した。
彼の決意は揺るがないようだ。
そんなことはどうでもいいと言いたげなルフィが彼に声をかけた。
喜色満面で笑いながらなぜかウキウキした様子だ。
「まだ島は出ねぇんだろ? ならお前も参加してけよ」
「何の話だ?」
「宴だ!」
やけに楽しげに言ってキリに振り返る。町の人々が笑顔になっている様を見て、彼としてはこんな時に宴をしなくてどうする、というのが最優先だったらしい。
呆れたボロードは彼らのやり取りを見ながら何も言えなかった。
「ナミたちも呼んでパーっとやろう。サンジのメシも食いてぇしな」
「ここまでの道のりが長いね。ナミとウソップあたりは文句言いそう」
「それでもみんな居た方が楽しいじゃねぇか。呼びに行こう!」
「オーケー、ボクが行く。君ともう一人は帰ってこれなくなる可能性が高いからね」
一番に走り出しそうだったルフィを片手で止め、自ら役目を引き受けたキリが早速歩きだす。
来る時はトランプ海賊団の兵士に案内をされたがずいぶん時間がかかった。あれをもう一度やり直すのかと考えれば面倒だが、船に残した仲間をないがしろにする方が辛くなる。彼は面倒そうにしながらも一度来た道を引き返していった。
「その代わり準備はよろしく。すぐ戻るから」
「おう! まかせろ!」
キリが去った後でルフィはボロードに向き直った。
にかっと笑って黙ったままだった彼へ言う。
「お前だって時間は欲しいだろ。アキースとしゃべるから」
「あ、あぁ……そうだな」
「出航は明日でいいじゃねぇか。今日はゆっくりしていけ。宴は人が多い方が楽しいんだ」
しばらく呆けていたボロードがようやく肩の力を抜く。
急ぐ理由はない。敢えて言うなら別れが辛くなるという一点が気にかかるが、確かにその前に話す時間が欲しかったところだ。
頷いた彼は宴への参加を了承した。
「そうだな……今日だけだ。お前らは恩人だしな。海賊と宴をするのは今日だけにする」
「よーし野郎どもォ! 宴だー! 準備しろォ!」
ルフィが大声を出したことで町民たちも気付く。宴をするらしいと聞かされて、解放感と喜びから即座に好意的に受け入れられたらしく、反対する者は居なかった。
一気に町中が騒がしくなる。
町民があちこち走り回り、家にある物、城にある物を惜しみなく運び出し、一時の宴を盛大にすべく準備に奔走する。
彼らは支配者などではなく、今日この島に来たただの海賊だ。
それなのにこれほど統制の取れた動き。
驚いたボロードは道の真ん中に突っ立ったまま、皆を動かすルフィを見ていた。
「一体何なんだ、お前らは? ただの海賊じゃなかったのか?」
「れっきとした海賊だよ。自由を愛する船長が居るだけの、ね」
隣に立ったシルクがそう伝えた。
ボロードはその言葉を受け止めながら思案する。
「自由、か……」
彼が知る海賊とは異なる姿。
こんな海賊も居るのかと素直に感心してしまった。
町中を駆け回り、町民を急かしながらも互いに笑顔を向け合う彼は、ちっとも海賊らしく見えないのだが、今まで見たどの海賊よりも自由であったのは確かだ。
*
ブー、ブーと間抜けな音が靴音として廊下に響いていた。
長く薄暗い廊下を歩くのはピエロのような外見の男だ。派手な服装と白衣、相反する二つを組み合わせた上に額にはサングラスがある。一歩進む度に奇妙な足音がして、現れれば気付かないはずはないほど存在感のある人物だった。
Dr.インディゴは広大な一室に入り、すぐに目的の人物を見つけた。
不遜な態度で椅子に座る、海賊大親分の金獅子のシキ。
彼の右腕と言って過言でない立場にあるDr.インディゴは、足音に気付いたシキがこちらに視線を向けると同時に体を動かし始めた。
腕を振り、足を上げ、何かをジェスチャーで伝えたがっているらしい。
「あ?」
「シキの親分」
「普通に喋るんかい!?」
ジェスチャーをやめて声を発した途端、シキが大声を出した。
その直後には二人で肩を並べてポーズを決め、その場に居た部下たちへアピールする。
「ハイッ!」
「え……いやぁ……」
これはもはやお決まりのやり取りであった。
陽気な彼らはいつからだったかお決まりになってしまったこのやり取りを、めんどくさがることもなく毎度毎度必ずやる。見慣れた部下たちが反応に困っていてもだ。
満足したシキは改めて椅子に座り、Dr.インディゴと向き合う。
彼が目の前に現れる時は大抵報告がある時だ。シキは黙って彼の言葉を待つ。
「シキの親分。先日傘下になったトランプ海賊団ですが」
「おう。どうかしたか?」
「負けました」
「え~っ!? もう!?」
「どうやらねじまき島が奪われたみたいです。あと他にもいくつかの海賊団が潰されてます」
「早ぇな! どうなってんだうちの傘下は!」
「やったのは例の海賊たちみたいですよ」
最後の一言を聞いてシキの表情が変化した。
にやりと笑って余裕を見せ、まるで予想していたかのように、さっきまでの間抜けさがまるで感じられない姿でその報告を受け入れる。
「そうか。そりゃ面白い話だな」
「同様の報告が続いてましてね。いかがいたしましょう」
「弱小海賊団がいくつか潰れただけだ。大した損害にはならねぇ。が……何もしねぇってのも相手に悪い。ゲームはまだ始まったばかりだ」
「では、対策を取るので?」
「当然だろう。そうだな……どう遊んでやるか」
言葉通り、まるで遊びを始めるかのように楽しげな笑顔で彼は考えていた。
彼にとって傘下の海賊が敗北する程度のことは痛くも痒くもない。そもそも興味の無い話だ。勝とうが負けようが有象無象などどうでもいい。
ただ今回の一件で確信する。
傘下が増えれば増えるほど世界の情勢は面白くなりそうだ。
「ナワバリ争いか。面白そうだから付き合ってやろう。Dr.インディゴ」
「はい」
「研究は完成の域に達しているはずだな。そろそろ試してみてもいいだろう」
「クリーチャーのことですか? ええ、まぁ、使用できるくらいにはなってますけど、ただ問題なのは一度放てば町は跡形も残らないってことでして」
「それでいい。使え」
シキは迷いもなく告げ、Dr.インディゴは即座に頷いた。
「あのガキどもがどれだけもつか見物だな」
「もし本当にここまで来れたらどうするんです?」
「その時はおれが直々に相手をしてやるまでだ。それと傘下の数は今後も増やしておけ。その方が連中も楽しめるだろう」
「その件に関しては任せてあるので大丈夫でしょう。今も続々と報告は上がってます」
Dr.インディゴが言う通り、金獅子海賊団に次から次に傘下ができるのは、それのみを任務とするスカウトマンが存在したからだ。彼は各所を飛び回り、名の大小を問わずに海賊へ声をかけ、味方に引き込もうと暗躍しているのである。
それは今も変わらなかった。
とある島、白髪で細身の老人は静かな語り口で海賊を誘う。
「君には力がある。自由を勝ち取る力だ。今のままで居たいとは思わないだろう」
彼が語るのは己の主たる金獅子のため。主が世界中の海を支配するためである。
迷いはなく、不可能などとは考えたことがない。
必ず成し遂げる。それ以外の未来はあり得るはずがないと考えていた。
「我々に力を貸せば、必ずや君が望む未来が手に入るだろう。我々のためではない。自らのために戦う気はあるかと聞いているんだ」
故に彼はどんな海賊を前にしても臆することなく言葉を紡ぐ。
するりと心の中へ入り込むように、その語りは恐ろしいほど他人の心を掴んだ。
「自由が欲しくないかね? 何をすべきかはわかっているはずだ……ノコギリのアーロン君」
一筋の光が差し込む狭い部屋の中。
老人と向き合って座る男は暗闇の中で目を光らせる。
その目には以前にも増して強い怒りが、ほの暗い光が灯されていた。