ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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覚悟

 町を襲撃した海賊たちが占拠していたのは、町で一番大きな酒場だ。

 二階建てで広さも周囲の家屋が二つ分。相当数の人間が訪れられるようになっていて、さらに屋上も利用できる造りとなっていた。海賊たちが居たのはその屋上である。

 

 気ままに酒を飲み、メシを喰らい、上機嫌に過ごしていたある時、町人なら誰も近付かないこの場所へ船長に会いたいという輩がやってきた。

 ロープで縛られた男が一人と、彼を連行するかのような女が一人。

 宴を中断して彼ら二人を見る海賊たちは珍しい物を見る目で集中しており、その間を歩く二人は一人の海賊の案内で屋上の一角、豪華な椅子に腰かける船長の前へ通された。

 

 ふんぞり返って座る男はパラソルの下。日差しで作られた影の中で俯いている。

 その前へ辿り着いた時、ナミはルフィの背を強く押して彼を転ばせた。

 為す術もなく転び、しかしゴム人間であるため痛みはない。

 何をするんだと言うより早くナミが声を発していた。

 

 「親分とケンカしたんです。私を仲間にしてくれませんか?」

 

 にっこり笑顔でそう告げられ、周囲で成り行きを見守っていた男たちがざわついた。

 様子がおかしいとは思っていたが一目見ただけでは裏切りとは思っていない。親分をやるから命は助けろということか。状況が理解できたようで周囲の会話も多くなる。

 ナミは周囲の喧騒も気にせず船長のみを見つめていた。

 

 海賊、道化のバギー。手配書に顔が載るほどの有名人だ。潰した町は数知れないとの噂もある。

 間違いなくイーストブルーではトップクラス。

 わかっていたことだが改めて認識すれば体が緊張感に包まれ、冷や汗を流すも、自分を鼓舞する彼女は笑みを絶やさない。自分ならやれる。上手く盗めると言い聞かせてそこから動かなかった。

 やがてバギーが動き出し、パラソルの下から出てくる。

 

 独特の風貌の男だった。一目見ればまず忘れないだろうと思わせる。

 派手な色目の服装に海賊らしい帽子をかぶり、コートを肩にかけ、それだけならばどこにでも居そうなものだが何よりも目につくのは彼の顔。

 多少のメイクすら霞むほどのインパクトが目について仕方ない。

 

 鼻が丸くて赤いのだ。

 まるで付けたかのようなその鼻は手配書で見た通り凄まじい個性を発揮していて、彼をピエロ然とした姿に見せるのは服装より何より、自前の鼻だった。

 

 ナミは緊張して彼の顔を見る。

 噂は耳にしている。その鼻を笑った者は間違いなく殺される、と。

 どうやらコンプレックスを持っているらしく、笑われただけで町を潰したことも多いらしい。

 決して怒らせてはいけない。ひとまず取り入らなければならないと冷静な思考を心がけていた。

 

 「おれの仲間になりたいと、そう言ったのか?」

 「え、ええ。私、お宝に目がないもので、それで」

 「妙な話だなぁ。確かおれから海図を奪ったのはおまえだと言う報告を聞いてるんだが、まさか間違いってわけでもあるまい。一体どういう了見だ?」

 「それは、この男の指示だったんです。私は利用されてただけ。でも今はもう言う通りにする必要もないんです。隙を突いて捕まえましたから」

 「ほう。だから見逃して欲しいと」

 「ええ……」

 

 鋭い目で睨みつけられれば自然と焦りが生まれてきた。

 流石に厳しいか、とは思う。空気の重さが状況の悪さを伝えるようで生きた心地がしない。だが言った限りは嘘を貫き通さなければ。もし転がったままのルフィが何か言っても言い繕えるよう、柔軟な思考が必要だと考える。落ち着こうと密かに呼吸を深くした。

 

 そんな彼女の心中など知らなかっただろうが、バギーは顎に手を当てて頷く。

 威圧感を感じる姿。知らず知らずの内に手を強く握りしめていたらしい。

 重苦しい沈黙が終わって、バギーの顔に笑みが浮かんだ。

 

 「よぉし、いいだろう。おまえを仲間にしてやる」

 「ほんとっ?」

 「ただしおれの仲間になるっつうのに何もなしじゃ信用できねぇな」

 「心配しないで。盗んだ海図はちゃんと返すわ。これはちゃんと――」

 「いいや、そういうことじゃねぇ。それより先にやってもらいてぇことがあるんだが」

 

 困惑するナミから目を離し、部下を見たバギーが声を大きくして言った。

 

 「誰かこいつに剣を貸してやれ。ちゃーんときれいに磨いたやつをなぁ」

 「へい、船長」

 「ちょっと、えっ? 剣?」

 

 近寄って来た男が抜き身のサーベルを差し出し、とりあえずナミは促されるまま柄を握った。

 嫌な予感がする。だが、信用を得るためには逆らってはいけない。

 密かなジレンマに悩んでいるとバギーが確信をついた言葉を放った。

 

 「こいつを殺れ」

 「え?」

 「首をちょん切って楽にしてやれよ。一時とはいえおまえと一緒に居た奴だろう。せめて最期くらいてめぇの手で看取ってやろうとは思わねぇか?」

 

 背を向けたバギーはまた元の位置へ戻り、不遜な態度で椅子に座る。

 ナミの手は震えていた。訳が分からず考えるより先に口が動いてしまう。

 

 「ちょ、ちょっと待って……確かに愛想は尽きたけど、何も殺さなくても」

 「どの道おれの船にはいらねぇんだ。どうせ始末することになる」

 「そんな、だって――」

 「そいつはおれから海図を奪った。つまりおれの宝に手を出そうとしたってことだろ」

 

 何を言っているのかわからない。暴論を振りかざそうとしているだけで、海図を盗んだだけでなぜ宝まで盗むという思考になるのか。

 理解できないナミは反論しようとするのだが、話など通じそうにないと気付く。

 

 これだから海賊は面倒だ。簡単に他人の命を奪おうとし、それでいて自分の物は奪われたくないと言う。子供のわがままよりよっぽど性質が悪くて反吐が出る。

 そう言いたい気持ちをぐっと抑えて、剣を握る手が震えた。

 周囲の海賊たちが止める様子はない。むしろへらへら笑って楽しんでいる節がある。

 

 この場に頼れる人間など居ない。

 自分でなんとかしなければならないのだ。

 

 「盗んだのは私よ。こいつがやったわけじゃない」

 「おぉ? そいつぁおかしいことを言う。おまえがさっき言ったんじゃねぇか、そこで縛られてる親分の指示だったと、私は利用されただけだったとなぁ」

 「それはそうだけど……」

 「だったらそういうことだ。親分なら責任を取らなきゃなぁ。海賊の持ち物に手を出して、タダで帰れると最初から思ってたわけでもあるまい?」

 「でも殺さなくたって」

 「おいおい、ずいぶん庇うじゃねぇか。おまえは何か、愛想尽かせた男に死んで欲しくないとでも言ううのか? 自分から裏切っといてよく言うぜ」

 「殺したいとも思ってないわっ」

 「めんどくせぇ野郎だ。ならおまえも一緒に死ぬか?」

 

 そう言われては何も言えなくなる。ナミが二の句を告げられずにぐっと唇を噛んだ。

 死ぬ訳にはいかない。死んではいけない理由がある。

 何としてもこの場を生き延びなくてはならないのだ。しかしそれでルフィを殺してしまっては、それこそ大嫌いな海賊と同類になってしまう気がして絶対にやりたくない。

 

 前に進めず、後にも退けず、立ち往生。

 戸惑いを露わに動けないナミを見据えて、再びバギーは冷徹に告げた。

 

 「やれ」

 「くっ……!」

 

 やらなければ殺される。だがやってしまえば海賊と同類。

 どちらも選べぬナミは手を震えさせ、それでも剣を捨てられず、ただ歯噛みする。

 そんな緊迫した状況下で、体をもぞもぞ動かし、一人で勝手に起き上がって座ったルフィは彼女を見つめ、口を開いた。

 

 「手が震えてるぞ」

 

 口の端を上げて笑みを湛え、危機的状況にあって余裕を失っていない。

 ナミは彼を見下ろし、なぜ笑えるのかがただ不思議だった。

 

 「中途半端な覚悟で海賊を相手にしようとするからそうなるんだ」

 「覚悟……? 覚悟って何よ、人を簡単に殺してみせること? それが海賊の覚悟?」

 「違う」

 

 力強い眼差しで見つめられて目が離せなくなる。

 

 「自分の命を賭ける覚悟だ」

 

 何も言えなくなって言葉を呑んでしまった。

 ナミが押し黙った途端、ルフィは視線の先を変えてバギーを見る。

 笑みを消して心底不思議そうに、何も恐れずに言葉が吐かれた。

 

 「おいお前」

 「あぁん? 偉そうに呼びやがって。なんだ」

 「変な鼻だな」

 

 瞬間、辺りの空気が凍り付いた。

 バギーに向かって最も言ってはいけない言葉。それが今、あっさり吐かれた。

 海賊たちは血相を変えてしまい、動けなかったナミもそれで我に返る。

 そう言った者たちがどうなったかなどきっと彼は知らない。だから言えてしまうのだ。

 

 確かに言葉を受け取ったはずのバギーはしばらく動かず、だが明らかに額には青筋が浮かんで、肘置きを掴んだ手には必要以上に力が入っていた。

 短い沈黙の後、バギーの口からは明らかに冷ややかな声が発される。

 

 「お前、今ぁ……なんつった?」

 「それってつけてんのか? それとも自分のか?」

 「なんだぁそりゃ……こいつが自前だったらおかしいとでも言いてぇのかよ」

 「うん、おかしい。でもまぁ悪くはねぇんじゃねぇかな、赤っ鼻で」

 「誰が赤っ鼻じゃクラァ‼」

 

 椅子を蹴り倒してバギーが立ち上がった。荒々しく怒りを感じる仕草ですっかりルフィのみに注意が向いている。大股に歩いた彼は至近距離にまで近寄り、顔を寄せてきた。

 

 「てめぇ、とことんふざけた野郎だな。もういいっ、てめぇの処罰は決まった! 市中引きずり回した後で磔にして滅多刺し、その後で首をぶった切ってやる! 誰も手を出すな、こいつはおれが殺してやるッ!」

 「なぁ、悪ぃけどこれほどいてくれねぇかな。おれまだ死にたくねぇんだ」

 「フザけてんのかてめぇは!? 今からてめぇをぶっ殺すっつってんだよ!」

 

 ただでさえ場が混乱しているというのにルフィの一言がさらに火へ油を注ぐ。

 苛立ったバギーはおもむろに足を振り上げ、彼の頭を蹴りつけた。しかしゴム人間に打撃は通用せずダメージは与えられない。

 代わりにふわりと麦わら帽子が頭を離れた。

 

 「ええいっ忌々しい! その口を閉じやがれェ!」

 「きかん」

 

 蹴られた衝撃で帽子が飛び、地面へ落ちた。

 肩で息をするバギーはそれに気付いて視線を移動させる。

 ただ視線を移しただけでルフィはまずいと気付いた。咄嗟に表情が変わる。

 

 「チィ、ムカつく野郎だ。あの帽子を見てるとあいつの顔を思い出すぜ」

 「おい! それには触るなよ!」

 「あぁ?」

 「その帽子はおれの宝だ! 傷つけやがったら絶対許さねぇからな……!」

 

 始めて見せる表情を目にし、怒り心頭だったはずのバギーが笑みを浮かべる。次いで彼を馬鹿にするように大声で笑い始めた。

 笑いながらも帽子へ歩み寄っていく。

 

 「ぎゃーっはっは! 宝だと? 宝ってのは金銀財宝を言うんだ。こんな古臭い帽子が宝? ふざけんのも大概にしろッ!」

 「おい、触んな! それはシャンクスから預かった帽子なんだ!」

 

 落ちた帽子を拾おうとした手が、ぴたりと止まる。

 静止は一瞬。バギーは帽子を拾い上げた。

 最初は踏みつけてやろうかと考えて、ナイフで貫いてやろうかとも考えて、しかし彼の一言でそれを止めた。持ち上げた帽子を右手にルフィへと振り返る。

 表情は驚きを露わにしていて、信じられない物を見る目となっていた。

 

 「シャンクスの帽子だと……? 嘘つくんじゃねぇよ小僧」

 「嘘じゃねぇ、ほんとだ。フーシャ村にいた頃に預かったんだ」

 「あいつの帽子だと。ってことはこりゃあ、まさかロジャー船長の――」

 

 呆然と呟いたバギーは驚愕している様子だ。

 麦わら帽子をじっと見つめて感慨に耽っているらしい。

 奇妙だと感じたルフィは少し落ち着きを取り戻した。

 

 「返せよ、帽子」

 「返せだぁ? 元々こいつが誰のもんか知ってんのかよ」

 「シャンクスだろ。おれはシャンクスから預かったんだ」

 「ケッ、なぁにがシャンクスだ。奴も譲り受けたに過ぎねぇよ」

 

 話についていけない周囲の部下たちやナミを置き去りに、会話は続いていた。

 バギーには帽子を返すつもりがなく、それがルフィの視線を厳しくする。

 

 「いいか、奴とおれは見習い時代同じ船に乗っていた。こいつはその船の船長がかぶってたもんなんだ。つまりてめぇのもんでもなけりゃシャンクスのもんでもねぇ!」

 「でもおれはシャンクスから預かったんだぞ」

 「だぁからそのシャンクスが図々しくも船長の帽子をかぶってやがったんだよ」

 「さっき譲り受けたって言ってたじゃねぇか」

 「うるせぇ! とにかくおれァ昔から奴が気に入らなかった」

 

 目を閉じて昔を懐かしむよう、バギーは語り始めた。

 

 「昔、奴はおれから巨万の富を奪った。敵船から宝の地図を奪ったおれは計画を立て、陸だけでなく海に沈む宝も全て掻き集めようと考えていたんだ。それをあいつが――」

 「せ、船長ォ! 大変です!」

 

 語り始めた矢先に屋内へ続く扉が勢いよく開かれ、一人の男が現れた。

 首を振って全員が確認する。町へ出たはずのモージだ。

 何やら怪我をしていて、同時にひどく慌ててもいるらしい。

 騒がしくやってきた彼はバギーの声を遮って注目を集めた。

 

 「どうしたってんだモージ……今このハデにフザけた野郎に罰を与えようとしてるんだが」

 「そ、そんな場合じゃありません、敵です! おれたちに歯向かう奴が――」

 「はいちょっと失礼」

 

 モージに注意が集まっている間に突然バギーの手から帽子が奪われた。

 どこからやって来たのか、キリが笑顔で帽子をかぶったのである。

 

 「これ傷つけられるとルフィが怒るんだ」

 「あ~っ!キリィ!」

 「そ、そいつです船長! おれとリッチーをやりやがったのは!」

 

 注意は一気にキリの姿へと集まった。

 周囲の喧騒も気にせず彼はルフィへと歩み寄り、傍で見下ろして肩をすくめた。

 何がどうなれば海賊たちに囲まれて縄で縛られ、余裕綽々で座っているのだろう。目を離している間に何があったのか非常に気になった。

 傍で呆然と立っている少女も気になったが、ひとまずはルフィだ。

 

 「ちょっと見ない間に趣味変わったね。一体どういう状況?」

 「ししし、今ちょっと利用されてんだ。縄ほどいてくれ」

 「あぁそう。利用されてて笑える君はすごいと思う」

 「クラァてめぇら! おれ様を無視してくっちゃべってんじゃねぇよ!」

 

 楽しそうに話す二人へバギーが吠えた。

 途端に二人が振り返って同時に見てくる。そうする仕草は幼く、ただの少年にしか見えない。

 一体なんだと思っていた。今日は面倒な連中が続々とやって来る。町全体を支配したはずなのになぜ命令に背く連中がぞろぞろ集まってくるのだ。

 ふつふつと沸き上がる怒りによってバギーの表情はみるみる険しくなっていく。

 

 「てめぇらはなんだ。ここに何しに来やがった」

 「ボクらも海賊だよ。この町から出て行って欲しいと思って」

 「出ていく? バカ言え、なぜおれたちがおまえらの言うことなんざ聞かなきゃいけねぇんだ。ちゃんちゃらおかしくて笑えるぜ! 野郎どもォ、笑っておしまい!」

 

 バギーに従い周囲の海賊たちが大声で笑い出した。腹が捩れるといった様相である。

 いくつもの声が重なる中、ナミは不安げに、それでいて悔しそうな表情で辺りを見る。

 状況はすっかり変わっていた。もはや逃げ出すことは困難だと考えている。彼らが余裕で笑えるのもそれがわかっているから。状況は明らかにバギー一味の有利にある。

 

 気にせずキリが紙を使ってルフィのロープを斬ってやり、拘束が解けた。

 自由を取り戻した彼は嬉しそうに立ち上がる。

 一方で状況はそのまま。敵に囲まれて戦力差も明らかとなっている。三人は海賊たちが武器を手にする光景を目の当たりにすることとなった。

 

 「海賊を名乗るのは勝手だがな、その名にはそれなりの覚悟ってもんが必要なんだ。てめぇらこのバギー様に盾突いて生きて帰れると思ってんのかァ!」

 「ああ、思ってる」

 「ハデにフザけんな麦わらァ! だったら教えてやる……バギー様の恐ろしさを!」

 

 仰々しく腕が振るわれて大声が出された。

 

 「野郎どもォ、バギー玉用意ッ!」

 「へいキャプテン!」

 

 命令されて数名の海賊たちが即座に動き始める。屋上の端に置かれていた大砲が運ばれ、そこへ赤い砲弾が装填された。その砲弾に一味のマークが描かれていたのも確認できる。

 海賊たちは立ち位置を変え、四方を囲んでいたのが一方へ集まり、扉を塞ぐように並ぶ。

 砲口が狙いをつけるのは当然たった三人の少年少女たち。

 時間もかけずに砲撃準備は完了。後は船長の命令を待つだけといった姿である。

 大砲の隣へ立ったバギーは上機嫌に見える笑顔で語り出した。

 

 「おれがこの町をどうやって脅迫したか教えてやろう。たった一発の砲弾だ! このバギー玉は一度放たれればその脅威の爆発によって甚大な被害を与える! こいつを一発放っただけでこの町の一部は消し飛んだ。てめぇらに向けて撃てばどうなるかわかるよなぁ?」

 「多分死ぬだろうね」

 「うん。死ぬと思う」

 「のんきに言ってる場合か!?」

 

 しばらく口を閉ざしていたナミが八つ当たり気味にルフィの頭を叩いた。小気味良い音がするもののダメージはなし。ルフィは全く気にしていなかった。

 今度こそ命の危機を感じずにはいられない状況だ。

 冷や汗を流したナミは手から離れなかった剣をようやく捨て、震えを止めて辺りを見回す。

 

 「どうすんのよ、この状況っ。こんな距離で大砲なんか撃たれたら絶対避けられない!」

 「ルフィ、この人誰?」

 「うちの航海士だ。さっき仲間にした」

 「違う! っていうかそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 

 焦るナミとは対照的に二人は落ち着き払った態度だった。

 そのことに苛立ちを募らせるのはナミだけでなく。怯えていないどころか話を聞いているのかすら定かでない彼らを見てバギーの額に青筋が現れる。もはや我慢の限界。何を言い出そうとも止まる気は持ち合わせなかった。

 

 「てめぇら……まさかの人を舐める天才ですか、この野郎ォ。トサカに来たぞ! 温厚なおれ様ももう勘弁ならねぇ! こうなりゃこの町ごと消し飛ばしてやる!」

 「ほらこうなった!」

 「で、名前は?」

 「ナミっていうんだ。なんか海賊嫌いらしいけどな」

 

 あくまでマイペースを崩さない二人を目にしつつ、再び下される命令。

 バギーの鋭い声が空へ響き渡った。

 

 「バギー玉発射ァ! ガキどもを消し飛ばせェ!」

 

 大砲へ繋がる導火線へ火が点けられる。その動きを確認してキリが腕を振った。

 袖から、パーカーの胸元から無数の紙が飛び出して、風に逆らって飛ぶそれらが素早く大砲の砲口を塞ぐのである。掛かった時間はほんの数秒だった。不思議な光景に多くの者たちが驚き、驚愕の声を上げる中、キリはナミの手を取って扉とは反対側へ駆け出した。即座にルフィも続く。

 

 「な、なんじゃあこりゃあっ!?」

 「ほらこっち」

 「えっ、あっ――」

 

 砲口が塞がれてまずいと思ったのだろう、慌てて数名が剥がしにかかるも強く張り付いて全く剥がれない。手で引っ張ろうが、剣で斬ろうが、妙に硬い紙はちっとも剥がれる気配がないのだ。

 鉄にも等しい硬さを誇るその紙で、砲口を塞がれたままではどうなるのか。

 想像など難しくはなく、おそらく砲弾では破れない。それどころかバギー玉は着弾と同時に爆発するよう作られている。つまり、このままでは砲身の中で着弾だ。

 

 海賊たちの混乱が深まるのは当然だった。

 さらに慌てて紙を剥がそうと手で掴み、剣の切っ先で斬ろうとするのだが全く破れない。

 余裕綽々の態度から一転。冷や汗を流す者がどんどん増えていく。

 

 「バカ野郎っ、何やってやがる! さっさとなんとかしねぇか!」

 「む、無理ですぅ。こいつ硬くて、ちっとも剥がれねぇ!」

 

 バギーが叫ぶものの導火線が短くては時間も残り少なく。

 

 「だったら導火線を切れ! 今すぐ火を消せェ――!」

 

 そう叫んだ瞬間、導火線が無くなって火が着火剤へ届く。

 キリはナミを横抱きにして屋上から飛び、隣ではルフィも勢いよく飛び出していた。

 放たれるはずだった砲弾は砲口を塞がれたことにより、発射と同時に硬い紙の壁に激突することになり、その結果、起爆した末に大砲の中で爆発を起こす。

 

 起こった爆発は凄まじい規模となった。

 大砲どころか酒場自体が轟音と共に爆炎に包まれ、空の色を変えるほどの灼熱が放たれる。

 強烈な熱風を背に受けたキリとルフィは風に押されて軽々吹き飛ばされてしまい、体勢を保つことすら難しい。しかし着地のタイミングは見失わず、ルフィは大量の空気を吸い込んで腹を風船の如く膨らませ、ボインと間抜けな音で地面を跳ね、キリは紙を使って足元にクッションを設け、速度を殺すよう柔らかく着地した。

 

 ずいぶん吹き飛ばされた。振り返ってみれば百メートルはくだらない。

 三人揃ってダメージがないとはいえ、バギー玉の威力は相当な物だと認める光景を確認した。

 吹き飛ばされて廃墟と化した建造物を目にしつつ、キリは抱えたナミの体を下ろす。

 

 「立てる?」

 「あっ、うん……ありがと」

 「いやぁーすんげぇ爆発だったなぁ。死ぬかと思った」

 

 三人並んですっかり崩れ落ちた酒場を見つめる。

 彼らは死んだのだろうか。逃げられたとしても無事では済まないだろう。予想外の威力は確かに町を一つ潰すことも簡単ではなく、自慢するのも頷ける。

 決着はついたのかと考える一方、思った以上に手応えが無さ過ぎた。

 間にナミを挟んで、ルフィがキリへ問う。

 

 「終わったのか?」

 「どうだろう。大半は仕留めただろうけど全員じゃないと思う。手配書で見たけどそこそこ有名な一味みたいだし、数人は立ち上がってくるんじゃない?」

 「んん、おれはそっちの方がいいけどな。今回なんもしてねぇし」

 「じゃあバギーは任せるよ。あの人ならまだ死んでないだろうから」

 

 ほんの一瞬の出来事がまるで夢のようだった。

 いまだ自分が経験した光景が信じられず、平静を取り戻せないナミは信じられないと左右に立つ彼らの顔を見る。なぜそれほど落ち着いているのだろう。まさかこれが日常だと言うのか。そうでなければ不自然なほどの落ち着きや、キリが浮かべる笑みに納得できない。

 

 しばらく落ち着くこともできずにただ突っ立っていた。

 そうしていると爆音を聞きつけたのか、彼らの背後から駆けつけた人物の声が聞こえてくる。

 

 「し、信じられん……」

 

 三人が振り返ると、左からゾロ、見知らぬ老人、シルクの三人が立っている。通りの前方にある酒場の残骸を目にして驚いている様子だ。

 仲間の姿を見つけてルフィは笑顔になった。

 

 「ゾロとシルクも来たのか。これで全員揃ったな」

 「こっちも知らない人が増えてるか」

 「ルフィ、キリ、あれは一体……?」

 「ちょっと目を離した隙にこれだ。おまえらもうちっと大人しくできねぇのかよ」

 

 戸惑いを表すシルクと呆れた顔のゾロが前へ進んできて、ルフィが肩を揺らす。

 そして彼はすぐに敵へ向き直った。

 

 「開戦だ。あいつらぶっ飛ばすぞ」

 

 応っ、と揃った声。

 歩き出したルフィへ続いてキリ、ゾロ、シルクが歩みを進める。

 恐れを抱かず敵へ向かった彼らはナミや町長を置き去りに、決着をつけるため武器を手にした。

 その背を見るナミは言葉を失い、思考する。

 

 こいつらは普通じゃない。

 かくして、一つの町を舞台に海賊同士の決闘が始まろうとしていた。

 


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