「私は、ここに残るわ」
夜の静けさを切り裂くような一言は、強い決意を感じさせる声で伝えられた。
イガラムは息を飲み、ルフィとキリは笑顔で受け止める。
カルーが心配そうな目で見ているものの、ビビは彼の頭を優しく撫で、もう一度目の前に居る二人を見ると穏やかな笑みを見せた。
「本当のことを言うと、もっとあなたたちと一緒にいたい。もっとたくさん冒険してみたい。私の知らない、色んな世界のことを知ってみたい。そう思うの」
一度目を伏せ、言葉を区切って。目を開けて迷いのない意志を窺わせた。
「だけど一緒には行けないわ。私は、この国を――」
小さく息を吸って、内から溢れ出る感情を隠すことなくその言葉を口にする。
「愛しているから」
それは何よりの言葉。彼女を表す上でこれ以上ないほどわかりやすい。
故に止めようとは思わない。
ルフィはにっこり笑って冷静に答えた。
「そっか」
「ええ。それが私の意思……」
言いながらも顔は少し寂しそうで、彼らを見ていた視線は床に落ちる。
カルーも同じだ。これまでの冒険が楽しく、決して忘れられない日々になった。だからこそ離れ難いという想いが拭いきれない。
彼女の背を見つめるイガラムは複雑な心中だった。
ビビの決断は王女として正しいものだろう。しかし彼らとの別れが辛くないはずがない。
何が正しく、何が間違っているのか。
もはや彼自身にも指摘できるものではなくて、彼らが言う通り、ここはビビが自分で選択した道を応援するのがいいに違いない。自然とそう考えていた。
また小さく息を吐いて、ビビが顔を上げた。
二人は彼女を待っているらしく、急かすこともなければ逃げようともしない。
「私、自分がなんとかしなきゃと思ってた。私がこの国を守らなきゃって何度も思ったわ。だけどあなたたちに出会って、本当に救われたの」
胸の前で手を握って、彼女は真摯に仲間たちと向き合った。
「ありがとう。何度言っても足りないくらい、その気持ちでいっぱいなの……」
「いいよ。おれたちは好きでやっただけだ」
ルフィはからりと笑ってあっさり言った。
そんな彼の笑顔につられてビビの肩から力が抜ける。
「私が船を降りても、あなたたちの冒険は続く……」
言ってもいいのだろうかという迷いはあったはずだが、今は迷わなかった。
「こんなことを言うのは勝手かもしれないけど。もし、みんながまたこの国に来た時、いつかまた会えたら……私を仲間と呼んでくれますか?」
「当たり前だ。どこに居たってビビはずっとおれたちの仲間だろ」
そう言われた途端にほっとしたようだ。明らかにビビの表情が柔らかくなった。
身を乗り出したルフィは普段とは違って落ち着いた様子で語る。
「おれたち、この海を一周したらまたこの国に来るからよ。そしたらまた一緒に冒険しよう」
「いいのかな? 海賊王と一国の王女様が一緒に冒険なんて」
「いいに決まってるさ。おれたち仲間だもんな。な、ビビ」
「そうね。ずっとはだめでも、たまには許されるわよね?」
肩をすくめたキリが苦笑する。ちらりとイガラムの方を見ればすぐに彼も気付いて、同じように困った様子で苦笑した。少しは心の余裕ができたらしい。
カルーも嬉しそうな様子で羽を動かし、元気な声を室内に響かせる。
ビビは、ルフィを見つめて言った。
「約束よ。必ず、私を迎えにきて」
「わかった、約束だ。ビビもおれたちのこと忘れんなよ」
「忘れないわ。絶対に……」
静かに、そっと右手を差し出した。小指だけは何かを求めるように伸ばされる。
ルフィも右手を前に出す。
二人の小指は絡められ、再び会う約束とし、穏やかな様子で笑い合う。
いつになるかはわからない、きっと遠い約束。そのいつかを求めて彼らは言葉を交わした。
辛くなんてない。約束したからには、必ず再会することができるのだから。
彼らは仲間だ。
理由なんて作らずとも、彼らの言葉は信じられる。
*
《――私は小さな約束をしました》
ビビ王女のスピーチが続いている。
アルバーナで行われるそれは電伝虫を使い、国中どこに居ても聞けるようになっている。当然港町であるタマリスクでも最大音量のスピーカーで流していた。
彼女は歌うように朗々と言葉を紡ぎ出す。
その声は、言葉は、海に浮かぶ船へも届いていた。
《いつ果たされるとも知れないその約束は、きっと海の中では消えてしまうのでしょう。だけど船は言いました。“また一緒に冒険しよう”と》
甲板に立つ彼らは遠くても聞こえるその声に耳を傾けていた。
《その言葉は私にとって大きな光。暗闇の中を進む道標。私はもう、迷いません》
国に居る人々は今頃どんな顔をしているのか。
知る術はない。だが知らなくていいと思っている。
《私はこの国を、愛しているから》
彼女が居ればこの国は大丈夫だ。
シルクとナミは優しい微笑みを浮かべて顔を見合わせ、サンジは煙草の煙を吐き、突然ウソップが嬉しそうにチョッパーを抱え上げて肩車をすると彼は驚いていた。
「もう大丈夫そうだね」
「ほんと、あの子は強くなった」
「ビビちゃんはきっと良い王女になる。これから今以上に」
「へへっ、そりゃそうだろ。なんたっておれたちの仲間なんだからな」
「わっ……! お、おおっ、そうだ。ビビはおれたちの仲間だもんな」
珍しく笑みを見せたゾロが腕組みをして、黙ったままだった二人に振り返った。
「どうする、船長」
「よし! 出航するぞ! キリ、どっちだ?」
「どっちでも。好きな方に進めばいいさ」
キリに促されたルフィはいつもの調子でメリー号の船首に飛び乗った。
目一杯の笑顔を大海原に向けて、力一杯拳を振り上げる。
「野郎どもォ! 出航だァ!!」
力強い雄叫びを上げて、ゴーイングメリー号は新たな旅路へ漕ぎ出した。