城の外から騒々しい声が聞こえている。
きっと広場の戦いだろう。城までは多少の距離があるとはいえ、数えきれないほど多くの人間が集まって戦っている。命を削って、感情を爆発させながらの激突だ。遠くまで物々しい声が、連続する爆音が、戦いの音が聞こえるのは何ら不思議ではない。
城内のとある一室。
クロコダイルとキリは長い机の端と端に座り、対面していた。
応急処置を受けたキリは体に包帯を巻き、水分も幾分か拭われて、全快とは言わないまでも動く分には支障はない。しかし拘束されている様子は一切なかった。
海楼石の錠もつけられずに座っている。穏やかな顔で俯き、沈黙していた。
対するクロコダイルもまた、口を閉ざして動かない。
外とは違い、静かな時間が続いていたようだ。どちらも焦ることなくそこに身を置き、まるでそれ自体が会話であるかのように、戦いであるかのように、相手を前にして動かない。
その一方でいつまでもそうしていられる訳ではなかった。
クロコダイルが葉巻を銜えて火を点ける。
最初に口火を切ったのはクロコダイルだった。
キリは正面に彼を見据え、全く動じない。
静かな対話はかつてとは異なる様相で始まって、クロコダイルの声が鼓膜を揺らす。
「お前はもう少し頭の切れる男だと思っていた」
感情が見えない声で端的に言う。呆れているのかつまらなそうな、けれどそれだけでは無さそうな態度で、他の人間ならそう思わずともキリはそんな風に受け取った。
クロコダイルは冷静な面持ちで語っている。
初めから感情を持っていないかのような、そんな冷たさが表れていたものの、そうは感じていないキリは冷静に彼の言葉を受け止めていた。
「組織を離れることは、まぁいい。お前が“海賊”に固執しているのはわかっていた。こうして秘密結社の真似事をしている限りはいずれ離れるだろうとも予測できた。それ自体は構わん。問題はその次の行動だ」
怒りではない。近いもので言えば失望だろうか。
キリの目を見たクロコダイルはハッキリと言葉に乗せて伝えた。
「なぜ奴を選んだ。船出したばかりのルーキーを拾うとはお前らしくもない。目的のためなら使える物は何でも使えと、そう言ったはずだぞ。わざわざ使えねぇ人間を選んだ理由は何だ? おれに言わせりゃお前の選択は悪手だ」
「ずいぶん詳しいんだね。嫉妬?」
「まさか。正当な評価を下したまでだ」
「確かに国家転覆を目論む秘密結社のエージェントなら、最初から使える人間を選ぶさ。だけどあの時ボクは海賊になりたいと思った」
苦笑しながら隠さずに答える。
彼は武器を選ぶ時に迷ったりはしない。有効的に使える物を利用する。
剣でも銃でも、たまたまあったフライパンや鍋でも、仲間の親を殺した魚人や、誇りをかけて戦う巨人達。素性が知れない海賊と繋がることにも抵抗はない。感情に左右されることはないし、誰かを言いくるめるだけの技量もあれば胆力もある。
如何なる手段を用いても目的を達成する。その態度は、クロコダイルの下で身に着けた。
グランドラインに戻るならばバロックワークスは避けられない障害だと知っていた。誰も居ない無人島で初めてルフィの誘いに頷いた時から頭の隅にある。
海賊になった当初は喜びのあまり、少々考えが甘くなっていた時もある。
それも軍艦島での敗戦を経験して引き締め直すことができた。
クロコダイルの発言との相違はハッキリしている。
彼を倒すために仲間を選んだ訳ではない。選んだ仲間と一緒に彼を倒すため、必要な物を揃えるべく行動した。二つはそれぞれ似て非なるものである。
バロックワークス構成員としての自分と、海賊としての自分。
生き方は確実に違っていて、たとえかつての上司が否定しても、それを恥じる気はなかった。
「海賊としての生き方ならもっと昔に叩き込まれてる。“自由に生きろ”って。一緒に航海したい仲間を選ぶし、その仲間と生きる方法を考える。考え方の違いだね」
「フン、自由か……お前の船長は頭のイカレた奴だったがな」
「それでも、海賊だったことは間違いないさ」
「結局お前は、この海の生き方を知らねぇガキのままだ」
フーッと葉巻の煙を吐き出す。
思い返すのは幼少期の彼。グランドラインにコテンパンに負かされた愚かなガキを、将来使えるように教育したつもりだったが、どうやら根底にある物までは変えられなかったらしい。
その結果がこれだ。
二人は敵として再会し、今もまだ戦おうとしている。拳ではなく、戦場全てで。
勝敗の条件はこれ以上なく明確である。
国を盗るか、それとも守るか。
どちらかの結果が出た時、それが二人の戦いの決着となる。拳で殴り合う必要などない。
いずれは戦うことになると思っていた。海賊という存在に心を奪われている彼ならいつか再び海賊になる日が来るだろうと。
考えてみれば奇妙な状況である。
グランドラインでの生き方を全て叩き込んだ人間が自らの敵になり、最大の障害になるとは。
「そういうボスこそ、実は上手い生き方なんてできてないんじゃない?」
「アァ?」
「ボクの怪我を治すとこなんてまさにそれだ」
包帯を巻かれた自分の体を見下ろしてくすりと笑う。
仲間など必要ないと語る人間とは思えない態度。指摘されてクロコダイルも眉を動かした。
彼らしくないのか、それとも彼らしいと言うべきなのだろうか。
人となりを深く知っているはずのキリは多くを指摘しようとしない。ただ落ち着いた笑みで彼を見つめて、その一方で恭順しようともしていなかった。
目的はあくまでも勝利。それ以外を欲してはいない。
今この時だけはアラバスタの存続すら忘れ、一人の海賊として望んでいた。
「ガキならガキのままでいい。この体には大事な人にもらったものが詰まってる」
キリはにこやかに笑い、挑発的にクロコダイルへ言った。
「海賊としての生き方ならビロードに学んだ。グランドラインでの生き方はボスに習った。そしてルフィには捨てたはずの夢を掬ってもらった。楽しい海賊生活ももらったしね」
確かに、かつてとは違う。
与えられた命令に従うだけの、退屈そうな顔はそこにない。心から今の生き方を楽しんでいる表情が笑みとして現れ、以前とは違うことを如実に感じさせられた。
「もう手加減はしないって決めたんだ。利用できる物は何でも利用して勝つ。あんたに勝つためなら王女も一国も利用して戦う。敵だって使う。仇だって利用する。誰を足蹴にしても、今度こそ見るって決めたんだ。自分の船長が海賊王になるところを」
「フン……本気で言ってるようだな」
「ただしあくまでも海賊としてだ。御社の社風は退屈でつまらないんで、もっと楽しそうなところで生きるよ。自由と野望がある広い海でね」
「クハハハハ」
初めてクロコダイルが笑った。
キリの顔から目を離さず、彼を認めるように口元を緩める。
それとは対照的に覇気が強まった様子があった。
「一度外へ出した意味はあったようだな。着実に覇気も強まってやがる」
その言葉にキリが訝しむ顔を見せるが、敢えて多くは伝えず、クロコダイルが席を立つ。あっさり彼に背を向けて部屋を出ようとした。
扉の前に立った辺りで足を止める。
改めて彼の方に顔だけを向け、笑みを浮かべて問いかけた。
「お前の望みなら心配せずとも叶う。目の前に居る人間は違うだろうがな」
「へぇ。やっぱりまだ諦めてなかったんだ。もっと早く行動してくれればよかったのに」
「ククク、遅くはない。この国を手に入れた時が開戦の合図だ」
言い残して扉に手をかけた時、クロコダイルの背に声がかけられる。
「ルフィは強いよ。今は敵わなくてもこの戦いの中で必ず勝つ」
「策士ってやつは最悪の事態まで想定して頭を使うもんだぜ。実現不可能な状況を望むのは策とは言わねぇな」
「これはオリジナルさ。譲り受けたものじゃない。策すら超える信頼がある」
「ならその信頼をぶち壊してやるまでだ」
クロコダイルは部屋を出た。その場にキリ一人を残し、拘束もせず、見張りもつけず、簡単に遠ざかって玉座の間へと戻る。
一足先に部屋を出たミス・オールサンデーもそこに居た。
相変わらず拘束されたままのコブラ、チャカ、ペルが座っており、興味も持たずに一瞥した後、コブラに目を向けて冷淡な声をかける。
「案内してもらおうか。プルトンの秘密が眠る場所へ」
「わかった……国民は、助けてもらえるんだな」
「ああ。この国はおれが頂くんでな」
簡潔に言ってミス・オールサンデーを見れば、彼女がコブラを立たせる。
先に二人を歩かせ、後ろからクロコダイルが続いた。
広大な部屋に倒れたチャカとペル、それに見張りのアンラッキーズを残して後にする。
廊下を歩きながらミス・オールサンデーが口を開いた。
キリのことが気になったのだろう。前を向いたまま背後のクロコダイルへ尋ねる。
「彼はいいの? 拘束した覚えはなかったけれど」
「お前が気にする必要はねぇ。どうせもう部屋には居ねぇよ」
「そう。ふふ、やっぱり彼には甘いのね」
「余計なこと言ってんじゃねぇよ。お前は黙って任務を遂行しろ」
「ええ。心得ているわ」
長い廊下を歩く。向かっているのは正面の出入り口ではなく城の裏手にある出口だ。葬祭殿に向かうならばそちらの方が近いらしい。
コブラの案内で裏口を目指し、しばらく黙って歩き続けた。
廊下を終えると広い場所へ出た。そのまま真っ直ぐ進めば裏口である。
いくつもの扉が並び、吹き抜けで二階をも目視できる、少し開けた空間。
そこへ到達した時、クロコダイルが足を止めた。
この場にはない何かを感じ取った。コブラやミス・オールサンデーが気付かなかったものだ。
彼が足を止めたことに気付いて二人も立ち止まる。微笑みを湛えて不思議そうにミス・オールサンデーが振り返るものの、核心的な何かを告げることは無く。
クロコダイルは左手にある窓へ目を向けた。
待つこと、たったの数秒。
豪快に窓をぶち破って飛び込んでくる一人の人間が居た。
騒々しくも勢いよく転がって着地し、帽子を押さえながら素早く立ち上がる。
気合いに満ちた目を正面に向けたルフィは、三人の視線を一身に受け止めていた。
「クロコダイルはどこだァァァ!!」
開口一番、感情的になって叫ぶ。
城の中に木霊したその声は彼らを唖然とさせて時を止める。しかし実情として、状況が読み取れずに呆然としていたのはコブラのみで、ミス・オールサンデーは楽しそうに微笑み、ルフィへ冷ややかな視線を向けるクロコダイルは全く動じていなかった。
Mr.3によってつけられた蝋の手錠を強引に破壊し、無我夢中で到達した場所。
そこで見つけた人間をまじまじと見て、ルフィはピンときた。
「お前……なんかワニっぽいなぁ」
「あらあら。私達はどうします?」
「先に行け。すぐに済む」
「了解」
そうであろうと思いながら確認を取って、ミス・オールサンデーがコブラを歩かせて先にその場を離れる。誰に止められることもなく裏口から外へ出て行った。
その後になって対峙する二人だけの空間になる。
ルフィとクロコダイル、両者が睨み合い、室内の空気は極端に刺々しいものに変わっていた。
「お前がクロコダイルかッ」
「そういうお前は、麦わらのルフィだな」
戦う相手は当初から決まっていた。
今、ようやく自身が倒すべき相手と対峙し、それは両者が待ち望んでいた状況である。
ついにルフィとクロコダイルは一対一の空間で向かい合った。