飛来する野球ボールを目撃して、ナミは唖然と立ち尽くしていた。
「ナミ! 危ない!!」
間一髪のところで横から抱きしめるようにして跳ばれ、直撃は避ける。
人型になったチョッパーの腕の中で、乾いた砂の地面に倒れながら、彼女は頭上を通り抜けたボールの軌道を目で追う。チッチッチッと鳴っていたのはきっと勘違いではない。その音が妙に耳の中に残って、気になって仕方なかった。
そして二人の傍を離れた後、ボールは空中で独りでに大爆発を起こす。
避けられずに直撃していればきっと体がバラバラになっていたに違いない。その威力を確認して背筋に悪寒が走り、青ざめる。
しかし驚いている暇すらないようだった。
「止まっちゃダメだ! 動き続けないと!」
「な、何が起きたのよ!? チョッパー、これって……!」
グイッとチョッパーに腕を引かれ、ナミも動揺しながら立ち上がる。
「あいつらが近くに居るッ!」
そう叫んだ途端、地面に穴が開いて、突如地面の下から人影が飛び出してくる。
その姿、人間のものではない。
両手足が大きく、鋭い爪が並んで、小柄ながら威圧感を感じる。人間の外見にモグラが混じった奇妙な外見。モグモグの実のモグラ人間。
鋭く長い爪が並ぶ右手を振りかぶって襲い掛かってくる。
咄嗟にチョッパーがナミの体を押し、拳を握りながらその前へ躍り出た。驚くナミは再び転んでしまうが文句を言える状況ではなく、慌ててチョッパーの背を見上げる。
突然の攻撃はチョッパーの拳を跳ね飛ばして、自らの攻撃のみを彼に当てる。
見かけはただの平手打ち。しかし爪が皮膚を裂き、チョッパーの体は殴り飛ばされた。
「
「うわぁ!?」
「チョッパー!?」
皮膚が切れたことなどどうでもよく感じるほどの衝撃。脳が揺れる。
チョッパーは勢いよく倒れ、受け身すら取れずに転がった。
反射的にナミが一本の棒に組み合わせた
奇襲。そして一時撤退。明らかに素人ではない。
立ち上がったナミは背後にチョッパーを庇い、武器を構えながら辺りを見回す。敵の姿はない。その代わり地面にはいくつもの穴が開いていた。
チョッパーも頬に手を触れつつ、膝立ちになって辺りを警戒する。
「これって、つまりそういうことよね……?」
「うん。キリの情報だと、Mr.4とミス・メリークリスマスだ。さっきのボールはお供のラッスーが吐き出していて、強力な時限爆弾らしい」
「よりによって変な二人が相手なんて……チョッパー、傷は大丈夫?」
「大したことないよ。もう動ける」
チョッパーはしっかりした足取りで立ち上がった。問題はない。戦闘の継続は可能だ。
辺りは静かで、一切気が抜けない。その状況に二人は顔色を変える。
二人が居るのは大通りの一つ。南ブロックのポルカ通り。壊れた家々がずらりと並び、通りの視界自体は開けている一方、障害物は意外に多い。
そこで地面に穴を開けて、隠れる場所はさらに多くなっている。
今や敵を探すのは簡単なことではなかった。
敵に関する情報は把握している。特にその二人は真面目に記憶した方だ。
自らの実力を考慮した上でキリの助言は必要だろうと考え、真剣に話を聞いた。
だが、いざ敵を前にすると、本当にそれだけで勝てるのだろうかと思ってしまう。
最初の接触では完全に相手が上手だった。
次はどうする。今度はどう来る。警戒心が増すとはいえ、焦りが募り、静寂が続けば続くほど冷静さが失われていく感覚すらある。徐々に恐怖心は大きくなっていった。
敵の行動を待っている状態となってしまった二人は動き出すきっかけが見出せない。
それがさらに恐怖心を煽るのである。
「作戦を立てなきゃ。こいつらはチームワークが凄いんだ。なんとか引き離せれば一番良いと思うんだけど……」
「考えはあるの?」
「こいつらには弱点がある。それが上手く利用できれば」
「何をしようが無駄なんだよ」
声を聞いて、直後に地面に穴が開いて地下から何かが飛び出した。
二人とはおよそ八メートルの距離を取り、現れたモグラ人間、ミス・メリークリスマスが堂々と姿を現す。さらに別の穴からはMr.4、そして拳銃のような胴体を持つ犬、ラッスーが顔を出した。
これが今回の敵。二人と一匹によるチームだ。
その迫力は只者ではない。いくつもの修羅場を潜り抜けてきた雰囲気がある。隠れ続けるのではなく敢えて姿を見せたのも自信の表れだろう。
ナミとチョッパーは表情を歪めてしまい、動揺は隠しきれなかった。
「敵を知ってるのが自分だけだと思うんじゃねーよ。おめーら、あの一味でも弱い連中だな。どこの誰かもわからねー賞金稼ぎが調べたんだよ」
「う~~~ん~~~~」
「あー面倒だ。おめーらみたいな弱い奴の排除なんて。よわ、“ヨッ”、“ヨ”だ。腰が痛くなるからさっさと殺して終いにしよう」
挑発するためではなく、ただ事実を伝えるためだけに。
呟いたミス・メリークリスマスは怪しく両手を動かした。
緊張した面持ちの二人を、特に人型のチョッパーを視界に入れて、彼女はにやりと笑う。それは明らかな余裕を見せつけるようだった。
「おめーゾオンだね? 丸薬を使って変形するんだ。そっちの小娘は変な棒を使うんだったか」
「お、おれ達のこと、知られてるみたいだ……」
「何よっ。それで挑発してるつもり?」
苦心するチョッパーとは異なり、ナミは鼻息も荒く睨み返した。
勝気な様子でクリマ・タクトを構えて大声で言う。
「こっちもあんた達を倒す準備ならできてるのよ! いくら私がか弱くてきれいだからって甘く見ないでくれる!?」
「きれいとは言ってねぇ」
「そんな態度でいられるのも今の内よ。今に見てなさい……」
ナミが怪しく笑った時、思わずミス・メリークリスマスは眉間に皺を寄せた。
「さあ! 行くのよチョッパー!」
「おれだけかッ!?」
「さっきも言ったけど私はか弱いの。パパッとやっちゃって」
「無理だよ!? 相手はコンビネーションを武器にするんだ! おれ一人で勝つなんて無理だ! ナミの力が必要なんだよ!」
「しょうがないわねー。貸しになるわよ?」
「こわっ。こんな時まで金のこと考えてる……変態だ!」
「バカなこと言わないで。変態じゃないわよ。私は戦うのが怖いだけなの」
よっぽどのことを言うのかと思ったら肩透かしを食らってしまった。どうやらナミは彼女達を怖がっているらしく、その態度を見て脅威とは思わない。
嘲笑するように口角を上げたミス・メリークリスマスはそろそろ攻撃を始めようとする。
その会話にはせっかちな彼女を止めるだけの力がなかったようだ。
「ハンッ。何かするのかと思えば結局口だけかい。Mr.4、いつまで突っ立ってんだい! さっさと殺しちまわねぇかよ! それ殺しな! やれ殺しな!」
「う~~ん~~~」
「おせーんだよ返事がよ! “ノッ”! “ノ”が!」
怒ったミス・メリークリスマスはMr.4に叫びつつ、自身が開けた穴に飛び込んだ。
「他にも始末しなきゃならねー奴らは居るんだ! 遊んでる暇はねーんだよ!」
「わ~~かっ~~た――」
「おせーんだよおめーはよ!? “バッ”! この“バッ”!」
二人の姿が穴の中に消える。続いてのそっと動いたラッスーも穴に入った。
眼前から敵の姿が消えて音もなく、二人は先程以上の緊張感に包まれる。おそらく地中を移動しているのだろうが物音がしない。これではどこから襲われるかわからなかった。
しんと静まり返った周囲に恐怖を覚える。
ナミもチョッパーも些か余裕が感じられない表情に変わっていた。
「ふざけてる場合じゃないわね……」
「ふざけてたのか!? 変態だ!」
「変態じゃないわよ。とにかくチョッパー、こいつらを倒さなきゃ私達の仲間まで狙われる。協力してここで倒しましょう」
「おおっ!」
表情を引き締め直して言うナミの姿にチョッパーの戦意が高まった。
怖さなら感じている。しかしビビの努力を見てきたからこそ、役に立ちたいと思う。ここまで来て逃げるという選択肢は持ち合わせていなかった。
二人は駆け出して、至る所に開いた穴から離れるように移動し始める。
「そのためにはまず止まらないこと!」
「わかった! あいつらはどこから来るかわからないから気をつけないと……!」
死角からの奇襲を恐れて、走りながら周囲を警戒する。これなら少なくとも突然背後から攻撃されても避けられる可能性が高くなるはずだ。
走りながら二人は対抗策を講じようとする。
敵は二人と一匹。しかしおそらく実力はこちらより上。増援は見込めず、自分達の力だけで勝たなければならない状況。焦りを感じながら考え出すのも無理はない。
事前に聞いた情報を思い出して有効的な策を考える。
先頭を走るナミは戦闘経験自体が少ない。最も得意とするのは敵から逃げることであり、正面から戦う機会などそう多くなかった。そしてチョッパーも決して多いとは言えない。
正面で向き合って戦うのは得策ではないだろう。何かしら作戦が必要不可欠だった。
幸い、周囲には焼け焦げ、崩れ落ちる寸前の物も多いとはいえ、家々という遮蔽物もある。
何もない砂漠で戦うよりは優位を作り易い環境だ。
「ねぇチョッパー、何か作戦ある? あいつらの弱点ってなんだっけ?」
「あいつらのコンビネーションの中心はさっきのモグラが作るトンネルだ。あれで自分の姿を隠しながら敵に近付いたり逃げたりできる」
「それで?」
「だけどあの穴は全部繋がってる。それにあいつらが連れてる犬は――」
穴からどんどん遠ざかっていった時、突如前方に穴が開いた。
勢いよくミス・メリークリスマスが飛び出してきて、慌てて足を止めようとするナミを待ち構えており、空中に居ながら腕を振るう。
「バナーナ!」
「きゃあああっ!?」
焦った結果、我を忘れてスライディングしていた。するとナミはミス・メリークリスマスの平手打ちを躱していて、偶然とはいえ彼女の手は頭上を通り過ぎて無傷で逃れる。
危うく穴に落ちそうになったがギリギリで止まって。
ミス・メリークリスマスが着地した瞬間、二人は背中合わせで、それを見て咄嗟にチョッパーが拳を振りかぶって急接近した。
「こんにゃろ!」
思い切り右腕を振り抜くが、ミス・メリークリスマスは軽い動きで宙返りをして避ける。
一度跳んだだけで距離を置かれ、もう拳は届かない。
改めて睨み合い、肉弾戦を始めるには仕切り直しという状況になった。
「そんなのろいパンチじゃ当たらねーんだよ。のろ、“ノッ”が」
「くそ……!」
「チョッパー! ダメっ!」
挑発の言葉にチョッパーが乗ろうとした。その時咄嗟にナミが叫ぶ。
彼女は起き上がりながらも駆け出して、チョッパーの背後を見ており、彼の体に飛びつく。
いつの間にか、数メートルの距離を置いてチョッパーの背後、一つの穴が開いていて、そこからラッスーが顔を出していた。そして間抜けな顔で大きなくしゃみをする。
口から吐き出された、というより発射されたのは一見普通の野球ボール。
その攻撃は一度見ていた。だからナミはチョッパーを押し倒してその場へ伏せる。
ボールは二人の頭上を通過した。
その際、やはりチッチッチッと小さな音が聞こえる。
永遠にも感じる一瞬の中で、回避した、と密かに安堵を覚えた。
視線で追うと、つい先程ミス・メリークリスマスが出てきた穴に、Mr.4が居る。
彼はバットを振ってボールを捉え、二人に目掛けて打ち返してきたのだ。
「えっ――?」
「ナミッ!」
気付けば眼前にボールがあって愕然とした。
咄嗟にチョッパーが獣型になり、ナミが着る外套を噛んで無理やり引きずり、その場を離れたことで事なきを得たが、直撃していればただでは済まなかっただろう。
しかし回避しても無事とは言えず。
二人の背後でボールが爆発し、直撃を逃れた二人は爆風を受けて地面を転がる。
地面に体をぶつける痛みすら生温い。
避けられなければ全身がバラバラになっていたかもしれない。
ナミは倒れた状態のまま、チョッパーに深く感謝し、肝を冷やして腕を震わせた。
「ハァ、ハァ……ありがとうチョッパー。大丈夫?」
「うん、問題ないよ。それよりアレが厄介だ。さっきのでもギリギリだったなんて……」
「イッキシ! イッキシ! イッキシ!」
大きな存在感となって立ちはだかる爆炎の向こうから、再びラッスーのくしゃみが聞こえた。
当然そう時間を置かずに三つのボールが飛んできて、二人は慌てて走り出す。
「走って!」
「楽しんでいきな。
低空で飛来するボールを回避するため、半ば跳ぶようにしながら走って、ナミとチョッパーは壊れかけた一軒家へ飛び込む。
寸でのところで回避して、三つのボールは道の真ん中で大爆発を起こした。
家の中へ転がり込んだ二人は反対側の壁へ飛びつきながら顔を見合わせる。
想像よりずっと強い。情報を聞いていても見るのと聞くのでは大違いだ。
正攻法で戦うのはもちろん、厄介なのが奇襲。どこから現れ、どこへ消え、またどこからくるかわからない彼女達の戦法は戦う相手の精神を揺らがせた。
早急に対策を考えなければと口を開く。
そうしながらも家の中は危険だと考えて、来た方向とは逆の方角から家を出ようとした。
「何なのアレ!? アレも悪魔の実だっていうの!?」
「そうだよ。ラッスーはイヌイヌの実、モデル“ダックスフント”を食べた“銃”……物が悪魔の実を食べて生まれた存在なんだ」
事前に聞いた情報を反芻する。
Mr.4ペアの攻撃の起点となる存在、それが犬のラッスー。特殊な技術で悪魔の実を食べさせられた元々は銃だった存在。犬の特性と意志を得た物なのである。
吐き出したボールは時限爆弾で、時間が来れば大爆発を起こす。
発射のタイミングがくしゃみとなるため、わかりやすくもあるが、見切るのは容易ではない。
壊れていたことで家から出るのは難しくなかった。
敵に見つからないよう姿勢を低くしながら、崩れた壁の間を通って別の道へ出る。
「あり得ないっ。なんで銃がボールを撃ってしかも爆発するのよ。悪魔の実って何? もうなんでもありなわけ?」
「原理はわからないけどそうなってるんだ。そういうものだと思うしかないよ」
「納得したくないけど、そんなこと言ってられる状況でもないわね」
道に出た瞬間だった。
背後の家屋が内側から爆発し、空に瓦礫を吹き飛ばしながら跡形も無くなる。
ラッスーの爆弾が家の中で爆発したらしい。出るのが遅れれば逃げ場を失って爆発に巻き込まれていた。驚いた二人は呆然と空から落ちてくる残骸を見上げる。
その直後、突っ立っていると下敷きになると気付き、慌てて逃げ出した。
「いやぁぁぁ~!? 何なのよも~!」
「うわぁぁぁ~!?」
ナミと獣型のチョッパーが全力で走っている。その通りに、ボコッと穴が開いた。一つだけでなく二つ、三つと瞬く間に増え、前方にも後方にも数個が並ぶ。
落下する瓦礫を回避した二人だが、気付いた時にはすでに多くの穴がある。
慌てて急ブレーキをかけると全く同時に、前方でラッスーがのそりと顔を出した。
「嘘ォ!? またぁ!?」
「避けようナミ! あのボールは重いんだ! おれ達じゃ打ち返せない!」
「バウッ!」
ラッスーがボールを吐き出した。二人は反射的に逃げようとする。
その時、ナミの体がガクンと揺れ、足が動かせない。
咄嗟に下を向くと、ミス・メリークリスマスの手だけが地面から出て彼女の足を掴んでいる。しかし攻撃されないためにその手すらすぐ地面へ潜ってしまった。
ほんの一瞬の静止。
その数秒が結果を分ける。
再び顔を上げた時にはボールが目の前まで迫っていて、逃げるための時間は残っていない。爆発は規模も大きく回避が難しかった。少々の努力では巻き込まれるだけ。
意を決したチョッパーがナミの外套を噛んで引っ張り、回避行動を行う。
ボールが爆発する。
巨大な爆炎が辺りを包み込み、爆風が広い道を通り抜けた。
爆発の瞬間を終えて数秒、Mr.4とミス・メリークリスマスが穴から顔を出した。
二人が立っていただろう場所へ目を向け、結果がどうなったかを確認しようとする。とはいえ、本人達はすでに勝った気で歯応えがなかったと思っていた。
「あっけねー。こんなに早く済むとは」
「フォーー……」
おそらく死んだだろうと立ち昇る爆炎を眺めていた。
ふと、違和感を感じてMr.4が自分が入っている穴の中を見る。気配を感じた気がした。しかし日頃から動きの遅い彼はゆっくりと覗き込む。
やっと屈んで顔を穴の中に向けた瞬間、拳が飛んできた。
顔の正面に拳が突き刺さる。重く、全体重を乗せるような一撃だ。
鼻血が飛び出して、狭い穴の中で体勢が崩れた。
すかさず懐へ飛び込むチョッパーが至近距離でMr.4を捉え、強烈なアッパーを顎に叩き込む。
「うおおおおりゃあっ!!」
「フォ~~!?」
「なっ!? なんだいMr.4! 何があった!」
まるで穴から追い出されるかのようだった。
顎を殴られたMr.4の体が飛び、穴の中から地面へ追い出され、受け身も取れず背から倒れる。
悲鳴を聞いて数秒後、ドスンと重い巨体が落ちて、ミス・メリークリスマスは驚愕した。彼を追い出した穴から人型のチョッパーとナミが姿を現したのである。
「おめーらいつの間に……! まだ生きてやがったのか!」
「こいつらの弱点は、穴が全て繋がってることだ」
「そうか……隠れられるのはあいつらだけじゃない。その気になれば私達も利用できる」
再びチョッパーに助けられた形のナミは半ば放心状態で座り込んでおり、先程自身が体験したことも考慮して、チョッパーが言わんとしていることを理解した。
地面に穴を掘れるのはミス・メリークリスマスだけ。
Mr.4とラッスーは彼女が作ったトンネルを利用しているに過ぎず、それなら同じことができる。
決して恐ろしいばかりの能力ではない。使い方さえわかればナミ達の武器にもなり得た。
「アタシが作った穴に入りやがったね……! 姑息なことしやがって!」
「穴を掘れるのはモグラ人間だけだ。あいつが居なければ奇襲もできない」
「なるほど。そういうことね」
ようやく冷静さを取り戻したナミが立ち上がる。
顔には笑みが浮かび、まだ小さいとはいえ勝機を見出した。
ただの殴り合いなら勝てる気がしなかった。しかし敵から逃げ、頭を使って戦える状況ならば得意とするところ。伊達にたった一人で泥棒稼業をしていたわけではない。
クリマ・タクトを手の中で回し、両手で持って構えた。
この武器は工夫が必要なもの。直接的な殺傷力は無いが価値はある。
チョッパーもすでに腹を決めていた。
この戦いに勝つ。強い意志を新たに持った二人は並び合って敵を見据える。
ミス・メリークリスマスはそんな彼女達に表情を歪めた。
「ありがとチョッパー。つまりあいつを狙えばいいってことね?」
「うん。って言っても簡単じゃないけど」
「心配いらないわ。逃げることにかけてはウソップにだって負けないから」
ナミはミス・メリークリスマスを挑発的な笑顔で見つめていた。
「私と追いかけっこでもする? 言っても私の方が若いし可愛いし、追いつけないと思うけど」
「“バッ”なこと言ってんじゃねーよ! アタシの能力をわかった気になるなよ!」
ミス・メリークリスマスが穴の中に姿を消した。
その様子に警戒するチョッパーは思わずナミの顔を見下ろす。
「平気なのか? あんなこと言ったら怒らせるんじゃ……」
「ええそうよ。怒らせるの。冷静さを欠いた相手ほどこっちの思う通りに動いてくれるもんよ。むしろ冷静でいられた方が困るわ。私達より強いんだから」
「そうなのか。じゃあおれも言った方がよかったかな」
「そうね。今からでもいいからどんどん言ってやりなさい」
話しながらも身構えて周囲を警戒する。
そうは言っても地中を移動するスピードは段違い。尚且つ彼女は自由に動ける。用意された穴の中を動けるだけの二人とは全く事情が違っていた。
そのタイミングでようやくMr.4が動き出す。
倒れたままで殴られた顎を撫で、のんびりした声で言った。
「い~~~たぁ~~~」
「遅っ!? 今頃かよ!」
「ちょうどいいわチョッパー! 先にこいつを倒すのよ! 今なら絶対大丈夫!」
「あっ、そうか!」
倒れたままだったMr.4を見つけてチョッパーが拳を握りながら駆け寄った。ミス・メリークリスマスばかり気にしていたが彼も十分に脅威なのだ。
思考や動きが遅いとはいえナンバーは4。決して弱くはない。
その事実をチョッパーはその身で知ることになる。
起き上がる素振りの無いMr.4へ向けてチョッパーが拳を振り下ろそうとした。
それを視界に入れた途端、一切表情を変えず、左手に持っていたバットが跳ね上がる。
拳を下から掬い上げて、押し返した。彼のバットは4トンの重さを持つ。たとえチョッパーの拳が岩をも砕く力を持っていても、競い合うことすらできない。
妙にあっさりした様子でチョッパーの拳が砕かれ、骨が折れて流血し、だらりと力が抜けた。
ナミはもちろん、本人でさえ何が起こったのか理解できない。
気付いた時には右手に激痛が走っていて、反射的に左手で庇いながら絶叫した。
「うわっ、ああああぁっ!?」
「チョッパー!?」
「舐めるんじゃねーよ。アレでも一応オフィサーエージェントだ」
ミス・メリークリスマスの声が聞こえて、ナミが反応しようとした時には背後を取られていた。
完全に振り返ることもできず、視界の端に彼女の姿を捉えた瞬間に、強烈な平手打ちがナミの頬を打つ。殴られた衝撃で体が吹き飛び、鋭い爪で浅く皮膚を切り裂かれた。
「ナーナ!」
「あうっ!?」
突然の攻撃でナミが倒れた。
必死に歯を食いしばって痛みに耐えようとするチョッパーは、守らなければ、と転んだナミに駆け寄ろうとする。だが敵はいつでも次の攻撃を行える状態だ。
振り返った先にはミス・メリークリスマス、背後にMr.4。遠くにはラッスーも居る。
言わばここにあるのは勝機が見出せない絶望的な状況だった。
「口だけは達者だけどねぇ。結局この程度で終わりかい?」
「フォ~~……」
知らぬ間にチョッパーは立ち止まっていた。
全身に冷や水を浴びせられたような感覚。恐怖が、彼の体を限界まで硬くしていた。抗ったところで勝てるはずがないという迷いが体の自由を奪ってしまっている。
逃げるか、戦うか。どちらにしても敵わない。
チョッパーが立ち尽くしてしまった一方、ナミは息を乱しながら体を起こす。
怖いと言っていた彼女だが逃げる素振りは無く、ミス・メリークリスマスを睨みつける。
「ほう、態度だけは一端かい。だが実力が伴ってねーんじゃ意味がねーよ。どっちにしろおめーらは“ヨッ”なんだ。とんでもねー“ヨッ”だ」
「ハァ、ハァ……本当にそう思ってる? 私がさっき何もしてなかったとでも?」
「あん?」
「準備ならできてる……チョッパー、伏せて!」
突然言われて迷ったが、言われた通りにチョッパーが人獣型になって地面に伏せた。
反対にナミは体を起こして空にクリマ・タクトの一本を振り、
直接的な攻撃ではないため意味があるとは思えず、ミス・メリークリスマスとMr.4はその場に突っ立ったまま空を見上げた。
おそらくはミス・メリークリスマスが姿を消して再び出てくるまでの短い時間。なぜか空にはドーナツ型の黒雲が生み出されおり、中心に立つナミとチョッパーを除いて、Mr.4とミス・メリークリスマスを見下ろすような格好だった。
先程生み出した
その瞬間、眩い光が落下した。
それはクリマ・タクトで狙って生み出した攻撃。
どこから来るかわからない。だが彼女は必ず接近戦を行うはず。
そう考えて迎撃のために用意した技であった。
「サンダーボルト=テンポ!!」
きっかけを得て落ちた雷はドーナツ型に地面を打ち、中心で抱き合って伏せるナミとチョッパーを見逃すものの、Mr.4とミス・メリークリスマスの体を確実に捉えた。
全身に走る衝撃。激痛。髪を焦がすほどの熱。人体に浴びていい強さではない。
雷撃はほんの一瞬のものだったとはいえ、直撃した二人の服や髪を焦げさせ、ほんの一瞬とはいえ気が遠くなる感覚を味わわせた。
ふら付いた体が崩れかけた時、ナミは即座に行動する。
人獣型のチョッパーを抱き抱え、決着をつけるのではなく、その場を離れようとしたのだ。
「逃げるわよチョッパー! 一旦距離を取る!」
「す、すげぇナミ……でも今の内に倒した方がいいんじゃ」
「ダメよ。あいつらもそれを狙ってた。バカ正直に殴り合っても負けるのはこっち。時間をかけてでも逃げてでも、慎重に戦わなきゃダメなの」
ナミが言う通り、Mr.4とミス・メリークリスマスはいつでも動けた。
確かに雷を浴びて気が遠くなった。だがそれは一瞬の話。体がふらついて倒れかけた時、もし二人が殴りかかってみれば思考を必要としない反射で反撃していただろう。彼らは暗殺や戦闘のプロであり、能力を開発するための鍛錬を積んでおり、いくつもの経験がある。
とはいえ、あまりにも大きなダメージを受けて一呼吸置きたいのは彼らも同じ。
一旦距離を取って命拾いしたのはお互い様だったようだ。
「ゲホッ、ガフッ……おめーアタシらを怒らせたね」
「ちゃんと作戦を練るのっ。私の攻撃は効いてる。油断させれば殴ることだってできる。一番大事なのは冷静さを失わないで、尚且つ死なないこと……!」
「う、うん。わかった。おれももっと慎重に動く」
一心不乱に遠ざかるナミの背を見つめて、ミス・メリークリスマスは大きく息をついた。
「見せてやるよ……アタシらの十八番、“モグラ塚四百本
「フォ~~……」
この場は敢えて見逃し、二人は去っていく敵の背を見つめる。
もう相手を舐める甘えはない。ここまでは彼らの油断もあった。しかし次はそうはいかない。
やっと本気になった二人の目に、もはや一切の甘さも油断も残されてはいなかった。