ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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トレジャーバトル 決勝戦(2)

 ひらひらと舞い落ちる紙がある。

 ふわりと浮かび上がる紙がある。

 それらは全てキリの意思に従っており、主の命令があれば如何なる命令にも応じる。

 自由に空を舞って、キリ本人ですら浮遊する紙に乗り、宙に立っている。

 ひどく美しく、今までに見たことがない幻想的な光景だった。

 

 ルフィは唐突ににんまり笑う。

 その表情を見てキリは驚き、むっとした顔になった。

 

 「なに笑ってんの。せっかくシリアスに決めようと思ったのに」

 「ししし、嬉しくなったんだ。おれの仲間は頼りになるなぁ」

 「そう? それは嬉しい言葉だけど、今のはかっこつけるところだと思ってたのに」

 「んん、そりゃ悪かった」

 

 ルフィが自分の頬を叩いて表情を引き締め直すも、今度はキリがくすりと笑った。

 

 「あ、キリも笑ってんじゃねぇか」

 「いやだって、律儀だなぁと思ってさ」

 「お前が笑うなって言うからやめたのに」

 「ごめんごめん。もう言わないから」

 「キリ、お前勝手だぞ」

 「それルフィにだけは言われたくないよ」

 

 すっかり空気が和んでしまった。

 ルフィは全身を裂かれて血を流しているが一向に気にせず、そうした張本人であるキリに怒りを向けようともしない。再び上機嫌に笑って楽にしている。

 キリも真面目な顔をするのをやめていつも通りの緩い顔に戻った。

 それでも二人が本気で戦っている事実は変わらない。

 

 自陣の傍で見つめるビビは信じられないという顔をしていた。

 特にルフィの姿は、傷その物は浅いとはいえ、ほぼ全身が赤く染まるほど血に濡れている。

 仲間同士でそうなるほどに傷つけあう理由がわからない。しかも全く憎しみ合わずに戦いの最中でも笑い合える。改めて彼らが不思議に思えて仕方なかった。

 

 一方でエースは何も言わず、腕を組んで戦いを見守ろうとしている。

 そうまでして戦わなければならない理由がわかるのか。

 彼は真剣な眼差しで二人を見ていた。

 

 「うし、じゃあ続けるか」

 「いいよ。ちょっと空気変わっちゃったけどね」

 「そうか?」

 「なんて言うか、緊迫感がない感じしない?」

 「そうだなぁ……いいんじゃねぇか、別に」

 「あ、せっかくなら条件でもつける?」

 「おっ、面白そうだなそれ。どんなのだ?」

 「例えばルフィがボクに勝てなかったら、しばらく肉禁止とか」

 「なにぃ!?」

 「やっぱり出費で一番痛いのはルフィの食費だからさ。普段より量少なくしたら助かるんだ」

 「それはダメだぞキリ! おれは肉を食わねぇと力が出ねぇんだ!」

 「逆にボクに勝ったら、もう食べたくないってくらい肉食べてもいいよ。やる気出た?」

 「おぉし! 絶対負けねぇ!」

 「そう、よかった。でもボクはそんなルフィがちょっと心配だよ」

 

 あまりにも単純な様子に、幸せそうに笑いながらもキリは言う。

 そんな彼に対してルフィの返答は呆れるほど能天気なものだった。

 

 「いいんだ。難しいことはもうずっと前からキリに任せてるからな。おれが仲間をみんな守ればあとはキリがなんとかしてくれるだろ?」

 「やれやれ……面倒の見甲斐がある人で嬉しい限りだよ」

 

 困ったように笑いながらキリが空から降ってきた。

 ペラペラだった腕と脚が元の厚みを取り戻し、軽い様子で砂浜に着地する。

 周囲にあった紙を手元へ呼び寄せて、そこからいくつか武器が作られた。斧と槍が一体となったハルバードと長大な柄と刃を持つ大鎌。さらには鳥や狼といった傀儡も周囲に現れる。

 またしても戦法が変わり、微笑むキリにルフィが好戦的に笑った。

 

 「じゃあそろそろ」

 「おう。行くぞ!」

 

 ルフィが駆け出してキリへ一直線に向かう。

 迎え撃つ形で両手に持った武器が振るわれたことにより、再び開戦となった。

 

 確かにエースとサボの戦いほど派手さはない。島の地形を変えるような攻撃はなく、どちらも能力者であるとはいえ、できることには限界がある。

 更には障害物が何一つないフィールドだ。

 必然的に自身の戦闘能力のみを頼りとする、ガチンコ勝負が展開された。

 

 互いをよく知った仲。

 攻撃、防御、回避の節々から自信と余裕、そしてわずかな驚きが窺え、一進一退で大きな変化はそう起こらない。実力は拮抗し、両者互角といった様相だ。

 

 二人とも本気で闘っていた。

 仲間だからという感覚は一時的に捨て、命を奪う覚悟すら持って挑んでいる。

 

 港で試合を見ていた麦わらの一味は、それぞれ大きさは違うが驚きを抱いていた。

 なぜそこまで、と思わざるを得ないのだろう。

 一番最初に出会った仲の良い二人が本気で傷つけあっている。何もキリが一方的にルフィを痛めつけているのではない。徐々に、着実に反応を良くしていくルフィの攻撃がキリへ届くのだ。その時彼は怒りや悲しみも見せずに甘んじて受け入れ、更なる攻撃を繰り出す。

 

 一体何が彼らをそうさせるのか。

 同じ土地にも立っていない彼らには想像もできない。

 堪らずウソップが焦った声で疑問を言葉にした。

 

 「あ、あいつら、本気じゃねぇか……何もそこまでしなくてもよ。決勝まで残ったんだから、どっちが勝っても賞品はもらえるだろ。なんでこんなタイミングで」

 「こんなタイミングだからじゃねぇのか」

 「え?」

 

 煙草の煙を吐いたサンジが反応する。彼の目は冷たく、静かで、まるで感情を押し殺しているような様子も窺える。

 いつになく真剣な態度でウソップの問いについて考えようとしていた。

 

 「賞品がもらえると決まった時点で、おれたちの次の行先は決まったようなもんだ。つまりそれはバロックワークスと決着をつける時だってことだろ」

 「だからこそだよっ。こんなとこで怪我してる場合じゃねぇんだぞ」

 「そうでもねぇんじゃねぇか。あいつにとっては」

 「あいつって……キリだよな、やっぱり」

 

 サンジに目を向けていたウソップがモニターに視線を戻す。

 海水を使って全身を濡らしたルフィは、様々な武器や傀儡を駆使するキリの攻撃を躱し、少なからずダメージもあったが、確かに彼の体まで届いていた。

 限界まで近付き、最小限伸ばした腕がキリの胸の辺りを打つ。

 もはや咳き込むだけとは言わず血を吐き出してもいて、キリは咄嗟に反撃を行った。

 

 「キリにとっちゃバロックワークスってのは相当恐ろしいとこみてぇだ。それこそ巨人のおっさん二人に喧嘩売ったのも、アーロン一味を脅迫したのも、奴らに対抗する力を手に入れるためだと考えられる。あいつの中じゃそれくらいでかいもんなんだ」 

 「そりゃあまぁ、七武海だしな……」

 「それにキリは、クロコダイルに命を助けてもらったって」

 「いくら組織を抜けたって言っても、微妙な関係には変わりないわよね……」

 

 ウソップにつられてシルクやナミも表情を暗くする。

 その時チョッパーは疑問を持ち、事前に話を聞いていたとはいえ、知らないことは多い。傍に立っていたイガラムを見上げて問いかけた。

 

 「クロコダイルって奴、強いのか?」

 「ええ……彼は王下七武海の一人。世界政府が認めた“強さ”と“名声”を持つ。私自身、海賊討伐を行う彼を見たことがありますが……あまりにも圧倒的。私は、奴に勝てる人間というものがいまだに想像さえもできていません」

 「そうか……ルフィはそんな奴と戦おうとしてるんだな」

 

 緊迫した声を聞いてチョッパーも事情を察する。

 まだ見ぬ敵はかなりの強さらしい。そして彼らはその敵に真っ向から立ち向かおうとしている。

 しかしそれを知って尚、チョッパーには本気で戦う二人の心境は想像できなかった。

 

 キリが振るう武器がルフィの肩を切り裂き、大量の血が巻き上げられる。血に濡れた紙は武器から剥がれて力なく地面に落ち、操作不能になったようだ。

 反対にルフィも攻撃を行う。

 鋭い蹴りが横からキリの腰を捉えて、妙な音を鳴らしながら蹴り飛ばした。

 追撃のためルフィが駆け出し、体勢を崩しながらキリが迎え撃って、再び激突する。

 

 あまりにも壮絶。

 関係のない人間にすら息を呑ませる激闘。彼らをよく知る者ほど心中穏やかではいられない。

 シルクやナミは痛ましそうな顔になって複雑な心境を表し、ウソップやチョッパーも動揺を隠し切れていない。今やはっちゃんやケイミー、アーロンたちですら心を動かしていたようだ。

 

 彼らの心情を察したのか、サンジは冷静に言葉を紡ぐ。

 その間も二人は息をつく暇もない死闘を演じていた。

 

 「どんな理由で、何を想って始めたのかも、知ってるのはあいつら二人だけだ。ここに居る以上おれたちにできることはない。見守るしかねぇな」

 「そうだけどよぉ。ここまでするか、普通……」

 「おれたちは遊びで海賊やってるわけじゃねぇんだ。むしろ普通でいちゃいけねぇんだろ」

 「そ、そうか……そう言われりゃそうだな」

 

 そう言われてウソップが納得した様子で腕を組み、小さく頷く。

 彼らは、特にルフィはいつだって本気だった。遊びや酔狂で海賊になったはずがない。

 この場所では多くを知ることはできないが、きっと彼らは決意して決闘に挑んだのだろう。

 冷静にそれを理解してウソップも怖がることなく試合を見始めた。

 

 ルフィの額がわずかに斬られ、キリの腹に蹴りが当たる。

 確実にルフィが速くなっているようだ。そのためどちらが勝つか全く読めない。

 

 そんな時、唐突にゾロがぽつりと声を発した。

 今まで黙っていたが彼は誰よりも早く覚悟を決めて見守っている。腕を組んで厳しい顔をして、周囲が混乱しても口を挟まなかったのに、気になったことがあるらしい。

 

 「そう長くは続かねぇかもな」

 「ん? 何が?」

 「この試合がだ。前々から気になってたんだが、どうしていつもあいつがさぼってると思う?」

 「さぼるって言ったら、まぁ、キリだよな。そりゃ性格の問題だろ」

 「正直それも否定できねぇ」

 

 大真面目な顔でそんなことを言うゾロに、皆が不思議そうにする。

 それでも話は終わっていなかったため続きが告げられた。

 

 「気になったのはあいつの弱点だ」

 「あ、水だろ。濡れたら自分で歩けもしねぇからな」

 「ああ。だが人間ってのは水分がなきゃ生きてけねぇ。どうしたって避けられねぇ問題がある。だから普段滅多に動かねぇんじゃねぇのか」

 「どういう意味だ?」

 

 首を傾げるウソップの方を見ず、モニターを見ながらゾロは言う。

 

 「汗だ。自分で飲んだ水ですら多少体調に影響するって話だからな。てめぇで勝手に汗を掻いただけで水に濡れた状態と同じになるってことだろ」

 「そういや確かに……」

 「つまり、激しく動いて汗を掻けば掻くほど、力が抜けていく?」

 「あいつに直接聞いたわけじゃねぇが、おそらく間違っちゃいねぇはずだ」

 

 問いかけてきたシルクにも同意し、ゾロはそうして自分の意見を言い終えた。

 確かにキリは普段からだらけている上にさぼっていることが多い。頭脳労働担当だから、などと言い訳しているがその傾向は顕著で、皆は不満を持たないほどすっかり慣れていた。

 もしそんな理由があったのだとしたらルフィに分があるのでは。

 辺りの空気は緊迫感を増す。

 

 「現に今は敢えて接近戦を挑んで短期決戦を狙ってる。ありゃ完全にルフィの間合いだ」

 「時間をかけるのは得策じゃねってことか」

 「だから長くは続かねぇんだな。もうおれにはどっちが勝つかわかんねぇよ」

 

 サンジが納得した後、ウソップは表情を険しく、眉間に皺を寄せる。

 そんな時、シルクが呟いた。

 

 「でも、さ」

 

 モニターを眺めながら少し寂しげに、何かを思案するような声だった。

 

 「どっちが勝ったとしても、またいつもみたいに戻れるんだよね?」

 

 その問いに対する返答はない。

 全員がそうに決まっていると思っている。しかし保証する何かがある訳でもない。

 今はまだ、見ていることしかできなかった。

 

 ルフィとキリは絶えず動き続け、一秒たりとも止まろうとはしない。

 常に動き続けているため当然体は熱くなって、意識せずに肉体は発汗を促す。

 

 ゾロの推論は当たっていた。

 キリが汗を掻けば肌に水分が付着し、体内からではなく体外からの影響を強く受ける。

 彼の体内にも当然水や血液といった物は存在しているが、長い年月によって慣れたのか、体内にある水分によって力が抜けるという事態は今やあり得ない。彼が水に濡れて力が抜けてしまう時は常に外からの影響があった時だった。

 水分補給をした時、肌が濡れた時などがその典型。

 そしてそれは自身の肉体が出した汗も例外ではなく、肌を濡らすと紙の体がふやけてしまう。

 

 砂漠の国であるアラバスタで暮らした経験から、暑さには強くなっていた。だが発汗は人体にとって無くてはならない機能であり、暑さに慣れたからといって汗を掻かなくなる訳ではない。

 ルフィとの戦いにおいて、もはや彼はなりふり構わぬ戦いを見せていた。

 自らの体を顧みずに接近戦を行い、確実に汗を掻き、同時にルフィも彼の動きに反応できるようになっていて、戦えば戦うほど実力が近くなるどころか、離される気がした。

 

 本能で戦うルフィは相手を分析することなどしない。

 そのため戦っている内に気付くことがあり、時間がかかればかかるほど相手を理解していく。

 対するキリは事前に戦う相手の情報を頭に入れ、どう敵を攻略するかを思考するタイプだ。

 最も得意としているものは超短期決戦。一手、二手で勝負を決める戦いである。

 

 二人が全く正反対の性質で、尚且つ、近い実力にあったことからその状況が生まれていた。

 ゾロの推論は当たっていたが、唯一予想できなかったのは、キリがルフィに対抗するために思考を捨てて我武者羅に動いたこともある。

 

 仲間たちも観客も、息を呑まずにはいられない。

 二人だけで行う決勝戦は一時間を超える勝負となったのである。

 

 最初はつまらないだろうと高を括っていた観客も、キリの能力を見れば顔色を変え。

 十分を過ぎる頃には先程の空気が嘘のように盛り上がり。

 二十分を過ぎると最高潮を迎えて。

 三十分が過ぎた時にはあまりに長く続くせいでどよめきが生まれ。

 四十分が経つと誰一人声を発さなくなり。

 それでも二人が戦い続けて五十分が過ぎれば、もはや感動さえ覚えている。

 一時間が経った頃には、ついに観客たちが総出で彼ら二人への称賛と応援の声を発し、この時トレジャーバトル大会は本来の目的から大きく外れて、最高の盛り上がりを見せていた。

 

 《すっ、素晴らしい! なんて戦いなんだ! 我々が求めていた戦いは、決勝戦は、まさしくこれだったのだろう! 二人に惜しみない応援の声が送られているゥ!》

 

 キリが滝のような汗を掻き、素早く動く度に水滴が周囲へばら撒かれていた。

 一方でルフィは紙人間である彼に対抗するため、何度となく周囲の海水で体を濡らして、今もまだ身じろぎ一つで水滴が落ちる状態。

 こうなればもはや打算も作戦もありはしない。純粋に勝利だけを望み、考えもせず動いていた。

 

 《こうなればどちらが勝っても文句はない! かくいう私ももう涙で試合が見えません! 実況としては大いに間違っていますがどっちも頑張れェ!》

 

 ハッタリーの声も聞こえないほど集中した二人は、ついに終わりを迎えようとしていた。

 仕掛けたのはルフィだ。

 後方へ両腕を伸ばすと同時に前へ踏み出し、強烈な一撃を叩き込もうとしている。

 

 「ゴムゴムのォ!」

 

 キリは呼吸を乱して、脚が震えるほど体に力が入らなくなっている。

 手加減はしない。ルフィは全力で両腕を前へ突き出した。

 

 「バズーカァ!」

 

 しかしそれは、キリが全身を紙の状態に変え、地面を這って進んだことで回避された。勢いよく突き出された両腕は彼の頭上を通り過ぎ、幾分伸びてから引き戻される。

 その一瞬の隙を狙ってキリが元の姿で立ち上がった。

 右腕が白く染まり、バサバサと紙が折り重なった姿に変わり、硬化される。

 指を広げてルフィの顔が狙われていた。

 

 「紙突き……!」

 

 全身全霊、最後の一撃。

 鋭く繰り出された最高の攻撃は、しかし歯を食いしばったルフィが右足を振り上げ、下から力強く蹴り上げたことで狙いが外れ、キリは一瞬無防備な姿を晒す。

 予想できなかった展開に彼は反応ができなくなり、ほんの数秒、呆然とした。

 

 その一瞬で腕を引き戻したルフィは勢いが良過ぎたせいで両腕を使えず、頭を後方へ伸ばす。

 歯を食いしばって、微塵も恐れず思い切り引き寄せ、全力でキリの体へと向ける。

 

 「ゴムゴムの――!」

 

 キリの目にもその攻撃は見えていた。だが体が思うように動かず、防御すらできない。

 限界か、と悟った一瞬。

 ルフィの頭が凄まじい迫力で伸びてきて、キリの軽い体は思い切り吹き飛ばされた。

 

 「鐘ェ!!」

 

 ゴツンと、とんでもなく大きい音が鳴り、二人の額が激突する。

 凄まじい衝撃が頭から全身へ駆け抜けていき、止めようと考える余裕を失うほどの勢いで、キリの体は地面を跳ねながらルフィの傍を離れていった。

 十メートル以上を一秒とかからず飛んで、最後には浅瀬とはいえ頭から海へ突っ込んだ。

 全身が水に包まれて、完全に力が抜けて動けなくなり、それでなくても大量の汗を掻いてとっくに限界など超えていたのだ。今度こそ彼は脱力して水の中で静止する。

 

 目を閉じて、口を必死に閉じ、このまま死ぬかもしれないという想いすら抱く。

 ほんの一瞬だが呼吸が乱れていたこともあり、途方もなく長く感じた。

 しかし結局は肩を掴まれて一気に体を持ち上げられ、彼は再び呼吸を始めることができた。

 

 ぼんやりと開いた目に映るのはいつも通りのルフィの笑顔。

 力が抜けた体を彼に委ね、キリは苦笑する。

 

 「どうだ。おれは強いだろうが」

 「ハァ、んっ……そうだね。ほんと、厄介な人だよ」

 

 地面に両膝をついたルフィに抱えられ、半ば座るような姿勢でもたれかかり、熱くなった体には冷たい海水が心地良い。キリは乱れた呼吸を整えるため大きく息を吐き出す。

 改めて海が好きだと実感した。

 能力者にとっては恐怖の象徴とも言える存在だが、やはり彼は嫌いになれなかった。

 

 水は胸元にまで届き、打ち寄せては引いていく波を感じながら水平線を眺める。

 何年経っても海は広く、その姿は変わることがない。故に彼の心の拠り所でもあった。

 

 「ねぇ、ルフィ」

 「ん?」

 

 呼びかけてみて、何を言えばいいのか、わずかに動いた唇が躊躇った。

 感激している様子のハッタリーがマイクを通して何かを叫んでいる。その事実はわかるが不思議と耳に言葉は入って来ず、すっかり力も抜けて、気も抜けてしまったようだ。キリは落ち着いた顔でぼんやりと海を眺め続けた後、結局何を言えばいいかわからないまま目を閉じる。

 少なくともその顔には満足した様子と笑みがあったことだけは確かだった。

 

 「負けたよ……やっぱり、ルフィはすごいなぁ」

 「ししし」

 

 ルフィもまた、至る所から血を流してひどい状態であった。海水に濡れているだけで痛みも感じていることだろうが、キリを支えてその場を動こうとはしない。

 不思議な清々しさと穏やかさがあった。

 

 これほど本気で戦ったことなどいつ以来だろう。

 事前に観察して考察し、時に騙し、脅し、相手の動揺を誘って、短時間での決着を狙う。それが彼の本領であり最も得意な戦い方。生き残る方法、と言ってもいい。

 今回はいつの間にかルフィにつられて無我夢中で動いてみた。

 それがこの奇妙な感覚を生んでいるのかとも思い、彼の気持ちがわかった気もする。

 

 考えてみれば、あれこれ考え過ぎていたのかもしれない。

 海賊は自由を愛する生物だ。努力はそれなりに必要だが楽しむこともまた重要。

 

 息はすでに整っていた。

 キリはぐいっとさらにルフィへ体重を預けてもたれかかる。

 このところ心配し過ぎて気が休まらなかったのかもしれない。今になってやっと気付いた。

 

 「ふぅ~……なんかどっと疲れた。力入らないし」

 「キリは強かったなぁ。海がなかったら負けてたかもな」

 「そういえばルフィ、ごめんね。かなり血ぃ流れてるよ」

 「いいよ。キリも血ぃ吐いてただろ」

 「口の中切れた」

 「おれは全身切れてる」

 「沁みない?」

 「うん。すげぇ沁みるな」

 「あぁ~、じゃあやっぱり早く出た方がいいかもねぇ」

 「そうだけど、なんかキリが居心地よさそうだったからな」

 「うん。気持ちいいからね」

 「風呂はあんまり好きじゃねぇのにか?」

 「だって暑いじゃん」

 「ん~よくわかんねぇなぁ。でもおれも海は好きだぞ」

 

 ルフィが立ち上がり、両脇に差し込んだ手でキリを引っ張り、砂浜へ上げる。

 今やキリは自分で立てないため、その辺に転がしておくのも悪いだろうとルフィが背負った。ぐったりしたキリは完全に力を抜いて項垂れる。

 

 「はぁ~疲れた」

 「お前なぁ、おれだって疲れてるんだぞ。ずるいぞキリ」

 「それはしょうがないよ。弱点があるから動けなくなるもん」

 「うーん、そうか。おれの弱点ってなんだろうな」

 「斬撃じゃない?」

 「あ、ほんとだ。じゃあおれいっぱい斬られたぞ」

 「でも歩けてるよ」

 「ほんとだっ」

 

 つい先程まで激闘を繰り広げていたというのに、今ではもう和やかに話している。

 おかしな二人の姿にビビは思わず吹き出してしまった。

 心配することなど何もなかった。命懸けで闘おうが何をしようが、彼らはいつも通りだ。普段船の上ではしゃいでいる姿と何も変わらない。

 

 そうこうしていると、エースが宝箱が置かれている台座に移動して声をかけてきた。

 ビビが反応してすぐに答える。

 

 「どうやらこっちの負けみてぇだ。さぁ、宝を運んでくれ。この試合も終わらせようぜ」

 「あ、ええ……本当にいいの?」

 「なぁに、おれの用はもう終わってんだ。あいつらが決めたんならそれでいい」

 「そうね。カルー、行きましょう」

 「クエー」

 

 ルフィとキリはもはや試合に関係ない話をだらだらと続けているため、苦笑したビビがカルーを連れて歩き出し、台座に置かれた宝箱へと向かう。

 ちょうど台座の上へ登り、今から宝箱を運ぼうという頃だった。

 

 《長く続いたトレジャーバトルがついに終焉を迎えようとしている! 今からビビ選手が宝箱を運んで回収船が到着すれば、優勝はルフィ&ビビペアの――!》

 《ハッタリーさーん! 緊急事態ですぅ~!》

 

 実況に割り込むようにして、スピーカーを通した大音量の叫びが響き渡った。

 出所はブルースクエアの町から。

 ハッタリーが驚いて思わず町の方を振り返ると、姿は見えないもののきっと大会を運営するブルーベリータイムズの誰かなのだろう。彼にとっては聞き覚えのある声だ。

 予定にはない発言に疑問を抱いて咄嗟に口を閉ざす。

 知り合いとはいえ顔も見えない誰かは焦った声で叫んでいた。

 

 《沖から海軍の艦隊が接近中~ッ! どうしてだかこの町に向かってきますぅ~!》

 《はぁっ!?》

 《通信も拒否されてますぅ~! とにかくとにかく一大事~!》

 

 その声は当然、ブルースクエア全土に聞こえていた。

 海賊、裏社会の人間や王族、貴族、その島に居てはならない者たちが海軍の接近に怯えている。

 報告が終わった直後には町は大パニックに陥り、もはや試合の結果を気にする者など一人も居なくなってしまったのである。

 


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