全身至る所から血を流した状態で、エースは平然と立ち上がった。
久々に体が重くなるほどの疲労感を感じている。それほどサボは強かった。幼い頃に手合わせをした時でさえこれほどの疲労感はなく、互いに成長した証といったところだろう。
サボもまた平気な顔で立ち上がった。
こうして向き合うのも妙な感覚であるが、懐かしくもあり、二人は視線を合わせて苦笑する。
勝負はエースとキリの勝ち。
良いタイミングでキリが宝箱を運んだのだろう。
それを証明するかのようにコアラが二人の下へ駆けつけてきた。
「サボ君……記憶戻ったの? 革命軍やめるの?」
「いや、やめねぇよ。ただちょっと事情は変わったみたいだ」
焦げた服を叩いたサボはすっきりした表情で顔を上げる。頭痛も無くなって失った記憶を全て取り戻した。まるで生まれ変わったかのような感覚である。
向けられる笑顔は妙に晴れやかだ。
驚いたコアラも彼の変化を如実に感じる。
「うん、そっか……兄弟、なんだね」
「ああ。今の今までなんで忘れてたんだろうな。自分が情けねぇよ」
「ま、無事に終わったんならそれでいいさ。それに」
エースは帽子を被り直して視線を外す。
わずかに苦笑し、やれやれと言いたげな顔だ。
「おれなんかより謝んなきゃならねぇ奴がまだ残ってるだろ?」
居ても立っても居られず走ってくる影がある。
彼の姿を見たエースは驚きもしない。そう来るだろうと思っていた節さえある。
わからなかったのはサボの方で、振り向いた時、すでに目の前に姿があってわずかに驚く。
泣きじゃくってひどい顔のルフィが、思い切り彼へ飛びついてきつく抱きしめた。
「サボォォォ~ッ!!!」
「うおっ。ルフィ……!」
恥も外聞もなく、涙も鼻水も垂らして、ルフィは感情のままに喜んでいた。激突するように彼を抱きしめて、もはや兄だと信じて疑わずに離そうとしない。
サボも心底嬉しそうに笑顔を見せ、ルフィの顔を見つめる。
「おまえばんばよっ!? イィえぱあんだな!! おえェきィひんがんがくおんおあいおあァあ!!」
「ありがとな、ルフィ。無事に会えてよかった」
サボもまたルフィを抱き留める。
優しい手つきで愛情を感じさせる姿。見たことのない表情にコアラも困惑する。
「傍に居てやれなくて悪かった。言い訳にもならねぇが、今まで記憶を失ってたんだ。お前らのことまで忘れてたみたいでよ……すまなかった」
「う゛ぅ、いいんだ……! ザボが生きでだから……!」
「ありがとう。もう何があっても忘れない。お前のそんな顔見ると余計にそう思うよ」
優しく笑う顔は覚えている通りのもの。ルフィは尚更大粒の涙を零す。
事情を聞いていないコアラだが、そんな様子を見ているだけで、相当の想いがあったのだろうと気付くことはできる。涙は流さずとも彼女も唇をきつく結んで感極まっていたらしい。
涙で喜ぶルフィを見てしばし口を挟めなかった。
エースはそんな彼らの様子を見守る。
試合が終わったとあって陣地からキリが歩いてきた。
いつの間にかルフィが居ることに驚きつつ、なんとなく察した様子。
唯一平然としているエースに歩み寄って質問した。
「えーっと、どういう状況?」
「やっと思い出しやがったんだよ。手間かけてくれるぜ」
「そうだねぇ。正直もう修復不可能なくらい島が壊れてるし」
「あー……悪いことしたな」
「まぁでも、問題は解決したんでしょ?」
微笑んで聞けばエースは軽く頷く。
ルフィはキリの存在にも気付けないほどサボに気を取られていて、平静を装っているがサボもわずかに目を潤ませ、内心は冷静でないようだ。
二人で彼らのやり取りを見守りながら話を続ける。
「サボはおれたちの兄弟なんだ。ガキの頃に死んじまったと思ってたんだがな」
「それで、実は記憶喪失だけど生きてたと」
「ああ。正直、またこんな日が来るなんて思ってなかったが……」
眩しい物を見るように目を細めて、エースはしみじみと言う。
「とにかくよかった。ルフィのやつはまた泣き虫になってるけど、流石に今回は同意したいところだな。死人が生き返るなんて、グランドラインはつくづく何が起こるかわからねぇ」
「そうだね……」
少し複雑そうな顔とはいえ、キリも同意して頷く。
その直後にふと気付いて言葉を返した。
「って、あの人は結果的に死んでなかったでしょ」
「いや、おれたちの中ではな」
ずいぶんな言い方でくすりと笑う。
しかし悪気もなくエースは笑っており、かなり機嫌は良さそうだ。
何やら話している様子のルフィやサボを見ても嬉しそうにしており、先程の激闘もどこへやら、和やかな空気が漂っていた。
なんとなく気が抜ける時間が少し続いた後。
実況していたハッタリーの声を聞き、キリが顔を上げる。
しばらく続いた死闘が決着を見せ、いよいよ残すは決勝戦のみ。
盛り上がりはまだ冷められては困るところで、実況によって観客の気分を高めていたのだろう。町に居る観客は笑顔を取り戻して次の戦いを楽しみにしていた。
《ついに役者が出揃った! 勝つのはルフィ&ビビペアか! はたまたエース&キリペアか! 泣いても笑ってもこれが最後! いよいよ決勝戦だァ!》
「もう次の試合に行くみたいだね」
「おれらの出番もまだ終わりじゃねぇってことか」
「なぁに、あと一戦だけさ」
エースとキリが空気を察して移動を始めようとする。
当然、そこに居る面々へ声をかけるのを忘れなかった。
「おいルフィ、いつまで泣いてんだ。まだ大会は終わってねぇんだぞ」
「あっ、キリ! 見てくれ、おれの兄ちゃんだ!」
「革命軍のサボだ。ルフィがいつも世話になってるな」
「いえいえ、こちらこそ。副船長やってるキリです。よろしく」
快活に挨拶を行うサボにキリが頭を下げた。
辺りの風景は焼かれて砕かれた地面がほとんどであり、荒廃した様子を感じさせる。その中で呑気に挨拶をするのはどうかしていると本人たちでさえ思った。
サボは自己紹介の後、傍らに立っていたコアラを紹介する。
呆れた様子ながら仮面を取り、彼女は素顔を見せて二人と目を合わせた。
「こっちはおれの仲間のコアラだ」
「も~……やっぱりこうなるんだね、君は。あとでちゃんと説明してもらうから」
「ああ、わかってる」
「やぁ、さっきはどうも」
「どうも。本気で脅してくれたよね」
「いやいや、ごめんなさい。ただの冗談だよ。まさか本気で勝てるなんて思ってないしさ」
むっとした目で見てくるコアラに苦笑し、キリはひらひらと手を振って謝罪する。試合が終わればいがみ合う必要はないのだ。やけにあっさりした態度だった。
コアラも小さく溜息を洩らし、敵意を消す。
彼ら二人がそうしたことでひとまず喧嘩になるのは避けられたようだ。
ルフィがやけに嬉しそうで、キリは苦笑して歩み寄った。
笑顔を浮かべる余裕はあるようだが相変わらず涙と鼻水でひどい状態だ。
「ルフィ、顔ぐちゃぐちゃ」
「いやぁーよかったなー。サボが生きててよかったなー」
「ははっ、泣き虫は治ってないのかルフィ」
「お前が出てくるまでそうでもなかったんだよ。誰のせいだと思ってんだ」
「そりゃまぁ、おれだな……」
「まったく、ルフィもルフィだがお前もお前だ。割食ってんのはおれじゃねぇか?」
「よく言うよ。ガキの頃はおれがよくフォローしてた」
「そうだったか? んなことねぇだろ」
「お前らが自由に動き回るから、おれがどれだけ手助けしてやったか――」
キリが服の袖でルフィの顔を拭ってやり、彼は抵抗せずにしきりに笑う。
その一方でエースとサボは親しい様子で話していて、昨日の今日の関係ではない風体がこれでもかと表されている。見ていたコアラは不思議な心境だった。
記憶を失っていた頃に出会ったサボが、これほど嬉しそうな顔をするとは。
幼少期の記憶は彼にとってそれほど大事だったらしく、何を思うでもなくじっと見つめる。
彼らはそうして和やかにしていたものの、大会はその分停滞してしまう。
困った顔でハッタリーが島まで降りてきた。
マイクを使って注意するのも悪いだろうと近寄ってきて、自身の声で五人へ語り掛ける。すぐに振り返ったのがキリで呑気な顔で軽く手を振った。
「あのー、みなさん。盛り上がってるところ悪いんですが試合の方が……」
「はいはい。じゃあすぐ行きますんで」
「お願いしますよ。あ、それと敗退したチームは別の船に乗ってもらいますんで、Mr.Sペアには別の船に乗ってもらうのでよろしく」
「サボ、こっちの船乗ってけよ。試合見ていくんだろ?」
「あの、聞いてました……?」
うきうきした顔のルフィはサボを見ている。ハッタリーの声は聞こえていないらしい。
すっかり弟の顔で、サボも笑顔で答えた。
「いや、大人しく敗者用の船に乗るさ。勝ったのはエースたちだ。おれの仲間も来てるし、顔がバレた以上早く合流しないと」
「そっかぁ……」
「ちゃんと試合は見てくよ。せっかくやるんだ。負けんなよ、ルフィ」
「おう!」
「バカ言え、おれがルフィに負けるかよ」
サボが促したことで一同はようやく歩き出す。
焼け焦げた地面を踏みしめ、クレーターから這い出ると、海へ向かって移動した。
幸い船は出場者用も敗者用も無傷の状態。分かれる間際になってルフィが大きく手を振る。
「サボ! またあとでなぁ~!」
「ああ。しっかり頑張ってこい」
手を振られて互いに見送り、船はそれぞれ移動を開始する。
敗者であるサボとコアラは町へ戻るためブルースクエアへ向かう。
勝者として残った四人とカルーは常夏島へ向かい、ついに決勝が行われる運びとなった。
船上では次に備えるため、エースが大会スタッフの手により怪我の応急処置を行っている。覇気で傷つけられた体は治療を必要としており、今頃はサボも応急処置を受けているだろう。
痛みや疲労も相当で、彼にとっては連戦となる。
とはいえ、上機嫌そうな彼は不利とも思わず戦う気だった。
何があったかわからず困惑しているビビにルフィがサボについて説明をしている。
それを眺めつつキリがエースへ問いかけた。
「傷の方はどう?」
「大したことねぇ、とは言えねぇが、まぁ大丈夫さ」
「そっか。ねぇ、次の試合のことなんだけどさ」
「ん?」
「わがまま聞いてもらっていい?」
早くもそれがいつも通りと思える柔和な笑顔でキリが振り返った。
表情は珍しいものではないのだが、何か感じ取ったのだろう。エースは即座に頷くのを敢えてやめたらしく、わからないふりをして質問する。
「先にこっちがわがまま言ってる立場だからな。別に構わねぇが、なんかあったか?」
「せっかくの兄弟対決だからさ。エースも楽しみにしてるのかと思って」
「そういうわけでもねぇよ。言っとくが、この状態でもルフィに負ける気はねぇ」
「うん」
兄貴として、ということなのだろう。
キリは素直に頷いた。
「好きにしろよ。おれの用は終わった。どっちが勝ってもお前らの優勝には違いないんだし、見届けることくらいはしてやれる」
「ありがとう」
そう言ってすぐルフィを見て、彼の名を呼んだ。
「ねぇルフィ」
「ん? どうした?」
「もう優勝はうちの一味ってことは決まった。でもせっかくの機会だし、適当に流して試合を終わらせるってのももったいないでしょ」
「んん、そうだな」
「次の試合、ボクと一騎討ちしよう」
平然とそう言われた。
ルフィは少し驚いた顔を見せて、それ以上にビビとカルーが驚愕していた。
確かに賞品をもらえることが決まったからといって適当に試合を終わらせてしまうのは申し訳ないと思うものの、なぜ一騎討ちなどと言い出すのだろうか。堪らずビビが口を開く。
「一騎討ちって、どうしてそんなことを? 別にそんなことしなくても――」
「思い付いたのはトーナメント表を見た時だった。エースとMr.Sが潰し合う展開になった時点で想像できたから。決勝は必ずこの2チームがぶつかるってさ」
「必ずって……わかったの? 何が起きるかわからないのに」
「わかったよ。こうなる以外考えられなかったしね」
キリは動じていない顔でつらつら語る。
本当にこれ以外の展開を考えていなかったのか。或いは考える必要がなかったのか。
ビビは口を閉ざし、真剣な目でキリを見るルフィの背を見つめた。
「もちろん大会の本分はチーム戦だし、そっちの方が良いなら無理強いはしないけど」
「いいぞ。おれとキリが戦うんだな」
「うん」
「ルフィさん……いいの?」
心配するようなビビの問いかけにルフィはすぐ頷いた。
「そういえば、ボクらが戦うなんて初めてだね」
「そうだな。ケンカもしたことねぇや」
「まぁ大体ボクが先に折れるし。そういう意味じゃルフィに勝てる気なんてしないよ」
「しっしっし。いつもわりぃなぁ」
「そう思うならもうちょっと考えてから動いてもらっていい?」
「考えてるぞ、おれは」
「ボクにはそれはできないって聞こえた」
真剣に一騎討ちだと言った割には和やかな空気だった。
ひょっとして自分が思うほど大変な事態ではないのだろうか。
彼らの会話を見たビビは困惑した表情でカルーへ振り返り、同じく心配している様子の彼と試合の展開を想像し、しかし全く読めないことに唇を噛んだ。
ハッタリーが観客を盛り上げ、船は戦いの舞台へ向かっていく。
エースは笑みを消して二人の姿を眺めていた。