再びお互いのことを話しながら、二人はしばらく森の中を歩いた。
一部とはいえキリの過去を知った後とあって、今度はルフィの過去について聞く。
生まれはイーストブルーのフーシャ村。幼い頃は村に住み、海賊が村に居ついていた頃にはその海賊たちと頻繁に会って話していたという。海賊らしく自由気ままで勝手な連中だったが村に害を与えることはなく、むしろ山賊を追っ払ったことさえあったらしい。
彼が大事そうにかぶる麦わら帽子も、その海賊から預かった物だと教えられた。
試しに名前を聞いてみれば、伝えられた海賊の名は世界的に有名な物。思わずキリは目を見開いて驚き、興味がないふりをするのも失敗して質問する。
「フーシャ村なら知ってるよ。これでも一応イーストブルー出身だから」
「良いとこだぞ。キリにも見せてやりてぇなぁ」
「でもまさか、そこに赤髪のシャンクスが居たなんて。確かに一時期イーストブルーを航海してるって噂があったけど、みんな嘘だって言ってたし、そんな小さな村に居るなんて普通信じない」
「シャンクスのこと知ってんのか?」
「ボクだけじゃなくて世界中の人が知ってるよ。知らない者はいない大海賊だ。その名前を聞いただけで震え上がる海賊だって珍しくない」
「へぇ~、そうなのか。おれにとっちゃただの友達って感じなんだけどな」
なんでもないことのように語るルフィに自慢している様子はなく、心からそう思っているのだと理解できた。全世界に名を轟かせる大海賊はただの友達。普通の人間ならひっくり返って驚くか、馬鹿馬鹿しいと断じて信じない話の内容だろう。
不思議とキリはすぐに信じた。
彼を大物だと思ったのはそういった幼少期があったせいでもあるのかもしれない。そう考えれば不思議なことだとは思わなかった。
子供の頃の体験は年齢を重ねてからもかけがえのない宝になる。
彼の体験はきっと今のルフィを作る大きな要因となったことだろう。
話を聞く前より親近感が増して、興味も大きくなってきた。話を聞き出そうとするキリも少し前のルフィのように、ずいぶん前のめりになっていたようだ。
「シャンクスたちが村を離れる時、もっといい仲間を見つけて海賊王になるって誓ったんだ。そん時にこの帽子を預かった。いつか必ず返しに来いって」
「なるほど。海賊王になるだけじゃなくシャンクスに会うのも夢の一つか」
「ああ。海賊王になる前に会っとかないとな。おれはいつかシャンクスにだって勝つぞ」
「大きな野望だね。大き過ぎて眩暈がしそうだ」
からからと笑うルフィには本当に眩暈がしそうである。
彼は知っているのだろうか。大海賊とまで呼ばれるようになった人物がどれほど強いか。
長年グランドライン後半の海に君臨する者たちであれば、一人で百や千の兵士を倒すなどさほど難しいことではない。海賊王亡き今、一部の者たちは海賊の皇帝とさえ呼ばれている。
海賊王になるということは彼ら全員に打ち勝つということ。
そしてキリが知る限り、赤髪のシャンクスは今や皇帝の一人だ。
知ってか知らずか大口を叩く彼には返す言葉が見つからず、肩をすくめる他ない。
「たとえ勝てるとしても、長い旅路になりそうだよ」
「長い方がいいじゃねぇか。いっぱい冒険できるぞ」
「まぁそうだよね。君ならそれを楽しいって言う人だよ。うん、だんだんわかってきた」
納得した顔で頷き、今度はキリが質問する。
誰にだって過去はあるが彼のは一際楽しそうだ。聞いていて飽きる気配はない。
さらに知りたくなってしまって、海賊になるのはだめでもこれくらいなら許されるだろうと、次の話を促してみる。
「それで、山賊に襲われて、赤髪のシャンクスに助けられて、その後は? 何事も起きずに平々凡々と暮らしてました、とは言わないと思うんだけどさ」
「ああ。おれのじいちゃんがすげぇ厳しくてよぉ、海賊になりたいって言ったら、だめだって言われて、海兵になれって言われたんだ。じいちゃんも海兵で忙しかったからな。ほとんど村にはいなくて、自分で育てる代わりにおれを山賊に預けたんだ」
「皮肉なもんだね。人質にされたのに預けた先が山賊?」
「つっても別の奴らだけどな。山賊は嫌いだけどダダンたちは好きだ」
「ふぅん。確かに聞いてる限りじゃ悪い関係性じゃなさそうだね。ちなみに、一応聞いときたいんだけど、海兵だっていうおじいさんの名前は?」
「モンキー・D・ガープってんだ。拳骨がすんげぇ痛くてよぉ。おれゴム人間だから打撃は効かねぇはずなのに、なんでだろ」
腕を組んでうーんと首を捻り、考え始めてしまったルフィの隣で、キリは彼の顔から視線を外して前を見る。きょとんとした顔で、表情が消えてしまったらしい。どこか様子がおかしくなっていたが考え込むルフィに気付かれることはなかった。
歩いていると森の切れ目が見つかり、視界が開けて幅の狭い川を見つける。
流れは緩やかで穏やかな様相。海とは違った美しさがある。
二人は一度そこで足を止め、静かな川のせせらぎを耳にした。
「きれいな川だね。これなら飲み水にもできそうだ」
「よし。とりあえずこれで死なねぇな」
「とりあえずはね。後は食料が手に入ればなんとかなるかな」
「やっぱ肉がいいなぁ。どっかで狩りしよう」
「じゃあ次はどっちに行こうか」
「上流に行ってみようぜ。なんかあるかも」
「また適当な理由で選んで。まぁいいけど」
足は自然と上流を目指し始め、二人並んで歩き出す。
流れる川の音を聞きつつ、歩き出すと同時にキリがルフィに質問する。
「さっきの続き。“ゲンコツのガープ”の孫だって?」
「やっぱ知ってんのか。じいちゃん有名らしいからな」
「シャンクスと同じくらい、いや、下手したらそれ以上の有名人だよ。海軍の英雄って呼ばれてる。それこそ海賊王のロジャーとやり合った一人で、生きる伝説の一人さ。階級こそ中将だけど、それは昇進を自分で蹴ったから。実力だけで言えば大将クラスかそれ以上になる」
「まぁとにかく有名ってことだろ」
「本当にわかってる? 事態の凄さが」
「なんとなく」
「ハァ……だと思った」
眉間に皺を寄せて訴えるキリだが、どうにも状況がわかっていなさそうなルフィは上機嫌に笑うばかりで、特別態度が変わる訳でもない。それほど興味を持っていない顔なのだ。
反応に困ってキリは溜息をついた。話が通じていない気分になってしまう。
理解しつつあると自覚していたのに、どうやらまだまだ認識が甘かったようだ。彼を理解した気になるのは大きな間違いなのだと改めて理解する。
あまり考えないようにしつつ、会話は途切れさせない。
そんな調子でも話したいことは山ほどあった。それもまた不思議な気持ちになる一因である。
「まぁいいや。案外身内だとその程度なのかもね。ええと、山賊に預けられて――」
「預けられたけど、ダダンたちとはたまに会うだけで、おれはほとんど兄ちゃんと居たんだ。最初はあんまり仲もよくなかったしな。ダダンたちは好きでも、やっぱりおれ山賊嫌いだから」
「兄ちゃん、ね。山賊に預けられたのに? 血の繋がった兄弟が居たの?」
「いんや、血は繋がってねぇ。盃を交わして義兄弟になったんだ」
ふむ、と納得した様子でキリが頷く。それなら合点がいった。血が繋がっていると言われた方がよっぽど理解に苦しむ。
山賊に預けられて再会はないだろうと思っていたが、やはりその時が初対面だったらしい。
それにしても変わった人物だ。海兵の祖父がいて、海賊に憧れ、山賊に育てられた挙句に子供の時分に盃を交わして義兄弟を得るとは。ずいぶん稀有な人生を歩んでいる。
ゆくゆくは大物になりそうだな。全て信じた上でそう考えていた。
「エースとサボといっしょに山の中を走り回って、ガキの頃はずっと修行だった。将来海賊になろうって三人で決めたからな。誰よりも自由にこの海を航海するんだって」
「その名前、どこかで聞いた気が――」
「エースはおれより先に島を出て海賊やってんだ。手配書が出たのも知ってる。かなり有名らしいから、多分キリなら知ってると思うぞ」
純真な目で問われて思わずキリも顎に手を当て、考える。
真っ先に思いつく名前と顔が一つ。世界的に有名で誰でも知ってる有名人。
もし考えた通りだとすれば大変な事態だと思う。その人物の身内など噂にも聞いたことはない。
まさかと思いながらも試しにそれを口にした。
「エースって名前でまず頭に浮かんだのは、火拳のエースだ。ひょっとしてその人?」
「そうそう、そいつだ」
「マジで。ハァ……いよいよ頭が痛くなってきた」
「なんで?」
「知らないの? 火拳のエースがどれだけ有名な人間なのか」
「んー、エースのことは知ってるけど、どんだけ有名かは聞いたことねぇな。おれ山の中で住んでたし、噂も聞かなかった。マキノは有名だってことしか言ってくれなかったんだ」
「じゃあどう言えばいいかな……すごく簡単に言えば、ロジャーと渡り合った海賊の部下になってて、その中でも隊長の地位に居る。他の隊長より若いこともあって、知名度で言えば世界で見ても上から数えた方が早いくらいだよ」
「へぇ~。とにかくすげぇってことだよな」
「あれ? 説明した甲斐なし?」
想像通りのビッグネームに虚を突かれたようだ。思わず頭を抱えたキリは足を止めそうになる。それだけ大きな名前なため、衝撃も大きかった。
それと同じくらい驚きなのが、ルフィがそれを凄いことだと思っていない事実である。
あっけらかんとする彼は大したことだと思っていなくて、そちらの方が驚きが大きい気がした。
「関係者がとんでもない人ばっかりだね。ほんと気が遠くなりそうだ」
「しっしっし。どうだ、おれの仲間になりたくなったか?」
「悪いけどその手には乗らないよ」
「キリは全然うんって言ってくれねぇな。どうやったらおれの仲間になるんだよ」
「だから、海賊にはならないって。もう足を洗ったんだから」
そうは言いつつも、徐々にキリが惹かれつつあったのは確かだ。ルフィの関係者が有名人ばかりで、昔を思い出すきっかけになったことばかりではない。冒険と称して未開の土地を歩いていること自体、自分で想像するより大きな興奮を抱えてしまっている。
もう海賊はやめると決めたのに。
意思が弱い自分を叱って首を振った。
ルフィが特殊な環境下で育ったことはわかった。祖父や兄、友達、豪華な顔ぶれだ。しかしそれが自分に何の関係があるというのだろう。無理やりにでもそう思うことにする。
ただ、気になることがもう一つだけ。
先程エースと同じタイミングで聞いたもう一つの名前だ。
「もう一人は? 確か今、サボ、って」
「ああ。兄ちゃんは二人居たんだ」
「その人も海賊になったの? でもその名前、どこかで――」
「サボは死んだんだ。まだおれがガキだった頃に」
事も無げにそう言われて、一瞬時が止まる。
ルフィの顔はなんでもないことを告げている様子。しかし想像とは違った答えに言葉を呑み、気まずげに顔をしかめたキリは頬を掻いた。
こんな時ばかりは静寂に包まれた周囲が恨めしい。
言葉を止めれば痛いほどの沈黙に襲われそうで、気まずい想いながらも口を動かす。
「そうか……ごめん。悪いこと聞いた」
「別にいいよ。もう何年も前のことだし」
「そう。それならいいけど」
ルフィは気にしていないようだ。変わらぬ笑顔で彼を見る。
気を取り直してキリも笑おうとしたところ、ちょうど視線の先に何かを発見した。
真剣な目つきに変わってそれを注視する。まだ距離はあるが大きな音は聞こえていた。
前方を指差してルフィに教えてやれば彼も気付く。
「ねぇ、あれ」
「ん? なんかあるな」
歩調を速めて進む。
どちらも好奇心を露わにしていて楽しんでいる顔だ。緊張した空気はあっという間に霧散し、目の前の物に集中する。距離が近付くとそれが何かは火を見るより明らかとなった。
大きな音を立てるのは、滝だ。
さほど大きな規模ではないが大量の水が一気に落ちて轟音を立て、その先へ川を作り出している。そこへ辿り着くと一気に空気が変わったように感じられて、清々しい心地を感じた。
ルフィは滝を見上げて感嘆の声を上げ、笑みを取り戻したキリはぐぐぐと伸びをする。
「おおっ、滝だ」
「これが見れたんなら無駄足じゃなかったかもね。空気が澄んでる」
美しい景色の中に立って、二人はしばし足を止めた。
緑に囲まれた円形の広場にまん丸な滝壺。背はあまり高くないものの見事な滝が爽快な音を発し、ここだけは葉の天井も切れて空が窺え、辺りは一層輝くよう。滝壺に落ちる水で小さいながらも虹まで出来ていた。滅多に見れないと感じるほど、ひどく美しい風景である。
腰に手を当て、言葉を失って見入った。
これだから冒険はやめられない。そう思った直後にまたキリは自分を叱りつける。流されてついて来たが気分まで流されてしまった。これではいけないのだ。
気合いを入れ直そうとするキリとは対照的に、喜ぶルフィは滝へ向けて歩き出した。
「なぁキリ、知ってるか? 滝の裏には洞窟があって、お宝があるんだぞ」
「確かに海賊の冒険譚にはそういうのつきものだけど、別に全部の滝が同じわけじゃないよ」
「いいじゃねぇか、調べてみようぜ」
「何もないかもしれないよ」
「それならそれでいい。何もないならそれを確かめるんだ」
「ハァ、またこうなるのか」
ルフィは小走りになって滝まで近付くも、キリは呆れた様子で歩く。
すっかりその気になっている彼を止めるのは無理そうだと感じながら、やはりこのままではいけないのではと話しかけるが、想像していた通り止まりそうにもない。
「あのさ、もういいんじゃないの? 十分冒険らしい冒険はしたと思うよ」
「でも急いでないんだろ?」
「急いではいないけど、冒険するのはまた別だって。そういうのはちゃんとした仲間を見つけて、それから始めればいいでしょ。ボクは遠慮しときたいんだ」
「おれはキリを仲間にしたいんだぞ」
「無理だって」
「なんで」
「もう足を洗ったから」
先にルフィが滝壺のすぐ傍、滝を見上げる位置に辿り着いた。
すぐに視線は滝の裏へ向かい、洞窟がないかと探し始める。追いついたキリは俯いて溜息をつき、一転して飽き飽きといった様子を見せた。というより、ポーズだけでもそうしなければこれ以上はまずい。彼のペースに乗っていると後々後悔することになる。
「それにそもそも、普通はお宝があると知って探しに来るものだ。たまたま遭難して辿り着いた島に、そんな都合よく滝の裏の洞窟やお宝があるわけない――」
「おいキリ、あれ見ろよ」
キリの言葉を遮って、ルフィの右手が滝の裏を指差す。そこを見てみると、まさかとは思うものの、確かに洞窟らしき窪みが見えていた。偶然にしてはあまりに出来過ぎている。
あんぐりと大口を開けるキリに対し、してやったりのルフィは彼の背を強く叩いた。
「ほらみろっ、言った通りだろ! やっぱりお宝があるんだよ!」
「まさか。人がせっかく足洗おうとしてるのに、なんでこんな時ばっかり……」
「うし、じゃあ早速探しに行くぞ。キリも行くよな。海賊だもんな」
「いやボクは――」
断ろうとしたその一瞬、ルフィの右腕が伸びてぐるりと腹に回され、しっかり掴まれる。むしろ捕まったといった姿であった。
あっと思う暇もなく左手が伸ばされて滝を突っ切り、洞窟内の岩場を掴む。
まずいと気付いた時にはすでに遅い。伸ばされた左腕が急速に縮んで、勢いを利用してまるで弾丸のように、二人の体が足場を離れた。真っ直ぐに落下する水の壁へ向かい、激突する。
滝へ突っ込んで勢いよく通り過ぎた結果、せっかく乾いた服や全身がびっしょり濡れていて、そんなことを気にする暇もなく、勢いを止める術もなく洞窟の中へ飛び込んで地面を転がっていた。
ごろごろ転がり、勢いが弱まった頃に体が止まる。
体のあちこちをぶつけたせいでひどく痛んだ。だがそんなことより、無理やり連行されたことの方が問題である。
ルフィの腕が腰の辺りに巻き付いたまま、仰向けに倒れたキリは深く嘆息した。
「これはまた、厄介な人に出会ったもんだなぁ。ここまでするかな、普通」
「しっしっし、上手くいった。さぁて、お宝どこだぁ?」
軽やかに立ち上がったルフィは喜々として早速歩き出し、洞窟の奥へと進み始めた。解放されたキリだが滝を越えて外へ戻るには滝壺を泳がねばならず、あいにくカナヅチで泳げない。仕方なく後に付き従うように歩き出すが、胸中では予想外の展開を楽しみつつある。
子供の頃から体験していたせいか、どうやら根っからの海賊のようである。
努力とは裏腹に冒険を楽しむ自分が恨めしい。
洞窟はそれほど広くない。幅は二人がギリギリ歩ける程度、薄暗いものの水流を隔てて光が差し込み、完全に視界がないわけでもなく、ルフィの後ろ姿もはっきり見える。迷いようもない一本道のため追いつくのも難しくなかった。
奥行きは約十メートルほど。一番奥に辿り着くまで一分とかからなかった。
そこにある物は薄暗い中でも鮮明にわかって、呆気に取られた二人は大口を開ける。
「うわぁ」
「これは……」
座り込む形で放置されていたのはボロボロの服を纏った白骨だった。もうずいぶん前に動かなくなった亡骸だろう。骨には所々苔が生えており、ここに居座ってからの長い時間が感じられる。他の者の姿はない。たった一人で何年も暗い洞窟に居たようだ。
怯えることもなくじっと見つめた二人は口々に感想を漏らす。
「可哀想に。孤独に死んでいってずっとそのままだったんだ。ここじゃ誰にも見つからないだろうし、妙なところで死んだもんだなぁ」
「こいつ、ここで何してたんだろうな」
「さぁね。ボクらみたいに遭難したのか、宝探しでもしてたのか。或いは密航者か犯罪者かも。まぁ、少なくとも服装を見る限りカタギじゃなさそうだね」
キリは一歩近づいて膝を折り、白骨化した遺体に両手を伸ばす。何やら服を調べ始めたようだ。
ルフィは不思議そうにそれを眺めて、止めるつもりもなくただ質問する。
「何やってんだ?」
「どうしてここに居たのか、手掛かりくらいは持ってるかと思って」
ふぅん、と興味なさげに呟き、観察する。
嫌悪感はないらしく、テキパキとした動き。妙に手慣れているように見えた。
調べた結果、胸の内ポケットに手を伸ばした時に何かを発見する。取り出したそれは古い羊皮紙だった。他に見つかったのはピストルが一丁と壊れたコンパスだけ。それらは地面に放置して羊皮紙だけを持って立ち上がる。
折りたたまれた紙を開けば、途端に興味を持ったルフィが肩越しに覗き込んでくる。
どうやらどこかの島の地図らしい。
空から見た島の全景と何かを示す印が四つ。おそらくだが、宝の地図らしき物だ。
「おっ、なんだこれ。宝の地図か?」
「どうもそうらしいね。ほら、この砂浜。多分ボクらが漂着した場所だ」
「そんなのわかんのか?」
「地形を見れば大体わかるよ。つまり、これは今ボクらが居る島の地図ってことだろうね」
推測でしかないがそう言い切る。するとルフィが即座に反応して地図を指差した。
「印がついてるぞ。なぁ、これってお宝だろ?」
「どうだろう。一概にはそう言えないと思う」
「うーん、四つあるな。このどれかにお宝があるんじゃねぇの」
「いや、多分そんなに簡単じゃないでしょ。何か仕掛けがあるはず」
「なんで?」
「滝の裏の洞窟にお宝を隠すように、宝の地図にもセオリーがあるんだ。一旦外に出て考えてみよう。ここはちょっと暗過ぎる」
「おし、わかった」
キリの言葉に従って行きと同じく、ルフィの手によって外へ出た。
またしても頭から大量の水をかぶることになったがもう気にしない。今は見つけた地図に気を取られているため、すっかり夢中になっていたようだ。
自制心もどこへやら、外へ出て土の上に降り立ったキリは早速地図を広げる。多少濡れているが問題はない。丈夫な羊皮紙は尚も島の全景と四つの印を表している。
あまり大きな島ではないと見える。その気になれば一日でも一周することはできそうだ。
ルフィがキリの隣に立ち、地図を覗き込むと、指で指し示しながら解説が始まる。
発見してからたったの数分。
それだけで地図に記された全てを理解できるとは、存外彼は頭が良いらしい。
「それで、どういうことだ?」
「この手の地図は、宝の在処を直接示さずに、ヒントを与えているだけの可能性がある。例えばほら、この右下の印。多分ここがボクらの現在地だ。砂浜から歩いた距離から考えても、辺りの風景から見てもほぼ間違いない」
「すげぇなキリ。おれにはそういうのわかんねぇや」
「確かに滝の裏には洞窟があったけど、そこには何もなかった。仕掛けもなさそうだし、あったのは宝探しに来て力尽きた死体だけ。そこから考えるに、海賊が好むセオリー的には、この四つの印のどこにも宝がないってことが考えられる」
「んん?」
「例えば、そうだな――」
腕を組んで首をかしげ、明らかにわかっていない顔のルフィを見て苦笑し、キリは近くに落ちていた木の枝を拾った。そしてガリガリと土を削って何かを書き始める。
四つの丸。地面に描いた後でルフィの顔を見る。
「印は四つ、これでも等間隔に描かれてる。多分このタイプだとこうして」
木の枝の先端が地面を走り、四つの丸から線を伸ばして、すべての線が交差した。
四つの丸の中央、自然とバツ印が描かれる。
ルフィの笑顔が輝いて何かに気付いた様子であった。
「おぉっ」
「こういう風に、四つの印から線を伸ばして交差する場所に、お宝が眠ってる可能性がある」
「そういうことかぁ。キリ、この場所わかるか?」
「憶測だけど大体は。縮尺から見てもそんなに時間はかからない」
「よぉし、じゃあ行こうぜ! お宝はおれたちがもらったぁ!」
「うん」
意気揚々とルフィが歩き出し、続いてキリが歩き出そうとする。しかしその一瞬、表情を変えた彼が自らの額を叩き、自らの失敗を責めるように唐突に天を仰いだ。
気付いたルフィが足を止めて振り返る。
何が起こったというのか。
わからないと見つめていれば、大きなため息を吐き出したキリが呟く。
「――って、何やってんだボクは。海賊やめるって決めたのに」
「なんだよ、せっかく盛り上がってたのに」
「あのさ、ボクはもう冒険とかそういうのやめたんだ。ここまでは付き合ったけど、この先は自分でやってくれないかな。これ以上付き合うと、その……」
「おまえだって楽しそうだったじゃねぇか」
「それが問題なんだ。もうやめるって決めたから、楽しいって思うのは良くない」
「別にいいだろ。楽しいんだったら」
「そういうわけにはいかないよ。海賊のまま村に帰ったらそれこそ問題になる」
キリの視線はふと川へ向き、そちらに数歩進む。
ルフィには背を見せ、少し気落ちした表情で穏やかな流れを見つめた。
「いつまでも変わらないなんてことは無理だ。環境が変わるなら自分も変わらなきゃ」
「う~ん、そうかな。おれはそんなこと思ったことねぇぞ」
「まぁ、君はね。そのままでいいと思うよ。うん、きっとその方が海賊らしい」
「だろ? キリも無理に変わろうとしねぇで、海賊やればいいじゃねぇか。海賊好きなんだろ」
「もう決めたことだから」
遠くを見るような目つきが気になった。ルフィの表情も少し強張る。
なぜ無理に変わろうとするのだろう。これまで自分らしく生きてきた彼には理解できそうにない。幼い頃から海賊になるため、誰よりも自由に生きると決めて生きてきた。何が正しいかより、兄たちと共に後悔しない人生を選ぼうと決めたからだ。
キリはきっと、海賊が嫌だからやめようとしているわけではない。むしろ今でも海賊は好きなのだろう。些細な素振りからなんとなく伝わる。
だからこそ気が合いそうだと思って誘い続けたわけだが、どうやらかなり決意が固いようだ。
ちっとも振り向いてくれる素振りはなくて、だがそれでも、川べりに佇む彼はひどく寂しそうに見えて無視はできない。断るのならそんな顔を見せなければいいのに。
彼はまだすべての過去を語っていない。知りたい、と思った。
ただ今は話してくれないだろうとわかっているため、宝を優先すべきだと判断する。
黙り込んだキリの背に、心底明るい声をぶつけた。
「まぁ細かいことはいいから、とりあえず行こうぜ」
「あのね。ボクの話聞いてた?」
「聞いてたよ。でもなキリ、はっきり言っとくぞ」
「なに」
「おれは地図が読めねぇんだ」
腰に手を当て、胸を張り、堂々とした姿である。
自分の弱みをこれほど自信満々に言えるものだろうか。
驚いて呆然としたキリは言葉を失くして、目をまん丸に開いて立ち尽くした。
続けてルフィが堂々と言う。
「宝の在処を教えてもらったって、おれは一人でなんて行けねぇぞ。おまえに助けてもらわなきゃ島から出ることもできねぇ。だから助けてくれ」
「いや、そんな自信満々に……」
「色々あったのかもしれねぇけどよ、海賊がどうとか置いといて、今は助け合おう。ここにはおれとおまえしかいねぇんだから」
その妙な自信はどこから来るのかはわからないが、強い確信を持って話しているのは伝わる。キリは何と言っていいかわからずに戸惑う。これほど困ったのはずいぶんと久しぶりだ。
じっと見つめていれば、ルフィがにこやかに笑う。
「もう仲間になれなんて言わねぇから、最後の冒険しようぜ。それくらいはいいだろ」
「……まぁ、それくらいなら」
「ししし、決まりだ」
体の向きを変えたルフィは歩き出そうとし、その前にふと腕を伸ばしてキリの手を取った。
歩み寄ることなく、自分の方へぐいっと引き寄せる。
力強い様子にたたらを踏む。しかし転ぶことなく彼のところまで近寄った。
一緒に歩いていればわかることもあるだろう。
それなら話さずとも一緒に居ればいい。お宝探しが楽しいのは確かなのだ。
隣に並んで、笑みを向けられる。
手を繋いだままでルフィが足を動かし始めて、自然とキリが連れられる形となって後へ続く。
「ちょっと、引っ張らなくても自分で歩けるって」
「キリ、どっち行きゃいいんだ? おれはもうわかってねぇぞ」
「だったら先歩かないでよ。ちゃんと案内するから、とりあえず手ぇ離してよ」
「うし。任せた」
慌てたキリが必死について行きながら言って、ようやく手が離された。
また流されてしまった気がするが仕方ない。ルフィの言葉に動揺してしまったのがいけなかった。今回くらいはいいだろうと気軽に考えてしまう自分が居る。
何の因果か、そう簡単にやめさせてはもらえないようで、キリは苦笑して小さく嘆息した。