「ハァ、ハァ、ハァ……」
勝利を確信して、沈んでいく太陽に向けて叫んだ後、バトラーは奇妙なことに気付いた。
気配を感じたとでも言えばいいのだろうか。
何気なく振り返った時、彼は目を見開いて驚愕を表した。
なだらかな丘だったはずのその場所は地面を砕かれてひどい様相となっている。
瓦礫が散乱するような光景の中に動物たちが倒れ、動く者など一匹たりとも居ない。
そこに彼らが居た。
麦わら帽子を被ったアライグマを胸に抱え、傷ついてぐったりした彼を大事そうにそっとその場へ寝かしてやり、立ち上がるとゆっくり顔を上げる。
怒りもせず、恐れもせずに、真っ直ぐバトラーを見つめるルフィが居た。
数歩下がった場所にキリが立っており、同じように敵であろう怪物を眺めている。
「なんだ、貴様らは……なぜ立っている?」
問いかけるように呟くものの、返答はない。
二人はじっと彼を見つめたままで動こうとしなかった。
どことなく不気味な雰囲気を感じる状況である。
バトラーが困って見つめていると、比較的軽傷だったらしいモバンビーに手を借り、自分の足で地面に立ったチョッパーが二人へ声をかけた。
すぐに二人の視線がそちらへ向いて、存外優しい眼差しで彼を迎える。
「ルフィ、キリ……ごめん。おれが勝手なことしちゃったから、こんなことに……」
「いいさ。楽に行こう」
ルフィは屈託なく笑う。
その顔を見て涙が溢れそうだったがぐっと耐え、チョッパーはさらに続けた。
「ほんとならおれがやるべきなんだけどさ。あいつに、勝てないんだ。こんなこと、本当は言いたくないんだけど……おれの代わりに、あいつをぶっ飛ばしてくれねぇかっ」
「いいぞ。あとは任せろ」
考える暇も悩む素振りもなかった。
あっさり告げたルフィは腕を回しながらバトラーに目を向ける。
チョッパーとモバンビーが驚いていると、苦笑したキリが彼らにひらひらと手を振る。彼だけは全く驚いていない顔なのでいつものことなのだろうか。
とにかく、二人は揃ってバトラーに向き合った。
彼らよりも高い位置に居て見下ろすバトラーは笑顔を見せる。
「選手交代というわけか。だがまさか貴様ら、このおれに勝てると思ってるんじゃないか?」
「ああ」
「バカなことを……貴様らもこの動物どもと変わらんなァ」
侮蔑するような笑みで、バトラーは上機嫌に語る。
「おれは“王なる宝”を得た。その結果がこの景色、この風景だ。何が言いたいかわかるか?」
「いや」
「貴様らがおれを殺そうとしても、同じ結果にしかならんと言っているんだ。天才的頭脳と獣を超えた力を持つこのおれに勝てる生物など存在しない」
「そうか」
興味が無さそうにも思える口調で答えて、ルフィは小さく頷いた。
多少その態度を気にしながら、尚もバトラーは主張する。
「びびって逃げ出すなら今の内だぞ! おれ様はこの力で世界の王になる男なのだ!」
「あぁ、そういうのはいいよ」
端的に告げ、ルフィは指の骨を鳴らし始めた。
「おれはお前をぶっ飛ばすだけだから」
「バカと話すってのは疲れるぜ。もうわかった。貴様は生かしておく価値がないことをな」
前傾姿勢になったバトラーは低く喉を鳴らし始める。自分が負けるとは夢にも思っていないが相手に対しての怒りもある。手加減するつもりは皆無だった。
ルフィはその場で右腕を回している。
間抜けな顔をして強そうには見えない。これなら森の番人の方がマシだったほどだ。
そう思う頃、彼が先に動き出した。
「ゴムゴムの――」
やる気がある顔には見えないまま、なぜかそこから攻撃しようとしているのか。
意味が分からず、バトラーはへらへら笑い出す。
瞬間、ルフィの腕が伸び、強烈なパンチはバトラーの頬へ叩き込まれた。
「ピストルッ!」
「はうっ!?」
今日受けた中で最も大きな痛みを感じた。
巨大になったはずのバトラーだがあっさり殴り飛ばされ、滑るように地面へ倒れてしまう。左の頬がじんじん痛んで倒れたままで彼は訳が分からないと首を傾げていた。
距離はあったはずだ。しかも、彼の腕が伸びてきた。
それだけでなく強くなったはずの自分にそれだけの痛みを与えるのも信じられない。
バトラーは激しく混乱し、取り乱しながらも慌てて立ち上がった。
やはりルフィはその場を動いていない。腕だけが伸びて殴ってきた。
この時、彼は敵が悪魔の実の能力者なのだと確信する。
理解さえしていればそれほど驚くことではない。平常心を取り戻したらしく、冷静に対処すればそう苦戦することはないはずだと、一度は消えた笑みが舞い戻った。
対峙するルフィは一切表情を変えようとしない。
その隣にキリが並んで、懐に手を突っ込んで紙切れを取り出す。
どうやら二対一の構図となるようだ。
「ハァ、いきなりで驚いたが、それがどうしたァ! 結構痛かっただけだぞォ!」
「意外とタフみたいだね。面倒だし、さっさと終わらせようか」
「そうだな」
「援護するよ。ルフィは好きに動いてくれればいい」
「よしきた」
打ち合わせはさほど中身もなく、あっさりと終わってしまう。
突然ルフィが走り出して腕を自身の後方に伸ばした。
「ゴムゴムのォ~!」
「無駄だァ! そんなもん、ちょっと痛いだけで痛くも痒くも――」
伸ばされた腕の先端、拳の部分に紙が纏わりつき、拳が倍近く大きくなったような形になる。当然能力によって硬化されて鉄と同じくらいの硬度だった。
違和感を感じたバトラーが直立していると、またも隙を衝いてパンチが突き刺さる。
「トンカチィ!」
腹に真っ直ぐ、直撃する。
バトラーの体は地面から離れてしまって受け身も取れない。
背中から落ちて慌ただしく転がり、彼は痛む腹を押さえながら倒れ、ジタバタともがく。先程も相当痛かったのに今度はそれすらも超えていた。
今になってやっと彼が普通でないことに気付く。
痛みが強過ぎて悲鳴さえ出せなかったバトラーは、さらにルフィが迫っていることに気付いた。
またしても腕が背後に伸ばされ、しかも今度は捻じれている。腕の先端には同じく硬化された紙が装備されており、攻撃力は全く同等か、それ以上と推測できた。
青ざめたバトラーが逃げ出そうとするが、起き上がることも許さず攻撃が来る。
「トンカチ
「おごぉっ!?」
仰向けに倒れたバトラーの腹に、真上から一発。回転したパンチが強烈なダメージを与えた。
大量に空気を吐き出して、意識も遠のく一撃だった。
バトラーは動けない。すると落下してきたルフィは更なる追撃に出るつもりらしく、頭上に向かって右足を思い切り伸ばして、その先には素早く紙が纏わりついて硬化した。
恐ろしい物を見る目で動けないまま、バトラーに再度攻撃が加えられる。
「トンカチ
「ぎゃあああっ!?」
「語呂悪いね」
鉄の硬度を持つ紙の靴を履き、強かに腹を踏み抜かれたバトラーが悲鳴を上げた時、少し離れた位置から見ているキリは柔らかい笑顔で楽そうにしていた。ルフィを心配することもなければバトラーに対して同情もしない。それどころか楽しそうにすら見える。
さらに離れた場所で見ていたチョッパーとモバンビーはぽかんとしていた。
あれだけ皆が苦戦した相手がまるで赤子の手を捻るように苦戦している。
この二人の強さは理解できないほどで、まだ全力を出しているようには見えない。ルフィもキリも些細な態度から余裕を感じさせるのだ。
「す、すげぇ……」
「こいつら、こんなに強かったんだ……」
感心した二人は小さく呟く。
その間にもルフィは攻撃を行い、もはやバトラーは怯えて逃げようとしていた。
「トンカチ
「ぐぉあああああっ!?」
両手に紙を張り付けた状態で連続して殴られる。
バトラーの体は耐えることすらできず、押されるままに後退していく。足先にある鋭い爪は地面を削るのだが止めることができていない。踏ん張る力も失っていた。
とどめに顔面へ一撃を受け、彼は再び殴り飛ばされる。
その際、噴き出した鼻血が空中でアーチを描き、彼の間抜けさをさらに助長するかのよう。
バトラーは呆気なく倒れ、今やその目は完全に恐怖で支配されていた。
彼は戦士ではない。元々は学者であり、戦いどころか喧嘩さえしたことがなかった。人を殺めたことはあるがそれも武器を持たない者を騙し討ちにしただけであり、彼自身の強さではない。
突然強い力を手に入れたところで、それが彼自身の強さとなるはずもなかった。
真の強者に会った時、バトラーは自らの死を感じ、狼狽した目が探すのは逃げ道のみだ。
バトラーが慌て出すもののルフィの表情は変化しない。
あくまでも彼をじっと見つめ、片時も目を離そうとはしなかった。
戦闘が少し途切れたその一瞬である。
唐突にチョッパーが大声を出し、近くに居たキリが反応した。
彼の弱点を知っている。二人に教えればきっと勝利へ導いてくれると思った。
「キリ! そいつの弱点は角だ! 角さえ折ればきっと力を失う!」
「角?」
「そいつは、動物王の角を食ってその姿になった! 角が無くなればきっと……!」
「オッケー。了解」
後ろで控えていたキリも歩き出して前に立つ。
ルフィへ近付きながら気楽な声が発されていた。
「ルフィ、聞こえた?」
「ああ。角だろ」
「そっちはボクがやる。ちょっと適当に相手しといてくれればいいから」
「うし、わかった」
「クソォ! 舐めるなァ! おれは強くなった! おれが負けるはずねぇんだ!」
やけになったのか、突然立ち上がったバトラーが自ら二人へ向かって駆け出す。
何も考えず無策の特攻。脅威を感じる行動ではない。
反応したのはルフィであり、今度はキリのサポートを受けず、自分一人で迎え撃つ。両腕で素早い予備動作を行った直後、両手による掌底が繰り出された。
「
目視することすらできず、気付いた時には腹を打たれていた。
がくりと膝をついたバトラーは動けなくなる。
その一瞬、キリが勇む様子で跳び、ひどく楽しそうに彼の角を狙った。
「まず一本」
紙で組み上げた長大な斧を硬化させ、振り回し、左側の角を狙う。根元から両断しようと刃を激突させた瞬間、硬い感触があって振り切れない。
キリが表情を曇らせる。
よく見ればヒビが入っているその角は異様な硬さを誇っていた。彼の一撃を受けてもヒビの部分からわずかに欠片が落ちたのみで、両断には至らない。
キリが一旦下がって距離を取った。
注意深く観察すれば両方の角にヒビが入っている。チョッパーが入れたのだろうかと推測し、大したものだと考える。そんな感想と共に打開策は徐々に構築されつつあった。
もっと強い衝撃が必要らしい。
となればルフィの力を借りた方が早く済むため、足を止めた彼は早速提案する。
「意外に頑丈みたいだね。ルフィ、ちょっといい?」
「いいぞ。なんだ?」
「刃はこっちで用意するから、思いっきりぶん殴ってくれる? そしたら多分押し切れるよ」
「わかった。とにかく殴ったらいいんだろ」
頷くルフィを確認して、キリは紙で長い棒を模り、硬化して両手に握った。
彼の身長も超える棍棒である。
それを持つと突然駆け出し、見るからに疲弊したバトラーへ接近する。
膝をついて動かない彼の頭を全力で殴り、体は勢いよく倒れる。背が地面についてしまい、頭をぶつけて大の字になって寝転んでいた。彼が欲したのはこの体勢だったようだ。
持っていた棍棒も含めて大量の紙が動かされる。
素早く彼の両手両足を拘束し、端は地面に突き刺さって、完全に動けなくなってしまう。
バトラーはそうなってから怯える声を発した。
何をされるのだろうと喚き続ける声を聞きつつ、無視して、キリは別の物を作り上げる。
彼の頭部、特に角へ狙いをつけた断頭台を設けた。
たかが紙の集合体。しかしそれが鉄の硬度で、物を切れる刃を持つことは想像できた。
殺される。そう思ったバトラーは必死に体を動かすが拘束は完璧で、関節を押さえて上手く力を殺すようにできているため、無駄な労力に終わってしまう。
いよいよ執行という時、キリは非常に楽しげで、むしろルフィが心配してしまうほどだ。
「あああああっ!? 待て!? やめろ!? 考え直すんだぁああっ!?」
「準備完了。それじゃ刑の執行、どうぞ」
「なぁキリ、なんでそんな楽しそうなんだ?」
「別に楽しいわけじゃないけど、なんで?」
「だってすげぇ笑ってたぞ」
「こういう時は笑ってる方が相手をびびらせられるもんさ。精神攻撃だよ」
「ふぅ~ん。そういうもんか」
「貴様らやめろォ! お、おれに何の恨みがあってこんなことを――!」
喚くバトラーの声には取り合わず、キリがルフィに攻撃を促す。もちろんいつも通り笑顔でだ。
「せっかくなら高い場所からどうぞ、船長」
「んじゃそうするか」
再びキリが棍棒を作る。
ルフィがその場でぴょんと跳び、本気ではない跳躍からキリが振るう棍棒に飛び乗り、彼が押し上げるように棍棒を振り抜いた勢いで空に向かって飛ばされる。
上空高くから落下し始め、くるりと回った彼は空に向かって右足を伸ばす。
「ゴムゴムのォ――」
「ぎゃああああっ!? この人殺し!? 悪魔め! 貴様ら人間じゃねぇ!?」
「人間やめてる君に言われたくないよ。それにひどいことしたんだから自業自得」
「ああああああああっ!?」
角を狙って静止しているギロチンの刃へルフィが落下してくる。
距離が近くなった時、ルフィは、伸ばした脚を縮めて刃を踏み抜いた。
「
彼に踏まれた瞬間、凄まじい勢いで刃が落下して、狙い通りにバトラーの角へ直撃する。狙い通りにひび割れた部分だった。
チョッパーが攻撃した結果が残るその場所へ触れた途端、刃が深々と埋め込まれる。
しかし想像以上の頑丈さで中途半端に止まってしまう。
まだ両断とはいかず、仕方なくキリが跳んだ。
「ルフィ、とどめはよろしく」
「任せろ!」
「やめろォオオッ!?」
その場からルフィが退いたのを見計らい、落下の力を利用して再度作った棍棒を振り下ろした。
ギロチンを真上から叩いて限界まで下に降ろさせる。
後に力を加えられたことにより、今度こそ刃は角を切り裂いて、バトラーの頭から二本同時に離れていった。その瞬間に角があった部分から不思議な光が放出される。
どうやら奪った力が抜けているようだった。
キリはすぐさま拘束のための紙を回収してバトラーを解放する。
四肢が解放された途端バトラーは飛び起きた。
両手で頭を押さえ、角が無くなっていることを確認し、漏れ出る光を押さえようと必死に手を動かすが上手くいかない。彼の体は見る見るうちに変化していく。
黄金の体毛が抜け落ち、筋肉が失われてひょろりと細く、元の姿より弱々しくなる。
その様は見ようによっては恐ろしく、一瞬にして骨と皮しか残らない人間となってしまった。
「ああああああっ、消える!? おれの力が……!?」
「ゴムゴム……ゴムゴム、のォ」
その時すでに、彼の目の前でルフィが限界まで両腕を伸ばしていた。
勢いをつけるため背後へ伸ばして、あとは引き寄せて撃ち出すだけの状態。必殺の一撃がすぐそこまで迫っているのだと気付き、バトラーは目を見開く。
驚いたところでもう遅い。
ルフィは容赦せずにその腕を撃ち出した。
「やっ、やめっ――!?」
「バズーカァ!!」
高速で突き出された両手がやせ細った腹を捉える。
強烈な掌底は彼の悲鳴すら許さず、凄まじい勢いで空へ運び、そのまま島の外へ吹き飛ばした。島の中心地に居たのだが彼が海の向こうへ飛んでいく様を見送る。
かつてのムッシュワポールと同じである。
バトラーの姿は一瞬にして見えなくなって、勝負はひどくあっさりと終わった。
バチンと腕が戻って、ルフィが佇まいを正す。
キリも使った紙をバラシて懐に仕舞っているところで、どちらも疲労感を感じさせない。
見ていたチョッパーは、自分とは格が違うと思わざるを得なかった。確かに弱点を伝えたのは自分だとはいえ、彼らはひょっとしたら、弱点を知らなくても勝っていたかもしれない。
自分を情けないと思う一方、彼らの強さに言葉が出て来なくなる。
とんでもない一味について来たのだと今更ながらに実感して、彼は開いた口が塞がらなかった。