水深が浅いものの流れが速く、狭い川で対峙する。
サンジとヘビーは互いに睨み合っていた。
何やら剣呑な空気が漂い、敵同士と認識しているのだから当然と言えば当然だが、本来は関係ないはずの男のプライドを懸けて対峙している。それもどうでもいいプライドだ。
しかし二人は本気のようで、冗談を交えるつもりなど微塵もなかった。
流れる水が足首の辺りを濡らしている。
それさえも気にならず、ヘビーが口を開いた。
「貴様も多少は腕が立ちそうじゃ。だが私には勝てない。なぜかわかるか?」
問いかけたヘビーは素早く腕を振るった。
関節を伸ばした剣先が空中を駆け抜け、地面や壁に触れるといとも容易く削り、水を跳ね上げて美しいアーチを作り上げる。当然すぐに落ちるが彼の手腕は伝わった。
サンジは表情を変えない。
舞い上がった水や削られた硬い岩の痕にも興味を持たず、冷ややかな目で敵を見るのみ。
怖くて声も出ないかとヘビーがほくそ笑む。今までこの剣術に勝てた者は居ない。言わば絶対最強無敗の剣技。彼は自身の腕前に揺らがぬ自信を持っていた。
武器さえ持たないこの男に止められるとは思わない。
勝利は確実だと上機嫌に語り出す。
「私が貴様より強いからじゃ。今まで色んな剣士と戦ったが、私の剣を超える者は居なかった。誰一人としてな。今の内に謝るなら見逃してもいいと思うが――」
「そんなことはどうでもいいんだ」
濡れた髪を乱暴に掻き、サンジは静かな怒りを携えて呟く。
「てめぇがどれだけ強いなんてのはどうでもいい。おれが気になるのは、てめぇみてぇな勘違い野郎がモテ男を気取ってることだ……!」
「何だと? 気取ってるだと?」
「蹴り飛ばす前にはっきり断言しといてやる。おれの方が色男だッ」
狙った女は逃がさないと、そう発言したことがきっかけだったようだ。
妙な対抗意識を持ち、サンジの目は燃えていた。かつてないほどの熱量だと思うほどに。
「気取る、とは聞き捨てならんのじゃ。事実私はモテ男。貴様よりもイカシている」
「どこがだッ。てめぇに負けるところなんざ一つもねぇな」
「まずそもそも顔立ちが10対0で私の勝ちだろう」
「ふざけんなァ!? 100対0でおれの勝ちに決まってんだろ!」
「自惚れるな! そんな眉毛がグルグルしてる奴が女性の心を奪えるはずがないのじゃ!」
「てめぇこそ誇れるような顔じゃねぇだろうが! 何だその髪型! 顎が長ぇんだよ!」
「それでもモテる! 私の勝ちじゃ!」
「うっせぇ! どうせ一人で自惚れてモテてると勘違いしてただけの寂しい人生の癖に!」
「なっ、なんたる侮辱!? 自分が変な眉毛でモテないからって!」
「おれの方がモテてるね! あぁてめぇより断然モテてるさ!」
聞く者が聞けばどうでもいいやり取りだ。だが言い合いの末に、彼らは本気でいがみ合い、そもそもはチョッパーを巡ってのいざこざだったことすら忘れてしまう。
どちらがモテるかをこの場で決めるのは難しい。
ならばどちらが強いかで決着をつけるしかなかった。
「ええい、口の減らない奴……! ならば実力でわからせるまで!」
「やってみろクソ野郎。てめぇにできるとは思わねぇがな」
ヘビーが巧みな様子で剣を振り始める。
その場に居ながら離れた位置に立つサンジを狙える武器だ。絶対的優位にあると自覚している。接近もせず離れもせず、そこに立ったまま刀身を伸ばした。
スピードはそれなりのもの。軌道も自由自在な様子だ。
ガチャガチャと妙な音を立てて剣が接近してくる。
真っ直ぐ正面から向かってくるため、サンジは軽く横へ跳んでそれを回避する。
避けられた、と思ったところで焦ることはない。
今までも一撃目を避けられる人間なら居た。だがそれでは避けたことにはならないのである。
ヘビーは即座に手首を動かす。
その蛇の如く首を伸ばす剣、些細な手の動きでさえ如実に反応が出て、刀身の軌道はぐねぐねと荒れ始める。真っ直ぐ伸びたはずのそれはサンジを追ったのだ。
先端から巻き付こうとするかのように迫ってくる。予測不能の攻撃こそ真髄。唐突な軌道の変化に反応できる者はそう居ない。一撃目を避けたという安心感が動きを遅らせるからだ。
サンジの目が蛇のような刀身を見た時、すでに触れる間際。
ヘビーは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ズタズタに引き裂いてやる!」
そう叫んだ直後。
サンジはその場で強く地面を蹴り、水を跳ね飛ばしながら跳び上がった。
体に巻き付けようと周囲から迫っていたため、頭上は空いている。一瞬の判断でそれを見抜き、高く飛んで逃げるスピードもお見事。ヘビーは一瞬驚愕する。
空中でくるりと回った彼は無事に着地した。
その一瞬を狙ってヘビーが薙ぐ軌道で剣を振る。
岩すらも軽々削る頑丈な刃。捉えさえすれば彼の勝ちは確実なのだ。
勝ちを急いだ動きだったのか、サンジはその場でしゃがむだけで回避してしまう。避けられた後で刀身は壁を削りながら進み、ヘビーは慌てて手元へ引き寄せようとする。
慌てたその一瞬が命取りだった。
好機と判断したサンジが地面を蹴って前へ跳び、無防備なヘビーへ接近する。その速度は明らかに想像した以上のもの。これまで体感したことのないスピードだった。
ぎょっとした一瞬にはもう手で触れられる距離に居た。
硬直するヘビーから目を離さず、サンジの右足が振るわれる。
跳んできた勢いすら利用する跳び蹴りは想像を絶する痛みを与える。
触れた瞬間にそれがわかり、ヘビーは息を詰まらせるも、その時には遅い。
彼の体はいとも簡単に宙を舞った。
「
「どぶふぉっ!?」
あまりの衝撃に受け身を取ることさえできなかった。
背中から勢いよく地面へ落ち、水を跳ね除けながら転がる。そうして何度か転がると止まった。
サンジの表情はいまだ優れない。
まだ本気ではない。彼の体感からすればほんの少し撫でてやっただけだ。
だが相手はそう思っていないらしい。
腹を押さえながらなんとか立ち上がるヘビーは、すでに足元をふら付かせていた。
「う、ぐっ……!」
「どうした。そんなもんか?」
冷たい眼差しがヘビーを貫く。舐められていると感じるのも当然だ。サンジは呼吸も乱さずに彼の攻撃を掻い潜り、あっという間に蹴りを当ててみせた。それが当然だと言わんばかりに。
動揺するヘビーは次第に警戒心を募らせ、逆に平常心を失くしていった。
焦りからか、ヘビーは時を待たずに攻撃を開始した。
風を切って唸る刀身が頭上からサンジを狙う。それでも冷静に見極め、そのスピードすら脅威ではないと判断した彼には届かず、軽いステップで避けられた。
すでにサンジは彼に対して、一切の恐怖心や怒りさえも抱いていないようだ。
失望したと言わんばかりの目で見つめられる。そんな彼に恐れを抱いた。
ヘビーの心はさらに荒れ、もはや無我夢中で剣を振り始める。
「うおおああっ!」
縦横無尽に振るわれる剣がサンジへ襲い掛かるが、やはり彼の心は揺らがなかった。
「そんなもんかって言ってんだ」
片時も目を離さなかったはずなのに、またしても反応できなかった。
荒れ狂う剣を潜り抜ける様さえ理解できぬまま。
いつの間にか、顔面の前に足があって、驚くことも許されずに蹴りが叩き込まれる。
「
「おぶっ!?」
振り抜いた足の勢いに負けて、凄まじい力で顔面を蹴られた結果、地面に後頭部をぶつけるほど勢いよく倒れる。彼は水の中に倒れ、訳も分からず慌てて顔を上げた。
思わず咳き込んで呑み込みかけた水を吐き出す。
その傍ではサンジが足を振り上げている。
「
「ぶっ!?」
次の一撃。
地面に手をついて四つん這いになっていたヘビーが、再び水の中に倒れる。今度もまた地面に顔面をぶつけてしまい、鋭い痛みが生じて鼻血を流していた。
たった二発ですでにグロッキーである。
今度は起き上がるまで待ってやり、サンジはつまらなそうに呟いた。
「負けたことがなかった? 要するにてめぇより弱い奴としか戦わなかったってことだろ」
「ぐっ、ふざけるな! 私の真の力はこれからだ!」
「だったら尚更悪いな。最初から本気で戦えねぇ奴が偉そうに語ってんじゃねぇ」
立ち上がったヘビーが刀身を引き寄せて、本来の剣術で挑みかかろうとした。
その攻撃が届く前にサンジの蹴りが彼を打つ。
「
「ぐおっ!? おうっ……!?」
目にも止まらぬ速度で強かに二度蹴られて尚、まだ止まらない。
「
ようやく連撃が終わった時、ヘビーは辛うじて立っているという姿。意識も遠ざかってふらふらと危なげな姿になっている。
サンジはとどめを刺すため敢えて背を向けた。
有無を言わさず、強烈なソバットを連続で繰り出したのである。
「
悲鳴の一つも無い。
意識を失ったヘビーは防御すらできずに蹴り飛ばされ、岩壁の一部が崩れて突き刺さる。
彼の体は壁に埋め込まれて川にすら落ちなかった。
戦いを終えて、大した感慨もない。
勝って当然。そんな楽な勝負だった。
煙草を取り出そうとした時に全身が濡れていることに気付き、諦めたサンジは嘆息する。
「残念だったな。てめぇに比べりゃあの方向音痴のアホ剣士の方がよっぽどマシだ」
背を向けて歩き出しながら笑みを浮かべる。
比べるまでもない。そう思いながらもなぜか呟いていた。
「あと、おれの方が色男だ」
それだけ言ってもう興味は持っていなかった。
どこから上がろうかと考えながら辺りを見回しつつ、歩き出す。
大したことはしていないものの、不思議と先程より気分は良かった。
*
向かい合っていたゾロとホットドッグは互いに動き出す一瞬を探っていた。
ホットドッグは腰の裏に差していた武器を取り出し、長い鎖とその先に棘鉄球が付いた物で、投擲による遠距離攻撃を主にするのだろうと推測できる。
しかし彼本人の体つきは近接戦闘のものに思えた。
考えた末、どちらでもいい、とゾロが断ずる。
どんな戦い方をするにしても負けるつもりなどないからだ。
左腕に巻いていた手拭いを取る。
その後でいつもそうしているように頭へ巻いた。
意識が集中していく。別段頭に巻かなくても集中はできるのだが独特の良い感覚があった。
相手の武器を見て嬉しく思う。そろそろ鉄を斬りたいと思っていたところだ。
試してみるには良い機会だろうと考え、彼は悪そうな笑みを浮かべる。
「お前何笑ってるけん。怖すぎて逆に笑えてきたか?」
「いいや。ただ、少し前に気に入らねぇことがあったもんでな」
すらりと刀を抜く。右手と左手、両方に持ち、三本目を口に銜えた。今回は様子見などするつもりはなく、さっさと終わるようならそれでいいと思っている。
全身に力が漲り、まるで野獣のような、今すぐ襲い掛かりそうな危険性があった。
「悪いが憂さ晴らしにしかならねぇかもな。そうならねぇように努力してくれ」
「舐められたもんだけん。おれの強さを知れば、そんな軽口は叩けなくなるぞ」
音もなく右足が後ろへ下げられた。わずかに姿勢を変えたのである。
目敏く気付いたゾロは攻撃が来ると気付く。
予想した通り、ホットドッグは振り回していた棘鉄球を投げ、唐突にゾロの頭を狙った。正面から来るのなら慌てる必要はない。彼は両手の刀を振り上げて弾く。
切り捨てるつもりで刀で弾いたはずだった。だが鉄球はわずかに傷がついたのみ。
防御に成功したというのにゾロは苦い顔をする。
「なんの! まだまだァ!」
さらに大きく腕を振り、鎖を引っ張って棘鉄球を激しく振り回す。
凄まじい勢いで風が巻き起こっていた。当たれば当然無事で済むはずもなく、見ているだけで恐怖心を煽られかねない勢いではあるものの、ゾロは冷静にそれを見ている。
再び鉄球が投げられる。
芸もなく真っ直ぐ投げるだけ。表情一つ動かさずゾロはそれを弾き、上へ飛ばした。
その後も同じ行動が続く。
振り回した鉄球を投げつけ、弾かれ、また投げて弾かれる。ホットドッグは自信の表れか、考えるのが面倒なだけか、倒すためとは考えているようだが繰り返すばかり。
徐々にゾロは不機嫌そうな顔に変わっていく。
攻撃それ自体が単調だからという理由もある。しかしそれ以上に大きな理由があった。迎え撃つ動きは全て全力を込め、鉄球を切り裂こうとしているのだが上手くいかない。
鉄とは簡単に斬れないものだ。
当然のことを改めて実感しながら、彼は勝負ではなく修行として鉄球に向かい合う。
何度目かで弾き返した時にようやく動きが変わった。
突如ホットドッグが鉄球を捨て、自身が駆け出して前へ出た。
唐突な接近を行い、ゾロの目の前まで来ると思い切り右足を振り上げるのである。
ゾロの目は冷徹に敵を見据え、感情を示さず。
その一方で、やっと来たのかと喜んでいそうな態度でもあった。
「ぶっ潰してやるけん! 喰らえェ!」
真上から降ってくる踵落としだった。
即座に一歩下がったゾロはわずかな動きで回避し、空ぶった脚が地面に直撃、盛大に粉砕する。
それでも普段目にしているもののためか、大したことだとは思わなかった。
「おれの蹴りは鉄をも砕くけん! 喰らえば一巻の終わりだけん!」
「鉄を、ねぇ……」
呆れた声で呟きながらゾロはさらに回避する。連続して蹴りが繰り出されるが、さほど速いとも思わないし怖いとも思わない。体の大きさとは裏腹に大した迫力でもなかった。
避けるのに飽きてゾロが止まる。
ここぞとばかりにホットドッグが力を入れて跳び上がった。
回転しながら落下してきて、再度全力の踵落としを脳天に叩き込もうとする。
「これで終わりだけん!」
ほんの数歩。横へ動いただけで軌道から逃れることはできた。
落下してくる敵を見上げ、ゾロも跳び上がる。
二人は空中で急接近し、驚いたのはホットドッグだ。落下した勢いを一撃に利用するつもりが相手も空中に来てしまったため、今からでは攻撃の方法を変えなければならない。
逡巡した一瞬で勝敗は決した。
落下するホットドッグと跳び上がるゾロ。交差する瞬間、三刀による斬撃が放たれた。
「
「ぐぁああああっ!?」
胸の辺りを深々と切り裂かれ、鍛え上げた筋肉を物ともせず血が飛び散る。
姿勢が崩れたホットドッグは背中から地面に落ち、胸と背の両方に痛みを感じて、今は地面に居るのだと理解できた後でもすぐに動き出すことができなかった。
まさかの反撃で激しく動揺してしまい、冷静さを失っていたようだ。
激しく呼吸を乱し、死への恐怖を感じて表情から余裕が消え去っている。
少し後に上手く着地したゾロは彼に背を向けた状態で動かない。
別に意図した訳ではなく、ただ着地した時に彼が背後に居たというだけだ。
ホットドッグは当然彼の背を見て、隙ありだと考えるものの、ゾロは全く動く気配がなかった。
ゾロが気にするのは別のことだ。
鉄を斬るにはどうすればいいのか。今しがた本気で試しただけに疑問が残る。
やはり自分はまだ修行が足りていないらしい。
そう思っている間にホットドッグが立ち上がって、最後のチャンスを使うべく駆け出した。
「鉄ってのは、案外斬れねぇもんだな……」
「背中を見せたな! 死ぬがいいけん!」
「やめとけ。おれは今、最後のチャンスをやったんだぞ」
「もう何を言っても無駄だァ!」
ホットドッグは彼の背後で大きく足を振り上げた。
そうなった後に動いたというのに、ゾロの方が早く、彼の斬撃が繰り出される。
「龍巻き!!」
「ぎゃああああっ!?」
体を回転させて生み出した斬撃がホットドッグの体を切り飛ばした。彼の巨体は更なる血を噴き出しながら宙を舞って、今度こそ意識を失って落ちていく。
頭から地面に倒れ、その体は力なく横たわった。
ゾロは勝利を噛みしめる様子も見せずに刀を仕舞い、頭の手拭いを乱暴に取った。
「世界最強、鉄をも砕く。結構なことじゃねぇか。自分で言うのはタダだからな。だが世の中にはてめぇよりすげぇ蹴りをする奴も居るんだぜ。ムカつく野郎だが……」
取った手拭いを左腕に巻き、彼は颯爽と歩き出す。
もうホットドッグに言うことはない。言っても聞く相手じゃないだろう。
どうせ意識を失っている。ゾロは何の心配もなくきょろきょろと辺りを見回した。
「さて、ウソップとチョッパーを探さなきゃならねぇが、あいつらどこ行った? また迷子か。まったくしょうがねぇ奴らだ。探してやるか」
呆れた口調で呟き、溜息をついてしまう。自分の状況を考えるつもりはなさそうだ。
「おれたちは南から来たから、とりあえず東を探してみるか。右だな」
そう言ってゾロは自分が向いている方向から右を目指し、歩き始めた。
だがこの時すでに、彼はあらゆるものを間違えている。
メリー号が停泊した場所は島の東側であるため、つまり彼らは東から来たことになり、さらに現在ゾロが向かっているのは島の北側であった。
何から何まで間違えていても彼は自分が間違っているとは微塵も気付かない。
極度の方向音痴であるゾロは、こうして日々迷子になっていくのだ。