ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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治療のあとで

 ドルトンが目を覚ましたのは、晴れつつある空から夕日が沈む頃だった。

 さっきより晴れてはいるが薄い雲があるせいか、まだ少しずつ雪が降っていて、その向こう側には夕日もはっきりと確認できる。気候はすでに落ち着いていた。

 目を覚ましたドルトンは村人に支えられながら体を起こし、ベッドの上で座った。

 

 顔色は幾分悪いが呼吸は安定している。

 疲労感を感じつつ、頭を押さえた彼は村人たちの顔を見回した。

 

 「うっ、私は……そうか。ワポルたちに……」

 「大丈夫かいドルトンさん? まだ無理はしないでくれ」

 「ワポルは、どうした?」

 

 起き抜けにすぐ質問をする。内容はワポルについて。

 責任感から自分の体さえ心配していないドルトンはまた無茶をしそうな勢いだ。

 焦る村人たちは話していいものかと困惑するが、彼の真剣な目を見つめ、抗えない。彼には普段から世話になっており、村のリーダーでもあるためだ。

 

 「チェスとクロマーリモは捕まえた。治療はしたが、今は倉庫で捕まえてある」

 「ワポルは居ない。城に向かったらしいんだ」

 「そうか……」

 

 小さく呟き、突然ドルトンがベッドを降りようとする。

 傍に居た村人たちは慌てて止めようとして身を乗り出した。

 

 「だめだドルトンさん! ひどい怪我じゃないか!」

 「それにムッシュールの毒もある。イッシー20が治してくれたがまだ完治じゃない」

 「まだしばらく安静にしてくれ。そんな体で出て行っても――」

 「私が、終わらせなければいけないんだ」

 

 ベッドについた手が震える。

 もう片方の手が胸元を押さえて苦しそうだ。

 それでも、やはりドルトンの目は迷わず、絶対に意見を変えようとしない。

 

 「ワポルがああなってしまった責任は私にある。先代国王の意志を継ぎ、いつかはわかってくれるだろうと甘い態度で接してしまった。もっと厳しく話すべきだったんだ」

 「そんなっ、ドルトンさん」

 「あなたの責任だけじゃない」

 「そうだ。ワポルがああなったのはワポルの責任だ。そこまで思い込む必要は」

 「奴とは決着をつけなければならない……私の手で終わらせなければ」

 

 ドルトンは必死に力を込め、立ち上がろうと努力を続けた。

 見ているだけで重苦しい空気が漂う。

 彼の家に集まった村人は言葉を呑んで、いつしか止めようとする者は居なくなった。

 

 ある時、一人の男がドルトンに肩を貸す。

 ドルトンは驚いていたものの、それをきっかけに他の者も動き始めて、それぞれが協力して彼を連れ出そうとした。両側から肩を貸す者、武器を持つ者、扉を開ける者。事前に打ち合わせをした訳ではなく己の判断でドルトンを助けようとしていた。

 

 それは彼の無茶を受け入れた瞬間に違いない。

 驚くドルトンを見つめ、彼らは口々に笑顔で言う。

 

 「それならドルトンさん、おれも行くよ」

 「ああ、おれもだ」

 「おれも! ドルトンさんを一人でなんて行かせねぇ!」

 「あんたが戦うならおれたちも戦うさ。ここはもうあいつの国じゃない、おれたちの国だ!」

 「みんな……」

 

 危険だからやめろ、などと言えるはずもない。最も危険なのは重傷を負ったドルトン本人なのだから。従って意気揚々と動き出す彼らを止める術など持たなかった。

 そのせいか、頭を垂れたドルトンは深く感謝をする。

 彼らが居ればこの国はやり直せる。そう思った。

 

 家を出た人々は駆け出し、出発のための準備を急いで、あらゆる方向へ向かっていく。

 その後ろを、肩を借りたドルトンがゆっくり進んでいた。

 

 「急ぐぞ! ワポルとムッシュールが何かをする前に!」

 「ロープウェイの修理は終わったか!」

 「ああ、さっき終わったと報告が。かなり時間はかかったようだが」

 「動ける男は武器を持ってロープウェイ乗り場へ。今日こそワポルを討ち取るんだ!」

 

 村が活気を取り戻して、かつてとは違う空気が流れている。

 これは新たな国の基盤だ。

 辺りの風景を見回したドルトンは、不意に笑みがこぼれ、同時に込み上げる涙を感じた。

 

 

 *

 

 

 夕日が沈み、空の色が変わって、いつからか満月が顔を覗かせ始めた頃。

 ドラム城の一室で、ナミが目覚めた。

 

 「ん……」

 

 重さを感じる瞼を押し上げて、意識がぼんやり戻り、天井が視界に入った。

 体はまだ重い。だが何がという訳ではなく、以前より楽になっている気がする。熱もあって気怠さが全身を綴んでいるが何かは違っていた。

 持ち上げた右手を額へ運んでいき、その時初めて濡れたタオルが乗せられていることに気付く。

 

 部屋は暖かい。寒気は別として寒さは感じなかった。

 小さな物音がある。気になったのかナミは寝転んだまま首を動かしてそちらを見る。

 

 ベッドの傍にあるテーブルに向かう背があった。しかし人間の物ではない。全身に包帯を巻いた小さな体はせいぜい人間の子供程度の背丈だが、全身が毛皮に覆われている。

 蹄もある。角もある。その上で医療器具を使って薬を作っているようだ。

 ピンク色の帽子は何の変哲もない物に見えるが、内側から突き破って出る角が気になる。

 ナミはしばし声も出さずにその背をじっと見つめていた。

 

 医者なのだろうか。

 額にタオルを乗せられていることを考えるとそう判断することもできる。しかし外見は奇妙だ。

 ナミは気になって仕方ないらしく、起き上がりながら口を開いた。

 

 「誰?」

 

 声が届いた瞬間、全身をびくつかせたチョッパーが跳び上がって机をひっくり返した。机の上に乗っていた物が地面に落ちて、本はともかく、瓶や医療器具のいくつかが割れる。

 壁に背をつけたチョッパーがナミを見る。

 彼女もやっと正面から彼を眺め、想像以上の驚きように目を丸くしていた。

 

 「お、お前、起きたのか。熱は大丈夫か?」

 「しゃべった!?」

 「ギャアアアッ!?」

 

 突然大きい声を出したせいか、悲鳴を上げたチョッパーは奥の部屋へ逃げ出した。

 何かに激突する音、割れる音がしばらく続き、ナミは口を噤んでしまう。そこまでの反応になるとは思っていなかった。怖がらせたようで悪いとも思う。

 

 動くことなく待っていると、部屋と部屋の境目の壁に隠れてチョッパーが顔を出した。しかし気になることが一つ。隠れ方が逆だった。

 壁に両手をついているのだが体が丸見えである。

 じっと見ていたナミともばっちり視線が合っているのだが、体勢を変えるつもりはなさそうだ。

 仕方なく、ナミが恐る恐る指摘してやる。

 

 「逆……なんじゃない?」

 

 言ってみるとチョッパーがハッとした顔で気付いた。

 素早くは動かずゆっくり移動する。

 壁に体を隠し、顔だけをわずかに覗かせて尚も彼女を見る。ナミは困惑した様子だ。

 少し間抜けというのか、常識を知らないのか、どことなく愛らしい様子である。

 

 「遅いわよ……隠れ切れてないし」

 「う、うるせぇ人間! それと……熱はもういいのか?」

 「ずいぶんマシよ、さっきよりはね。ところでここは? あんたは誰?」

 「ここは、ドラム――元ドラム城だ。今は、名前なんてない」

 「へぇ、お城なんだ。それであんたは?」

 「おれは……トニートニー・チョッパー。医者だ」

 

 チョッパーが恐る恐る名前を言う。

 やはり不思議だが意志の疎通はできる。ナミはもう驚かずに話を続けた。

 

 「あんたが治してくれたの? ありがとう」

 「んなっ……べ、別にっ、礼なんかいらねぇよ! バカヤロー! コノヤローがっ!」

 「その割には嬉しそうね」

 「嬉しくなんかねぇよ、バカヤローが!」

 

 人間とのコミュニケーションが得意ではないのだろうか。或いは経験が少ないのかもしれない。お礼を言われただけで小躍りを始めるチョッパーを見てそう思う。

 隠れ方が下手なのも、考えてみればそんな気がした。

 今まであまり人間と触れ合ったことがないから間違った隠れ方なのかもしれない。

 

 ともかく、危険ではなさそうだ。

 ナミは肩をすくめて苦笑する。今やチョッパーへの恐怖心もなかった。

 

 室内、及び城内は、驚くほど静かだった。

 窓から外を見るとちらほら雪が降っており、天候の悪さが窺える。

 気になるのは仲間がどこへ行ったのかという話だった。

 

 「ねぇ、私をここに連れてきた奴は? 多分ルフィだと思うんだけど、ここに居るとしたら静か過ぎるし、どっかで迷子にでもなってるのかしら。ひょっとして外?」

 「あ、あぁ、あいつか。あいつなら、今……寝てる」

 「寝てるって、呑気な奴ねぇ。私が死にかけてるっていうのに」

 「怪我をしたんだ。いや、厳密に言うと怪我じゃないんだけど……とにかく、治療を受けて」

 「治療? あいつ何やったの」

 

 身を乗り出したナミは彼を心配している様子だった。

 素直に答えればいいのだろうが、人と話すことに慣れていないチョッパーは何と言っていいのやらと言葉を選び、時間がかかると言い出せなくなって口ごもる。

 少し沈黙ができてしまった。

 そのせいでチョッパーは頭を振り、慌てながらも話題を変える。

 

 「とにかくっ、あいつなら大丈夫だ。そ、それより、お前も人のこと言えないぞ。ちゃんと寝てなきゃだめだ、まだ熱が下がってないんだから」

 「平気よ。前より楽になったんだし」

 「だめだっ。まだ治ったって言えるような状態じゃない。特にお前がかかった“ケスチア”は油断するとまだ危険があるかもしれないからな」

 「ケスチアって?」

 「もう絶滅したはずのダニさ。多分、おれたちじゃなかったら薬なんて手に入らなかった」

 「そんなにヤバい症状だったの? 着いたのがこの島でよかったわね……」

 

 安堵したような、呆れるような表情を見せ、ナミは不意に遠い目をする。

 寝ようとする意志を感じないので、仕方なくチョッパーが彼女の上体を倒して寝かせてやった。ベッドの縁に立ってひどく優しい手つきだ。

 

 「寝てろよ。あいつなら心配いらないから」

 「わかってるけどもう飽きるくらい寝たのよ? 少しだけ話し相手になってくれない?」

 「うっ……でも」

 「じっとしてるから」

 

 仰向けで寝転び、枕に頭を預け、ナミはにこりと微笑みかける。

 戸惑いが無いと言えば嘘になるだろう。

 だがなぜか嫌とは言えず、頷いたチョッパーは近くに椅子を運んでその上に座った。

 

 「お前、おれが怖くないのか?」

 「怖い? どうして?」

 「だって、人間じゃないんだぞ。それなのにしゃべるし、角だってあるし、青っ鼻だし……だけどトナカイでもないんだ。中途半端な、バケモノだ」

 「ふ~ん。あんたは自分のことそう思ってるのね」

 

 寝返りを打って体を横向きに、彼を見るナミは悪戯っぽく笑っていた。

 

 「自分のことをバケモノなんて、ずいぶん自信があるのね」

 「ど、どういう意味だ?」

 「うちの船にはあんた以上のバケモノがごろごろ居るわ。ルフィにも会ったんでしょ? あいつなんて特にバケモノみたいな奴だもん」

 「あいつか……ちょっと、わかる気がする」

 「ん?」

 「おれの敵をぶっ飛ばしてくれた。毒を受けて死にかけてたのに……」

 「なるほど。それで、あんたがその毒を治してくれた?」

 

 こくりと頷く。

 何があったかは理解できないが、なんとなく察することはできそうだった。

 

 「あんたが思う以上にバケモノみたいな連中はこの海にたくさん居るわ。航海してると色んな出会いがあるの。あんたと出会ったのもその出会いの一つ」

 「だから、驚かねぇのか……?」

 「そりゃちょっとはびっくりしたけどね。でももう慣れちゃった」

 

 ナミは朗らかに笑っている。邪気もなく恐怖心もない。彼を人間だと思っている訳ではないのだろうが、まるで人間と話しているように違和感を感じない姿だ。

 チョッパーは言葉を失ってしまう。

 戸惑いが大きかったらしく、視線は落ち、俯きながらぽつぽつと言い始めた。

 

 「おれ、あいつに言われたんだ……仲間になれって」

 「そうなの? 確かにうちの船には船医が必要だからね。私は賛成よ」

 「え? な、なんで」

 「ルフィが選んだんでしょ? なら何言っても聞かないしね。それに私とルフィを助けてくれたみたいだし、ちょっと面白そう」

 

 にかっと、子供っぽくも悪い笑みでナミが言った。

 

 「どうせうちには変な奴らばっかりだもん。しゃべるトナカイなんて最高じゃない」

 「うっ……」

 「ルフィじゃないけど、仲間にならない? あんた話がわかりそうだしさ」

 

 さらに寝返りを打ってうつ伏せに、両腕をベッドにつき、覗き込むように彼へ言う。

 ナミの笑顔を見るチョッパーは言葉に詰まっていた。

 反対するだろうと思って言い出したのに、予定が全く狂ってしまっている。こうなるつもりではなかった。てっきりルフィを止める側の人間だろうと思っていたのに。

 彼は硬直して動かなくなってしまい、返答はしばらく出されず仕舞いだった。

 

 直感的にでしかないが、嫌がってはいないと思う。

 迷う素振りが良い証拠だ。彼は返答に困っているものの答えには困っていない気がする。

 そう思うあたり、彼女もルフィに毒されているようだと自覚していた。

 

 チョッパーは自分の意見を言おうと口を開きかけた。

 その時、バンッと強く部屋の扉が開かれる。

 

 「あっ、居たぁ~っ!」

 「ひぃっ!?」

 「ルフィ」

 「チョッパー! おれの仲間になれぇ~!」

 「ギャアアアアアッ!?」

 

 突然飛び込んできたのはルフィだった。

 チョッパーと違って体に包帯を巻いている訳ではなく、本当に体調が悪かったのだろうかと思うほど元気な姿で、どたどたと荒々しく踏み込んでくる。反射的にチョッパーは逃げ出した。反対側の出入り口へ向かって駆け出し、勢いよく扉を開いて姿を消した。

 

 勢いそのままに追おうとしたルフィだったが、またしても突然足を止めた。

 視界にナミの姿が入ったのだ。彼女が起きていることに気付き、振り返って笑顔になる。

 

 「あ~っ、ナミィ! お前起きたのかぁ!」

 「おはよ。で、何やってんのよ、あんたは」

 「しっしっし、いい奴見つけたから仲間にしようと思ってな。もう肉食えんのか?」

 「何の話よ」

 「肉が食えるようになったら病気が治ったってことなんだろ?」

 「どういう基準よ……」

 

 心配しているのだろうが妙な判断基準だ。呆れたナミはジト目で彼を見やり、見られたルフィは彼女が目覚めたことを純粋に喜び、上機嫌さは揺らがなかった。

 多少疲れはするものの気分が悪くなる訳ではない。ナミは溜息交じりに答える。

 

 「肉なんて食べれないわよ。まだちょっとだるいし治り切ってないもの」

 「ええっ!? じゃあだめじゃねぇか! 肉食えないんじゃ辛いだろうが」

 「あのねぇ、あんたとは違うの。別に辛くないわよ」

 「寝てろよ。その間におれがチョッパー仲間にしとくから」

 「はいはい……任せるわ船長。肉を食べれるようになるまでは大人しくしとく」

 「うん、そうしろ。そんじゃ」

 「それと、助けてくれてありがとう」

 

 ナミは大人しく寝ていることを決めたようだ。布団に包まって背を向けてしまう。

 安堵したルフィがくるりと振り返る。

 扉の陰に隠れていたチョッパーの体が大きく震え、またしても隠れ方を間違えており、頭を少しだけ隠して体は全貌が見えていた。当然ルフィが気付かないはずもない。

 

 にんまりと嬉しそうな顔。

 ハッと気付いたチョッパーが動き出すと同時に、ルフィも全力で駆け出していた。

 

 「おれの仲間になれぇ~!」

 「ギャアアアッ!?」

 

 先程と全く同じ様子で追いかけっこが始まり、部屋を後にする。

 まるで風のような一時だった。

 ベッドの上で寝転んだまま、布団をかぶり直すナミはやれやれと嘆息する。

 

 起きる前からずっとああしていたのだろうか。きっとそうなのだろうと思う。ルフィが仲間にすると決めた人間は必ず仲間になっているし、きっと今回も逃がすつもりがない。

 もう少し頭を使った勧誘はないのか。

 呆れ返るものの、それが彼だと知っているため、今更止めようとも思わなかった。

 

 足音が遠くなるにつれ、室内は静かになる。

 不意に窓の外を眺め、雪が降ってくる様をガラス越しに見つめる。

 

 病気でベッドから動けないなど久しぶりのことだ。

 どことなく懐かしい感じもして、一人になった瞬間を寂しく感じる。

 起きた時にはチョッパーが、それから少ししてルフィが来た。今はどちらも居ない。部屋の中で一人になってしまい、布団に包まっても寒さを感じる。

 それから何気なく視線を動かし、彼らが出て行った方向の扉が開いたままだったことに気付く。

 

 扉が開けっ放しだったことも問題とはいえ、それ以上に気になったのが城内の風景である。

 城の中だというのに雪が積もっていた。窓の外を眺めた時とは違い、上から雪が降ってくるという風には見えないが、吹雪いた時にでも入り込んだのかもしれない。

 

 ナミは表情に驚きを表し、思わずゆっくりと起き上がった。

 

 「雪? 城の中なのに……」

 

 扉を閉めた方がいいだろうか。寒さを感じたことをきっかけに動き出そうとする。

 その行動を止めるかのように背後から声をかけられた。

 

 「騒がしいねぇ。あの麦わら坊主、もう起きたのかい。大したタフさだ」

 

 振り返るとくれはが部屋に入ってくるところだった。

 酒瓶を傾け、薄い笑みを浮かべ、余裕綽々という雰囲気を湛えてやってくる。ベッドに近付いてくる彼女を見てナミは小首を傾げた。

 

 「あなたは?」

 「若さの秘訣かい?」

 「ううん、聞いてない」

 「あたしゃ医者さ。名はくれは。ドクトリーヌとそう呼びな」

 「医者? ってことは、さっきのトナカイは」

 「そうさ、あたしの弟子だよ。全ての技術を叩き込んでやった」

 「ふぅん。そうなんだ」

 

 ナミは納得した顔で頷く。

 その間にくれはが開けっ放しの扉を閉め、室内は再び暖炉の火で暖められていく。

 

 戻ってきたくれははナミの額に右手の人差し指だけで触れた。押すでもなく、痛みが生じるほどの勢いだった訳でもない。本当にただ触れただけ。

 困惑するナミが動かずに居ると彼女は笑う。

 

 「38度2分。んん、まずまず。熱は引いたようだね小娘。ハッピーかい?」

 「今のでわかったの?」

 「ひっひっひ、舐めるんじゃないよ。そこらのガキどもとは経験が違うさね」

 

 くれはが椅子に座って脚を組む。

 思いのほか笑顔は優しく敵意はない。

 チョッパーの師匠だという話からしても警戒心を持つ必要はなさそうだった。

 

 「あいつにしろあんたにしろ、おかしな連中だね。チョッパーを見て驚きもしないか」

 「十分驚いたわよ。でもこの程度で驚いてちゃあの船長にはついていけないわ」

 「そうかい」

 「そういえば、助けてくれたんでしょ? ありがとう」

 「あたしじゃないさ。治療したのはあいつだからね」

 

 酒瓶を傾けてぐいっと中身を喉に通す。その後でくれはは静かに問いかけた。

 

 「あいつを連れ出そうって話だったかい?」

 「あぁ、聞いてたの」

 「聞こえただけさ。なに、別に怒るつもりはない。どうせしがないトナカイだからね。連れて行きたきゃ好きにしな」

 「いいの? あなたのお弟子さんなんでしょ」

 「止める理由があれば止めるところだけどねぇ」

 

 姿勢を崩し、少し俯いて目を伏せ、笑みを浮かべたまま。

 妙に達観した様子だと感じる。

 くれはは平坦な声であっさり告げた。

 

 「ガキじゃないんだ。自分がどう生きるかくらい自分で決められる。というより、もう決めてるんだろうけどねぇ」

 「すごい勢いで逃げて行ったわよ。断るってこと?」

 「ひっひっひ、さぁねぇ。もうひと押しでもあれば素直になるんじゃないかい」

 

 まるで全てを理解しているかのような言葉だった。

 その一言にナミが笑顔になる。

 

 「それなら心配いらないわ。ルフィの押しの強さはそんじゃそこらの奴には負けないから。一度決めた以上はなんとしてでも仲間にするはずよ」

 「そうだろうねぇ……そう思ってたところだよ」

 

 そう言った瞬間の表情に、ほんのわずかな寂しさを見つけた気がする。

 しかしすぐに消えてしまい、気のせいだったのかと思うほどからりとした笑顔だ。ナミは一瞬眉間に皺を寄せるものの、別の問題を聞いてすぐに思考を変える。

 

 「あいつがついていくようなら、ここを出ることを許可するよ。元々あたしの患者じゃない、あいつに責任があるからね。そうじゃなきゃ十日はここに居てもらう」

 「十日も? 絶対仲間にしなきゃいけなくなったわね……」

 「ひっひっひ。ま、せいぜい頑張ることだね」

 

 豪快なくれはの笑い声を聞いた時、閉じられた扉が開かれる。

 ルフィたちが出て行った方向とは反対側だ。

 そちらを見ると疲れた顔のウソップと、その後ろに柔らかい表情のキリが居て、彼らは部屋に足を踏み入れた直後にナミが起きていることに気付いた。

 どちらも笑みを浮かべ、安堵した様子を隠さずに表す。

 

 「おっ、ナミが起きてる」

 「おはようナミ。あと久しぶりかな。もう大丈夫なの?」

 「ええ、なんとかね。流石にまだ肉は食べれないけど」

 「肉ぅ? 何の話だよ」

 「さっき大声が聞こえたけど、ルフィのこと?」

 「変な基準だったからね。つい」

 

 くすくす笑う彼女はすっかり元気そうだ。熱はあるのだろうがもう倒れるようなことはない。久しぶりだと感じる仲間との会話を素直に楽しんでいる。

 彼らが来たことでくれはが席を立った。

 どうやら部屋を出ることに決めた様子だった。

 

 二人が居る方向を目指して歩き出す。

 歩調は急がずゆっくりと。視線は不意にキリの顔を見た。

 

 「さて、積もる話もあるだろう。あたしもまだやることがあるからね。失礼するよ」

 「まだなんかあんのか? 大砲はもういいんだよな」

 「あとはあたしがやるさ。なぁに、大した仕事じゃない」

 

 げんなりするウソップを気にせず、足を進めたくれはは、キリの隣で立ち止まった。

 彼の顔を見てしばしの間動かなくなる。

 当然キリも見つめ返して、妙な空気が漂った。

 

 「何か?」

 「昔、あんたによく似た娘を見たことがあってね」

 「え……?」

 「顔はあんたで、性格はあの麦わらみたいな奴さ。島に来たと思ったら意味なく騒いで、まるで台風のような奴だった。ずいぶん懐かしい話だ」

 

 それはまるで友人に対するような、ひどく優しげな笑みだった。

 思考が止まったキリは、それでも必死に考え、答えるための言葉を選ぶ。

 

 「知り合い、なんですか」

 「ちらっと見かけただけさ。別に友人って訳じゃない。ただ気にはなってね」

 

 くれはは歩き出す間際、キリの肩をポンと叩いた。

 

 「気をつけな。きっとあんたも恨まれる。この先の海の大物たちからね」

 

 それだけ言ってくれはは部屋を出て行った。扉も閉められてしまったため背すら見えない。

 室内は静かになる。

 彼女が言った言葉を理解しようとしているのか、ウソップやナミも押し黙って、言われた当人のキリもまた反応に困り、話し出すきっかけが掴み辛い。

 中では特にウソップが先陣を切り、二人へかける言葉を発した。

 

 「どういうことだ? キリに似た奴? 知ってるか」

 「いや……」

 「キリによく似てて性格はルフィって、そりゃどんなバケモノだよ……」

 「想像しただけで頭痛くなりそう。チョッパーでも目じゃなさそうよね」

 「チョッパーって、ああ、あのトナカイか」

 「会ったの?」

 「いや、ちらっと見ただけ。なんか逃げられた」

 「ふぅ~ん。まぁでも、あとでゆっくり話す時間はありそうよ」

 「んん?」

 

 含み笑いをするナミに首を傾げ、ウソップもキリも不思議そうにしていた。

 何かを知っているらしい彼女の話に集中し始め、そうなればくれはの言葉も気にしない。今は不思議なトナカイ、チョッパーへの興味が勝っていた様子だ。

 

 彼らは、想像することもしなかった。

 キリはイーストブルーの出身で、両親はすでに他界。以前にその話を聞いている。

 彼の関係者だとは微塵も思わない。

 他人の空似もたまにはあるだろうという認識であって、判断材料もないため、疑うことすらしなかった。そしてキリもまた、受け止めきれていないその話を言いふらしたりはしない。

 彼にとっての家族は、今は麦わらの一味だけ。

 それ以外を欲する心も在りはしなかった。

 

 三人が居る部屋とは別室。

 そう離れても居ない、暗く寒い一室で、くれはは水色の小さなリュックを持ち上げた。

 

 「生きていたのか。Dの意志は」

 

 何かを思い出すような声が、誰も居ない空間へ広がっていく。

 


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