ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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GROWN KIDZ(3)

 チョッパーが雪の上を跳ねるのを見て、ムッシュールは笑みを消した。

 視線の先を変えればワポルが見える。大の字に倒れて、ぴくりとも動かないところを見るとすでに意識を失っているらしい。

 

 なぜそうなったのかは知っている。その瞬間を見ていたからだ。

 弟が助けてと叫んでいたのも聞こえたし、妙な姿のチョッパーが弟を殴ったのも見た。

 

 最愛の弟が傷つけられたのだ。

 ムッシュールの全身から怒気が放たれ、彼を許す気など欠片も持たない。

 倒れたチョッパーが起き上がろうとしている。忌々しそうにそれを見つめて表情を歪め、ゆっくり歩き出した彼は、わざとらしく時間をかけて近付いていった。

 ただでは殺さない。足取りからそんな意志が伝わった。

 

 「弟はよぉ、昔から兄ちゃん兄ちゃんっておれの後ろをついて歩くような奴だった。おれにとっちゃ唯一の肉親なんだぜ」

 「うっ、ぐぅ……」

 「その弟がバケモノに傷つけられたんだ。絶対に許さねぇ」

 「なにぃ……」

 

 蹴られた顎がひどく痛む。

 当たった箇所が悪かったらしく、視界が揺れて体の力が入らない。

 それでも必死に起き上がろうとするチョッパーは片膝をつき、ムッシュールを見つめ返した。

 

 怒りを持っているのはムッシュールだけではない。チョッパーとて彼らの振る舞いに怒りを抱いているのだ。それを一方的にぶつけられるのは心外でしかなかった。

 頭を振って視界の揺らぎを取ろうとする。

 必死に力を入れ、顔を上げたチョッパーは思いの丈を叫んだ。

 

 「バケモノはお前たちの方だ! 何の罪もない人たちを傷つけて、殺して! また同じことをしようとしてる! そんなことをして心は痛まないのか!」

 「あぁ? 別に痛まねぇな。おれたちは王族、そもそもお前たちとは別物なんだ」

 「別なもんかっ。王様だって人間だろ。お前たちだけが好き勝手に暴れていいわけがない!」

 「ムッシッシ! こりゃ面白ェ! 人間でもねぇお前が人間を語るのか!」

 

 唐突に駆け出したムッシュールがチョッパーに迫る。

 驚愕している間にどんどん近くなり、走る動作の中で足を振り上げる仕草も見えた。

 

 振り切られた蹴りが頬に当たる。

 チョッパーの体はあっさり宙を舞い、勢いよく地面を転がる。

 視界の中で天と地が目まぐるしく回転していた。時には地面が上になり、下になり、空は常にその反対側にあって、跳ね飛ばされた雪が全身に触れている。

 体が止まった頃、脱力した彼は頬の痛みに呻き声を発していた。

 

 再び、体を起こそうと躍起になる。

 そこへムッシュールが近付く足音が聞こえた。

 雪を踏みしめ、追撃のためにやってくる彼から逃れるべく、チョッパーは顔を上げる。

 

 彼とはまだ距離があった。拳や蹴りといった攻撃ならば届かないが、彼が能力者であることは少なからず聞かされており、安心はできない。

 倒れた状態で変形し、獣型へ変わる。

 体が変わってから四足歩行で立ち上がり、呼吸を乱しながらチョッパーは前を見た。

 

 「ハァ、うぅ……負けるもんか」

 「涙ぐましい努力だな。だがお前なんかがおれに勝てると思ってんのか?」

 

 歩調を変えず、ゆっくり近付いてくるムッシュールは表情を険しくする。

 

 「後悔させてやる。お前はあの麦わらなんか目じゃねぇくらい苦しんで死ね」

 

 数歩後ずさってチョッパーは怯んだ。

 彼の雰囲気は少し前までと全く違っている。命の危険を感じるのは自然なことだった。

 

 敵との距離を保ちながらチョッパーは考える。

 どうすれば勝てるのか。正面からぶつかっただけでは勝てそうにない。かといって奥の手であるランブルボールは使ってしまい、連続使用はできない。

 追い詰められたのはチョッパーの方だ。

 

 (どうしよう……ランブルボールは劇薬だ。6時間に一度の使用が絶対条件。その前に使うと変形が上手く操れなくて戦力にならない。でも、こいつは――)

 

 ムッシュールは自分よりも強い。そう思うからこその逡巡。

 チョッパーは視線の先を変え、走り出した。

 彼を迂回するルートを通ってルフィの下へ向かおうとしたらしい。最も足が速い獣型で雪面を駆け抜けて、素早くもムッシュールから距離を取っていく。

 

 (おれ一人じゃだめだ! あいつの力を借りれば、もしかしたら……!)

 

 ルフィは毒を受けてぐったりしている。だが可能性はゼロではない。

 チョッパーは自分でも気付かぬ内にそう考えていて、その場で見ているはずのくれはに助けを求めることもなく、一番にルフィの下へ向かおうと考えていた。

 或いは、もう限界だろう彼を守ろうとしていたのかもしれない。

 

 ムッシュールは遠ざかる背を睨みつける。

 弟を傷つけたばかりでなく、対峙した自分を無視して逃亡。侮辱と受け取っても仕方ない。

 額に青筋を立てた彼は激情を露わにして動き出した。

 

 大きく振り上げた右腕を振り下ろし、指を広げ、掌で勢いよく地面を叩く。

 ただ叩いただけではない。能力を使ったようだ。

 

 「走菌糸(ラン・ハイファー)!」

 

 掌から放たれる菌糸が地面を駆け、雪の下に隠れながら進み、チョッパーを追う。

 彼の声を聞いた拍子に何かが来ると悟ったのだろう。チョッパーは咄嗟に横へ跳び、意識的にルートを変えながらさらに前へ進む。すると彼の真横に菌糸の壁が現れ、捕らえ損ねた結果なのだろうが、危なかったと思わせる様相で彫刻が出来上がった。

 

 背筋がぞっとして、さらに脇目も振らずに走る。

 ルフィはこれに捕まったのだと理解して、自分は捕まってはならないと思う。

 

 捕まってしまえば身動きができなくなる。それだけはだめだ。

 言い換えれば、自由を奪われることさえなければまだ戦いようはあるはず。

 そう信じてチョッパーは足を動かし、そのためなら痛みなどいくらでも我慢できた。

 

 一方、外したことに苛立つムッシュールはチョッパーの素早さに舌を巻き、更なる怒りに燃えて今度は自らが走り出す。舌打ちを一つ、雪を蹴り飛ばして駆け出した。

 単純な走る速度ならチョッパーの方が速い。

 それを理解しているムッシュールが単純なかけっこをするはずもないだろう。

 走る途中にも彼は能力を使い、後方からチョッパーを狙う。

 

 「クロスシェード!」

 「くっ、またか!?」

 

 ムッシュールの背から飛び出す七本の毒の槍。

 空から降るようにして襲ってくるそれらを見上げ、チョッパーはできるだけ蛇行して、尚且つ跳ぶように走って狙いをつけにくくした。

 功を奏したのか、幸いにも一本も当たらず全て地面に突き刺さる。

 それでも余波は避け切れずに、吹き飛ばされた雪に巻かれて転んでしまう。

 

 「うわぁ!?」

 「チッ、避けやがった。意外にすばしっこい野郎だ」

 

 転んだ勢いさえ利用してすぐ起き上がり、再び走り出す。

 追ってくるムッシュールの追撃はまだ終わらなかった。

 

 「逃がすか! 傘乱舞(シェードダンス)!」

 

 桃色の髪のおかっぱ頭が、キノコに変わった。

 その瞬間は見ていなかったがチョッパーが振り返った時、頭のキノコが高速で回転して、菌糸で作られた小さな弾丸が無数に放たれる。その数は数え切れるものではない。

 まずい、と思った瞬間には強く地面を蹴っていた。

 反射的な行動で人獣型に変化して体を小さくし、さらに地面を転がって雪に隠れようとした。

 

 ムッシュールは弾丸を放ちながら頭を色んな方向へ向ける。

 攻撃の方法の問題で、頭を下げてしまうため顔は地面を眺めてしまう。狙いはつけられない。

 言うなれば勘に任せた攻撃であり、当たるかどうかは運に任せるしかなかった。

 

 しばらく菌糸の弾丸を撃ち続け、攻撃をやめたムッシュールは顔を上げる。

 少なくとも様々な場所には当たったらしい。雪が宙に舞い上がっているのを見てそう思う。

 あとは標的に当たったかどうか。

 確認のため歩き出そうとして、一歩を踏み出した瞬間、雪の下からチョッパーが飛び出した。

 

 「あぁ? チィ、雪に隠れてやがったか。だが無傷とはいかなかったようだな」

 

 獣型で走り出すチョッパーは体に少なからず傷を負い、わずかとはいえ流血している。よく見れば彼が隠れている場所にもわずかに血痕があった。全て避け切るのは無理だったらしい。

 その傷を無視するかのように走る。

 痛みを堪え、今の彼はルフィを助けることに集中していた。

 

 気付けばチョッパーはルフィまであと少しという位置にまで到達している。

 もう少し。あと少し我慢すれば届く。

 彼を助けることができれば。その先を考えず、とにかく今は助けることしか頭にない。

 

 ムッシュールが苛立ちを募らせる。

 徹底的に無視されている、まるで居ないとされているかのように。しかも自分を倒すためにそうしているのならまだしも、味方を助けることにのみ全力を注いでいる様子だ。

 ここまで無視されていては気分が悪い。

 生まれて初めての経験にも思えて、彼は肩を怒らせた。

 

 顔の前で両腕を交差して力を溜める。

 それを勢いよく開いた時、ムッシュールの全身から大量の胞子が放たれた。

 

 「大増殖(ロット・ステイフイン)!」

 

 放たれた胞子は空気中を漂い、素早く形を模っていき、人間の形で四つに分かれた。

 まるでムッシュールの分身だ。

 彼と全く同じシルエットの人影が複数に増えている。

 

 大声で叫ぶ彼自身は動かず、四つの分身だけが動き出す。

 それらは走ることもなく宙を飛び、ムッシュールが走るよりよほど速くチョッパーへ殺到する。

 

 「ハァ、ハァ、もう少し……」

 「このバケモノがァ! いい加減調子に乗ってんじゃねぇぞォ!」

 「えっ――?」

 

 殺気を感じて首だけ振り返ったチョッパーが、その瞬間、分身に頬を蹴り飛ばされた。

 空を飛んできた胞子の塊。しかしそう思えないほど実体が感じられて、打撃の感触は本物と遜色がなく、ダメージは甚大。崩れた姿勢を直すことすらできずにチョッパーは転ぶ。

 

 頬が驚くほど痛くて熱くなっている。

 その胞子には毒がないのは不幸中の幸いだった。だが攻撃はまだ終わっていない。

 残る三体もほぼ同時の瞬間に追いついていて、倒れたままのチョッパーを見下ろす。そして全員が起き上がる前の彼に襲い掛かり、拳で、蹴りで、執拗なまでに全身を痛めつけていく。

 チョッパーは意識を繋ぎ止めているのが精一杯だった。

 リンチと呼ぶにふさわしい猛攻を受け続け、彼の体は傷つき、周囲の雪が赤く染まる。

 

 一方的な展開を眺め、ムッシュールはにやりと笑い、くれはは思わず叫ぶ。

 手を出さないと決めたのは自分だが、流石にそれはやり過ぎだと思ったようだ。

 

 「チョッパーッ!?」

 「ムッシッシ、おれを無視した罰だ。いい気味だぜ!」

 

 しばらく続いた攻撃の後、分身を模る胞子は動きを止め、風に流されて消えていく。

 その場には倒れたチョッパーだけが残された。

 

 全身に激しい殴打を受けた結果、あらゆる場所が腫れ、裂けた末に血を流し、もはや傷がない場所を探す方が億劫なほど。自身の血溜まりに寝そべる彼は、温かい、と感じていた。

 冷たい雪の中で血の海に浸かっている。

 そのせいなのか、自分はまだ生きていると強く感じられた。

 

 痛む体を必死に動かし、重いと感じながら立ち上がろうとする。

 その時、彼は再び変形した。

 今度は人型になり、雪を押し潰しながら這って進む。相変わらず目はルフィだけを見ていた。

 

 もはや思考など形を成していない。

 なぜ進むのか。気絶してはいけないと思うのか。今となっては自分でもわからない。

 どうして戦っているのかさえ希薄になった。

 ただ、それでも彼の体は進み、何も考えていなかったとしても、まだ諦めていなかった。

 少しずつでも前へ進んで、ついにルフィの足下まで辿り着く。

 

 首を動かすだけでも辛い状態。全身が痛んで、眠ってしまいたいと思う。

 だがチョッパーは必死で彼を見上げ、そしてルフィは、わずかに目を開いていた。

 

 「チョッパー……」

 

 弱々しい声。今にも消えてしまいそうだ。

 荒れる呼吸で聞こえなくもなりそうだがチョッパーは耳を傾ける。彼と視線を合わせ、一言一句を逃さないように全神経を集中させた。

 

 「これ、どかしてくれねぇか。そうすりゃ、あとは、おれがやるから……あいつは、おれがぶっ飛ばす。もう、捕まらねぇから……」

 

 毒にやられて、生気を感じない顔色だ。だが彼の目は死んでいなかった。

 ほとんど動けない状態だろうにまだ諦めていない。まだ勝つ気でいるのだ。

 ごくりと息を呑む。

 やはり彼を助けに来たのは間違いではなかった。ルフィが居れば間違いなく勝てる。この瞬間、確信を得たチョッパーは脳で理解する前に強く頷いた。

 

 地面に手をつき、震える腕で必死に上体を起こす。

 腕だけでなく足まで震えていた。体中のどこもかしこもが痛く、何度か力が抜けて転びそうになるものの、歯を食いしばって耐える。

 

 拘束されたルフィの前で、チョッパーは再び立ち上がった。

 そこへ勢いよくムッシュールが飛び込んでくるのである。

 

 「いい加減くたばれ! 死にぞこないがァ!」

 

 走ってきた勢いを使って飛び蹴りを繰り出す。チョッパーの横っ面を仕留め、辛うじて立っていただけの彼はあっという間に吹き飛ばされ、肩口から地面を転がった。

 着地したムッシュールはすぐさまその後を追う。

 倒れたチョッパーに駆け寄り、その体を強く踏みつけ始めるのだ。

 

 「このっ! このっ! このぉ! よくもワポルに怪我させやがったな! 薄汚ぇバケモノ!」

 「ぐっ、うぐっ、あぁっ……!」

 「てめぇと違ってあいつは必要とされる人間なんだ! 部下からも、おれからもな! 誰からも必要とされてねぇお前が、偉そうにおれたちの前に立つんじゃねぇ!」

 「ぐぅ、うぅぅっ……!」

 

 チョッパーは身を縮め、腕で頭を庇いながら必死に耐える。

 ムッシュールの足は彼の体中を踏みつける。頭を踏み、肩を蹴りつけ、憎らしいという感情をこれでもかとぶつけて攻撃を止めなかった。

 

 一方的に与えられる痛みに耐えて、チョッパーは伏せていた目を開く。

 その目にはさっきまでとは違う、強い怒りがあった。

 

 「うおおっ、おおおおおっ――!」

 「うるせぇ! 吠えたら強くなれんのかよっ!」

 

 一際強く、ムッシュールの蹴りが腹を蹴りつけ、チョッパーがごろりと転がった。

 ほんのわずかだが距離ができた。

 ムッシュールは歩いてその距離を埋め、改めて持ち上げた足を全力で振り下ろそうとする。狙いは頭で、いよいよ踏み抜いて終わりにしようと考えていたようだ。

 

 「さっさと死ね、このバケモノめェ!」

 

 その時、空を見上げて大の字に倒れていたチョッパーは、無自覚に変形していた。

 人型から人獣型になり、体のサイズが極端に小さくなって頭の位置が変わる。

 当然ムッシュールの足は雪が積もった地面を踏み、彼の頭は踏み抜けなかった。

 

 「何ッ!?」

 「おおおおっ――」

 

 それからすぐに人型へ戻り、横たわったままで振り下ろしたばかりの足を掴み、無我夢中で足首の辺りを握りしめた。人間を超えた握力が否が応にも彼に痛みを与える。

 しかしそれだけでは終わらず、チョッパーは動く。

 寝返りを打つようにして腕を振り、ムッシュールの体を振り上げたのだ。その勢いに乗ったまま地面へ叩きつけ、彼は体の前面をぶつけることになる。

 

 雪が積もっているとはいっても衝撃と驚きは相当なものだ。

 掴まれていた足が離されていることに気付き、焦りながら彼は起き上がろうとする。

 

 その前に、跳び上がったチョッパーは両手を組み、全力で後頭部を殴りつけた。

 

 「うおおおおおおっ!」

 「ぐほっ、がはっ……!?」

 

 跳ねるように地面へ叩きつけられる。今度は雪が積もっているかどうかなど関係ない。

 意識を失いかねない痛みと衝撃に襲われ、ムッシュールは驚きを隠せなくなった。

 それでも攻撃は止まらず、雄たけびを上げるチョッパーが彼の体を跨ぎ、ひっくり返して、真上から見下ろす。固く握った拳はすでに振り上げられていた。

 

 「ま、待て――!?」

 「そうだ、おれはバケモノ! 強いんだァ!」

 

 全体重を乗せた拳が彼の頬を打ち抜く。

 食いしばった歯が折れ、血の味が一瞬で口の中に広がった。

 

 さらに一撃。今度は左の拳が彼の顔面を殴り、鼻の骨が折れる音がする。

 もはやムッシュールに抵抗できるだけの冷静さはない。

 次の一撃に襲われ、頬というより口元を殴られても悲鳴さえ出ず、ただされるがままだった。

 

 「うおおおおおおおっ!!」

 

 両腕を振り抜き、全力を込めた拳を何度も彼の顔に叩き込んでいく。

 一撃ごとに確実にムッシュールの余力を奪い、ダメージを与え、一体何本歯を折っただろうという光景だった。強烈で素早い猛攻は惨たらしさすら漂う。

 怒り狂ったチョッパーの攻撃はそう簡単には止まらない。

 自分はバケモノだ。そう認めた時、彼は今まで以上の力を発揮していた。

 

 重いパンチが顔面を貫き、数十発は与えた頃。

 生命の危機を感じ、底力を出したムッシュールがやっと動いた。

 

 先程同様、おかっぱ頭がキノコに変わり、わずかに首を持ち上げて角度を変える。チョッパーの拳をキノコの頭で受け止めていた。

 かなりの痛みを伴うが必死に耐え抜き、猛攻を止める。

 その直後に押さえられない怒りを爆発させて叫んだ。

 

 「ごっ、ごの野郎! いい加減にじろォ!」

 

 瞬間的に冷静になり、攻撃が来る、と察したチョッパーは背を仰け反らせた。

 予想した通りムッシュールは頭から菌糸の弾丸を撃ち出した。

 体勢が崩れたことを利用して、チョッパーは背中から転んで弾丸を避け、雪原を転がる。しかし素早く動いたムッシュールは先に立ち上がり、彼へ駆け寄った。

 

 全力で振り上げた足を振り抜いて蹴りを放つ。

 転がっていたチョッパーの腹が捉えられ、巨体が軽々と宙を飛んだ。

 痛みに呻く彼は着地すらできず、転がるように落ちて、一瞬ぐったりと力が抜けてしまう。

 

 その間にムッシュールは自分の顔に触れた。

 鼻血が出ている。歯が折れている。鏡を見なくてもひどい有様だ。

 弟だけでなく自分までも。

 これを許しておく訳にはいかない。

 何がどうなっても彼を殺そう。たった今そう決めた。

 

 怒りのせいか、痛みのせいか、それとも疲労か、足を震わせながら歩き出す。

 その時にはチョッパーも立ち上がって、向かってくるムッシュールを見ていた。

 

 「こいつ、殺してやる! 全身バラバラにして、一番むごい殺し方で殺してやる!」

 「ハァ、ゼェ、殺されるもんか。おれはお前なんかには負けないぞ」

 「ふざけるなァ! お前一人で何ができる!」

 「おれはもう……一人じゃないんだァ!」

 

 そう言ったチョッパーはくるりと振り返った。

 その瞬間、ムッシュールが目を見開く。

 途方もない怒りのせいで極端に視界が狭まっており、気付くのが遅れた。チョッパーが立っていた位置はルフィの目の前ではないか。

 

 振りかぶられた拳は確固たる意志を持って握られていて。

 意味も分からずムッシュールが激昂する。

 

 「てめぇ、この期に及んでまだ……!」

 「おおおおっ! 重量(ヘビー)ゴング!」

 

 チョッパーの拳がルフィを拘束している菌糸の壁を破壊した。右半身が自由になり、力の抜けた腕がだらりと落ちる。後は左半身だけだ。

 さらに怒りを燃え上がらせるムッシュールは全身に力を込めた。

 両腕を前へ出し、掌を見せると同時、チョッパーがルフィの体を掴む。

 

 「そんな死にぞこないを助けて今更何ができるってんだよ! もう十分だ! てめぇら二人まとめておれの毒で死にやがれェ!」

 「ハァ、お前なら勝てるんだよな。頼むよ、起きてくれ。おれはあいつに負けたくない――」

 

 チョッパーがルフィの体を掴んで引っ張ると同時、ムッシュールの掌から毒の胞子が飛ぶ。

 そして、閉じられていたルフィの目が開いた。

 

 「雪胞子(スノウ・スポール)! 全部消えちまえェ!」

 「頼むよルフィ! あいつをぶっ飛ばしてくれェ!」

 「おおおっ……おおおおおっ――!」

 

 毒の胞子が壁のように連なって迫っていた。

 同時にチョッパーが引っ張ったことで、菌糸にヒビが入る。

 そしてこの時、ルフィの体に力が戻ったことにより、彼はチョッパーの力を借りて、自身を捕らえる菌糸を破壊して、やっとの思いとは思えぬほど激しく吹き飛ばした。

 

 「うおりゃああああ~っ!!」

 「な、何ッ!?」

 

 纏わりついていた菌糸だけでなく周囲の雪まで吹き飛ばして、強い風が起こっていた。そのせいで風に弱い胞子はあっさり流れてしまい、本来向かっていた場所とは違う方向へ進む。

 二人の下へは届かなかった。

 呆然とするムッシュールは腕を降ろすことすら忘れ、雪が舞い上がった前方を見る。

 

 雪の向こうに影が見えた。

 状況を理解することもできずにただじっと眺め続ける。

 

 煙のような雪を突き抜けて現れたのはルフィだった。

 肌は色を悪くしたまま、目には闘志が戻り、力強い光が灯る。

 信じられないムッシュールは微動だにできず、今や声を発することさえできない。

 

 全てが理解不能の事態だった。

 自分より弱いトナカイに傷を負わされるのも、毒を受けて瀕死の男が動けるのも、いくら二人掛かりとはいえそんな連中に自分が追い詰められることも。

 長く幽閉されていた彼は自分が住んでいた小さな世界しか知らない。

 知識の浅さ、経験の足らなさから、素直に不思議で仕方なかった。

 

 何をするでもなくぼーっと突っ立ち、接近する彼を眺めている自分が居る。

 この時、彼はまだ自分が負けるとは理解できていない。

 対してルフィは、自分の死を近く感じようが諦めようとはせず、最後の最後まであがき、仲間を信じて疑わなかった。その証明が目の中にある光である。

 

 彼らの間にはそんな違いがあったのだろう。

 ムッシュールの前に辿り着いた時、ルフィは血反吐を吐きながら腕を突き出した。

 

 「ゴムゴムのォ!」

 「あれ? これ、おれが負ける――?」

 「攻城砲(キャノン)ッ!!」

 

 全ての力を込めた一撃が腹を捉え、ムッシュールの体は紙のように軽く空へ飛んでいた。

 一直線に飛んでルフィから離れていき、誰かに止められるような速度ではなく、見る見るうちに離れていく。そうして彼は先に倒れていたワポルに激突し、巻き込み、共にドラム城の外壁に激突して埋め込まれるような姿になり、すぐに落ちて雪の上で静かになった。

 

 ようやく終わった。

 ルフィはがくりと膝をついて、そのまま倒れ込んでしまう。

 

 言葉も出ない。それほど強烈な一撃だった。

 唖然とした様子のチョッパーはしばし動くことができず、ルフィが倒れたことにも気付けない。

 やがて倒れている彼を見つけ、慌てて駆け寄っていく。その頃には痛みも忘れていた。

 

 「お、おい! お前、大丈夫か!?」

 「ハァ……ハァ……あいつは?」

 「もう大丈夫だ。あれじゃ起き上がって来れない。お前の勝ちだよ」

 「そうか……」

 

 ルフィの隣に膝をつき、顔を覗き込むチョッパーは驚く。ルフィは笑っていたのだ。

 疲れ切って起き上がることさえできない。それなのに勝利を喜ぶ余裕を持って、毒を受けたこの状態になってもまだ笑うことができる。

 少しばかり、彼を人間だとは思えそうになかった。

 

 (おれと同じ、バケモノ、か……)

 

 部屋で話したことを思い出す。

 あの時彼は、同じ悪魔の実の能力者だから、という意味で言ったのだろう。けれど今、その姿を見たのであれば冗談には聞こえなくなるから不思議だ。彼の方がよっぽどバケモノだと思う。

 

 チョッパーもフッと笑みをこぼす。

 今になって全身の痛みを思い出した。少し顔を歪めて、それでも笑みは絶やさなかった。

 

 ようやく終わったと思って気が緩んでいたのだろう。

 二人とも彼らの方を見ようとはしておらず、そのせいで気付くのに遅れた。

 唯一、くれはが見ていたのである。

 空気を緩ませる二人へ鋭い声が飛ぶ。

 

 彼らが知らぬ間に、いつの間にか、ワポルが動き出していた。

 

 「あんたたち油断するんじゃないよ! まだ終わっちゃいないんだ!」

 「え――?」

 「バクバク工場(ファクトリー)……」

 

 チョッパーが振り返った時、すでに彼は動いていた。

 立ち上がることすらままならず、地面を這って進んで倒れた兄へ近付き。

 大口を開けて、ムッシュールを食べ始めていた。

 


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