メリー号が停泊する場所とは異なる岸辺。
そこに一隻の巨大な船が停まっていた。
王冠を被った白いカバの船首を持つ船であり、掲げる海賊旗もまた王冠を被ったドクロ。それだけでなくどことなく愛らしい様子で舌を見せているが、真新しい旗はつい最近作られた物だ。
旗揚げから数か月の船である。
海賊として活動した時間は短く、だが船はそれなりの年季が窺えた。
彼らは、自らをブリキング海賊団と名乗っていた。
見張りに立っていた町民たちが倒れていた。
多くの者が血を流し、赤く染まった雪原に気を失っている人間ばかりがそこに並んでいる。
その中で一人、気絶していない者が居た。
「ド、ドルトンさんに……知らせなくては」
血濡れの男は必死の想いで懐の子電伝虫を取り出し、連絡を取ろうとする。
今しがた起こったことを伝えなければならない。
口にするのはたった一言、“ワポルが帰ってきた”。
それを伝えようとする彼の耳にドルトンの声が聞こえる。
《こちらドルトン。何かあったか?》
「ドルトンさん……あいつが――」
《どうした、怪我をしているのか? 一体何があった》
「ワポルが……帰ってきた……」
一言そう告げて、男は気を失う。
その後もドルトンは声をかけ続けるが返答はなく、今が緊急事態なのだと理解した。
そこから少し離れた場所。
上陸した一団は雪道を移動し、ある村へ入っていた。村の名前はココアウィード。ビッグホーンの隣にある小さな集落であり、普段はのどかな風景がある。
ブリキング海賊団はその村に到着した。
到着から数十分。村は、無残と想えるほどに破壊し尽くされていた。
最初のきっかけはおそらく、村人がワポルという人物に銃を向けた瞬間だった。
大きな白いカバに跨った男がそれである。
このワポルという男、ドラム王国と呼ばれたこの島の王であり、一度は逃げ出したとはいえ、世界政府加盟国のドラム王国を代表する人物であった。
そして同時に、民の心を理解しようとしない、自分勝手な王であった。
彼が部下をけしかけて村を破壊したのはただ腹が立ったから。それ以外の理由などない。
銃やバズーカ等、命さえ奪いかねない武器を使わせ、町の至る所が破壊されている。家屋は壊れて瓦礫の山と化し、村人たちは血を流して倒れていた。
つまらなそうにそれを眺めるワポルは呑気に鼻などほじっている。
「ふん、カバじゃな~い? 王に逆らえば死刑。そんなこともわからんのか」
傷つき倒れた村人を見る目は冷たい。興味はない、と言わんばかりだ。
彼らが死んだところで罪悪感を抱くはずもなく、むしろ当然と答えるのだろう。
そう感じ取った者は多く、倒れていたが気を失っていなかった村人が必死に声を絞り出す。
「ふざけるな……お前はもう、王なんかじゃない……! 国を捨てて、逃げたくせにっ」
「あん? 王じゃないだと? カバなことを言うな、おれ様が王じゃなかったら誰がこの国の王だと言うんだ。おれ以外に居るわけなかろうがッ!」
一人が口火を切ったことをきっかけに、倒れたままの彼らが次々想いを語り始めた。
その声は厳しく、どれもがワポルを敵と見なす物ばかりである。
「ここはもうお前の国じゃない……」
「ドラム王国は滅びたんだっ」
「新しい王はおれたちで決める。お前の居場所なんて、どこにもないぞっ……!」
「ふぅ~、カバな国民の相手は疲れる。いや、そういえばもう国民でもなかったな」
やれやれと首を振ったワポルはより一層声を冷たくした。
「撃て」
「ワポル様、しかしそれでは――」
「おれの国にこんなカバどもはいらん。とっとと撃て」
「はっ……」
命令された部下たちは戸惑いながらも銃を構えて狙いをつけた。
血を流して倒れる男たちが何か言う暇さえ許さず、無慈悲に引き金が絞られる。
「ま、待てっ……!?」
制止の声を遮るように銃声が鳴り響いた。放たれた銃弾は口答えした男たちに向けられ、その場に居る全員が狙われた訳ではないが、新たに舞った血は多い。
見ていた者たちは思わず息を呑んでしまい。
ワポルはそれを見て表情を歪めることさえなかった。
「ドラム王国憲法第一条、王様の思い通りにならん奴は死ね! 他に異論がある者は居るか?」
倒れたままの面々を眺めてワポルが言う。
そうすると皆が言葉を失って何も言えなくなる。
口答えをすれば同じ結末だぞ。これ見よがしにそう言われては抗えるはずもなかった。
辺りが静まり返った後で、ホワイトウィッキーという種の巨大な白カバ、ロブソンから降りて、ワポルがのっそり歩き始める。
物色するように村の中を眺めているようだ。
倒壊した家屋を見やり、やっと興味を持った様子で目つきが変わる。
「まったく、とんだカバどもの相手で疲れたぜ。そろそろ腹ごしらえとするか」
舌なめずりをする彼は瓦礫の山へと歩み寄っていく。
当然そこには食料などない。攻撃によって壊れた家があるだけだ。
気にせず、ワポルは家の前に立つ。
「ちょうどこんがり焼けた家があるしなぁ」
そう言ったワポルは嬉しそうに大口を開けた。
瓦礫の山へ食らいつき、バリバリと音を立てて食し始めるのである。
彼はバクバクの実を食べた雑食人間。
普通の人間が食べられない鉄や木材といった物質でさえ食すことができ、さらに肉体に取り込んだ物を融合させて、武器として利用することも可能だった。
壊れたココアウィードの村はワポルによって次々食されていく。
逃げずに戦った男たちは今や倒れ、ただその光景を見ていることしかできなかった。
感想を言うこともなく食べ続けてかなりの時間が経つ。
その行動を止める者は居ない。部下たちは彼を恐れているのか、素直に従うのみ。
ようやく手を止めようかという頃には辺りはずいぶんと殺風景になっていた。
「げふぅ~。んん~いまいち。大した素材は使っちゃいねぇなぁ。これだから庶民は」
自身の膨らんだ腹を擦ったワポルは満足した顔で戻ってくる。地べたに座って待っていたロブソンの背に乗り、担ぎ上げられ、再び王として扱われながら移動しようとするのである。
彼は詫びることがない。自身が王だという自覚があるからだ。
王である自分は何をしても許される。
どうやらそんな自覚を持っているようで、周囲の臣下が止めることもなく、傍若無人に育った。
悪魔の実の能力による異様な食事を終えて、一団は進もうとした。
村を壊したこと、人々を傷つけたことに対する罪悪感を持たず、むしろ上機嫌な顔つき。
しかし表情が歪んだのは、遠方から向かってくる人影に気付いた時だった。
「むぅ? あれは――」
「ワポル様、お下がりを! 奴です!」
「元護衛隊長ドルトンめ。やはりおれ様を殺しに来たか」
向かってくるのは黒い毛を持つ牛だった。四足歩行で勢いよく走り、雪を蹴り飛ばしながら一直線にワポル目掛けて走ってくる。その様は凄まじい迫力を放っていた。
ワポルの部下たちが一斉に銃を構えて彼の前に整列する。
王を守るため、自らの命を捨ててでも戦おうとしていたのだが、牛はまるで気にしない。目を血走らせ、服を身に纏い、背には武器。明確な殺意を持って動いている。
ワポルは軽く舌打ちする。
彼には見覚えがある相手だった。
元護衛隊長ドルトン。かつてワポルを守っていた男。
数年前に癇癪を起こして王の命を狙い、その任を解かれた裏切り者。
今は牛の姿になっているが、彼が
ドルトンが食べたそれはウシウシの実、モデル“
人型、獣型の中間にある形態は人獣型。
ドルトンの体は牛の特徴を残したまま人間に近くなっていき、やがて二足歩行になる。
何かを言う前に背にある武器を抜いた彼は、並び立つ兵士を睨みつけた。
「全員構えろ! 敵を射殺する!」
「元部下とて容赦はせんぞ! そこをどけェ!」
「構わ~ん! あのカバをさっさと撃ち殺せぇ!」
一列に並んだ兵士が一斉に銃撃を開始した。複数の銃声が一気に空へ木霊する。
しかしドルトンは逃げ出さなかった。
素早いフットワークを駆使して飛来する弾を全て避け、尚も前へ進み始めたのである。
どの位置へ、どんな姿勢で避けられるか、構えられた銃口から瞬時に推測していた。
姿勢を低く走った彼は銃弾を回避し、右手には刃の太い剣を持ち、素早く兵士へ肉薄する。
悲鳴が出そうになった時には逃げる暇など残されていない。
牛の筋力を持つ腕が大きく盛り上がり、力を溜めた後で思い切り振り抜かれた。
「フィドル
通り過ぎ様にたった一撃。
ドルトンの腕が振り抜いた剣は複数の兵士を纏めて斬り飛ばし、宙を舞った男たちが落下して、自身の周囲だけ雪を赤く染め上げる。
荒く息を吐き出して、ドルトンが背筋を伸ばした。
残った兵士が怯える中、ワポルは忌々しげに彼を睨みつける。
「久しぶりだな、ワポル。やはり戻ってきたのだな、この島に」
「ワポル……? おかしなことを言うな、ワポルさ・ま・だ!! 我が家来ドルトン」
ロブソンの背に跨り、腕組みをしたワポルが苛立った顔で答える。
対するドルトンも冷静さを窺わせる一方で怒りを滲ませた。
元は主従関係があったとはとても思えない。どちらも相手を好意的には見ておらず、すぐには動き出さないにしても敵意をぶつけて、仲が良い雰囲気など微塵も感じなかった。
彼らはすでに決別した関係である。相手に対する嫌悪は残っていても情など欠片もない。
村人には優しい顔を見せていたドルトンも、今や一人の戦士だった。
牛の黒い毛並みと鋭利な角を持ちながら、人間さながらに二本足で立つ彼は、かつて護衛隊長を務めただけあって戦闘の腕に自信がある。それはワポルも認めるほどの実力だ。
攻撃を受けずに済んだ兵士が怯えるのも無理はなく、辺りに重苦しい雰囲気が流れる。
「呼び方ならいくらでも変えてやる。さぁワポル、この国を出て行こう。我々はもうこの土地に居てはいけない。居場所などどこにもないんだ」
「ふん、カバじゃないの? なぜおれ様が出て行かなければならん。この国はおれの物だ」
「ここはもうドラム王国ではない。お前が国民を置いて逃げ出したその瞬間から」
「ま~っはっはっは! こりゃ傑作だ! 大カバ野郎だな!」
大笑いするワポルはふざけたつもりもなく、真剣にドルトンへ言う。
「そんなことで国が無くなるわけねぇだろうが。ここはおれの国で、おれの島だ。ドラム王国は無くなっちゃいねぇし、これからだって無くならねぇ。このおれ様が居るからだ」
「お前はもう、王ではない」
「あぁん? 偉そうに言うカバ野郎だな、なぜお前がそんなことを言える。裏切者め」
「ここにある景色を冷静に見てみろ」
ドルトンは怒気を発しながらワポルを見ていた。すぐに襲い掛からなかったのは彼が人格者であったためであろう。震える手を力で押さえつけ、必死で体をその場に縫い付けている。
その一言をきっかけに、ワポルは辺りを見回した。
壊れた家々がある。怪我をした人々が倒れている。
それ以外目に付く物は無くて、再び目を合わせてから彼が答えた。
「ああ、おれ様に歯向かったカバ野郎どもが転がってるな。それがどうかしたか?」
「お前は、王でありながら国民を傷つけた。本来お前が守るべき人々をだ」
「それは違うなぁ。こいつらはおれ様の命令に従わなかったんだ。そんな連中を守るだと? カバなことは休み休み言え」
「彼らがなぜそうしたのかわかっているのか」
「知らんなぁ。国民でもねぇカバどもの考えることなんて」
つまらなそうに鼻をほじりながら、ワポルは不真面目な態度だった。
それを見てドルトンの毛がざわめき出す。
暴れ出しそうになる感情は能力にまで影響を与えているらしい。
「やはり私が間違っていた」
苛立つ彼は武器を握り直して鼻息を荒くする。
「仮にもお前は私が世話になった先代国王の息子。いつの日かきっと目を覚ましてくれると希望を抱いていたが……無駄だった」
「ほ~そうか。まぁ別にお前の言うことなど興味はないが」
「もはや愛想も尽きた。国の危機に先頭切って逃げ出すような王が居る国など滅んだ方がよい。もう二度と、この国をお前たちの好きにはさせん」
「えっらそうに! そんな大口叩いて無事で済むとでも思ってんのかァ!」
ワポルもまた激昂した様子で叫んだ。
両者は我慢できない目で睨み合い、見守っていた兵士たちに緊張が走る。
「ドラム王国憲法第一条! 王様の思い通りにならん奴は死ね!」
「そもそもそんな憲法は存在しない。以前に何度も言ったはずだ」
「やかましい~!」
「やはりお前を王にすべきではなかった。先代国王に代わり、私が責任を取る」
「何が責任だ! 責任から逃げたのがお前だろう!」
思わぬ叫びにドルトンの表情が歪む。
確かにそうかもしれない。護衛隊長の地位を捨て、如何なる経緯であっても王に背き、反逆を起こした。それは力尽くで彼を止めようとした結果だった。他の方法を探す最中での我慢しきれずといった行動だったが、今はそれが正しかったかどうかもわからない。
だがこのままではいられないと思ったことだけは確かだ。
この国は変わるべきであり、そのためにはワポルが邪魔だ。
そう思い直して覚悟を決めるドルトンの耳に、許し難い一言が飛び込む。
「国王様が言ったことは絶対に決まってるだろうが! 国民のことなんぞ知ったことか! 全員おれ様の命令に従ってればいいんだよぉ!」
「もはや何も言うまい……すでに覚悟はできている」
言い終えると同時に姿勢を低くしたドルトンは、驚くワポルを見据えて駆け出した。
「皆を守れるならこの命も捨てようっ。私と共に地獄へ行こう、ワポル!」
或いは、道連れ覚悟だったのかもしれない。
駆け出した彼がワポルに接近する途中、突如積もっていた雪がバッと宙を舞った。
雪の下から姿を現した二人がドルトンの側面を挟み込んだのである。
コンマ数秒、ドルトンは遅く感じる時の中でその二人を確認した。
どちらも見覚えのある男だったようだ。
片方は妙な頭巾をかぶり、弓矢を構えた男、チェス。
もう片方は黒いアフロヘア―が特徴的で、グローブを付けた拳を構える、クロマーリモ。
彼らはワポルの側近であり、かつてはドルトンも加えて“三幹部”と言われた者。実力は折り紙付きなのは知っていたはずで、なぜ今まで気付かなかったのかといえば、破壊されたココアウィードの町を見て頭に血が昇っていたのだろう。
気付いた時には彼らの攻撃は避け切れない位置にあった。
「雪国名物“雪化粧”」
「貴様が知らぬはずはあるまい、ドルトン」
(……不覚ッ……!)
クロマーリモが装着するアフロのようなグローブから鋭い刃が飛び出し、チェスの弓に番えられた矢は一度に三本、それらが同時にドルトンへ襲い掛かる。
体の両側から素早い動きだった。
三本の矢が肉を貫き、グローブから飛び出る刃が肌を切り裂く。
執拗な攻撃で血濡れとなった彼は為す術もなく地面へ倒れた。
視界が霞む。全身が重く、力を入れることさえできない。冷たい雪に埋もれて妙に熱かった。
肉体には矢が突き刺さったままだった。
遠くなる耳にはワポルの笑い声が聞こえて、それが悔しく、無力な自分を責め始める。
もっと早くに気付いておくべきだったのだ。
思い返せばドルトンの登場にワポルは驚いていなかった。来ると知っていて最初から備えていたのだろう。それに気付けなかったのはドルトンのミスにある。
村を破壊したことさえ作戦だったのかもしれないが、それでも冷静になるべきだった。
動かない体で必死に拳を握る。
ワポルの大きな笑い声は彼の心をこれでもかと苛んだ。
「ま~っはっはっは! カァバめ! お前如きがおれ様に触れられるとでも思ったか! 身の程を知れ、騎士崩れのカバ市民が!」
「残念だったなドルトン。お前の選択は間違っていた」
「今も護衛隊長を務めていれば死ぬことにはならなかっただろうに」
ワポルはロブソンの上で笑い、傍ではチェスとクロマーリモが見下ろしている。
これは自らの罪だ。そう受け止めるしかない。
愚かな王を止めることができなかったのは自らの力が至らなかったから。もっとやれることはあったはずだと後悔し、目を閉じて彼らの嘲笑を受け入れる。
(なぜ……私は……)
彼らの声を聞きながら静かに想う。
全身を覆う熱や痛みに耐えながらも、心中は驚くほど静かな状態にあったようだ。
(こうなる前に、止められなかった……)
自らの無力を嘆く。
覚悟が足りなかった。先代国王に誓ってワポルを支え、ドラム王国を良くしていこうという決意をしたはずだ。だが結果は見るも無残なもの。もう取返しがつかないところまで来ている。
この王の下で国を作り直すことは不可能だとしか思えなかった。
願わくば、誰かにこの国を壊して欲しい。
こうなってしまってはそう願う他なく、自分の力ではどうしようもないと実感してしまった。
今この場で彼らを止めてくれる人間が来るのを強く願う自分が居る。
その願いが功を奏したのか、或いは運命だったかもしれない。
雪を踏みしめ現れたのは、偶然にも医者を探しに出たはずの二人だった。
「そこまでだよ」
声に気付いてドルトンが目を開く。
霞む視界では捉えにくいが、なんとか声の主を見つける。
彼が見たのはゾロと並んで立ったシルクがゆっくりと剣を抜いた瞬間であった。