辺りはまるで、しんしんと降る雪に音を吸い込まれるかのようで。
船底に触れる波の音も穏やかに、否が応にも孤独を強く感じる一時。
甲板に居るキリはメインマストの下に座り、隣には羽を畳んで座るカルーが居て、彼に抱き着くようにして二人で毛布をかぶりながら島の風景を眺めていた。
白くなる息が宙に消えていく。
毛布に包まっても凍える気温であり、ただ座っているだけでも命の危険を感じかねない。
しかし見張りが船内に居る訳にもいかず、また外に居たい気分だったため、彼らはそこに居た。
島は、驚くほど静かだった。
どこか寂しげに、雄大であるが故に孤独を見出し、なんとなく寂しい気持ちになる。
静か過ぎるのも少し問題だろう。
誰も居ない甲板を見渡す彼は力を入れてカルーを抱きしめた。
「いつもはあんなに騒がしいのにね。やっぱり雪があるからかな」
「クエ~」
カルーは同意するように小さく声を出す。
言葉は通じなくとも意思の疎通はできている気がする。
分かり合うかのような彼らは身を寄せ合って、寒さに耐えながら仲間の帰りを待っていた。
静寂を耳にして、船に誰も居ない光景は少しばかり胸が痛んだ。
気にしないようにしても仲間の最期を思い出す。
一人になった寂しさを、なぜか今は鮮明に思い出していた。
やはり寒さと静けさが問題なのだろうか。
カルーの体に体重を預け、頭まで肩の辺りに預けると、彼は不意に寂しげな目になる。隠す必要はない、今は誰も見ている人間が居なかった。
カルーもおそらく気付かぬふりをしてくれて、今だけは全身の力を抜く。
この船はかつての光景と同じになって欲しくない。誰も居ない甲板を見て再びそう思った。
近頃の自分が焦っているのは自覚している。誰にも告げていないローとの密約、巨兵海賊団との決闘、ウェンディとの奇妙な関係もはっきりしていない。
特にグランドラインに入ってから自分勝手に動いているのはわかっていた。
そうしなければならないという自覚と責任、強迫観念もある。
改めてそう考えれば、やはり彼の言いつけが身に沁みついているということか。
キリはゆっくり目を閉じる。
船は着実に進んでいる。アラバスタに辿り着くのはきっとそう遠くない。
再会の時はすぐ近くまで迫っているはずだ。
「さむ……」
身震いして腕にぎゅっと力を入れる。
カルーは何も言わず、嫌がることもなくそれを受け入れていた。
また静寂の時間が続く。
少し黙ればそれだけで耳が痛くなりそうなほどの静けさに襲われた。じっとしているのも退屈だが今はやることもない。彼らは動こうとせずにただ時の流れを感じる。
そんな折に羽ばたきの音が聞こえた。
大きく、力強い、何か巨大な鳥が空を飛ぶ音。
目を開けたキリが空を見た。同じ頃にカルーも不思議そうに目線を上げ、船に近付いてくる巨大な鳥を見つける。と言ってもサイズは人間と同じ程度であった。
巨人を見て、傍には超カルガモのカルー。驚く大きさではない。
彼らの前にやってきたのは大きな鷲だった。
船の縁に止まり、何やら勝手に羽を休め始める。
唐突にやってきた割にはずいぶん身勝手な行動だろう。しかも許可を求められた覚えもない。
キリとカルーがぽかんとして見ていると、鷲は平然とした顔で彼らに目を向けた。
「よう。冷えるな、今日は」
「あ、しゃべった」
「クエッ!?」
カルーが思わず声を出して驚く。鷲が人語を操ったこともそうだが、何よりその不可解な事態を前にしたキリが驚きもせずに確認したことだ。肝が据わっているというより間の抜けた反応に、驚きどころか心配さえしてしまう。
そんなカルーに気付きつつ、鷲は相変わらず平坦な声で人語を操って。
キリも平然とそれを受け入れていた。
「正直おれ、こんなに羽の先が冷たくなると思わなかったよ。雪国って辛いんだな。これはちょっと住めそうにないわ」
「そりゃまぁ人間も辛いからね」
「こういうこと言うと悪いかなって思うんだけどさ、こんだけ寒いと布団ってすげぇなって思うわけよ。いや、確かに中には羽毛とかあるよ? 鳥からすりゃどうなのよとは思うんだけどな? やっぱり寒いのはだめだ。一度知っちゃったら頼っちゃうね」
「ふむ、確かに」
「賛否両論あるんだろうが、自分の羽だけじゃやってけねぇのよ、実際」
妙に軽い口調で喋る鷲だった。
親しげな様子は長年の友人に接するのにも近く、馴れ馴れしいとすら言える。
声その物は少し低く、雄なのだろうと思えるものの、とにかく詳細が知れない。しかしカルーの戸惑いとは裏腹にキリは同じく友人のように話していた。
奇妙な空間である。
静けさを破る会話が人間と鷲の会話で、同じく鳥類であるカルーだけが疑問を持っていた。
「悪いんだがちょっと羽を休ませてもらっていいか? 長く飛んでると流石に疲れてな」
「別に構わないけど」
「一人旅ってのは気楽だけどたまに寂しいよな。あんたら海賊? いいよなぁ、仲間って。気楽じゃねぇかもしれねぇが楽しいよな」
「経験あるの?」
「ないけど、想像で」
「そうじゃないかと思った」
キリは姿勢をさらに崩し、カルーに体重を預けて柔和に微笑む。
「しゃべる鳥なんて珍しいね。カルーも頭はいいけどしゃべれないのに」
「世の中広いからな。たまにはこういうのも居るさ」
「一人で旅してるの?」
「ああそうさ。結構楽しいんだぜ? 好きな時に起きて、好きなところへ行って、飽きたら寝てまた次の島。自由気ままな一人旅だ」
「そう」
「ひょっとして経験あるか?」
「少しの間なら。でも結構寂しいもんだよ」
「あぁ~それもわかる。でも独り身なんだ、町に行けば女にだって会えるだろ」
「まぁね。それを否定するほど初心じゃないから」
「でも仲間が居るんだな」
「今はね。ま、色々あったんだ」
鷲は穏やかな顔でキリを見ながら不思議そうにしている。
言葉を詰まらせることはなく、思ったことは素直に言葉にし始めた。
「君は変わった奴だなぁ。おれがしゃべると大抵は妙な空気になるんだけど、ここまですんなり受け入れられたのは初めてかもしれねぇ。いや初めてだ」
「そうだと思うよ。これでも驚いてるんだ」
「そうか? そうは見えねぇけどな」
「顔には出にくいから」
「まぁどっちでもいいけどな。話し相手になってくれるならそれだけで嬉しいもんだ」
楽しそうに言う鷲はからからと笑っていた。
やはりというか、不思議な体験である。
どんな光景があってもおかしくはないグランドラインであっても、人語を話す動物は初めてだ。キリは冷静に見ているが、心中ではその生物を、決して友好的には見ていない。
人語を操る鳥。
下手なことを話せば足元を掬われる気がして、心の内を明かす気はさらさらなかった。
ふとした瞬間に、傍に置いていた電伝虫が鳴り始める。
仲間からの連絡だろう。
その時を待っていたのだが今は少々厄介な状況であって、キリはちらりと鷲を見る。
「いいかな?」
「もちろんだ。おれのことは気にしないでくれよ。気になる気持ちもわかるけどもだ」
「どうも」
念のために声をかけてから受話器を取る。
ぱっちり目を開いた電伝虫はサンジの声を発し始め、この場に居ない彼との会話が始まる。
《キリ、こちらサンジだ。ちょっと相談がある》
「待ってたよ一流コック。状況は?」
本来なら仲間との通信を見られたくはないものの、突然指摘して警戒心に気付かれたくはない。キリはその鷲を受け入れている。そう見えていた方が得策だ。
受話器を握って電伝虫に目を向けながらも、意識は半分以上鷲を気にしていて。
会話を始めたが集中し辛い環境だった。
《ちょっと妙なことになっててな。おれたちが来る前に色々あったみてぇで、この島には医者が一人しか居ないらしい。しかも結構な変わり者だと》
「変わり者か。うちの一味に言われちゃ終わりな気がするね」
《んなこと言ってる場合かよ。それでだ、今こっちじゃどうやってその魔女に会おうかって話になってるんだが、一番高い山見えるか?》
「うん。あの山っぽくないアレのことでしょ?」
《その天辺にある城に住んでるらしい。こっちじゃいくつか案を出して動いてるが打てる手は全て打っておきたいと思ってな。お前の能力であの城まで飛べねぇか?》
「あそこまでか……うーん、どうだろ」
一度口を閉ざして、キリはわずかに考えた。
その様子を鷲は静かに眺めている。
「雪が降ってなければいいんだけどね。このままじゃそれこそ途中で落ちかねない」
《やっぱり雪は弱点か》
「程度にもよるけど。危険は危険じゃないかな」
《お前が言うってことはよっぽどってことだな? 賭けはやめとけってか》
「おれなら飛べるぜ」
突然、二人の会話に割り込む声があった。
パッとキリが顔を上げ、多少の驚きを含めて見るのは目の前の鷲。
その声が聞こえたらしいサンジも疑問を持っていたようだった。
《誰だ、今のは。誰か居んのか?》
「ねぇサンジ、人間の言葉使う鳥って見たことある?」
《何言い出してんだいきなり。オウムかなんかか?》
「いや、もっとはっきりしゃべってくる。今そういうのが前に居るんだ」
《なんだそりゃ》
キリの目が改めて鷲を観察する。
その上で笑みを深め、事情を呑み込めないサンジに問いかける。
「ここに何人か乗せて飛べそうな大きい鷲が居るんだ。意思の疎通もできる。君なら、あそこまで連れて行ってくれるの?」
「ああ、いいぜ。どうせやることもねぇしな」
「そういうことだから足はできそうだけど」
《おい待てよ、よくわからねぇが、要するに他人の力を借りようって意味だろ? そいつは信用できんのか》
「はっきり言ってできない」
《できねぇんじゃねぇか》
「でも他に用意できそうな物がなくてね。最悪の場合の一手としてはそれなりじゃないかな」
《他に手がないなら、ってことか》
「一刻も早く医者に会いたいんでしょ? これも一種の賭けだよ」
誰のことを言っているかわからないため、サンジはまだいまいち理解できていない。だがナミを想えば多少の無茶は致し方ないかとも思えて、その一方で危険は冒したくないとも考える。
とにかく優先すべきはナミの安全。
果たしてどう判断すべきか、思い悩む彼は納得していない声でキリに問う。
《……本当に大丈夫なんだろうな?》
「判断はサンジに任せるよ。ボクは現場に居ない。船番がしゃしゃり出るのもどうかと思うし」
《人が乗れそうなワシだと……? さっぱり意味がわからねぇ。だが、さっきの声はそいつのもんだって言うんだな? 誰か人間が居るわけじゃなく》
「そうだよ。ここに居る人間はボクしか居ない」
《チッ、ずいぶん難題だな。しょうがねぇ、一度会ってみる。こっちに寄こしてくれ》
「了解」
苦しんでいる様子だがサンジは決断し、キリも頷く。
「もし途中で降り落とそうとしてもルフィが居ればなんとかできると思うよ。この島、一面が雪で覆われてるし、ルフィは反射神経が良い上にゴムだから」
《その代わりあいつは雪に心を奪われてるがな》
「ナミに危険が及べば変わるさ」
《今が危険な時だろうが。まぁいい、とにかく急いでくれ。こうしてる間にもナミさんは苦しんでるんだ。おれは一刻も早く楽にして差し上げてぇ》
「わかった。説明しとくよ」
《なんでこんなことになったんだか……》
文句を口にするものの異論は出さず、通信が切られる。
受話器を電伝虫の殻に置いてキリが鷲を見た。
おそらく雄だろう彼はどことなく楽しげな様子で、準備をするように羽を動かしていた。
少なからず嫌な予感がしている。素性が知れないこの鳥が果たしてただの動物か否か、気にしてはいるが確認する手立てがない。
あとはサンジに任せればいいだろう。
仲間を信頼しているからこそ、彼らならば上手くやるだろうと思っていた。
彼を見ていた鷲がどう思っていたかはわからない。
ただ興味を持ってキリの前に止まっていたことだけは確かだろう。
再び視線が合う時、鷲は非常に上機嫌に見えた。
*
ドルトンの家の前に立つサンジは、件の人物が来るのを待っていた。
キリの言葉には違和感や疑問も持っており、勧めた彼が信用できないという相手、果たして力を借りるべきなのだろうかと今から考えている。そうする彼はナミを助けることだけ考えていて、その他の考えは今や頭の中から消えている。
普段は頼れるはずのキリが居ないため、自分がしっかりしなければと思っているのだ。
仲間たちはすでに動き出している。
ウソップとイガラムは壊れたロープウェイの修理へ赴き。
ゾロとシルクは他の村に魔女が降りてきていないかと確認に向かっている。
時間は無限ではない。こうして別れて行動するのにもすっかり慣れた。
互いに心配することもなく、それぞれが上手くやっているのだろうと思っている。
待っていると家の中からルフィが出てきた。今は皆が出払ってしまって残っているのは彼とナミを看病しているビビのみ。
外へ出てきたルフィはサンジの隣に立つ。
いつになく静かな様子で些か真剣な感情も目に感じられた。
「なぁサンジ、ワシ来たか? キリが言ってたでっけぇ奴」
「いや」
「そっか~。なんでワシがしゃべるんだろうな。普通鳥はしゃべらねぇだろ」
「そこはどうでもいいんだよ。問題なのはそいつに任せていいのかどうかだ」
「んん、確かに」
腕組みをして壁に寄りかかるサンジは、煙草を吸いつつ、ふと目を閉じる。
自分の役目については理解していた。
第一に一味のコックであること。その次に女性を守ることが来て、その次くらいには暴走しがちな仲間たちを諭して冷静に事を進めることにあると考える。
ルフィはどう思っているのだろうか。現在の船の状況を、一味の空気を。
近頃は二人で話す機会もなかったため、ふと聞いてみたいと思った。
どうせ今は待つだけだ。それくらいは許されるだろうとルフィに問いかける。
「最近のキリをどう思う?」
「ん? 何が?」
「何がじゃねぇよ、わかってんだろ。あいつが妙に焦ってることは」
目を開けたサンジは空に目を向け、煙草の煙を吐き出した。
寒い気候で息が白くなるため、これでは判別もできない。
「ビビちゃんが撃たれた時、あいつ、本気で殺す気だったぞ」
分厚い雲が空を覆い、ちらほらと雪が降っていた。
普通の人間にとってはさほど問題でもない、肌に触れれば少し冷たいといった程度のそれも、紙人間にとっては大問題なのか。悪魔の実の能力者も大変だなと思う。
ルフィはサンジの顔を見ていたが、視線を外し、何気なく前方へ視線を向ける。
どこを見るということもなく、少し考えていたようだ。
気付かないはずがない。最も長く一緒に居るのが彼なのだ。
それでも止めようとしない理由を聞いてみたかった。
一緒になって騒いでいたり、楽しそうに話しているのは見覚えもある。だが振り返ってみても彼らが真剣に語り合っている姿など見たことがない。それは、今やそんな時間すら必要ないほど理解し合っているということなのか。
だとしても近頃の彼は少々おかしくて、なぜ何も言わないのだろうとは思う。
きっかけはグランドラインに入ったことだったのか。
いつしか彼は一人で居ることが多くなり、気付けば少し離れて仲間の輪を見ていることが多い。
宴や食事、普段の会話にしても、いつの間にか距離が変わった気がする。
重要な会議でもなければ皆と肩を並べることがなくて、少し前から当然になりつつあった。
ルフィが一番に気付いていたはずだ。
それでも見逃していたというなら何を想うのだろう。
しばし口を閉ざしていたルフィは薄く笑みを浮かべて言った。
「キリはおれたちのこと考えてんだよ。心配する必要なんかねぇぞ」
「おれたちのこと、か……」
サンジがぽつりと呟く。
はっきりとした答えではないが、やはり彼は何かわかっているらしい。
「仲間が死ぬの嫌がってるみたいだからな。おれが全部守ればいいんだ。そしたらあいつも安心しておれたちと一緒に居られるだろ」
「あぁ……バロックワークスのことか」
「すぐに落ち着くさ。おれがクロコダイルをぶっ飛ばせば」
その言葉を聞くと複雑な想いだ。
彼は過去に囚われている。
良くも悪くも、心中穏やかではいられず、短くなった煙草にさえ気付けなかった。
過去を振り切ることは簡単ではない。いつしか自然とそう考えていた。
ルフィがあっと声を漏らした時、ようやく煙草が短いことに気付く。
携帯灰皿に押し込む頃には空から羽ばたきの音が聞こえてきた。
「おいサンジ、あれ見ろ! キリが言ってたやつだ!」
「本当に鷲なんだな。嘘じゃなかったのか」
バサバサと翼を動かし、降りてくる巨大な鷲は彼らの体長すら超えていて、ゆっくりと近くの民家の屋根に止まる。羽を畳んで、すぐに視線は二人へ向けられた。
特にサンジを確認していたようである。
彼が目的の人物だと理解した後、気軽な様子で声が発された。
「よう。あんたが、一流料理人のサンジ?」
「しゃべった!」
「おかしな奴だぜ……ああそうだ、おれがサンジだ。キリが言ってたのはお前だな?」
「その通り。彼がキリって名前なのは知らなかったが、あんたとの通信は傍で聞いてたよ。旅の途中ふらりとこの島に立ち寄っただけの大鷲さ。よろしく」
まるで人間のように流暢に言語を操る大鷲。
ルフィは目を輝かせているがサンジは信用できず、怪訝な表情になる。
こんな不思議な生物が居ていいものか。
疑問に思う一方でルフィが上機嫌に話しかけていた。
「お前変な奴だなぁ。なんで鳥なのにしゃべるんだ?」
「そりゃあしゃべるさ。どうして鳥がしゃべらないなんて思ってる」
「だって普通鳥はしゃべらねぇだろ」
「その常識が通用しないのがグランドラインなのさ」
「あ、そっか」
「納得するとこじゃねぇよ」
楽観的なルフィはすぐ納得するが、彼の答えは理由になっていない。
サンジがさらに警戒するのも無理はないとはいえ、鷲は気にせず話し出す。
「あんたら、あの山の上に行きたいんだろ? おれなら背中に乗っけて連れてってやれるぜ。二人くらいまでならな」
「二人だと? ちょっと待て、なんで二人なんだよ」
「耐えれる重さがそれくらいなんだよ。確かにおれはしゃべれるくらいすごい鳥だぜ? でもだからって何人乗っけても大丈夫ってほど頑丈じゃねぇし体力もねぇよ。運べるのは二人だ」
「二人ってことは、ナミさんともう一人ってとこか……」
苦々しい顔で考える。
サンジにとっての理想は、ルフィと自分とナミで移動すること。そうすれば片方がナミを守り、片方が危険に対処することができる。さらに欲を言うならばビビに一緒に来てもらい、看病だけでなく女性ならではの問題にも対処してもらって、この場に残った全員で移動できるのが一番だ。
しかし実際、運べるのは二人だけ。
最も時間をかけずに城へ辿り着ける方法だがサンジは思い悩んだ。
この鷲を信用することは難しい。
何を目的に現れたのかがわからず、仲間の命を預けるほどの信用などなかった。
いっそのこと断ろうかとすら考えていた。
こうなればナミの心配だけではない。ルフィやビビ、自身も含めて誰かが死んでは意味がなく、それなら頼むと気軽に言うのはあり得ないとすら思っていた。
断るためにサンジが口を開いた時、それより先にルフィが言う。
「それじゃおれが行くよ。おれとナミを乗っけてくれ」
「おいルフィ!?」
「ん? どうした?」
咄嗟に彼の肩を掴んで止める。
ルフィはその鷲の力を借りて山を目指すつもりのようだ。
それは危険だと伝えるべく、サンジは緊迫した表情で説明する。
「お前正気か? どこの誰ともわからねぇしゃべる鷲だぞ。信用できると思ってんのか」
「でもキリが止めなかったんだろ。なら大丈夫だ」
「あいつはこっちで判断しろっつったんだ。信用できるとは一言も言ってねぇ。むしろ、こいつは信用できねぇとはっきり言ってたんだ」
「そうなのか。なぁお前、おれたちのこと騙してるか?」
「いいや。そんな理由もねぇしな」
「おっ、騙してねぇらしいぞ」
「ルフィ! お前の頭はどんだけ幸せにできてんだっ!」
ぐいっと彼の肩を引いて正面から向き合い、顔を近付けて至近距離から睨みつける。
冗談を言っている場合ではない。今は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。
「面白そうだからで決めていい場面じゃねぇんだ。よく考えろ。ナミさんが死にかけてんだぞ」
「だからだよ。急いだ方がいいじゃねぇか」
「こいつがお前を殺そうとしてたらどうする。いいか、忘れんな。すでにお前は賞金首。どこの誰が狙ってるかもわからねぇんだ。ナミさんまで危険に晒すかもしれねぇ」
「でも急がなきゃナミが死ぬ。早く行けた方がいいに決まってるだろ」
「そんなことくらい百も承知だっ。だがそれとこれとは……」
「おいおい、喧嘩はやめろって、なぁ。仲間同士なんだから仲良く」
口を挟んできた鷲の声に、二人の視線がそちらを向く。
「おれは別にお前らのことを恨んでるわけでもねぇし、たまたま居合わせただけだ。殺したところで得もねぇ、そうだろ? そんなに言い合うことじゃねぇさ」
「嘘をついてるって可能性を無視してるだろ」
「嘘なんかついて何になるんだ。よく見ろ、ただの鳥だぜ?」
「ただの鳥はしゃべらねぇよ」
友好的に接しようとする鷲の言葉を払いのけ、サンジは警戒心を露わにする。
鷲はやれやれと首を振った。
ますます信用できなくなった気がする。
普通の鷲は人語を話したりしない。できるはずがない。こうして人間と話せるからにはそれなりの頭脳もあり、嘘をつくことだって簡単なはずだ。
話している内にどんどん信用を失ってきた気がする。
だがルフィはあくまでも先を急ぐ姿勢だった。
「なぁサンジ、ナミを助けてぇんだろ? だったら早い方がいいに決まってるじゃねぇか」
「そんなことはわかってる。そうじゃなくて、こいつのせいでナミさんが危険に晒されるかもしれねぇから、キリはおれに判断しろって言ったんじゃねぇか」
「でもここでずっとしゃべってたって誰も助けてくれねぇよ」
「じゃあどうすりゃいいんだ」
「こいつのことは信用しなくていいから、おれを信用しろ。何があっても絶対ナミを守る」
そう言ってルフィは真っ直ぐにサンジの目を見つめた。
「こいつが何かしてきたっておれが何とかしてやる。ナミは死なせねぇし、医者にも診せる。どっかで落とされたら自分の足で山登るさ」
「正気か? 垂直の壁だぞ。もはや山なんて呼べねぇ」
「やる。ナミを助けるためだ」
決意した顔で力強く言われた。
呆気に取られたサンジは数秒言葉を失ってしまい、呆然とする。
如何に彼でもそんなことができるのか。ナミを背負い、鳥と戦って、さらに勝った上で五体満足のまま険しい雪山を登り、もはや壁とも言えるドラムロックの頂上へ辿り着く。
無茶だ、と考える。
素直に考えれば人間にできることではなく、止めようと考えるのは至極自然だ。
だが彼の目を見つめれば、反対する意見を口にできなくなった。
ルフィは本気だ。本気でナミを助けようとしている。
女にばかり弱いと思われがちだが、情に脆いサンジは意外にも彼のその目が苦手だった。
荒々しく頭を掻き、心を落ち着ける。
確かに一刻を争う状況であって、すぐにも行動しなければならない。
出会ったばかりの鷲ではなく、ルフィを信じる。簡単だが力のある言葉だ。確かに、と思わざるを得ない。それならば少しは納得もできる。
大きく溜息をついたサンジは苦々しい顔で、一歩後ろへ下がった。
「仕方ねぇ……時間も限られてる。だがいいかルフィ、お前は何があってもナミさんを守れ。掠り傷一つでもつけやがったら三日間メシ抜きの上に蹴り飛ばすぞ」
「しっしっし、心配いらねぇよ。サンジのメシは毎日食いてぇし」
「当然だ。おい鷲、てめぇもてめぇだ。もしおれの目が届かねぇとこで二人に何かしてみろ、絶対に捕まえて丸焼きにしてやる。その覚悟でナミさんを乗せろ」
「おおっ、怖ぇなぁ。わかってるよ、信用してくれ」
なんとか納得したサンジはルフィを連れ、一度家の中へ入る。
外の声は聞こえていたのか、振り返ったビビはどこか心配そうにしていて、ルフィが笑いかけると不意に苦笑する。安心とはいかないまでも、文句はなさそうだ。
まだベッドで眠ったままのナミへルフィが近付き、軽く頬を叩き始める。
見ていた二人は慌て始めるものの、止める前にナミの意識が浮上していった。
「おいナミ、起きろ。お~い」
「ちょっとルフィさん、何をっ……!」
「バカ、そっとしとけ。ナミさんは寝ててもいいんだ」
「ん……」
ナミの目が開き、ルフィの顔を見つける。
ぼんやりした視界、危なげな目つき。
意識が混濁してはっきりしない中、穏やかな様子でルフィが告げる。
「あのな、医者探したんだけど山の上にしか居ねぇんだってよ。今から山登るぞ。おれが連れてってやるから、もうちょっとだけ我慢してくれ」
「うん……よろしく」
ナミは頬を緩めてわずかに笑った。
力の入らない右手を必死に動かして、ルフィの前に掲げる。軽くではあったが彼はすぐにその手にハイタッチをして彼女の意志を受け取った。
これで後戻りはできない。
今すぐにも山を登って彼女を救う。見ていた二人も覚悟が固まった。
それからナミはすぐに眠りに就いてしまう。起きているのも辛いらしい。
気を失うような姿を心配し、急ぐ気持ちも強まった。
今すぐ出発を。
そう考えてルフィが防寒着を着せたナミを背負い、ビビが紐を使って二人の体を縛り付ける。
万が一にも落とすことなどあってはならない。もしそうなれば一巻の終わりだ。
着々と準備が進む中、サンジはルフィの正面に回り込んで真剣に言い聞かせていた。
「いいかルフィ、今は他のことなんて全部どうでもいい。ナミさんのことだけを考えろ。1にナミさん、2にナミさん、3・4もナミさんで5にナミさんだ。わかったか?」
「うん、わかった」
「おれはあの鳥野郎を信用しちゃいねぇが、お前のことは信用してる。何があってもナミさんを医者に診せろ。そして助けてもらうんだ」
「任せとけ。ナミは絶対に死なさねぇ」
笑顔で頷いた彼を信じ、サンジは道を譲る。
慎重に歩く彼は扉をくぐって外へ出た。
その時には鷲が地面に降りていて、彼らに背を向け、いつでも乗れと言わんばかりの体勢。何も言わずに微笑みを浮かべたルフィは彼の背に飛び乗った。
「行くぞ鳥! ナミを助けに!」
「よぉし了解。しっかり掴まれ、振り落とされるなよ」
大きな翼をはためかせ、鷲が空へと飛び出った。
その大きさであれば迫力がある。二人の人間を乗せて少しも姿勢は崩れず、平気な顔をして徐々に高度を上げていく。もう一人くらい大丈夫ではないかと考えたが面積がないため厳しいだろう。
見守るしかない二人は心配そうに空を見上げ、姿が見えなくなるまで彼らを見送った。