ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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奔走

 昼を過ぎ、夕刻が近くなる頃になれば、いつの間にか気候が変わり始めていた。

 急激な気温の変化があったのである。

 辺りは防寒着を必要とするほど寒くなり、それでいて島の影はない。どうやら冬島の影響を受けるのとはまた別の要因で冷え込んできたらしかった。

 ドラム島に近付いた影響と考えられなくもないのだが、少なくとも到着はまだ先になる。

 

 日が傾くにつれ、クルーは頭を悩ませていた。

 夜の航海は危険だ。本来ならば避けるべきであり、強行すべきタイミングではない。しかしナミにどれほどの体力が残されているかも心配で、一刻も早く前に進みたかった。

 

 エターナルポースがあるとはいえ、具体的な距離はまだわからない。

 無理をしてでも先に進みたいが、全滅しては元も子もなく、判断に困る。

 

 島に近付いているのは確実だった。

 問題はあと何日で到着するか、それまでナミが耐えられるか。

 焦りが募る一方、冷静で居ようとする思考が確実な航海を求め、判断する必要がある。

 思い悩むキリは小さく溜息をついた。

 

 「流石に夜の航海はまずいか……仕方ない。日が落ちたらどこかに錨を下ろそう。無理な航海は逆効果だ。特に航海士が居ないときは慎重に動いた方が良い」

 「でもよ、イーストブルーに居たときは夜間の航海もあったろ? あれじゃだめなのか?」

 「グランドラインは向こうより危険だ。動ける人数にも限りがあるし、無理はできない」

 「それもそうか……くそぅ、できるだけ急ぎてぇのによ」

 

 キリの隣で話を聞いたウソップがううむと唸る。

 心配するからこそ先を急いでいた。だが冷静さを失えば全滅もあり得る。

 これがグランドラインの航海。

 その恐ろしさを今更知ったと言ってもよい状況で、彼女が倒れたことで学ぶこともあるが、それだけに先を急ぐという姿勢が変えられそうにないのも確かだ。

 

 もうしばらく我慢してもらうしかない。

 強く決断したキリは船長に意見を仰ぐため、船室へ向かおうと振り向いた。

 

 「ルフィの意見を聞いてくる。ここは任せた」

 「おう」

 

 ウソップに後を託し、キリが女子部屋へと足を運ぶ。

 現在も手厚い看病が続けられていた。

 室内にはビビとシルクが居て、ルフィとカルーもナミの顔を覗き込んでいる。というより話しかけてすらいるようだ。返答が返ってくるはずもないのだが陽気な声が聞こえている。

 

 「やっぱり腹空かしてんじゃねぇのかなぁ。だったら肉食ったらどうだ? 肉百人分食ったら病気なんかすぐよくなるぞ、ナミ」

 「病気になるとお肉を食べる力も無くなるんだよ。キリが言ってたでしょ?」

 「そうだったっ。う~ん、じゃあどうすりゃいいんだろうなぁ……水とかぶっかけてみたら治んねぇかな?」

 「だめよルフィさん、それは絶対にだめっ。むしろ悪化するだけよ」

 「そうか? 熱そうなのに」

 

 自身が病気になったことがないルフィは能天気な意見を口にしている。

 きっと本人はナミが心配で言っているだけなのだろう。心からの善意しかないはずだった。

 しかしそれにしてもひどい意見である。

 苦笑するキリは彼らの下へ足を運び、振り向く視線を受け止めた。

 

 「あ、キリ」

 「もう夜も近い。日が落ちたら錨を下ろそうと思うんだけど、どうかな?」

 「急いでるんじゃねぇのか?」

 「もちろん急いでるよ。でも夜の航海は危険だ。特にナミの意見がない状態なら余計に危ない。ここは無理をしないのが、ナミのためだけじゃなくて一味のためだよ」

 「そうなのか。じゃあそうしよう」

 

 あっけらかんと答えるルフィはナミの方へ振り返った。

 

 「あのなナミ、夜は危険だから一旦止まるんだ。医者はもうちょっと我慢してくれよ」

 

 さっきよりも少しやさしい声色だった。

 聞いていた三人は微笑ましそうに、その一方で痛ましそうに眺める。

 ルフィの隣ではカルーが小さく鳴き声を発し、まるで彼女を元気付けるようだ。

 

 やはり彼女が倒れたことで船上の雰囲気は変化している。

 決して少なくはない影響を感じ取ってから、ビビがキリへ声をかけた。

 

 「ドラム王国に着くのはいつ頃かしら? できるだけ早い方がいいけれど、無理もできないし」

 「明日の日の出には船を出す。できる限り急ごう。ドラムは冬島だったはずだから、この気候だともう多少は影響が出てるはずだと思うけどね」

 「明日には着けるかな」

 「わからない。正確な距離まではなんとも」

 

 質問するシルクに明確な答えを返せない。

 気候の変化は感じ取れるがこれが確信を得られる情報ではないように思うのだ。

 あとどれくらいの距離が残っているかは行ってみなければわからず、とにかく進む必要がある。

 

 「ナミは、あれから一度でも目を覚ました?」

 「いいえ、まだ……」

 「眠ってるだけで辛そうなんだ。熱も下がらないし、すごく体力を使ってるんだと思う」

 「寝てるだけなのにか? 病気ってそういうもんなんだな」

 「病気はそれくらい辛いものなんだよ」

 「ルフィには関係ない世界だろうけどね」

 

 シルクとキリが苦笑する。全く未知の世界であってルフィは感心する様子がある。見ていると本当に子供のようで緊張感が和らいだ。

 彼の存在は救いだろう。

 重苦しい空気も少し柔らかくなり、物事を冷静に捉えられそうだった。

 

 無暗に焦っても仕方ない。

 冷静さを取り戻せた彼らは大きく息を吐き出すと心を落ち着ける。

 

 大丈夫、前には進んでいる。

 そう言い聞かせて今は時間を使うしかない。

 踵を返すキリは部屋を出ようとした。

 

 「二人も無理しないようにね。疲れたら誰かと代わって休んでよ」

 「ええ。そうします」

 「キリも気をつけてよ」

 「わかってる。それとルフィは騒がしくしないように」

 「当たり前だ!」

 「その声が大きいんだって」

 

 キリが部屋を後にし、甲板へ戻っていく。

 夜は近い。

 一日の終わりは不安に包まれ、仲間を心配するが故に普段とは違った疲労感も感じられた。

 

 

 *

 

 

 不意に目を覚ました時、ナミは室内が暗くなっていることに気付く。

 どうやらすでに夜。

 すぐには理解できずに混乱したが、自分が倒れたことを思い出して納得した。

 

 頭が重い。まるで鉛を入れられたようで、考えるのが億劫だった。

 体を起こそうとするのだが力が入らず、上体を起こすだけで一苦労。

 

 ベッドに座って、ふと重い頭を抱えたナミは、室内にある寝息に気付いた。自身が起きたのに誰かが寝ている息遣いを感じる。しかも一つではない。

 ゆっくりした動きで部屋を見渡す。

 女子部屋には多数の影がある。

 どうやら心配したせいで男たちまで雑魚寝しているようだ。

 

 地べたに座り、ベッドに突っ伏すようにしてビビが眠っていた。

 近くには毛布に包まったシルクが壁に寄りかかって小さな寝息を立てている。 

 部屋の中央で大の字になって眠るカルーが居て、彼にのしかかるようにしたルフィが大きないびきを掻き、最も扉に近い位置には壁にもたれて座るゾロが腕組みして目を閉じていた。反対側にはサンジが丸くなって毛布に包まり、こちらは静かに眠りに就いている。

 クルーの多くがそこに居て、少しの驚きと感謝と、思わずナミは苦笑してしまった。

 

 よほど心配させてしまったのだろう。

 彼らの温かみを感じた気がして、少なくとも悪い気分ではない。

 こうしてみんなで雑魚寝するという機会も少なく、盛大な宴の後なら経験もあり、状況も理解できるとはいえ、女子部屋に平然と集まっている様が少し不思議でもあった。

 

 まだ体調は悪いまま。もう少し眠らなければならないはず。

 そう理解していながら、ナミは甲板に出たいと思った。

 夜風に当たりたい。そう思って、彼女はふらつく体を必死に動かしてベッドから降りる。

 

 みんなを起こさないようにゆっくり歩いて、開けた扉もきちんと閉め、甲板へ向かう。

 なんとなく悪いことをしている気分で少し気分も良かった。

 

 甲板に続く扉を少しだけ開いた時、誰かの話し声が聞こえた。

 女子部屋にはウソップとキリ、それにイガラムが居ないことはわかっていた。年上のイガラムは気を使って男子部屋に居たと考えられ、甲板にある声は他の二人のもの。

 ウソップとキリが話しているらしく、特にウソップが近く聞こえる。

 

 「お~いキリ、夜食どうだ? 一緒に食わねぇか?」

 「夜食? なんでウソップが」

 「へへっ、サンジが寝てるんでちょっとだけ拝借してきたんだ。バレなきゃ問題ねぇよ」

 「でもサンジは残りの食材全部記憶してるよ。ちゃんと計算してるからね」

 「げっ、マジ?」

 「バレるのは時間の問題じゃない?」

 「その時はお前も共犯だろ? な、一緒に食おう」

 「しょうがないなぁ」

 

 甲板に居るウソップの姿が見えた。

 上を向いているということはキリはマストの上に居るのだろう。確かに上から声が聞こえる。

 いよいよ扉を開けて、ナミが甲板へ出た。すると即座にウソップが気付いて、あるはずがないと思っていたせいか驚愕し、妙な声が出た。

 反応してキリもメインマストの展望台から下を覗き込むのである。

 

 「ナ、ナミっ!? お前起きて大丈夫なのかよ!」

 「ナミ?」

 「おはよう。ちょっと風に当たりたくて」

 

 紅潮した頬を隠しもせず彼女が笑う。

 明らかに体調が良くなった顔ではない。彼女自身は気丈だが普段との違いは明白だった。

 呼吸も荒く、気温は下がって寒いというのに汗が止まっていない。

 まだ熱が高いと見抜くのに一秒もかからなかった。

 

 狼狽するウソップの一方、展望台から跳んだキリが落下してきて甲板に着地する。

 彼は体重が軽い。それこそ女性であるナミよりも軽いだろう。ふわりと紙のように舞い降りて重力を感じさせず、自身の行動を気にすることもなく心配そうにナミを見つめた。

 

 「まだ起きない方がいい。今無理すると余計に悪くなるよ」

 「そ、そうだぜ。これ以上は危ねぇんだから完璧に治るまで大人しくしとけって」

 「大丈夫、すぐに戻るから。だけどちょっとだけ。寝てるだけなのも案外辛いのよ?」

 「いやでも……」

 

 ウソップは反対という顔をしていたが、頭を振ったキリが嘆息する。

 ナミは手すりに手を置いて海を眺め始めた。

 少なくとも今すぐには戻る気がない。

 

 「しょうがない。ほんとにちょっとだけだよ」

 「おいキリ」

 「言っても聞かないさ。それに気分転換は良い方向に働くかもしれない」

 「ほんとかよ……」

 「ありがと。それと、心配かけてごめんね」

 

 ナミはにっこり笑っている。海に目を向け、なぜか楽しそうな表情であった。

 その顔が不思議と印象に残る。

 印象によっては、いつもより楽しそうな。

 高熱で苦しんでいる最中だろうに、なぜそれほど楽しそうなのかが理解し辛いものがあり、二人は首をかしげるとまではいかずとも疑問を持ち、彼女の隣に立った。

 

 少し気分転換すれば戻ってくれるだろう。

 そう考えながら彼女の話に付き合うことにする。

 

 「んなこと気にすんなよ。こればっかりはしょうがねぇだろ?」

 「それに船医を用意してなかったこっちの落ち度もあるしね。こういう言い方するとナミに失礼だけど、これを機にボクらの船医を探すことにしたんだ。次の島で」

 「そう。ならよかった。いいきっかけにはなったわね」

 

 くすくす笑うナミの両隣に二人が並び、何気なく同じ方角を眺める。

 夜の海は穏やかだった。

 空には厚い雲。月を隠して光を遮り、真っ暗な海はどことなく恐怖心を掻き立てる姿に見え、とても大きく、だからこそ今は恐ろしく見える。

 

 ナミが小さく息を吐き出した。

 気温の低さから白い息となって宙へ消えていく。

 

 パジャマだけでやってきた彼女を気遣い、キリが持っていた毛布を彼女の肩に掛けてやり、振り返る彼女はくすぐったそうに笑う。

 本来、見張りはキリだけだったのだろうか。

 展望台に居て毛布を持っているならそう考えられる。

 ウソップは彼を気遣っていたらしくて、一人で無理をしないようにと来たのかもしれない。

 

 女子部屋に集まった面々といい、あちらもこちらも仲間を気にするやさしい人々だ。

 素直にキリへ礼を言ってほんのわずかな沈黙。

 寒いということに気付いたのはどうやらそれからだった。

 

 「病気で寝込むなんていつ振りかしら……子供の頃はあったの。必ずベルメールさんが看病してくれて、みかんを剥いてもらったり、眠るまで手を握ってもらったりした」

 「へぇ。おれはそういう経験ねぇなぁ。そもそも病気にかかったことねぇよ」

 「普通そっちの方が珍しいけどね」

 「キリはあんのか? 病気とか、看病してもらったこととか」

 「そりゃもちろん。船に乗り込んだ当初は船酔いもひどかったし、グランドラインに来てからは気候の変化についていけなくて、風邪もひいた。普通の子供だったんだよ」

 「今とは大違いだな」

 「そう? そんなことないと思うけどなぁ」

 

 肩肘を張らず、素直に話せるこの関係。有難いと思った。

 妙に楽しそうにするナミは幸せそうに頬を緩める。

 

 「看病かぁ。ちょっと憧れあるよな。みんなに心配してもらえるんだろうし、わがまま言っても聞いてくれるんだろ? おれも一回してもらいてぇなぁ」

 「でも病気は辛いよ。だから甘えさせてくれるんだし」

 「そこが問題だ」

 「やっぱり健康が一番じゃないかな。医者が必要ないならそれが一番良いんだよ」

 

 彼らの会話が一段落した後、キリがすぐ近くの水面を見ながらナミへ言う。

 

 「ベルメールさん、いいお母さんだったんだね」

 「まぁね。いっぱい喧嘩もしたけど、自慢のお母さん」

 「お母さん、かぁ……」

 

 ウソップがぼんやり呟いて頭上を見上げる。

 彼は幼い頃に母親を失くしている。それ以来、村から少しだけ離れた一軒家に一人で暮らしていたらしく、周囲の助けはあっただろうが、家族と過ごした期間は短かった。

 看病に憧れるのもそういった経験があっての感情だろう。

 体験のない話を聞く姿勢は興味津々でもあり、純粋な好奇心が窺えた。

 

 「母親は強いって言うもんな。そりゃ我が娘が熱出してたら必死に看病もするか」

 「経験ないんでしょ?」

 「でも想像くらいできるさ」

 

 明るく言うキリもからりと笑うウソップも、別段気まずくなる様子はない。

 至って平然と話して、それが妙に心地よかった。

 ナミは、自分でも気付かぬ内に自然と言葉を発する。

 

 「さっきね、夢を見たの。ベルメールさんとノジコと暮らしてた頃の夢。辛くて、すごくしんどいのにさ、あの二人ってばすっごい笑ってるの」

 

 懐かしそうに言うナミの話を、二人は静かに聞く。

 

 「はっきりそう言われたわけじゃないけど、“生きろ”って言われた気がしてね。それで起きたら部屋にみんなが居るでしょ? なんか笑っちゃった。あぁ、みんなこんなに心配してくれてるんだなぁって、変に嬉しかったし」

 「当ったり前だろ。おれたち仲間なんだから」

 「大丈夫。きっと治せるからもう少しの辛抱だ」

 「うん……疑ってなんかないわよ」

 

 すーっと大きく息を吸い、ナミは快活に笑う。

 急に体調が良くなるはずも無し。辛い状態なのはさっきと同じだろう。

 それでも、彼女はいつもと変わらぬ明るさで二人に目をやった。

 

 「いいわねあんたたち、絶対に私を死なせないでよ。もっともっとお宝を手に入れたいし、まだ世界地図だって描けてない。これで死んだら化けて出てやるから」

 「おいおい、縁起でもねぇこと言うなよ」

 「その時はこの船に憑りついたら一緒に航海できるね」

 「お前はもっと不謹慎だ!」

 

 いつも通りの雰囲気で無邪気に笑う。

 体は熱く、ともすれば呼吸も乱れそうだが、不思議と胸につかえていた何かが取れるようだ。肉体的な意味ではなく、息苦しさが無くなった気がする。

 無理して出てきた甲斐があったと、ナミは上機嫌に肩を揺らした。

 

 そうして話していて、会話が一段落した瞬間。

 静かに近付いたイガラムが穏やかな顔で三人に声をかける。

 

 「みなさん、そろそろ休みませんか。明日の朝は早いんでしょう?」

 「あ、おっさん」

 「イガラムさん、まだ起きてたんだ」

 「ええ。さあ、もう夜も遅いですから、体が冷えない内に部屋の中へ――」

 

 やさしく笑うイガラムがそう言った時だった。

 何かに気付いた様子でナミが海を見る。

 

 「ん? どうしたナミ?」

 「風が変わった……」

 「そうか? おれは別に何も感じねぇけど」

 「これは――」

 

 ナミの顔が真剣みを帯びたものに変わっていく。

 明らかに様子が違っていた。

 何かまずいものを感じたのだと気付くキリが即座に表情を引き締め、動き出そうとする。

 

 「ナミ、どうすればいい? 船を動かそうか」

 「ここに居ちゃまずいわ……今すぐ船を動かして。舵を切って大回りで島に向かうの。できるだけ大きく膨らんで、直線状に進まないように」

 「わかった」

 「それから、帆は張っちゃだめ。多分風で引き裂かれる――」

 

 言い終わらぬ内にがくりと膝が折れた。

 突如としてナミがその場に座り込み、体力の限界か、一歩も動けそうにない状態となった。

 ウソップが慌てて肩を押さえるも、瞬時に決断し、そちらは彼に任せたキリが駆け出す。蹴り破るような勢いで扉を開き、壁を叩いて大きな物音を発しながら叫ぶのである。

 

 「全員起きろォ! 船を動かす! 全員甲板へ!」

 

 バンバンと壁を叩いて音を出しながら、キリの叫びは女子部屋まで届いたはずだ。

 勢いよく扉が開いて慌ただしい足音が近付いてくる。

 その時にはキリが一足早く動き出し、錨を上げようと船の前部に走っていた。

 

 真っ先に到着したのはゾロとサンジだった。

 寝ぼける様子もなく緊迫した顔を見せ、素早く状況を理解しようと甲板に船を走らせる。

 

 あらゆるものがあって一度に理解するのは難しい。

 キリは錨を上げようとしていて、イガラムとウソップが心配するのはベッドに居たはずのナミ。明らかにぐったりした様子で脱力しているのだ。

 冷静さを失っていないはずの彼らでさえ戸惑い、問いかけずにはいられなかった。

 

 「おい何があった!」

 「ハッ、ナミさん!? どうしてこんな場所に!」

 「二人とも船を動かすよ! サンジ、今すぐナミを部屋へ!」

 「お、おう……しかし何の騒ぎだ、こりゃ」

 

 指示を受けたサンジが急いでナミの下へ駆け寄る。

 ウソップから受け取る形で彼女を抱き上げ、横抱きにして運ぼうとする。

 その刹那にもウソップに尋ねた。

 

 「なんでナミさんが甲板に居るんだ?」

 「風に当たりたいって出てきたんだよ。それよりナミがなんか気付いたみたいなんだ」

 「気付いた?」

 「多分、嵐かなんか近付いてるってことだろ。今すぐメリーを動かさなきゃやべぇんだ」

 

 ウソップがサンジの問いに答えている間に、シルクとビビ、ルフィが甲板へ駆けつけた。

 先頭の二人は明らかに狼狽しており、目を白黒とさせている。

 一方でルフィは寝ぼけ眼で、少し遅れてやってきたカルーが後ろから体当たりしてしまっても、避けるどころか気付くことすらできずに吹き飛ばされ、甲板を転がった。

 

 「なんだ? 何が起こってんだ?」

 「みんな大変なの! ナミさんが居なくなってる!」

 「一体どこに……!」

 「あぁいや、大丈夫だビビちゃん。ナミさんならここに居る。どうやら風に当たるために自分から出てきたらしい。まったく、なんでそんな無茶を――」

 「サンジとビビでナミを頼んだ! シルク、ルフィ、船を出すよ! 今すぐに!」

 「え? わ、わかった」

 

 キリの鋭い声に驚きつつ、シルクが転んだルフィに手を貸して引き起こす。

 その間にサンジがナミを運び、ビビも状態を確認するため共に船内へ入っていった。

 

 船上は一気に騒がしくなる。

 まるで戦闘時のような慌ただしさで指示が飛び、全員が急かされていた。

 それだけ大きな危険が迫っているのだろう。

 

 「シルク、面舵いっぱい。限界まで倒して」

 「わかった」

 「帆は張れないらしいからオールを出そう。全員で漕ぐよ。今すぐここから離れないと」

 「なぁキリ、何があったんだ? なんか来んのか?」

 「ナミが何かを感じ取った。今すぐ離れないとメリーが危ない」

 「その何かはわからねぇが危ねぇって言うんだな? だったら急ぐぞお前ら」

 

 それぞれが互いに確認し合い、急ぎ操船の作業を始める。

 シルクが舵を取って他の全員でオールを握る。

 帆を張ることなく船を進め、急いだ甲斐や海流の動きもあってか、メリー号は素早く移動し、進む方向を変えて先程居た場所から離れた。

 そのまま大きく迂回する形で再びエターナルポースの指針を見るのである。

 

 夜中に叩き起こされてオールを漕ぐというのも奇妙な体験だ。今まで一度も経験がない。しかしナミやキリが意味もなくそうさせるとは思えず、休む暇もなく必死に動いた。

 その甲斐はきっとあったのだろう。

 

 何が何やら、訳が分からない。

 そんな空気が流れる中、ある時ウソップが大声を出した。

 

 「お、おいっ、あれ見てみろ!」

 

 彼が指差していたのはさっきまで自分たちが進もうとしていたルート。

 静寂に包まれていたはずの大海原に、巨大な竜巻が生まれている。

 

 前兆なく現れるサイクロンだ。

 腕利きの航海士でさえ事前に気付くことは難しい事象が猛威を振るって海原を進んでいる。進行方向にはさっきまでメリー号が居た場所も含まれていた。

 あのまま停泊していれば海の藻屑となっていたに違いない。

 理解した瞬間、背筋に悪寒が走った。

 

 「ナミが来なかったら回避する暇もなかった。またナミに救われたな……」

 

 キリがぽつりと呟いている。

 その小さな声は不思議と、甲板に居る全員が耳にしていた。

 

 才能や技術とは違う、天性とも経験とも言える感覚。彼女のそれは奇跡に等しい。

 突然現れて突然消える。グランドライン最大の敵、サイクロン。事前に起こることを誰も認識できないはずのそれに気付き、彼女は仲間たちを守った。

 彼女が如何に優れた航海士かを強烈に理解した瞬間である。

 

 絶対に死なせる訳にはいかない。

 ナミはこの一味に必要不可欠な存在だ。

 しばし言葉を失ったままだが想いは一つになり、メリー号は静かに海を進む。

 


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