ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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ハリネズミの日々(3)

 地響きのような怒号がどこからともなく伝わってきた。

 それは大地を揺るがし、大気を震わせ、耳だけでなく肌で感じる迫力がある。

 地上、武装した状態で基地の外に出ていた海兵たちが驚きを露わにし、視線をあちこちへ飛ばして挙動不審になる。彼らは何か恐ろしい物を感じ取ったのだ。

 

 部下を率いて地下へ向かおうとしていたシェパードは、その怒号に眉間の皺を寄せる。

 その声は自身が向かうべき場所から聞こえているのではないか。

 思わず足を止めてしまい、背後に並び立つ部下たちも不安そうな顔に変わっていた。

 

 「シェパード中佐……これは、一体」

 「地下には見張りが居たはずだな」

 「は、はい。報告用の電伝虫もあります」

 「ではなぜこんな声が聞こえるっ。なぜこうなる前に報告できなかった!」

 

 激昂した様子のシェパードが叫んだ直後、基地内から再び爆発音が聞こえる。

 もう何度目かわからぬ轟音だ。基地を見上げた海兵が恐る恐る呟いた。

 

 「ちゅ、中佐、またしても爆発が……」

 「ええい、どうなっている! 現状を確認し、的確に報告しろ! 脱獄した海賊は一階から外に逃げて行ったのではなかったのか!」

 「そのはずなのですが、我々にも詳細は――」

 「報告したのは誰だ! まさか海賊は基地内に潜伏していたのでは。いやそれよりも、報告した男が海賊に手を貸していたのか。この基地の誰かが脱獄させたというのなら理解もできる」

 

 憎らしげに歯を擦り合わせ、厳めしい顔で呟く間も爆音と怒号が続く。

 冷静に考える時間すら邪魔をする騒々しい音。どちらも無視できるはずがなく、おそらくは基地を破壊してさえいて、一刻も早く動かなければならなかった。だが現状の正しい情報が集まっていないため、不用意に動き出しては更なる窮地に立たされる可能性もある。

 その逡巡がシェパードの決断を遅らせ、足を止めさせた。

 状況が変わったのはそれからすぐのことである。

 

 地響きのような怒号が空気を伝わって間近に聞こえてきた。

 シェパードだけでなく海兵たちもそちらを見、予想以上に早い動きに驚愕する。

 

 やはり想像通りだった。デッドエンドで捕らえた海賊たちが脱獄したのだ。

 今度は一人ではない。重なる声からその人数の多さがわかる。

 おそらく全員が解放されたのだろう。表情を歪めたシェパードは拳を握りしめ、ジョナサンはこれを予見していたのだと理解し、今度は即座に指示を出した。

 

 「全部隊、あの声を止めさせろ! 海賊が逃げ出した! 全員逃がさず捕らえるんだ!」

 「はっ! 了解しました!」

 「武器の使用は私が許可する! 抵抗するようなら殺してしまえ!」

 

 兵が集まっていたことは不幸中の幸いだった。

 シェパードの指示を受けた海兵は誰一人残さず駆け出し、声が聞こえた方向へ走る。

 

 海賊たちが何を目指すか、想像するのは難しくない。島の外へ出るため船を探すだろう。ならば岸壁に挟まれた港を目指す。或いは、何を考えるでもなく海軍に喧嘩を売るかもしれない。

 どちらにしても今すぐ止めなければならなかった。

 ベテラン、新兵に関係なく、彼らはどんな結果であれ覚悟を決めていた。

 

 しかし敵の姿を認識した瞬間、思わず怯んでしまう。

 外気に触れて喜びの雄たけびを上げ、上機嫌な様子の彼ら。

 振り返る目は血走っていて、海兵を見つけると同時にひどく嬉しそうに歪んだ。

 

 背筋に悪寒が走る。

 彼らの決意など甘い物でしかない。にたりと笑みを浮かべる海賊を前に、足が震え出した。

 

 「キャプテン・バギーに感謝を」

 「これでおれたちゃ、また暴れられるってわけだ」

 

 妙にゆったり歩いて来るのがより恐ろしい。

 怯む様子の海兵たちは意識せず、少しずつ後ずさりし始めてすらいた。

 追いついてきたシェパードがそんな彼らを叱責して、ようやく向き合う表情に変わる。

 

 「何をしている、さっさと捕らえろ! 一人も逃がすんじゃないぞ!」

 「は、はっ! 全隊、攻撃開始!」

 

 焦った顔で隊長らしき海兵が声を発し、彼の号令に従って多数の銃が構えられた。普段から訓練しているだけあってその動きは素早く、戸惑いがあろうと構える動きに躊躇いはない。

 それを見て海賊たちが黙っているはずもなく。

 雄たけびを上げる彼らは無手ながら前へ駆け出し、海兵より先に攻撃を始めた。その威容は凄まじい迫力。ただ走り出すだけが驚くほど恐ろしい。

 

 中でも真っ先に目に付いたのは素早く攻撃を繰り出した男だ。

 どこぞで見つけたのか、手にしたロープを投げつけるように海兵の首にかけ、全力で引っ張る。

 捕まったのは一人や二人ではない。投げ縄の要領で数名の海兵が首を絞められて、苦しげな悲鳴を発するが発声器官を押さえられて声も出せず、為す術なく膝から崩れ落ちる。

 

 そうする男には見覚えがあった。

 海兵の一人が大声を出し、恐怖心に支配されて武器を取り落としてしまう。

 

 「し、縛り首のビガロだ!? 捕らえた人間を港に並べて縛り首にするっていう、あの……!」

 「首に気をつけろ! 奴の手にかかればただのロープが凶器になる!」

 

 海兵たちの動揺が増していた。特に新兵は呆気なく気絶してしまった先輩を眺めて、顔面からは血の気が引いており、言葉さえ出ない様子。

 再びロープを投げようとする長身の男を見て震えが止まらない。

 

 辮髪で筋肉質な肉体、上背の高い男。“縛り首”のビガロだ。

 彼が武器とするのは何の変哲もないロープや鎖、人間の首に巻き付けて絞殺できる物ならばなんでも得意としており、呼吸ができずに苦しむ顔を見るのが好きな、悪趣味な人間である。

 懸賞金こそ高くないが市民への攻撃を辞さない海賊として名は売れている。

 気に入らない奴は全員縛り首。その特徴から彼の名を知る者は多かった。

 

 彼が操るロープは生き物のように人間の首に巻き付き、瞬時にきつく締め始める。

 一度捕まれば逃げることはできない。

 悪魔の実の能力ではなく己の経験から培われた技だ。

 捕まった海兵が次々意識を失ってしまい、彼が進む道には気絶した人間が後を絶たなかった。

 

 ビガロが先陣を切ったことで他の海賊たちも我先にと敵へ襲い掛かった。

 勢いは増す一方で怯む様子は皆無。海兵とは対照的な姿だ。

 

 大きな体で突進していくのはシャチの魚人、ウィリーであった。

 並び立つ海兵が銃を構えたまま動けないのを良い事に、発砲の前に肩口から体当たりする。体の大きさが違っていた。当たった海兵は紙のように宙を舞って落ちてきた。

 

 人間と魚人では身体能力に差がある。

 地上では十全の力が出せない種族であるとはいえ、その腕力は常人の十倍。

 体当たりですら数メートル弾き飛ばすのに、彼が人間を掴み、投げつければ、それだけで立派な武器にもなる。一度に倒せる数は二倍になって、味方同士であれば撃ち落とすこともできない。笑みを浮かべるウィリーはそんな考えで海兵を掴んでは別の海兵目掛けて投げつけた。

 

 軽々と人間が宙を舞う光景に開いた口が塞がらない。

 先頭集団は完全に怯え切って逃げ出そうとし、後ろに居た者たちは呆然と立ち尽くした。

 

 「うわぁああっ!? ウィリーだ! 突進してくるぞ!」

 「奴には近付くなァ!」

 「銃を使え! 先に奴を倒すんだ!」

 

 戦場はすでに混乱していた。

 別の海賊団の船長が二人、自ら先陣を切って海兵を蹴散らし、己の強さを見せつける。それだけで演習しか知らない新兵を、長らく現場を忘れていたベテランを、平和ボケしていたナバロンを怯えさせるには十分だった。

 

 後方で見ていたシェパード中佐は強く歯噛みする。

 これほど一方的になるとは予想していなかった。このままでは逃がしてしまう。

 そんなことは許されないと、右腕を振って敵を指差し、苛立った声で叫んだ。

 

 「おまえたち何をしている! 逃げてどうするんだ! 敵は目の前に居るんだぞ、戦え! ここで海賊を逃がすようなことになれば、ひいては市民の身の危険に――」

 「ちゅ、中佐……あれは……」

 

 近くに居た海兵が呆然と呟いた。

 その声に気付いて視線を向ける先を変えれば、確かに異様な物が見えた。

 

 崖下からのそりと姿を現す巨大な人影。それは、十メートルを超える背丈の人間、巨人族だ。

 二人組の海賊、ボビーとポーゴ。

 牢屋を抜け出したばかりで武器を持たない彼らだが、その巨体こそが最大の武器。他の海賊や海兵と同じ土壌に立てばさらに全身から発する威圧感が増して、本人たちは涼しい表情でも、ただそこに立っているだけで震え上がるほど恐ろしい存在だった。

 

 二人は矮小な人間を見下ろし、笑みを浮かべて自身の頭を掻く。

 辺りを見回して景色を見た。

 何やら機嫌が良さそうな表情で、緊張感もなく二人で話し始める。

 

 「あぁ~やっぱり空があるってのはいいなぁ」

 「キャプテン・バギーに感謝しねぇと。あのまま牢屋に居たんじゃ気が狂うところだ」

 「もっともだ。おれはあの男についていくぞ、ポーゴ」

 「了解だボビー。あの男には未来がある。ここを出た後は一気に名が売れるぞ」

 

 一歩を踏み出しただけで地面が大きく揺れる。

 見上げる海兵たちは、もはや他の海賊たちにさえ気をやる余裕はなさそうだった。

 

 「さぁて、まずは敵を一掃しようか」

 「おれたちの力を見せつけてやるとしよう」

 

 そう言って気のない様子で拳を持ち上げ、思い切り振り下ろした。

 両者の拳が大地を叩き、どうやら海兵を叩き潰すことはなかったようだが、衝突の瞬間に生じた余波で人々が吹き飛ばされていく。まるで木の葉のようで信じられない光景だった。

 ほんの一瞬で隊列が崩れ、海賊たちが進むべき道が作られたのである。

 

 勢いを増すのは当然だった。

 海兵たちが怯えて逃げ出す頃、脱獄者たちの勢いは最高潮に達する。

 

 すぐ傍を海兵が通り過ぎて逃げていく中、立ち尽くすシェパードは顔面蒼白の状態だった。

 

 どこで歯車が狂ったのだろうか。つい昨日まで最強の名を欲しいままにしていた砦が、ひょんなことがきっかけでかつてないほど混乱して、逃げ惑ってすらいる始末。このままではナバロンはどうなる。全身を包む絶望感で前が見えなくなりそうだ。

 それでもシェパードは頭上を、前を見ていて、無数に居る海賊の姿を捉えている。

 正面から見つめた結果、もう止められないと自然に思った。

 

 並み居る海兵たちが逃げた一方、彼だけは逃げ出さずその場に立ち尽くしたまま。

 しかしそんな彼を、解放された喜びに酔いしれる海賊たちが見逃すはずもなく。

 猛烈な勢いで駆け寄ったウィリーの拳が彼の頬を打ち抜いた。

 

 

 *

 

 

 度重なる爆音で多少耳を傷めつつ、それでもダイナマイトに火を点けるのをやめないキリは、また新たな一本に火を点け、扉を開けたままだった室内に放り込んだ。

 何の部屋かもわかっていない。ただ扉を開け、中に人が居ないことだけ確認した。

 そのためキリは快く見知らぬ一室を爆破し、轟音の直後に壁が吹き飛び、爆炎が室内の物を吹き飛ばして燃やし、黒煙が基地内へ広がる。

 

 四階から三階、そして二階へ移動し、現在は無人の廊下を歩いていた。

 相変わらずカートに乗ったまま、武器庫から奪ってきたダイナマイトを次々使用している。至る所で爆破させたため黒煙が漂って視界が悪い。海賊を倒すため複雑な構造だったはずの基地内は、今となってはただただ無残な光景だった。

 

 紙の狼を操ってカートを押させて悠々と進みながら、無人の廊下を眺める。

 混乱の原因はここだけではない。そのせいで敵の姿さえなかった。

 

 敵も居ない廊下を進んでどこへ行くのか。それは彼自身さえいまいちわかっていなかった。

 探している物は隠し金庫である。

 実在するのかどうかさえわからない、噂されているだけの物を探すのは簡単ではないらしい。

 

 基地を破壊しながら目に付く部屋を回って、情報を探っているのだが、役に立ちそうな物はまだ見つかっていない。床を壊し、徐々に下へ向かっているのもそのせいだ。隠し金庫その物を掘り当てるのは難しいにしても、情報を納める資料くらいはあるだろうと思っての行動だった。

 現在、収穫は何もないが諦めてはいない。

 二階と一階が残っている。そのどちらかにはあるはず。確信に似た想いがあった。

 キリはいまだ基地を離れる気がなくて、こうなれば絶対見つけてやろうと考えていたようだ。

 

 とはいえ、手掛かりが何もない状態では探りようもない。

 次の一室を爆破しつつ、困った顔で肩を落としたキリは小さく呟いた。

 

 「資料室とかないのかなぁ。どうも隠し扉っぽいのはなさそうだし、正直更地にしても何もなさそうかな。と言っても資料も残してなさそうだけど」

 

 そろそろ退屈を感じている。手掛かりだけでも欲しい頃だ。

 まだ基地の爆破を止めないあたり、もはや陽動なのか気晴らしなのかわかったものではない。

 爆風で髪を揺らしながら、キリは突き当りに気になる部屋を見つけた。

 

 「一応調べてみるか。こうなったら破れかぶれだ」

 

 さほど急ぐ様子もなくゆっくり進んで到達する。

 扉を開き、カートごと室内へ入った。

 散々暴れた後で隠れるつもりのようで、カートを止めると自らの足で部屋に立ち、扉を閉める。

 一度能力の使用をやめ、紙の狼もただの紙に戻って地面へ散らばった。

 

 どうやらそこが探していた資料室らしい。

 複数の棚と無数のファイルがあり、やっと手掛かりを探せる場所を見つけた。気を良くしたキリはいつも通りの笑顔になって辺りを見回す。

 何から手をつけるか。

 考えながらも適当なファイルを手に取り、中身を調べ始めた。

 

 「さて、どこにあるのかな……直接的な物はないだろうけど」

 

 半信半疑な状態で資料に目を通していく。

 やはりそう簡単には見つからず、興味のない記述を見てはファイルを床に捨て、或いは能力で紙だけを取り出してカートへ入れ、武器を手に入れながら情報を探す。

 しばらくは無言で手と足だけを動かし、基地内も比例して静かになった。

 

 隠し金庫はここにある、などという資料があるはずもなく、徒に時間が経っていった。

 しかし根気強く続けること数十分。

 体感としてそれほど時間が経ったつもりもなかったが、ある時ふと手を止めた。

 

 外から聞こえる怒号や轟音も気にならずに、視線はある資料を読み進める。

 今だけは警戒心も薄れていた。

 

 読んでいたのは島の地形に関する文章だった。

 ナバロンは一つの島を丸ごと使い、要塞としている。その島の特徴さえも海軍の武器としているらしいことが書かれている。

 中でも目を引いたのは一部分。

 この島は潮の満ち引きが頻繁に繰り返されるようで、潮が満ちた時と引いた時では島の姿が多少なりとも変化する。海に面した部分にも基地の一部として使われる空間があること、そして別の文章には今はそこが使われていないことなども書かれている。

 

 今は使われていない場所が、普段は海に隠されている。

 それだけで興味が惹かれる記述だった。

 笑みを浮かべたキリは確信に近い物を得、資料から手を離して地面に落とすと踵を返した。ようやく目的地が定まった様子である。

 

 「特殊な環境に隠し金庫。やっと楽しくなってきた。お土産くらいはできるかな」

 

 笑顔で呟いて部屋を出ようとする。

 ドアノブを捻り、軽い気持ちで押し開けた。するとキリは不思議そうに首をかしげる。

 

 目の前には数メートル距離を置いてジョナサンが立っていた。背面で手を組んでにこにこ微笑んでおり、どことなく上機嫌そうに見える笑顔で、背筋をピシッと伸ばしている。

 周囲には数名の海兵。構えた銃をキリへ向けていた。

 室内でじっとしている間に取り囲まれていたのだ。

 

 「あれ?」

 「やぁ、また会ったね。何か面白い物でも見つかったのかな?」

 「ええ。一応は」

 「そうか。実は私もだよ。脱獄したという海賊を探していたところだ」

 「あぁそうなんですか。それは大変ですね。じゃあ邪魔しちゃ悪いし、ボクはこの辺で」

 「ん? そうかね? 探していたのは君だったはずなんだが」

 

 ジョナサンの言葉を聞かず、キリはあっさり扉を閉めてしまう。

 動揺した海兵たちがどよめくもののジョナサンだけは慌てていない。

 

 動じていない足取りで扉の前に立ち、顎髭を撫で、目にも止まらぬ速さで剣を抜いた。鉄製の扉が至って普通の刃によって切り裂かれてしまい、ほんの一瞬で細切れになる。

 その瞬間、予想だにしない物が襲い掛かった。

 数え切れないほど大量の紙が雪崩のように飛び出してきたのである。

 

 咄嗟に逃げようとするものの距離が近過ぎた。

 剣を振り上げて切り付けるが、数十枚を一気に斬ってもさらに奥から無数に来る。

 結局は呑み込まれてしまい、抵抗もできずに全身が紙に包まれた。

 

 「おおっ、これは――」

 「中将!? 危ないっ!」

 

 海兵たちも叫びはするが対処のしようがなく、ジョナサンが呑み込まれる様を眺め、直後には自分たちの体さえ呑み込まれて遠くへ運ばれていった。

 資料室の扉が遠くなり、それでも波のように動き続ける紙に埋もれて身動きが取れない。

 

 それだけでなく、奔流の中で導火線に火の点いたダイナマイトさえ見つけた。

 最初に気付いた海兵が悲鳴を発するも、取り除くだけの余裕がない。

 伸ばした手が届く暇もなかった。移動を続ける紙の奔流の中、突如大きな爆発が起こって、辺りの物さえも巻き込んであらゆる物が吹き飛ばされる。呑み込まれた海兵の中には直撃した者も多いらしく、悲鳴を発する人間も居れば声すら出せなくなった者も居た。

 

 爆発の余波でそこら中に散らばった紙に火が点き、凄まじい火災の様相となる。

 いよいよ基地内は前例を見ないほどとんでもない状況となってきた。

 

 ジョナサンは、先頭で呑み込まれたこともあって爆発に巻き込まれた様子はない。

 傷こそついていないが廊下に立ち、炎に見舞われて黒煙が上がり、見るからに危険な状況で、尚且つ部下たちがのたうち回っていれば顔色が変わるのも当然。

 ついに笑みを消して目つきが鋭くなり、細い剣を握り直して資料室を睨む。

 

 キリはまだそこに居た。

 扉の向こう側に立って笑みを浮かべ、緩い表情。

 傷つき、倒れた海兵たちを見て動じる様子はない。言い換えればそれは彼らを侮蔑するようにも感じられてしまい、余裕のある様は今になってみると恐ろしい。いくら敵同士とはいえ彼は笑顔で他人を傷つけたのだ。年が若くともやはり海賊、甘く見るのが間違いだった。

 

 歩き出すジョナサンは舞い上がる火の粉も気にせず、足元の炎さえ無視して前へ進んだ。

 あれは他の誰かに任せていい敵ではない。自らの手で討ち取る必要がある。

 油断も容赦も投げ捨てて、ジョナサンは久しく見せぬ姿を現した。

 

 それを見てキリは嘆息。怯えた様子はない。

 右手に持っていたダイナマイトに火を点けて、振り返って歩き出すと足元に落とした。

 

 部屋の奥に向かう動きとはいえ、逃げる素振りを見せたのだ。

 即座にジョナサンが追おうとして地面を強く蹴る。

 半ば跳ぶようにして前へ駆け、キリの背中から片時も目を離さず接近を試みる。

 入り口に落としたダイナマイトも気になってはいた。だが距離からして爆発したところで誰にも当たらない。今から接近するジョナサンは当然として、他の部下に当たりそうにもなかった。

 

 それ故、爆発の直後に踏み込めばいい。ジョナサンは瞬時に作戦を立てる。

 余裕を表す態度から見て、キリは油断しているのかもしれなかった。ならばその隙を衝かないという手はないだろう。部下をやられた今、ジョナサンもまた真剣だった。

 

 目測通り、ジョナサンが到達する前にダイナマイトが爆発する。

 轟音、爆炎。視界が塞がれて黒煙が上がる。そこまでは予想通り。

 問題となるキリもまだ室内に気配を感じていた。何をしているのかは見えないがそこに居た。

 飛び込むようにして地面を蹴り、剣を構えて入り口へ到達し、濃密な煙の中に身を投じる。

 

 その瞬間、たった一度の銃声があり、右肩に鋭い痛みが走った。

 自身が意図せず右手からわずかに力が抜け、剣を取り落としかける。

 

 この時ジョナサンは全てを理解した。

 入り口に落としたダイナマイトは攻撃でもなければ威嚇のためでもない。爆炎と煙によって視覚を封じ、爆音で耳を潰して、敵の油断を誘うこと。

 よくよく考えれば部下たちだけが傷ついてジョナサンだけ無事だったのも異様だ。

 誰よりも先に排除すべき男が無傷だったのは、もしや敢えて怒らせて平静を崩すためだったのではないか。右肩の痛みで冷静になったジョナサンはそんな考えに至った。

 

 動揺。もしくは驚きと言うべきか。

 不意にジョナサンは足を止め、左手で右肩を押さえ、動かなくなってしまう。

 室内も燃えていた。ばら撒かれた資料に火が点き、こちらでも火災が起こっている。

 

 キリは窓枠に腰掛けていた。

 窓はすでに開かれ、体の前面を外に向け、すでに足などは外へ出ている。

 そんな体勢で振り返り、ジョナサンを見つけるとにっこり微笑みかけ、気軽に指を振るった。すると室内で燃え盛る紙が独りでに動き出し、意志を持つかの如く互いを連結させ、蛇のように長大な姿を得る。轟々と音を立てて全身を燃やす数メートルの蛇だ。

 

 誘い込まれた。そう考えるべきだろうか。

 キリは窓から飛び降りる間際、笑みを浮かべたまま気楽に告げた。

 

 「じゃ、失礼しま~す」

 

 最後に指を振って、炎の蛇がジョナサンへ襲い掛かる。

 思考は冷静に、素早く右手を振って剣で迎撃する。

 特別な動きはなかったが炎の蛇には確実に届き、紙を繋いだだけの体はあっさり分断され、ただの火の塊となって地面に落ちていく。

 

 そうなった後で、空中でくるくる回って飛来するダイナマイトに気付いた。

 おそらく飛び降りる寸前に投げつけたのだろう。再びジョナサンが驚愕して、今度は迷わず後ろへ跳んだ。ほぼ同時に爆発して、彼の体は爆風で勢いよく吹き飛ばされる。

 

 炎が広がる廊下へ背中から転がり落ち、熱風に全身を包まれる。

 なんとか体勢を立て直した彼はすぐに跳んで火の無い場所へ逃げた。

 

 周囲では海兵たちが互いを助け合っている。悲鳴のような声がいくつも重なり、ジョナサンは荒く呼吸をしながらそれを耳にして、どうすべきかを見失っていた。

 自身のダメージを顧みれば大した物ではない。大きな火傷もなく、すぐ逃げた甲斐はあった。

 問題なのは基地、部隊としての機能。

 キリの攻撃によって多くの海兵が傷つき、治療を必要として、それ以上に心を折られた。基地は爆発で至る所がボロボロ。その攻撃が自分にも向けられ、今や火事にもなって、またしても逃げられてしまっている。その上、外では別の海賊が暴れているのだ。

 

 襲ってくる問題があまりにも多過ぎた。

 冷静沈着で策士と呼ばれたジョナサンでさえ困り果て、基地や部下たちだけでなく、自身もまた腑抜けていたのだと自覚する。

 この状況は自分の甘さが招いた物だ。そう思わずにはいられないほど完敗だった。

 

 考えあぐねたジョナサンがフッと微笑む。

 

 ここまでやられるといっそ清々しい気分にもなる。やはり期待は間違っていなかった。彼らの脱獄と攻撃全てが、ナバロンに漂っていた平和ボケの空気を壊してくれる。壊して、洗い流して、この地が新しく生まれ変わる刺激に変えてくれる。

 敗北だと認識しても彼だけは心が折れていない。

 むしろ嬉しく思う気持ちすらあって、背を伸ばして立った彼は晴れ晴れとした顔だ。

 

 「ハッハッハ! 参った、やられたな。ここまで差があるとは思わなかったよ」

 「中将……な、なぜ笑うのですか」

 「なぜ? 決まっているだろう。完膚なきまでに負かされたからだ。さぁみんな、落ち込んでいる暇はないぞ。確かに負けはしたが、我々はまだ生きている。もう一度彼に挑んで勝ちを奪い取るチャンスがある。ここで立ち止まってしまっては、ただの負け犬に成り下がるだけだ」

 

 にこにこ笑って嬉しそうに。

 海兵たちにはその笑みの意味がわからないが、ジョナサンが諦めていないことだけは伝わった。

 重症の者も軽傷の者も、よろよろと危なげな足取りで立ち上がる。

 ジョナサンの言葉に応えたい。人望の厚さ故か、独特の雰囲気に包まれていた。

 

 「さぁ行こう。ナバロンの誇りに懸けて、己が正義のため、我々は勝たなければならんのだ」

 

 決して落ち着ける環境ではない。

 燃え盛る炎が熱風を生み、立っているだけで汗を掻き、それどころか呼吸すら厳しくなる状況。そんな場所で問いかけられて、普通ならふざけるなと返しても不思議ではないのだが、その場に居る海兵たちは頷きさえしてジョナサンの意見に賛同した。

 

 強制された訳ではない、誰もが自ら海兵に志願したのだ。

 海賊を目の前にして逃げるだけの海兵に誰が憧れるだろうか。

 かつては自分もそうではなかった。如何なる敵が相手であっても市民のために戦う、海兵のあるべき姿を夢見て訓練に臨み、強くなろうとしたはずではなかったか。

 部下たちの顔に生気が戻り、精神へ受けたダメージが軽減されていく。

 炎の中、立ち上がった海兵たちは武器を振り上げ、オオッと声を発して自らを奮い立たせた。

 

 平和ボケしているとは言わせない。求めたのはその顔だった。

 皆を見回したジョナサンは小さく頷き、早速キリを追うため歩き出そうとする。

 

 そこへ足音が近付いてきた。

 気になって背後に振り返ってみると、涼しい顔で歩いてくるウェンディを見つける。

 立ち昇る煙を手で払いながら、彼女はあくまで冷静なままジョナサンへ歩み寄り、声をかけた。

 

 「お疲れ様です、ジョナサン中将。ずいぶんお忙しいようですね」

 「ああ、幸か不幸かわからんがね。とりあえず消火と海賊の捕縛が最優先になりそうだ。それで私に何か用でも?」

 「はい。調査に関して、ご報告したいことが」

 「わかった。しかし後にしてくれるかね。今はとにかく忙しくて手が回らない」

 「わかっています。ですが、今しかダメな理由があるんです。一緒に来ていただけますか」

 「ふむ。何か見つけたのだね」

 「はい」

 

 瞳に強い意志を浮かべ、ウェンディは怯むことなく頷く。

 その顔を見てジョナサンは考え込むように髭を撫でた。

 

 「わかった。では私が行こう。他の者は消火を急いでくれ」

 「感謝します。それと、できれば少佐と中佐のお二人にも来て頂けると助かるのですが」

 「ドレイクとシェパードを? そうか、やはりそういうことなんだな」

 「念のためです。あなたたち三人がこの基地の要でしょう? 知っておいた方がいいかと」

 「そうだな。わかった。我々で事の成り行きを見届けよう」

 

 意識が切り替わり、喜びから一転、複雑な心境になる。

 彼女の調査結果を聞くのは幾分勇気が必要だ。

 だが、知らねばならない。ナバロンの問題を解決しなければ。

 ジョナサンはウェンディの後に続き、一時とはいえキリのことを忘れ、歩き出した。

 


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