ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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崩壊した町

 朝日が昇って、新しい一日が始まる。

 朝食を食べ終え、身支度を整え、ゴーイングメリー号は出航した。

 

 いつも通りの行程は経てはいたものの、普段より少し慌ただしく、全員に急ぐ動きがあった。

 今日は別行動を取っていたキリと合流する予定だったからだ。

 一体今までどこで何をしていたのか、全く読み切れなかった彼と再会する。聞きたいことはいくらでもある。中には怒っている風の面々も居て、いつもとは少し違う空気が流れていた。

 

 船上には普段より重い空気がある。だがそれは決してキリに向けられる物ばかりではなかった。

 原因は甲板に居ながら離れて座るシュライヤとアデルだ。

 朝食の時からやけに気まずそうだった。おかげで周囲で見る者さえ気まずげにしている。

 

 不思議と見ている方が緊張した。

 甲板の隅で見ていたウソップは近くに居たシルクへ声をかける。

 

 「あいつらいつまでああしてんだ? 兄妹だってことはわかったんだから、もうちょっとなんとかできねぇのかよ。どっちもずっと黙り込んだままでよ」

 「無理もないよ。お互い死んだものだと思ってたんだし、突然の再会だったから」

 「でもよぉ、血の繋がった家族だろ。それくらいどうにか――」

 「それにシュライヤは、賞金稼ぎとして生きてきたでしょ。きっと良い事ばかりじゃなかっただろうし、負い目があるんじゃないかな。無理に促すのは悪いよ」

 「やり切れねぇな。せっかく喜べる状況だろうに」

 

 シュライヤもアデルも、それぞれ別の場所に座って海を眺めていた。

 きっと互いに意識はしているだろう。だが接し方がわからない。家族として過ごしていたのは八年も昔の話、それからは生きていることさえ知らなかった。

 顔を俯かせるシュライヤにはシルクが語る通り、負い目がある。他人の血に濡れて生きてきた。

 そしてアデルは、そんな彼に戸惑ってしまった。

 すぐに向き合うことは難しそうで、少なくとも今は先送りにするしかなさそうだ。

 

 ウソップとシルクは会話をやめ、ひとまずこのままでいるしかないと思う。船上はしばらく重苦しい空気にあるが文句は言えない。慣れるしかなさそうだ。

 それも島に着く頃には状況が変えられるだろう。

 パルティアにはビエラが居るはず。二人の間に彼が入ってくれればいいのだが。

 

 船上にはしばらく沈黙の時が流れた。

 各々が思い思いに過ごしていて、それぞれ居る場所も違っている。

 

 しばらく経って、ルフィが大声を発した。

 いつも通り船首の上に座っていた彼は船の進行方向を眺めて、その先に島の姿を見たのである。

 やっと到着した。デッドエンドのゴール地点、パルティアだ。

 

 「島が見えたぞぉ~!」

 「お、ようやくか」

 「思ったより時間かかったわね」

 

 ルフィの声に反応したサンジとナミが呟く。

 指針が指し示す通り、前方にある島は目的地だった。

 ようやく航海が終わる。

 騙された結果とはいえ航路を間違え、待ち伏せを受け、異常気象を回避した後にやっと見つけた一つの島。普段にも増して安堵は大きく、ナミは大きく肩を落とす。

 

 「はぁ~、三億ベリーが一億ベリーかぁ……キリが最初から言ってればこんなことには」

 「いいじゃないか。確かに減ったけど一億は手に入ったんだから」

 「最初は三億だったのよ? それが二億も減って一億だけなんて。喪失感が半端じゃないわ」

 「ハハ、確かに。でも一億だって大金さ。ゼロから考えりゃ儲けには違いない」

 「それはそうだけど……はぁ」

 

 航海の安堵と共に喪失感を覚え、ナミは重々しく溜息をつく。

 傍で聞いていたサンジは苦笑せざるを得なかった。

 

 お金が大好きと称するからには執着も大きかっただろう。だが冷静に考え直せば、様々な窮地に直面しながら命があるだけでも幸運だった。

 気を取り直したナミは前方の島を眺める。

 

 「まぁいいわ。あれだけ色々あって全員無事だったんだし。とりあえずあの島で休みましょ」

 「だね。ビビちゃん、コーヒーのお代わりは?」

 「大丈夫。ありがとうサンジさん」

 「お安い御用さ」

 

 笑って告げるサンジはその場を離れ、ラウンジへと戻っていった。

 持ち出された丸いテーブルを挟み、椅子にはナミの他にビビの姿もある。

 朝の一時を感じ入り、風を感じながらコーヒーを一杯。心を落ち着けるには十分だった。

 そんな中で、ビビは少し沈んだ表情を見せる。

 

 「ねぇ、ナミさん」

 「ん~?」

 「こんなにゆっくりしていていいのかしら。私がこうしている間にも、国には反乱の危機が迫ってる。それなのに私だけ、こんなにも落ち着いて……」

 「気にし過ぎよビビ。キリが言ってたでしょ? 反乱はまだ起こらない」

 「でも」

 「そりゃ確かに、バロックワークスに居た頃のキリを私たちは知らない。だからなんでそんな自信があるのかとか、そういうのはわからないけど、でも」

 

 不安を露わにするビビをじっと見つめ、ナミは邪気の無い笑みを浮かべた。

 

 「私たちの仲間よ。あんたが困るようなことするはずない」

 「ええ……」

 「あんたはちょっと真面目過ぎ。ずっと肩に力入れてたんじゃ疲れちゃうでしょ。たまには考えるのやめて、あいつらみたいに能天気になった方がいいんじゃない?」

 

 そう言ってナミが視線を向けた先では、ゴールに到着することを心待ちにして騒ぐ仲間の姿。

 ルフィやウソップを中心にしてやけに騒がしい。彼らは至っていつも通りだ。

 確認したビビが薄く微笑む。

 傍らに居たイガラムは彼女を気遣って口を開くのだが、少しは余裕ができたのか、ビビが吐き出す感想は彼が想像していない物だった。

 

 「無理もありません。ビビ様は祖国を救うため、覚悟を決めて海に出ました。全ての心配もアラバスタを傷つけさせたくないという一心。ご理解いただく他は――」

 「そうね。少し、考え過ぎていたのかもしれない」

 「ビビ様?」

 

 言葉を止めたイガラムが彼女を見た。

 視線を合わせたビビはくすりと微笑む。

 

 「彼らを見習った方がいいのかもしれないわ。力が入り過ぎても疲れちゃうものね」

 「そうそう。どうせまだアラバスタには直行できないんだし、到着は先になる。今からそのことばっかり考えててもどうしようもないわ。今できることだけ考えなさい」

 「ええ」

 「今はレースが終わったとこなんだから、とにかく休みましょ」

 

 やさしく微笑むナミにつられてビビも肩の力が抜け、やっと表情が柔らかくなった。

 これを見ていたイガラムは感心する。

 海賊らしくない、人の血が通ったと言うべきか、思いやりのある言動だった。以前から感じてはいたものの彼女たちはビビを、イガラムを、カルーを仲間として扱っている。そこには王女に対する打算や計算、そういった邪知が感じられない。

 イガラムもまた表情を柔らかくし、二人の傍をそっと離れた。

 

 その直後に突然ナミが前のめりになり、テーブルに肘をつきながら怪しく笑う。

 何やら嫌な予感がしたが、その発言は戸惑う素振りもなく発される。

 

 「ところでビビ、あんた王女なのよね? このまま国まで安全に連れて帰ったらそりゃあ私たちは大恩人ってことになるわけだけど……わかってる?」

 「は、はい」

 「うふふ、わかってるならいいの。まぁ最悪国王様に直接聞けばいいんだし、期待してるわね」

 

 何やら怪しい言葉が聞こえて、ビビは困った様子。助けに入るべきか、敢えて聞かなかったことにすべきか、悩んだイガラムは密かにその場で立ち往生していた。

 

 ちょうどその頃になって船の先端から大声が出された。

 島は着々と近付いていて、前方に集まる面々がその全景を眺めているのである。しかし、想像した姿ではなかったせいか、発される声には動揺が混じっている。

 どうやら皆が同じ気持ちで驚いていたらしく、誰かに答えを求めるかのようであった。

 

 「お、おいっ、なんだあれ!?」

 「町が……壊されてる?」

 

 先にウソップが声を出し、次いでシルクが険しい表情を見せる。

 同じくルフィやゾロ、サンジも驚きが隠せずに厳しい顔だ。

 

 前方に見えた町、パルティアは、全てが崩壊していた。

 おそらく数日前までは平和に過ごしていたであろう場所。海賊レースのゴールになったからか、もはや以前の姿を想像することさえ億劫なほど破壊し尽くされ、瓦礫の山がそこら中にある。代わりに人の姿はそう簡単には見えず、少なくとも気配は感じない。

 町として完全に機能を停止していると言ってもいいだろう。

 そこには海賊の恐怖が刻み込まれていた。

 

 言葉を失くす一行はしばし沈黙する。

 信じられない、というのは表情に表れていた。

 やがてナミやビビたちも駆け寄ってきて、その光景を見て彼女たちも口々に呟く。

 

 「何これ、全壊じゃない……」

 「ひどい……」

 「海賊の仕業だよな。しっかしひでぇ。町中攻撃されてんじゃねぇか」

 

 呟くウソップの隣に険しい表情のアデルが並んだ。

 手すりを掴み、何かを憎むような目で町を眺めている。

 思い出す何かがあったのだろう。彼女たち兄妹の町もまた、海賊に襲われて滅ぼされたという。冷静でいられないのも無理はないと納得できる状況だった。

 

 「海賊って奴らはみんなこうなんだ。悪いことなんて何もしてない市民を襲って、好き勝手暴れて人だって殺す。自分さえ良ければいいって連中ばっかりだ」

 「おいおい、おれたちまで一緒にすんなよ。そんな海賊だったらおまえたちのことなんかとっくに見捨ててるぜ。わざわざここまで連れてきたんだからな」

 「おまえらが違うってのはもうわかったよ。でも、海賊がみんなそうなんじゃない」

 「そりゃあまぁ……」

 

 アデルの言葉に言い淀むウソップはぐうの音も出なくなった。

 メリー号に居る者の多くが、海賊の被害を受けている。自分たちがどうであれ、その存在が世間からどんな目で見られているか、己が身を以て理解していた。

 故郷を滅ぼされ、兄妹と生き別れになった彼女に何を言い返せるだろう。

 アデルの言葉は真実を告げていた。

 言葉を失った面々はしばし黙り込んで何も言えなくなり、辺りには沈黙が広がる。

 

 シルクがアデルの傍へ移動し、膝を折って視線を同じにすると、彼女の肩へ手を置く。その表情は辛そうな物で、同情の念が抑えられない様子だった。

 似た境遇でも結果が違う。

 助けられたシルクと、最悪の結末を見たアデル。感情が動くのも仕方ない。

 

 メリー号が徐々に島へ近付いていく。

 到着は目前。ついにゴールの瞬間だがあまり嬉しそうな雰囲気ではなかった。

 

 シュライヤは、船の前部に居るアデルを知りながら甲板を動かなかった。

 壁に背を預けて腕を組み、物憂げな表情で一人佇んでいる。

 思うところはあるのだろうが、煮え切らない様子の彼に、たまたま近くに居たゾロが言う。

 

 「おまえはいいのか? ここに居て」

 「……おれが行ってどうにかなるもんでもねぇだろ」

 「唯一残ってた肉親だろ。また手放す気か?」

 「おれが掴むわけにはいかねぇんだよ」

 

 自嘲気味に笑い、シュライヤの顔に影が差す。

 そちらを見ようとはしないとはいえ、声色の変化から大体の事情は呑み込めた。賞金稼ぎだったという話も聞いており、ゾロは険しい顔で耳を傾ける。

 

 「ガスパーデを殺すために何でもやってきた。この手は血で汚れ過ぎてる。八年も生きてること知らねぇままで迎えにも行かねぇで、今更兄貴面されちゃ、あいつだって迷惑だろうさ」

 「あいつが、そう言ったのか?」

 「いいや。だが聞かなくてもわかる。薄汚ぇ賞金稼ぎと一般市民じゃ住む世界が違うからな」

 「そりゃおまえの意見だろ。あいつの意見を勝手に決めるなよ」

 

 怪訝な顔をしたシュライヤがゾロを見た。しかし視線は合わず、前を向いたままゾロが続ける。

 

 「てめぇが逃げたいがために他人を理由にするのは感心しねぇな」

 「そうじゃねぇ。これがあいつのためなんだ」

 「だから、そりゃてめぇが言ってるだけだろ。本人に聞きもしねぇで語んなってんだ」

 

 堂々巡りのやり取りである。

 思い空気を感じてシュライヤが口を閉じ、少し考え込む素振りを見せた。

 変わらずゾロを見ていると不意に彼と視線が合い、顎を動かして船の先端を示される。

 そちらに目を向ければ、いつの間にかアデルが振り返っていた。

 

 改めて視線が交わる。

 事実を知ってからつい逸らしがちだったが、意見を聞けと言われた今となってはそうもできず、自分でも自覚できないままにじっと見つめていた。

 

 よく考えれば彼女と目を合わせるのは妹だと判明した時以来だと思う。

 彼女は少し困った顔で、だが意志の強さを感じさせ、シュライヤから目を離さなかった。

 

 「あっちはもう覚悟ができてるってよ。で、おまえはどうすんだ?」

 

 そう言われてやっとはっきりした。

 シュライヤは呆然とした顔で立ちすくみ、しばしの沈黙の後で視線を落とす。

 

 今しがた見たばかりのアデルの顔は覚悟を滲ませる物。そこにゾロの言葉を合わせれば意図が汲み取れる。言葉にして聞かずとも彼女の決意が伝わった。

 しかし果たして、それでいいのか。自問自答を繰り返す。

 もう帰る場所などないと思っていた。

 それなのにアデルは彼に居場所を与えてくれると言うのか。その意思を感じて自分がどう決意すべきか、多少の迷いや躊躇いがあって、つい言葉が出なくなった。

 シュライヤの様子を見たゾロは静かにその場を離れる。

 

 船が島に到着しようとしていた。

 着港するため操船に動き出し、慣れた手つきで船員たちが船を動かす。

 帆を畳み、港へゆっくり船を近付けて、錨を下ろす頃には完全に動きが止まる。

 

 先にルフィが降り立った。

 辺りに広がるのは破壊し尽くされ、荒廃した町の景色である。少なくとも心が落ち着く場所ではなく、しかし犯人らしき人影も無くて、それどころか人の気配も感じないため困ってしまった。これでは誰かに話を聞くことさえできそうにない。

 表情を歪めるルフィは腕組みをして首をかしげ、ううむと唸る。

 

 キリはどこに居るのだろう。港から見える景色に彼の姿はなかった。

 先に到着したと言ったからにはどこかに居るはずである。

 嘘をつくようなタイプではあるものの、道に迷うタイプではない。実力もそれなりな物で負けるとも思っていないため、心配はしていなかったのだが、姿が見えないと不安にもなる。

 

 仲間たちも続々と降りてきて、同じくキリの出迎えがないことに違和感を覚えている表情。

 そこに突っ立っていても変化がないままで、辺りを見回すルフィが呟いた。

 

 「誰も居ねぇな。キリはどこ行ったんだ?」

 「もう着いてるって言ってたんだろ? まさか海賊にやられたってんじゃねぇだろうな」

 「それはねぇだろ。だってキリだぞ」

 「じゃあどっかに隠れてんのか? まぁ確かに隠れる場所は多そうだけどよ」

 「そもそも一人で何やってたのかしら。そりゃルフィを一人にするよりは安心だけど」

 

 先頭になるルフィの隣にウソップとナミがやってきて、同じ方向を眺める。

 三者三様、思うことも違うようで、同じ物を探しながら町を見る感想は違っていた。

 

 少しするとアデルが小走りでやってくる。近くには寄り添うようにシルクが居て、カルーを連れたビビも彼女を気遣っているらしく、できるだけ傍に居てやろうとしている。

 ルフィの隣で足を止めた彼女は、きょろきょろ見回してビエラを探す。

 そこに居ると聞かされていた祖父の姿も見えない。そのせいで心配が増していたようだ。

 

 「じいちゃんは! なぁルフィ、じいちゃん見つかった?」

 「いや。誰も見てねぇぞ」

 「そんな……どこ行っちゃったんだろ。ここに居るんじゃなかったのかっ」

 「待て待て、落ち着けよ。まだ居ねぇと決まった訳じゃねぇんだし、探せばどっかに――」

 

 取り乱しかけたアデルを落ち着かせようとウソップが言った時、少し遅れて到着したシルクが気付いて、近くの仲間たちに告げた。

 

 「ねぇみんな、誰か来るよ」

 「ん?」

 

 少し目を離した隙に見覚えのない人影が現れていた。

 港から町へ真っ直ぐ続く道を、一人の女性が歩いてくる。

 その風景にあまり似つかわしくないと言うべきか、貴族が着るようなドレスを身に着け、どこか高貴な雰囲気を携えながら、お供も連れずにしずしずと一人でやってくるのである。どうやら港に見える彼らを目指しているようで、立ち尽くしているだけで距離が狭まってきた。

 

 その場を動かず待っていた一行はその女性を見つめる。

 肩に届く程度の金髪で、輝くような非常に美しい様相を湛え、端麗な容姿に眼鏡をかけている。

 高貴な雰囲気を纏う麗人。

 ドレスを着ていることを差し引いても、不思議と目を奪われる存在だ。

 

 徐々に近付いてくる彼女を見つめてルフィたちは不思議そうな顔で動かない。その中で唯一、何やら喜び勇んだ様子でサンジが前へ飛び出した。

 軽いステップで女性に近付き、緩んだ表情で声をかけ始める。

 

 「あぁ、なんてお美しい。まさにこの荒んだ町に咲いた一輪の花。たおやかな貴女に水を差し、枯らさないようにずっと傍で見守っていたい」

 「サンジが壊れたぞ」

 「いつも通りだな」

 

 サンジが急接近したことで女性が足を止め、ふわりとやさしげに微笑む。

 その顔を見てサンジの様子がさらに変化して、見ていて思わず溜息をついてしまう姿だった。

 

 「こんにちは。あなたたち、麦わらの一味ですね」

 「いいえ、あなたの騎士(ナイト)です」

 「サンジくん、邪魔」

 「おまえおれたちのこと知ってんのか?」

 

 ナミがサンジの耳を引っ張って退かしたことで、ルフィが正面に立つ女性へ尋ねた。

 彼女はくすりと笑って答える。

 優雅さや気品を感じさせる仕草を見せ、海賊に詳しいとすれば違和感が付き纏う。サンジを除いて向き合った大半の人間が警戒する一方で、彼女は海賊を相手に堂々とした態度だった。

 

 「伝言を預かっているんです。あなたのお仲間から」

 「キリか。そうかぁ、やっぱり無事だったんだな」

 「おのれキリっ、またあいつだけ抜け駆けを……!」

 「な、なぁあんた、じいちゃんのこと知らないか? そのキリって奴と一緒に居たんだろ?」

 

 ほっと一息ついてすぐ、慌てたアデルが女性へ聞いた。

 外見からすれば彼女は全く怪我をしていないし、服が汚れている訳でもない。襲撃があったばかりだろうに海賊を目にしても恐れている様子もない。冷静に話せて、何やら事情を知っている風の人物だ。ビエラのことを聞くなら彼女しか居なかった。

 尋ねてすぐに理解したのか、女性は微笑んでアデルに目を向ける。

 

 「彼なら無事ですよ。ただ、病気だったんでしょう? 療養しなくてはいけないので、山の向こうにある町の病院へ移動しました。今頃は病室で安静にしているはず」

 「ほんとかっ!? よかった、無事だったんだ……」

 「あなたのことを心配してましたよ。早く行ってあげた方がいいんじゃないでしょうか」

 「うん!」

 

 喜ぶアデルはようやく朗らかに笑い、傍に居たシルクやビビも頬を緩めた。

 そんなアデルを確認し、次いでルフィが金髪の女性へ問う。

 

 「んで、キリも居るんだろ。どこだ?」

 「それが……残念ですが、ここには居ないんです」

 「ん? なんで?」

 「昨夜のことでした。実は海兵に捕まってしまったんですよ」

 「ええっ!? 海兵に捕まったぁ!?」

 

 叫ぶ声が重なり、大声を発したのはルフィだけではなかったようだ。

 驚きの表情を浮かべる面々は信じられないといった顔を見せるが、彼女の笑みは変わらず。

 どうやら嘘ではないらしく、それ故余計に動揺が大きくなった。

 身を乗り出すルフィが代表して尋ね、女性も冷静に応対する。

 

 「キリが捕まったって、どういうことだ?」

 「昨夜、突然海からやってきた動物に襲われて、彼だけが攫われてしまったんです。暗くて見えにくかったんですけど、確かシロクマでした。恐ろしく強くて……」

 「シロクマって、ひょっとして」

 「ああ。あいつだな」

 

 思い当たったらしいシルクとゾロが声を出した。

 彼らは以前対峙している。仲間と協力して立ち向かい、それでも勝てなかった強者のことを。

 あの時も辛うじて逃げ出せた程度で、見た目の可愛らしさに反して実力は一級品、正面から戦うのはまずい相手だと知っている。その相手がキリを襲ったというならば連れ去られたのも納得はできるだろう。首をかしげる仲間たちとは違い、ルフィとナミを加えた四人はいち早く理解した。

 

 この話、本当かもしれない。

 まだ理解できていない者も多いがひとまずは話に集中する。

 金髪の女性はなぜか笑みを絶やすことなく、重ねて彼らに告げた。

 

 「シロクマ以外にもあと二匹居たと思います。とにかく彼は攫われてしまって、きっと近くの海軍基地に運ばれたんでしょうね。それから一度も連絡が取れなくて」

 「近くの海軍基地ってどこなんだ」

 「ここからだと、多分、ナバロンではないでしょうか」

 「ナバロン!? よりにもよってあんな場所……」

 

 聞いた途端にナミが狼狽する。

 ナバロンと言えば少し前に立ち寄って、凄まじい威容を眺め、レースの途中だったからという理由もあるとはいえ、すぐに踵を返して離れた地だ。

 今はそこにキリが居る。できれば冗談だと思いたかった。

 

 対海賊においては無敗を誇る海軍要塞。その強靭さから“ハリネズミ”と呼ばれて、誰も近付けない場所だと噂も流れている。捕まって逃げ出せた者も居ない。

 

 その島に連れ去られてしまってどうすればいいのか。

 困り果てるナミの視線は自然とルフィの顔へ。

 真剣な眼差しに変わった彼はすでに決意しているように見え、それを見たナミは唇を噛む。

 

 「どうするのルフィ」

 「決まってる。助けに行くぞ」

 「本気ですか? ナバロンはこの辺りの海では負け知らずの要塞。一隻の海賊船が攻め込んだところで落とすことはできません。あなたたちの命も危うくなります」

 「関係ねぇよ。キリはおれの仲間だ。見捨てるなんてあり得ねぇ」

 

 そう言ってルフィはあっさり踵を返す。

 傍に居たアデルが心配そうに彼の背を見つめ、思わずといった様子で声をかけた。

 

 「ルフィ、本当に行くのか? 危ないんだろ。あの、おれ……」

 「おまえはじいちゃんのとこに行ってやれ。これはおれたちの問題だ」

 「でもっ」

 「それでいいんだよ、アデル。自分にできることをやればそれでいいから」

 

 焦りを募らせたアデルへ、やさしい声でシルクが言い聞かせた。

 目を合わせれば彼女は柔らかく微笑んでいる。その顔を見るとつい言葉を呑んでしまった。

 

 彼らの助けになってやりたい。だが自分が何の役に立てるかはわからなくて、冷静な思考が足手纏いになるのではないかと告げており、強く言えないのはそのためだ。

 ビエラを心配する気持ちも嘘ではない。

 この場は彼らを見送るしかないと判断したらしく、アデルは船へ戻る背を見送る。

 

 すでに意識は切り替わっていた。

 この際、キリが何をしていたのか、なぜ捕まったかはどうでもいい。

 それよりも重視すべきはどう助け出すか。最強とさえ謳われる要塞を相手に正攻法で挑めるはずもなく、何かしらの策が必要になりそうだが、あいにく今は普段策を用意する人物が居なくなっている。これだけですでに由々しき事態と言えた。

 

 全員でメリー号に戻ろうとする途中、不安そうにするウソップは早くも心配していた。

 それが彼の美点でもあるがルフィは足を止めようとしない。

 一旦立ち止まって考えるという考えはなさそうだ。

 

 「なぁルフィ、おれもキリを助けに行くって考えは賛成だが、むやみやたらに突っ込んでも死んじまうだけだろ。ここは一旦冷静になって作戦を立ててだなぁ」

 「じっとしてられねぇよ。おれは今すぐ助けに行く」

 「いやそうだけどおまえ、それでメリーが沈んじまったら本末転倒で――」

 「諦めろウソップ。こうなっちまったら梃子でも動かねぇよ」

 

 何とか考えを変えてもらおうと進言するウソップへ、冷静になったサンジが言う。

 ルフィが考えてから動く性格ではないと、ずいぶん前からはっきりしている。むしろ動き出してから考える、或いは動き出してからも大して考えないのが彼の常だ。

 そう言われては諦めるしかなかったようで、大きく肩を落とすウソップが口を閉ざした。

 

 彼らがメリー号へ乗船しようとした時、前方にシュライヤが立ち塞がる。

 真剣な表情。視線はルフィを捉えていた。

 彼は神妙になった声色で言葉を紡ぎ、同じく真剣なルフィへ質問する。

 

 「おれにできることはあるか」

 「いいよ。アデルの傍に居てやってくれ」

 「このままじゃおれはおまえらにおんぶにだっこだ。何の役にも立っちゃいねぇ。恩返しなんてつもりでもねぇが、借りを作りっぱなしじゃ気持ちが悪ぃんだ」

 「そんじゃ戻ってからにしよう。気に入らねぇんならおまえ、おれと戦えばいいだろ」

 

 あっけらかんと言ってルフィは笑う。

 シュライヤは言葉を呑み込み、自分でもわからないが彼の言葉を受け止めるのみだった。

 

 「一緒に居てやれ。せっかく生きてたんだ、もう手放すなよ」

 「……ああ」

 

 何か言いたげではあった。それなのにシュライヤは何も言わず、静かに道をあける。

 その道を通って麦わらの一味はゴーイングメリー号に乗り込んだ。

 甲板へ立ってすぐに出航の準備を始め、船上は慌ただしくなる。

 

 キリが連れ去られたのは昨夜。今頃はどうなっているのかわからない。

 最悪の場合、死刑ということもあるだろう。

 海賊にやさしくする海軍など、少なくとも彼らは把握しておらず、今も生きているかどうかさえ不安に思って、できるだけ急がなければという思考に囚われていたようだ。

 

 慌ただしく動きながらルフィがナミへ声をかけた。

 彼女はすでにナバロンのエターナルポースを持って指針を確認していた。

 

 「ナミ! 行けるか!」

 「ええ、もちろん。これがあれば迷うことなんてあり得ない」

 「よぉし、出航するぞ! キリを助けに!」

 

 休む間もなく再び出航し、メリー号は海へと漕ぎ出した。

 船を降りたアデルとシュライヤは、まだ少し距離があるものの、同じようにして遠ざかっていく船を眺め、心配するのか真剣な眼差しでメリー号を見送った。

 そしてその近くではドレスを着た麗人の姿。

 今の今まで笑みを絶やさなかった彼女は一味が離れた直後、やれやれと溜息をついていた。

 


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