アルビダのアジトを抜け出た海賊麦わらの一味は、コビーを連れて近くの町へ向かっていた。
憶測でしかないが到着まで二時間足らずだと言われていた通り、さほど時間もかからずにその島の姿は見えた。栄えている様子も希薄な至って普通の小さな町。
ただ町の奥には大きな海軍基地が見え、特徴のない町の中でそれだけが妙に目立っている。
聞いた名ではシェルズタウン。
噂を耳にしたコビーが言うには色々と曰くつきの場所らしい。
「いいですか。あの町にある有名な噂は二つあります。一つはずっと前から囁かれている物で、基地長のモーガン大佐が変わった人物らしくて、町民からかなり怖がられているようです」
「町民から?」
船の中央に座って真剣に話すコビーの前、顔を突き合わせて真剣に話を聞くルフィとシルクが居た。何を想ってか三人揃って礼儀正しく正座している。妙にかしこまったようにも見える姿だが、当人たちは意外に楽しんでいるらしい。
一方でキリは船首付近に座って遠方から町の状況を眺めている。話は聞いているが船の動きを確認するため、島に近付いた今でも気を抜いていない。
コビーの言葉に疑問を持ったシルクが前のめりに尋ねた。
「どうして町に住む人が海軍大佐を怖がるの? 海賊から守ってもらってるんでしょ」
「理由はぼくも知らないんですけど、そういう噂が流れてまして。ただモーガン大佐は腕っぷしで出世していったらしいですから、ひょっとしたら武闘派な人物なのかも」
「そいつ、強いのか?」
「ええ、おそらく。アルビダも絶対にシェルズタウンには近付かなかったくらいですから」
真剣に言うコビーから目を離し、振り返ったルフィがキリを見る。背中合わせの彼は振り返らなかったが話に応じる気はあるようだ。
「なぁキリ、海軍大佐ってえらいのか?」
「それなりだとは思うよ。基地長っていうならあの基地で一番偉いだろうね」
「へぇ」
「ただ本部の人間に比べればどうしたってランクは下がるかな。海軍本部の大佐は、支部の大佐より何倍も強いと思っていい」
「なんだ、じゃあ弱いんじゃねぇか」
「本人に会ってみないとわからないけどね。まぁ初戦はこれくらいがちょうどいいよ」
知った風に語るキリに違和感を抱き、事情を知らないコビーは眉をひそめた。
本部に所属する海兵と支部に所属する海兵、両者は平等に見えてその内情は案外違っている。実力で言えば本部所属の者の方が上。待遇もそれなりに違いがあった。
海軍入隊を目指すコビーは情報を聞きかじることも多かったが、なぜ彼が知っているのか。
気になったコビーが続きを話し始める前に聞く。
「キリさん、詳しいんですね。ひょっとしてイーストブルーの出身じゃないんですか?」
「いや、出身はイーストブルーだよ。ただ何年かグランドラインを航海してたってだけで」
「グランドラインを? そんな人がどうしてここに……」
「色々あったんだよ。今はまた目指すことになったけどね」
軽く言い切った辺りでルフィとシルクによって続きを促された。コビーは二人に向き直り、コホンと咳ばらいを一つ、表情を引き締め直して説明を始める。
「もう一つの噂はつい最近の物です。この辺りで有名な賞金稼ぎが居るんですけど、最近この町で捕まったって話がありました」
「捕まった? 賞金稼ぎは海軍の味方でしょ」
「なんで捕まるんだ?」
「それは……詳しい理由まではぼくも知らないんですけど。ただこの話が大きな噂になったのは捕まった人が有名だったからなんです。戦った相手は絶対に逃がさない魔獣のような剣士。巷では“海賊狩り”って呼ばれていた人で」
「おぉ~かっこいいっ」
目を輝かせるルフィは危機感もなく楽しんでいた。
そんなつもりではなかったろうに、コビーの話は彼の好奇心を刺激しただけだ。
嫌な予感を覚えつつ、まさかと思う自分を無視して。話し始めた以上は最後まで語ろうと真面目な面を見せ、尚もコビーは彼らへ語って聞かせる。
「その人の名前はロロノア・ゾロ。今、あの基地に囚われているらしいです」
「はぁーっ、海賊狩りかぁ……なんか強そうだなぁ」
期待を露わにするルフィの笑顔は、なんともわかりやすいものだった。出会ったばかりのコビーでもその様子はまずいと思う。彼の行動力ならば何をしでかすかわからない。
念を押すように言い聞かせておく。
「いいですかルフィさん。ぼくは気をつけてくださいという意味でこの話をしたんですよ。見に行こうだとかそういう話をしないでくださいね」
「海賊狩りかぁ。どんな奴なんだろうな」
「ちょっと、ルフィさん! ぼくの話聞いてるんですか!」
「しかも剣士だもんなぁ。おもしろそうだよなぁ」
すでにコビーの忠告など聞いていないようで、ルフィは楽しげにまだ見ぬ魔獣に想いを馳せている様子。こんなつもりじゃなかったのに。コビーは肩を落として頭を垂れた。
どうやら隣で話を聞いていたシルクも興味を持っているようで、何かを思案する表情だ。
本来、賞金稼ぎは懸賞金を懸けられた者を捕まえて、海軍に引き渡して金を受け取ることを生業としている。言わば海軍にとっては味方で平和を作る協力者でもある。
そのロロノア・ゾロが本当に賞金稼ぎだったのならばなぜ海軍に捕まってしまったのか。
その理由が気になって仕方ない。只事ではなさそうだ。
ルフィは海賊狩りという異名に。シルクは不可思議な事情に惹かれている。
考え込んでしまった二人を確認した後、言わない方が良かったかと頭を悩ませるコビーは小さく溜息をついた。そんな彼に微笑むキリが声をかける。
「だめだよコビー。会わせたくないならそういう話は隠しとかないと」
「うぅ、そうですよね……みなさんを心配したつもりだったんですけど」
「気持ちはありがたいけどね。まぁこれで基地の見学は確定かな」
キリも止める気はないらしく、おそらくはシルクも興味津々。
この船の上にはルフィを止めようとする者はいないらしい。果たして本当に大丈夫なのだろうかと心配になって、コビーはまた溜息を我慢できなかった。
船はすでに島に辿り着こうとしている。
好奇心を露わにルフィはキリの隣へ行って座り、町を見つめた。
一際目立つ海軍基地。そこにどんな男が待っているのだろうと想像しながら。
「なぁキリ、ゾロってどんな奴だろうな」
「確かめに行く?」
「そうだな。いい奴だったら仲間にしよう」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよルフィさん! だめですって!」
ルフィの発言を聞いたコビーが慌て出し、傍へ寄って背後から声をかけた。
振り返った彼と目を合わせた瞬間に厳しい声をぶつける。
「だ、だめですよそんなの。悪い人だから捕まってるんですよ。賞金稼ぎが捕まるなんて滅多にあることじゃないですし、きっと理由があったんだと思います。それにあの人は前々から色々噂があって、あんまり良い人っていう印象は――」
「見てみりゃわかるよ。とにかく行ってみようぜ」
「ルフィさん……だからぁ」
「まぁまぁコビー、しょうがないって。こうなったら梃子でも動かないから」
諦めた様子でコビーが肩を落として深く息を吐く。もはや言葉は出ない。
ちょっとした騒ぎはすぐに治まり、集まる三人の方へシルクも近付いて、キリへ声をかけた。アルビダのアジトで宝を運ぶ最中、次の島へ到着した時のことを話していたのだ。
「でもさキリ。買い物もしなきゃいけないし、航海のために色々準備しなきゃいけないこともあるって話してたじゃない。これからどうするの?」
「それもそうだね。じゃあコビー、ルフィのこと任せていいかな」
「えぇっ!? ぼ、ぼくですか?」
キリから唐突に話を振られたコビーは驚き、肩を震わせる。まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。見るからに行動力がありそうな彼を任されて何事もなく終えられる気がしない。けれどキリは何一つ心配していない顔で微笑んでいた。
それに対してむしろルフィの方が不満そうだ。
「え~? キリは来ねぇのか?」
「ボクとシルクで必要な物を用意しておくよ。軍資金は手に入れたし、そのロロノア・ゾロって人は任せる。仲間にするかどうかは船長が決めてくれればそれでいい」
「シルクまで来ねぇのか。なんだよ、せっかく仲間探しなのによぉ」
「役割分担は必要だよ、ルフィ。仲間なんだから協力しないと」
くすくす笑って窘めるシルクの言葉を聞いたルフィは、それもそうかと思い直す。
不満を納めるのは早かった。すぐに彼は純真な冒険心だけを胸にして町を眺め始める。
変わり身の早い彼と違ってコビーはそうもいかないのだが、すでに話は進んでいて、準備していたらしいキリが小さな袋を投げ渡す。じゃらりと音がしたそれにはいくらかの金、ベリーが入っていた。袋は小さいがぎっしり詰められている。
ずいぶんな大金にも思えて、疑問を持ちながらキリを見る。
途端に不安げなコビーを見てキリはやさしく言った。
「何があってもいいようにね。ルフィのお守りは多分大変だよ」
「は、はぁ」
話が纏まりかけたところでいよいよ上陸の瞬間が近付いていた。
一味の小さな船は港へ到着し、ロープを使って繋ぎ止め、無事に陸地と隣接して足を止めることができた。帆をたたむのはキリが手早く終えて、上陸準備は瞬く間に整う。
いの一番に船を降りたのはルフィだった。
草履を履いて着地した途端、ぺたっと間抜けな音。顔を上げれば見知らぬ町。
顔には抑えきれない喜色が浮かんで、もはや感情を抑えられない様子だ。
「ついた! 海軍基地の町っ!」
「ルフィ、一人でどこかに行かないでよ。はぐれたら大変なんだから」
続いて降りたシルクがルフィの隣に並んで町を眺める。キリやコビーも二人に遅れたがすぐに陸地へ渡り、彼らの傍へ立った。
穏やかな風景の至って平和な街並み。
人々は笑顔で通りを歩いており、いざこざの一つも見られない。
少々過激な噂を聞かされていたが、本当にそれほど大変な町なのかと思うほど特別な何かは見当たらなかった。一見しただけではこれなら平穏無事に抜け出せそうだとも考えられる。
拍子抜けしてしまった気はするものの、むしろ彼らにとっては有難い。
きょろきょろと辺りを見回すルフィとは裏腹に、危険を望む訳ではないキリはひとまずシルクへ向き直り、彼女を見ながら口を開いた。
「ここなら買い物できそうだ。航海に必要な物を買い揃えよう」
「オッケー。何が要るかな?」
「とりあえず水と食料と……コビーと別れるならこの辺りの海図も必要かな。ボクらの場合武器は必要ないし、あとは――」
「あ、服は? 流石にずっと同じ服のままだと気持ち悪いでしょ。洗濯もしなきゃいけないし、着替えも必要なんじゃないかな」
「そうだね。その辺はシルクに任せるよ。ボクらじゃセンスの方が、ね」
「わかった。って言っても、私も自信ないんだけどね」
予定は簡単ながらもすぐに決められて、二人が話し終えるともはや待つ必要はなかった。うずうずと我慢できない様子のルフィは今にも町へ入りたいようで、その姿には苦笑せざるを得ない。彼の背中にはキリが声をかけて出発を促した。
「ルフィ、もういいよ。しばらく離れるから問題起こさないようにね」
「おう。まかせろ」
「ほんとに大丈夫かなぁ。それとコビー、悪いけど、まぁ、頑張ってよ」
「は、はい。でも何も起こりません、よね?」
「さぁ。それは行ってみないとわからない」
「えぇっ!?」
いとも簡単に肩をびくつかせるコビーにくすりと笑い、キリとシルクが歩き出した。
振り返りながら手を振り、先に港へ沿って右側へと向かっていく。
「じゃあ先に行くよ」
「ルフィ、コビー、またあとでね」
「おう。またな」
ルフィもまた手を振り、コビーは頭を下げて、すぐに視線は目の前の通りへと向けられた。
こぢんまりとした通りだが賑わってはいる。どことなく楽しそうだ。
喜々とした表情で先にルフィが歩き出し、続いてコビーも足を動かし始める。
「ルフィさん、本当に行くんですか? 危なそうだし、やめといた方が……」
「よし、見に行こう。コビー案内してくれよ」
「や、やっぱり行くんですね……大丈夫かな」
戸惑いなく歩いていく彼を止められそうには思えず、仕方なく後へ続いた。
道がわからない上に方向音痴だというのにどんどん進んでいき、確かに目的地は真正面に見えているため、ただ前へ進めば辿り着くのだが、それにしたって迷いがない。
その自信の出所がわからなかった。
ルフィを先頭に通りを歩き過ぎていく。
様々な店が並んでいるがそちらには一切興味を持たずに、ただひたすらに基地を目指そうとしているらしい。その意思の強さを見れば怯えているのが馬鹿らしくなった。ルフィの姿に意思の強さを感じ、コビーはよしと頬を叩いて気合いを入れ直す。
何を怖がることがある。死ぬ気で努力すると決めたばかりだ。
言わば捕まったロロノア・ゾロと出会うのは海兵になるための第一歩。本物の海兵になれば賞金首の悪党と出会って、尚且つ捕まえなければならないのだからここで逃げる訳にはいかない。
コビーが気合いを入れて表情を変えた頃、ちょうど一軒の店先を通り過ぎる。
不思議とルフィの足は急に止まってしまった。その背に当たりかけたコビーは驚くも、なんとか当たらずに済んで、突然の変化に戸惑いを隠せない。
「どうしたんですか。急に立ち止まって」
「ん~……」
「体調でも悪いですか? だったら医者を探して――」
「うまそうな匂いがするっ」
くるりと振り返ったルフィは口元をだらしなくよだれを垂らしかけていて。つい数秒前まで好奇心を露わにしていたのに今やすっかり食欲を優先しようとしていた。
なんという変わり身の早さか。
驚くコビーだったがハッと気付いてポケットの中に仕舞った袋を思い出す。
もしもの時のためにと渡されたお金はこのために渡されたのだろう。おそらくこうなることも考慮した上で用意していたに違いない。準備の良さに感心すべきか、よくわからない状況だ。
呆れるコビーはげんなりしつつ、匂いの原因を探すルフィをじっと見つめる。
「おっ、あの店だな。メシ食おうぜ」
「食事って、さっき船で軽食取ったじゃないですか。それに二人が働いているのに」
「まぁいいじゃねぇか。すぐ終わるからよ」
「あ、ちょっと」
制止も聞かずにルフィは意気揚々と店の中に入ってしまい、残されたコビーもそのままでいる訳にはいかず、慌てて追いかける。
すでに彼は席を見つけて座ろうとしており、そこへ向かった。
こんなことをしていていいのだろうか。キリとシルクが航海の準備をしていると知るため、そう思わないでもないが、やはり想像していた通りルフィの行動を御することはできない。
溜息をつきつつ大人しく席へ座る。
こうなれば食事を終えてから基地へ向かうことになりそうだ。
楽しそうに早速メニューを見るルフィを見やり、窘めるように呟いた。
「ルフィさん、食べてもいいですけどすぐ出ましょうね。今頃キリさんとシルクさんはルフィさんのために働いてるんですから」
「ししし、わかってるって。でもキリはメシ食ってもいいって言ってたけどな」
「え、そうなんですか? いつの間に」
「それにゾロは捕まってるんだろ? どこにも逃げたりしねぇって」
ルフィが噂の人物の名を口にした瞬間。なぜか店の中でガタンっと大きな音が鳴った。それも一つや二つではない、一斉に複数の人間が動いたようで音がいくつも重なる。
不審に思った二人が店内を見回せば、各席で転んでいる客がルフィたちを見ている。
まるで何かに怯えるような視線。違和感の残る不安げな表情だ。
状況が読めずにただ困惑した。
コビーだけでなくルフィまでその視線に不思議そうな表情を浮かべ、しばし目が離せなくなる。
「なんだ? なんでみんな転んでんだ?」
「ひょっとして、名前じゃないですかね。今ルフィさんが言った」
「あぁ、ゾロのことか」
呟いた途端、再びガタンと大きな音。
目を丸くして驚く二人が見ている前で、全ての客人が盛大に転んでおり、皿やテーブルすらひっくり返しそうな勢いだった。些細な言葉で異常なまでに驚いている様子である。
これを見てようやく理由を理解し、声を潜めたコビーは身を乗り出しながらルフィへ伝えた。
「ここではどうやらロロノア・ゾロの名前は禁句みたいです。理由はわかりませんけど、きっとみんなその名前を恐れてるんですよ」
「そうなのか。しっかしおもしれぇ奴らだなぁ」
転んだまま二人を見つめていた客人たちは、座り直すためのろのろと動き出す。
その様子を確認しながら少し声量を戻してコビーが口火を切る。
「話を変えましょう。そうだ、せっかくこの町に来たんだから海軍の話とか。さっきも言ってましたけど、ここの基地長のモーガン大佐は――」
再び、ガタンという物音。
予想していなかった反応に驚いて見てみると、ロロノア・ゾロの名前を出した時と同じように客が転んでいた。しかも全員である。
驚きか、恐怖か、目を丸々とさせているのは一人ではない。
面白い反応だと捉えたか、ルフィはけらけらと笑っていた。
しかしコビーは同じように笑えない。彼らのリアクションに何か違和感を感じたのだ。
海軍に捕縛されたロロノア・ゾロならいざ知らず、なぜ海軍大佐の名を聞いて怯える。
怯え。彼らの瞳に映し出されていたのは聞かされた名に対する恐怖だ。
何かがおかしい。そう感じてコビーの顔は真剣になって、真面目に考え始めていた。
この島には何か問題があるのかもしれない。
ただ楽しそうに笑っていたルフィだったが、ふとした瞬間にそんな彼の表情に気付き、ふっと表情を変える。笑みは消えて何かを感じ取った様子だった。
異様な空気が店内に流れていた。だが今更店を出ることも躊躇われる。
当初の予定通り、ルフィはメニューを選んで店員に伝え、ひとまず食事を始めることにした。